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10/31 Mon妙法を呼び奉るこちらの心が浄まると、この世界がそのまま「天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)」の世界になる、と「如来寿量品」に説かれています。けれども私たちにはなかなかそうは見えず、社会のさまざまな汚ればかりが見えてしまうのです。しかし、まわりの汚れを見る前に、自分の心の汚れを除く努力のほうが大切ではないでしょうか。「口に妙法を呼び奉れば、わが身の仏性も呼ばれて必ず顕われ給う」と日蓮聖人は教えられました。法華経には、仏さまの願い、諸菩薩の願い、そして数知れぬ人びとの願いが込められています。その経典を毎日、朝夕に読誦する行によって自分が次第に浄化されていくと、「困った人だ」と見ていた人が、その奥にけがれのない心を持っているのが見えてきて、それに気づかずにいる不愍さに胸が痛んできます。桑名教会の信者さんが、こんな説法をしてくださいました。大聖堂の当番団参で心の底まで洗われた気持ちになったときに、ご本仏さまが自分にほほえみかけてくださっているのが見えて、「ああ、いままで自分の目が濁っていて仏さまの本当のお姿が見えなかったのだ。みなさんのきれいな姿が見えなかったのだ」と初めて気づけた、とおっしゃるのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.31
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10/30 Sunリーダーの資格指導的な立場の人が具えなければならないものとして、先見性とか決断力とか、いろいろ挙げられます。なかでも、これを具えなくては長の資格はないという、いちばん大事なものはなんでしょうか。それは、人びとの信頼だと私は思うのです。みんなの信頼が得られなくては、どんなに立派な言葉を並べて説得しようとしても、人の心に届きません。心から信頼されているリーダーならば、たったひと言で相手を変えてしまうこともできるのです。では、その信頼はどこから生まれるのかというと、まず第一に、正直であることです。表から見ても裏から見ても少しの違いもない。それからもう一つ、なによりも人を大切にする心を持っていることです。上の人には揉み手をしてすり寄るけれども、部下に向かうとガラリと態度が変わって怒鳴りちらすというような人は、論外です。それは、自分の立場ばかりを大事にする人です。リーダーは、自分を捨ててみんなの幸せを考える人でなくてはなりません。幸せも成功も人間関係がもと。人間関係を大事にできない人は何をやってもだめだ、と言いきってもいいでしょう。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.30
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10/29 Sat法を聞く者相撲は立ち合いで勝負が半分ついてしまうといいます。自分の立ち合いができれば、こっちの得意な組み手、攻めと先手がとれて、相手は相撲をとらせてもらえません。しかし、その立ち合いを本当に会得するのには、泥まみれ、砂まみれの稽古に明け暮れ、何場所も土俵を踏んで、あるとき「これだ」とつかめるのだといいます。それをつかんでしまえば、もう滅多に負けるものじゃない。信仰も、たくさんの教えを覚えるのもけっこうなのですが、一つの教えを繰り返し繰り返し実行して、「これだ!」と本当に自分のものにしてしまうことが大切です。一つでもつかめると、仏さまの世界にスッと入ってしまって、なにごとにも動じない自信ができてくるのです。「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」と、仏さまが私たちのすべてが仏になれることを保証してくださっている、その条件である「法を聞く者」とは、教えの一句でも実行し続ける人という意味です。法華経では八歳の竜女が瞬時に仏になるさまが語られていますが、舎利弗(しゃりほつ)尊者を瞠目させたその成仏のカギはそこにあると思うのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.28
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10/28 Friわがままが通る怖さわがままがまかり通っている人を見ると、うらやましくなることがあります。しかし、そういう人は、じつは気の毒な人かもしれないのですね。私たちの体の中には、いろいろな臓器があります。たとえば肝臓は養分の貯蔵と解毒作業をしてくれていますが、その肝臓の一晩の解毒能力は、日本酒の場合で三合だそうです。ところが忠実な働き者の肝臓は、主人が毎晩ガブ飲みしても「私はもうこれ以上は働けません」などと文句を言いません。われとわが身を犠牲にしてでも、自分に与えられた仕事を一生懸命にこなしていきます。それをいいことに、ご主人さまがいい気持ちで飲み続けていると、さすがの肝臓も力尽きて、倒れてしまいます。毎晩五合の酒ならば、間違いなく十年で肝硬変になってしまうそうです。人の集まりでも同じで、わがままがまかり通っているのは、まわりのだれかが犠牲になってくれているからなのです。そのありがたさに早く気づいて自分の生き方を変え、まわりの人をいたわってあげないと、やがては命取りになりかねません。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.28
