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あきらかに被害があるにもかかわらず、 見えないがために放置され、 直ちには影響がないが、何年か後に 様々な症状で苦しむことになる。 … こう書けば、きっとそれは 放射能被害のことでしょう⁉︎ そう思う人がほとんどかもしれません。 でも違う、 私は、原発事故が起こるずっと前から まったく同じような反応で、 危険性を言葉にしたとたん 耳を塞がれ、バカにされ、 どうしたらわかってもらえるか、 悩み続けてきました。 その問題に気づく人はほとんどおらず、 大変な孤独と無力感を感じていた。 それは、子どもに対するあらゆる 暴力…。 【送料無料】 魂の殺人 親は子どもに何をしたか / アリス・ミラー 【単行本】 あなたは、見えていますか?
2014.05.03
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「殴ること、いじめること、傷つけることそして辱める事は、今もなお子供のためを思っての教育であると考えられています。 したがって、この種の行為はほとんどの場合隠されることなく、堂々と行なわれています。」「禁じられた知」アリス・ミラー アリス・ミラーさんの本を 何度となく、繰り返し読むうちに、 見えなかったもの、 感じることができなかった感覚が 蘇ります。 先日、お花見に持って行こうと、 お店にお弁当を買いに行ったときです。 お弁当が出来上がるのを待っていると、 親子4人が後からお弁当を買いにきました。 若いお父さんとお母さんと、 小学校1年生くらいの女の子2人が 可愛くはしゃいでいました。 女の子2人は双子のように見え、 可愛らしい服を着せてもらい、 おしゃれなアクセサリーをつけて、 とても可愛がられているように見えました。 元気にはしゃぐ女の子2人をほほえましく見ていると、歩道を走る自転車とぶつかりそうになりました。 幸いぶつかることなく良かったなと思って見ていると突然、 母親がその女の子の背中を平手で思いっきりぶちました。 「何ぼやっとしているんや!」 女の子は凍りつき、声もなくただ呆然と母親を見つめていました。 私は抗議の意味も込めて母親をじっと見据えていました。 母親の表情は、怒りと憎しみに溢れていました。 父親も当然のことのように、 何も感じていない様子でした。 その後、母親は叩いた女の子の腕を引っ張り歩道脇の階段に倒しました。 あまりの乱暴さに私は驚き、女の子の様子をじっとうかがっていました。 これはとてもひどい暴力だと、私が驚いて心配していることを 女の子に気づいてもらおうと、心に念じました。 女の子は声もなく抗議の声も上げず、泣きもせず、お菓子の袋を噛み締めていました。 母親は「気持ち悪いそんなことしんとき!」 と、女の子を罵倒しました。 女の子の表情からは何も読み取れず、 ただ、いつものことのように思われました。 このような光景はほとんど毎日のように見られます。 父親母親はただ当然のように 平然と乱暴と暴言を行い、 それに対して、何の感情もしめしません。 しかし、 このようなことがもし 大人同士で行われたら? もしこのようなことが ペットに行われたらとしたら? そして、もしこのようなことが 父親から母親に向かってされたとしたら? そしてもしこのようなことが 上司から部下に向かって行われたら? そしてもしこのようなことが 教師から生徒に行われたとしたら? なぜ、想像出来なくなっているのかが、 アリス・ミラーさんの本を読んで 初めてその謎が解けました。 私はここで見た、親を責めることはできません。 私自身が、何も感じていなかった過去について、今は理解出来るようになったからです。 「禁じられた知」は 知ることが出来なくなる原因を その仕組みを解読し、 その鍵のありかを教えてくれます。 ただ、幸せや平和のためにも、 暴力の起源を広く多くの人に知ってほしいと 心から願っています。 「禁じられた知」は今廃盤になっているのでしょうか? もう少し内容を書き記します。 「文明国と言われるほどの国では何千年も昔から、子供を折檻するのはやむをえないと認められています。その子が成長の後立派な、思いやりと責任感のある人間になるために必要だと言うわけです。 ユダヤ-キリスト教文化圏では、その説明にソロモン王の箴言を持ちだしてきます。三千年も前に書かれたそのことばは「息子を打たぬものはその子を愛していない」というのです。 これまで、このような考え方とやり方に疑問を呈した人はごくわずかしかいませんでした。けれども今世紀に入って、科学的研究の成果が上がるにつれ、このやり方は誤っており、かつ人類の将来に悪影響を及ぼす危険があることが明らかになってきたのです。… もし赤ん坊の時愛を体験していれば、その子は愛することのできる人間になり、たしなめられなくても寛大であるでしょう。けれども赤ん坊が虐待され、しかも守り、かかえてくれる人間もいなかったとすると、その子は成長の後繰り返し、自分の受けた虐待をやってみせることになります。」 「禁じられた知」アリス・ミラー
2014.04.09
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今日も寒い朝… 無理をすると、 すぐ拷問のような頭痛が! みなさま、季節の変わり目 体調にお気をつけてくださいね。 ただいま アジアンコードのアクセサリーを 企画中 春らしい、素敵なビーズとか、 トンボ玉とか… 無理せず、 がんばります。
2014.04.08
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メタルパーツ チャーム 亀 カメ かめ パーツ ゴールド 金 メタル アクセサリー ペンダントトップ ペンダント ネックレス トップ 金色 小さい 薄い 軽い 金属製 金属 【 メール便無料 】 ポーチ付 18金メッキ gold 手作り 材料 手芸 真鍮 brass metal parts 縁起 縁起物 長寿 春の嵐は通り過ぎたようですが、 皆様、お元気ですか? まだまだ、こちら京都の市外では寒い春です。 顔を出すようになった、 我が家のペット、かめちゃんも まだ食欲がないようです。 明日、京都は府知事選挙が行われます。 京都のお友達はぜひ投票に行きましょうね! どんどん悪くなる社会環境を 良くするための大切な選挙かもしれません。 かめちゃんのように、 粘り強く、私も頑張ってます! 英国製 マグネットのピンクッション 《かめ》【05P28Mar14】【HLS_DU】 ビリーの手作りドールハウスキット ミニミニアニマルキット 「 カメ 」 【組み立て工作模型 ミニチュア 手芸 亀 かめ】 【RCP】 No.58 かめ(ローズクォーツ)ミユキ 天然石で作る縁起物キット
2014.04.05
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「原発のウソ」 小出裕章さん著を読みました。また、yuotubeなどで話されているのを拝見し、そこで原子力の専門家である小出さんがこのように話されていたのが印象的でした。「私は1970年に原子力はダメだと思ってなんとか止めさせようと思った人間です。すでに、40年経ちました。いつかこんな事故が起きると私は警告してきたわけですが、とうとう起きてしまった・・・なんとか起きないように、事故が起きる前に原発を止めたいと、願い続けてきたわけですけれども、私の願いは届かなかった。で、こんなことになってしまって・・・なんとも私には言葉がない・・・私は今言葉がありません。ただ、こういう事故が現在進行中であるにもかかわらず、日本でまだ原子力発電所が実際に動いている。なぜ動いているかというと、夏になって停電したらいやだからだと・・・、電気は絶対必要だと・・・言う人がどうも日本人には多い・・・と言うことらしいんですね。そのことに関しては私はデーターを付けてすでに発言をしていますが、今現在、即刻原子力発電所を全部止めたとしても日本の電力供給に何の支障もありません。ですから、止めるのがいいと私は思いますが、でも、私はそのことも実はどうでもいいんです。電気が足りようが、足りなかろうが、原子力なんてものはやってはいけないというふうに私は思っているんです。そういうふうに日本の人たちが思えないと言うことに私は今かなりの絶望感をもって現実に向き合っている・・・というそう言う状態です。」そう苦しそうに話されているのを聞きました。「原発のウソ」では、原発は「差別の象徴」であり、原子力のメリットはたかが「電気」でしかない。40年前には無関心だった多くの人たちが子供たちのために「危険な原発はいらない」と意思表示してくれると願っていると書いておられた。なんで原発なんか作ったんだろう。太陽光発電はもっともっと普及するはずだと思っていたのに。ずっといやな違和感と、もどかしい憤りを感じていた。きっと、太陽の光、自然のエネルギーではお金を取ることが出来ないんだろうなと思っていた。日本は原爆を2個も落とされて、核のの恐ろしさを大人たちは知っていたはずだったろうに、平和利用なんてそんな都合のいい理論で騙す人がいて、多くの人がまたもや簡単に騙されてしまうんだ。マイケル・ジャクソンが「ヒール・ザ・ワールド」や「アースソング」を歌っていた頃、多くのファンではない人達が無関心というより、鼻で笑うような馬鹿にした態度をとっていたのが悔しくてならなかった・・・あの感覚を思い出す。チェルノブイリやスリーマイル島の取り返しのつかない事故がニュースになっても危険な原発を即刻止めなければならないとまでは思わなかった。資源がなくなるから、仕方ない選択だったんだと・・・誰かが、考えてくれているだろうと・・・むしろ安全が強化されているんじゃなかろうかと・・・そう私も信じていたのだと思うと悔しくてならない。今回、世界の原発、核を止めるために、日本がこのように犠牲にならなければならなかったとしたら、日本でこのような事故が起こらなければ世界が破滅に突き進んで行く道を辿っていて、日本人なら、きっと原発を止められるはずだと信じ、神様が期待し警告したのだとしたら?そう思いたい。ただ、こんな取り返しのつかない事故になる前に、なんとかならなかったのかと悔しくて仕方がない。小出裕章さんは、40年前はキチガイ扱いされていたそうだ。原発を止められなかったことを謝っておられた。それを見て、私は苦しくなってしまった。今、本「原発のウソ」がたくさん売れ、講演会にはたくさんの人が集まっているようですが、うれしくないそうです。こんな事故が起こってしまったから・・・戦争を反対する、弱いものを応援する、原発を反対する、そんな、私にはどこからみても正しいと思える人たちが、おかしな人怖い人と言われ、応援しているというだけで、非難され、白い目で見られるという現実。大企業の搾取するばかりのお金持ちや、そこから広告費をもらっているメディア、自分の保身ばかりを考え、弱い立場の人たちを騙しながら罪の意識をもたない社会的に立派と思われている人たち。私には、そんな人たちの方がよっぽど怖いと思うのに・・・地球のために、人々の安全のために真実を訴えても、善意からした行動でも、必ずそこに反対し、批判し、真実を捻じ曲げてしまう人が存在する。マイケルのことでも、捻じ曲げられたひどい報道のウソを嫌というほど目の当たりにした。こんなに、メディアはウソを平気で流すものなのだと驚いた。そして、なによりもそれをそのまま信じてしまう多くの人に大きなショックを受けた。私たちは知らない間に、いとも簡単にマインドコントロールされてしまっているのだと思った。もし、マイケルのこんなひどいデマが流される事実がなかったら、ひょっとしたら、私は今でもメディアの流す都合のいいことだけを信じ、怖い真実には目を背けていたかもしれない。どうにもならないなら、考えないようにしたほうがいいと・・・でもこれが、国家的なイジメだとしたら、無関心や何もしないことはイジメに加担していると同じ事だと思う。マイケルはThis Is Itの映画で、4年以内に何とかしないと、地球が取り返しのつかないことになってしまうと言っていた。みんなに気づいてもらえるようにと・・・あと2年・・・これはSFじゃない。地球の生命が滅亡に向ってしまうまで。あと2年・・・
