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若者も老人もみんな失望落胆の人生を生きている。希望に満ちて生きている者などほとんどいない。先進国の中で一番若者の自殺が多いのは日本である。日本は自殺大国なのであった。なぜ多くの者は失望落胆の人生を生きるのか?その理由はただ一つ。実相と仮相の違いを知らないからである。実相とは、崩れない幸福。仮相とは、崩れる幸福。お金とか家族とか健康とかは、崩れる幸福。大切なものではあるが、崩れる幸福だから、第二の幸福なのであった。では、崩れない幸福とは何であろう?それは心の幸福。すなわち「信念、信仰、信頼」つまり「信」である。「信」というものを理解しないと真の幸福を味わうことはできない。宗教哲学の真髄も信である。古人は宗教の本質を喝破している。「いわしの頭も信心から」このことわざこそがあらゆる宗教の本質であった。尊いものは、いわしの頭では無い。人間に安心を与え、生き甲斐を与えてくれるのは、信心の信であることを教えている。本当に尊いものは、信であった。家族だって信頼関係が無いなら、地獄であろう。人間を生かすのは「信」なのである。だから信念と信仰で生きるしかない。有名な天風哲学の真髄も「信念と悟りと理想」であった。信念と理想を理解すれば、崩れない本当の幸福を味わうことができる。そして「信念と理想」で生きれば、お金も家族も健康も付いてくるのである。その上で臍下丹田を鍛えれば、完璧であろう。臍下丹田には無限の力とエクスタシーが隠されている。臍下丹田を鍛えてゆけば、体力もどんどんついてくる。臍下丹田ほど気持ちいいものはない。臍下丹田も実相である。臍下丹田を得れば、この世の極楽浄土を味わうだろう。感謝。仮相道、これ地獄なり。実相道、これ天国なり。愛の人生を生きることが一番楽しいが、第一に愛さなければならないのは?そう、自分自身であろう。自分を徹底的に愛してゆくことが愛の人生の根本であった。自分で自分を愛さなくて、誰があなたを愛するの?実相道を理解して頂きたい。そうすれば老人も若者も永遠の青春を楽しむことになる。実相は年齢というものを超越しているものだから。読んでくれて、ありがとう。感謝です。
2025年07月10日
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人生は誰でも「生老病死」(しょうろうびょうし)誰でも歳を取り、病気となり、死んでゆく。誰ひとり例外は無い。ふと気付けば私も70歳となっていた。光陰、矢のごとし。あっという間の70年であった。67歳の時、糖尿病性心不全で自宅で倒れ、救急車搬送され、九死に一生を得た。心臓冠動脈カテーテル手術を受けて、現在も糖尿病の治療中である。私は子供もなく、孤独な老人。病気であり、貧乏。つまり貧乏、病気、孤独という人生の三大不幸を背負った終わっている老人だった。世間的には最低最悪の老後を生きている。しかし驚くべきことに、私は幸福だった。毎日、大笑いして、喜びの人生を生きている。一見、最低最悪の老後であるが、実際は幸福であり、毎日嬉しくて、大笑いしている。だから今、貴方がどんなに悲惨な人生を生きていたとしても、私と同じように必ず幸福となり、毎日、大笑いして、喜びの人生と成れるのである。人生幸福の秘密は本書にあり!!すなわち「終活」の真髄は本書にあった。「老人の最高の生き方」アマゾン・キンドル出版
2025年06月25日
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愛の十字架 水道橋大学ナンパ同好会 最終章より「あなたはわたしの愛の十字架」「・・・俺が・・愛の十字架?」「そう。あなたを愛することは耐えきれない苦しみ・・・あなたは道に迷った野良犬のナンパ師だから・・・苦しいわ・・」「・・・・」一瞬、村山 桜の言葉の意味が理解できない。「あなたを愛することは・・・果てしない悲しみ・・だけど・・無限の嬉しさ・・・あなたは神から贈られた愛の十字架・・逃げられないの・・・」「何だい?・・・俺が愛の十字架って・・・愛してるって、俺をか?・・・苦しいって?」「そう。苦しくて堪らない」「・・・そんなに苦しいなら・・愛さなければいい・・」「そうね。それができれば・・・いいのにね」村山 桜は小さく頷くと眼から一粒の聖水の様なものを滴らした。「村山 桜・・・そんなに苦しいなら、愛さなければいい・・・俺はそんな愛、いらねえよ・・・愛の十字架だって?・・・そんな重苦しい愛・・・俺はいらねえ」「光か暗きか。あなたはどっちを求めているの?」「光か暗きか・・・俺はうろうろしているだけさ・・・答えなんか知らねえ・・・だからさ・・・この暗闇の中で溶けてゆくのが一番いいんだ・・・優しい都会の闇の中で溶けていきたいだけなんだ・・」「・・・暗闇の中・・溶けてゆきたい・・・そう?・・・ならば溶けてゆけば良いわ・・・」「・・ああ、そうするよ・・・光なんかいらねえさ・・・この甘い闇の底が居心地が良い・・・このまま・・・このまま・・溶けてゆくんだ・・・」「愚か者のナンパ師・・・東京の闇の底で滅んでゆくのね・・・それでいいわ・・・それでいい・・わたしはあなたのために祈りつづける・・・そして・・・愛しつづける・・・救いようもない野良犬みたいなナンパ師・・・だから・・私は・・・愛しつづけるわ」「愛の十字架。そんなもの俺はいらねえ!!」私は呻くと膝から崩れてゆく。愛しつづける?俺を愛しつづける?なんて事、言うんだろう。俺は、愛なんて、いらねえ!!全身から力が抜けて、立っていられない。私はダンス・フロアーの床に膝まづくと山村 桜の脚にむしゃぶり付いた。「・・・俺はこの甘くて優しい都会の闇底で溶けてゆくんだ・・・光なんかいらねえさ・・・愛なんか・・・欲しくねえ・・・たおやかな夜の帳に包まれて溶けてゆきたいんだ・・・」山村 桜は私の頭に手を添えると静かに撫でだした。「都会の闇の帳に包まれて・・・溶けてゆきたい・・・そう・・それでいいわ・・・それがあなたの望みなら・・それでいいわ・・・あなたはわたしの愛の十字架・・・光を拒み、暗闇を求めるなら・・・それでいいわ・・・あなたは・・・わたしの愛の十字架・・・耐え難い痛みだけど・・・わたしは祈りつづける・・・そして愛しつづけるわ・・・」私は頭に添えられた村山 桜の両手の温もりを感じながら、心の底から、魂の底から、静かな、極めて静かな絶叫をこぼした。「なあ、村山 桜。教えてくれ。本当に神は愛なのか? 500万人が死んで、やっとベトナム戦争が終わった・・・そしてしばらくすればまた何処かで戦争が始まる・・この星は戦争の星だから、どこかで必ず戦争がある・・・戦争が絶えない、この星は戦争の星・・・殺し合いの星なんだ・・・そして絶え間ない災害・・・治らない病気の蔓延・・・数億人のホームレスたち・・・食べるものも無く、震えながら餓死してゆく夥しい人間たち・・・子供らは誘拐され、レイプされ、なぶり殺されて、道端に捨てられている・・・・この世は地獄じゃねえのか?・・・こんな地獄を創った神は・・・本当に愛なのかい?・・・なあ、村山 桜、教えてくれ。本当に神は愛なのかい?」私は静かに、静かに、叫ぶと村山 桜を見上げた。村山 桜は答えない。「君には殺されてゆく子供らの悲鳴が聞こえてないかい?」村山 桜は微笑みながら、私を見詰めている。「俺には光なんか見えねえさ。だから、暗闇でいいんだ。なあ、答えがあるなら、教えてくれ。光はあるのか? 地獄みてえなこの世界を創った神は、本当に愛なのかい?」村山 桜は答えない。「なあ、教えてくれ。神は愛なのかい?」村山 桜は沈黙のまま、微笑んでいる。そして、ただ、涙を滂沱しながら、優しく私の頭を撫で続けていた。 了水道橋大学ナンパ同好会第一部キリスト教文学に興味がある方も多いと思われます。日本人の大好きなドストエフスキーもキリスト教文学です。水道橋大学ナンパ同好会も一種のキリスト教文学なので、どうぞお読みください。アマゾン・キンドル出版 水道橋大学ナンパ同好会
