July's July

July's July

2015.10.12
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 エルム街のショッピングセンターで買い物をして帰ろうとしたら雨が降ってきたので、雨が止むまでショッピングセンター内の本屋で時間をつぶした。久しぶりに本屋に来てみると面白そうな本がたくさんあった。買おうかなと思って値段をみると1800円もする。面白そうだけど1800円の価値があるかなと考えて結局買わなかった。ここ何十年か日本はずっとデフレが続いているがなぜか本の値段は下がっていない。それどころか上がっているような気がする。雨もまだやまないので立ち読みで我慢することにした。

 吉本さんの本がいくつか並んであった。いずれも目新しい本だ。亡くなった後も本が続々と出版されるとは、せっかく全部読んだつもりでいたのに困ったことだ。しかも新しい発見があった。それは村上春樹について詩を書いたことのある人じゃないかと言っていたことだった。僕が感じていたことと同じだったので驚いた。僕は昔、ねじまき鳥クロニクルの目次を見て、それらを並べるとまるで一片の詩のようだと書いたことがある。吉本さんの感性の鋭さそして正確さにあらためて驚いた。昔の左翼が書いたようないかめしく難解な文学はもはや嘘っぽくなってしまっているのだ。昔あった文学というものの価値が下降しつつある中でむしろ軽さの中にどう深みを見出せるかが文学の中心的なテーマになっている。そういう意味で現在の文学がどこにあるのか両村上氏を読めばわかるといった吉本さんの主張は全く正確だと思う。

 感性を論理化する際に変なバイアスで捻じ曲げないでストレートにあるいは素直に論理に反映させることが肝要だ。ただバイアスがかかっている人は感性までゆがめてしまっているのかもしれない。正しく感じることそしてそれをストレートに言語化することが大切なことなのだ。

 ストレートにとは簡単に思われるかもしれないが簡単ではない。一般の人々は多かれ少なかれ偏見や先入観、嫉妬や怨念によって観念の時空はゆがめられているものなのだ。孤独の中で自らの観念の誤謬を訂正したことがある人でないと本当は難しいことなのだ。

 村上春樹をくそみそにけなしている人たちはいったいどれだけ嫉妬や怨念で感性をゆがめてしまっているんだろうと思わざるを得ない。そうでなければ文学などは全く理解不能な縁のない人たちだろうと思う。はたして蓮見重彦はどっちだろうか。

 立ち読みにつかれて本屋をでると雨は止んでいた。大急ぎで家に帰った。


















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Last updated  2015.10.13 06:10:19


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