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2015.09.10
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カテゴリ: プロレス・格闘技
鶴田・引退.jpg


1999年、馬場が死去した直後に
もうひとつの激震がプロレス界に走った。

ジャンボ鶴田・引退

馬場亡き後、鶴田、百田光男、三沢光晴の
3人体制で全日本を立て直す事になっていたが
この頃の鶴田は全日本と疎遠になっており
プロレス界から手を引く事を決意した。

馬場と共に全日本を引っ張ってきた鶴田は
1999年2月20日、引退・全日本取締役辞任会見を


この引退記者会見では
「全盛期に前田日明と戦ってみたかった。
藤波君が度々対戦要求を出してきたが
実際の交渉は一切なかった」とコメントした。

この鶴田の言葉を聞いた前田日明は
「名前を出してくれただけでも光栄です」
とマスコミのインタビューに答えた。

1999年3月6日、日本武道館にて引退セレモニーが行われ
研究交流プロフェッサー制度により
スポーツ生理学の教授待遇として
オレゴン州ポートランド州立大学に


鶴田はセレモニーにて 「馬場選手の逝去ともあり
時期の延期も考えましたが、生前に馬場選手から

人生はチャレンジだ!チャンスは掴め! の言葉を信じ
今日の決断となりました。


全日本プロレスには三沢、川田、小橋と有望な選手がいます。
長い間、本当にジャンボ鶴田、
全日本プロレスを御声援下さいまして
ファンの皆様、ありがとうございました。

切に切に宜しくお願いします」と言葉を残し

最後はファンの前で「オー!!」を連発した。

そして鶴田がアメリカへ向かう際、
成田空港に見送りに来たのは三沢、仲田龍、
大八木賢一専務のたった三人であったが

鶴田サイドと馬場元子との間には既に距離があり
見送りに行けない空気を振り切って来ており

これが鶴田と三沢の最後の対面となったが
その際、鶴田は「何かあったらすぐに言って来いよ。
俺は三沢くんの味方だから、
それだけは忘れないでくれ」と告げた。


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Last updated  2015.09.10 23:11:39
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