2025年03月10日
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遠藤 夏樹 「水道橋大学ナンパ同好会」「水道橋大学ナンパ同好会」1970年代から1980年代、世界は空前のディスコ・ダンス大フィーバー時代だった。日本もそれに巻き込まれ、東京新宿の大型ディスコには毎夜2000人の若者が集まり、朝まで踊り明かした。一つのディスコで2000人だから、新宿全体だったら、数万人の若者が踊り狂ったのである。新宿、六本木、渋谷、池袋、東京中の数十箇所のディスコ全体ならおそらく数十万人の若者が朝まで踊り続けた。日本中なら、100万人のディスコ・ダンサーたちが存在していたろう。毎日がリオのカーニバル。毎日がハロウィン・パーティー。毎日がナンパし放題。毎日がセックスやり放題。毎日が入れ放題、出し放題。そんな夢のような時代が日本にはあったのである。閉塞感に苦しむ現代の白けた青年たちとはぜんぜん違う。ディスコ時代の日本の青年たちはみんな野獣のように目を輝かし、雄叫びを上げながら、ダンスして、女の子をナンパして、セックスしまくった。それが正しい事か間違った事か?そんな事は知らない。知っているのは、それは奇跡のごとき歓喜の青春だった。アマゾン・キンドル出版 「水道橋大学ナンパ同好会」 遠藤 夏樹
2025年03月03日
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人類史上、最高に価値あるもの。それが中村天風の天風哲学と肥田春充の正中心道である。人類の至宝をわたし海光和幸は惜しげもなく、ここに公開する。我が著書「超人 中村天風と肥田春充」である。お二人の伝記は数多くあるけれど、体得者の証言は本書だけであろう。そこに本書の無限の価値が存在する。この日本には人類史上最高の天才がいた。素晴らしいその真実を知って頂きたいのだ。「超人 中村天風と肥田春充」アマゾン・キンドル出版
2024年09月19日
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今、世界では空前のヨガブームが起こっている。数十億人がヨガを修行している。ヨガの起源を訪ねれば、5000年前のインダス文明となる。5000年の歴史だから、仏教やキリスト教よりずっと古い。ヨガは最も古く、最も深い宗教哲学であろう。宗教哲学を海に例えるなら、ヨガこそが大海の中の大海と言えるのだ。最も深い海だから、その底に眠る本質を得ることは難しい。しかし有難い事に、日本にはヨガの達人がいて、その本質を喝破しておられた。「ヨガの目的は臍下丹田と信仰(信念)を養うことなのである」 沖 正弘(おき・まさひろ)沖正弘先生は日本におけるヨガの草分けであり、日本ヨガの父と呼ばれている。この沖正弘先生のお言葉がヨガの核心であるのだが、数十億人のヨガ修行者の中で、何人が核心を理解しているのだろうか?ほとんどいないであろう。世界の数十億人のヨガ修行者たちは、本当はヨガの海の中で溺れていたのである。本来のヨガは悟りを開くためにある。それなのに現代のヨガは、痩せるためとか、バスト・アップのためにある。そんなものは、ヨガでも何でもない。本当のヨガはもっと素晴らしいものであった。永遠の喜び。それがヨガであった。本来のヨガを知ってほしくて、本を書きました。ぜひお読み下さい。「ヨガ真髄」 海光和幸 著アマゾン・キンドル出版
2024年07月31日
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理想と信念の価値を知らない者は絶対に幸福には成れない。理想と信念だけが崩れる事のない本当の幸福なんだから。この真理を理解しないなら、何をしようと幸福には成らない。どんな宗教を信仰しようが、どんな哲学を学ぼうが幸せには成れない。たとえば私はクリスチャンだから、キリスト教徒のことは良く理解しているが、大部分のクリスチャンはみんな幸福には成れない。理想の価値を理解していないからである。ただし真の理想というものは、対岸の篝火(かがりび)では無い。単なる憧れであったり、目的であったりしたら駄目なのだ。真の理想というものは、たとえば美味しい林檎のごとくに毎日食べるべきものなのである。本当の理想は、美味しい林檎であった。例えば貴方の理想が世界一の美人に成る事ならば、今から美容整形手術をすることではない。すでに私は世界一の美人なんですよと信念する事なのである。信念すれば、どうなるのか?必ず心の中に嬉しさが現れる。その嬉しさを感じる事が一番大切。その嬉しさこそが崩れない本当の幸福であった。鏡を用いて理想の自己暗示をすれば良い。本当の幸福とは理想の喜びの事なのである。無限の幸福を味わいたい人は鏡を用いて自己暗示をすれば良い。自己暗示をする度に心は喜びで溢れる様になるだろう。クリスチャンであろうと創価学会であろうと人間が人間である以上、理想なくして幸福には成れないのである。果てしない幸福を味わいたい方は、私の本を読んで頂きたい。アマゾン・キンドル出版 「なぜキリスト教徒は幸福になれないのか?」
2024年04月07日
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わたし海光和幸は現在68歳。人生において今が一番幸せである。人生の目的は「臍下丹田と信仰(信念)を養うことである」こうした真理をしっかりと握っていれば老人こそが最高の幸福なのである。臍下丹田には無限の力と快感が隠されている。だからセックス能力が減退しても淋しくない。臍下丹田に果てしないエクスタシーがあるのだから。そして心は信仰と信念を満たしておけばいい。そうすれば喜びが溢れてきて、まさに極楽浄土となる。老人こそがこの世で一番幸福に生きられるだろう。子供らは天賦の積極的精神があるから幸福だが、残念ながら、子供は移ろいゆく真人なのである。子供は成長と共に凡夫となってしまう。ところが悟りを開いた老人は移ろわない。老人こそが鋼鉄の真人であろう。真に幸福に生きれるのは、悟った老人なのであった。大概の老人は人生に失望落胆していて苦しい人生を生きている。そんな間違った生き方をする必要はないだろう。老人が幸福になるための本を書いたので読んでほしい。臍下丹田を楽しみ、信念を楽しみながら生きればいい。本来、老人こそが幸福に生きられる事を知ってほしい。「老人万歳! 老人最高!」 アマゾン・キンドル出版
2024年03月06日
