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10/1 Sat見捨てない愛夫婦の愛をぎりぎりまで突き詰めていくと、それは相手を見捨てないこと、といえるのではないでしょうか。見捨てないためには、許しが必要なのです。どんなに好き合った相手でも、毎日、朝から晩まで鼻を突き合わせていると、だんだんアラが見えてきます。それにいちいち目くじらを立てて、性格の不一致などと言い合っていたら、とても添い遂げられるものではありません。それまで他人だった男女が一つになろうというのですから、初めからなにもかも分かり合えるはずがありません。どうしたら心を一つにして助け合い、支え合っていけるようになるか、互いに努力し合い、人間として成長していくのが結婚生活というものでしょう。最近は、結婚したくてもできない男性が増えて、「女性のほうが売り手市場で、男性が女性に合わせていかなくてはならない時代になった」などと、しょげている人がいますが、どちらがどちらに合わせるなどと、時代によって変わるものではありません。男と女のそれぞれの特性、考え方を認め合うところから、許し合う寛容さが生まれてくるのだと思うのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.30
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9/30 Fri百人の力を借りれば百人力一人の力には限りがあります。お金も身分もなかった秀吉は、「十人の力を借りれば十人力、百人の力を借りれば百人力。人の力を借りるには、人を喜ばせなくてはならん」と、ひたすら人を喜ばせることに心をくだいたそうです。それで、あれだけの大仕事を成し遂げたわけです。では、どうしたら本当に人を喜ばせることができるかです。佼成会を始めた当初、私は牛乳屋のおやじさん、妙佼先生はイモ屋のおばさんでした。けれども、人さまをお救いしたい一心で、ただひたすら相手のことを考えて尽くしました。苦しんでいる人を見ると、車に乗せてあげる。後押ししてあげて、仏さまの教えに導く。しかも、なんの見返りも一切求めないのです。すると、人が必ず集まってきてくれるのですね。相手の喜ぶことだけを考えていると、相手に何かしてもらいたいといった要求もなければ、不満も生まれません。こちらに感謝や尊敬を求める気持ちがあると、こんなに面倒をみてあげているのに、何ひとつ返してくれない恩知らずの人だ、などといった不満が頭をもたげてくるわけです。これでは、どんなにしてあげても、人が慕い寄ってくるわけがありません。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.29
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9/29 Thu人の持ち味 「一を聞いて十を知る」というような人ばかりがそろえば、なにごとも、とんとん拍子に運ぶだろうと考えがちです。ところが、そうした目から鼻へ抜けるような人というのは、先が見えすぎて、とかく次々と目移りしたり、人の言葉に耳を貸すことができずに我流を押し通したりしがちで、そのために組織を乱すようなことになりかねない欠点も持っているわけです。反対に、十聞かされても一つか二つしかできないというような人を見ていると、じれったくなるのですが、そういう人が、じっくりと一つのことに取り組んで、大きな仕事を成し遂げることがあります。とりわけ宗教教団では、そうした持続力こそ貴重です。どちらがすぐれていて、どちらが劣っているなどと決めつけられないのです。堅固な城の石垣は、丸い石、四角な石、三角の石がきっちりと組み合わされ、積み上げられて、びくともしないものになっているのだといいます。それと同じで、それぞれ特徴を具えた人が一つに結束してそれぞれの力を出しきれるかどうか。そこが組織の決め手です。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.28
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9/28 Wed可能性は半々だから大勢の人の先頭に立つリーダーは、あくまでも「この仕事をやりぬくのだ」という意志、そして、「これは必ずやり遂げられるのだ」という確信が、なによりも大事です。それが、周囲の人を引っ張っていく力の源泉だからです。リーダーは、みんなに新たな一歩を踏みだしてもらう、その先頭に立つ人です。これから始める仕事の可能性は半々であっても、出発点で「この仕事は果たしてできるのだろうか」と迷うと、天秤は失敗のほうに傾いてしまうことが多いものなのです。かつて「ミスター・ジャイアンツ」と呼ばれた長嶋茂雄さんは、ここぞという見せ場で必ず打つといわれたものでした。その秘訣について長嶋さんは、「そういう場面でホームランを打つ自分の姿を、いつも頭に描いていることです」と話されていました。「打てるだろうか」「いや打てないかもしれないな」などと迷わないわけです。「この仕事は必ず成し遂げられる」と信じる力が、天秤を可能性のほうに傾けるのです。信仰の世界も同じです。「この教えどおり行じれば、必ず救われます」と言いきれる人でなくては、人は救えません。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.27
