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わたしには、会社の同期で会社を一緒に卒業した二人の友だちがいます。わたしを含めて三人三様でそれぞれかなり性格や行動様式など異なっているところがありますが、何となく馬が合うようで会社時代から今までお付き合いをしています。その中の A さんですが、最近スマホをやっと持ったのですが、好きなことはどんどん進めるのですが、苦手なことはどちらかというと避けてしまうところがあります。フットワークも軽く、奉仕活動精神も旺盛で、面倒見も良い人間で愛すべき人物です。最近スマホを持ったので、かなりの頻度で LINE のやり取りをしています。友として、忌憚ない意見を言えば、「腰を据えてじっくり取り組む、すぐ諦めない」ことをしてもらいたいと思っています。そういう自分は人のことを言えるだけの人物でもありませんが。
<朝のルーティンワークをこなす A さん>
A さんと早朝 LINE のやりとりをしました。 A さんは「朝6時起きて、みんなの体操、ラジオ体操、腕立てふせ30回・アブサンソメトリック1分をして、それから近くの神社参拝、ゴミ出し日にはゴミ出し歩きです。家に帰って朝食、朝ドラ観賞、健康ジュース作り、食器洗い、週3回ゴミ出しが朝の日課です。」偉い、すごいと感心してしまいました。
※ルーティン (
出典: wikipedia)
ルーチン、ルーティン、ルーティーン (routine)
とは、決まり切った手続きや仕事の事。日課。定常処理。
※ルーティンワーク (
出典: weblio)
手順・手続きが決まりきった作業。日課。創意工夫の必要ない業務。つまらない仕事、といった意味で用いられることも多い。
<ルーティンワークは修行に通じるかも>
わたしは、 A さんに以下返信しました。
<仏門での「修行」とは>
以下は Wikipedia からの引用です。
修行(しゅぎょう、異音:すぎょう)は、仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。
財産・名誉・性欲といった人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、 生きていること自体に満足感を得られる状態(絶対的幸福)を追求することを指す 。
仏典の中では、特に「修行」と呼ぶことは少なく、「行(ぎょう)」とのみ呼ぶことが多い。
特に厳しく苦しい修行は苦行(くぎょう)と称される。また、特別重要で中心的な修行を指して正行(しょうぎょう)と呼び、補助的な修行を助行(じょぎょう)と呼ぶこともある。
修行を行う僧を日本では行者(ぎょうじゃ)、あるいは、修行僧(しゅぎょうそう)と呼び、同じく、修験者(修験道の修行者)をも行者と呼ぶ。また、その他の宗教の修行者も行者の名で呼ばれる場合がある(例:ヨーガの行者)。
修行においては、怒り・怨み・妬み・憎悪といった否定的感情も破棄しなければならない。
「額に汗をかかなければ無理である」という意見もある一方、「額に汗をかく必要がない修行もある」という意見もある
<修行と修業の違い>
日本語では修行を「修業(しゅぎょう)」と表記し、その意味が混同される場合も多い。 しかし、「 修行」が、上述のとおり「宗教的な行」すなわち、本質的に「仏の悟りを求めて実践すること」を指しているのに対し、「修業」は「世間的な学問や技芸などを習い修めること」や「職業的な生業(なりわい)を習得すること」を指す語 であり、明確な違いがある。
ただし、辞書などによれば、修行の中には学ぶだけではなく積極的に身につける場合でも修行とする場合がある。
~あとがき~
自分たちの毎日の行動について、「いつも同じようなことを同じような手順で行うこと」を世の中では「ルーティン」や「ルーティンワーク」などといわれています。友だちの朝作業や自分のお風呂掃除など「修行」に通じるところがあるかと調べてみましたが、結果的に「修行」というには恐れ多いとわかりました。ルーティンワークでは仏の悟りを求めた実践ではありません。ただ、ルーティンワークのように日々繰り返す行為のなかにはやることによって、わかる、感じる、工夫するなどの気持ちが湧いてきます。無心でやれているかどうかはわかりませんが、「やってみるとわかることがある」「やってみた後に、きれいに、美しくなっている姿は気分が良い」などは世俗的で恐れ多いのですが、自分には「こころの修行のひとつ」にも感じられました。以上
深い箴言です☆彡 2023.07.02
ウクライナ戦争でよくロシアがいう「戦術… 2023.06.22
「サクラの花の咲くまで」、感動です。☆彡 2023.04.01