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この世には二つの幸福、二つの真理があります。一つは天風哲学、すなわち信念。もう一つはキリスト教、すなわち信仰。信念とは信仰であり、信仰は信念。すなわち信であります。二つは本当は一つ。すなわち信なり。そして信こそが実相。つまりは神であります。だからクリスチャンは天風哲学を学ぶべきなんですね。クリスチャンが幸福になれないのは理想が無いから。理想が確立しないと幸福にはなれない。逆に天風哲学を実践する者はキリスト教を学ぶべきなんですね。キリスト教にしか過去の自分の罪を解決する方法はない。イエス・キリストにしか罪を赦す権限がない。キリスト教には罪の赦しと癒し祝福があります。神は誰にでも天風哲学とキリスト教という二つの幸福を与えておられるのだから、素直に頂くべきではないでしょうか?そうすれば誰でも健康でお金持ちに成れるでしょう。神を敵に回せば苦しいだけ。神を味方にすれば喜びの人生となる。良いほうを選びましょう!!読んでくれて有難う。感謝。
2024年02月24日
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歳と共にセックスの喜びは減少してゆく。代わりに神が下さったのが臍下丹田の喜びなのである。誰の臍下丹田にも無限の快感と力が隠されている。それを掘り出そう。隠された黄金を掘り出そう。老人のためのセックスより気持ちいい臍下丹田の秘宝。黄金の秘宝をここに公開いたします。アマゾン・キンドル出版 「老人のためのセックスより気持ちいい臍下丹田の秘宝」
2024年01月21日
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2022年の7月、8月、9月の三ヶ月は糖尿病が悪化して地獄のどん底だった。糖尿病性の神経症で激しい頭痛と全身の発熱。あまりに苦しいもんだから、自殺したいと真剣に願った。しかし神は慈悲深い方。癒して下さった。「イエス・キリストの打ち傷ゆえに癒された」聖書の御言葉どおり癒された。また天風哲学にある通り「病や不運はあるべき姿ではない。あるべき姿ではないから病は治る。不運は消える」つまり私は天風哲学とキリスト教で救われたのである。天風哲学は信念。そしてキリスト教は信仰。信念と信仰は一つであった。信とは神であった。これが本当の悟りである。天風哲学とキリスト教判りそうで実は判りずらい。今ここに天風哲学とキリスト教の真髄を公開いたします。「天風哲学とキリスト教」アマゾン・キンドル出版。本書はこの世界の宗教哲学の集大成である。真に人類精神の金字塔と言えるだろう。二つの真理。そして二つは一つであった。人生真理を知って、幸福になりたい方はぜひお読み下さい。アマゾン・キンドル出版「天風哲学とキリスト教」
2024年01月02日
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わたし海光和幸は20代でキリスト教へ帰依し、クリスチャンとなりました。そして60代で天風哲学により悟りを開きました。悟りを開いたのは良いのですが、天風哲学で幸福になり、いい気持ちになったものですから、キリスト教によって罪赦され救われた御恩を綺麗に忘れてしまいました。それで調子に乗って、キリスト教の悪口を書いてしまった。恩に仇をもって報いてしまった。若い時も68歳の現在も私を愛し、助けてくれているのはクリスチャンの兄弟姉妹です。今ここに神様とクリスチャンの兄弟姉妹に謝罪します。恩知らずの罪をお赦し下さい。主イエス・キリストの御名によって、お願いいたします。アーメンメルNO・95< キリスト教と天風哲学 >すべての宗教は一つである。信仰。信念。信心。全部、信である。信とは神である。ゆえにすべての宗教は神様の宗教なので、真理であり、一つである。わたし海光和幸は20代でキリスト教に帰依し、プロテスタント・クリスチャンとなった。30代でホーリネス系神学校で学び、キリスト教伝道師になった。故郷の茨城県に戻り、キリスト教の伝道師として活動した。残念ながらキリスト教の伝道活動もうまくいかず、事業も失敗し、失望落胆のどん底で心が崩れた。クリスチャンとして、人間として生きて行けなくなってしまったのである。生きんがために苦悩しながら、真理を探求した。60歳の頃、天風哲学により悟りを開くことができた。2023年11月現在。私は68歳となった。糖尿病で生死の境目を歩き続けている。しかし、心は幸福である。なぜなら青春時代のキリスト教と晩年の天風哲学は今わたしの中で完全に一つと成ったからである。キリスト教と天風哲学は完全に一つであった。キリスト教信仰とは、父、御子、御霊を信じ、敬う事。つまり聖書を信じ、敬う事。天風哲学の信念とは、神様を信じ、そして一体と成ることなのである。信仰と信念の違いは、信仰は神様を信じ敬う事。信念は神様を信じ、一体感を感じる事なのである。だから信念の特質は、神との一体感であろう。そして信仰と信念は信において一つなのであった。私が提唱する信念のキリスト教とは積極的精神のキリスト教である。積極的精神のキリスト教とは私だけの専売特許ではない。先輩がちゃんと存在している。その方が米沢興譲教会の田中信生牧師である。田中信生牧師こそが典型的な積極的精神のキリスト教なのである。一番有名なメッセージにこうゆうものがある。「そのままの貴方が素晴らしい!」これぞ積極的精神のキリスト教であろう。またこうも語っておられる。「クリスチャンであろうと無かろうと人間はみんな信者なのである」味わい深い真理のお言葉であろう。幸福を求める方はぜひ田中信生牧師のメッセージを聞いて頂きたい。必ずや道が開かれるであろう。YOU TUBEで無料で聞けるのだから、ぜひ聞いてみて欲しい。積極的精神のキリスト教牧師、田中信生先生は稀有な存在であるから心から感謝であります。最後に誤解されたくないから付け加えますが、田中信生牧師と天風哲学は何の関係もありません。田中信生牧師の前向きな素晴らしいキリスト教信仰を私が勝手に積極的精神のキリスト教と言っているだけです。積極的精神のキリスト教とは前向きなプラス思考のキリスト教信仰という意味なのです。第九十五配信。感謝。
2023年11月20日
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メルNO・3今回は肥田式強健術に関して書いてみたい。肥田式強健術は実践不可能の鍛錬法である。ではインチキなのか?不可能だがインチキでは無い。肥田式強健術は本物であった。本物なんだが、実践できないだけだ。肥田式強健術の中で一番有名なのが、正中心道腰腹練修法(下体)なのだが、みんな腰を痛めてリタイヤしてしまう。私も30代から40代にかけて夢中で肥田式強健術を実践したが、腰を痛めてしまい、動けなくなった。強くなりたくて真剣にやっていたのに、かえって弱くなった。自分の健康を守るために、私は肥田式強健術は完全にインチキだと断定し、放棄した。多くの人が肥田式強健術を始めるが大概の人は腰を痛めて止めてゆく。止めてゆく人達が悪いのではない。肥田式強健術に問題があるのである。あの腰腹練修法(下体)は達人技であり誰にも真似ができない。誰にもできない事を提示したとてエンターテイメントとしては成立するが、強健術としては成立しない。その証拠に、みんな腰を痛めるだけ。そんなものは、強健術として価値があるのか?わたし海光和幸の丹田修行法はその中心が肥田式強健術であることは事実だが、徹底的に自分流に改良したものである。改良しなかったなら、腰を壊して、廃人となっていたのである。そうゆう意味で私はオリジナルの肥田式強健術は絶対にお勧めしない。改良に改良を重ねた、言わば海光和幸式強健術をお勧めする。海光式なら腰を痛めることはない。安心して海光式丹田錬磨法を実践して頂きたい。思えば肥田式強健術は不思議な存在である。