共産党が左翼なのかどうかわからないけど靖国に参拝した総理をどう思うのか、バカボンのコメントを聴いたらやっぱりバカボンだなと思った。戦争で亡くなった方々に対する人間らしい感情の言葉が一つもなかった。思うに共産党も社会党もいつからかはわからないけど思考停止したままずっとやってきて今も思考停止したままなのだろう。何も考えようとしない。馬鹿の一つ覚えのままマルクス主義だとか憲法9条を守れといえば食えた時代もあったのだろう。柔軟な思考も知性もまるで感じられない。ただのでくのぼうじゃないのか。僕が感じていることはおおかたの国民だって感じていることだろう。それがわからないと言うこと自体、感性がさび付いちゃっている証拠だろう。まるでいいかげんの馬鹿ぼんぼんにしかみえない。伊豆大島で台風の大災害がおきたとき共産党の町長はどこかに出張していて酒を飲んでいたそうだがバカボンは遺憾に思うのコメントすらなく知らんふりのほっかむりだ。これが彼らの本質なのだ。国民はこのことを深く心に刻んでおくべきだ。絶対に許されるものではない。左翼に見られる思考力の紋切り型の浅はかさは国家を危うくするものだと思う。
国家という共同幻想はもちろんいずれ消滅した方がいいが、だからといって何でもかんでも国家のなすこと全部反対というのはだだっこの子供の思考でしかない。こうしたほうがいいでしょうと提案し説得するというのが本当の責任ある対応だし民主主義というものではないのか。国家きらい、だから全部反対というのが左翼の反応のように見える。僕には実に薄っぺらいなと見える。これでは実際に国家の運営なんてとても任せられない。憲法9条にしても、その憲法があれば平和でいられると本当に思っているとしたら思考停止のただのお馬鹿さんじゃないだろうか。また9条がなくなったらただちに戦争になると短絡する思考もあの人たちの特徴だ。日本が戦争に突っ走ったのはその短絡思考のせいだったのではなかったのか。9条があろうがなかろうが戦争はそれとは全く関係なくおきるときはおきるのだ。本質を考える努力は一切しない。そして、どうしようもないほどの想像力の欠如、これも左翼の人々の特徴だと思う。
マルクスのいう共産革命は歴史上まれにみる惨禍を人類にもたらしただけの大失敗だった。 見方によってはマルクスは史上最悪の極悪人といっても過言ではない。なぜ失敗したのか左翼の人々は何も考えてこなかったしまた考えるだけの能力もなかった。彼らは無能の集団にすぎなかった。戦後唯一真剣に考えてきたのは吉本隆明だけだった。彼が出した答えはマルクスは共同幻想というものの分析が欠けていたのではないかというものだった。共同幻想というものにどう分け入ればいいのか全くの前人未踏の領域だったが、彼がとった方法は想像力によって過去へさかのぼりできるだけ正確にリアルに人々の幻想の有り様を再現するということだったと思われる。歴史的現象学という人もいる。彼の著作がなんだったのか、成功したのか失敗したのか、歴史の審判に委ねるしかないが、ともあれ、僕は初めて読んだとき難解で何を書いているのかさっぱりわからなかった。前人未踏をゆく苦渋に満ちた歩みだったのだろうが、真剣にマルクスに向き合うというのはこういうことだと思う。共産党の誰がマルクスに真剣に向き合ったのか。おそらく誰一人としていなかったんだろうと思う。漫画のバカボンのパパのデジャブを見ているような今日この頃。
村上龍の小説に「悲しき熱帯」というのがあったが、「悲しき左翼」といってもいいだろう。
PR
Calendar
Keyword Search
Freepage List