2011.09.02
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昨年、アリス・ミラーさん(心理学者)がお亡くなりになったのを、ネットで知りました。私の知る限り、何のニュースにもならなかったような気がします。87歳になっておられたので、しかたのないことだとは思いましたが、どうしてお亡くなりになったのか、最後はどのようだったのか?なにか、大きくニュースに取り上げてほしかった・・・。虐待という誰もが見えなくしてしまっている、心のフィルターを文章で、1枚1枚剥がす様にまた、心の厚い壁を時にはハンマーで打ち砕くような強さで迫り、また、心の裏側を背中をさするように感情を呼び覚ましてくれたアリス・ミラーさんの言葉。彼女の言葉が社会一般に受け入れられるようにならなければ、子供への虐待はなくならないのだと思ってしまいました。でも、心の問題とは・・・なんと複雑で難しいのでしょうか! 子どもを虐待する私を誰か止めて! (光文社知恵の森文庫) (文庫) / 長谷川博一/著長谷川博一さんは、「私は、もうこの社会はだめかもしれないと諦めかけていました。」と本文中に書かれています。この本を読んで、無意識の力は、理性や知性ではどうすることも出来ない時がある事をそのことすら、見ようとしなければ見えないのだと・・・改めて思い知らされました。【送料無料】ファミリー・シークレット私は柳美里さんの本を読んだことがありませんでした。ー『石に泳ぐ魚』で、実在の顔に腫瘍を持つ韓国人女性をモデルにしたことで、モデルとされている本人によりプライバシーを侵害されたとして訴訟問題に発展し、2002年に最高裁で出版差し止め判決が出された。ーという新聞の記事を読み、あまり印象が良くなかったからです。今回長谷川博一さんとのカウンセリングを書かれた本ということで、初めて読みました。心の中で革命を起こすことが、どんなに大変か・・・圧力が強ければ強いほど、苦しい戦いになる。色々な戦い方と、強い味方を探ることが重要なんだろうなとこの本を読んで思いました。虐待の連鎖を断つ方法とは?まず、鎖が見えるようにならなければどうしようもないことなんだろうし、その前に、虐待とはどういうことかを知らなければ、虐待さえ見えてこないのでしょうね。とても心が重くなったこの2つの本を読んで、戦わない人がいてもいい、戦った結果負けてしまう人がいてもいい、なにも見えない人がいたっていい、心の中で、すべての人のしあわせを祈りたい気持ちでいっぱいになっています。
2011.02.20
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今年もよろしくお願いいたします。 昨日は京都は朝から雪が積もっていて、今は主人の実家の兵庫県に来ているのですが、どうも京都の方が雪が多いようでした。 今日はいいお天気です! 今年もたくさんの本を読んで、勉強したいと思います。
2011.01.01
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【送料無料】殺人者はいかに誕生したか価格:1,680円(税込、送料別)人間、それが真実であろうと、知りたくもないことをわざわざ好んで知ろうとする人はいないんではないでしょうか?その真実が、恐ろしいものであればあるほど、苦しみが隠されていれば、隠されているほどに、目をそらし、見ないふりをし、ごまかし、否定してしまう。その抵抗は命がけともなる。恐怖から逃れるためになら、どんなことでもしてしまう。恐怖は怒りに変わり、恨みとなって亡霊となる。もし、真実をごまかしながら生きていくことが不幸な結果を招いてしまうのなら、誰かを、そして自分自身を不幸にしてしまうことに気づいてしまったら?真実を正しく受け入れ、正視し、亡霊に打ち勝ち、盲目の闇から抜け出すことで、まったく違った世界へ踏み出すことができるとしたら?そんな戦いに挑んでいる人が確かにいる。長谷川博一さんの勇気に大きな力をもらいます。
2010.12.12
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犬のしつけ番組をテレビで見て、私も小さい頃は、動物が大好きだったので、犬を無理を言って飼ってもらい、うまくしつけられず、事故で死なせてしまったこともあり、もう二度と犬を飼うまいと心に誓ったことを思い出しました。こんな私が、子供をうまくしつけられるんだろうかと、子供ができたときにずいぶん不安になったこともありました。そんなこともあり、子育てに関する本をずいぶん読むようになったのかもしれません。犬を飼う前に、もっと犬のことをよく知っていたなら、かわいそうなことにもならずにすんだかもしれないと・・・ある意味犬のしつけも、子育てと通じるところがあるような気がします。ですが、こどもはもっと複雑でむずかしいし、何よりも自分の育てられた方法が、無意識に再現されてしまうことがあるということです。自分自身が幸せな子供時代を生きてきたとしたなら、子供にも自然に同じような思いで育てられるでしょう。でも、もしいつでもなぜか寂しさを感じたり、はずかしい思いをしていたり、どこからくるかわからない怒りを感じていたりしていたならば、私の親はきっとあまり子育てがうまくなかったのだろうと思います。いつの間にか自分の子供に、無意識にそんな思いをさせている自分に気づいたときには、認めたくない思い、私の子育ては間違ってなんかいない!という思いとずいぶん格闘しました。自分がちゃんと愛されて大切に育ってきたんだと思い込みたいがゆえの拒否反応なのだと思いました。しばらくは、親への怒りや恨みにとらわれ、悲しみに囚われていたと思います。逃げ出したくなる感情から、何もかも忘れてまたもとの自分にもどることも考えました。でも、二度と同じ間違いをしたくなかったら、私は自分の心と向き合うことを避けることはできませんでした。心を成長させることは本当に難しい、たくさんの心に関する本を読みました。そこには大切なことがたくさん書かれていて、私の心の栄養となり傷ついた心が癒されていきました。時には大手術のように心の深くをえぐりとるようなこともありましたが・・・時間がたち、今悩みもあるけれど、幸せそうで一生懸命に自分のやりたいことに熱中している子供たちに、過去に私がした過ちを、どうか許してほしいと思いました。たとえ無意識からしたしつけの過ちだとしても・・・子育てがうまくないというのと、愛情がなく大切に思っていないというのとは、違うものなのだと気づいたとき、私はやっと最近親のことを思いやれるようになりました。今でも、時々は毒舌で話す両親ですが、その中でも私に対する愛情を感じ取ることができるようになりました。ありがたい・・・と素直に感じることができるようになったのです。子育てには、見かけのしつけ(言動としてのしつけ)と心のしつけが大切だと思います。人間という複雑な動物をしつけるのですから、犬よりももっと人間を理解して勉強しなければ、特に心に関する知識をもって子育てをしなければ、子供を幸せにすることはできないと思いました。紛争やテロの多い地域は子供たちの虐待が多く、子供の人権が無視された状況がやがては反社会的な大人を作り出すと書いてある本がたくさんあります。家庭の中の平和から始めなくてはと思います。
2010.05.16
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子供を保育園に入れるのがなかなか大変だというテレビ番組を見ました。子供の数が減少しているというのに、たくさんの待機児童がいるのですね。私自身が保育園に入っていた経験からなのかもしれないませんが、子育てを他人任せにして働かなければならないということが、どうしても違和感のようのものを感じてしまうのです。老人ホームと保育園・・・他人に任せればそれが仕事として成り立っているというのに、家庭で子供やお年寄りの世話をすることが、あまりにも軽く見られているような気がするのです。子育てをしてはじめて知ることですが、仕事に出ているほうが何倍も楽だと断言できます。24時間労働の子育ては、大概母親一人の肩にのしかかってきます。母親にとって初めての子供は、扱い方も突然起こるアクシデントにもまったく不慣れで、緊張の連続ですし、命を一身に母親に預けている赤ちゃんは母親の不安を敏感に感じとって、余計に泣き叫びます。子供の泣く声に母親もまた不安を募らせていくのです。精神的な支えがなければ、母親にとって子育てはもっとも辛い仕事となってしまうのです。ほんとうは、楽しいはずの子供との大切な時間を楽しむことなくただ孤独と不安の中ですごすことになってしまいます。精神的な支え、それは夫であったり、両親であったり、友達であったり・・・支えになってくれればいいのですが、たいがいはプレッシャーをかけてきたり、不安を上乗せするような言動だったりで、よけいなストレスの原因になることがしばしばです。生きがいをもって働き続けたいと思っている親の気持ちは理解できます。社会で認められることが大切なんだと教わってきたのですから、女性も働くことを奨励されて当然です。しかし、現実は子育てが片手間にできる仕事ではないし、これほど大切で、楽しい仕事はないということをもっと早く気づけていたらどんなによかったかと今思うのです。社会で子供を育てるだけではなく、子育てをする親にもっと敬意をもつ世の中になればいいなと思います。子供が希望をもって夢を抱いて輝きながら成長できるように、親が敬意を持って子供を育てられる。そんな幸せな子育てをすべての人ができるように願っています。もう、子供を虐待してしまう親のニュースは見たくありません。スーパーに行くたびに、子供をヒステリックに叱りつけたり、たたいてしまう親を見てしまい、何もできずに悲しくなるのも、もういやなのです。
