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昨日は、一日中、嵐だった。雨と風が、すごかった。今年は、嵐が多い。自然の浄化が激しい。今日の「屋久島 光のガイド」の短歌は、次のものだった。『人間の 枠を外せば 天の川 意識たゆとう 宇宙の海を』意識というのは、まだまだ未知の領域。人の意識は、次元を超える。時間を超え、空間を超え、普段の意識の枠を破る。日常の意識では理解できないような領域にまで入り込む。人間の赤ちゃんがオオカミに育てられると、オオカミとなる。遠吠えをし、四つん這いで走る。もちろん人間の言葉は、しゃべれない。意識は、完全にオオカミ。「氏より育ち」人は、育つ環境の影響を強く受ける。それによって意識の枠が決まってくる。日本で生まれ育った人とアメリカで生まれ育った人とでは、同じ日本人でも意識の中身がまったく異なる。人は、ある意味、環境の産物。意識は、成長過程の環境の影響を強く受ける。その育った環境を理解しないで比較しても、あまり意味はない。しかし、そうだからといって、環境がすべてとも言えない。同じ環境下でも、みんなが同じに育つわけではない。それぞれ吸収するものは、異なる。自分に必要なものを吸収して成長していく。そこに個性の違いがある。元々持っている先天的なものがある。それに加えて環境がある。「孟母三遷」の例えの通り、環境の影響は強い。しかし、元々の素質の問題もある。元々ある素質に必要な環境を与える。そうなれば、その素質が伸びる。素質を見極め、それに必要な環境を用意してあげる。それが、親の役目。人は、生まれる時代、周囲の環境、そういうものを配慮して生まれてくる。しかし、計画通りに行くとは限らない。あの世とこの世とは、違う。すべてが予定通りに進んだら、なんの苦労もない。この世に生まれてしまえば、先ずはこの世のことを学ばなければならない。この世を生き抜くためのスキルを習得する必要がある。物質を理解し、人間の社会構造を理解する必要がある。先ずは、自分を生かすのが至上命題となる。しかし、自分の命を生かすだけでは、あまり意味はない。それでは、動物と変わらない。動物でさえ必死に生きている。それは必要条件であって、十分条件ではない。自分の命を維持した上で、今生の目的を達成しなければならない。それでこそ必要十分と言える。ほとんどの人は、必要条件の段階で停滞している。十分条件にまで至っていない。生きるのが精一杯。人生の意味や自分の使命などは、二の次。それは、若い頃に一時的に思い悩む病だと思っている。そんなことを考えていたら生き残れないと決めてかかっている。動物と同じ次元で生きても、どれほどの意味があるだろうか。意味がないとまでは言わないが、それだけでは不十分。過去世のカルマをクリアーし、新しい可能性を開く。自分の個性を活かして世の中に役に立つ。ところが、生まれてしまうと周りの環境の影響を受け、いつの間にか肉体人間に成り下がる。本来持っている精神の高貴さを忘れてしまう。過去世と同じように肉体の欲望に勝てない。癖、傾向、パターン、つまりカルマに翻弄されてしまう。環境を理解して、環境をマスターする。環境をマスターして、環境を活用する。環境を活用して、自分の望む世界を創造する。それが、人が生きるということ。ほとんどの人は、環境の理解の段階で留まっている。環境を活用して自分の望む世界の創造にまでは至っていない。なに?自分が何を望んでいるのかがわからない?それは、環境のままに生きてきたから。周りから言われるままに、良い子ブリッ子で生きてきたから。自分自身を生きてこなかったから。本当の自分を生きていないから。地球を理解し、人間社会を理解し、自分自身を理解する。真実に生きるためには、理解することがたくさんある。多くの理解なしには、真に自分が望むことを実現することはできない。この世を生きるというのは、なかなか大変。この世を生きるスキルもいる。しかし、スキルだけでは足りない。本来の目的の自覚が必要。真の自分自身を自覚する。人は、意識の枠によって成り立っている。それは、十二単(ひとえ)を着ているようなもの。そういう枠を外していくと、人は本来の自由に至る。何も枠がない状態。究極は、空。その途中に、魂やグループソウルがある。個性や役割というものがある。空をベースに個を生きる。個を十全に生きるためには、理解が不可欠。人生の理解、宇宙の理解、霊性の理解。多次元のなかで、この三次元を生きる。多くの意識の枠のなかで、全体と共に個を生きる。『オオカミに 育てられれば オオカミに 意識は自由 何にでもなる』『人はみな 十二単(ひとえ)を 着けている 意識の枠を 理解すること』『人間の すべての枠を 外す時 自分は消えて 意識あるのみ』『意識とは いろんな着物 身に着けて 宇宙旅する 空の旅人』『人間の 枠を超えれば 意識のみ 銀河と共に 星々を見る』これが日記を書き始めて2667日目の心境。
2012.04.22
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昨日は、木霊の森へ行った。一日中、すばらしい天気だった。森のなかは、さわやかそのもの。最高の森歩き日和。お客さんは、7人。珍しく多い。みんなとても仲が良かった。笑いが絶えない。会社の企画旅行とのこと。屋久島で新鮮な気分なって新しいアイデアを生み出すための旅行らしい。社長と話すと、とても面白い会社だった。社員ではなくて、仲間ということで会社を運営しているらしい。利益追求ではなく、生活を楽しむ一環という感じ。あまり宣伝しなくても、順調に業績は伸びているとか。自宅勤務や地方勤務も可能。かなりフレキシブルな会社。屋久島でスピリチュアルなガイドを探していたとのこと。会社自体がスピリチュアル系なので、一般的なコースには興味がないらしい。ネットでこちらを発見。ジャストフィット。木霊の森を満喫してもらった。全員、十二分に満足してもらえたのではないだろうか。こちらもガイドをしていて楽しかった。共に楽しいのが一番。今年の春分の日から「屋久島 光のガイド」に名称を変更した。それほどお客さんが来るとは思っていなかった。でも、4月は9日予約が入っている。まずまず。屋久島ライトクリスタルの方も、まあまあ順調。昨日は、タンジェリンクォーツのレムリアンシードのクラスターを4個アップした。どれも2キロを超える大型クラスター。最も大きなものは、8.2キロもある。レムリアンシードという水晶は、従来は単体で出るものとされていた。ところが、昨年あたりからクラスターも出るようになった。昨年は量も少なく、トップクオリティのものが入ってきた。初ものということもあって、かなり価格は高かった。今年は、大量に入荷した。クオリティも昨年より少し落ちた。部分的にポリッシュされたものも混じっている。それに加えて、円高。それらが重なって、価格が大幅に安くなった。卸値で三分の一から五分の一になっている。価格が驚くほど安かったので、こちらも大量に仕入れた。全部で20キロほど。ドラム缶いっぱいのタンジェリンレムリアンが入荷したらしい。でも、品質はピンキリ。知り合いの社員が、最も美しいものを優先的に選んでくれた。やはり、安くても良いものでないと困る。一番最初にドラム缶を開けて、良いものだけを選り分けたらしい。その全量が、20キロになったとのこと。せっかく選別してくれたので、こちらも全量引き取ることに。なにしろ信頼関係。信頼関係がないと、良いものは回ってこない。こちらの都合ばかり言っていると、相手も適当なものしか送ってくれない。この世界は、コネクション。いかに信頼関係をつくるかに尽きる。同じ単価でも、品質はまるで異なる。良いものを安く仕入れる。それが商売のコツ。そうすれば、お客さんにも安く提供できる。今回アップした4個のタンジェリンレムリアンは、いずれも激安。最も小さい2116グラムのものは、昨年であれば店頭価格は20万円近いだろう。それが今年は、なんと28000円。実に七分の一。