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9/27 Tue応病与薬「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」と仏さまが私たちに約束してくださっている法華経は、どんな人をも救いとる真理の教えです。しかし、たとえば病気の違い、病状の変化に応じて、お医者さんが与える薬が違うように、真理の教えも、その人に応じ、その苦しみに応じていちばん適切なかたちで、具体的に説いてあげなくては、本当に人を救うことはできません。その問題、その人に応じた処方が方便なのです。大法則だけを示して、これが理解できないようでは程度が低すぎる、などというのは慈悲が足りないのですね。この人をどうしても救わなければならないと真剣になったら、自分の体験でも知識でも、もう、ありったけ総動員して、全力を振り絞らずにいられません。その慈悲のほとばしりであったら、どんなに強い言葉でも、反発を買うようなことはありません。また、優しく包み込む言葉で相手を甘えさせたり堕落させたりするようなことは決してないのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.27
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9/26 Mon懐の深さ人間を練るのにいちばんいいのは、自分に反発する人、こっちの言うことを聞かない人にぶつかったときです。そういう人に出会うと、「人というものは一筋縄ではいかないものだ」と思い知らずにいられません。なんでも「はい」「はい」と言うことを聞いてくれる人と違って、いちいち突っかかってきたり、こっちのアラばかり探しだそうとしているような人に真正面から取り組んで、「なんとかしてこの人に分かってもらいたい」と真剣になると、その突っぱっている態度の裏に隠された、その人の寂しさや弱さが、だんだん見えてくるようになるのです。その相手の心が見えると、もう他人事ではなくなるのですね。実際に、さまざまな人とぶつかり、取り組んでみて、「なるほど、人の心というものはこういうものだったのだ」とつかめると、腰がすわってきます。どんな人に対しても、たじろぐことがなくなります。それが、懐の深さになるのです。人間の本当の心の中が分からなくては、本当の思いやりは生まれません。それでは、人がついてきてくれないのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.26
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9/24 Sat世界の人に好かれる国アメリカでの調査で、「日本製品は非常によい」と答えた人が七三パーセントだったのに、「好きな国」となると、カナダの九四パーセントに対して、日本は六一パーセント、ヨーロッパ諸国に比べても極端に低いという結果が出たそうです。日本製品への評価もさることながら、世界の人に好かれる日本人になる努力が、より大切なのではないでしょうか。軍備拡張競争が、自国の防衛どころか経済の破綻を招き、国を危うくしてしまうことが分かってきたいま、どうしても新しい真の安全保障をつくりださなくてはならなくなっています。その安全保障のいちばんの基礎は、やはり人と人との信頼関係です。国と国の間で互いに好感情を持ってくれる友人をどれだけつくれるか、そのための努力こそ大切です。その友だちづくりには、お互いが共通の目的を持って、共に行動することが欠かせないと思うのです。世界の国々の経済の建て直し、地球の環境破壊防止など、いわば地球規模の人類の大問題も、世界の人びとが心を一つにして取り組むことができるようになれば、そうした難題が互いの心をつなぎ合わせるための好機に変えられていくのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.24
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9/23 Fri自分を燃やしきる「法華経の一偈一句でも聞いて一念でも随喜する者は、必ず最高の悟りを得て仏になれることを、私が保証します」と「法師品」で仏さまは約束しておられます。信仰は不思議なもので、ほんのわずかしか教えを知らなくても、「ありがたい、ありがたい」と言っている人は、次から次へ功徳を頂戴できます。ところが、あれこれ理屈をこねる人は、隅から隅まで教えを諳(そら)んじているようでも、なかなか功徳がいただけません。どこに原因があるのかというと、理屈だけの人は感激がないのです。それで打ち込み方が違ってくるわけです。教えの一句でも、感激を持って受け止める人は、その教えを行じることに自分を燃やし尽くします。自分を燃やし尽くせる人は、周囲の人をも燃えさせることができるのです。ですから、まわり中が功徳だらけになってしまって、もう、ありがたくてたまらなくなるのです。素直な心で一瞬の感激ができるか、いたずらに理屈をこねまわして、行がおるすになってしまうかの違いで雲泥の差がついてしまうわけです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.22
