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生田神社神戸市中央区下山手通生田神社公式HP■御祭神 稚日女尊(わかひるめのみこと)生田神社HPによれば、御祭神は天照大神の幼名とのこと。他に天照大神の和魂(にぎみたま)とも、妹という説も。神功皇后の新羅遠征よりの帰路、「海上五十狭茅(生田神社社家の祖)に命じて生田の地に祭らしめ」との御神託により生田の杜に稚日女尊を祀ったのが始まり。付近は神戸一の繁華街、三宮。この「三宮」という地名の由来については、別のブログでご紹介しました。参考:「電子の小箱」「三宮」という地名は生田神社のことではありませんが生田神社HPによれば、「神戸」という地名は生田神社に由来するようです。朝廷より神地神戸(かんべ=神社にお供えするお米等お酒等を作る庄園)を賜りそれが現在の神戸市中央区一帯であり中世頃から付近が「こんべ」「こうべ」と呼ばれるようになったのだとか。 参拝日の本殿は改修工事中のため、参拝は仮殿で行いました。工事期間は9月19日までだそうです(予定通りであれば完了)。数年前、有名タレントの結婚式で話題になった生田神社。以降、カップルの参拝者が列を成していましたが現在の境内は落ち着きを取り戻していました。 本殿の北にある「生田の杜」その森でひときわ目立っていたのが、上の3本のクスノキでした。昔、生田神社の周辺には松が植えられていたのだそうです。しかし水害の際、全く役に立たなかったことから生田の杜には松は植えられていないそうです。 ■生田裔神八社生田神社の周辺には、「生田裔神八社」と呼ばれる境外摂社があります。港神戸守護神厄除八社(みなとこうべしゅごしん やくよけはちしゃ)とも呼ばれ、一宮から八宮があります(六宮は八宮に合祀)。御祭神は天照大神と素盞嗚尊との誓約で生まれた八神のようです。ただし、七宮神社は例外のようですが。順番に巡ることを八宮巡りといい、厄除けになるのだそうです。 一宮神社神戸市中央区山本通1丁目■御祭神 田心姫命(たぎりひめのみこと=宗像三女神) 二宮神社神戸市中央区二宮町3丁目■御祭神 天忍穂耳尊 ・応神天皇 三宮神社神戸市中央区三宮町2丁目■御祭神 湍津姫命(たぎつひめのみこと=宗像三女神) 四宮神社神戸市中央区中山手5丁目■市杵嶋姫命(いちきしまのひめのみこと=宗像三女神) 五宮神社神戸市兵庫区五宮町■御祭神 天穂日命 六宮神社八宮神社の境内■御祭神 天津彦根命・応神天皇 七宮神社神戸市兵庫区七宮2丁目■御祭神 大己貴尊・天児屋根命 八宮神社神戸市中央区楠町3丁目■御祭神 熊野杼樟日命・素盞鳴尊 生田神社をはじめ、生田裔神八社のお社が新しいのは震災後の再建だからです。神戸市の地名の由来を確かめながら生田裔神八社を巡る散策はいかがでしょうか。
2009.09.18
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奈良県吉野郡十津川村玉置川 玉置神社公式HP ■御祭神 国常立尊 伊弉諾尊 伊弉冊尊 天照大御神 神日本磐余彦尊 熊野三山の奥の院とも言われる玉置神社は、標高1,076mの玉置山頂上付近に鎮座。「奥宮」ではなく、「奥の院」というところが熊野です。昼夜の寒暖の差があって、前日が晴れているなどの条件が揃うとしばしば雲海が見られるそうです(参照:レオナルドさんのブログ)。 前日から明け方くらいまで雨でしたし、アクシデントで到着も遅くなり残念ながら雲海は見られませんでした。「玉置神社は来る人を選ぶ」とも言われているそうですが、私たちは参拝断念寸前の、ヘロヘロ状態でやっとこさたどり着いた次第。