次に小さな2214グラムのクラスターは、ものすごく形がいい。メインのポイントが大きい。昨年であれば、店頭価格は20万円を軽く超えただろう。それが、今年は45000円。重さが6.7キロもあるビッグクラスターは、昨年であれば店頭価格は60万円前後だろうか。それが今年は、96000円。なんと九分の一の価格。超激安。最後の最も大きなものは、8.2キロもある。バランスが良く、文句なしの一級品。昨年であれば、店頭価格は80~100万円ぐらいはしただろう。それが今年は、164000円。この最大のクラスターは、昨夜、行き先が決まった。美容室を美しく飾ることとなった。そのお店はオレンジがイメージカラーとのことなので、ドンピシャリ!きっと美容室をバージョンアップしてくれることだろう。昨日アップした4個は、たぶん日本で一番安いだろう。品質からすると、信じられないような価格。屋久島ライトクリスタル最初のバーゲン。ぜひ安くて良いものを手にしてほしいもの。今日は、レムリアンシードのゴールデンカラーが届く予定。今回のタンジェリンレムリアンと一緒に、ゴールデンのレムリアンシードも先日少しだけ送られてきた。質が良かったので、もっとほしいとリクエストしたのだが・・・入荷が少なく、良いものは僅かという返事だった。その後、一箱だけ入荷したらしい。その箱は、輸入途中で迷子になっていたとか。さっそく開けてみると、ゴールデンのレムリアンシードが入っていたとのこと。こちらがリクエストしていたので、優先的に確保してくれたらしい。どんなものが届くかは、開けてみないとわからない。しかし、既に届いている小さな3個のクラスターを見る限り、なかなか美しい。ゴールデンヒーラーのレムリアンシードというのは、極めてレア。特にクラスターは、見たことがない。そもそもレムリアンシードとは・・・1999年の終わりから2000年の始めにかけて発見されたもの。発見したのは、世界的に有名なクリスタル・ヒーラーのカトリーナ・ラファエル女史。場所は、ブラジルのミナスジェラス州のセーラ・デ・カブラル山。その後、2010年5月に同じ鉱山でオレンジ色のレムリアンシードが発見された。その年の6月に初めて新宿のミネラルショーに行った時に、それを目にした。珍しかったので、飛ぶように売れていた。その時が最も品質が良かった。その後も毎回ミネラルショーで目にするが、最近のものはほとんどが部分的にポリッシュされている。その分、価格も安くなっている。昨年から、このレムリアンシードのクラスターが出るようになった。昨年は、初ものということで高かった。しかし、今年は激安になっている。その原因は、大量仕入れと円高。それにクオリティも若干落ちている。しかし・・・ゴールデンカラーのレムリアンシードのクラスターは、まだ出回っていない。少なくともミネラルショーでは見ていない。ネットにも出ていない。単結晶ならネットに出ている。今回のものは、透明感がすごい。透き通るようなゴールデンカラー。上品で気品がある。すばらしいクオリティ。そのようなゴールデンレムリアンは、これまで見たことがない。もしかしたら日本初上陸かもしれない。にもかかわらず、価格はそんなに高くなかった。部分的にポリッシュしてあるのだろうか。今年は、大量に水晶が入ってきている。最初に入ったのは、パキスタンのヒマラヤ水晶。次に、アーカンソー水晶とコロンビア水晶。そして、今回のブラジル水晶。5月になれば、またヒマラヤ水晶も入ってくるだろう。ほどほどに売れてはいるが、在庫が増え続けている。なかなかアップが間に合わない。でも、新しい水晶が届くのは幸せ。今年は、たくさんの幸せを味わえそう。ガイドも楽しいし、水晶も楽しい。オーダーブレスを作るのも楽しい。嬉し楽しの世の中になるのだろうか。昨日アップしたものは、タンジェリンレムリアン、タンジェリンクォーツレムリアンシード、ゴールデンレムリアンなどの名前でネットに出ている。1グラムあたりの単価は、60~160円ぐらいしている。こちらの価格は、1グラムあたり13~20円。いかに安いか自分で確認してほしい。もう二度とないような激安価格。大きなクラスターが家にあるといい。圧倒的な存在感。特に今回のものはオレンジ色なので、元気でパワフル。どんどん旅立たせて、また新しいものを迎える。水晶循環。長くストックしておくのはよくない。どんどん回すのがいい。『溜め込まず 回転させる それこそが この世の仕組み 宇宙の仕組み』『太陽も 地球もすべて 回転し 宇宙自体が 回転循環』『手放して また新しい 出会いして 常に新鮮 常に活き活き』これが日記を書き始めて2664日目の心境。
2012.04.19
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今日の屋久島は、さわやかに晴れている。空の青と山の緑が美しい。滝も白く光っている。風もなく穏やかな春の日。「娘に、『神様はなんで人間を創ったの?』と聞かれました。娘に伝えるにはどうすればいいのか・・・」というメールが届いた。さて、どうして神様は人間を創ったのだろうか。神様は、まず星々を創った。夜空に輝く星々を見て満足した。しかし、しばらくすると、星々の地表が殺伐としていることに気づいた。そこで、植物の緑で覆うことにした。緑を成長させるには、水も必要だった。やがて、海と川を持つ美しい緑の星ができた。神様は、満足した。しばらくは、それを眺めて楽しんだ。しばらくすると、何かが足りないような気がした。動きが足りない。もっとダイナミックな方が楽しそう。そこで、動物を創ることにした。たくさんの種類の動物を創造した。それらがどんどん自己増殖するように設計した。予定通り、動物たちは地表を満たした。神様は、多いに満足した。しばらくすると、神様は何かが足りないような気がした。何だろう?何かつまらない。決められた通りのことしか起きない。神様は、ハプニングがほしかった。思ってもみないことが起きるようにできないものだろうか。それなら楽しめそう。パターン化したドラマは、どうも面白くない。そこで、神様はいろいろ考えた。どうすればハプニングに富んだドラマを見られるようになるだろうか。動物たちは、神様の意図した通りにしか動かない。それでは、面白くない。もっとドラマチックな展開はないものだろうか。ハラハラドキドキのドラマを楽しむ方法は?神様は、更に考えた。そうだ!ミニ神様を創ろう。神様と同じように創造できる存在を創ろう。自由に自分で創造できる存在なら、楽しませてくれるかもしれない。思いもよらないものを見せてくれるかもしれない。そこで、神様は神様に似た人間を創ることにした。自分で考えて、いろいろ創意工夫できるような存在を創った。そうやって人間はできた。さて、神様は満足しただろうか。最初のうちは、満足できた。人々は、平和に幸せに暮らしていた。ところが、途中からおかしくなった。何かが狂ってしまった。あれ?神様の様子が・・・神様、どうしたの?「うーん・・・」神様が、うなっている。どうしちゃったの、神様?神様は、腕組みをして難しい顔をしている。「こんなはずでは・・・」神様が何か独り言を言っている。どうも予定と違うようだ。なに?神様の独り言が聞こえる。「人間は、いつまで争いを続けるつもりなんだ。よく飽きないな。もういいかげん仲良く暮らしてくれないかな。争いは、見飽きてしまった。同じドラマを性懲りもなく繰り返さないでほしい。これでは、観客を楽しませることはできないよ。人間は、もっと賢いと思ったんだけど・・・設計ミス?ドラマを盛り上げるために少しは争ってもいいかもしれない。学習のプロセスとして、それも認めよう。いろんな経験をして成長していくのは、見ていて楽しい。でも、いつまでも同じことの繰り返しでは、いいかげん飽きてしまう。人間は、成長をやめてしまったのかな?どこかで何かが間違ってしまったのかな?うーん・・・いやいや、そんなはずはない。番組予告表を見ると、これから人間は目覚めるとある。ふむふむ・・・そうか、これからか。