2010.03.18
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マイケルジャクソンのドイツでのクリスマスメッセージをニコニコ動画で見ました。マイケルファンの方たちが、マイケルのメッセージを多くの人たちに見てほしいと、ブログに和訳を載せておられるのを知って、私もマイケルのメッセージを伝えたいと思いました。読んでいただけるとうれしいです。Christmas message from Michael Jackson 2002***************************子供達のみなさん、こんばんは、そしてメリークリスマス。音楽を創るとき、僕がいつも祈っていることがあります。それは僕の音楽が沢山の人々に喜びを与えられるといいな、ということです。もしそうだったとしたら、僕はとても幸せです。誰かに喜びを与える事で、人は幸せになれるのです。でも残念なことに、世界には幸せでない子供達が大勢います。ここ、ドイツでも、他の国々でも。クリスマスは、そのような子供達にとって、特別に辛いものです。なぜなら、クリスマスこそ自分が持てないものに気づく時だからです。ある子供達にとってはささやかなプレゼントだったり、温かい食事だったり、家族だったりするでしょう。そして、またある子供達にとってはほんの少しの愛かもしれません。だからこそ、君たちの助けが必要なのです。僕らと一緒に、どうかそんな子供達を助けてほしいのです。ひとりぼっちで寂しい思いをしている子供達のもとへ行き、彼らに「君は一人じゃないよ」と言ってください今年は僕だけが、君たちドイツの子供達にお話をして、ほんの少しばかりの贈り物をしていますが、もし君たちが僕を助けてくれるなら、来年は、僕らみんなでもっと多くの国の子供達のために同じことができるようになります。僕たちは一緒に話をしたり、歌をうたったり、贈り物をしたり出来るようになります。どうかこの事を大きく考えてください。僕らと一緒に頑張れる人を、たくさん見つけよう。ここ、ヨーロッパ全域で、また世界中の全ての場所で。僕らならできる。そして大人の皆さんに言いたいことがあります。私たち大人にとっては大切なことがたくさんあって、時々、大切なのは自分たちだと考えてしまいますが、それは違います。私たちの子供よりも大事なものはありません。彼らは未来であり、世界を癒すことが出来るのは彼らなのです。子供達を支えるのは、私たち大人の責務なのです。彼らにいい助言をし、励まし、助け、そして愛してください。彼らが夢に向かって進めるように勇気付けてください。そして親として、友人として、親しいものとして、彼らが素敵な夢を持てるよう手助けをしてください。新しい年を、僕はとても楽しみにしています。君たち子供達と一緒に、他の子供達も助けられる運動ができることを。僕は君たちに約束します。君たちが一緒にここに来てくれたら、いい気持ちになって、とっても楽しい時間を過ごせることを。メリー・クリスマス、心から君たちの事を愛しています。***************************動画のほうもぜひ見てもらいたいです。ニコニコ動画ー> http://www.nicovideo.jp/watch/sm8903304
2009.12.14
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大好きなマイケル・ジャクソンの悲しいニュースを聞いたとき、自分があまりにもショックを受けたことに驚きました。最近では彼の曲を聴くこともあまりなくなっていたけれど、ゴシップニュースに心が痛み、怒りを感じながらもマイケルが大好きだったので、どんな悪質なニュースであっても少しでもテレビに出ていたらうれしく思っていました。最近の裁判では、完全無罪になったにもかかわらず、日本でもまだ疑いを持つようなコメントばかりがされてほんとうに悲しかった。それでも、ロンドンでのコンサートには行けないかもしれないけれど、映像がまた見れるかもしれないと、わくわくしていたところでした。あれから3ヶ月ほどたつのに、彼の曲や映像をみるたびに泣けてしょうがありません。私が小学生ぐらいだったでしょうか・・・ねずみのパニック映画「BEN」の最後のシーンでマイケルの歌声を聞いたとき、涙が止まらなかったのを憶えています。高校時代は流行のディスコで彼の曲で踊り、大学時代は「スリラー」に夢中でした。シャチと少年の映画「フリーウイリー」では”Will You Be There"というマイケルの曲が最後に流れ、「フリーウイリー2」では”Childhood"が途中で流れています。マイケルは早い時期に子供時代の大切さに気づき、子供の人権を守っていこうと発言していたし、活動を行っていました。子供を思った歌も数多く作っています。”Earth Song””Gone Too Soon””Heal The World””The Lost Children””We Are The World”子供は苦しむべきではないと・・・子供を救うことが平和へとつながることに確信を持っていた人でした。それは、元精神分析家のアリス・ミラーが提唱していることとまったく同じです。マイケルほど多くのファンを持ち、大きな影響力があっても、人種差別をなくすこと以上に子供の人権を大切にするという考え方が世の中に受け入れられるということは、ほんとうにむずかしいことなんだと考えさせられました。マイケルは何の見返りも求めず子供を愛し、傷つけられて育った子供がどうなってしまうのかもよくわかっていました。自分を傷つけた人をも許していこうとしていました。私は、彼の曲を聴いて何度励まされたか知れません。会ったことがなくても、遠く離れていても、言葉が通じなくても、マイケルの精神は彼の作品を通じてたくさんの人の心に届いているんだと思いました。人を愛するということ、世界の平和を願うということ、この世の中がいかにすばらしいかをマイケルは教えてくれました。そして彼自身、自分の心を見つめ、そこから変えていこうとしていたと思います。心で願うだけで思いが伝わることを、そんな魔法をマイケルは信じさせてくれます。子供の人権の大切さをこれからも考えていこうと、マイケルの曲を聴きながら思っています。
2009.10.18
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2009.05.31
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パートの労働時間を増やし、教育費を稼ぐことで精一杯の毎日をすごしてきた。長男は大学へ、次男は高校へ、やっと落ちついてきたこともあり、久しぶりにパソコンに向かっている。それぞれ希望の学校に通い、生き生きと楽しそうにしている様子。ほんとうに、よかった。私も、仕事ではいろいろありながらも、今までで一番の幸せを感じている。こんな心穏やかで充実した日々が送れるようになるなんて、以前は想像すらできなかった。家庭の中が平和であることが、どれだけ大切なことかを痛感している。それが、自分しだいであり、自分の心の平和を心がけることが大切なのだということを子育てを通して学んだのだ。でも、もしもっと早く子育てに関して学ぶ機会があれば、幸せな子育てとはどういうものかを知る機会があれば、私はもとより、子どもたちを苦しめることも無かったかもしれないと残念でならない。姪っ子が昨年出産した。かわいくてたまらない。そして、姪っ子に私のような苦しい子育てをして欲しくないと強く思った。佐々木正美さん著の「子どもへのまなざし」という本を早速プレゼントした。子どもへのまなざし ~乳幼児期は、人間の基礎をつくるもっとも重要な時期ですその後、姪っ子が「あの本のおかげで、育児放棄しそうなつらい心が救われた。」と言われて、本当に良かったと思った。本で人生が変わるとか、考え方が変わるとか、私にはそんなことは信じられないと思っていた。でも確かに私の心が変化したのは本との出会いかもしれない。いくつになっても、自分を成長させるために本をたくさん読んでいきたいと思う。もう本を読むことが楽しみでもあるのだが・・・
2009.04.25
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前の日記で主人の言動に不満をもったと書いてしまった。あれから、主人に対して自分が「箱」に入っているんだと自覚してから、以前読んだ本の通り、「箱」から出る様に、主人の事を一人の人として接する様に心の状態に気を付けて話した。驚く事に、主人の心の状態も変化した。久しぶりに二人で買い物に行き、二人で納得したエアコンを買い、とても心穏やかにいられた。いくらキツイ言葉を発する事がなくても、心の状態は驚くほど相手に伝わるんだなと言う事を思い知った。2冊目に出版されたアービンジャー・インスティチュート著の゛2日で人生が変わる「箱」の法則゛もとてもいい本だった。タイトルは怪しげで不満であるが。抑圧された心の壁を崩していくための法則が書かれている。苦しまずに、自分自身の内面を見つめ変化させる法則は素晴らしい。抑圧の心の少ない人には、この本で十分だろう。これを読んでそれでも心の信念が揺らぐ事のない人は、相当闇が深いかもしれない。心理学を通して幸せを感じるための心の状態を知る事ができてよかった。
2007.12.07
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会社でも時々クレームの電話がかかってくる事はあり、対応を間違えると、お客の怒りが爆発し、収拾がつかなくなることもある。だが、うちの旦那がクレーマーだったらほんとうに困る!まあ、私へのクレームではないのだが、せっかくエアコンを明日取り付けにきてもらえるというのに、先週取り付けの時にエアコンが不良品だったため、工事の支払いが先だったのが気に入らないようなのだ。寒くなってきたのに、私が時間をかけて選んだエアコンを勝手にキャンセルしてしまって!まったく困る!箱に入ってしまって箱入りの旦那への怒りを今鎮めています。本をまったく読まない旦那にどうやって箱から脱出してもらおう?やっぱり私が箱から出ることしかないのだろうか?問題のある人の困った問題は、問題のある本人が自分自身を問題だと思っていない事である。まったくその通りです。ここは素直にエアコンの不良の事を旦那に話した私の判断ミスだと認めよう!