神社マニアを自称していますが、あまりエラそうなことは言えないようです。 雲海も見られず、たどり着くまでに相当な試練を受けましたが神秘的な霧に包まれながら参道を歩かせていただきました。神様から「ごくろうさん」と言われているような気分でした。 境内からと思われる参拝者の声が聞こえるもののなかなか社殿までたどり着けず、またもや「試練」かと不安になりました。この山の緑は、大和や京のそれとは違います。山も木々も、そして水にも独特の霊気のようなものが感じられます。 この日はいろいろあって(ここでは書けませんが)、手水舎が見えたときには、正直ほっとしました。 雲海や神秘的な霧が似合いそうな境内ですが、この日は明るい陽射しの中での参拝となりました。昨今のパワースポットブームで、ここにもちょっと違和感のある参拝者が押し寄せていました。時間の都合で全域を回ることは断念し、今回はご挨拶程度の参拝。 樹齢3000年と称す「神代杉」をはじめ、境内には多くの杉の巨木があります。お気に入りの場所では木々との会話を楽しむのですが、ここの杉たちとは「目礼を交わす」程度でした。今まで出会った木々とは、いい意味で違った感覚があったのです。 境内を丁寧に廻る時間もなく、雲海も見られませんでしたが玉置山の麓ではちょっとした出会いがありました。玉置神社の遙拝所かと思った小さなお社。一度は通り過ぎたのですが、その奥に見えたものに引かれ細い上り坂をバックで戻ったのです。そこは玉置神社の遙拝所ではなく、八大龍王姫松明神と書かれていました。私たちの目にとまったのは、お社の奥にある神秘的な滝。すさまじいほどの水量で、チャクラに響くような轟音は恐怖を感じるほど。あまりのすさまじさに、参拝後にお社の写真を撮ることを忘れてしまいました。 その滝からの流れは、封印から解き放たれた龍神の姿のようでした。神の荒魂の業とも思えるその光景には、言葉が出ませんでした。滝の水は圧倒的な迫力で、近づくこともためらわれるほど。しかしその滝の流れに、女神の姿を見たような気がしました。 .
2010.10.11
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石上神社(いそのかみじんじゃ)奈良県天理市滝本町 ■御祭神 石上大神地元では石上神宮の元宮と言われているそうです。鎮座地は山の中。石上神宮から国道25号線を山側に登ること約3km。桃尾の滝のそばに、この石上神社があります。 桃尾の滝は、昔は「龍福寺」という大寺院の境内だったそうです。「布留の滝」と古今和歌集にも詠まれたこの滝は、真言密教の行場でもあったそうです。 石上大神は布留の神とも呼ばれる「剣の神」ですが、元々この地は水の神を祀る祭祀場だったのかも知れません。 山の水を竹で引き入れた素朴な手水。この手水は、創建時から変らぬ姿なのではないでしょうか。拝殿を見た時、室生の龍穴神社を思い出しましたがこの手水も龍神さまの雰囲気たっぷりです。(龍穴神社は水の神を祀る神社) 人の手で造られた境内とお社ですが、山の自然と気を一切損なうことない佇まいも、あの龍穴神社とよく似た雰囲気です。 「石上」という名がもっともだと思えるような磐が、境内にいくつか見られます。 パワースポットなどと軽々しく言いたくはありませんが、石上神宮のように「祈りの場」「祭祀の場」として人が管理する場と違い小さな神社ではあっても神秘的で畏れ多い感さえする境内です。 布留川へと流れる小さな沢と桃尾の滝。この神社はやはり龍神さまの存在を感じるのでした。 .