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9/22 Thu本当の敵は内側に お釈迦さまがご在世当時のインドの大国の一つマガダ国のアジャセ王が、ヴァッジ国を攻めようとして大臣を遣わしてお釈迦さまの意見をうかがったことがありました。お釈迦さまは、待者の阿難尊者に尋ねられて、ヴァッジ国の人びとが民主的な会議でものごとを決め、婦女子をいたわり、目上の人を敬い、篤い信仰心を持っていることを確かめられて、「それならば、この国は滅びることはないであろう」とおっしゃられました。その報告を聞いて、アジャセ王はヴァッジ国の征服を断念したのでした。これが国が衰滅しないための不退法の教えです。たとえば野球のチームでも、メンバーが互いにかばい合い、信頼し合っているとき、そのチームは最高の力を発揮します。自分が大切にされている喜びで、それぞれが力を出しきり一丸となるからです。逆に、メンバーが互いに背を向け合うようになると、どんなに力のある選手がそろっていても、相手チームにつけ込まれてしまいます。本当の敵は外にいるのではなく、内側にいるのです。内部のひび割れが難を呼び寄せるわけです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.21
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9/21 Wed枝葉より幹が大事 一日中、口角あわを飛ばして議論しても、結局、なにもまとまらないといった会議が、ときどきあります。大筋とは関係のない枝葉のことばかりにこだわっているわけです。事を運ぶのに自分がどれだけ貢献できるか、犠牲を払えるか、その腹を決めて話し合えば、たちまち結論が出るのに、逆に、できない理由を滔々と論じているのです。なぜそんなことになるのかと見ていると、つまりは自分の立場が不利にならないようにと汲々としているのです。木も成長しすぎると枝葉が繁りすぎて、風も通らず、日も差さなくなって衰えてしまうものですが、組織も、うっかりすると伸びすぎた枝葉のほうばかりを大事にして、それぞれが自分の部署のことにばかりこだわって本筋を見失ってしまうことが起こりがちなのです。立正佼成会がめざしているのは、人びとを仏道に入らしめ、自他共に仏道を行じて真の幸せにいたるところにあります。その本筋をしっかりと見すえて、どの枝を払い、何を守るか、賢く判断していかなくてはなりません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.20
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9/20 Tue六十点で満点 お姑さんにどこからも文句をつけられないようにとがんばりすぎて、ノイローゼになりかけたお嫁さんが、「家事は完全になんかできるものじゃないの。六十点満点でいいんです」と教えてもらって気が楽になり、「なるほど、そうだ」と心を決めてしまったら、お姑さんと気持ちが通い合うようになった、と話してくださる方がおられました。ボロを出すまいと気張っていたときは、知らず知らずお姑さんに対して身構える姿勢になっていたわけです。それでは努力すればするほど、お姑さんとの間はおかしくなってしまいます。人の上に立つリーダーの場合も同じなのですね。「下手なことを言って、揚げ足をとられてはならない」と、いつも身構えてばかりいるのでは、部下がついてきてくれません。少しの隙も見せないという人は、冷たそうで、近づきがたい人に見えてしまうのです。六十点か七十点満点でいいのだ、と腹の中をさらけだせるようにならないと、本当に大勢の人の信頼を集めるリーダーにはなれません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.20
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9/19 Mon下り坂も一生懸命に米ソの冷戦が終わり、世界はすぐにも平和になるのかと思ったら、なかなかそうはいきません。湾岸戦争が火を噴き、東欧諸国やソ連で政治・経済の混乱が続き、日米間の摩擦も強まる一方といった報道が相次いでいます。世界は危機的な様相をさらに深めていくのではないか、と危惧する人も多いのですが、こういうときにいちばん大事なのは、枝葉の情報に振り回されて大局を見失わないことです。世界の大きな流れを見定めなくてはならないのです。ものごとは一気になるものではありません。川の流れも一気に流れ下るのでなく、右へ左へと大きく蛇行して海へ注ぎます。登山も、登り道だけでなく、ときには谷に下る道も一生懸命に歩かなくては、めざす頂上に着けません。世界が平和と安定へ、独裁から真の民主主義へと向かっていることは間違いない事実です。しかし、なんの努力もせずに平和は実現するものではありません。人びとが宝の山へ向かう険悪道でへたばりかけたとき、化城を浮かび上がらせて人びとの気力を奮い起こさせたリーダーの役を、世界の宗教者が力を合わせてつとめなくてはならないと思うのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.19
