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2013.06.03
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カテゴリ: 心の眼を開く

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2013年平成25年6月4日 火曜日 大安 東京日の出入り 4:26-18:53

いま、ここ、われ

 仏教は 「いま、ここ、われ」 の教えであると言われています。 その教えを説かれた釈尊は、 二千五百年前のインドではなく、 いま、 私たちが救われているところにおられるのです。 私たちが、 いま、 ここで、 心から喜びに満ちて生きることができたら、 釈尊はここに生きておられるのです。

 すアクソンがいまも私たちのところにおられることについて、 釈尊のご臨終の時の言葉として尋常小学校当時の国語読本には次のように載っています。

 「『私は行おうと思ったことを行い尽くし、 語ろうと思ったことを語り尽くした。 これまで説いた教えそのものが私の命である。 私のなくなった後も、 めいめいがその教えをまじめに行う所に私は永遠に生きておる。』 と諭して、 静かに眼を閉じた。」

                                   (原文は旧字体・旧仮名を使用)

 この一節を読ませていただくと、 釈尊の大慈悲心というものがひしひしと感じられます。

 「いま」 のとき、 「ここ」 の場で、 「われ」 の自分が、 教えを実践していくことが仏道の初めであり、 終わりであります。

 私たちはさまざまな問題を抱えて生きていますが、 いま、 ここで、 自分が、 仏の教える如く、 実践するこということは、 「まず人さま」 の心にならせていただくことであり、 菩薩として仏道を歩ませていただくことであります。

 そして、 日々、「いま、ここで、私は救われました」 と、 感謝し、 精進して行く。

それこそが、釈尊の願われたことであると思います。

庭野日鑛著『心の眼を開く』より






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Last updated  2013.08.17 22:30:36 コメントを書く
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