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不平不満という殺生不殺生戒とは、生き物を殺してはならないということですが、大乗仏教がとらえる不殺生戒とは、どうも私たちが頂いたいのちに不平不満をいってはならない、ということに大きな意味合いがあるようであります。私たちは、いろいろ人と比較したりして、卑屈になったりしがちです。しかし私たちは、頼んだり、注文をつけたりしてこの世に生んで頂いたわけではありません。自分で努力をしていのちを得たわけでもありません。授かったいのちですから、是非や善悪などを言っても始まらない、そういういのちを頂いているのです。そのいのちに、いろいろと余計なケチをつけることが、不殺生戒をおかすことになるんだ、ということであります。ですから、大きくとらえますと、不平不満を言っている人間というのは、もうそのことが殺生にあたると言えるわけであります。不平不満という殺生をおかすと幸せになりませんよ、ということであります。『佼成新聞』より
2011.10.27
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10/27 Thu鏡の中の自分「うちの子は親の言うことをちっとも聞かず、口ごたえばかりするんだから」と、いつもイライラしているお母さんがおられます。そういうお母さんをよく見ていると、ご主人に何か言われても、まず「はい」と返事をしたことがないという人がおられるのです。「はい」という返事より、「でも……」「だって……」と、自分の言い分を主張する言葉のほうが、先に口から出てしまうのです。ご主人のひと言ふた言に対して、ダッ、ダッ、ダッ、と機関銃のようにまくしたてて、相手を黙らせてしまうといったお母さんもおられます。それで「うちの子は口ごたえばかりして」と子どもを叱りつけても、効き目のないのは当然です。子どもは、お母さんのお手本どおりにやっているのですから。わが子は、親のゆがみまでそっくりそのまま映して見せてくれる鏡なのです。やはり、お手本のほうを直すのが先です。わが子は、親の自分の欠点を教えてくれるお師匠さんだと拝む心になると、そんなに口うるさく言わなくても、子どもは自然に変わってきます。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.27
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10/25 Tue良寛さんの涙良寛さんが放蕩者の甥に意見してほしいと頼まれて出かけ、その家に何日も逗留しながら、なんの話もしようとしない。とうとう帰る日になってしまい、良寛さんは玄関先で、その甥に自分のわらじの紐を結んでほしいと頼みます。その甥の手の甲に良寛さんの涙がポタポタ落ちてきて、放蕩息子がいっぺんに目を覚ましたという話があります。人を本当に目覚めさせるのは、言葉だけにかぎりません。自分がどれだけ相手のことを思っているか、心配しているか、その思いが伝われば、相手は心を揺さぶられます。天台座主の山田恵諦猊下が、「人一人救うのは大変なことだが、佼成会の信者さんはそれをやすやすとやっておられる。相手の心を開いてあげられるからですね」と、おっしゃってくださったことがありました。いきなり「あんたの、ここを直さなくてはいけません」とズバリと指摘したのでは、相手は自分の傷口をかばって、苦の大もとをかたくなに抱き締めてしまいます。心の鎧かぶとをはずしてあげさえすれば、自分のことを思ってくれる言葉が身にしみて、自分で歩きだしてくれるのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.25