2007.11.17
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古本屋で目について買ってしまった本傷つけ合う家族数々の困難を乗り越え、自分の中の怒りと立ち向かい、自分自身を取り戻し、ほんとうの幸せというものを感じて生きるようになった勇気ある女性の真実の物語です。あらゆる暴力が強者から弱者へと「人間の支配欲」のゆがんだ姿として現れる。子供への暴力は人類にとってもっとも醜い行為であり、重い犯罪であるにもかかわらず、いかに隠蔽されているか・・・(隠蔽というより誰もが気づかない、または、見て見ぬふりという社会)被害者が子供、加害者が親という犯罪ゆえに、救いようのない子供の心は切り離されて、自分自身として、あるがままの姿として生きていけなくなるという苦しさ・・・真実の物語が心を圧倒してくる。子供の心は破壊され、心は殺されている。しかし、そこに犯罪の存在を認めるものはいない。目に見えない恐怖を抱えて生きていく子供がどうやって自分自身を救い出していくのかが書き綴られている。私の尊敬するアリスミラーさんは虐待を受けて育った子が、後に犯罪者や精神病者になるかならないかは、最低1人は子供の側に立って、はっきり間違っているのが大人のほうで、子供に責任はないと気づかせてくれる証人がいるかいないかにかかっていると書いていた。この物語にも、何人か彼女に味方する証人が現れている。しかし、不幸にもそんな証人に合うことなく生きている人たちもいるのだろう。毎日の犯罪のニュースを見て悲しく思う。彼女自身が今その重要性に気づいて、子供の側に立つ証人となって活動をされているようだ。何よりも、被害者自身が声を上げ、不正に立ち向かわなければ自分自身を奪い返せないということを強く感じた。大人になっても自分さえ守れない人生に幸せはやってこない。彼女の強いメッセージと励ましに心打たれた。
2007.10.03
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またまた、久しぶりの日記です。ようやくトールペイントの資格検定に合格しました。長かったです。合格したからといって、特に変わったことはないのですが、なにか目標をもっていないと張り合いがなかったのかもしれません。仕事との両立が大変だったけど、最後まで投げ出さなかった自分に満足しています。最近では仕事の比重が大きくなってきて、絵を描く気力がなかなかわいてきません。パソコンもマッキントッシュが壊れてから、まったく家でパソコンに触らなくなってきました。それでも本を読むことはとても好きで、今日も1冊読んで一日が終わろうとしています。自分の小さな箱から脱出する方法これは、すばらしい本でした。心理学の本を何十冊も読んで、心の働き方を知っているつもりでいましたが、人にそれを説明することのむずかしさを痛感していました。自分の心の中のパンドラを開けたつもりで、いい気になっていたのです。身近な人に健康な心のあり方を示そうとしても、数々の疑問に答える明確な答えなど見つからず、人の心の防衛反応、抑圧や合理化の前にはなすすべもなく押し黙ってしまいました。そもそも、私自身が「箱」に入っていることに気づきもしなかったし、自分は「箱」から出ているものと確信していたことこそ問題だったのだと、改めて思い知らされました。「箱」から出る方法を私は知ってもいました。しかし、それはいつでも誰にでもということではなかったように思います。この感動の気づきの物語は、何度も読み返し繰り返し心の刻み付ける必要があるなと思いました。気づきの心理学書は、今まで私をとても苦しい思いにさせてきましたが、この感動の物語は男性が「箱」から脱出するというとても勇気のいる心理を見事に成功させて、大きな安心感と希望と自由な心を感じさせてくれました。「箱」についての詳しいことはぜひ本書を読んでほしいと思います。世の中がすこし違って見えてきます。この本を読むのは2回目なのですが、1回目に読んだ後、私は不思議な体験をしました。それは、なんと言うことのないできごとなのですが・・・・・買い物帰りの車の中で、夕方の空を見ていたときなのですが、きれいな夕焼けでもなく、面白い形の雲もなく、青くも灰色でもないほんとうにありふれた空だったのですが、とても暖かく身近で、やさしくおだやかにわたしの見ている世界そのものが一瞬で変わっていったのです。表現が難しいのですが・・・今までいかに私がこの世の中を敵視し、危険だと思い、遠い存在だと思い、冷たく空々しく見えていたかに気づかされたということです。正確に言えば、世界が一瞬で変わってしまったのではなく、私の心の目が変わってしまったということなのでしょう。毎日を平穏な心で過ごせる事が、私にとって、家族にとって、身近な人たちにとって、どれだけ幸せなことかを教えてくれ、その方法を明確に記してくれた本でした。
2007.09.29
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ほんとに久しぶりの書き込みです!マックちゃんが壊れてから、家でパソコンを触ることもなくなり、決心してパソコンを購入したのですが、次男に奪われて、やはりパソコンをする時間がなく過ぎました。いい機会だったので、なかなか卒業できないトールペイントの講師資格のための作品が全部描けるまで、ぜったいパソコンを触らないぞ!とがんばりました。パソコンを触っちゃうと、時間があっという間にすぎちゃいますからね。そして、昨日すべての作品が完成し、あとは検定の結果を待つのみです。長い道のりだったな~ドキドキ・・・・ということで、書きたいことが山ほどあるのだけど、とりあえず元気でいました!留守中に訪問していただいた方、ありがとうございます。ところで、新しく買ったパソコンは、息子たちの要望で、ゲームがサクサクできるXPがいいというので、いろいろ考えて勉強した結果、マウスコンピュータにしました。思ったより設定も簡単で、ゲーム専用機なので快適な使い心地のようです。カッコいいし、大きいけどいろいろカスタマイズできそうで気に入りました。私はあまり触れないのだけど・・・いつかまた、ヘソクリをためてMacちゃんを買ってやるぞ!または修理するぞ!こわれたMacちゃんは部屋の飾りになって大事にしてあります。以前読んだ、東ちづるさんの本に書いてあったのですが、東さんが感銘を受けた本で、斎藤学さんが推薦している本でもあったので購入して読んでみました。東さんが胸のざわめきを感じたと言われていましたが、なるほどと思いながら一気に読み上げてしまいました。一人の女性が内面を深く見つめながら、少しづつ心を変化させ、ほんとうの自分に出会っていく様子がリアルに描かれていました。最後のほうに書かれた夢の話(夜見る夢)の不思議な体験ですが、私も最近見る夢が以前とぜんぜん変わってきたのを不思議に思っていました。そして、この本を読んでから、毎日といっていいぐらい夢を朝に覚えているのです。そして、寝る前に少し夢のことを考えて寝るようにする日もあります。実はフロイトの「夢判断」を以前読んだのですが、ぜんぜん頭に入らなくて、難解だな~と思っていたのですが、この本を読んで自分の体験もあって、夢の持つ意味に改めて興味がわいてきました。夢が重要な無意識の情報を示唆してくれているというのは、本当に興味深いことだと思いました。また、アダルトチルドレンの心理状態をわかりやすく描いてあり、気づいたことで心の変化を成長に繋げていく為のヒントをもらえるとてもいい本だと思いました。
2007.06.17
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久しぶりの書き込みです。パソコンを使わない生活をしばらくすごしました。息子のノートパソコンを借りて、久しぶりに楽天に来ると、またずいぶん様変わりしているのですね!パソコンを使わなければ使わないで、慣れてしまうとなんと言うことは無い。テレビも見なければ、いらない情報に振り回されることも無い。なかなかできなかったトールペイントの作品もずいぶんたくさん描くことが出来ました。長谷川博一さんの本もあれからたくさん読むことが出来ました。特に、東ちづるさんが受けたカウンセリングの詳細が書かれた本は、とても心が揺さぶられました。どんな風にカウンセリングが行われるかに興味があったのですが、東さんが勇気を持って自分の心と向かい合う姿と、長谷川博一さんがどのように人の心の旅の道案内をされているのかがうかがい知れて、自分の心までが引きずられていくようで、とても重たい気持ちになってしまいました。普通の親子、普通以上に立派な家庭の中で、記憶をなくしてしまうほどのトラウマをもってしまうということ。その謎が解き明かされていく過程で、普通と思い込んでいたことの中に、よい事だと思われていることの中に、子供が心を硬く凍らせてしまう大人の無意識のメッセージが潜んでいることに衝撃を受けてしまいました。長谷川博一さんは、「しつけ~親子がしあわせになるために」で、”しあわせは、何かを達成することによって手中に収めるものではない。「これでいいんだ」と、自分の現実(ありのまま)を、自分で認めることによって向こうからやってくる。そして、子どもが自分を認めるために、親から「頑張らなくたって、あなたは大切な私の子ども」と言ってもらえることが一番の近道である・・・”ことを書かれている。カウンセリングを受けた東さんが言いたかったのもそのことなんだと、強いメッセージを受けとったように思う。
2007.02.19
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昨年に修理したMacが完全に壊れたようだ。 音楽を聞きながら、年賀状を作り、インターネットをするといった無理をMacにさせたのがいけなかったようだ。 仕方なく、苦手な携帯で文字打ちしてる。 息子のハ゜ソコンは、触らせてもらえない。(泣) ハ゜ソコンが触れなくてシュンとなってます。。・゜゜(>_<)゜゜・。
2007.01.10
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あけましておめでとうございます! 年賀状を作成していたら、またパソコンが壊れてしまいました。(ノ_<。) 今年もよろしくお願い致します。 今年は家族でスキーに挑戦です。
2007.01.01
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昨日はひどい吐き気にみまわれ、仕事を休んでしまいました。ノロウイルスではないか?との心配もあったのです。子どもには”うすのろウイルスちゃうか?!”などと言われました・・・しかし、どうもアイスの食べ過ぎと疲れだったようで、今日はなんともありません。やっぱり”うすのろウイルス?”ぐったりしているときに、ニュースでまた幼児虐待という言葉を聞きました。「ちいさなわたしをだきしめて」~子どもを愛せなくなったあなたへ~(副題)この本はかわいい挿絵のついた絵本のようになっていて、とても読みやすい本です。小さな子どものいるお母さんには、分厚い文字の多い本を手にするのはなかなかむずかしいことでしょう。虐待する親の気持ちがわからない!と叫ぶ人にも、自分を追いつめてしまうお母さんにも、なんらかの気づきをもたらしてくれる本だと思います。子育てをしているとどうしようもなく追いつめられるような状況になることがしばしばあります。そんなとき、心の中で泣いている小さな自分を抱きしめられるように、導いてくれる絵本です。作者の椎名篤子さん自身の体験談でもあり、説得力もあります。ぜひ疲れたお母さんに読んでほしい一冊です。
2006.12.23
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長谷川博一さんの著書を初めて読みました。過剰になってしまう「しつけ」、無意識からくる厳しい子どもへの態度が、さまざまな子どもの心のゆがみに繋がることを訴えられています。お母さんにはとてもおすすめの本なのですが・・・始めに書かれているのは、こんな人は「読んではいけない人」読まないで!です。読むことで心の変化が起こるかもしれず、自分を変えるつもりのない人は読むに堪え難くなるからかもしれません。元精神分析家のアリス・ミラーさんの「魂の殺人」も紹介されていて、彼女の思想を日本人向けにわかりやすく書いてあるように感じる本でした。「魂の殺人」の原題を直訳すると「あなたのためを思って」で、そこに虐待する者の心理がストレートに表現されていると書いてあります。この本の考え方に関しては予想通りさまざまな反響と拒否があるようです。(特に男性から)それでも、お母さんは幸せな子育てをしてほしい、お母さんは変われるという確信を持ったと書かれていることに同感します。私もアリスミラーさんやこの本に書かれている真実に目をそらさずに感じられるようになったことを、本当に良かったと思います。取り戻せないしあわせな子ども時代を自分の子どもと一緒に大切にすごしたいと改めて思いました。
2006.12.13
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駅前のイルミネーションが美しい。 忙しさを一時忘れさせてくれる幻想のようだ。車の運転があぶなくなるんじゃないかな?
2006.12.09
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今日は姪の結婚式でした。幼い頃の思い出がよみがえり、思わず涙があふれたのはどうしてでしょう。 本当に幸せそうでよかった! 心からおめでとう。
2006.11.23
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カメの赤ちゃんが生まれました!
