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10月10日(土)駒田善治朗歌集「天遊」(87)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店 静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。(浜松市在住)平成二十三年~二十五年(8)初夏(2)青桐の葉陰ゆたけき風流る緑のゴーギャンタヒチへの道麦の穂のさやげる風のあな涼し黒き穂を抜き麦笛吹かむ竹林に人あるごとく気は流れ竹の子はやも皮脱ぎはじむ祈るなきわが身怖るる夕まぐれ雉鳩つがひ粛粛と鳴く (つづく)
2026.10.10
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谷川俊太郎詩集「シャガールと木の葉」(2)二〇〇五年年五月『株』集英社発行飛ぶあのひとが空を飛んだとうとうほんとに飛んでしまったほんとに飛べるなんて思ってなかった夢見てるだけだと思っていたあのひとは野原をゆっくりと走りだし綿埃みたいにふわりと浮き上がりやがて高く高く青空に溶けこんでいった地上に残した私のことはけろりと忘れていつあなたは捨てたの何十年もためこんでいたあなたの人生をあの哀しみ あの歓び あの途方もない重みを?私は今日も空を見上げる花のように私は咲くはだしの足をやさしい春の大地に埋めて私のおすすめの本谷川俊太郎 SONG BOOK谷川俊太郎【送料無料】みんなの谷川俊太郎詩集価格:714円(税込、送料別)
2011.03.21
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茨木のり子(25)花神社発行:「自分の感受性くらい」より「鍵」一つの鍵が 手に入るとたちまち扉はひらかれる固く閉ざされた内部の隅々まで明暗くっきりと見渡せて人の性格も謎めいた行動も物と物との関係も複雑にからまりあった事件もなぜ なにゆえ かく在ったかどうなろうとしていたかどうなろうとしているかあっけないほど すとん と胸に落ちるちっぽけだがそれなくしてはひらかない黄金の鍵人がそれを見つけ出しきれいに解明してみせてくれたときああ と呻く私も行ったのだその鍵のありかの近くまでもっと落ちついて ゆっくり佇んでいたら探し出せたにちがいない鍵にすれば出会いを求めて身をよじっていたのかも知れないのに木の枝に無造作にぶらさがり土の奥深く燐光を発し虫くいの文献 聞きながした語尾に内包され海の底で腐蝕せず渡り鳥の指標になってきらめき束になって空中を ちゃりりんと飛んでいたり生きいそぎ 死にいそぐひとびとの群れ見る人が見たらこの世はまだあまたの鍵のひびきあいふかぶかとした息づきで燦然と輝いてみえるだろう「自分の感受性くらい」 完結【予約】 茨木のり子集 言の葉2(全3巻)価格:861円(税込、送料別)
2010.08.23
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10月10日(土) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(236) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日) 四月三日(1)箴言第16章三十三節「怒りを遅くする人は勇士ににまさります。自分の心を治める治める人は城を攻め取る者にまさります。」わたしたちは、単純に自分の感情や気分のままに従ってはなりません。感情や気分は、わたしたちが別の手をかさなくても、自然と存在しわたしたちの生活全体に影響を及ぼします。しかし、それはちょうど天候と同じようです。これを変えることはできなくても、抵抗することは出来るでしょう。そうして、性格はしだいに堅固さをまします。ついに感情はただ副次的なものとなります。それは、生活の単調さを破る変化として役立つのみのものとなります。例えば季節や天候の変化のように、または昼と夜の交替と同じようになります。(よりつづく)四月三日(2) とくに子供は、幼い時から感情に負けないで、むしろそれを支配するように、厳しくしつけられなければならないでしょう。子供の気分にわずかでも譲ってはならないでしょう。それを重大にとってもならないでしょう。そうでないと、今日やたらに見受けられますように、役に立たない、不幸な人間ができあがるのです。(つづく)
2026.10.10