これからドラマがクライマックスを迎えるのか。そうかそうか。それならもう少し我慢して見ていよう。これから人間は、仲良く暮らすのかな?なに?その前に、試練がある?いろんな試練を超えて人間は目覚める?なるほど。よくできているな。」さて、これからどうなるのか。神様を楽しませることができるのか。ドラマのクライマックスは近い。神様もハラハラドキドキしながらドラマの行く末を見守っている。ということで、どうして神様は人間を創ったのだろうか。それは、神様のような創造力を持つ存在を創って、それを眺めて楽しみたかったからだろうか。つまり、自分自身を自分で眺めて楽しむとこうこと。神様は、自己中?いや、ナルシストでしょう。え!ホント?いやいや、そんなことを言ったら天罰が下るかも・・・自分で自分を眺める視線。それは、神様の視線。それこそが、見守りの視線。見守りとは、神の視線。ドラマを演じているのが、個である自分。それを眺めているのが、全体である自分。それは、神様が人間のドラマを眺めているのと同じ。一人の人のなかに全宇宙の構造が凝縮されている。神は、創造的でダイナミックな宇宙を期待して人間を創った。生命力溢れる輝く宇宙を楽しみたいと思った。幾百万のドラマを経て、平和に収斂する宇宙を意図した。大筋では、神の意図の通りに宇宙は展開している。『神の子よ 神の代理の 神の子よ 神のごとくに この世を創れ』『鉱物や 植物・動物 活用し 光の地球 創る人間』『人として 神の視点で 見守れば すべてと共に 生きるしかない』これが日記を書き始めて2662日目の心境。
2012.04.17
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今日の屋久島は、朝から晴。三泊四日の旅の二日目。ホテルに8時半に迎えに行く。途中でガソリンを入れたため、少し遅れる。天気が良いので、予定通り巨木の森へ行く。海抜1400メートルの巨木の森は、クリアーな空気が充ち満ちている。海抜1000メートルを超えると、空気感がまるで異なる。世俗的なものがなくなり、ピュアー感が漲(みなぎ)る。最初の屋久杉から、じっくり感じる。両手を付けて、屋久杉と一体となる。大きなエネルギーが流れ込む。まるで揺り籠に揺られているように、肉体ではない体が動く。それだけでなく、脳も動き出す。脳の緊張がほぐれていく。パソコンで固まった脳を解いているのか・・・それとも、脳の新しい領域を開いているのか・・・いずれにしても、高い天からのエネルギーに脳が反応する。緊張をほぐしているようでもあり、新しい領域を開いているようでもある。肉体は、しっかりと立っている。しかし、肉体以外の体が前後左右に揺れる。まるでブランコに乗っているような感じ。やがて上下にも揺れ出す。それは、神社で体験するものに似ている。しかし、微妙に異なる。最初の屋久杉から最後の屋久杉まで、ほとんどすべての屋久杉を丁寧に感じる。ここまで丁寧に感じたのは、今回が初めて。ゆっくり時間をかけて、スローペースで進む。それぞれの屋久杉は、微妙にエネルギーが違う。途中に龍の子供が巻き付いたような杉がある。そこにある2本の杉の幹は、スパイラルしている。たぶんここの磁場が他とは違うからだろう。その磁場をじっくり感じてみる。そこは、下から上に解放されるようなエネルギーが流れていた。なんとなくスパイラルしているようにも感じられる。他の屋久杉たちは、上から下にエネルギーが流れている。ここだけ逆。ここでしばらく瞑想したら、心身に溜まっているものが解放されるかもしれない。次回からは、ここで瞑想するための下に敷くマットを持ってこよう。新しいガイドのあり方の開発?試してみる価値はありそう。こちらが丁寧に1本1本の屋久杉を感じている時、お客さんも一緒に感じていた。大きな屋久杉に直に触れると、何かが違う。見ているだけとは、明らかに異なる。ダイレクトにエネルギーが伝わってくる。途中の龍の展望台で、長い休憩。天気が良いので、のんびりお喋りをする。空は、雲一つない快晴。時折、さわやかな風が吹き抜ける。春うららの屋久島。ウグイスの声が、森にこだまする。鳥たちの声も軽やか。帰りに、雄のヤクジカが現れる。予定より大幅に時間がかかった。4時間以上、山にいただろうか。山の中は、深閑としている。風の音と鳥の声がするのみ。最高の森歩き。心地良いこと、この上なし。4月としては、最上の天気。昨日の嵐が、ウソのよう。十二分に巨木の森を堪能して、里へ下りる。まず屋久杉の木霊の木工製品を買いに行く。しばらく行かないうちに、お店が新しくなっていた。これまでよりも広く、明るくなった。それから、昨日の砂浜へ行く。昨日とは打って変わって、穏やかな天気。風もなく、雨も降っていない。晴天そのもの。裸足になって砂浜を歩く。場所によって砂の状態が異なる。足を踏み入れると周囲にひび割れのようなものが生じる場所があった。これは、お客さんが発見。「また新しい観光スポットができましたね」と言われる。森のなかでも彼女は新しいスポットを発見した。発見する度に、彼女は自分の名前を付ける。そのうちに屋久島中が彼女の名前だらけになるかもしれない・・・そのような冗談を言い合いながら、楽しく一日が過ぎた。年齢的には、こちらと近い。あまり重たい感じはないので、気楽に話せる。充実の屋久島二日目が終わる。『屋久杉を 一本一本 丁寧に 感じて行けば 何かが開く』『天の気と 地の気をつなぐ 屋久杉の 巨木は人の 意識を変える』これが日記を書き始めて3658日目の心境。
2012.04.12
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今朝は、朝から雨と風が強かった。そのため、飛行機は一便、二便とも欠航になってしまった。今日の二便で到着するはずのお客さんは、高速船に乗り換えることとなった。予定より4時間遅れて、午後3時10分に宮之浦港に到着。鹿児島空港でも落雷のために着陸できず、40分間上空で待機したらしい。今年二度目の春の嵐。今年は、例年にも増して異常気象。すべては、地球の浄化のため・・・到着が遅れたので、予定を大幅に変更。いなか浜の予定を田代海岸に変える。裸足になって砂の上を歩く。風が強く、まだ小雨が降っていた。それでも激しい雨の後のため、砂浜はきれいに整地されていた。誰も歩いていない砂浜の上は、気持ちがよかった。その後、砂を落とすために隣の川に行く。こちらは、少し増水していた。せっかく大雨が降ったので、滝を見に行く。千尋滝は、もうもうと水煙が上がっていた。竜神の滝は、怒濤のような水量。少し水が濁り気味。最後のトローキーの滝も、いつにも増して水量が多かった。普段より何倍も迫力があった。同じ川の三つの滝を見て、ホテルへ向かう。その頃には、すっかり青空になっていた。明日は、一日中、晴天の予報。この三泊四日で、たぶん最高の天気。巨木の森へ行って、海抜1400メートルの空気を思いっきり吸いたい。そして、美味しい水を心ゆくまで味わいたい。なんという贅沢だろうか。それが仕事でできるとは。お客さんには、もちろん楽しんでもらう。それと共に、自分も楽しむ。それが、本当の仕事だろう。お互いに楽しい。それでこそ仕事。自分がやりたい仕事。自分が我慢して、お客さんを楽しませるのもいい。しかし、その我慢は、どこかにはけ口を求める。無理は、続かない。無理を続ければ、最後には病気になってしまう。病気とは、気が病むこと。いやなことを我慢して続けるから、いやな気が自分の中に満ちてしまう。それでは、病気にならない方がおかしい。我慢や無理は、続かない。好きなことを好きなようにやる。それで自分もお客さんも満足する。それがベストだろう。我慢は、楽しくない。無理を続けると、何かが狂ってしまう。その場は、いいかもしれない。お客さんだけは、いいかもしれない。でも、その歪みは、やがて他のところに出てしまう。無理がなく、我慢もない。自分も楽しく、お客さんも楽しい。そういう仕事、そういうやり方を追求する。そうでないものは、やめるか、やり方を変える。