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10/24 Mon接し方が変われば家族に嫌われるお父さんの筆頭に挙げられるのは、夕食のあと、いつまでもお酒を飲んでいるお父さんだそうです。家族に小言をいつまでも繰り返し言い続ける。家族が何を言っても、こっちの言うことなど聞いてもくれない。いつも自分中心で、ぜったいに自分を変えることがない……。確かに、そういうお父さんもいます。しかし、あきらめてしまってはなりません。「諸行無常」とは、どんなものも、どんなことも同じ姿でいるものはなく、刻々と変化し続けるという真理です。それなのに、どうして絶対にもう変わりっこない人がいるように見えるのかというと、こちらの対し方が変わらないからなのです。がんこなお父さんも、いま、たまたまそういう態度をとっているだけで、必ず変わります。なんで変わるのかというと、家族の接し方なのです。これが「諸法無我」の真理です。「このお父さんには、何を言ってもむだなんだ」と決めつけずに、思いきって、こちらの接し方を変えてみる。話しかけてみる。すると、必ず変化が現われて、お父さんの本当の心が顔をのぞかせてきます。そこに働きかければいいのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.24
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10/23 Sun拝み続ける人信仰も慣れが出てくると、形だけ立派でも心が伴わなくなりがちです。手を合わせて形は相手を拝んでいても、心の中で、「この人は、人の言うことにいちいち反発する困った人だ」などと思っていたのでは、相手は心を開いてくれません。法華経には、常不軽菩薩の礼拝行が説かれています。常不軽菩薩は、どんな人であろうが「この人は仏性を具えていて、必ず仏になる人だ」と、もう、ぜったいに信じきって拝み続けるのです。ですから、石を投げつけられても、杖で打ちかかられても、「あなたがどんなことをしようと、私は、あなたを信じて疑いません。あなたは仏になる人だからです」と拝み続ける。相手がどんなむちゃを言おうが、まったくおかまいなしです。文字どおり、拝み倒すのです。そういう人に出会うと、人は降参するしかないのですね。心の奥の奥に眠っている、けがれのないきれいな心がほとばしってくるのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.23
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10/22 Sat実行できるように説く仏教の教えは、難しい理論として説くのでなく、だれにも分かるように説くことがいちばん大事です。分かりやすくというのは、毎日の生活の中でだれもが実際に実行できるように説いてあげることです。それを聞いて、教えられたとおりに実行してこそ、教えのすばらしさが体験としてつかめます。自分が実際に体験したことは、信じないでいられません。そして、心の底から信じてしまうと、必ず結果が出ます。それを人さまに教えてあげずにいられなくなります。すると、聞いた人が次から次へ結果をいただくようになるのです。みなさんが求めていること、本当に聞きたいことを話してあげれば、だれもが身を乗りだし、全身を耳にして聞いてくださいます。仏教の教えによるご利益、功徳をみなさんが頂戴できるように、という一心で話させてもらうと、人がどんどん集まってきてくれるのですね。こっちの言いたいことだけで、人が聞きたくもないことを滔々としゃべって、相手の欲しいものは何も与えないという説法では、どんなにこっちが力んでも、人は動くものではありません。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.22
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10/21 Fri困難が発奮材料幸福の女神を「ぜひともわが家においでいただきたい」と招いたら、妹の不幸の女神も一緒についてきてしまった、という話があります。幸福もその裏側に落とし穴があるわけです。同じように、不幸も裏返すとそこに幸福の芽が隠されています。自分では一生懸命に努力しているつもりなのに、人に誤解されたり嫌われてしまうことがあります。精いっぱいがんばっているのに、逆の結果ばかり出ることもあります。それが続くと、だれもが腐ってしまうのですが、私は、みなさんが頭を抱え込むような、真っ青になるようなことが起こると、「いよいよおもしろくなってきたぞ」と、自分に言い聞かせるのです。自分に不利なことも功徳と受け取る。逆縁も善縁と考えて、努力して解決をめざす。それが仏道修行だと思うのです。私は若いころ、「あんたは毎日が平穏無事で刺激がないと、のんびりしてしまう。なにか事が起こると発奮する人だ」と言われたことがありました。難題が私には発奮材料なのです。精いっぱい努力をしていれば、必ず見ていてくださる人がいます。かりにだれが見ていなくても、仏さまはすべてご照覧です。それを信じられなくては本物の信仰者といえないと思うのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.21