2009.10.26
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のどかな田園地帯に浮かぶ大きな島のような鎮守の杜。伊勢神宮125社巡りは、松阪市の神服織機殿神社からスタートしました。 昨年末、外宮にある「せんぐう館」に行きました。そこで上映されていたミニシアターでここを観て以来、憧れの地となった神社です。この神社の存在が、125社巡りを私に決心させたと言っていいかも知れません。式内社・麻刀方神社の論社。その麻刀方は松阪市の地名の由来でしょうか。 神宮の所管社はここに限らず、参拝者のためと言うよりは神様を祀ることと神事のために存在している感があります。数キロ手前に自治体等が設置したと思われる案内板がありましたが周囲には丁寧な案内表示などなくナビに従って鎮守の杜にはたどり着けたものの、境内への入口がわかりませんでした。この鳥居を見つけるまでに、車1台ギリギリの未舗装道路をほぼ1周しました。その道も、轍がなければ乗り入れる勇気がなかったと思うようなものでした。 境内に1歩入ると、そこは異空間。周囲とは全く異なる神聖な空気に包まれます。鳥居をくぐると、出迎えてくれるのは立派なクスノキ。さらに奥に続く光景には、思わず背筋が伸びる思いでした。 他所では絶対に有り得ないこの光景と御神気は、正に「伊勢」といった感じです。この境内を拝した時、私は初めて瀧原宮に参拝した時の感動を思い出しました。玉垣でよく見えませんが、どの建物も高床式になっています。 神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ) 皇大神宮所管社 三重県松阪市大垣内町 ■御祭神 神服織機殿鎮守神(かんはとりはたどののまもりのかみ) 向かって右側の大きな建物は御機殿(八尋殿・萱葺屋根)左側の板葺き屋根が本殿です。下機殿(しもはたどの)とも呼ばれるこの神社では、春と秋に重要な神事が執り行われています。5月と10月に行われる神御衣祭(かんみそさい)に供える 和妙 (にぎたえ・絹布)を奉織する。その場所がこの八尋殿(やひろでん)です。鳥居のほぼ正面にあり、建物も茅葺きで大きいためこちらが本殿だと間違う方もいらっしゃるようです。斯く言う私も二見にある御塩殿神社(みしおどの)に初めて参拝した折塩を作る「御塩殿」に参拝し、本殿にはご挨拶すらせずに帰ったという痛い経験があります。 「倭姫世紀」によれば、倭姫命が飯野の高宮に皇太神を奉祭したおり、ここに機殿をたてたとされている。この地が選ばれたのは、このあたりが古くから機織りが盛んだったからだとも言われています。この近くにある、もう1社の機殿・神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)の前には「紡績発祥の地」と書かれた石碑も建てられていました。 本 殿 神宮司庁HPによれば、御祭神は神服織機殿鎮守神ですが天御桙命 (あめのみほこのみこと)とも、 天八千々姫命 (あめのやちちひめのみこと)とも伝えられているそうです。天御桙命と言えば、秦氏と関係が深い神。機織り(はたおり)、服部(はっとり)も秦氏の「はた」が由来と言われています。神服織機殿神社と秦氏を結びつける資料は見当たりませんでしたが周辺の神社や地名などを調べると、何かヒントが見つかるかも知れません。 上の画像で、玉垣の向こう本殿の両脇に小祠が見えるでしょうか。こちらと境内にある6社が「神服織機殿神社末社八所」と思われます。 神服織機殿神社末社八所■神服織機殿鎮守御前神(かんはとりはたどののまもりのみまえのかみ) 八尋殿 伊勢神宮125社巡りVol.19/125 .