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短歌鑑賞(栗木京子の一首)あづさゆみ春の市場に朝掘りのたけのこ並ぶ土の香もちて 「万葉の月」 栗木京子「張る」と同音の「春」に「あづさゆみ」の枕詞を用いています。枕詞が素朴な感じを与え、撓う竹に及びたけのこにも及んでいるように思いました。田舎の朝市の鄙びた風景が浮かびます。掘りたての、まだ土がついているようなタケノコが並んでいます。「あづさゆみ」 「春」 「朝」 「たけのこ」 、「香」の「あ」音に、作者の驚きや感動が込められているように感じました。作者の求める世界感を垣間見た感じを持ったのでした。
2022.12.24
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10月10日(土) 昭和萬葉集(巻十四)(516)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅵ(79) くさぐさの歌(79)わが思い(2) 三国玲子 ボーボワールの声鋭けれわれは生きてつひに日本をいづる日なけむ村上一郎しらじらと風立ち秋に入る日なり前衛といふをわれは信ぜず組織みな消えゆけ額ぬかにきらめきてひとつ真近に立てる虹の根 (つづく)
2026.10.10
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谷川俊太郎詩集「シャガールと木の葉」(10)二〇〇五年年五月『株』集英社発行脳と心この卵型の骨の器(うつわ)にしまってあるものは何?傷つきやすく狂いやすいひとつの機械?私たちはおそるおそる分解する私たちは不器用に修理するどこにも保証書はないその美しいほほえみの奥にあるものは何?見えるものと見えないものが絡み合う魂の迷路?私たちはおずおずと踏みこむ私たちは新しい道標を立てようとする誰も地図はもっていないしかもなお私たちが冒険をやめないのは何故?際限のない自問自答に我を忘れるのは?謎をかけるのは私たち自身の脳謎に答えようとするのも私たち自身の脳どこまでも問いつづけ……いつまでも答えはない谷川俊太郎 SONG BOOK谷川俊太郎【送料無料】みんなの谷川俊太郎詩集価格:714円(税込、送料別)私のおすすめの本
2011.04.06
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10月10日(土)鷲巣錦司歌集「綿の城」(25)発行所:柊書房著書:鷲巣錦司発行:平成十九年八月十五日初めて静岡県歌人協会の総会に出席しました。大広間で昼食をたべていました。そのとき、微笑みながら隣に座り、「どちらからいらっしゃったのですか」と聞かれました。「下田です。」と答えると、「伊豆ですか、昔熱川中学校で教えたことがあります。」と言われ急に話が弾みました。なつかしい思い出です。(静岡市在住)Ⅰ職退く(25)街路樹(1)昨夜よべ酔ひてサラリーマンがもたれゐし青桐の樹に朝の日当たるプラタナスに降る春の雨光りつつ瘤をつたひて瘤にしたたる昼休みケヤキ若葉の下をゆくオフィスの乙女鮎のごとしも空襲の暗き記憶を持つならむ庁舎の前の大き欅木 (つづく)
2026.10.10
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現代の詩人9 谷川俊太郎(81)中央公論社 昭和58年3月10日発行ことばあそびうたことばあそびうた また(4)あますまのあまあたまそのままいまはつまかまでままたくそまのつましまのあまへまでわがままきままあまままよてまくらはまはひまいのちいちのいのちはちりまするにいのいのちはにげまするさんのいのちはさんざんでよんのいのちはよっぱらいごうのいのちはごうよくでろくのいのちはろくでなししちのいのちはしちにいれはちのいのちははったりさくうのいのちはくうのくうとうのいのちはとうにしにじゅういちいのちのいちがたつ谷川俊太郎谷川俊太郎詩集価格:714円(税込、送料別)
2010.08.10
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川崎洋著「すてきな詩をどうぞ」筑摩書房発行:著者川崎洋 「すてきな詩をどうぞ」より詩のたのしみ「子供時代」 茨木のり子どんなふうに泣いたろうどんなふうに奇声を発しどんなふうにしんねりむっつりしていたかその人の子供時代に思いを馳せるのはすでに好意をもったしるし目ばかりでかい子だったろうなさぞやポヤンでありましたろうがさごそ ごきぶり おじゃま虫かほほえみながらもっといっぱい聴きたくなるのは好意以上のものの兆しはじめた証(あかし)あの時もそうだった鬚づらのむこうにわたしは視ていた子供時代の蚊とんぼの顔をかのときもそうだった朦朧の媼のとりとめなさにわたしは聴いていた女童(めわらんべ)時代の甲高いお国なまりを昭和二十八年に、わたしは茨木のり子さんと、「櫂」という詩の同人雑誌を始めました。いわば同志ですが、また茨木さんご夫婦はわたしら夫婦のお仲人でもあるわけで、お付き合いが長く、従ってわたしは茨木さんの詩を理解するというか、味わうことにかけては人に負けないとうぬぼれています。どんなふうに泣いたろうどんなふうに奇声を発しどんなふうにしんねりむっつりしていたかその人の子供時代に思いを馳せるのはすでに好意をもったしるしわたしは当然茨木のり子さんにずっと以前から好意をもっていましたから、さて茨木さん自身子供時代はどんなだったろうなと思いを馳せます。 すると、それに答えるような詩を、実は茨木さんは書いてらっしゃる。(つづく)川崎洋すてきな詩をどうぞ価格:1,325円(税込、送料別)