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春夏秋冬すべて良い道元禅師が次のような歌を残しておられます。『春は花 夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて すずしかりけり』この中に、春夏秋冬ということが出てまいります。私たちは、夏は暑くて嫌だとか、冬は寒いからとか、いろいろ不平不満を言ってしまいがちです。しかし本来、夏は暑さがあるからいいわけです。例えば、海で遊びたいという人は、暑くなって海水温が上がるからこそ泳ぐことができ、また冬も、寒くなって雪が降るからこそスキーもできるのです。春夏秋冬というものを好きだとか、嫌いだとかいうことは、その人の見方によってどうにでもなってしまいます。同じように私たちは、あれが良い、これが悪いと、いろいろ是非とか善悪で物事を見て、不平不満を持つことが多々あります。この点、道元禅師は、春には花が咲いて綺麗ではないか、夏はほととぎすが美しい声で鳴いてくれるではないか、と申されています。また秋は月が出て美しいではないか、冬には雪が冴えてすずしかりけり、と、すべてのことを感謝に変えられています。私たちはとかく、感謝する前に、暑いとか寒いとかいう不平の方を先にしてしまいます。この歌は、不平不満というものをなくしていくことができたならば、私たちの人生がどんなに有り難いものに変わっていくかを、教えられているのです。『佼成新聞』より
2011.10.20
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10/20 Thu油を圧す殃 立正佼成会を始めたときに恩師の新井助信先生が、「いっぺんに油をたくさん採ろうとして、万力で一挙に菜種を押しつぶすようなことをしてはいけませんよ」と、アドバイスしてくださいました。これは「陀羅尼品」に出てくる「油を圧(お)す殃(つみ)」の教えです。ゆっくり時間をかけて搾らないと、よい油はできないのですね。人も同じで、自分の理論はぜったいに間違いがないのだから、みんなを同調させなくては、とあせりすぎると、こちらの本意が伝わりません。自分だけ孤立することになってしまいます。人が十人いれば、考え方も十色です。自分の考えを分かってくれないと腹を立てるほうがおかしいのですが、「自分は正しいことをしているのだ、善いことをしているのだ」と思い込むと、同調しない人が許せなくなってしまうのです。本当に納得していない人を無理やり引っ張っていこうとしても、カラ回りするだけです。回り道にみえても、一人ひとりに心から納得してもらったほうが、結局は早道です。そうした地道な努力を積み重ねてきたことで佼成会の今日があることを忘れてはなりません。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.10.19
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10/19 Wed協力者を得る法 商売でも、どうしたら売れるようになるかではなく、買ってくださる人の気持ちをいつも考えられるようになれば成功間違いなしだ、といわれます。人と人の関係の極意も、そこにあるのですね。それが、初めはみんな逆なのです。自分の考えだけが正しいと相手に押しつけてしまう。自分の意のごとくならないと気が済まない。これを自分勝手というのです。それでいくら力んでも、まわりは自分の思いどおりにはなりません。ですから私は、まず相手の意見を受け入れてしまうことにしているのです。そして、それに自分の考えをどう合わせられるか、調和させていけるか、考えるようにしてきました。そうすると、どんな人も安心して自分の力を出しきってくれるのです。いくら自分の意見を通してみたところで、一人の力でできることには限りがあります。自分と一つ心になって協力してくださる人材を、どれだけ得られるか。大事なのは、そこです。「みなさんが菩薩の行をなさる方だ」と拝む心になると、こっちの我など張る必要は、まったくなくなるのです。相手に合わせる気持ちになれば、相手も必ずあゆみ寄ってくれます。心と心は必ず通じ合うものなのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.10.18
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10/18 Tue誓願の大切さ 人間は弱いもので、善いことをしなくてはならないと思っても、すぐに怠け心のほうに引きずられてしまいます。いつも樹上で坐禅を組んでいる鳥カ[カはあなかんむりに「果」]禅師が、その地方の長官として赴任した白楽天に、「仏教とはどんな教えなのか」と尋ねられて、「悪をなさず善を行なって、自分を浄めるのが仏の教えである」と答えたのも、そこのところなのです。白楽天が「それくらいのことは、三歳の童子も知っていよう」と問い返すと鳥カ禅師は、「三歳の子どもが知っていることを、八十の翁もできない」と答えます。この人間の弱さを、どうしたら克服できるのか。そこに仲間(サンガ)の大切さがあるといえましょう。ただ心の中で願うだけではなく、大勢の仲間の前で言葉にしてお誓いをする。これが誓願です。信仰は個人の回心こそ大事といいますが、自分一人でそれができる人は、そう多くないのではないでしょうか。その人の仏性をみんなが信じきって、少しくらいの失敗はあっても温かい目で見守り続けてあげる。その励まし、期待に応えなくてはならないという意欲が、人を生まれ変わらせるのです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.10.18
