2009年01月17日
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なお発起人には名を重ねていないが 山種が美術館の構想を得て 最も早く相談したのは 美術の殿様として知られていた元侯爵細川護立であったといわれる
細川は元熊本藩主細川家の裔で文化財保護委員や近代美術館評議員をつとめた一方 東西にわたるその美術コレクションは有名であった 山種は戦前の米問屋時代から 大量の肥後米を商っていた関係で 細川とも繋がりが生じていた
山崎種二 その生涯と事業

公家最高の五摂家から出た近衛文麿公爵は ちょうど廬溝橋事件の年に娘の温子が首相秘書官の熊本藩 細川護貞と結婚し ふたりの間にもうけた細川護煕が1993年に初の殿様宰相として総理大臣に就任するが 護貞の妹 細川敏子が新興軍需財閥 中島飛行機の中島知久平の甥 中島昭吉と結婚する重要な姻戚関係を持っていた 略 しかも近衛家は 江戸時代に酒造業で栄えた摂津伊丹の領主であり その酒造資金を長者番付最高位の小西新右衛門が近衛家に献上してきた。小西新右衛門が もうひとつの新興軍需財閥 理化学研究所総帥の大河内正敏の義兄弟であった
持丸長者 国家狂乱篇 広瀬隆

いろいろ繋がりはあって当然ですが 細川家と近衛家は 米を介して接点があり
ジローさんも 文平サンの時代には  米相場でも有名であった堂島の相場師だったわけですし 白洲家は伊丹に大邸宅があったわけです
むかしからのご主人様ですね
ちなみに 理研の大河内サンの見出したのが 角サンで ジローサンには 目下にあたる訳です 角さんは








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最終更新日  2009年01月17日 23時40分20秒
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