2010.09.08
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短歌鑑賞 斎藤茂吉のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり中学の教科書にも載っています、あまりにも有名な歌で解説する必要もないような歌です。以下はわたしの自由な解釈です、ご参考までに…。(われと同じように)悲しみでのどを赤くしているのかつばめたちよ、(いつもは飛び回っているのに、)二羽そろって(喪服のような羽をしていましずかに)梁にとまっている。そうだ、(東京のお母さまでなく、)私を乳から育ててくれた「おっかさま」がいま「死になさるんだ」…。(「おっかさーん」…。)「玄」は黒の意味があります。「足乳(たらちね)」は、母にかかる枕詞ですが、文字通り乳でもって育ててくれたという感じがします。「母は」の「は」に強いひびきをわたしは感じます。茂吉は養子に行きましたので東京の斉藤家にも義理の母がおります。その義理の母ではなくて、「足乳(たらちねの)母は」の「は」だと思うのです。鳥の数え方は「一羽二羽」ですが、「ひとつふたつ」は幼い感じ、幼児に返った感じもあったのでしょうか。この場合、「二羽」より「ふたつ」の一音多いほうがつばめの存在感が強まる効果はあると思います。実家に帰った茂吉は、幼い頃の記憶が蘇ったのではないでしょうか。純粋な心になって死に近い母を詠んだ感動的な一首です。のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり参考:斎藤茂吉 歌集「赤光」
2010.02.03
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10月10日(土)「矢内原忠雄(内村鑑三の弟子)の今日の言葉」(89)参考:矢内原忠雄氏元東大総長黙示録第20章12節死んでいた人が、子供から大人まで神の前に立っているのを見ました。種々の書物が開かれ、さらに生命の書が開かれました。死人はその行いによって、これらの書物に従って審かれました。第二の復活 世界には主の名を知らず、キリストの名を知らずにこの世を終わった人々が 非常に多くいます。彼らがそのような時代、あるいはそのような国に生まれて死んだのは、彼ら自身の責任ではもちろんなく、神の経綸(けいりん)によったのです。しかも彼らの中には、良心の律法に従って真実を愛した人が少なくありません。 ・・・ そうして有徳の異邦人、心に偽りのない人、又はもし生前キリストの教えに接したならばこれを信じたであろうごとき人は、たとえ異教徒として世を去ったとしても、神の恩恵によって子羊の生命の書にその名を記されているでしょう。神は行為と生命と両方の書を参照して、彼らが都の真珠の門を通り、都の光の中を歩み、各自の栄光をたずさえ来て、神を礼拝することを許されるでしょう。その際、彼らが生前キリストを知らなかったというキズは、都に生える生命の木の葉によって容易に医やされるのでしょう(黙示録第22章2節)。 こうして私たちは、ホーマーもプラトンもブッダも孔子(こうし)も、法然(ほうねん)も日蓮も、すべて生命の木の葉によって医やされた清き姿を、神の都の純金の大路の上に見い出す望みがあり、・・・ 見出す喜びをもつでしょう。
2026.10.10
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短歌鑑賞(石川啄木) 歌集「悲しき玩具」(百二十四)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 子を叱る、あはれ、この心よ。 熱高き日の癖とのみ 妻よ、思ふな。 一行目「子を叱る、あはれ、この心よ。」、子供を叱った後の反省でしょうか。冷静になってみたら、自分の心の狭さとか何ともやりきれない気持ちになったのでしょう。子供を叱った自分の心持ちを哀れんでいます。今啄木は病床に臥せっているようです。それも高熱を発しているようです。二行目の「熱高き日」というのそれでしょう。子供を叱ったのは熱が高くイライラしている日の、いつもの癖がまたでたと思うかもしれないが、それだけではないのだ。三行目、「妻よ、思ふな。」高熱でイライラして今日も子供を叱っていると、それだけの理由だと、妻よ思わないでくれと哀願しているようです。 啄木自身の複雑な心の在り方を歌にしているようです。病気で体調がすぐれないだけでない心の問題、将来に対する思い、あるいは文学に対する焦りのようなものなどの気持ちをつい子供に当たってしまったのかもしれません。結句の「妻よ、思ふな。」が強く伝わりました。叱られている子供は分かってくれないだろうが、せめて「妻よ、俺の気持ちをわかってくれ」と言っているようにも感じました。