これまで、ずっとそうしてきた。やりたくないことは、できるだけやらないようにしてきた。それは逃げるのではなく、工夫すること。自分がやりやすいように変えること。これまでも、これからも、たぶんその方向で生きていくだろう。常に改善、常に改革。よりやりやすいように。より楽しめるように。それは、自分が楽をするためではない。すべてが抵抗なく流れるため。どこにも無理や摩擦がないように。可能な限り変更していく。それは、終わることはない。なぜなら、状況は常に変化しているから。自分自身も周りの環境も一定ではない。生きている限りは、常に改良を重ねていくしかない。生きるとは、動。生きるとは、変化。生きるとは、常に前向き。生きるとは、限りない躍動。人は保守的になった瞬間、死へ向かって進み始める。守りに入ることは、動の放棄。生とは、動。動がなくなれば、永遠に帰すしかなくなる。生きている限りは、動。変化し続けていくしかない。変化する自分を見守りながら。変化しない静かな意識で、変化する動的な自分を見守りながら・・・ 『やりやすい ようにやり方 変えていく 常に改善 常に前進』 『本当に やりたいことが 羅針盤 常に自分に 問いかけ生きる』『生きている 限りは終わり なきものと 思い定めて 変化していく』 『自他共に 楽しめる世を 創るのが みなの弥栄(いやさか) みなの幸せ』 『色は動 常に変わらぬ ものはなし 変わらぬことが 変わらぬ法則(さだめ)』 『空は静 動きなき故 空と呼ぶ 動きなき故 揺らぐことなし』 『昼は動 夜になったら 静になる 昼夜のバランス 動静バランス』 『生きている 動を見守る 動かない 静かな意識 色であり空』 これが日記を書き始めて2657日目の心境。
2012.04.11
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屋久島は、ここのところ晴れている。二日間、水晶の浄化に行った。昨日は、水を汲みに行った。どこも新緑が鮮やかだった。昨日、ヒーリングを受けたいという電話があった。状態が悪くなると、身動きできなくなるらしい。何もできなくて、ただソファーでうずくまっているしかなくなる。彼女の状態は・・・体の周囲が、コチコチ。電話でも、それが伝わってくる。たくさん詰まっている。恐怖や不安がいっぱい。そういう状態で、ここ10年ほど瞑想しているとのこと。瞑想中は、気持ちがいいらしい。しかし、現実に返ると・・・いろいろなトラブルが待っている。瞑想もいい。心を落ち着かせ、この世を超えたものを自覚するのは役に立つ。しかし、それだけでは足りない。それを現実化しないと。瞑想している時だけ気持ちがいいのでは、温泉に入っているのと変わらない。温泉から出れば、また現実の中で汚れてしまう。自分と温泉は、別々。自分と瞑想は、別々。それでは、ただ瞑想に浸っているだけ。瞑想が、自分そのものとなっていない。だから、現実に戻ると瞑想中のやすらぎが消えてしまう。瞑想が、自分自身と分離している。現実でも瞑想中のようになる必要がある。瞑想の中だけでやすらいでいるのでは、ほとんど現実逃避。そのやすらぎを、いかに心身や周囲に現実化するか。それこそが、この世を生きるということ。この世バージョンで生きることも必要。瞑想も必要。しかし、どちらかに偏りすぎるとバランスが壊れる。現実だけでも危ないし、瞑想だけでも危ない。霊性をいかに現実化するか。それこそが、生きる課題。瞑想だけしているのであれば、この世に生まれてくる必要はない。別の世界でやっていればいい。この世は、現実化するところ。心を現象化して確かめるところ。自分のビジョンを物質のなかで形に表すところ。そこが、一番難しい。そのためには、この世を理解し、あの世を理解する必要がある。物質を理解し、物質を超えた次元も理解する必要がある。肉体を理解し、肉体を超えた精神も理解する必要がある。この世で精神と肉体を調和させる必要がある。いろいろなバランスを学び、調和を実現する。この現実世界に調和の世界を築く。それには、多くのことを学ぶ必要がある。この物質地球を理解する必要がある。バランスと調和。中庸と中道。それらを実現するには、深い学びと気づきが必要。そんなに簡単ではない。中庸とは、この世的なバランスと調和。中道とは、宇宙的なバランスと調和。それらを自分のなかでいかに実現するか。自分の周囲にいかに現実化するか。人生は、日々、サーフィンしているようなもの。いろいろなことが起きる。それに対処する必要がある。しかし、うまく対処できないこともある。失敗から学び、試行錯誤していくしかない。そういうしなやかなスタンスが、生きる基本姿勢。人生は、常に波乗りゲーム。霊静に見守りながら、自他を調和させていく。『刻々に 変わるバランス 調和させ 波乗りをする それが人生』『物質と 心と体 理解して 調和のとれた 世界を築く』『内側に 深い調和を 実現し それを周囲に 広げて生きる』これが日記を書き始めて2655日目の心境。[注] ヒーリングは、おこなっていません。 やっているのは、ガイドとクリスタル等のネットショップです。
2012.04.10
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屋久島は、晴れている。しかし、風が強い。水晶の浄化に行きたいのだが・・・なかなか行けない。知り合いから電話があった。「屋久島 光のガイド」のHPを見て感動したとのこと。別に初めて見たわけではない。これまで何度も見ていたのだが・・・一人の女性に会ったらしい。短い間、真剣に目を見つめて話したとか。その人は、重たかった。その重たいものをそのまま背負ってしまった。電話をしてきた人は、とても感じやすい人。すぐに人のものを背負ってしまう。その分、相手は楽になるのだが・・・背負った方は、たまらない。心身共に重たくなって、息が詰まる感じだったらしい。そんな時に、たまたま「屋久島 光のガイド」のHPを見た。すると・・・見る見るうちに重たいものが融けていった。初めて知る「屋久島 光のガイド」のHPのすごさ。まさに光の雨が降っていたとか。それは、繊細な慈雨。それが心身に浸透し、見る間にクリアーになった。すごい!本当に光のガイドだ!というのが、彼女の感想。(何を今さら・・・)3月20日の春分の日にHPをリニューアルした。光のガイドにふさわしい光に満ちたものに替えた。光り輝くようなHPを意識的に作った。それがやっと認められたということだろうか。「屋久島 光のガイド」のHPからは、光が出ている。見る人が見れば、わかる。感じる人が感じれば、キャッチできる。今回は、それを劇的に感じられたようだ。「屋久島 光のガイド」のHPは、既にアセンションしている。だから、この世とは違った光が流れている。それを自覚できるかどうか・・・極めて繊細な光。まさに光の慈雨。こまやかに全身に浸透する。それを感受するには、それなりの感受性がいる。物質的・肉体的感覚では、感受することはできない。このHPは、Yahoo!やGoogleで「屋久島ガイド」で検索すると1ページ目に出てくる。しかし、あまり反応はない。まだ早すぎるのだろうか。それとも、波動が細かすぎて目に入らないのだろうか。それとも、なんとなく怪しいサイトに思われるのだろうか。その可能性はある。確かに怪しい。この世的な感覚で見ると・・・それは覚悟の上で作成した。反応がなくても、ガイドの依頼がなくてもいいというつもりでアップしている。だから、別にアクセスがなくても問題はない。ただ光をアップしたかった。そのうちにだんだんと認知されていくだろう。よく感じれば、光が流れている。それだけで癒やされる。完全無料。電話の彼女も話していたが、光はタダ。いくら受け取っても料金は発生しない。なんともすばらしい時代。アセンションしてしまえば、お金はメインではなくなる。今の時代は、まだお金がメイン。何でもお金に換算される。しかし、アセンションしてしまえば、大切なものは自ずと違ってくる。