2007年12月02日
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昭和24年9月ごろから翌25年春にかけて共産党制圧のため 電源防衛運動をおこなったことは忘れられません。共産党は全国の各地に勢力を広げていましたが 群馬県にも眼をつけ 東京に送電している吾妻地区の東京電力の発電所を占拠しようとした。共産党に日本の動力源を与えるなと私どもは立ち上がった。このとき中曽根は 毒を持って毒を制すということを考え 実行したのです。中曽根は内務省の警察畑の出身ですから共産党に関する情報は以前から詳しい 当時 共産党から転向していた田中清玄に密かに会い 説得して連れて来ました。私どもは田中清玄を中心にした共産党転向組を前面に押し出して 反共キャンペーンを展開していった。その中には モスクワ大学を卒業した風間丈吉などもいました。共産主義をもっともよく知る田中清玄たちの 反共 電源防衛運動は大きな効果がありました。

日本の地下人脈 岩川隆著 より

中曽根康弘の秘書の回想ですが 
大勲位との接点は ここから始まるようですが 少しクビをひねるところもあります。内務省で下っ端にすぎない中曽根がというより 恩師の矢部貞治が 鍋山貞親と世界民主研究所で いっしょなんで その線で 清玄に話しがいったというほうが正しいかも?このへんは大勲位自慢しています。また清玄を建設業者というより 政治運動家としていますが 建設業としての顔はダミーだったとみるべきだったのでしょう。この結果 日発の共産党系の労組が切り崩され 佐々木良作を中心にした第二組合が組織されます。岩川さんは これで 中曽根 佐々木良作 田中清玄という人脈が出来たとありますが 清玄自伝には 民社党との関係はありましたっけ?怪しい海外人脈の噺がありますが こういう肝心な点は あまり書いていませんから インチキ右翼といわれるのかもしれませんね。

どちらが 清水の次郎長か 黒駒の勝蔵か





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最終更新日  2007年12月02日 09時47分46秒
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