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10/17 Mon子どもの安心子どもにとっていちばん大事なのは、外から帰ってホッとできるぬくもりのある家庭です。その家庭のぬくもりは、お父さんとお母さんの夫婦仲のむつまじさがあってこそ生まれてくるのですね。一家の和合は、かりに奥さんがいたらなかったら、ご主人がかばってあげる。ご主人の足りないところは、奥さんが一生懸命につくろってあげる。そうした支え合いがあって初めて、「互いに足りない者同士だから、二人三脚で人生を乗りきっていこう」という励まし合いが生まれてきます。そうして両親が心を一つにしている姿が、子どもになによりもの安心を与えるのです。逆に、夫婦同士で、どちらが正しくてどちらが悪いんだと言い合い、「お前だけが頼りなんだから」と、子どもの頭をなでてあげても、子どもはうれしいはずがありません。奥さんがご主人を立てる努力をしなければ、ご主人も奥さんをいたわることもせずに、いくら子どもに期待しても、子どもには重荷になるだけです。夫婦仲が壊れてしまった家には、子どものいる場所がなくなってしまうのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.17
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10/16 Sun総願と別願物や自由はふんだんにあるけれども、社会も世界も先行きどうなるのか分からないという時代ほど、青年の生き方が難しい時代はないでしょう。先ごろ『青少年白書』が出されましたが、街頭でのインタビューを聞いてみると、高校生は、ただ大学へ行くことだけで何を勉強するのかは考えていない。大学生は、卒業して将来安心な企業に就職することだけで、どんな仕事で自分の役割を果たすのかは考えていない。そういう人が大半だったといいます。仏教では、総願と別願の大切さを教えています。総願とは、なんのために人は生きるのかという大目的です。別願とは、その人、その時の願いともいえましょう。松下幸之助さんは、傘下の企業を合わせると数十万人という社員を抱える会社を築かれた方ですが、「人間として生まれたら、人間としての成功が大事。自分はまだまだだ」と言っておられたそうです。自分の人生の目標をしっかりつかむと、人は行動が変わってきます。それによって性格も変わってきて、偉大なエネルギーが噴出してくるのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.16
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10/15 Sat人の話を聞く名人どなたの言葉でも、いいことだと思ったら、すぐに今日から実行というのが、私の主義です。松下幸之助さんは、私と同じで小学校しか出ておられませんでしたが、だからこそでしょう、人の話を聞く名人だったと周囲の人が語っています。「大器晩成の人とは、終生勉強だという考え方を持っている人。見るもの聞くこと一切の体験を心して見れば、万事ことごとくわが師となる」と、松下さんは言われています。人の言うことには、ついケチをつけたくなったり、気に入らないことだとそっぽを向きたくなってしまうものなのですが、そこで感情に流されてしまうか、そこから何かを学び取ろうと努力するか、その違いで、その人の人生がまるで違ったものになってしまいます。『法華経』では、香りをかぐことも「香を聞(か)ぐ」と書かれているように、そのことの意味を本当に知ることが聞くことです。それができると、「見聞触知(けんもんそくち)、皆菩提に近づく」糧となっていくわけです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.15
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10/14 Fri異体だから協力できる "ロボット博士"として知られる東京工業大学名誉教授の森政弘先生から、こんな話をうかがいました。私たちの手のひらは五本の指に分かれていて、そのバラバラの指が、必要に応じて一致協力することで器用に作業ができる。これが、キャッチャー・ミットをはめたように五本の指がくっついていたとしたら、不便極まりないというのです。それと同じで、人も一人ひとりがバラバラで、性格も能力も違っているからこそ、一致協力すると、すばらしい力が発揮されるのだと森先生は言われるのです。ちょっと話が飛びますが、生物の中には性別なしに繁殖していくものがあるそうです。そのほうが、夫婦げんかもなければ浮気の心配もないわけで、よほどいいように思えますが、そういう生物は進歩がないというのです。男性と女性がまるで違っているのも、協力し合って何倍もの力を生みだすためなのですね。それによって、この世にかけがえのない生命を誕生させ、育てあげるという奇跡のようなことが可能になるわけです。同体同心ではなく、異体が同心になる努力こそ、力の源泉といえましょう。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.10.14