2006.11.19
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すべての暴力はつながっているのだな・・・と最近つくづく思います。「いじめを隠す体質を学校が改善しなければならない。」「いじめは犯罪である。いじめた子を反省させるべきだ。」「子どもたちにはいじめを絶対しないように強く言っていく。いじめた子には罰則も必要だ。」「もっと子どもの気持ちになって考えるべきだ。命の大切さをおしえるべきだ。いじめに負けないように。」テレビをつければ「いじめ」に関するいろいろな報道やコメンテーターの様々な意見を聞かされます。そして思わずテレビを消してしまうことがあります。昨日のスーパーで買い物をしている時の出来事です。若いお母さんがベビーカーに赤ちゃんを乗せ、他に1才と3才ぐらいの男の子を連れていました。3人を連れて、しかもやんちゃざかりの男の子2人を連れてでは、買い物がいかに大変か・・・その若いお母さんのイライラが伝わってくるほどでした。3才のお兄ちゃんはせわしなく動き、1才の弟を蹴ったり叩いたり、汚い言葉をしきりにあびせていました。あまりにその蹴り方がひどいので私はハラハラしながら見ていたのですが、1才の弟も簡単には泣かず、がまんしていました。しかし、3才のお兄ちゃんのいじめはしつこく、とうとう弟は泣き声をあげました。そして、その若いお母さんはたまりかねて、「小さい子をいじめるな!!」と平手でパチンと3才の兄を叩いたのです。以前の私だったら、よくある光景だと何も感じずその場を立ち去っていたことでしょう。周りの人も何事もないように無視して通り過ぎていきます。でも考えてみれば、3才のおにいちゃんだって”小さい子”なのです。それをたとえいけないことをしたからといって大人が叩くという行為は、その子にとって何を感じさせることになるのだろうかと考えてしまいました。何度もこのような経験を繰り返し、それを弟にやってみせているのかもしれません。お母さんに叩かれた後、置き去りにされて涙も見せずじっと大人の矛盾と格闘しているかのような3才ぐらいの男の子。私は頭をそっとなでて、「大丈夫?」と言わずにはいられませんでした。男の子は我にかえったように泣きながらお母さんを追いかけていきました。当然、このお母さんは自分の子どもがいじめをしないようにと考えていたことでしょう。自分がまさか3才の小さな男の子をいじめたなどとは思わず、正しいしつけをしていると信じて疑いもしないかもしれません。そうやってしつけられてきたら、そうなるのは当然です。見知らぬお母さんと子ども・・・過去の自分の子育ての同じ光景を思い返し胸が痛くなり、この地域で孤独な子育てをしている親子なのではないだろうかと心配になりました。親から子どもへのいじめがなんの責めも受けずに当然のことと考えられている社会に、子どもたちは生きているのです。「いじめを隠す体質を学校が改善しなければならない。」のであれば学校だけでなく、家庭の中の大人から子どもへのいじめを容認する考え方も変えていかなければなりません。いくら家の中で子どもをいじめても、親が責められることはありません。「いじめは犯罪である。いじめた子を反省させるべきだ。」暴力、嘲笑、無視・・・親や学校は少なからず子どもをいじめているのではないでしょうか?親や学校は自分が犯罪を犯していることを自覚し反省しなければなりません。でなければ、いじめられる方が悪いと言う考えをこどもたちに与えるようなもではないでしょうか。「子どもたちにはいじめを絶対しないように強く言っていく。いじめた子には罰則も必要だ。」私たち大人も子どもをいじめてはならないということです。言うことを聞かないからと、その子が悪いからと叩いたり、ののしりバカにすることはいじめなのではないでしょうか?そういうしつけや教育を受けた子が、学校で同じことをやったからといって、子どもだけがなぜ罰を受けなければならないのでしょう。「もっと子どもの気持ちになって考えるべきだ。命の大切さを教えるべきだ。いじめに負けないように。」子どもたちが人の気持ちをわかるようになるためには、親に充分愛され、気持ちを大切にされる必要があるのです。命の大切さを知るためには、子どもたちは人として大切に扱われ、自分自身を大切に思う気持ちを持たなければなりません。いじめられて自殺したいと思うということは、自分を大切だと思えなくなってしまったということ。いじめに負けない心を持つためには、子どものそのままを大切に扱う大人の純粋な愛情がとても大切なのだと思います。勉強やスポーツが良くできる子だから大切なのではなく、そのままの素直な子どもを大切にすることができるように・・・。アリスミラーさんは「魂の殺人」で、繰り返し大人の残虐性を訴えています。~「両親はもちろんいつもいつも子どもを追いつめてばかりいるわけではありません。が、往々にしてそうなりがちであるし、しかも、自分ではそれに気がつかないでいることが多いというのは、忘れてはならない事実です。」~自分の罪を気づかないままで、どうして「いじめ」の原因を探ることができるでしょう。ですから、原因がわからないものは止めようもない・・・ということになるのだと思います。たしかに気づくことの苦しみは大きなものです。子どもたちの未来のために多くの人が気づくようになってほしいと願っています。
2006.11.10
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久しぶりの日記です。おかげさまで、主人の手術は無事成功し退院しました。昨日からは会社へ元気に出勤いたしました。一週間ほどは自宅で休んでいたのですが、家から突然いなくなることが多く、いったいどこに行っているのか・・・何も言わずに出て行くもので、大変心配しました。私「どこに行ってたん?どこに行くか、何時に帰ってくるのか、ちゃんと教えてな!」と子どものように言わなければならない始末です。主人「唐揚げ粉ある?」これが主人の答えです。私「へっぇ?!」唐揚げが食べたいのかな?と思った私の手にクーラーボックスが渡されました。主人「ちょっとみて!」私「え~~~!!!どこ行ってたんや~!」クーラーボックスの中にはたくさんのアジが・・・すっかりもと通りに元気になったようです。ご心配をおかけいたしました!最近「児童虐待」川崎二三彦/著を読みました。児童相談所に勤務された経験のある著者が、児童相談所がおかれている現状と児童虐待の対応の実態を明らかにしている。児童相談所が担う児童虐待の対応の重さとむずかしさ、子どもだけでなく親への対応や指導の大変むずかしく時間のかかる仕事がわずかな人数で行われていること。これほど児童虐待の問題が大きくなってきているにもかかわらず、児童相談所の状況の改善が遅れていることを強く訴えておられる。特に心に残ったのは、体罰を禁止した川崎市の条例があることが書かれたところだ。2000年12月に制定された「川崎市の子どもの権利に関する条例」には「親等は、その養育する子どもに対して、虐待及び体罰を行ってはならない」と明記されているそうだ。しつけと虐待の区別を曖昧にしているのは、「体罰」である・・・と著者は考えている。「川崎市は条例で体罰そのものを禁止してそのあいまいさを取り除いたのである。」こうやって社会の中に根強く残っている体罰・暴力に寛容な子育て観、あるいはネグレクトに対する許容な風土をその土台から変えていくことが、児童虐待をなくしていくことに繋がるのだと書かれていることに共感した。だが、虐待という教育を受けて育ってきた多くの人々が新しい子育て観を学習する場がなければ無意識に行う子育ては、やはり自然に学習した体罰・暴力に寛容な子育てとなってしまうことになるだろうと思う。
2006.10.24
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主人は無事手術を終えて、順調に回復中です。すでに偉そうな口の聞き方で接してくるので、ホッとするやら腹が立つやらです。主人の両親が泊まりにきたり、私の母が泊まりにきたり、ずっと8時間もの手術中は緊張しっぱなしだったこともあり、久しぶりに昨日は頭痛と吐き気に襲われてしまいました。主人の両親や私の母とたくさん話すことになり、冷静に耳を傾けるうちに主人が子どものころどんな心理状態にあったのか、また、私自身子どものころどんな気持ちで親の話を聞いていたのかを感じることができました。自分を抑えて見せかけの体裁やきれいな言葉を発することには特に気を使っているりっぱな人たちですが、自分の感情をいつも抑えてきたゆえに素直な感情を怖がっていて、そのために人の気持ちにも鈍感になってしまっているのだろう感じてしまいました。心が離れてしまっていて淋しい感覚と、心がふれあっていない冷たい感情が襲ってきます。ですが、そういうコミュニケーションしかできない、できなくなってしまった親の時代のあり方を思うと、もっと深いところに隠された真の愛情をのぞき見ることで十分私の心が温まるようになってきました。そんな感情を大切にしていきたいと、心から思いました。
2006.10.05
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心理学者でセラピストのチャック・スペザーノ博士によるこころとからだの関係をわかり易く書いた本を読んでいます。からだに現れる症状は、こころという目に見えない意識の葛藤や様々な考え方の矛盾が目に見える形で現れてくるものだということです。私などは、無意識に押し込めた”怒り”を取り出すことができたことで、長年苦しんできた偏頭痛が治まりました。こころの癒しを少しずつですが進めることで、緊張したらすぐおなかが緩くなって大変だったのもほとんどなくなってきました。ですから、”こころを癒すとカラダが癒される”というのを実感しています。こころに抑圧してしまった何かが、からだの症状として出てくる。そのことを今ではかなり信じています。この本の中で、今回人間ドックで引っかかった主人のからだの症状について調べました。カラダの部所は「手に負えないほどの感情があるという意味。圧倒されたと感じ、全般的に感情を扱うことができないと感じている。」症状は「6ヶ月から18ヶ月前に身近な人との関係でトラウマがあり、自分自身を傷つけることで相手をも攻撃している。」ということらしい。息子の高校入試の頃を思い出しています。私の反抗は主人には相当なトラウマになってしまったのかもしれません。主人は入院することになったのですが、一週間ほどで退院できる見込みです。主人のこころとカラダが癒されるように私もがんばって応援し、支えていきたいと思います。
2006.09.19
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ブログを更新しようと思いながら、キーボードを打つ気分になれなかった。我が家にちょっとした問題が発生したのだ。夏休みもあと少しとなってきた。私の仕事が急に休みがとれることになり、どこにも連れて行ってやれなかった子どもたちと映画に行くことにした。もう大きくなった子どもたちが、私の誘いに素直にのってくれてすごくうれしかった。「日本沈没」私が見たいと言った映画を3人で見た。子どもたちは10点中10点と映画の評価は意外に高かった。きっと破壊シーンやヘリコプターに潜水艦の登場が高得点につながったのだろう。私は・・・・原作と昔のテレビドラマを知っているだけに、現代風にアレンジしてあるのと、筋書きが完全に読めることにちょっとがっかりして、7点というところだろうか?ところで我が家のちょっとした問題なのだが・・・・ああ・・・まだ書く気になれないので、また別の日にします。そんなこんなで、しばらくは更新があまりできないかもしれませんが、落ち着いたらまた報告いたします。