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9/18 Sun不平が自分を苦しめる「口は禍の門」といいます。うっかり口にした言葉が、災難の元になるわけです。『懺悔経』ともいわれる『仏説観普賢菩薩行法経』には、「舌根は五種の悪口の不善業を起す」と説かれ、また八正道の「正語」の教えでも、妄語(もうご=嘘)、両舌(りょうぜつ=二枚舌)、悪口(あっく=わるぐち)、綺語(きご=いいかげんな言葉)など、すべて自ら禍を呼び寄せる元になる、と戒めています。とりわけ修行の妨げになるのは、不平を口にすることではないでしょうか。不平というものは、いったん口から出すと、その言葉によって自分の不平不満が倍にも三倍にもふくれ上がっていきます。そればかりでなく、まわりの人にも悪い影響を及ぼしてしまうのです。自分の口ひとつで、なにもかもつまらないものにしてしまうわけです。これが自ら苦をつくりだす「苦語」です。それとまったく逆に、どんなことにも満足して、それをいつも口に出して言うことにしている、という方がおられました。毎日の奥さんの料理でも「うまい、うまい」と口に出して言うと不思議においしくなるものだといわれるのです。同じ口から不平の言葉が出るか感謝の言葉が出るかの違いで、人間関係も環境も、まるで違ったものになってしまいます。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.18
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9/17 Sat耕された心 カルチャー教室が大はやりです。カルチャーとは教養や文化のことで、「耕す」という言葉が語源だそうです。心が柔らかく耕されていてこそ教養ある人といえるのではないでしょうか。よく耕された土は、すべてを受け入れてはぐくみ育てるように、豊富な知識を具えるのは、それによって偏見や固定観念を離れて、ものごとをさまざまな角度から見られるようになるためなのです。ところが、うっかりすると逆に、たくさん詰め込んだ知識をこれみよがしに振りかざして、それで人を見下したり、人の言葉には耳も貸さないという態度をとってしまう人がいるのですね。『法華経』には「諸の有ゆる功徳を修し柔和質直(にゅうわしちじき)なる者」という言葉があります。本当によく耕された人となるためには、知識を学ぶのと一緒に、人に奉仕する実践が必要です。それが功徳を積むことです。人の幸せのために働くことなどなにひとつしようとせず、ただ自分を偉く見せるための勉強であっては、心を耕すどころか、博識で武装した独善的な人間になってしまいます。「学んだことの証は変わることである」という言葉があります。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.17
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9/16 Fri一か月だけの入会お釈迦さまの降誕会に、横手教会の教会長さんが、たいへんおもしろい説法をしてくださいました。かつて、教会長さんは会社の先輩に佼成会の道場に誘われて入会をすすめられたのですが、道場の会員さんの姿を見て、「世の中には、こんなにだまされやすい人がいるのか」と、あきれてしまったというのです。しかし、日ごろ尊敬している先輩のすすめなので、断わる口実に「一か月だけでやめさせてもらえますか」と条件をつけて、入会したのだそうです。ところが、『人間らしく生きる』という私の著書をすすめられて読み、大会で私の説法を聞いてすっかり安心してしまい、一か月経って、先輩から「もう一か月経ったんだから、やめてもいいよ」と言われても、やめるどころか、それから二十数年間“ご法漬け”になって、とうとう教会長のお役をさせてもらうようになったという説法でした。道元禅師は「正師を得ざれば、学ばざるに如かず」とおっしゃっています。教えのありがたさは、いっぺんに分かるものではありません。道案内役の私たち一人ひとりが、自ら光を発して道を照らし、案内してあげなくてはならないのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.16
