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三 護 岸 端 で (4)
清の病気は、急激に進行したようだった。そのため幸への授乳が出来ず伯母たちが木の皮とか草の戦時汁とか重湯を木の真綿に含ませてしゃぶらせたり、時々配給される脱脂乳を与えたりしていた。伯母たちの指先は幸の乳首となって、いつも真っ赤に腫れていた。
伸夫が鮮明に記憶しているのがひとつだけある。それは清の乳房が、いつもはれていて伸夫にお椀を持足せて、乳を両手で搾り出し、庭の茂みに捨てさせられたことである。ある日、おわんの乳をそっとかぎ、舐めてみると、生暖かい感覚が舌先に広がり、遠い昔の清の体臭が蘇ってきて懐かしかった。
重治をはじめ、伸夫も真弓も伯母や伯父も、清の病は1年ほどで癒えるだろうと話していた。しかし、子の年の冬を越して4月の新緑が芽吹くころになっても、その様子を見せなかった。
(つづく)