2023.09.08
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10月9日(金)第27回NHK全国俳句大会(11)(令和8年3月29日NHKホール)堀田季何選自由題一席羽抜鶏山頭火かく歩みしか 大阪 大島幸男自由題二席俊寛の声とも島の虎落笛 福岡 高橋千恵題詠:口人類は口から亡ぶジギタリス 島根 下村やす子 (つづく)
2026.10.09
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10月9日(金)駒田善治朗歌集「天遊」(86)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店 静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。(浜松市在住)平成二十三年~二十五年(7)初夏(1)せせらぎに立ちて水飲む明烏人間に似て我を見過ごすわが眼見つつ餌をこふ雉鳩は人よりやさしき佇まひ見す敵味方いづれに見ゆる我ならむ間合ひを取りて啄む雉鳩葉にふさふ白き大輪泰山木古代の聖賢忘るな大国 (つづく)
2026.10.09
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10月10日(土)第27回NHK全国俳句大会(12)(令和8年3月29日NHKホール)和田華凛選自由題一席万緑の中に緑の勢力図 東京 宮 尚自由題二席理由なく檸檬買ふ日のありにけり 北海道 北山てるみ題詠:口小春日や親子口開け離乳食 群馬 田村フミ江 (つづく)
2026.10.10
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7月28日(日) 短歌用語辞典飯塚書店発行:(1993年)ま(50)まぶしむ眩しむ(他動詞四段活用)まぶしく思う。気恥ずかしく感じる。まばゆいほど美しいと思う。妻病めば日のあるうちに帰りくる明るき街をまぶしみながら 田井安曇咲き盛る桜花(はな)の下ゆく苑のみちわれはひそかに老を眩しむ 岡山たづ子凍りたる雪濯(あら)ひつつゆく水のひそけきいのちまぶしむ吾は 生方たつゑその枝に花あふれ咲く雪柳日々来るわれは花をまぶしむ 佐藤佐太郎(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2013.07.27
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10月9日(金) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(235) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日) 四月二日(2)しかし、それと同時に、すでに健やかな回帰がはじまります。あらゆる善に対するこのような不敵な挑戦に一時は茫然自失した一般大衆も、結局はそのような企図を欲しなくなります。こうなると、悪の方でも、しばらくは仮面を再びかぶるわけにはいきません。そこで仮面は一時はげ落ちて、人びとは悪のありのままの醜悪さをすっかり目の前に見ることができます。わたしたちは今そのような時代に生きているのです。なにかの哲学や倫理でキリスト教の代用をさせようとするすべての試みがしょせん失敗だとわかったら、そののちにキリスト教はふたたび本当の覚醒に向って進むことになるでしょう。(よりつづく)四月三日(1)箴言第16章三十三節「怒りを遅くする人は勇士ににまさります。自分の心を治める治める人は城を攻め取る者にまさります。」わたしたちは、単純に自分の感情や気分のままに従ってはなりません。感情や気分は、わたしたちが別の手をかさなくても、自然と存在しわたしたちの生活全体に影響を及ぼします。しかし、それはちょうど天候と同じようです。これを変えることはできなくても、抵抗することは出来るでしょう。そうして、性格はしだいに堅固さをまします。ついに感情はただ副次的なものとなります。それは、生活の単調さを破る変化として役立つのみのものとなります。例えば季節や天候の変化のように、または昼と夜の交替と同じようになります。(つづく)