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顔に自信を持つ毎田周一先生のご本の中に、こんな言葉があります。『世の人の顔が皆同じだったら、人は生きる望みを失ふだらう』。私たちはよく、自分の顔に自信が持てないとか申します。しかし、毎田先生のお話ですと、とにかく一人ひとり顔が違っていることが大事なようであります。同じ顔ばかりでしたら、望みを失ってしまうということです。もう一つ、次のような言葉もあります。『あなたのそのお顔は、世界に唯一つしかない顔です。自信をお持ちなさい』。顔に自信を持つということは、俳優とかタレントさんならば、そういう人もいるでしょうが、普通は、なかなか自信が持てなくて困っています。しかし、「世界に唯一つしかない顔」ということになりますと、これは自信喪失などしていられない。大変貴重なものだということになるわけです。本当に、自分の顔は世界に唯一つしかない貴重な顔なんだ、そんな気持ちで生きてまいりたいと思います。『佼成新聞』より
2011.09.15
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9/15 Thu心の奥底の求めアルコール依存症の人や拒食症の少女などを見ると、「こうなっては、とても自分たちの手には負えない」と思ってしまいますが、そうして周囲を拒絶している人も、「私は弱い人間なんだから、しっかり抱いてほしい」と、体で愛を求めているのだと専門の先生からうかがったことがあります。仏さまは「衆生の深心の所行を知つて、通達無礙(つうだつむげ)なり」とおっしゃられます。人は、言ったりやったりすることと、心の深いところで求めているものとが違っていることがしばしばあるのです。みなさんも人に優しくしたいと思いながら、つい邪険にしたり、善いことをしなくてはと思いながら、怠け心に引きずられることがあるのではないでしょうか。とんでもない悪事をおかしてしまう人でも、良心のかけらもないという人はいません。いけないことだと知りながら心ならずも悪に引き込まれて苦しんでいる、その奥底の心を見ようとせずに、表面の言動だけで人を裁いてはならないのです。まず自分自身の心を深く見つめることができなくては、人と苦しみを共にする同悲は生まれません。その慈悲がなくては、人は救えないのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.15
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9/14 Wedだれからも好かれる人 春四月は、新しい出会いが多い時です。とりわけ若い人たちは、職場での新しい上司や同僚との人間関係が心配で、「人に好かれる方法はないものか」と苦心している人もいると思うのですが、いちばん確実な方法は、こっちが相手を本当に好きになってしまうことです。よく「私はどうして異性にもてないんだろう」と悩んでいる人がいますが、そういう人は、自分のいいところだけを見せようと格好ばかり気にしているのですね。すましこんだり、高尚な話をしたりして、肝心な相手を少しも見ていないのです。それよりも相手を好きになってしまうほうが早道です。人は自分に好意を持ってくれる人を自然に好きになるものなのですから。法華経には、三十三身を現じてどんな人も救わずにおかない観世音菩薩が登場しますが、その名の「観世音」とは、相手の心、相手の願いを見通すという意味です。「私は口下手でお上手を言えないから」とあきらめている人がいますが、「愛語」とは、多く話すより聞くことを多くすることといってもいいでしょう。だれの、どんな話にも親身になって耳を傾けられるようになったら、だれからも好かれる人になります。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.14
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9/13 Tue仏さまは大衆の中に NHKの大河ドラマ『太平記』の原作者の吉川英治さんが、「われ以外みなわが師」という言葉を生涯のモットーにされていたことは、よく知られています。吉川さんは横浜のドックの職工をはじめとして、二十もの職業を転々としながら独学をされた方ですが、「大衆は大知識」と、よく言われていたそうです。みんなの中に入って、みんなの気持ちで書かなければならない。テクニックではごまかせない、と身をけずる努力をした、と語られています。吉川さんの書かれる文章が大衆に希望を与え、大衆に愛され続けているのは、この努力から生まれたものでしょう。教えてやるのだ、引っ張り上げてやるのだといった姿勢では、多くの人を感動させることはできません。真宗中興の祖といわれる蓮如上人は、「上臈(じょうろう)ふるまひにては成へからす」と、常に戒められていました。貴族ぶったり尊大に構えていると、民衆にそっぽを向かれてしまうと言われ、ご自分も門徒の人たちと席の上下なくすわって、一人ひとりの話に耳を傾けられたのです。その民衆の中にこそ仏さまがいらっしゃることを教えておられたのですね。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.12