我が人生の最大の味方であるし、同時に最悪の敵でもあった。最悪の敵であった時、インチキと断定して、放棄して正解であったのだ。あのまま腰の痛みを抱えながら無理をして肥田式を続けていたら、歩くことさえできなくなり、行き倒れていただろう。私が臍下丹田の秘密、いわゆる正中心を体得したのは、肥田式強健術によるのではない。信じられないが、社交ダンスや職場での何気ない運動が臍下丹田の奧義を授けてくれた。つまり私は正中心を体得した後でまた再び、肥田式強健術に還っただけである。すべての修行は茶道の千利休のお言葉どおり、「守・破・離」である。「守」とは先人の言葉を守ること。「破」とは先人の言葉を放棄して、自分自身の悟りを開くこと。「離」とは悟りを深め、自分流を確立すること。貴方が本物に成るつもりなら、「守・破・離」であろう。厳しい修行の道。しかし厳しさの中に楽しさもある。自分が進歩しているという実感があるなら厳しい修行も楽しいものである。今が戦国時代なら、お互い生き抜くために、徹底的に力を求めねばならない。しかし、令和であるので、力を第一に求める必要はないのである。現代の丹田修行者は、第一に快感、つまりエクスタシーを希求すべきであろう。それが一番正しい修行法である。快感が臍下丹田から出てくれば、自然と力も出てくるからだ。特に初心者の方は快感を求めなくてはならない。初心者の方は自分の修行法が正しいのか間違っているのか、判断できない。その判断の基準となるのが快感なのである。快感ならベテランも初心者も同じように感じられる。正しい丹田錬磨法なら、必ず快感が発生するから、それを基準とすればいい。エクスタシーに包まれながら臍下丹田を鍛えてゆく。こんな素晴らしい事はない。我々、丹田修行者はまさしく、世界一の幸福者であろう。< 原理主義者 >真理への道は沢山ある。原理主義に堕ちると成長できない。宗教、哲学、科学、丹田修行、すべてにおいて、そうであろう。そうゆう意味でオリジナルの肥田式強健術の実践はお勧めしないが、参考にはすべきなのである。私が一旦、肥田式強健術を放棄して、再び還ったのも自然の流れだった。肥田式強健術創始者、肥田春充先生。超絶の天才であろう。しかしながら、何人も肥田式強健術を実践できない。特に下体は実行不可能。参考にすべきだろう。しかし、実践すべきではない。これで第三回、配信は終わります。ありがとう。
2023年10月25日
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メルNO.2人生の目的は臍下丹田と信念を養うこと。臍下丹田は肉体の喜び。信念は心の喜び。人間には本質的な二つの喜び、すなわち本質的な二つの幸福が与えられている。本質的とは、実相ということであります。< 実相と仮相 >実相(じっそう)と仮相(かそう)という哲学的概念は幸福に生きるためには是非理解しておくべきでしょう。実相とは、永遠なる存在、崩れない存在。仮相とは、時間の中の存在、崩れてしまう存在。臍下丹田と信念が人生の根本土台なのですが、この二つは違いのある実相なんですね。信念は心の喜び、心の実相です。臍下丹田は肉体の喜び、肉体における実相であります。人生は心の反映であるから、心がすべてなんですね。貴方が臍下丹田に興味を持ち、臍下丹田を探求しだし、臍下丹田を鍛錬しだしたのも、ぜんぶ心の働きです。人生の一切は心の働き、心の反映なんですね。心がすべて。だから心を活かす信念こそが一番大切な実相。すなわち信念こそが第一の実相であります。そして臍下丹田は心の働きの結果ですから、第二の実相なのです。臍下丹田は無限のパワーと奇跡を秘めた宝庫ではありますが、あくまで第二の実相なんです。その証拠に臍下丹田を鍛錬しなくとも信念さえ確立したなら、人間は幸福に生きれます。しかし信念が無いなら、絶対に人間は幸福には生きれない。わたし海光和幸は20代でキリスト教信仰に帰依し、60代で中村天風先生の天風哲学により悟りを開いた者である。人類精神文化の金字塔、人類最高の哲学である天風哲学とは何であろうか?本質をズバリ言うなら、それは信念の哲学である。つまり信念の宗教と言い換えてもいい。ご本尊が信念なんですね。ヨガ哲学、天風哲学においては、神は宇宙霊と呼ばれている。宇宙霊は物質ではないから、精神的な実在である。大宇宙を見れば判るとおり、138億年前にビック・バンにより一切は創造された。ここに神、すなわち宇宙霊の本質が露呈している。神とは精神的な存在だから、いわばビック・バンの存在と考察することが一番確実であろう。つまりビック・バンの精神である。ビック・バンの精神とは何であろうか?138億年前に大宇宙を創造し、今現在も新しい宇宙を造り続ける精神である。無限の創造の精神。より良いものを造りつづける精神。だからこそ、一切は進化と向上を目指す。大宇宙によって創造された我々人間もこの宇宙真理から逃れられない。我々、人間も、元を質せば、ただの細菌に過ぎない。遥かなる進化と向上の結果、今現在のような万物の霊長と呼称される人類と進化したのである。神は無限の創造の精神。無限の進化と向上の精神。その様な精神は、言い換えるなら、無限の積極的な精神であろう。進化と向上を目指す精神が消極的であろうはずがない。それを悟った中村天風先生は、天風哲学の中心に積極的精神を据えたのである。すなわち天風哲学の本質は積極的精神、つまりは信念となったのであった。大宇宙の精神を考察するなら、それは原点であるビック・バンの精神。ビック・バンの精神とは、無限の創造の精神。より良いものを永遠に造り続ける精神。すなわち積極的精神。突き詰めてゆくなら、信念という答えが残る。ここに宇宙の本質が露わになった。神とは信念なのである。そして神の子供である我々も当然に信念であった唯一の人生真理、それは信念なのである。「ヨガの目的は信仰(信念)と臍下丹田を養うこと」ヨガ哲学は正しく、天風哲学も正しく、そして海光和幸の悟りもまた正しい。信念だけが無限であり、実相である。信念だけが神であった。<信念とは三位一体>人間が生きるにあたって一番大切な積極的精神が天風哲学の本質なのだが、積極的精神とはより詳しく説明するなら、三位一体ということなのである。三位一体とは、悟りと信念と理想である。➀ 悟りとは大宇宙と一体だと感じること。最高の瞑想法である安定打座法(あんじょうたざほう)をやっていると誰でも悟ることができます。② 信念とは自分と神が一体であると感じること。➂ 理想とは、理想の自分を想像し、すでに自分が理想を実現したと信念して、嬉しさを感じること。本当の理想とはこれから自分の理想像に近づくことではなく、すでに理想像が達成したと信念し、喜びを感じる事。例えば、貴方の理想が世界一の美人に成ることだったら、これから美容整形手術を繰り返し、痛い思いをして、大金を使うことではない。そうではなくて、すでに自分は世界一の美人なんですよと確信し、嬉しさを感じることが真の理想なのである。嬉しさを感じることが一番大切。それが本当の幸福であり、崩れない実相の幸福なのである。嬉しさを感じるためには鏡を用いて、徹底的に自己暗示をしなければならない。鏡に自分の顔を映し、眉間の所に自己暗示をぶち込んでゆく。「ほう、お前はなんて美しい人なんだ。間違いなく世界一の美人だろう。美しい! 美しい! 美しい!!」例え貴方が物凄いブスだったとしても何の心配もいらない。諦めずに、手を変え、品を変え、徹底的に最高の自己暗示を続けてゆくなら、ある日、突然、奇跡が起きる。「素晴らしい! 