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10/13 Thu懺悔は精進の決意「これだけはやりぬこう」と誓ったのに、またできなかったとガッカリしている人がおられるかもしれません。しかし、思い立っても実行がいかに難しいかを思い知っただけでも、一つの前進だと思うのです。「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」と親鸞上人はおっしゃられます。ちょっと逆のように聞こえます。どんな悪人も広大なお慈悲でお救いくださる仏さまなのだから、まして善人をお救いくださらないはずがない、というほうが分かる気がします。しかし、「私は、これっぽっちも間違ったことはしていない」と思い上がると、仏さまのお救いも、教えも求めなくなってしまうのです。自分の弱さ足りなさを本当に思い知った人は、真剣に教えを求めずにいられません。その自覚を持った人こそ、仏さまのいちばん近くにいる人なのです。自分が弱くて間違いやすい人間であることを思い知ったら、新たな決定(けつじょう)をし直せばいいのです。今年だめだったら、来年は必ずと決心すればいいのです。それができれば願いは必ずかないます。懺悔とは、新たな決意で一歩を踏みだすことです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.12
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10/12 Wed万灯をともす人日蓮聖人のお逮夜には、勇ましい万灯行進が繰り広げられます。日蓮聖人は、「いまの日本国で最高の富者は、日蓮でありましょう。法華経に命を奉って、後の世まで名をとどめることができるのだから」とおっしゃられました。法華経に命を奉るとは、生死を自分が置かれたその場所に賭けることです。法華経は「たとえ花園であれ、林中、僧房、在家信者の家、宮殿であれ、その場に塔を建てて供養しなさい。そこが道場なのです」と教えています。自分に与えられた仕事、自分に与えられたお役に、はじけるような喜びを持って打ち込んでいくと、その姿が周囲の人びとの心に灯をともしていくのです。これが、その場その場に塔を建てることだといえましょう。自分がいま働いている職場、家庭、地域を修行の場として、人びとの心に灯をともしていくその喜びを、笛、カネ、太鼓を打ち鳴らし、マトイを打ち振って人びとに示していくのが、万灯行進です。二陣三陣となって、日蓮聖人に続く意気込みを示そうではありませんか。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.11
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10/10 Mon平和のためのコストカッとなってけんかするのと、がまんの子で耐えぬくのと、どちらが大変でしょうか。それぞれ事情が違い、立場が違っていれば相手の言葉や態度が理不尽に思えることもしばしばあります。国と国の関係になれば、なおさらです。いまや日米関係は真珠湾前夜だといった声があります。しかし、そういうときこそ冷静に考えてみなくてはなりません。過去の日本が不幸な戦争へ突入したのは、そうして感情的になってしまった結果であることを、歴史は物語っています。ここで私たちが忘れてならないのは、この日本は、世界が平和であるほかに生きる道がない国であることです。「人と人との間の平和の状態は決して自然のものではなく、絶えず敵対行為に脅かされているのであって、平和の状態というのは、つくりださなければ存在しない」と、有名なドイツの哲学者カントが言っています。平和を守るのには、戦争以上にお金も、手間もかかります。それに、さらに賢明さが要求されることを肝に銘じなくてはなりません。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.10