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9/12 Mon身についた習慣の力 たとえば柔道の投げ技にしても、また野球のバッティングやゴルフのスイングにしても、「こうやるんだ」と教わって、すぐ、そのとおりやれるものではありませんね。毎日、繰り返し繰り返し練習して自分の身について初めて、試合でその技が出てきます。信仰も同じで、理屈は一度聞けば分かりますが、それを本当に自分のものにするには、毎日毎日の行が欠かせません。とかく人は、その気さえあればなんでもできるように錯覚しがちなのですが、習慣の力の大きさを忘れてはならないのです。よい習慣も悪い習慣も、それが身につくと、人の意志も、判断力も、その人の人生までも支配してしまいます。よい習慣が身につくと、ことさら意識して努力しなくても、やすやすと事が成っていきます。逆に、悪い習慣がついてしまうと、自分の意志に反してずるずると引きずられていってしまうのです。毎日出会う人、出合うことに対する見方、考え方、行動が自然に教えにかなうようになっていく習慣づけがどんなに大切であるかが分かります。習い性にしてしまうその訓練の場がサンガであり、道場なのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.12
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9/11 Sun老けこみ方の違い私が立正佼成会の会長になったのは三十一歳の時でした。頭も黒々としていたのですが、五十年余も説法してきますと、屋根もだいぶいたんでまいりました。しかし、これは自然現象ですから、ちっとも苦にはなりません。今日まで、人さまに一心にご法を説かせていただいてこれたことがなによりもありがたくて、その日その日に起こったことを日記に書いたあとに、「今日も楽しく終わった。ありがたいお手配だった」と書き加えるのです。こうして毎日の変化を感謝で素直に受け止める生き方が、そのまま「生老病死を度(ど)し涅槃を究竟(くきょう)する」ことだといってもいいのではないか、と私は思うのです。年のわりに老けこんでしまう人と、とてもその年には見えない人とがいますね。その差が、年とともに開いてきて、五十歳を過ぎるとプラス・マイナス十歳以上になるといいます。それは気力の差が大きく影響しているように思えます。どんな変化も感謝で受けようとする心から、謙虚さ、優しさ、楽しさがあふれてきます。幸せの源泉は、そのへんにあるのではないでしょうか。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.10
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9/10 Sat水勢に逆らわず全長五四〇〇キロメートルにも及ぶ中国第二の大河である黄河は、中国古代文明の生みの親ですが、暴れ始めると、すべてを押し流す狂暴な川に一変してしまいます。堯(ぎょう)の時代、その治水を命じられた鯀(こん)は、九年もかけて堅固な堤防を築きましたが、出水で決壊し、失敗してしまいます。そのあとを受けた禹(う)は、流れを防ぎ止めようとせず、水勢に逆らわずに水の道を造って誘導する方法で、見事に成功したのでした。人を導くのも同じなのです。人が不平を漏らすのは、何かわけがあるからです。それが自分勝手のわがままにみえても、「不平があるのなら、不平のままでけっこう。みなさんの言いたいこと、聞きたいことを、なんでも話し、聞かせてください」と、まず耳を傾けていく。そんなことは取るに足りないことだと押さえつけようとすると、表面は従っているようにみえても、内に鬱積したものが、いつか爆発してしまいます。もつれた糸をじゅんじゅんに解いていってあげるのが、上に立つ人の役目です。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.10
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9/9 Fri自らを度す心ご主人のお酒やたばこの量を、なんとかして減らしたいと願っている奥さん方が多いのではないでしょうか。経済的なこともさることながら、なによりもご主人の健康が心配で、つい口うるさく言ってしまうのですが、なかなか聞いてもらえません。子どもの勉強も同じで、口で言って聞かせて、すぐにやってくれるのなら苦労はないのですが、そうはいきません。人は自分がその気にならないかぎり動きだすものではないからです。どうしたら、その気になってもらえるかです。一日に百本も吸っていたたばこをやめようとして何度も失敗していた人が、きっぱりとたばこをやめることができたという話を聞きました。その決め手になったのは、隣の部屋で奥さんが、「お父さんは、たばこをやめて今日でもう十日目ね。尊敬するわ」と、子どもたちと話しているのを聞いたことだったというのです。その、たったひと言が、なによりもの励ましになったわけです。『無量義経』には、この経は「菩薩の未だ発心(ほっしん)せざる者をして菩提心を発(おこ)さしめ」とあります。「自ら度する心を起こさしめる」秘訣は、このへんにありそうです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.09