2026.10.09
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10月22日(月)短歌用語辞典(飯塚書店発行)は(68)はも(連語)…よ。…よまあ。文末に用いて詠嘆を示す。文中に用いて上の語を強調する。夕立の疾風(はやち)の中に吹きしなふ夾竹桃の花の紅(あけ)はも 松村英一欅の木と語るをやめぬをさなごを折檻したる若き父はも 伊藤一彦橋にわれ動悸してをりとぶ如く人はも駈くる筏の上を 田谷 鋭絵馬堂の絵馬はも遥か神たりしわが民族の<馬>こそはみよ 下村光男(つづく)私のおすすめの本短歌用語辞典
2012.10.21
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斎藤茂吉歌集(19)(岩波文庫)『赤光』(19)大正二年(5)死にたまふ母(2)いのちある人あつまりて我が母のいのち死(し)ゆくを見たり死ゆくをひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり楢(なら)若葉てりひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青く生(あ)れぬ山蚕は日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蚕は未(いま)だ小さかりけり葬(はふ)り道すかんぽの華ほほけつつ葬り道べに散りにけらずやおきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我ら行きつもわが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけりはふり火を守りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天のいつくしきかも灰のなかに母をひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母をひろへり蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れしまひけりうらうらと天に雲雀(ひばり)は啼きのぼり雪斑(はだ)らなる山に雲ゐずどくだみも薊(あざみ)の花も焼けゐたり人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)明けぬればかぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゅんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ(五月作)日本の詩歌(3)斉藤茂吉 ■ 石橋蓮司(朗読)筑摩書房・斎藤茂吉現代日本文學大系38 斎藤茂吉集 初版赤光/あらた他【中古】afb価格:1,000円(税込、送料別)私のおすすめの本
2011.02.19
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茨木のり子(11)茨木のり子詩集「自分の感受性くらい」より「存在の哀れ」男には 男の女には 女の存在の 哀れ一瞬に薫り たちまちに消え好きではなかったひとのかずかずの無礼をゆるし不意に受け入れてしまったりするのもそんなときそんなときは限りなくあったのにそれが何であったのか一つ一つはもう辿ることができない誰かがかき鳴らした即興のハープのひとふしのようにくだまく呂律 くしけずる手後姿だったかしら 嘘泣きだったかしらひらと動いた視線 言の葉さやさやそれとも煎餅かじる音だったか茨木のり子【予約】 茨木のり子集 言の葉(1)価格:861円(税込、送料別)
2010.08.09
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5月3日(月) 折口信夫全集廿六巻歌論歌話篇 一九七六年六月十日 中公文庫 (注)解説は、口語化しています。 誌上歌評(8) こまごまと繭擇るかひな疲れけり。人みな ものを言はずなり居り この歌の中心は、言うまでもなく、繭を擇(え)る動作にあるのです。ですから「人みなものを言はずなり居り」の描写も、実は「こまごまと繭擇る」という言葉との関連で、生命を生じています。しかも最初の二句のなかの、ことに力点が置かれているのは、「こまごま」という写生的な言葉です。この歌の価値は、まったくこの言葉にかかっているといっても良いでしょう。韻文においては、言葉にいかに微細な感触がふくまれているかを考えてほしいのです。ただ、この歌は、「かひな疲れけり」に「こまごまと」がかかるようにも感じられる点、作者はもっと用心しなければいけないでしょう。 (つづく)