2006.08.18
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昨日からとても嫌な気分である。自分の中の無視したい感情からずっと逃げている。何かで気分を紛らわせて、考えないようにしてきた習慣は簡単には変えられない。ただし、子どもにあたりちらすことはもうない。自分の感情から逃げているのだから、何が原因でこんな嫌な気分になっているのかも理解できないでいた。だから、逃げずにじっくり考えるようになった。許せない怒りが私の中に確かにある。しかし、それを声に出して反論することを私は抑えたのだ。それが嫌な気分となり、自分を苦しめているのだと感じる。知り合いと話をしているときに、いつも子どもの話になるのだが・・・いつもなら反論するところを、昨日にかぎって私は黙って聞くことにしたのだ。これでもかこれでもかと言わんばかりに、いつも子どもに対して侮辱的な言い方で話す人だ。その人自身の子どものことを話しているのだから、別にいいではないか・・・とふと思った。成績も優秀で、利口な子に育っているのだから子育てに自信をもって厳しくしつけているのだということが話し方でわかる。しかも、異論を唱えるのは私だけで、その人に調子を合わせて話す人もいるので3対1で勝ち目はないと言うか・・・今まで私もあの会話に喜んで調子を合わせていたことを思って打ちのめされ、何も言えなくなったのかもしれない。その人の子どもが友達のことを話したという会話だった。「友達は間食をしてしまって、夕食の時間にみんなと一緒にちゃんと食べなかったそうだ。すると父親が怒って友達の髪を引っ張って2階から引きずり下ろしたんだって。」と言ったそうだ。私はとてもショックを受けた。その子の友達の気持ちを痛みとして心に感じた。しかし、その話を子どもから聞いて、その人は「あんたもやったろうか?!」と子どもに言ったそうだ。「そのくらい、こどもはきびしくしなあかんわ」と言いながら、奈良の放火殺人をした事件のことには「息子の気持ちがわかるわ」と言ったのだ。その人の子どもがどんな気持ちで友達のことを話したかを考えると、とても悲しくなって一言も話せなくなった。私の怒りの感情の裏には、悲しみが隠れていた。私の母親とそっくりな口調のその人の話し方を聞いて、大人は話しても理解してくれない。共感もしてくれない。それどころか侮辱されかねない。あきらめと、淋しさと、孤独を感じて打ちのめされた幼い頃の自分が私の中で苦しんでいるのを感じた。そして、その人の中にも大きな怒りを子どもにぶつけてしまう同じ悲しみを感じた。その人に会うのがいやだった私の中の感情が理解できた。母親への不満をその人に投影してしまっていたのかもしれない。人の気持ちは変えようがない。でも、私はその人に合わせることはないのだ。そしてたとえ理解されなくても黙っていることもない。自分は子どもの気持ちを理解することができるようになって辛いときもあるが、本当によかったと思う。そう思えて、怒りをようやく手放すことができた。男尊女卑という言葉が死語となっている現在では、女性に対する差別的な発言や行動も大きく問題視されるし、男女平等はもう今では意識することなくあたりまえのことのようになっている。次は少しでも早く、子どもに対する虐待はもちろんのこと子どもの人権を重視した発言や行動という考え方があたりまえの世の中になることを願っている。
2006.07.15
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昨年カメが卵を産んだと以前の日記に書いたが、また今年も出産が近いようだ。先日から外に出ようと必死になっているバシャバシャという音がしていた。カメの池を掘ろうかと思ったのだが、そんなに広い庭があるわけでもなし・・・衣装ケースに入っているカメさんだが、もう一つの衣装ケースに土を入れて繋げてみることにした。カメは喜んで、さっそく土のある衣装ケースに移動し、穴を掘っている。・・・さて、卵が無事生まれたとして、その後どうする?
2006.07.02
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パートの仕事と家での仕事、家事と・・・・ほんとうにパソコンの電源さえ入れられずにいました。やっと家での仕事が一段落して、ほっとしています。森田ゆりさんの「しつけと体罰」を読みました。まだまだ、「しつけと体罰の違いって?」とか「どこからが体罰でどこまでがしつけ?」という子どもに対する心の共感を失ってしまったままの人がほとんどだということに、仕事をはじめてたくさん接するようになりました。子育てボランティアの人たちと多く接すると、みんなそれなりに子どもの心に共感する感情を持っている人が多く、安心していられたのですが・・・・。森田ゆりさんはアメリカで子どもと女性への暴力防止の活動に携わられて、10年ほど前から日本でも活動をされています。森田ゆりさんのホームページをリンクしておきました。(Bookmarksのエンパワメント・センター)そこで衆議院青少年特別委員会での森田ゆりさんの意見陳述が見れます。活動内容が伺えてとても勉強になります。「しつけと体罰」の中にはアリス・ミラーさんを紹介する文が載っています。~1980年に「魂の殺人~親は子どもに何をしたか~」にはじまる著作を次々に発表して世界中の子どもの精神医療、教育、福祉に携わる人々に衝撃を与えたスイス在住の元精神分析医アリス・ミラーは、教育やしつけの名で行われる体罰が、根深い心の傷を子どもにもたらし、その後の人生で、さまざまな心の病や犯罪などとなって現れてしまうこともあると、繰り返し主張しました。近年ではホームページ上に世界中の人々に向けての「宣言文」を掲載し、世界の国々が、体罰のもたらす害を深刻に受けとめ、体罰を禁止する方策をとることを呼びかけています。 一方2001年には体罰をなくすための世界的なネットワークがインターネット上ではじまり、すでに、体罰を禁止しているスウェーデンやオーストリアでの状況をはじめ、たくさんの有用な状況を提供しています。~以前日記で「たたかない子育てがあたりまえになる」として書きましたが、スウェーデンでの体罰禁止の取り組みは、当初は大変な反対もあったそうです。しかし、10年経ってやっと子どもの虐待死がゼロになり、人々もこの法律にほとんど賛成するようになったそうです。この「しつけと体罰」では、体罰の問題点や体罰に代わるしつけの方法などが書かれています。すぐに実践できるという点で子育て期の親にはぜひ読んでもらいたいと思います。ですが、表面的な知識だけでは一時的には実践できても、子どもへの接し方がすぐ変わる事はむずかしいと多くの方がおっしゃいます。興味のある方はぜひアリス・ミラーさんの「才能のある子のドラマ」も読んでみてほしいと思います。~ーーーー子どもは役に立ちます。子どもは逃げ出す事ができません。かつての母親のようには。子どもは教育する事ができます。自分の望む通りに。子どもから敬意をもってもらうこともできます。子どもには自分の感情をぶつけることができ、子どもの愛と賛嘆のなかに自分の姿を反映させることができ、子どもと比べて自分は何と強いのかと感じることもできますし、子どもが手にあまるようになれば他人に任せることもできます。こうしてこの人たちは、ようやく自分が注目の的になった感じを享受できるのです。子どもの目は母親の一挙手一投足を追いつづけるものですから。もしある女の人が、子どものころ自分の母親との関係のなかで、ありとあらゆるこの種の欲求を押さえつけ、抑圧しなければならなかったのなら、その人は、どれほど教養を身につけたとしても、自分の子どもと向き合うようになると、心の深層から無意識がこみあげてきて、欲求不満の解消を激しく迫ります。子どもの方ははっきりそれを感じとり、非常に早い時期に自分の方の問題を表に出すことをやめてしまいます。~(「才能のある子のドラマ」の”感情の失われた世界”の章より)
2006.06.18
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久しぶりに夢を見ました。虐待防止や子育てボランティアをしている仲間がたくさん出て来て、私はとてもうれしそうに笑いながら仲間たちとかけっこをしているのです。最近、仲間たちの疲れた様子に心を痛め、私自身も身近に虐待事件が起きたり、友人と虐待の話をしたり、仕事でそうとう疲れて寝てしまったのですが・・・こんな楽しい夢が見れて、少し元気が出てきました。それでも児童虐待について書かずにはいられない気分です。大人が大人を叩いたとしたら暴力と認められるというのに、どうして弱い立場の子供に対する暴力はこうも軽くみられ、しつけや教育と言ってすりかえられてしまうのでしょう。最近になってやっと女性への暴力(男から女、夫から妻)がDVとして取り上げられるようになったのですが、大人から子供への暴力(親から子供への暴力)はよっぽどひどく、殺しでもしない限り罪に問われることはありません。大人の女性なら夫からの暴力を法に訴えることも別れることもできるでしょう。ですが、小さな世話を受けている弱い立場の子供がどうして親たちに不当なことだと訴えることができるでしょう。そして、暴力や脅しを受けてそれをありがたいことだと思い、親は愛情からしたことなのだと大人になってからも信じ続けることがどれだけ人間の生を破壊することになるか・・・・わけの分からない苦しみ、絶え間ない恐怖から逃れるためには食物、アルコール、たばこ、麻薬、殺人・・・そして戦争ありとあらゆる人間の生への破壊の源が、人間の生まれてまもない時期に無意識のうちにすりこまれてしまっている事はとても恐ろしく思います。もし、親は愛情なく子どもに憎しみを連鎖させているだけだと気づけたとしたら、子どもだったらそんな真実を受け止めて生きてはいけないでしょう。しかし、大人になった今真実をしっかり受け止める事でしか、子どもに憎しみの伝統を受け渡さずにすむ方法はないのですが、なんとかそれだけは認めたくないと大人になった今も思ってしまうのでしょうね。罪の重さには耐えられないし、できれば一生気づかずにすみたいと・・・。しかし、罪の重さには一生気づかずににすんだとしても、生き生きとした自分そのものとして自然に生きる事もできていないことにも一生気づかないことになってしまうのだと思います。今や真実に気づき、不当な子どもへの暴力をなくすために様々な活動をされている方がたくさんおられます。それでもやはり一人一人が、自分自身と立ち向かう勇気をもたなければ意思の力や知識だけでは子どもへの暴力はおさまりません。子どもを救えるのは、真実と向き合う勇気だと私は知る事ができました。そして、自分自身として生きるということがどういうことなのか、この年になってはじめて生まれて来たような自然な感じを持ちはじめています。
2006.05.18