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9/8 Thu人の喜びを喜べる人 「妻の前で、間違っても他の女性のことをほめないことにしているんです」と言う人がおられました。ご主人のお母さん、つまり奥さんにとってはお姑さんの料理をほめても、奥さんが自分へのあてつけのようにとって、ひがむというのです。女性のひがみとはちょっと違うかもしれませんが、人の喜びをわが喜びとし、人の苦しみ悲しみをわが苦しみ悲しみとすることは難しいことなのですね。人の苦しみに同情することはできても、人がほめられたり、抜擢されて昇進したりするのを心から喜んであげるのは至難なことなのです。口では「おめでとう」と言いながら、心の中は「あの人がほめられるくらいなら、私だって」という思いがわいてくるのです。人は自分では気づかずに人のアラを探す虫眼鏡を持ち歩いているといいます。自分よりかなりすぐれた人を見ても、「まあ、私と同じくらいかな」としか見えない。自分と同じ程度の人は、はるかに下のように見えてしまうわけです。人の喜びをどれだけ喜べるかが、自己中心をどれだけ克服できているかのバロメーターになるのではないでしょうか。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.09.07
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9/7 Wedお手本の大切さよく人さまから「開祖はどんな人に会ってもよいところを見られ、どんなことに遭っても、いいほうに解釈されますが、何か秘訣があるのですか」と尋ねられることがあります。秘訣といえるかどうか知れませんが、私はいつも、仏さまなら、こういう人にどう対されるか、こういうことに対してどう考えられるかと思い起こして、その真似をさせてもらおうとつとめてきました。子どもは親の真似をして大人になりますね。弟子はお師匠さんをそっくり見習って一人前になっていくわけです。みなさんも、「あの人のようになりたい」と思うお手本があったら、そっくりその人の真似をしていれば、いつのまにかそうなってしまうのです。毎日出会う人、出合う出来事の一つ一つを、経典に照らしてそこに示されたとおりに実行していくのが、本当に法華経を読誦すること、つまり身読です。約二千五百年前に入滅された仏さまは、私たちの肉眼では見ることはできませんが、経典に示されたとおりに実行すると、目の前にその仏さまがありありと見えてくるのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.06
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9/6 Tue仲間との出会い毎朝のテレビ小説を見ていても、「こういう考え方になれば、あの人もすぐ幸せになれるのに」と、歯がゆくなることがあるのですね。みなさんのまわりにも、そういう人がおられると思うのです。狭い自分の見方・考え方に凝り固まって、自分で苦しみをつくりだしているわけです。そういう人を、自分の力だけでは説得する自信がなくても、「道場にご案内すれば、教会長さんがおられる、支部長さんがおられる、親身になって心配してくださる仲間がたくさんいる」と信じきっていれば、ひと声かけて法座にお連れしないではいられなくなります。みんなの力で、そういう本物のサンガをつくりだそうではありませんか。「大歓喜を生じて自ら当に作仏すべしと知れ」という言葉が『法華経』の「方便品」にあります。腹の底から揺さぶり動かされるような感動を覚えると、人は百八十度変わってしまうのです。その感動というのは、人と人の心が本当に通い合ったときに生まれます。それが魂の出遇いであり、道場がその出遇いの場になってこそ本物のサンガといえましょう。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.05
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9/5 Mon本物の魅力ご命日の説法で、福岡教会の支部長さんがこんな話をされました。支部長のお役の声がかかって迷っているとき、銀行の支店長をされているご主人が、こんなアドバイスをしてくださったというのです。「お役を離れても、どれだけの人が本当に自分を慕ってくれるか。その、人間の本当の魅力を身につける修行をするつもりなら、お役を受けさせていただきなさい。私も職場でそれを心がけているんだよ」と。人を救う菩薩の四つの資格の一つに、「同事」ということがあります。同事とは、相手と同じ立場に身を置くことです。観世音菩薩はその人その人にふさわしい姿で身を現わされて、「つらいね」と隣で言ってくださいますね。高みに立って「こうしなさい」とは言われません。いつも人さまと同じ立場に身を置いて、一緒に仕事をさせてもらっていると、それぞれの人が口には出さなくても、胸にさまざまな思いを抱いているのが見えてきます。その思いを本当に分かってあげられる人間になりたいと努力していくのが、本当の人間の魅力を具える修行です。菩薩行の目標はそこにあります。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.05