素晴らしい!! お前は最高の美人。世界一の美人なんですよ」その時、信じられないだろうが、心に嬉しさが顔をだす。子供のころからブス呼ばわりされて苦しんできた私が、今、世界一の美人として、嬉しさを感じた。あり得ない奇跡。でも確かに、嬉しさを感じた。そう、それが本当の理想。それが本当の積極的精神。すなわち、その嬉しさこそが宇宙本体、神なのであった。感じた嬉しさをしっかり握って、悟りを開くのである。ああ、これが本当の人生であったと。その瞬間、貴方はコンプレックスを超克し、人生の勝利者となったのである。貴方が人生の勝利者になりたいなら、しっかりと自分の理想像を構築しなければならない。世界一の金持ちになりたい。世界一の芸術家になりたい。世界一の科学者になりたい。世界一の武道家になりたい。なんでもいいのである。とにかく自分自身に正直になり、素直に自分の理想を構築する。本物の理想が構築できたなら、すでに貴方は完全に人生の勝利者になったのである。後はその理想をすでに獲得したのだと信念し、嬉しさを感じながら生きればいい。嬉しさを感じ続けることが一番大切なのである。その嬉しさこそが本当の幸福。崩れる事のない実相の幸福。すなわち永遠の幸福なのである。初心者の方が私が書いてきた人生真理の真髄をいきなり悟れないかもしれないが、理想を心に描きながら、鏡を用いて自己暗示を繰り返すなら、必ずや嬉しさを感じられるようになる。嬉しさを感じたら、もうしめたものである。その嬉しさを絶対に放してはならない。その嬉しさこそが、本当の人生であると悟る時がくるからである。<NO・2 配信の最後に>人間が生きるにあたって一番大切な事は、積極的精神で生きる事であった。健康も成功も富も幸福もすべてがこの積極的精神から生まれてくる。そして積極的精神とは「悟りと信念と理想」のことであった。ここに書いてきたことは、まさに人生真理の真髄だから、判りずらい所もあったでしょうが、何度も読んで下されば、必ずやご理解いただけると思います。崩れる事のない本当の幸福を受け取ってほしい。感謝。第二回配信。感謝。
2023年10月16日
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寝禅こそが最も純粋なる丹田錬磨法である。< 寝禅のやり方 >➀リラックスして仰向けに寝る。②背骨、首骨、すべて真っ直ぐ。➂足の間は約40センチほど開ける。④両腕は体側から45度に開く。⑤両手は開いて、上に向ける。⑥体のどこにも力を入れない。⑦この姿勢のまま足心呼吸を開始する。<寝禅の場合の足心呼吸法>➀まず始めに踵(かかと)に意識を置き、踵から息を吸いこんで、足心まで上げる。②足心(土踏まずの真ん中)まで息が上がったら、足心から足首に気を流す。➂足首から脛骨、筋、お皿、大腿骨と気を上げてゆく。④一機に気を上げても良いし、何度も呼吸しながら、ゆっくり気を上げても良い。⑤大腿骨、股関節と気が流れたら、骨盤の後ろを通して、恥骨まで気を回してゆく。⑥骨盤は丸くて繋がっているから、腰を通って、恥骨に流す。⑦臍下の一点(恥骨のまん中)まできたら、ここで止まる。⑧もう一方の足の踵から息を吸い込み、同様に臍下の一点まで気を誘導する。⑨両脚を通して、臍下の一点まできたら、今度は下に流してゆく。⑩男性なら陰茎、会陰と流し、肛門に至るとしばし止める。肛門はヨガにおいてはクンダリニー(生命エネルギー)の発生箇所だから、気を止めるのである。ベテランになれば肛門を意識した瞬間に気は背骨を通って脳天に至るようになる。しかし初心者の方はそうはならないから、ゆっくりと肛門、尾骨、仙骨、背骨、首骨、後頭部、そして脳天へと気を巡らしてゆく。⑪脳天まできたら今度は額、鼻、人中、上の歯、下の歯、顎、のど、胸、へそ、臍下の一点まで気を流す。⑫臍下の一点全体を意識しながら、ふわーと息を吐く。⑬下っ腹の中心部分から気が発生し、全身へと広がってゆく。快感に包まれて、エクスタシーを楽しもう。<初心者の方へ>初心者の方はいきなりエクスタシーに包まれることは無いが、実践していれば必ず快感を感じるようになる。最初のうちは、臍下の一点全体を意識してふわーと息を吐くと下っ腹がモヤモヤするだろう。そのモヤモヤ感が気の発生である。毎日、気楽にやっていれば、そのモヤモヤ感が充実してきて、強いエネルギー感になってきます。そうなれば臍下丹田から快感が発生します。快感を掴んだら、もうしめたもんです。後はその快感を強めていけばいい。快感はどんどん強くなり、ついにはエクスタシーに満ちるようになります。まさしくこの世の極楽浄土を体得するのです。力もどんどん強くなる。想像もつかないような物凄い力が腰腹中心部分から吹き出すようになります。現実のわたし海光和幸の日々の生活における丹田力の実際を紹介しましょう。残念な事に私は67歳の始め頃、糖尿病を患い、心臓疾患による心不全となり、自宅で倒れ、救急車で総合病院に運ばれました。呼吸困難の状態でありましたから、そのまま死んでも不思議ではなかった。神のお慈悲により、九死に一生を得る事ができました。今現在は68歳でありますから、病院から退院したばっかりです。肉体はボロボロの状態。ですから二階に行くための階段を登る時もまるで年老いた亀のようにゆっくりゆっくり体を軋ませながら登ってゆくしかない。しかし、有難いことに私には無限の丹田力がある。足腰の筋肉によらず、丹田力を用いるなら、まるで若いウサギのように、タッタッタッと身軽に階段を駆け上がることができる。不思議なことに、私の中には年老いた亀と若々しいウサギがいるのです。これこそが臍下丹田の奇跡と言えるでしょう。だから貴方が健康なら、そのまんま超人的なパワーを発揮できるようになる。そして貴方が私のように年寄りの病人だったとしても大丈夫。無限の丹田力が足らない所は補ってくれるのです。臍下丹田を体得した者は、言わばハイブリット人間なのです。筋肉力と丹田力という二つのパワーを手に入れた訳である。私のように生まれながらのエンジン駆動は壊れてしまったが、新しくより強力なモーター駆動を手にすれば、かえって強く早く走れる。丹田力というものは、有難い大宇宙からのプレゼントなのです。心不全の糖尿病患者だから、私の筋肉なんて、もうどうにもならない。ところが素晴らしいことに、私の丹田力は毎日どんどん強くなってゆく。丹田力に引っ張られるように体力もどんどん回復している。臍下丹田を体得して本当に良かった。68歳なのに、どんどん強くなれる現実。 ここに無限の喜びと希望がある。貴方が老人で病気であったとしても失望落胆する必要はない。いわんや貴方が若くて健康だったら、百人力の超人となるだろう。なぜなら、まごうことなく、臍下丹田には、果てしないパワーが隠されているのだから。丹田修行とは貴方の中にある無限のパワーを掘り出すことなのです。楽しく丹田修行をつづけてゆくならば素晴らしい奇跡の数々を経験することになるでしょう。喜びと奇跡の人生は、よそにあるんじゃない。喜びと奇跡の人生は、貴方の中にあるのです。NO、1 この最初の配信の最後にもう一度、人生真理の真髄を味わって頂きたい。日本のヨガの第一人者、沖 正弘先生のお言葉。「ヨガの目的は臍下丹田と信仰(信念)を養うことなのである」真理はヨガに止まらない。「人生の目的は臍下丹田と信念(信仰)を養うことなのである」海光和幸臍下丹田と信念、ここに人生真理の真髄があります。今、本当の意味での喜びと奇跡の人生が始まりました。それでは共に感謝と喜びをもって、真理の旅を始めましょう!