2014.03.09
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宇倍神社(うべじんじゃ) 因幡国一ノ宮 鳥取市国府町宮下字一宮651 宇倍神社公式HP■御祭神 武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)御祭神は第十二代景行天皇から成務・仲哀・応神・仁徳天皇の五朝に仕えた「大臣」と言われ、360余歳で因幡国のこの地で終焉を迎えたと伝えられています。そのため、長寿の神として信仰されているそうです。実際に360年も生きたわけではないのでしょうが、ここでは理由は省略しますが、五朝に仕えていたというのは本当かも知れません。 現在の社殿は明治31年に造られたものだそうですが、翌明治32年に神社では初めて御祭神像と共に社殿が紙幣の図柄に採用されました。以降、昭和初期にかけて何度か紙幣の図柄になりそのため金運・財宝・商売繁盛の神としても信仰されているとか。紙幣に載った社殿の図柄は、上の画像のようなデザインでした。社務所で実際に紙幣を見せていただきながら宮司さんからいろいろと丁寧なお話をお聞かせいただきました。 社殿は小高い場所にあります。下に駐車場が見当たらず、案内に従って山道を登りましたがかなり上の方まで駐車場が点在していました。最も便利なのは鉄筋コンクリート製の授与所・参集殿下の駐車場。私は最初、神社は山の中腹にあるのかと思いかなり上の方の駐車場に停めしばらく山道を登ってしまいました。実際の高さは上の画像程度の位置でした。 式内社で名神大社に列せられ、旧社格は国幣中社。高い社格を誇るだけあって、立派で風格のある社殿です。ちょうどそれまで使っていた御朱印帳が満杯となっていたので授与所でお尋ねしたところ、宮司さんが方々探して持って来ていただいたのがなんと「全国一の宮御朱印帳」でした。昨年から期限を決めずにゆるーく始めた「一之宮巡り」ですが、本気でやれよと背中を押されたような気分になりました。 手水は稲葉山中腹の湧き水で「七宝水(しっぽうすい)」延命長寿、美人になるなど七つの効能がある御神水だそうです。水にはチョットうるさい私ですが、なぜだかここのお水の感想は覚えていません。 境内と周辺にいくつかポケストップがありますが、神社境内でのポケモンの捕獲はやめておきましょう。一時のようなブームは去ったようですが、今でも駅前などでスマホの画面を指で「ピンピン」やってる人を見かけます。ちなみに私はポケモンGOはやめました。スマホからアプリも削除しています(どうでもいい話ですね)。 この日は体調がすぐれず本殿裏の上にある武内宿禰命終焉之地と言われる亀金岡の「双履石(そうりせき)」には行けませんでした。この日の鳥取の旅では、ほとんど観光らしいこともできなかったため再度チャレンジしたいと思います。 一ノ宮 No.15 ここには書けない龍水のホンネ ミスターイトウの誘惑 衰えたか「神社巡り」の情熱.
2017.03.02
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熊野大社出雲國一ノ宮島根県松江市八雲町熊野2451熊野大社公式HP■御祭神 神祖熊野大神櫛御気野命 (かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)神社のホームページによるとこの御祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろぎくまのおおかみ くしみけぬのみこと)その意味はイザナギノミコトの尊い御子である神々の祖、熊野に坐す大神 櫛御気野命そして素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別神名とのこと。参拝日は2021年11月6日で、3度目の参拝。初参拝は2008年、2度目は2016年でした。。。境内の前にある意宇川。いつもこの光景に見とれてしまいます。2008年5月の初参拝のあと、出雲へのイメージが大きく変わりました。出雲は神話の国であり、「出雲=大国主命」というイメージでしたが出雲は須佐之男命の国なのではないかと強く感じたのです。そして出雲は神々の里ではなく、「人」がつくった歴史があり所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)が治めた「国」があったのです。。。西谷墳墓群・西谷2号墓。西谷墳墓群に行き、四隅突出型墳丘墓の上に立ったとき大和王権にも勝るとも劣らない「王国」があったことを確信しました。西谷墳墓群の四隅突出型墳丘墓は、大和の前方後円墳よりも古いものもあるのです。