2021.05.03
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7月30日(日)正岡子規歌集(38)中公文庫:日本の詩歌3より昭和五十年九月十日初版竹の里歌(38)明治三十四年(4) しひて筆を取りて佐保さほ神がみの別れかなしも来こん春にふたゝび逢はんわれならなくにいちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす病むわれをなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも世の中は常なきものと我わが愛めづる山吹の花散りにけるかも別れゆく春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも (つづく)
2023.07.30
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9月21日(日)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(712)ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)しわれらは何をなすべきか(5) (前日)(4)しかし、決して実行に移ることのない単なる信仰は、しばしば註解されている使徒ヤコブの言葉をかりると、死んだものであることは疑いありません。そして、ルターが、このヤコブの手紙を、彼の時代の要求にぴったり適合しないからというので、「藁(わら)の書簡」と呼んだことにたいして、わたしは同意しかねます。ヤコブの手紙はパウロの手紙に劣らず良いものです。ルターが(パウロではありません)ローマ人への手紙三の二八に挿入した「のみ」は、今日のすべての聖書では、本来括弧に入れられるべきものでしょう。(注)ルター訳聖書:ローマ人への手紙三の二八「人の義とされるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰のみによる」(よりつづく) 人生には、まさに信仰と行為との二つがともになくてはなりません。しかし行為には、使命の言いつけが必要です。ごくこまかな点にまでおよぶ絶えまない指図が必要です。 そのために、山上の垂訓で、キリストの弟子としてふさわしい心構えが説かれたすぐあとに、マタイによる福音書第十章では、その同じ心構えにもとづいて実践的生活をいとなむための一種の一般的訓令が示されますが、それは、たしかに軍隊の一般的訓令とまったく同じ特質のものです。(つづく)
2025.09.21
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10月6日(火)第27回NHK全国俳句大会(8)(令和8年3月29日NHKホール)夏井いつき選自由題一席水掛けて裸祭を蒸しあげる 奈良 竹繩誠之自由題二席馬を喰ひ鮫を喰ふなり稲つるび 宮城 末永真唯題詠:口仮の名を山口さんと月の下 埼玉 吉野利美子(つづく)
2026.10.06
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10月9日(金)「矢内原忠雄(内村鑑三の弟子)の今日の言葉」(88)参考:矢内原忠雄氏元東大総長マタイ伝第9章35節~37節イエスは多くの町や村を巡り、その会堂で教え、福音を伝え、人々のあらゆる病い、あらゆる苦しみを医しました。しかし群衆が飼う人のいないヒツジのように迷い出て、弱り果てているのを見て、深いあわれみを感じ、弟子たちに言いました。「見なさい、収穫は多いのに、働き人が少ないのです。収穫の主に願って働き人を使わしてもらいなさい」。 ふん起の秋 見なさい、田は色づき、収穫を待っています。収穫物は多く、働き人は少ないです。救いを望む人々の心はかわき、福音の語られることを待っているのです。今やキリスト者は自分の殻(から)を出て、世に使わされた福音の使徒としてふん起すべき秋です。 聞きなさい、群衆はざわめき、指導者を待っています。唯物論者は情熱に燃えて町々に叫びますが、彼らは真理を知らないのです。この時に当たってキリスト者は自分の救いの満足にとどまって世の成り行きをただながめるのでなく、起きて世にむかい、確信の声を揚げるべきです。自己満足は罪です。傍観もまた罪です。善きサマリア人のたとえ話を知る人は、社会の混乱によって良民の苦しめられる事を見過ごすことは出来ません。今や世に使わされた真理の戦士として、キリスト者のふん起すべき秋は来ているのです。
2026.10.09
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