2023年10月05日
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メルマガ 100記事ご挨拶ごきげんよう。海光和幸(かいこう・かずゆき)です。お互いの人生にとって一番大切な事とは何でしょうか?誰にとっても人生は「生老病死」(しょう・ろう・びょう・し)一回限りの厳しい人生。だからこそ、すべての悩み苦しみから解脱(げだつ)して、喜びに満ちた最高の人生を送りたいものですね。生老病死の苦しみから超越して喜びの人生を送ることは難しいことではありません。すでに先人たちが悟りを開き、答えをだしておられます。その答えの一つがヨガ哲学であります。日本におけるヨガの第一人者、沖正弘(おき・まさひろ)先生は端的に人生真理の真髄を喝破しておられます。「ヨガの目的は臍下丹田と信仰を養うことである」つまり、臍下丹田と信仰(信念)こそ人生の本質なんだと仰っている訳です。わたし海光和幸は修行50年、ひたすらに臍下丹田と信念を養い続け、幸いにも悟りを開いて喜びの人生となりました。臍下丹田と信念を鍛えてゆくなら、誰であろうと悟りは開かれ、極楽浄土の境涯となるのです。すなわち臍下丹田、正中心は肉体における無限の喜び。そして信念は心の花園、心における無限の歓喜。神は、大宇宙は、人間に二つの無限をお与え下さった。この二つをしっかり体得するなら、人生は喜びの花園となるのであります。わたし海光和幸(かいこう・かずゆき)は感謝をもって貴方を身も心も極楽浄土という最高の境地へとご案内いたします。人生の真理はここにしか在りません。感謝。自己紹介昭和30年、茨城県に生まれる。18歳の時、日本大学法学部に入学する。20歳の頃、池袋の極真空手本部道場に入門。極真空手がわが丹田修行の始まりである。30代の頃、目黒にあった中国拳法道場に入門する。40代の頃、渋谷の西野流呼吸法の本部道場に入門した。30代、40代と肥田式強健術も熱心に実践する。50代は自宅隣りの杉林に入り、孤独な武道修行に励んだ。60代、社交ダンスを通して、臍下丹田の奧義を体得した。心の修行の方は、20代でキリスト教に帰依した。60代で中村天風先生の天風哲学により、悟りを開く。今、ここに至り、身も心も極楽浄土の境涯となる。感謝。NO、1いきなり最高最善の丹田修行法を教示しましょう。この丹田錬磨法は私、海光和幸48年に及ぶ修行における到達点であり、奧義であります。< 寝禅 >丹田錬磨法は沢山あります。代表的なものは中国拳法の立禅、座禅、借力呼吸法、肥田式強健術、西野流呼吸法。それぞれに趣があり素晴らしい丹田錬磨法でありますが、最高のものは寝禅でありました。なぜ寝禅が到達点なのか?その理由は寝禅が最も純粋な丹田錬磨法だからです。仰向けに寝っ転がっているのだから、体の何処にも余計な力を入れることができない。できることは、心を用いての丹田錬磨だけ。ここに真髄がある。肥田式強健術においても、仰向けに寝っ転がった自然体休養姿勢が極意と呼ばれている。なぜなのだろう?なぜリラックスして、仰向けに寝た姿勢が極意なのだろう?この真実をお考え頂きたい。この謎が解けたら、すべての秘密が判る。ウエイト・トレーニングをやったことのある人はご存じだろうが、筋肉を鍛えるためには、力を用いて、重い物を持ち上げる。しかし臍下丹田を鍛えるためには力を用いない。筋肉鍛錬と丹田鍛錬の違いは、ここにあります。その違いというものを正しく理解することが非常に大切になってきます。特に初心者の方は、丹田訓練を筋肉訓練の一種だと思っています。そうした誤解を解くためにも寝禅は最善の答えとなるでしょう。知識、概念で臍下丹田というものを理解してゆくことも重要ですが、それ以上に重要なことは体で感じるということ、つまり体得ということです。有り体に言えば、筋肉を体得することは簡単ですが、臍下丹田を体得するのは、非常に難しい。難しいが大丈夫です。毎日、気楽に楽しく寝禅をやっていれば、自然と臍下丹田の真の意義が判ってきますから。寝禅は真髄である。真髄であるからこそ、始めであり、終わりである。つまり一番簡単で、一番難しい。最初であって、最後なのです。日本における丹田修行者はどのぐらいいるんでしょうか?禅宗も丹田修行ですから、宗教を含めるとそれこそ何百万人となるでしょう。何百万人という膨大な数の丹田修行者。そうした全ての丹田修行者のレベルの一切はこの寝禅の理解により判断できるのです。さきほども書いたように、寝禅こそが最も純粋な丹田錬磨法。つまり寝禅の意味が判らない人は、臍下丹田の意味も本当は判っていないんです。中国拳法をやる人は立禅(タンチュン)を必ずやりますが、あの立禅はかなり純粋な丹田錬磨法なんですが、寝禅ほど純粋な鍛錬法ではないんです。足腰を鍛えるという筋肉鍛錬も伴っているからです。寝禅には筋肉鍛錬という要素は一切ありません。そこに無限の価値がある。それじゃ、一体、筋肉を鍛えないで、何を鍛えるのか?臍下丹田を鍛えるとは、本当はどうゆうことなのか?日本における数百万人の丹田修行者でこの秘密を理解した者がどこにいるでしょう?たった独り、わたし海光和幸がここにたった独りで笑って立っているだけです。そして縁あって生徒となって下さった貴方だけが臍下丹田の真意義を体得し、力と快感に満たされ、笑うようになるのです。日本のそれこそ何百万人という沢山の丹田修行者。残念ながら、彼らが臍下丹田を体得することは無いでしょう。なぜなら丹田修行の方向性が完全に間違っているからです。腹と腰を鍛えれば、臍下丹田、いわゆる正中心が体得できると考えている。だから彼らは必死に徹底的に腹と腰を鍛えている。それで正中心は体得できましたか?無限の気の力と無限のエクスタシーを体得できましたか?とんでもない事です。みんな腰を痛めて苦しんでいるだけ。修行の方向性が完全に間違っているのです。まず第一に臍下丹田そのものを開発してゆく。さすればどんどん中心部分から気が吹き出すようになります。第二段階として、その臍下丹田から発生した気をいうものを用いて、腹と腰を鍛えてゆく。つまり臍下丹田を理解し、気を発生させ、その気によって、筋肉鍛錬をすればいい訳です。これが正しい修行の方向性です。呼吸法の達人、西野流呼吸法の創始者、西野晧三先生は不思議な言葉を残しておられます。「体は鍛えてはいけません」臍下丹田の達人、西野晧三先生はなんでこんなことを仰ったのでしょう?それは臍下丹田の秘密をご存知だったからです。またこんな極意も残して下さった。「臍下丹田をふわーと意識すると気が出るんですね」何気ないお言葉ですがこれこそが丹田錬磨の極意なのです。
2023年10月03日
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ヨガの達人、沖正弘先生はこうした素晴らしいお言葉を残している。「ヨガの目的は臍下丹田と信仰(信念)を養う事なのである」達人らしい深い言葉であろう。そしてこの真理はヨガに止まらない。人生の目的も臍下丹田と信念を養う事なのである。信念と臍下丹田ほど大切なものはない。信念の中に幸福があり、健康があり、成功がある。心に信念が確立すれば、人間とは本来、誰でも、健康で大金持ちであることが理解できる。神はすべての人間に既に、大宇宙を与えているではないか!!大宇宙とは無限の富であろう。だから既に、貴方には無限の富が与えられている。後は素直に、信念を持って、すでに与えられている無限の富を受けとればいい。そうすれば自然と貴方は金持ちに成っているであろう。素直に、素直に、大宇宙を見てごらん。無限の富であろう。あとは素直に、素直に、信念を渙発して、無限の富を頂けばいいだけ。気が付けば、今よりずっと金持ちになっているのである。感謝。貴方に祝福あれ!!