そして熊野大社と意宇川の流れ。。。2008年の出雲で最も印象に残ったのが、この意宇川の光景でした。そのころ古事記と日本書紀の歴史しか知らなかった私はこの地がかつては出雲国の政治と祭祀の中心であったことや、熊野大社も出雲大社と並んで「出雲国一ノ宮」であることを知りませんでした。帰ってから参拝記録の記事を書くときにいろいろ調べてこの地の奥の深さや謎を目の当たりにしたのです。普通は前もってリサーチして行くものですが、私の場合はいつだって「事後調査」なのです。。。隋神門(2016年撮影・雨)。古事記神話の「国譲り」の印象が強すぎて大国主命が国譲りの際に高天原から与えられた住処が「出雲大社」そうイメージしている人は少なくないと思います。私も漠然とそう思っていました。しかしよくよく調べてみると、出雲大社の創建はそれほど古くはありません。。熊野大社・本殿(2016年撮影)。出雲国造家の記録によれば、杵築(出雲大社)に移ったのは霊亀2年(716)だと記されています。乱暴な言い方になりますが、まるで古事記の編纂(712)に合わせたみたいです。元々の国造家の本拠地、意宇・大庭では大国主命を祀っていた形跡がありません。意宇六社の御祭神にも、その名は見当たりません。古事記神話で国譲りの舞台となった「伊耶佐の小浜(稲佐の浜)」近くに8世紀になって大国主命を祀る神社が創建されて、国造家が移り住んだ。スケールの大きな「つじつま合わせ」のような気がしてなりませんが。。。【参照】龍水御朱印帳・裏ばなし 「出雲大社創建は8世紀頃???」。。。しかし3回目の参拝(2021年11月)で新たな疑問が生じました。それは意宇川の畔にあった案内板の内容です。この意宇川の川上五百メートル 御笠山の麓に熊野大社の「上の宮」跡があります。熊野大社は古代、意宇川の源流である熊野山(現在の天狗山)にありましたが、中世より里に下り「上の宮」「下の宮」(現在の当社)として近世末まで二社祭祀の形態をとりました。「上の宮」には紀伊國の熊野信仰の影響を受けて伊弉冉尊、事解男神、速玉男神等を祀る神社が、また「下の宮」には天照大神・須戔嗚尊等祀る神社が造営されておりました。明治時代に至り「上の宮」の神社は、政府による神社制度の改正を機に「下の宮」であった現在の熊野大社へ奉還合祀されました。「上の宮」跡背後の御笠山の頂上付近からは、熊野大社の元宮があった熊野山が拝され、遥拝所が設けられています。また登山道途中には、洗眼すると眼病に効き、あるいは産婦がこの水を服すると母乳が満ち足りるという御神水「明見水」が巨岩から滴り落ちています。 熊野大社意宇川の流れを眺めながら古の営みに思いを馳せていた私でしたが、どうやらこの辺りで祭祀が行われるようになったのは中世以降のことのようです。日本書紀・斉明天皇5年(659)の記述に「この年、出雲国造に命じて神の宮を修造させられた」とあるのは熊野大社の元宮のことなのでしょうか。。伊邪那美神社。本殿の向かって左にある伊邪那美神社。小ぶりながら大社造の社殿。御祭神は本殿・御祭神の母神、伊邪那美命(いざなみのみこと)その他、多くの神が合祀されているようです。。。稲田神社。本殿の向かって右にあるのは稲田神社。本殿・御祭神の后神、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)が祀られています。その他、近隣の神社に祀られていた多くの神が合祀されています。。鑚火殿。変わった造りのこの建物は「鑚火祭」が行われる鑚火殿(さんかでん)。この鑚火殿は大正時代に造られ、熊野大社公式HPによれば「現在の物は平成3年に奉新建されたものです」とあります。しかし最近修繕されたか、あるいは造替されたものと思われます。2008年(平成20年)に撮った写真と比べても違いは歴然ですし。。2008年(平成20)の鑚火殿「鑚火祭」については熊野大社公式サイトをご参照ください。。舞 殿。神楽や舞が奉納される舞殿。元々は拝殿として利用されていたものを昭和53年に舞殿として移築したものだそうです。さて毎度のことながら、今回の参拝も「宿題」が残りました。「上の宮(かみのみや)」跡を訪れていないからです。白状しますと、上の宮跡について書かれた案内板を読んだのはこの記事を書く準備をしているときでした。「御由緒」とか「案内板」は、現地では読まずに、スマホなどで写真を撮ります。で、帰ってから読む(読まないこともありますが)のです。15年以上も神社参拝記録のブログをやっていて、この適当さ。反省しております。【参照】龍水御朱印帳・裏ばなし 「意宇六社」。
2022.08.07
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