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パートに出て4ヶ月がすぎて、会社の内情も少し理解できるようになって来た。気前のいい社長はお客さんの要望をホイホイと引き受けてしまい、社内は毎回混乱状態だ。会社をやめる人が毎月出ている現状が理解できるというものだ・・・・。今回絶対に無理な仕事を気安く引き受けて断れない社長のせいで、仕事をお持ち帰りだ!!きっちり時給をいただくことを社長に約束してもらって、この連休は家で仕事をしています。専業主婦を長い間していたこともあり、こんなボケたおばさんが仕事をきっちりできるのかな~?とパートに出る前は心配に思っていた。ところがどっこい!専業主婦といえども家事育児で培われたノウハウは半端ではないことに気づいた。気づかぬうちに、一度に時間を決めてたくさんの用事を計画的に運ぶスキルを身につけているのだ。しかも、無理難題を押し付けてくるお客(子供のこと)に冷静に対応し、社員(主人のこと?)とも良好なコミュニケーションをとって解決していく・・・・。会社の社長並みに大変な仕事をこなしていたということではないか!?おばさんパワーの恐ろしさの秘密がこんなところに隠されていようとは・・・・。まあ、あんまり気負わず気長にやれればな~と思ってはいるのですが、ちょっと最近忙しかったので疲れた自分をなだめなだめ過ごしています。それでも、同僚となんやかんや意見交換しながらこの窮地を半分楽しく過ごせている自分が不思議です。先日読んだ本「小さな殺人者たち」ジェームズ・ガルバリーノ・著、高田亜樹・訳~なぜ少年たちは人を殺すのか。そして我々はどのようにして潜在的に暴力的な少年を見分け、未然に事件を防ぐことができるのか。~(表紙解説)を読み終えた。とてもいい本だった。・・・・がコメントがむずかしい。ここに書かれている内容がすべての人の共通認識となり、解決に向けての行動がなされるようになるのはいつの日のことだろう。子供の人権が大切に守られすべての子供たちが迷うことなく大人になることを願う。本文の中で、著者が触発されたノーベル平和賞受賞候補に推薦されたティク・ナット・ハンが書いた『平和は一歩一歩の中に』で、「人を非難しても始まらない」と題された文が載せられていたのが印象的だった。~レタスを植えて、うまく育たなかったら、それをレタスのせいにする人はいないだろう。普通に、なぜ育たなかったか、その理由を探る。肥料や水がもっと必要なのかもしれないし、陽が当たりすぎていたのかもしれない。レタスを決して咎めはしないのである。しかし友人や家族と諍いがあると、我々は他人を非難する。我々が彼らを思いやることができれば、彼らもレタスのようにうまく育っていくのだ。人を非難しても始まらないし、理屈で相手を説得しようとすることも不毛である。それは私の経験から言えることだ。人を咎めず、理屈や理論で屈服させようとせず、ただ理解しようと努めるのみ。理解すれば、そして理解を示せば、その人を愛することができる。すると状況は変わっていく~私も常々考えていた。子供を育てるというのは、農作業のようなもなものに近い。しかし、多くの子供たちの育てられ方や学校教育は、競馬の馬や、棚に陳列された商品を作るのに近いのではないか?・・・と。走れなくなった馬や、傷の入った商品のように、子供を扱ってはいけないと強く思う。
2006.04.30
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息子たちは、新しいウインドウズに夢中で、あまりやりすぎるので、ちょっと心配になってきました。・・・というか・・・私にもやらせて~!!!気分転換に今度みんなで温泉にでも行ってこようと思います。下の息子は今日絵画教室の体験をしてきました。絵を描くことが好きな息子はとても楽しかったようで、本格的にデッサンを習うことになりました。3年後の高校選択で、芸術系の高校に行きたいと希望しているのです。また、主人と一悶着ありそうな気がしていますが、負けません!!こどもたちの幸せな時間を取り上げる権利など大人にはないと思うのです。「小さな殺人者たち」ジェームズ・ガルバリーノ著は子供たちを凶悪犯罪へと向かわせる心理について深く研究されて書かれています。アリスミラーさんが書かれた真実がぴったりと収まっていく怖さに、何度も本を閉じてしまいたくなる衝動に駆られながら読んでいます。子供たちが加害者になったり被害者になる事件をニュースで見るたびに、子供たちの置かれている状況や心理について何も知らない、理解できないという大人をとても怖いと思うようになりましたし、心理学について知ることは子育てする親には子供のためにも自分のためにも必須の重要な勉強であると思うようになりました。リンクさせていただいている、”女性と子どものエンパワメント関西”さんの講座を受けたのはちょうど3年ほど前ですが、心理学的なことに興味をもつきっかけになるお話が聞けました。子育て中の母親が持つ様々な感情をじょうずに扱っていくためにどうしたらよいか、母親自身の心理を深く知ることの重要性を教えていただきました。もっと多くの人がこのような講座を受ける機会がつくれたらいいなと思っています。
2006.04.05
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久しぶりの書き込みです。春休みになって、子供たちにパソコンを占領されているのと、仕事でマックを使うようになってから、どうもパソコンを使う気にならなかったのです。幸いなことに仕事場にはマッキントッシュのパソコンがあり、使える人があまりいないこともあってパソコンで仕事ができるようになりました。でも、使いにくいマウスで肩が凝ってしかたありません。今日は、息子の幼なじみがお泊まりに来ています。楽しそうな様子・・・よかったよかった。そのお友達は、息子と同じもうすぐ中学生。春休みは毎日塾で3時間勉強しているそうです。一方うちの息子はたっぷりパソコンを5時間はしているでしょう。フォトショップを使ってパラパラマンガの制作に夢中になっています。入学後にきっと学校では大きな差が出てくるのだろうと少し心配にはなりますが、きっと大丈夫だとなぜか変な確信を持てるようになりました。もうひとりの私をゆるしてあげよう金盛浦子さん著書の本を読みました。やさしく愛情深い言葉が文中から感じられました。いろいろなこの手の本を読みましたが、とてもソフトな文体にとても元気になり、私の中のAC(アダルトチルドレン)に気づいたことにとても誇りをもてるようになりました。そして、心の中のタイムマシンの存在と操縦法が書かれていることにとても感激しました。バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくるドクのデロリアンに私も乗れるんだと思うだけで、すごくステキで幸せな気分になりました。ACに気づかれている方、ACではないだろうか?と思われている方にはとてもお勧めな本です。
2006.04.01
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最近考えることがたくさんあって、どうも落ち着かない。息子2人の卒業、入学、パートの仕事のこと、子供会の決算や引き継ぎのこと、子育てボランティアのこと、パソコンの設定のこと、家事のこと、主人の食事のこと、トールペイントとオイルペイントのこと・・・・やりたいことと、やらなければならないことの優先順位がまったく逆になってしまっている。まあ、あまり考えすぎないで行動する私がいるのですが・・・何よりも花粉症の季節であり、咳が出て頭が重く考えたくても深く考えられない。愚痴はさておき、家事もせずにまた本を読んでしまった。子どもを愛せない親への手紙いかにたくさんの人が、子供時代に受けたこころの傷のために大人になってからも生きづらさに悩んでいるか・・・子供の頃には言葉にできなかった感情を書き綴った親への手紙がたくさんのせられています。友人との会話でも、親のひどい仕打ちのことが時々話題になることはあります。しかし、一般的には親を非難することはタブーであり、親不孝であり、身内の恥をさらすことという意識が働いて話す方も聞く方も気軽にする話題ではありません。この本では、実際に親に出すことのない手紙として親への思いが隠さずに書かれています。同じような思いをもつ人がたくさんいるというだけで、なんともいえない気分にさせられました。
2006.03.19
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パソコンを買ったというのに、子供たちに占領されてメールのチェックもできない状態です。今日マックが修理されて帰ってきますので、我が家には2台のパソコンがある状態になるわけです。それはさておき、昨日で無事子ども会の最後のイベントが終了いたしました。(100人近くの子供をつれてUSJへ・・・)大きなトラブルもなく、みんな楽しく無事に帰ってこれて何よりです。子ども会の役員になってわかったことは、決して人間関係が大人同士もうまくいっているわけではないこと。(保護者同士のコミュニケーションがまったくないという状態であること)大人同士のトラブルは、図らずも子供たちの友達関係に影響してしまうこと。子供たちが学校で起こしているトラブルは、すべての保護者の共通認識にはなっていないこと。直接トラブルを受けたものだけが一人思い悩んでしまっていること。トラブルを起こしている子供の保護者はすでに人間不信になっていることが多く、コミュニケーションを取りづらいこと。それでも、子供たちの起こすトラブルで周りの子供たちも精神的影響を必ず受けていることはまちがいありません。子ども会といえば敬遠されがちな会ではありますが、保護者同士のコミュニケーションにとても役立つものだと思ってしまいました。とても疲れたけれど、子供たちの楽しんでいる様子を見て心が癒されました。できれば子供たちと一緒にワーワーと遊びたくて・・・ああ・・私もまだまだ子供だなーと思いました。
2006.03.12
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とうとう、ウィンドウズを買ってしまいました。パソコンのない生活が息子には相当こたえたようで、毎日寝込んでいましたので、ちょっと早い息子への誕生日プレゼントに買ってしまいました。ほんとうにコンピューターがすきなのがわかりました。・・・・・また、がんばって働こう!以前読んだ本をもう一度読み返しました。「男の子が心をひらく親、拒絶する親」男の子が心をひらく親、拒絶する親野暮なタイトルなので、敬遠したくなるような内容かと思うのですが、なかなか深い内容と男の子の心のうちが研究されていて、男の子を育てている親にはぜひ読んでほしい内容なのです。男の子にとって家の外はとても生きづらいし、過酷な学校生活となっていることがよく理解できます。せめて、家庭では男の子と心を通わせられるようにしたいものだと思いました。大人の男性の理解できない行動の奥にも、この本に書かれているような隠された心理があるのだと・・・・主人の行動を思い返すと・・・納得してしまいます。「健康な身体になるために免疫力をつけるように心もいろんな感情を親に支えられながら体験して、少しずつ丈夫に育っていくものだといいます。その自然の流れを断ち切ってしまえば、悲しいときに怒る、寂しいときにバカ騒ぎする、不安なときに威張る、愛してほしいときに殴る・・・・・と、まったくわけのわからないことになってしまいます。・・・・」どうか子育て中のご両親が、男の子が感情の混乱を起こさぬように、心が強く育っていってくれるように育てるスキルを学んでいってほしいと願います。
2006.03.01