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10/9 Sun夫婦の相性毎晩一、二本の楽しい晩酌ならいいのですが、だいぶでき上がって帰宅した上に、さらに奥さんにお酒を出させる。しかも、いつまでも愚痴を並べたて、当たりちらすという毎晩に、もう愛想が尽き果ててしまった、という奥さんがおられました。どれほどの思いでこれまで耐えてこられたか、頭が下がりますが、耐えるだけでは、どこかで切れてしまうのですね。どうしてご主人がそういう行動をとるのか、一度考えてあげられないでしょうか。ご主人が奥さんにくどくどと愚痴を並べるのは、自分の思いを分かってくれる者はほかにいないと思い込んでいるからです。「お前だけは、おれの思いを分かってほしい」という訴えなのです。そこが分かると、毎晩お酒を飲んでくどくど言わずにいられないご主人が不思議でなくなってきます。家族が互いに相手の思いを分かってあげようと努力するのが家庭です。相性というのも、ただ性格が合う合わないではなく、お互いに、そばにいるだけで十の力が十二にも十五にもなるという関係のことです。相手を本当に分かってあげようと努力すると、互いにそういう相棒になれるのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.09
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10/7 Fri仏になる道法華経は、仏になるための教えといってもいいでしょう。では、どうしたら仏になれるのか。いつも申し上げるように「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」と仏さまは断言しておられるのですが、そう聞いて、「ただ聞くだけで、仏になれるのですか」と尋ねる人がいました。「聞く」とは、心の底から「そのとおりだ」と納得することなのです。それには、耳で聞くだけ、知識を蓄えるだけではだめなのですね。一つでもいいから真剣に聞いて、聞いたらそのとおりに実行する。すると、自分の一念で三千世界が変わる真理のはたらきがありありと実感できるのです。人さまをお救いしたいという慈悲心で活動したことのない人は、仏教の本当の教えの尊さがなかなか分かりません。教えのとおりに一つでも実行してみると、だれもが本当の喜びを味わえます。立正佼成会の歴史が、それをはっきりと証明しています。その菩薩行を一つ一つ積み重ねていけばいいのです。真剣に人さまのために打ち込むと、自分をしばっていた固定観念や身構えがほどけて、仏性が輝き出てきます。人さまを仏の道へお導きすること、それが自身仏になる道です。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.06
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10/6 Thuサンガのありがたさ 「険径(けんきょう)を行くに留難(るなん)多きが故に」という言葉が、『無量義経』にあります。大道を行けば、なんのさわりもなくスイスイと行けるのに、自分で険しい道を選んで、それで悪戦苦闘している人が多いのです。素直に教えを信じ、人を信じていけばいいのに、いちいち人を疑ったり、腹を立てたり、反発したりしているのがそれで、素直に大道を行く倍も骨を折って、それで苦しみをさらに大きくしているわけです。「我」という字は、手に戈(ほこ)を取って自分を守る、という意味を表わしています。自分を守ろうとして戈を取ると、とたんに不安が生まれ、疑惑にとらわれて自ら険径にはまり込んでしまうのです。平坦で、苦労なしにスイスイと極楽へ運ばれていく大道へのいちばんの近道は、自分のことよりも、まず人さまの幸せをと願って行動している人たちの仲間に入ってしまうことです。そうすると、知らぬまに自分も大道をあゆんでいるのです。これがサンガのありがたさです。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.10.05
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10/5 Wed勤・倹・譲 二宮尊徳翁は、疲弊した貧しい村をよみがえらせる「村興しの神さま」と尊敬されました。尊徳翁は、人として生きるいちばん大事なことは「勤」、つまり生活に必要なものを作りだすこと、「倹」それを浪費しないこと、「譲」それを人に譲ることの三つであると説き、とくに「譲」の大切さを強調しました。いまは時代が大きく変わってしまって、勤勉が悪徳のようにいわれることがあります。効率よく利益を得るためには手段を選ばない、といった考えがまかり通っているようにもみえます。しかし、それがどんな社会を招いてしまうか。すでにその兆候が、社会のあちこちに現われ始めているのではないでしょうか。経済とは、全体と個が互いに生かし合いながら、みんなの幸福を実現していくこと、つまり「共生」の規範を意味する言葉だったといいます。自分の儲けだけを考えるのでなく、人さまの利益を優先して一心に働き、得られた利益を、また社会に還元していく。それによってもたらされる物心両面の豊かさこそが、真の豊かさでありましょう。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.10.04