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2011年10月2日12:30より 一乗行進ライブ配信!!今年も「お会式・一乗まつり(おえしき・いちじょうまつり)」の季節がやってまいりました。お会式は、日蓮聖人のご命日(10月13日)にあわせて行われる法要のことで、700年以上に渡って続けられている伝統的な行事です。本会でも、日蓮聖人、そして本会の創立者・庭野日敬を慕い、心豊かに、あたたかな社会実現の決意を、この行事を通して表現してきました。隊列に参加される方はもちろん、縁の下の力持ちとして支えてくださる方、沿道から応援してくださる方、沢山の方々がそれぞれの場所で役割を精一杯果たし、こころをひとつにすることで、「お会式・一乗まつり」がつくり上げられていきます。私達は皆、同じ地球に生きる、同じ一つの乗り物に乗っている仲間。だからこそ、心おおらかに、互いを認め合い、協力して生きていこう…それこそが、私達の伝えたい一乗の精神なのです。この「お会式・一乗まつり」を通して、多くの人と共に生きる世界、前を向いて歩く祈りの明るさや強さを感じていただけたなら幸いです。当日は、立正佼成会大聖堂周辺で、海外の会員などを含め総勢約6千人が参集し、勇壮な行進を繰り広げます。また、模擬店やお子さんが楽しめるキッズランド、さらには各地の名産品や特産物を販売している物産展などもございます。毎年約2万人が集まる「お会式・一乗まつり」に、多くの皆さまがご来場いただけますことを心よりお待ちしております。
2011.09.05
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死ぬまで精進ロボット博士として知られる森政弘先生のご本の中に、こんな言葉がございます。『精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わったらまた精進......』これは仏教徒の意気込みというものでありましょう。仏教徒の精進とは、本当にそういうものだと思います。これで出来上がった、というものでは決してありません。永遠の真理というものを、私たちが一個人としてすべて把握できるということはあり得ません。精進がずっと続いていくのであります。そもそも、私たちが生きるということは、学ぶということであろうと思います。学生という言葉がありますが、これは学校に学ぶ生徒さんだけではなく、仏教徒である私たちは、一生、学生であります。学ぶことは生きること。生きることは学ぶこと。私たちは、次々と新しいことを学んでいくのですから、それは創造ということにもつながります。生涯教育、一生が学びの期間であり、そうした姿勢が私たちの本当の、本来の精進なのです。『佼成新聞』より
2011.09.04
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本当の意味のご守護私たちは、生きているのではなく、生かされている。それが仏さまの教えてくださっている一番肝心なところだと思います。私たちは、星のお陰さま、お日さまのお陰さま、お月さまのお陰さま、大地のお陰さま、もうあらゆるお陰さまの中で生かされています。そうしたことに気づくこと、人間は護られているんだということに気づくことが、本当の意味のご守護であると思うのであります。もう、すでにご守護を頂いている。そのことに感謝していくことが、私たち仏教徒のご守護の受け取り方なのです。『佼成新聞』より
2011.09.03
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9/2 Fri意柔軟(こころにゅうなん)でいられる秘訣(ひけつ)先日、ある新聞社から「あなたの好きな言葉」「座右の銘」ともいうべきものがあったら、六百字ほどの原稿にまとめてほしいという依頼がありました。私どもが所依の経典としている『法華経』には、すばらしい言葉がたくさんあります。その中から私は「意柔軟」という言葉を選んで、原稿にまとめました。意柔軟とは、心が柔和であることで、がんこの反対です。これは軟弱とはまったく違います。真理に対して素直であり、従順であることです。とりわけ昨今は自己主張と対立に明け暮れる人びとが多くなっているように思えるのですが、それは、なんでも枠(わく)にはめ込んで考え、自分の主義主張に凝(こ)り固まっているからではないでしょうか。そのため素直に相手の意見に耳を傾けることができない。これでは自分の進歩向上は望むべくもありません。自分のいるそのすべての場所が道場であるという考え方は、意が柔軟であってこそ可能になります。それでなくては、一切から学ぶという姿勢、いたるところが道場であるという考え方は生まれてこないのです。それが生涯(しょうがい)教育だといってもいいと思うのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.09.01
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