それは何か?それは、光だろうか。それとも、愛だろうか。あるいは、信頼だろうか。いずれにしても、無償のもの。お金に換算できないものが、最も大切なものと認識されるようになる。今は、まだ建前。本音は、お金。物質や肉体。早く物質や肉体をクリアーして、次の段階へ行くことだろうか。その本質は、物質や肉体にまつわる欲望。自己保存と自我の拡大。自分、自分の世界。その自分を理解し、その小さな自分を超えていく。そのためには、自分を見守る必要がある。見守って、理解して、自然に自我から離れていく。無理をすることはない。なぜなら、無理をすること自体が自我そのものだから。無理は、欲望の結果。アセンションでさえ、渇望すれば自我となる。渇望するのではなく、理解すること。自力で自我から離れるのは難しい。なぜなら、その自力こそが自我そのものだから。ただ見守って理解するしかない。理解の結果、自然に自我から離れるしかない。実は、見守っていること自体が既に自我ではない。自我が自我を見守っているのではない。自分の行為を判断し、解釈すれば、自我になる。そうではなくて、ただ黙って見守る。静かに見守って、静かに理解する。理解が自我を超えさせる。それは自力ではなく、他力でもなく・・・自然な成り行き。意識のポイントが自我=思考の次元から、より高い次元へ移行する。それは、自我の努力ではできない。自我ができるのは、あくまで自我の範囲内。それは、お釈迦様の掌(てのひら)の中で暴れ回っている孫悟空のようなもの。いくら孫悟空が遠くへ飛んでも、所詮、お釈迦様の掌の中。お釈迦様の掌の外に出るには、むやみに暴れ回らないこと。静かに自分のいるところを自覚すること。自分が無限のなかの一部でしかないことを理解すること。それがわかったら、静かにお釈迦様と融け合う。そうすれば、お釈迦様とひとつになれる。もうお釈迦様の一部ではなくなる。自我ではなく、全体となる。ゆるめること。自我とは、緊張。緊張をすべて手放す。そうすれば、全体と融け合える。全開すれば、無限のものと融け合える。身を守ろうとしている限り、それは難しい。理解がなければ、全開は怖くてできない。見守り、理解し、手放す。すべての緊張を手放す。ただ手放すだけでいい。他にやることはない。手放せば、自然に広がる。『パソコンの ホームページを 見るだけで 別の次元の 光流れる』『ジタバタと 慌てふためく 孫悟空 静かに釈迦に すべて委ねる』『自我我欲 小さな自力 手放して すべて全開 心全開』これが日記を書き始めて2652日目の心境。
2012.04.07
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昨日、新しい水晶とビーズが届いた。水晶は、今年のツーソンショーのもの。船便でやっとアメリカから日本に届いたらしい。初めて手にするモリオン。モリオンとは、黒水晶。まったく透明感のないもの。透明感があれば、スモーキークォーツとなる。4.8キロもある大型クラスター。最近のモリオンは、中国産やモンゴル産が多い。たまに放射線処理をした美しくないアーカンソー産も出回っている。しかし、こちらはブラジル産。正真正銘の天然無研磨のクラスター。照り照りで黒光りしている。最高クラスのモリオン。実にすばらしい。こんな水晶があるのかと驚くほど。机の上に置いておくだけで、圧倒的な存在感。不動の安定感。超グランディング。黒の力。モリオンと共に、ゴールデンレムリアンのクラスターも届いた。こちらは、そんなに大きくはない。全部で4個。2個はゴールドカラーで、2個はオレンジ色。一般的に言えば、ゴールデンヒーラーとタンジェリンクォーツ。しかし、レムリアンシードの鉱山で採れたようで、ゴールデンレムリアンという名称が付いている。こちらも、予想を超えるクオリティ。透明感があり、ゴールドとオレンジが美しい。モリオンは、iPhoneで撮った写真を見せてくれた。しかし、ゴールデンレムリアンの方は信用買い。というか、お試し買い。知り合いの卸業者が良いと言うので買ってみたもの。両方とも良かったので、業者にお礼の電話をする。すると、もっと大きなものがあるとのこと。まだネット上には出ていないもの。まずお得意様に紹介してからネットに載せるらしい。ドラム缶で届いたという大量のゴールデンレムリアンの中から、クオリティの高いものをチョイスしてくれた。全部で21キロ。オイオイ・・・そんなにたくさん?でも、クオリティが高いと言うので購入することに。もちろん何十万円もする。写真も見ないでの信用買い。8キロや6キロもある大型クラスターも含まれる。モリオンは、写真を見せてくれた。10キロぐらいはありそうな、ものすごく大きなクラスターがあった。横によけいなものが付いていた。それがなければ、買ったかもしれない。水晶は、いい。特に大型クラスターは、すばらしい。もう病みつきになってしまう。これでは仕事ではなくて、完璧な趣味の世界。仕事を離れて、すばらしい。損得抜きで、すばらしい。黒水晶が1個あるだけで、部屋の雰囲気が大きく変わった。もう少し小さなモリオンがあれば、たくさん仕入れたかったのだが・・・残念ながら、大きなものしかなかった。4.8キロのものが、一番小さなものだった。他に3個見せてくれたが、こちらに届いたものがベストだった。もし他のところで良いモリオンがあったら、また仕入れたいと思っている。モリオンは、一人1個は持っていてもいいと思う。本当にすごい安定感がある。大地が凝縮されたような安定感。揺るぎない不動の安定感。モリオンが届いたせいか、部屋の改造を始めてしまった。部屋にあった本をほとんど整理して、水晶置き場に変更。これからどんどん新しい水晶が届くので、そのためのスペースを確保。春になったので、これからヒマラヤ水晶も採掘が始まる。5月下旬になれば、新しいヒマラヤ水晶も届き始める。6月上旬には、新宿のミネラルショーがある。10月、12月とミネラルショーが続く。その間には、卸業者からも直接届くだろう。今シーズンもたくさんの水晶たちと出会えそう。その第一弾が、モリオン。最高のモリオンが届いた。そして、第二弾がゴールデンレムリアン。数日中には届く手はずになっている。どんなクラスターが届くか楽しみではある。こちらは、浄化が終わったらネットショップに出せるだろう。モリオンも参考までに出してもいいが・・・モリオンは、もうしばらくは手元に置いておきたい。なかなか手に入らないレベルなので。もちろん、価格も高い。店頭で買えば、たぶん20万円は軽く超えるだろう。水晶の新しいシーズンが始まった感じ。やはり新しいものが届くと気分が新鮮になる。自分のなかの何かが変わる。新しい可能性が芽生える。これまで潜在していたものが、水晶が届くことによって活性化する。それこそが、水晶の魅力。水晶は、単なる飾りではない。水晶には、秘められたパワーがある。水晶は、人のなかに潜在する可能性を刺激する。それに点火し、開放する。それこそが、水晶の役割。水晶が持つ可能性。水晶は、すばらしい。今年も、すばらしい水晶との出会いがありそう。どんな水晶たちがやって来るか楽しみではある。水晶の新しいシーズンの幕開け。『新しい 水晶届く ことにより 自分のなかの 何かが変わる』これが日記を書き始めて2650日目の心境。
2012.04.05
