PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
昔、学校で先生から暗記をするように言われて著名な歴史上の文学作品についてその冒頭文を記憶したことがあります。ただ、歴史的な軍事、政治、経済的な事象と比べて文学作品の時系列的な把握が十分ではないので、歴史的にどっちとどっちは年代的に古いのだろうかと迷うことがあります。そこで平安時代からの文学的な作品を時系列的に整理し、その内容を調べてみました。
<文学作品の推移>
[ 平安時代 ](794 年~ 1185 年 )
935 年 ① [ 土佐日記 ] 紀貫之
966 年 ② [ 蜻蛉日記 ] 藤原道綱の母
993 年 ③ [ 枕草子 ] 清少納言
1003 年④ [ 和泉式部日記 ] 和泉式部
1010 年⑤ [ 源氏物語 ] 紫式部
1053 年⑥ [ 更科日記 ] 菅原孝標の女
1106 年⑦ [ 今昔物語集 ]
[ 鎌倉時代 ](1185 年~ 1333 年 )
1205 年⑧ [ 新古今和歌集 ]
1212 年⑨ [ 方丈記 ] 鴨長明
1244 年⑩ [ 平家物語 ]
1322
年⑪ [
徒然草 ]
吉田兼好
[ 室町時代 ](1336 年~ 1573 年 ) ※ 1338 年との説もあり
1358
年⑫ [
太平記 ]
<詳細内容と冒頭文>
① 『土佐日記』とは、平安時代に成立した日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を虚構を交えて綴ったもので、成立は承平 5 年頃といわれる。古くは『土左日記』と表記されていた
【冒頭】「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。そのよし、いささかにものに書きつく・・・」。
②『蜻蛉日記』(かげろうにっき、かげろうのにっき、 かげろうにき)は、平安時代の女流日記。作者は藤原道綱母。天暦 8 年( 954 年) - 天延 2 年( 974 年)の出来事が書かれており、成立は天延 3 年前後と推定される。上中下三巻よりなる。
【冒頭】「かくありし時すぎて、世中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世にふる人ありけり。・・・」
③『枕草子』(まくらのそうし)とは、平安時代中期に中宮定子に仕えた女房、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。執筆時期は正確には判明していないが、長保 3 年(西暦 1001 年)にはほぼ完成したとされている。
【冒頭】春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし・・・」
④『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)は和泉式部によって記された日記であり、女流日記文学の代表的作品である。
中古三十六歌仙の一人、小倉百人一首にもその歌が収められている、平安時代を代表する歌人である和泉式部にふさわしく、日記のなかに和歌の贈答の場面が頻出し、この作品を大きく特徴付けている。
【冒頭】「夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日 ( うづきじふよひ ) にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく ( * )・・・」
⑤ 『源氏物語』は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は 1008 年。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた。
【冒頭】「いづれの御時にか、女御・更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき 際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。」
⑥『更級日記』は、平安時代中ごろに書かれた回想録。作者は菅原道真の 5
世孫にあたる菅原孝標の次女菅原孝標女。母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母である。夫の死を悲しんで書いたといわれている。作者 13
歳の寛仁 4
年から、 52
歳頃の康平 2
年までの約 40
年間が綴られている。
【冒頭】あづまぢの道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めける事にか、世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居などに、姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、所々語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでか覚え語らむ・・・」
⑦
『今昔物語集』とは平安時代末期に成立したと見られる説話集である。全 31
巻。ただし 8
巻・ 18
巻・ 21
巻は欠けている。 『今昔物語集』という名前は、各説話の全てが「今ハ昔」という書き出しから始まっている事に由来する便宜的な通称である。
【冒頭】「今は昔、釈迦如来未だ仏に成り給はざりける時は釈迦菩薩と申して兜率天の内院と云ふ所にぞ住み給ひける。而るに閻浮提に下生しなむと思しける時に、五衰を現はし給ふ。・・・」
⑧
『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)は、鎌倉時代初期に編纂された勅撰和歌集。全二十巻。いわゆる八代集の最後を飾る。略称は『新古今集』(しんこきんしゅう)。『新古今和歌集』は、後鳥羽院の命によって編纂された勅撰和歌集である。勅撰集を編纂するための部局「和歌所」が後鳥羽院の御所に置かれ、後鳥羽院自身も歌を親撰するなど深く関わった。院歌壇の歌人のほとんどが編纂に関わり、何十年にもわたって改訂が続いたという八代集の中でも稀有な存在である。
【冒頭】「やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人ことわざしげきものなれば心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり。花になく鶯(うぐひす)水にすむ蛙(かわづ)の声(こゑ)を聞けば生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける・・・」
⑨『方丈記』は、鴨長明による鎌倉時代の随筆。日本中世文学の代表的な随筆とされ、約 100 年後の『徒然草』、『枕草子』とあわせ「日本三大随筆」とも呼ばれる。
【冒頭】「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。・・・」
⑩『平家物語』は、鎌倉時代に成立したと思われる、平家の栄華と没落を描いた軍記物語である。 保元の乱・平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事に描き出している。
【冒頭】「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ・・・」
⑪『徒然草』は、吉田兼好が書いたとされる随筆。清少納言『枕草子』、鴨長明『方丈記』とならび日本三大随筆の一つと評価されている。死没: 1350 年。 吉田 兼好は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。本名は卜部兼好。 卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以降は吉田兼好と通称さ れるようになった。
【冒頭】「つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。・・・」
⑫『太平記』(たいへいき)は、日本の古典文学作品の 1 つである。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。 全 40 巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、 2 代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで( 1318 年 (文保 2 年) - 1368 年(貞治 6 年)頃までの約 50 年間)を書く軍記物語。今川家本、古活字本、西源院本などの諸種がある。
【冒頭】「蒙窃採古今之変化、察安危之来由、覆而無外天之徳也。明君体之保国家。載而無棄地之道也。良臣則之守社稷。若夫其徳欠則雖有位不持。所謂夏桀走南巣、殷紂敗牧野。其道違則雖有威不久。曾聴趙高刑咸陽、禄山亡鳳翔。是以前聖慎而得垂法於将来也。後昆顧而不取誡於既往乎。
※出典:wikipedia他を引用させていただきました。
~あとがき~
昔学校で習ったことを思い出して、整理してみました。初めに習った土佐日記、方丈記の無常観、徒然草の有名な冒頭、平家物語の美しい冒頭文をなどをはじめ、平安時代に女流作家が輩出していること、意外に年代がずれている清少納言と紫式部の活躍の時代などあらためて感じるところがありました。以上
深い箴言です☆彡 2023.07.02
ウクライナ戦争でよくロシアがいう「戦術… 2023.06.22
「サクラの花の咲くまで」、感動です。☆彡 2023.04.01