2008年05月05日
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ン元http://page.freett.com/buddyholly/yotumoto.htm


四元は、これまで述べてきたように、近衛文麿から小磯国昭、鈴木貫太郎、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳といった宰相たちの、ブレーン、あるいは指南役として重大な影響力を持ちつづけてきた。はたして、四元があえて中曽根に肩入れする理由は何か。
 昨年四月、四元に北鎌倉・円覚寺内の蔵六庵でインタビューしたとき、四元になぜ中曽根を担ぐのか、と訊いた。
 四元は、中曽根と歩んできた過去をふり返りながら、訥々と語った。
「中 曽根を注目しだしたのは、河野一郎が死んでからだ。ぼくは、河野のところへなんか行くんじゃない、やめろ、といったんだけどね。中曽根はいうことをきかな かった。ぼくは、河野一郎が嫌いでね。若いころだったら、叩き殺してやるよ。河野派の連中は、児玉を大先生と呼んでいる。みんな、金をくれるから偉いと 思ってるんだ。
 中曽根は、昔から芸者の評判がえらく悪かった。芸者が、ばくに言うんだ。
『四元先生、どうして中曽根さんをかわいがるの? あの人は、性格に裏表があって、先生とは違う。先生のお座敷では、きちんとしてるけど、ほかのお座敷ではひどいのよ』
古い芸者は、みんなそう言っとった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E6%AD%A3%E7%BE%A9



旧制福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)から旧制浦和高校(現・埼玉大学)を経て東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入省したが、興亜院に出向し、大平正芳(のちの首相)、佐々木義武らと机を並べる。
戦後、中国大陸から引き揚げるが、空襲で焼け出され、大平宅に仮寓しその生活がしばらく続く。局長時代には、河野一郎農相と丁々発止のやり取りをして、河野から政治家向きと評価された。事務次官まで進む。
1963年、衆院議員に初当選。当選回数9回。河野派入りを拒否し、無二の親友・大平と同じ池田派(宏池会)に属した。


田中清玄も 伊東正義を評価していますし 四元義隆も評価しているんですが 
会津武士とか 高潔とか
そういうのに 点数をつけるかたもいますが この方の元農林省事務次官という肩書きに なんで 目がいかないのでしょうか?
そして四元にしても 伊東にしても 河野一郎に距離を置いているのですが 
それは なぜか?と考えるべきかと思います。





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最終更新日  2008年05月05日 09時47分07秒
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