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10/6 Thu
「険径(けんきょう)を行くに留難(るなん)多きが故に」という言葉が、『無量義経』にあります。大道を行けば、なんのさわりもなくスイスイと行けるのに、自分で険しい道を選んで、それで悪戦苦闘している人が多いのです。
素直に教えを信じ、人を信じていけばいいのに、いちいち人を疑ったり、腹を立てたり、反発したりしているのがそれで、素直に大道を行く倍も骨を折って、それで苦しみをさらに大きくしているわけです。
「我」という字は、手に戈(ほこ)を取って自分を守る、という意味を表わしています。自分を守ろうとして戈を取ると、とたんに不安が生まれ、疑惑にとらわれて自ら険径にはまり込んでしまうのです。
平坦で、苦労なしにスイスイと極楽へ運ばれていく大道へのいちばんの近道は、自分のことよりも、まず人さまの幸せをと願って行動している人たちの仲間に入ってしまうことです。そうすると、知らぬまに自分も大道をあゆんでいるのです。これがサンガのありがたさです。
庭野日敬著『開祖随感』より
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