救急隊員から報告を受けていた若い医師が運び込まれた私をエコー検査すると「急性心不全、心機能30%、即 I C U 入院」と告げた。
『心機能、30%? どうゆう意味なのか? 私の心臓は30%しか動いていないのか?』
30%という言葉が鼓膜に刻み込まれる。恐らく一生、30%という数字を忘れることはない。
混濁する意識の中、ストレッチャーに乗せられ、ICUへと運ばれてゆく。
眼を開く力さえ残っていなかったから、肌で感じただけだが、おそらく2,3人の看護師たちがストレッチャーを押していた。私にとっては生きるか死ぬかの瀬戸際だったが、彼女たちには日常の勤務だったので普通に喋ったり、笑ったりしている。
『私は眼が開けないほど弱っているのに、彼女らは元気に笑っている』
笑い声と共に命の熱が伝わってくる。命の力が私を運んでいた。命が命を運んでいる。弱い命を強い命が運んでいたのだ。弱い強いの違いがあったが、命どうしが触れ合っていた。
わたし海光和幸はかなりマニアックな人生を生きてきた。20歳のころ武道を志し、極真空手に入門すると爾来47年間ひたすらに心身を鍛え続けたきた。50代あたりから格闘技系の修行は終了して、武道の真髄である臍下丹田を鍛錬してきた。死にもの狂いで修行してきたから、60代の始めごろ臍下丹田の本質である正中心を体得悟了することができた。ここに身も心も極楽浄土という至高至福の境涯となったのである。
《 臍下丹田と正中心 》
初心者の方のために簡単に臍下丹田と正中心について説明しておこう。
「ヨガの目的は臍下丹田と信仰を養うことなのである」
沖 正弘
ヨガの達人である沖正弘先生が仰っているとおりヨガの真髄は臍下丹田の訓練にある。人間の下腹、臍下丹田には無限の快感と力が隠されているからだ。そして臍下丹田の本質が中心部分に実在する真空の一点、それすなわち正中心なのである。わたし海光和幸は死にもの狂いで修行してきから、神のお慈悲により正中心を体得できた。確かにそこに無限のエクスタシーと無限の気が実在していた。
心の実相は信念であり、肉体の実相は臍下丹田である。信念と臍下丹田という二つの実在を体得し、ここに遂に身も心も極楽浄土という至高至福の境涯を得たのであった。
臍下丹田、いわゆる正中心を体得するのは非常に難しい。信じられないほど難しい。天才でも体得することはできないだろう。なぜならそれは偶然だから。なぜならそれは想定外だから。なぜならそれは奇跡だから。なぜならそれは、神のお慈悲だから。
奇跡の正中心を体得し、信念を得た私は身も心も極楽浄土という至高の境地となった。もうそれで十分だと思っていた。問題ないと思っていた。だから妻と社交ダンスを楽しみ、グルメとしてステーキを食べ、鰻を食べ、寿司を喰ってきた。お金の続く限り美味しい物を食べ続けようと思っていた。
ところが人生は恐ろしい。問題があったのだ。それが肉体の健康という問題だった。飽食と贅沢が内側から私の健康を破壊していた。