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昨日は、日本全国が春の嵐に見舞われた。屋久島も台風並みの雨と風だった。日本に停滞する放射能を一掃したかったのだろうか。それとも、日本人の意識を更に浄化したかったのだろうか。4月1日の日記にメールを掲載した方から、またメールが届いた。今度は、セルフ個人セッションができるようになったという内容。意識は、困難と共に一段と浄化され、深化していく。以下、その全文。--------------------------------------------------------Kimiさんにあのメールを送ってから三日間ほど、体調不良で寝込んでおりました。今回は頭痛が激しく、頭が割れるようで、鼻づまりと咳で息も苦しく、顔のあちこちが痛くなって、ちょっと激しい春の浄化の嵐でした。今日はだいぶ調子が良かったので、朝、先日送っていただいたヒマラヤ水晶を両手に持って静かに自分を感じようとしていたのですね。(まだ瞑想ができません。)だんだんと手の中にある水晶の個体の感覚がなくなって、エネルギーの塊のようなものが両手の中にある感じになってきて、今回はエネルギーがいつもよりパワフルに感じたので、そのエネルギーを体中に流すようなイメージをしていました。そうしたらですね、いつの間にやら自分で自分を誘導し始め、自分で自分の個人セッションのようなことを始めてしまったのです。Kimiさんの個人セッションのレポートのような。最初、体の輪郭がなくなって宇宙に浮かんでいるようなイメージになっていたので、「そこに何か見えますか?」と聞いていて、(自分で)「地球が見える」と答えていて(自分が)。。。「二つの地球が重なっていて、ほんのちょっとだけずれてる。上にずれてほんの少しだけ見えている地球はすごくきれい。私が持っているラリマーみたい。波動の高い地球。波動の上がった人たちがもう既にそこにいる感じ。私はまだ重なった部分の地球にいる。波動の低い地球。重い感じ。その地球は茶色にくすんだラリマーみたい。」そのような対話をしばらく続けていたら、急に、浮かんでいる私の体に紫色のゴムでできたような膜が張り付き始め、私は息苦しくなってきて、そのゴムを引き離そうと必死になるのだけれど、どんどん絡まってきて、どんどん苦しくなってきて。。。「落ち着いて。ゆっくりと呼吸をして。その膜が何なのか感じてみてください。ゆっくり。ゆっくり。」「。。。思い込み。この膜は思い込み。自分の思い込みで苦しくなってる。身動きが取れなくなっている。思い込みで自分は裏切られたと思い、馬鹿にされたと思い、相手にされていないと思い、傷つけられたと思い。。。そして勝手に相手を憎み、怒り、嫉妬し、苦しんでいる。思い込みで自分の世界を作ってしまっている。そしてその中で生きている。過去に何度も何度もこの思い込みで失敗をしている。思いが自分の世界を作る、のネガティブバージョン」「ということは、思いをポジティブなものにすれば、ポジティブな世界も作れる?」「思いで自分の世界は作られる。すべては幻のようなもの。あってないようなもの。」そんな対話をしていたらだんだんと疲れてきてしまって、「もう終わりにしたい」と私が言ってこの対話は終了になりました。でも深く入ってしまったようでなかなか戻ってこれなくて、無理やり目を開けようと思えばできなくもないのだけれど、それはちょっと苦痛で。どうしたら自然に戻れるのだろう~なんて考えていたら、「大きな深呼吸」と頭に浮かんで、それでやっと自然に戻ってこられました。始めてから40分ぐらい時間が経っていました。この体験は、私が作ってしまった思い込みの世界なのでしょうか?今年に入って鬱々し始めてから、Kimiさんの個人セッションの記事を貪るように読んでいました。今までにも読んだことはあったのですが、今回は私の心に深く深く入ってきて。私も個人セッションを受けてみたかった、などとも感じていたので、だから思い込みでこんな世界を作ってしまったのでしょうか。自分ともう一人の自分と、またそれとはちょっと違った自分と。。。それらがごちゃまぜになったような感じで混乱しています。ハイヤーセルフを自我で作り上げてしまっているのでしょうか。不安になってしまいました。今回出てきた「思い込み」に関しては、今の私にとてもジャストで必要なメッセージでしたので、これから自分の生き方の視点が変えられるような気がしています。また長々とすみません。もし、なにかメッセージがありましたお願いします。 --------------------------------------------------------東京で光のセミナーをやっていた頃、たくさんの個人セッションをおこなった。その記録の一部が、「屋久島 光のガイド」のHPにアップされている。そのセッションレポートを熱心に読まれたらしい。その結果、セルフ個人セッションが自然発生的に起きたようだ。全体的な感じは、何も問題はない。ハイアーセルフとの対話のようになっている。自分自身の問題点が、客観的に指摘されている。それは、ネガティブバージョンの思い込みワールド。思いの世界なので、どのようにでも変更可能。実際、思いは刻々に変化している。しかし、根深くパターン化した思い癖というものもある。それが自分自身を縛っている。まさに自縄自縛。自分で自分の自由を縛っているだけ。実際は、実体のない思い込み。特定の経験を普遍化しているだけ。過去の苦い思いを二度と味あわないためのプロテクト。それも役に立つこともある。経験は、役立てる必要がある。しかし・・・それも度が過ぎると、自分の自由を縛る結果となる。経験は、活かして使う。しかし、それに縛られない。そのためには・・・しっかりとした主体性が必要となる。経験や記憶との分離が必要になる。経験や記憶と自己同一化しないこと。一歩離れて経験や記憶を見守る視点。常に今ここ。今ここは、ゼロ。何もないところ。そこに立って、経験や記憶を活かす。そうでないと、経験や記憶に縛られる。自由がなくなる。今ここというのは、空。色ではない。色は、認識の世界。認識とは、過去のデーターで識別すること。過去のデーターがなければ、識別はできない。認識は、不可能。記憶をフィードバックすることによって、認識が起きる。記憶なしでは、認識はあり得ない。識別するということは、何かの基準がないとできない。人類の文化にとって、記憶は必要不可欠。しかし、そうかといって記憶ベースで生きると、今この瞬間を感じることができなくなる。そのあたりが、とても微妙。目に映るものを識別しないで、ただ感じる。それは、空。それを識別すると、色になる。見た瞬間というのは、空。すぐに記憶にフィードバックされて色となる。この世で生きていくには、色が必要。しかし、色だけでは、真実の半分。言語以前の空も必要。認識以前の感受も大切。人は、そういうもののトータルでできている。ハイアーセルフと対話することは、いろいろ役に立つだろう。しっかりと自分をキープしながら対話することだろうか。いくらハイアーセルフでも、依存しては危ない。慢心すると、別のものにすり替わる危険性がある。常に主体性は、こちらに確保しておく。その上でハイアーセルフとの対話を楽しむ。いろいろ学べばいい。ハイアーセルフは、たくさんのアドバイスをくれるだろう。ハイアーセルフとつながることは、魂とつながること。魂と共に、この世を生きるのは必要なこと。この世オンリーバージョンにならない。自分の本質を忘れない。霊性を保ちながら、この世を生きる。物質次元を理解し、自分自身を理解する。肉体を理解し、感覚を理解し、感情を理解し、思考を理解する。そういうこの世的なものを理解しながら、スピリチュアルにこの世を生きる。この世的なものを十分に理解しないと、この世をスピリチュアルに生きることはできない。物質、肉体、感覚、感情、思考・・・人類の歴史、社会の構造、生命の成り立ち・・・そういうものを理解した上で、現実創造に励む。トータルに理解する必要がある。特定の分野だけでは、片手落ち。自分の仕事のことだけでは、十分とは言えない。人生全般にわたって理解する必要がある。そうでないと、この世を十全に生きることはできない。本当の意味での霊的な現実創造はできない。信仰ではなくて、理解の上に立った現実創造。それが、これからの時代に求められていること。『今ここの ゼロの意識に ベース置き 経験活かし 記憶を使う』『トータルに 理解する時 人生を スピリチュアルに 創造できる』これが日記を書き始めて2649日目の心境。
2012.04.04