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息子の高校合格の発表がありました。発表当日、高校のグランドに張り出された合格発表の中に息子の受験番号を見つけたときはほんとうにほっとしました。「オレ、楽勝!勉強せんでも受かったな~ハッハッハ・・・」(心配をかけやがって~!)・・・と蹴り飛ばしたい気持ちをぐっと抑えて、「おめでとう!よかったな・・・」・・・と私。(うしろの2人の番号がなかったので、冷や汗ものでした。)2人とも、気分が悪くなるぐらい緊張していたのは間違いありません。受験前には、パート先で仕事中に緊張性の頭痛に襲われ、はきそうになりましたし、息子も2日前には必死で勉強していました。(遅いような気もしたのですが・・・ハッハッハ)しかし、これほどのストレスが、子供の精神によい影響を与えるとは思えません。にもかかわらず、受験という制度自体を取りやめようという動きが少ない(ない?)のはどういうわけなのでしょう。アリスミラーさんは教育自体に否定的です。教育の影響で私たちはどうなってしまうのか・・・私たち親の世代も間違いなく学校教育、受験というストレスの影響を強く受けているでしょう。教育自体が子供への虐待と考えるのならば、親の世代が受けてきた教育をこどもへ繰り返してしまうという連鎖が起こるのは理解できます。私たちが受けてきた教育が正しいと考え、よいものと思っている限り、この連鎖は繰り返されるということなのでしょう。子供のために、と思っていることが実は虐待だったとは誰もが考えたくもない事実ですし、自分が虐待を受けていたとは、決してそれだけは認めたくない事実かもしれません。そう思うと、シュタイナー教育を実践されている方や、クリシュナムルティ・スクールを作ろうとされている(リンクさせて頂いている)岩谷さんをとても尊敬いたします。私も子供たちの精神が健全に育つように、パートなどで忙しくはなってきましたが、ほんとうの勉強はこれからだと、がんばっていきます。
2006.02.19
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調子の悪かったパソコンがとうとう起動しなくなった。私立高校の入試の直前にマックちゃんが眠りについてしまいました。息子の高校入試も無事終わり、あとは14日の発表を待つだけです。息子いわく、「わりとできたと思う。面接も問題ない。」そうなのでとりあえずほっとしているところです。ということで、今日は息子たちとインターネットカフェに来ています。頼りにしていたマックちゃんを修理に出さなければなりません。息子たちは「ウインドウズに買い換えろ!」と文句をいうのですが、スノーホワイトの色白のまあるいコロンとしたマックちゃんを、どうして捨てることができるというのでしょう!電話機も調子が悪い上、エアコンまでがつぶれてしまいました。高校の入学金やら、中学の制服代やら・・・・どうしよう!!しばらく、パソコンのない淋しい生活になりそうです。
2006.02.12
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パートを始めて1ヶ月がすぎました。慣れたこともあるけれど、少し疲れが出てきたかもしれません。家事がいつも以上にいいかげんになってきています。(気にしない気にしない・・・一休みひと一休みっと(´。`;)フゥ-)トールペイントの宿題がなかなか進まず、なぜか仕事のことばかり考えてフエルトを家でもチクチクしてしまっている自分にあきれています。さらに、ゴロゴロしながら、寝る前などに本を読むのだけれど・・・最近ちょっと堅苦しい内容が多かったので、小説など読んでみようと思いました。トリイ・ヘイデン著の「シーラという子」と「タイガーと呼ばれた子」を以前読みましたが、今回は「よその子」というのを読んでみました。トリイ・ヘイデンの子供に対する愛情あふれる様子にいつも引きつけられるのですが、今回はトリイの人間的なところも素直に描かれていて、劇的ではないけれど子供たちの魅力と小さいけれどとても力を持った存在であるということを感じさせてくれました。トリイの愛情をもってもどうしようもないことがたくさんあり、表面的には子供たちの状況が改善したようには見えなくても、心のふれあいが子供たちの内面を少しずつではありますが大きく変えていく様子に感動します。心で深くつながることができたならば、たとえ遠く離れても、子供たちはいつでも心で交信できるのではないか・・と思わせてくれました。温かい気持ちにさせてくれる、とてもいい本でした。
2006.02.04
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今週はパートを半日休み、久しぶりに子育てボランティアの活動に参加しました。いつもどうり、赤ちゃんから就園前の小さな子どもたちとお母さんが気軽にコミュニケートできる場所の提供をしました。雪がちらつく寒さの中なので、参加人数は4組の親子だけでした。それでも、大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんがレポート作成のための見学に4名来られました。3ヶ月の赤ちゃんが、20年後にはこうなるんだ・・・・とスタッフはみな大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんを感慨深げに観察していました。スタッフの子どもたちは、ちょうど今3才から10才前後の子どもたちの親でもあります。子どもたちの育つ過程においての、親の役割の重要性と、それを支えるまわりの人間関係の重要性を痛感します。参加者のこの活動への感謝の声も色々聞けたし、学生さんもこんな活動があることを知ることができてよかったと言う意見や、何よりもこの活動が親子の支援だけでなく私たちスタッフの精神的な支援につながっていると改めて感じることができました。斎藤学さんの「『自分のために生きていける』ということ」を読みました。ーおわりにー で斎藤先生あてに書かれた37歳の女性の手紙が紹介されています。「厚い曇りガラスの世界」にいた彼女がそこから外へ出るという話にとても共感しました。精神的な成長が止まってしまう過程から、自分自身でもう一度育て直すことの意味や、寂しさから逃げないで立ち止まる勇気、自分のために生きるとはどういうことなのか・・・とても心に響きました。
2006.01.21
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あけましておめでとうございます!今年は、ほんとうに久しぶりに主人とゴルフにいったり、家族みんなでビリヤードに卓球、ダーツにマンガ喫茶など楽しいお正月でした。主人との危機もなんとか脱し、普通に会話できるようになりました。なんだか以前の主人がどうかしていたんだと思ったり、自分の思いを抑えずに主人にぶつけたことが今ではよかったと思えたり、子どもには辛い思いをさせたかもしれないけど、自分のイライラを子どもにぶつけずにいられたのは本当によかったと思ったり・・・昨年は辛い一年でもあったけど、少し強くなった自分を嬉しく思っています。それでも、私の実家に帰り両親と会話したことで、少し重荷を持ち帰ってしまった気分です。重荷を少しづつ開けて、よく見た後はゴミに出してしまおうと思います。私がその重荷を子どもたちに渡してしまわないように、私の心が子どもへの愛情で一杯になるように静かに自分をいたわっています。5日からは仕事に行き、黙々と仕事の時間を過ごすことで家族から精神的に離れることができます。それに仕事が楽しい。ただ、パソコンをする時間があまりないのがちょっと悲しいけれど・・・久しぶりに加藤諦三さんの本を手に取りました。家族が幸せになるために知っておかなければならない心理についてです。とても読むのが辛く、できれば知りたくないと思ってしまうことばかりが書かれています。それでも、家族のなかにある影の面から目を背けていては、ほんとうには幸せにはなれないのかもしれません。見せかけがいくら幸せそうであっても、家族の中に信頼関係がなくお互いが敵意をもっている状態は本当に不幸だと思いました。
2006.01.06
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先週の日曜日、主人は突然に息子と高校の見学へ行く為に、雪の降る中をバスに乗って出かけてくれました。毎日遠くの学校へ通わせることに、主人なりに心配していたようです。私がパートに出た件に関しても何も言わずに、むしろ少し心強く思ってくれたように感じました。最終の進路希望決定にギリギリ間に合う形で、主人はOKを出してくれました。頑固おやじに振り回される形で、この何ヶ月か不安な毎日でしたが、やっと落ち着いて私も息子も高校の受験に向けて進めそうです。15kgほども体重を落とした主人は、ほんとうに別人のようになってしまったように思えます。私自身も息子もこの先ずっと同じままではいられない事を強く感じました。パートに出た私もこの主人との葛藤があってのことですが、パート先の会社に何か運命的なものも感じています。すべていい方向に向かっていくように思えます。昨日のすごい雪も、今回はとても美しくやさしく感じられて不思議でした。子ども会のイベントのクリスマス会も無事終え、今日は久しぶりにボーとしています。心強いコメントをいただいたことをほんとうに感謝いたします。相談した友達にもとても勇気づけられました。ありがとう。一人でいることが多いと、とても自分が小さく思えることがあります。人に支えられて、どれだけ自分が強くなるかを実感しました。主人や子供を支えていける強い大人になりたいと心から思いました。また、精神的に成長していけるようにこれからも勉強したいと思っています。
2005.12.23
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パートに出て一週間がたった。たくさんのパートさんを雇って、時間や休みの融通も利く主婦にはとてもいい会社である。今はまだ、忙しいわけでもなくクマのぬいぐるみをチクチク縫って時間が過ぎる。こんな楽しい事をして、お金をいただいていいのかな~と思うぐらいだ。家での家事育児がいかに重労働かを改めて思う。なのに無償で社会的にも認められない専業主婦はすごいストレスになる。これで、ボランティアなんかしてると家でも外でも無償ということで、やりきれなくなるはずだ。子育てがほんとうに大切な仕事だと認識されない原因は、「お金」第一主義にあるのだと思う。たしかにお金がないと不便ではあるが、あんな紙切れが人生の目的だなんて思うことはむなしすぎるではないか。会社内では、それでも不満が渦巻いているようだ。私が入る前に、同じ部署の独身の若い社員が上司と一悶着あったようだ。今日、突然解雇されて泣く彼女になんと言っていいかわからず、私はただおろおろするばかりだった。どうやら私は彼女の後がまに採用されたようなのだ。同じような会社に勤めたことのある経験から、私は我慢してなんぼ(我慢してこそお金をいただける)と承知しているのだが、自己主張と個性を重視する美大を出た彼女には、上司に従順に従うことは苦痛だったのかもしれない。このまま平穏なパート生活とはいかないかもしれない。しかしこちらは生活がかかっているので簡単にやめるわけにはいかない。覚悟しておかねばな~・・・・(ρ°∩°)ううー
2005.12.16
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今日は、パートの初出勤だった。出荷作業や力仕事をやらなければならないのだろうと緊張したが、最初なので思ったほど過酷な労働はなかった。企画で採用してもらったため、どうやらまた締め切りに追われる生活に入りそうではある。だが、家で一人孤独にやるより数倍楽だと思う。大好きな手芸品の企画だ。フエルトをジョキジョキ切ったり貼ったり、久しぶりに充実してとても楽しかった。たぶん最初だけだろうと思うけど・・・自分の好きなことで仕事ができることほど幸せなことはないと思った。子どもたちにもぜひ、得意なことをのばしていけるような環境で勉強してほしいと思う。息子の創ったホームページのアクセス数が2万件を超えているといっていた。楽しそうに夢を語る息子の夢がどうぞかないますようにと願っている。さて、冷戦中の主人とはあいかわらずビミョーである。パートのことがまだ話せないでいるんだな~(((((((((ヘ( ̄ω ̄|||)ヘオイオイ!
2005.12.12
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