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10/4 Tue成功と失敗 失敗が好きな人はいませんが、極端に失敗を恐れて何もしない、何もできないという人が、若い人に多くなっていないでしょうか。事を始める前に結果を考えたら何もできません。とにかく、まず全力を尽くしてやってみる。それで思うような結果が得られなかったら、やり直せばいいのです。お釈迦さまでも、そうなのです。お釈迦さまは、命をけずるような苦行を六年間も続けられたのですが、それが悟りへの道でないと知って、やめてしまわれました。私たちは、せっかく大学を出たのにそれがなんの役にも立たなかったら大失敗と考えますが、大学で何年間か努力してみなければ、それがむだかどうかも分からないわけです。この世に、なんの役にも立たないむだなどあるはずがありません。その失敗の裏側に、成功があるのです。お釈迦さまのお悟りも苦行に命をかけられた六年間があってこそ得られたのです。私たちの目に成功と映り失敗と見えることも、一つのことの表裏です。失敗の屈辱を通して得た教訓は、二度と忘れるものではありません。なにごとにも全力を尽くすと、失敗が成功につながり、成功に奢れば失敗が待ち受けています。 庭野日敬著『開祖随感』より
2011.10.03
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10/3 Mon女性の力若い娘さんが都会にあこがれて、生まれ育った故郷を捨てて出ていってしまうと、男性も居着かなくなってしまう。女性にとって魅力的な町づくりが最大の過疎化対策だという説を聞いたことがあります。なるほど、とうなずかされます。信仰でもそれがいえるのです。女性が教えに目覚めると、たちまちご主人が教化され、子どもさんも、仏さまに手を合わせるようになってきます。逆に、ご主人が信仰をするようになっても、奥さんが本気になるまでには、なかなか時間がかかることが多いのですね。女性はそれだけの感化力を持っているわけです。日蓮聖人は、「矢の走るは弓の力、男のしわざは女の力」とおっしゃられ、その女性の力は、「物に随って物を随える」力だと教えられました。男をよいほうに走らせるか悪いほうに走らせるか、社会をよいほうに向かわせるか悪いほうに向かわせるか、女性がカギをにぎっているともいえます。まず女性に目覚めてもらわなくてはなりません。女性は社会を変え、世界を変える力を秘めているのです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.02
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林教務員さんありがとうございました。2500年前にお釈迦さまがお生まれになりその生涯を通じて体得しえたことを面々と多くの弟子に伝えられ今日、日本の立正佼成会開祖庭野日敬氏により現代にその教えが法華経の新しい解釈に体系的にまとめられその伝えられ生きた教えとして花開き、その真髄に触れられたことにただ感謝申し上げます。そしてそれは偶然ではなく必然です。仏と凡夫(今のままの境遇に満足して、これ以上努力したくない人)の違いは、苦を悟りに変えることができる人と、苦悩に陥ってしまう人の差。凡夫もお釈迦様のお教えを活用することであらゆる知恵を授かるということ。良いことを繰り返し結果がですまであきらめずに続けることが幸せへの近道である。これから折にふれ皆様に幸せへのメソッドをお分けさせていただきます。ありがとうございました。
2011.10.02
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10/2 Sun心の壁をくずす女性にとって、子育ては大事業です。心配と苦労の連続で、それだけに、手ごたえも喜びも大きいのですが、さて一人前に育て上げたとホッとすると、見知らぬ相手が現われて、手塩にかけたかけがえのない娘や息子を連れていってしまう。お嫁さんのアラを並べたてるお姑さんの気持ちの根っこに、自分が育て上げた宝物を横取りされたような悔しさがあるような気がするのです。そういう悔しさが根っこにあると、相手のすることなすこといちいち気に入らなくなってしまうわけです。そこで逆に、「この息子のところへ、よくお嫁さんにきてくれた」と、こちらの気持ちを切り換えてしまえば、「若いのだから、いろいろ未熟なのは当然だ」と、教えてあげる言葉にも、感謝といたわりの思いがこもってきます。まず、にらみ合いの壁を打ちくずしてしまうのが先決です。初めは形だけでもかまいません。互いに、いいところを見つける努力をして、ほめ合う。すると心の中の壁がとれて、気を許し合えるようになります。女性同士の理解が生まれ、理解し合えると、なによりも力強い味方同士になってしまうのです。嫁と姑の平和共存も心の持ちようひとつです。庭野日敬著『開祖随感』より..
2011.10.02
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