2004年04月25日
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お昼は何にするか。弁当を買いに行くのも面倒だと思うし、欲しい物が無いから行く気も無い。


昨日、某ディラーで、粗品のスパゲティを貰ってきた。目障りなので、これを食うことにする。
横着なので、時間を計ってとか、湯で具合が等とみてゆでるのではない。本当に適当である。
カセツトコンロに火をつけ、資料の整理をしながら、たまに様子を見ると言う、ながら調理である。

今日は成功した。程よいゆで加減。
湯を切り、そのまま何もかけずに、数本ちゅるちゅると食べる。最高の幸せ。

最後の晩餐。
以前、アメリカの死刑囚に与えられた権利と聞いたことがある。執行の前に、希望のものが食べられると云う。


基本的に最後の晩餐をするのは、基本的に病人には無理である。食べれないから。
ならない方が良いのだが、立場になることは、死刑執行か、特攻兵ということになる。
もし、最後の晩餐を選べれるぶ立場になったら、迷わずに、ゆでたてのスパゲティと炊き立てのご飯をお願いするだろう。
炊き立てのご飯。米は銘柄米ではない。ブレンド米。以前に、いまは競争に負けてたたんだ米屋さんに、分けてもらっていた数種の米を混ぜたもの。
銘柄米がうまいと、普通は考えるのが、米屋さんの努力の、炊いたときに本当においしい、混合比を考えた、何もおかずなしで食べれるご飯。互いが補い合っている、金額は安いが、とても贅沢なもの。
大きな釜で炊き、出来てすぐのところで、茶碗をがさっと入れてすくい上げたものをそのまま頂く。しっかり噛むと、口の中で甘みが出てくる。
どんな高級なところでも、この出来てたのご飯にはありつけない。出来てすぐに出すことは無いから。

スパゲティも、店のものは、前もってゆでているものだから、時間が経ってしまって、味が落ちている。そんなのだから食べに行かない。茹で上げてすぐが、おいしいのである。まずいものにお金払っておいしいなんて言うのは、アホらしいから。味のわからん金持ちが、雰囲気を買いに行けばよいのである。貧乏人には必要ない。ソースの味などは、確かに良いであろうが。ただ単にいじけているのではありますが。

食べ終わったし、さあ、仕事の続きだ。
仕事の進行具合だけは、最後の晩餐である。レオナルド・ダ・ヴィンチの仕事の遅さと、未完成ばかりというのが同じということの意味で。





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最終更新日  2004年04月25日 13時35分45秒
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