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2022.04.27
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カテゴリ: 60歴史

NHK 大河ドラマ「鎌倉殿の 13 人」を毎回楽しみに見ています。特に、今月( 4 月)中旬に、舞台となった「伊豆の国市周辺の史跡」を巡ってから、ドラマの中ではわからない史実のスキマを深堀するのが楽しみになりました。自分は「歴史家」や「歴史研究家」などの専門家ではありませんので、史実をネットや書籍で調べて整理する、編集するだけですので史実が正しいかどうかではなく、そういう「史実判断があるかも」とご理解いただければ幸いです。

 今回は、3人の「女性」について調べてみました。

1.「牧の方」

ご承知の通り「牧の方」は北条時政の後妻 ( 継室 ) なられた方で、ドラマでもちょっとトラブルメーカーの癖があること、また強い権力志向も感じられる女性のようです。史実では、生没年は不明ですが、時政とはかなり歳のがあること、北条政子とは同世代(年齢差はなかった)か年下という説もあります。

○牧の方の出自

大河ドラマでは、時政が京の勤務のときに見初めたようです。その後伊豆に戻り、再婚しましたが、牧の方の出身は「駿河国大岡牧(沼津市出身)」 ( 愚管抄 ) の豪族牧氏の娘であり、牧氏は朝廷の役人を務めており、父の牧宗親は平清盛の異母弟の平頼盛に仕えた。頼盛の母である「池禅尼」は宗親の姉、従って牧の方は姪にあたる。

「池禅尼」は平治の乱後、清盛に頼み、頼朝の命を救った人物といわれています。

○牧の方(まきのかた)の子

鎌倉幕府の初代執権・北条時政の継室(後妻)。 北条政子・北条義時の継母。 

子としては北条政範、 4 人の娘が把握されているが、 7 人の子女を生んだようです。

2.「北条政子」

○政子の年齢

政子は父・北条時政と母・伊東祐親の娘 ( 史実では伊東入道の娘と記載)との間の長女として誕生しました。

子女は北条宗時、北条政子、阿波局、 北条義時、時子等

※「伊東入道の娘」と史実では述べられています
「伊東入道」は一般的には静岡県伊東地方の豪族・伊東祐親のことだといわれています。もしくは伊東祐家(伊東祐親の父)であるともいわれています。

『鎌倉殿の 13 人』で、ドラマの中ではなかなか嫁がずとの会話もあり、失礼ながら、年増の女性かと思っていましたが、伊豆の国市の蛭ヶ小島の頼朝 / 政子像、石碑をみて二人の年の差が 10 歳もあることに気がつきました。今では、21歳では大変若い女性と思われますが、当時としては10代後半で結婚するのが通常だったのかもしれませんね。政子は若いころから実に存在感がありました。振り返ると平安時代は女流歌人や女性たちの歴史上の人物も多く、後の戦国時代や江戸時代と比較すると女性の恋愛観や自己主張などのびのび、おおらかな時代のだったような気がします。

〇北条政子の子女

頼家、実朝、大姫(長女)、三幡など


( 撮影筆者 )

政子の年齢と主な出来事を調べてみました

※ ( カッコ内は政子の年齢 )

1157 年    誕生
1177 年 (21 歳 )  「頼朝」と結ばれる
1180 年 (24 歳 )  石橋山の戦い(宗時討死)
1182 年 (26 歳 )  「頼家」出産 (後の2 代将軍 )
1183 年 (27 歳 )  「源義仲」と和睦
1185 年 (29 歳 )  平家壇ノ浦の戦いで滅亡
1189 年 (33 歳 )  「義経」自害
1192 年 (36 歳 )  「頼朝」征夷大将軍に任じられる
1199 年 (43 歳 )  「頼朝」急死
1200 年 (44 歳 ) 13 人の合議制が定められる

・・・
1221 年 (65 歳 )  承久の変「政子の涙ながらの大演説」
1224 年 (68 歳 )  「義時」急死
1225 年 (69 歳 )  「政子死」去 

3.八重姫

八重姫(やえひめ、生没年未詳)は、平安時代末期の女性。伊豆国伊東庄(現・静岡県伊東市)の豪族であり、頼朝の監視役であった伊東祐親の三女。源頼朝の最初の妻とされる。頼朝の初子・千鶴御前(千鶴丸)の母。

義時と「八重姫」とは幼馴染で、義時にとっては憧れの女性であったようです。頼朝との件もあったのですが、大河ドラマでは二人は結ばれ、 3 代執権の「泰時」が誕生したとの設定になっています。「幸せ感」を醸し出しています。しかし、八重姫は歴史書「吾妻鏡」には登場しておらず ( 歴史的な事実としてはやや不明な点あり)、また今回の旅行で伊豆の国の眞珠院の説明等にある入水時期をはじめ入水時期は諸説ありますが、頼朝との子、「千寿丸の供養」の後に、「入水自殺」をしていると信じたいものですね。史実はともかくドラマとして楽しくみたいものです


(撮影:筆者 眞珠院にて)


~あとがき~

歴史もそうですが、物事の見方に「たて(時系列推移)とよこ(その時、周辺)」の整理と、「深さと広がり」(どこまで)の追求の観点があるように感じます。歴史でみてみると、ある事件があったときに、どういう流れでそのようなことが起こったのか ( 理由、背景など ) 、またそれは当時どのようなこと(人間関係、要因など)が関係しているのかなどです。調べると調べるほど、「なぜか、どうして・・・」など先々がさらに気になってくるのですね。ほどほどでやめないとキリがないのも事実ですので、「いい加減を」心がけ歴史を楽しんでいます。以上

<追記>

1221 年 「政子の大演説の内容」

『皆心を一にして奉るべし。これ最期の詞なり。故右大將軍朝敵を征罰し、關東を草創してより以降、官位と云ひ俸祿と云ひ、 其の恩既に山嶽よりも高く、溟渤よりも深し。報謝の志これ淺からんや。 而るに今逆臣の讒に依り非義の綸旨を下さる。名を惜しむの族は、早く秀康・胤義等を討取り三代將軍の遺蹟を全うすべし。但し院中に參らんと慾する者は、只今申し切るべし。』

—  『吾妻鏡』承久三年辛巳五月十九日壬寅条(原文は変体漢文)






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最終更新日  2022.04.27 10:10:20
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Re我らの歴史家  
たのさん さん
何時も感心して、読まさせて頂いています。

 我らの歴史の先生の様な方です。頼もしい仲間です。

                     ありがとう。 (2022.04.28 06:13:17)

Re:「鎌倉殿の13人」史実のスキマを調べてみました☆彡(04/27)  
学び活かす さん
コメントありがとうございます。歴史を調べていくと、書かれていないことで気になることがあります。そんな中で史実には書かれていないことや、諸説あること、わからないことなどなどいろいろとあることがわかりました。そんなスキマをちょっと覗いてみました。コメントは本当に励みになります。これからも忌憚のない意見をよろしくお願いいたします。 (2022.04.29 02:46:13)

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