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今日の屋久島は、晴れている。でも、まだ風が冷たい。午後になれば暖かくなるだろうか。ブレスレットを送った人からメールが届いた。この方は、以前、屋久島に来られた際にガイドをした。その後、魂ブレスを作製した。今回は、姓が変わっていた。結婚したとのこと。屋久島から帰って、魂ブレスが届いて、とんとん拍子に事が運んだらしい。その後の状態が良いことは聞いていたが、結婚のことまでは知らなかった。それだけでなく、妊娠もしているとのこと。何ともおめでたい話ではある。今回は、オーダーのあったブルームーンストーンの他に結婚と妊娠のお祝いとして別のブレスレットもプレゼントした。それは、今の彼女にとって役に立つブレスレット。感情を浄化し、愛を育むブレスレット。以下、彼女からのメールの全文。-------------------------------------------------早速の発送ありがとうございました。今日、手元に届きました。お祝いのブレスレットまでわざわざ新たに作って下さって感激しています。kimiさんの優しい心遣いに心からありがとうございます。ローズクォーツのやわらかなピンクとムーンストーンのさわやかさ、見てるだけで身体の奥からじわーと優しさみたいなのが溢れてくる感覚になります。とても気に入りました。どうもありがとうございます。ブルームーンストーンも、思っていた以上にシラーも美しく出ていて大満足です!ブルームーンストーンはいつか手にしたいと思っていた石で、というのも、ミーハーで笑われちゃいますが、子供の頃からずっと大ファンだったチェッカーズの曲にblue moon stoneというのがあって、大好きな1曲なのです。今回、安産の石でもあると知り頂くことにした次第です。何事もタイミングってあるのですね。屋久島へ行った後の私は、屋久島に魅了されて、自然と共に自然に生きていこう、そしていつかは自然に帰ろうと思って生活していました。その後、kimiさんに魂ブレスを作ってもらい、その直後に出会った人と自然な成り行きで結婚することになりました。その人とは屋久島旅行の前に始めていた婚活で結婚紹介所を介して知り合ったのですが、屋久島旅行後の私は結婚に興味がなくなり、いつ屋久島に移住しようかと計画を立ててる状況でした。なので、その彼との面談を最後に紹介所も退会しようと思っていました。なので、彼との初対面も私は自分を飾ることなく、ありのまま、今は結婚より屋久島移住が夢です、と話しました。今思えば相手に失礼な態度だったと思いますが(^_^;) でもそれが良かったのか、結果的には今のこのような状況になりました。彼と私はお互い昔から知っているような、お互いを性別の違う自分と思えるような、そんな関係で一緒にいて楽です。もちろん、ムカッとしたり、イライラしたりもありますが、居心地良い関係です。そして嬉しいことに、屋久島への移住は、今では私だけの夢ではなく、家族の夢となっています。彼は屋久島でパイナップル栽培をしたいそうです。出産が終わり、赤ちゃんもある程成長したら、家族で屋久島旅行へ行きたいと思います。kimiさんのブログ、これからも楽しみにしています。私も確か空亡が辰巳なので少し気にしていたのですが、この前のブログのおかげで心落ち着きました。12年前の天中殺では、不安だ不安だと強く悲観するあまり、自ら事態を悪化させたような気もします。つらつらと長くなりましたが、私は自分らしく今を生きています。そのきっかけを作ってくれた屋久島とkimiさんに感謝しています。どうもありがとうございました。それと…もしも、子供の名付でいくつかの候補で迷った場合、kimiさんにアドバイスしてもらえたりするのでしょうか?そんな鑑定士みたいなことはしない、と呆れられちゃうかもしれませんが(^_^;)ではまた。-------------------------------------------------昔から知っているような関係というのが、一番楽かもしれない。それは、過去世でも一緒だったということを意味する。お互いに何度も縁があるということ。今生出会っている人は、そのような人が多い。過去世で夫婦であったり親子であったり、兄弟や友達の場合もある。いろんな関係があるが、共通するのは共に一緒に過ごしたということ。そしてまた、今生も共に生きたいということ。よほど気が合うのだろう。そういう人と出会えると幸せ。屋久島も魂ブレスも、そのサポートに過ぎない。本来の自分で生きること。それこそが、真の生き方。人生で最も大切なことは、本来の自分を生きること。この世的な仮面の自分を生きないこと。生活のためだけに自分を押し殺して生きないこと。我慢や忍耐の人生に、それほど意味はない。時には、そのようなことも役に立つ。しかし、人生全体が我慢や忍耐では悲しい。それは自分を磨いたり、深い気づきのために必要なだけ。常に我慢と忍耐では、人生は苦しみとなってしまう。人生は、自分という花を咲かせるところ。生まれてくる前に計画したとおりの人生を実現するところ。現実創造こそが、生きるということ。それは、自分が望む人生を創造するということ。あの世でできることは、青写真を描くところまで。実際に創り上げるのが、この世での仕事。そのために人は生まれてくる。その内容は、人によって異なる。それぞれにテーマがある。人間関係であったり、仕事であったり、才能であったり・・・それは、自分自身で決めてきたこと。それを実現するのが、人生という大舞台。自分が真に望む人生を創造する。それが、生きるということ。それが、現実創造。宇宙創造の一環。人は、宇宙創造の一翼を担っている。それが我慢と忍耐の宇宙であれば?そんな宇宙はいらない?もっと違う宇宙がいい・・・自分の望む宇宙を創造すればいい。但し、この世バージョンではないものを。この世ナイズされたものは、周りの影響の結果。外側の欲望に踊らされたものは、本物ではない。外側からの刺激を受けて内側から生まれてくるものだけが、真実。それは、外側から親鳥が卵を突(つつ)き、内側から子鳥が卵を突いて生まれ出るようなもの。肉体的な欲望よりも、もっと深いところのもの。物質的、この世的な欲望を超えたもの。そういうものが内側から出てきたら、それを実現すればいい。この世的な表面的なものは、マスコミや世間の影響の結果。そのような表層のものではなく、もっと深いものを探ること。自分の源泉を追求すること。そうすれば、汲めども尽きぬものが湧いてくる。それこそが、自分が過去世で培った才能や能力。魂とつながる叡智。宇宙的な深い精神性。より深いものを。表層の欲望に翻弄されずに、真に心が満たされるものを。そういうものを追求し、実現する。それが人生というもの。真に自分が満たされるもの。それは、この世的にリッチになることを意味しない。基準は、あくまで自分が満たされるかどうか。心からの満足が得られるかどうか。心の底から満たされれば、それでOK。それが真に自分がやりたいこと。生まれてくる前に計画してきたこと。魂が望んでいること。そういうものを見つけ出すことだろうか。自分自身という井戸を掘り下げることだろうか。自分のなかの真実に至ることだろうか。汲めども尽きぬ源泉を掘り当てることだろうか。『この世的 欲望だけを 求めれば 後に残るは 生きる虚しさ』『魂の 奥から望む ことだけが 汲めども尽きぬ 真の喜び』『外側の 物質的な 欲望に 翻弄されず 自分を生きる』『心から 満たされるのは 真実の 自分自身を 生きた時だけ』これが日記を書き始めて2647日目の心境。
2012.04.02
