2007年12月04日
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http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/077/0750/07708120750022c.html

○横路委員 きょうはちょっと従来の議論の角度を変えて児玉譽士夫関係について少しお尋ねをしたいのですが、児玉譽士夫がどうして戦後三十年間、これほどいわば日本の政界や財界の中に力があったのか、力というのは表の力よりむしろ裏の力ですけれども、やはりそういうことの解明なくして、政府高官を挙げただけでロッキード事件終わりということには私はならないのじゃないか。いわばこの事件の構造性ということが言われていますけれども、その構造性の一つというのは、こういう男がなぜこんなに日本の裏の世界で大きな力を持ったのかということにあるんじゃないかと思うのですが、法務大臣、あなたも面識があるようですけれども、どこに児玉譽士夫というのはこんなに力があったのか、その辺の理由というのは法務大臣、どういうぐあいにお考えになっておりますか。
○稻葉国務大臣 私はよくわかりませんね。それからまだ、こんなになる前にも別に、そんな力のある大した人物だとは思っていませんでした。
○横路委員 政界にも、これは相当な顔がありますね、彼の。ですから、これはあれなんですか、鳩山自由党結成以来の人脈の三木武吉、大野伴睦、河野一郎氏というようなことを言われていますね。何ですか、これはもっぱら金の力なんですか。
○稻葉国務大臣 金の力もあるでしょうけれども、あの人たちとしては児玉に人間的魅力を感じておったように私は思いますね。それで私などは、組むべからざるものと鳩山さんも河野先生も組んでるなという気がしておりました、組むべからざるものと。
○横路委員 現在の自民党幹事長の中曾根さんとの関係ということも、いろいろ言われていますけれども、これは河野派に彼が所属をしておったということなんですか。中曾根派としても、これは金の関係があったのですかな、どうですか。
○稻葉国務大臣 河野派春秋会は、児玉、萩原それから永田、こういう人が三金会というものの幹事役でやっていましたから、これはつながりがありましたね、金において明確に河野派春秋会は。この後の一派ですから中曾根派というのは、新政同志会は。それで続いたと思いますが、私の知る限りでは佐藤三選のとき以来、切れておるというふうに、この間ここで申し上げたとおりです。そういうふうに思っております。金の関係においては切れておる、こういうふうに思っております。
○横路委員 その金の関係は最後にちょっと、もう一度触れることにして、もう一つ児玉が力があったのは暴力が背景にあった、これがきわめて大きな要素を占めているのじゃないかと思うのですけれども、これはどうですか、法務大臣。
○稻葉国務大臣 その件になると私は余り詳しくありませんけれども、どうも、そうらしいと思わないかと言えば、そうらしいと思いますね。つまり消すぞとか、月夜の晩ばかりじゃないぞという性質の人物のように思いますが。

○稻葉国務大臣 だからこそ私らの先輩では重きを置かない人物ですから、私は児玉譽士夫なる者については、そんな重きを置いていないのですよ。そして、ああそうか、そういうものか、河野さんも組むべからざる者と組んでいるなと言うて、四十三年、佐藤三選のときに、もう金の面においても、おつき合いをやめましょう、こういうことを中曾根君が言うから、いい考えだ、かねがねからそう思っておったと言って、ぴしっと切っているというふうに思いますがな。だから、どうして、そういうのと中曾根がつき合っていたかと言われても、つき合いを切ったのですから、御質問に対しては、そういうふうにお答えしますね。

http://kamou.co.jp/keiten/yotu/nakayotu4.htm

「四元は、池田とは、なお深い繋がりを持っていましたね.政策的なアドバイスもしていました。大平正芳なんて、池田の秘書でしたから、四元さんには丁重に接してましたよ。大平は、四元さんには対等以下で話していた。それが中曽根になると、先生だからね」(北原勝雄)
 中曽根と四元の交わりが一段と緊密になったきっかけは、昭和四十二年四月、中曽根の「拓殖大学総長に就任」であった。
 かつて拓大理事長であった西郷降秀の秘書をしていた柴垣昭人(全国飲食業事業協同組合連合会会長)によると、中曽根が、四元に頼んだ。
「ぜひ、総長をやらしてください」
中曽根は、そのあと、理事長の西郷隆秀に、総長をやらせてくれるよう頼みに行った。西郷降秀は、西郷隆盛の孫にあたる人物である。
 中曽根が拓大総長兼理平長に就任すると同時に、四元も理事の一員に加わった。
 中曽根は、拓大関係者に四元を「この人は、わたしの人生の師です」と紹介して歩いている。四元もまた、まわりの者にその当時からハッキリ言っている。
「こいつは、総理になる男だ。いや、総理にしてみせる。やつには、それだけの力がある」
 中曽根は、四元をご意見番に置いた。




稲葉修
斎藤貴男 著「文春文庫 カルト資本主義」(文藝春秋、2000年6月10日 第1刷)より
第五章 「万能」微生物EMと世界救世教
(略)
比嘉が回想する。

三木内閣の法相で、中曽根派の顧問格でもあった稲葉(故人)は、農産物の自給自足体制を公約に掲げる“国士”型の政治家だったが、同時に足尾鉱害事件を追及した田中正造を尊敬し、当時では珍しく、環境問題にも理解を示していたと伝えられる。世界救世教とも関係が深かった。(略)

右翼の対立構造というのは 意外にいわれないものなんですが ようするに ご主人さまを誰にするかということで 田中清玄 四元義隆の場合は 吉田系 児玉誉士夫の場合は 河野一郎系ということになるようです。
当初は 反佐藤で 児玉センセイ スリスリという大勲位ですが 河野一郎が亡くなり 反佐藤で 先輩にかつぎ上げられても もうすでに 四元センセイすりすりというのが 行間からみることができて まさにお笑いです。
ちなみに 中曽根に対して 事実上の拒否権発動をしたらしい 稲葉のバックは 四元義隆で いろんな意味で 児玉とは犬猿の中です。正義派みたいにみる人 未だにいますが どうなんでしょうかね?





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最終更新日  2007年12月04日 07時07分23秒
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