2005年01月04日
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「光秀行状記」明智滝朗、中部経済新聞社、昭和41、B6、1800円、ネットでみたところでは、この方が言い出しっぺのような気がしますが、原本をみていないので、この方が どのへんからを根拠にかはくわしくはわかりません。

かの八切止夫は、天海は光秀の娘と 家臣の明智秀満の息子ではないかという説を 小説にしていますが いかがなものでしょうか?年齢的には こちらのほうがあうような気もしますが、

また醍醐随筆という江戸時代の本では、光秀殺害当時の状況をわざわざ調べたが よくわからなかったとあり、当時の光秀の家臣もかなり 無事にあちらこちらに再就職できています、かばう人がいたんだなとみるべきでしょう。

ただし 天海は 徳川王権の司祭のような立場にもあった方で、僧侶としても 日本の宗教史に残る方のような気がします。光秀と同一人物がなりたつほど 学識が光秀にあったのか?それが疑問です。





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最終更新日  2005年01月04日 12時14分39秒
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