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今日から4月。新しいスタート。春は、初々しい。すべてが新鮮。水晶を送った方から、見守りについてのメールが届きました。少し見守りの感覚がつかめたようです。以下、その全文です。----------------------------------------------------今年に入ってから鬱々とした日がずっと続いていて、そこからなかなか抜け出せません。といっても、日常生活はちゃんと送れていますし、学校の仕事もビーズの講習会もできていますので、大きな問題ではないのですが。。。3週間ぐらい前にKimiさんの過去世のビジョンを見てから、外に何かを求めても、そこに私が求めているものは何もないということが、私の中でもうはっきりとわかったのですね。外の世界は色の世界。個の世界。喜怒哀楽を楽しむところ。もう自分に帰っていくしかない。自分の中に入っていくしかない。そしてそのためには、どんな自分が出てきても外に逃げないこと。外に何かを求めようとしないこと。つらい自分といっしょにいること。居続けてあげること。そこに見守りの意識というものが芽生えるのだろうな、などと感じていました。ちょうど今、鬱々としているのは、これを実践するチャンスかもとも思っていました。そんな中、きのうヒマラヤ水晶が届いたのですが、今日、見守りの意識というものがどういうものか、頭ではない部分で少しわかったような気がしたのです。今朝、体調が悪くてしんどくてしんどくて仕方なかったのですが、そのしんどいと感じている自分を見守っているもう一人の自分。母親が子どもを見守っているような意識。そういう意識が自分の中にあることに気が付いたのです。見守りの自分からはどんどん温かいものがあふれ出していて、体がしんどいと感じている自分が、見守っている意識の私に、「もっといて。ここにいて。ずっといて。」って訴えているのです。なんだかへんてこりんな感覚(笑)。でも、あ、これが見守りの意識かしら~って思ったのですね。これって、自分で自分が癒せる?自己ヒーリング?だとしたらすごいことかも~って思っちゃいました。今、だいぶん体調もよくなってきたので、これからなんとか夕食も作れそうです。この見守りの意識が常に自分の中にあるように、感じられるように、これからも自分と居続けたいと思います。ヒマラヤ水晶、ありがとうございました。----------------------------------------------------意識は、多重構造。単純ではありません。辛いと感じている自分。それを見守っている自分。そして、それらに気づいている自分。意識は、まるで重箱のようです。何層にも重なっています。多次元がワンパックになっているのです。大切なことは、表面意識だけで生きないこと。表面意識とは、この世の意識。肉体的、物質的意識。肉体と共に成長するなかで培われた意識です。その意識も、この世を生きるためには必要です。しかし、それがすべてではありません。もっと表面意識が知らない意識の領域もあるのです。それは、夢に出てきたりします。夢の中では、人は容易に飛んだりできます。時間、空間が一瞬です。前後関係がありません。飛躍の連続です。時間とは、思考の世界です。思考の次元を超えれば、時間はありません。前後関係というのがないのです。すべてが同時に存在しています。夢の世界は、表面意識とは別の次元です。人は、この世だけで生きているのではありません。多次元存在です。この世も、その多次元の一つに過ぎません。見守りの意識というのは、そのすべてを見守っている意識です。それは、表面意識に浸透し、表面意識を包み込んでいます。そういう意識もあるのです。そういう意識に気づけるといいですね。そうすれば、セルフヒーリングも可能となります。自分自身のなかに無限の可能性が宿っているのです。そういう意識に気づくには、見守ろうと心掛けることです。そうすれば、そのようなエネルギーが表面意識に流れ込んできます。いつもそのようにしていると、見守りの意識と表面意識との間に通路のようなものができます。そうなると、いつでも見守っている感じが伴うようになります。見守っているのは、小さな自分ではありません。もっと大きな大きな意識です。ただ見守る。良いも悪いもなく見守る。何の判断もなく見守る。ただただ慈しむ。それは、わかりやすく言えば慈母観音のような意識です。ただただ慈しみの意識。やさしく包み込み、癒やす意識です。慈悲そのものですね。その意識は、個という狭い意識を超えています。ややもすると視野狭窄に陥りやすい自我を見守っているのです。自分のこの世の経験をベースに生きているのが、表面意識=自我です。それも必要ではあるのですが・・・それだけでは、全体が見えません。井の中の蛙(かわず)です。この世的な言葉で言えば、「世間知らず」ということになります。実際は、多次元知らずですが・・・人は、自分が育った環境をベースに生きています。狭い地域の伝統的意識に縛られている人もいます。もっとグローバルに生きている人もいます。多次元的に生きている人もいます。意識は、多様です。インナーチャイルドの意識もあれば、大人の意識もあります。魂の意識もあれば、天使の意識もあります。神々の意識もあれば、見守りの意識もあるのです。意識の領域が広がれば広がるほど、自由に生きられます。それは、狭い伝統的風習に縛られている人と、世界をグローバルに生きている人との違いのようなものです。どちらが視野が広いかは、一目瞭然です。意識の自由度の差も歴然としています。人の意識は、変わるのです。人の意識は、本来自由です。それが生まれ育った環境によって条件づけられているのです。その条件づけを外すには、その条件づけに気づくことです。気づければ、その思い込みは外れます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花。」幽霊だと思っているから怖いだけです。枯れた木を怖がる人はいません。思い込みを外せは、人は自由に生きられます。思い込みを外していけば、人の意識は広がります。無限に広がる可能性を秘めています。人は、まさに無限存在です。そうなると、自然に前向きに生きられます。小さな意識で、鬱々と生きないことですね。大きな意識でのびやかに生きることです。今の表面意識がすべてではありません。人の意識は、無限の可能性を秘めているのです。この方は、「屋久島 光のガイド」のHPに掲載されている光のセミナー時代の個人セッションのレポートを読んでいた時、ビジョンが見えたそうです。それは、こちらが縛り首になっている時代を体験された方のセッションレポートでした。それと同じビジョンが、この方にも見えたようです。その時に、深い喪失感を感じたそうです。たぶん、同じ時代に生きていたのでしょう。宗教関係のグループだったのかもしれません。宗教弾圧で、こちらは縛り首になったのでしょう。その時は、こちらに依存していたのかもしれませんね。今生は、依存はなしです。自立が求められています。宗教ではなく、理解です。団体ではなく、個々の気づきです。そういう時代なのです。もう何かを信じて生きる時代ではありません。信じるから依存してしまうのです。理解すれば、依存する必要はありません。今回は、こちらも依存されるつもりはありません。それぞれに自立していただくために生まれてきています。深く真理を理解し、真理をベースに自律的に生きていくのです。そのために延々と日記を書いています。それは、過去世の反省に基づいている一面もあるのです。過去世は、信仰=依存の時代でした。今生は、それを脱却します。真理を一人一人が体現して生きるのです。次元が異なります。信仰と理解では。依存と自立では。真理を自ら理解し、その真理を生きることです。『困難と 共に逃げずに 見守れば 慈雨の雨降る すべてを癒やす』『見守ると 心に決めて 日々生きる 決めることから 見守りスタート』『見守って 心静かに 生きる時 深い意識は すぐそばにある』『見守りの 意識は清く 繊細な 波動と共に 今ここにある』『まだ知らぬ 未知の意識の 限りなさ 無限宇宙が 内に息づく』『新しい 時代は真理 理解して それぞれ自立 真理を生きる』これが日記を書き始めて2646日目の心境。
2012.04.01
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