2023年09月14日
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クリスチャンが幸福になる事はできない。なぜならキリスト教には素晴らしい所と悪い所が混在しているからだ。良い所は主イエス・キリスト様の十字架の愛である。これがキリスト教のすべてだ。悪い所は沢山ある。なにしろ2000年前に造られた古い宗教だから、偏見に満ちている。特に聖書のメインテーマがユダヤ民族の復興であるから、我々日本人には関係がない。それとセックスとお金はキリスト教ではタブーである。人間が人間である以上、誰でも健康で金持ちでセックスを楽しみたいのである。日本のキリスト教会において、こんな人間として正しい本音を喋ったら大変な事になる。もう完全にクリスチャン全員から無視されるであろう。人間として正しい本音をキリスト教会では話すことができない。つまり偏見に満ちているのである。人は誰でも健康で豊かでセックスを楽しむように神様に造られたのだ。この真実をクリスチャンは認めない。だからクリスチャンは幸福になれない。当たり前の真理であろう。キリスト教において唯一正しいキリスト教はわたし海光和幸の提唱する信念のキリスト教だけである。信念のキリスト教には偏見がない。ただひたすらに主イエス・キリスト様の十字架の罪の赦しを信じ、ただひたすらに神の愛を感謝するだけだ。信念一本、感謝一念である。日本のクリスチャンは非常に真面目だけれど、幸福にはなれない。読んでくれて、ありがとう。すべては神の恵みなり。感謝です。
2023年08月10日
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アドラー心理学によると人生の一切の苦悩は人間関係の失敗が原因だという。失業して貧乏になるのも、本人の能力不足が原因ではないと言われている。失業の苦しみの真の原因は、職場における人間関係の失敗だった。一度でも失業の痛みを味わった者なら、なんとなく頷けるだろう。ことほど左様に人間関係というものは人生最大の問題なのだと言えよう。このブログを読んで下さっている貴方も間違いなく様々な人間関係で苦しんでいる。なぜそんなことが断言できるのか?それは全人類がそうだから。人間関係の苦悩から脱却するためには、深い教養と悟りが必要になる。人間関係は人生の本質であるから、非常に尊いものである。だから、一切の人間関係はWIN(勝利)・WIN(勝利)の関係でなければならない。貴方が王様で相手が奴隷なら、WIN ウイン・LOSEルーズ(敗北)の関係だから、決して正しい人間関係ではない。相手は勝者である貴方にお愛想笑いを浮かべるが、心の中で憎むであろう。まごうことなく人間関係の地獄が生まれる。また逆に、相手が支配者で貴方が奴隷なら、そのまんま地獄であろう。貴方は勝ってもいけない。負けてもいけない。WIN・WINの関係でないなら人間関係は成立しない。WIN・WINの関係でないなら、どうすればいいのか?全世界で3000万部売れた、「7つの習慣」の著者、コビィー先生の言葉に従えばいい。WIN・WINに成れないなら、NO DEAL(ノーディール)である。取引しない。心の中で取引しない。関係しない。一切、追求しない。相手が悪いとか、自分が悪いとか、一切、取引しない。追求しない。そして悟りを開くこと。実は人間関係の一切は人間の領域ではなく、神の領域である。人間ごときが悩んだところで、どうにもなりはしない。晴れて良し、曇りても良し、富士の山。縁があって仲良くできても感謝だし、縁がなくて仲良くできなくても感謝である。人生の一切は、晴れて良し、曇りても良し、富士の山。有縁で良し、無縁で良し、富士の山である。有縁は暖かな神の恵みなり。無縁は清々しい神の恵みなり。心は常に自由でなければならない。心が何かに捕らわれたなら、地獄なのだ。ウイン・ウインで良し、ノーディールで良し、人間関係。夫婦関係も同じこと。激しく憎み合うようなら、さっさと別れ、無縁となるべきだろう。無縁もまた神のお慈悲なのだから。読んでくれて、ありがとう。
2023年07月03日
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引き寄せの法則 真髄公開 引き寄せの法則を知っている人も知らない人も皆引き寄せの法則の下で生きている。 なぜなら引き寄せの法則は誰にとっても真理であるからだ。 人間が心の中で常に考えている事は現実化してしまう。 チンピラやくざに憧れ、チンピラやくざに成りたいと常に考えている者は、結局、チンピラやくざに成るだろう。 本当の願望なら、当然、現実化するのである。 問題はそのプロセスだ。 願望が現実化するまでの過程が重要なのである。 苦しみながら願望の現実化を待つのか。 それとも喜びながら願望の現実化を待つのか? 天国か? 地獄か? 皆さんはどちらかを選んで生きている。 皆さんは現実を理解していないけれど、すべての人が天国か地獄、どちらかを選んで生きている。 心に願望の無い人間はいないからである。 大部分の人たちは、願望を叶えられなくて虚しい人生を生きている。 「引き寄せの法則」の本質を理解して頂きたい。 さすれば喜びに溢れながらあらゆる願いを叶えることができるだろう。今ここに引き寄せの法則の真髄を公開いたします。引き寄せの法則 真髄アマゾン キンドル出版
2023年05月23日
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この世に宗教をやる人は多くいるけれど、宗教の本質は何ですか? と尋ねられて、明確に正解を答えられる者は少ない。有難い事に古人は正解を残して下さった。「いわしの頭も信心から」これが宗教の本質である。尊いのは、いわしの頭ではない。信心の信が、人間に安心を与え、生きる勇気を与えている。価値があるのは信なのであった。宗教の本質が判れば、キリスト教がどうたら、仏教がどうたら、創価学会がどうたら、そんな事にこだわらない。キリスト教においては、私、海光和幸が提唱する信念のキリスト教が一番優れている。ただ、イエス・キリスト様の十字架のご愛だけを信じ、感謝するだけ。献金もいらない。教会もいらない。ただ感謝して、幸せに生きるだけ。すべては神の恵みなり。アーメン。信仰も信念も両方が必要なのである。信仰は神様を大切にする事。信念は自分自身を大切にする事。二つとも大切であろう。読んでくれて、ありがとう。
2023年05月15日
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キリスト教は2000年の歴史を有する大宗教だから、様々な問題も内包している。特に日本においては、統一教会の献金問題がクローズアップされている。クリスチャンとして恥ずかしいし、悲しい。なぜインチキ・キリスト教は無くならないのだろう?本来のキリスト教は、素晴らしい救いの宗教であるのに。日本の良識ある人々はもうキリスト教など相手にしないのかもしれない。古くて、役立たずの、ガラクタ・キリスト教。かび臭いガラクタの山。それがキリスト教。でもそんなガラクタの中に金貨が一枚だけ残っていた。すべてを赦して、たたずんでおられる、イエス・キリスト泥だらけの一枚の金貨。「幸いなるかな泣く者。汝は慰められるべければなり」
2023年04月22日
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「引き寄せの法則」が流行っているが、実践する大部分の人たちは、引き寄せの難民となり、苦しんでいる。「引き寄せの法則」は心がけ次第で地獄にも天国にもなる。ではどうすれば引き寄せの難民から脱却できるのか?それはまず自分自身の心を洗い清めて、我利我利亡者から脱却すればいい。そうなれば、自然と苦しみは消えてゆく。金持ちに成りたい人は、金持ちになったら、自分だけが喜ぶのではなく、少しでも貧乏人を助けてあげよう。少しでも世のため人のためにお金を使おう。こうゆう尊い気持ちになれば、引き寄せの難民から脱却できる。苦しみは去り、喜びが訪れるだろう。ありがとう。感謝。
2023年04月15日
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今、世界中で「引き寄せの法則」が流行っている。「引き寄せの法則」で一番有名なのは、ロンダ・バーンのザ・シークレットであろう。私も何度も読み返した。素晴らしい本である。しかしながら、ロンダ・バーンの「引き寄せの法則」には致命的な欠陥があるのだ。それは、東洋的な悟りが無いということである。悟りが無いと救いが無いから、ロンダ・バーンの「引き寄せの法則」を学ぶ者は、必然的に「引き寄せ」の難民に落ちることになる。つまり、幸福になりたくて、引き寄せの法則を実践しているのに、願望は実現しないで、かえって失望落胆の地獄に落ちてしまう。大部分の人たちは「引き寄せ」の難民となって苦しんでいる。わたし海光和幸も「引き寄せ」の難民として苦しんできたが、神が奇跡を起こして救ってくださった。そうした奇跡の数々を一冊の本にまとめた。それが「引き寄せの難民たち」である。この本を読んで頂けば、必ず幸福となり、願望は叶ってゆく。願いは必ず叶う。人間は誰でも健康で金持ちに成るようにできているのである。読んでくれて、ありがとう。感謝。アマゾン、キンドル出版。 「引き寄せの難民たち」
2023年04月01日
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糖尿病を患って、いったん体力はゼロになったが、臍下丹田の中心力はぐんぐん回復している。糖尿病性神経症だから、フラフラする時もあるが、臍下丹田を決めて、中心力を発動すると無限の気が中心から吹き出してくる。その気に乗って、階段を駆け上がるとまるでウサギのように身軽に飛び跳ねることができる。臍下丹田、中心力ほど不思議なものはない。体力は有限なのに、中心力は無限なのである。静かに中心力を発動して、無限の気を楽しむ。これほど素晴らしい瞬間はない。どうか皆さんも臍下丹田を体得して、無限の気を、そして無限のエクスタシーを味わってほしい。それすなわち神のお慈悲であり、実相の輝きなのである。読んでくださって、ありがとう。感謝。
2023年03月03日
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第3章心の実相である信念と肉体の実相である臍下丹田を体得した私は身も心も極楽浄土という至高至福の境涯となった。悟りを開いたから、もうこれでいいと思っていた。後の人生は妻と二人、グルメとして美味しい物を食べて、社交ダンスを楽しんでゆけばいいと考えていた。ところが神はそれを赦さなかった。至高至福の境地なので、私の人生は完璧であると思っていたが、実際は完璧ではなかった。大きな穴があいていたのである。それが健康という事柄であった。深刻な病気をしたことのない私は健康問題について考えたことがない。一生、元気で生きられると思っていた。勤めていた会社から何度も健康診断のお知らせが届いていたが、一度たりとも受けたことがない。つまり病気になることなど想定していなかった。自分の肉体に対する過信に他ならない。それは私が体得した臍下丹田{正中心}に対する過信だったかも知れない。臍下丹田には確かにエクスタシーと無限の気というものが実在していたが、血液の汚れ、糖尿病を排除するものではなかった。つまり悟りを開けば病気にはならないという古い伝説に惑わされていたのである。そうしたものの一つは、古代中国の仙人伝説である。深山で修行した仙人は長生きしたと言われている。もう一つは明治生まれの肥田春充先生の超人伝説であろう。肥田春充先生は、床を足型に踏み抜き、太い根太を蹴り折り、海を割り、空中浮揚したと伝えられている。その創始した肥田式強健術をわたし海光和幸も熱心に修行したので悟りを開くことできた。臍下丹田、いわゆる正中心を体得し、無限の快感と気の充実を得たのであった。だが臍下丹田、正中心も実際は万能ではなかった。命の源である血液を浄化し、糖尿病を防ぐ力はないのである。誤解されたくないのではっきりしておくが、臍下丹田に価値がないと言うのではない。臍下丹田には本当に無限のエクスタシーと気の充実が存在している。本当に素晴らしいものなのである。ただし、万能ではないと言っているだけだ。わたし海光和幸は本書において、真実しか語らない。できる事はできるが、できない事はあくまでできない。例えば、肥田春充先生は、物凄い怪力で根太を踏み折り、空中浮揚したと言われているが、私は真実だと確信している。なぜなら、私自身が正中心を体得し、快感と気の力を得たからである。正中心を発動させれば気が爆発的に噴出する。気というものは全方向へ流れるが、特に足の裏、足心から強く出るように人間は造られている。当然に体は軽くなる。それを極めれば、空中浮遊は可能だろう。快感も怪力も同じである。すべて気というエネルギーの働きなのである。〈 極楽浄土 〉現実にこうゆう事があった。2022年、6月まで、つまり心不全で入院するまでの15年間、私はスーパー・マーケットの夜間スタッフとして働いていた。夜中の12時、営業が終わり、帰るための準備を始める。その日の売れ残った食品廃棄物をゴミ室へと運ぶことが日課であった。大きなビニール袋に売れなかったオニギリとか弁当とか惣菜とかを詰め込んで、捨てる訳である。食品がよく売れた日はビニール袋は軽い。しかし売れない日は大量の食品廃棄物で袋はパンパンに膨れ上がり、20キロ近くの重さがあった。普通の67歳の男性だったら、20キロの袋を運ぶのはけっこう苦しいだろう。ところが幸いなことに、わたし海光和幸は臍下丹田、いわゆる正中心を体得した者であったから、苦しさを感じないで運ぶことができた。苦しさどころか、快感を感じながら、20キロのゴミ袋を運べるのである。臍下丹田から噴出する気の力を用いるからであった。その時もゴミ袋は満杯で20キロ近くあったろう。いつもの通り、私は肉体の筋肉を用いずに、臍下丹田の気の力を使って、ゴミを運んだ。正中心から無限の気が噴き出していたのでとろけるようなエクスタシーを感じていた。そしてついに、ゴミ室の前に辿り付いた時、快感は最高となり、めくるめくエクスタシーに酔いしれて、私は20キロのゴミ袋を片手にぶら下げながら、動けなくなってしまったのである。この状況を想像して頂きたい。67歳の男が20キロのゴミ袋を片手に持ち、満面の笑みを浮かべながら10分間ほどたたずんでいる。まったく動かない。まったく動けない。まったく動く気がしないのである。気持ちが良くて!!「おおー、何んという気持ちよさ。まさにこれ極楽浄土ではないか!!!」快感の極楽浄土。これこそが臍下丹田の素晴らしい効果なのであった。〈 人生の目的 〉人は何のために生きているのだろうか? もちろん幸福になるためだろう。不幸になるために生きている者は一人もいないだろう。だから当然、わたし海光和幸も幸福になるために、死に物狂いで信念を鍛え、臍下丹田を訓練してきた。ラッキーな事に神のお慈悲を得て、信念の真髄を体得し、臍下丹田の本質を悟ることができた。ここに身も心も極楽浄土という至高至福の境涯となったのである。ところが糖尿病という恐ろしい病気を得て、至高の境地も崩れ去った。苦しみの底で私は悔い改めた。足らないものがあったのだ。それが体の健康という真実であった。今、ここに至り、より深い悟りの世界へと参入せざるを得なかった。自ら選んだのではない。苦しい病気を通じて、神がより深い悟りを私に求めたのである。幸福の絶対条件。それは信念と健康であった。臍下丹田のエクスタシーは、素晴らしいものではあるが、絶対条件ではない。無いなら無いで良いものであった。「ヨガの目的は、臍下丹田と信仰を養うことである」ヨガの達人、沖 正弘{おき まさひろ}〈1921年~1985年〉先生のお言葉ある。昔はそれで人生幸福の目的は達せられたであろう。だが現代ではそれでは足らない。臍下丹田より大切なもの。それは肉体の健康である。なぜなら現代は飽食の時代を迎え、糖尿病がパンデミック{世界的拡大}となったからだ。時代は刻々と変化している。日本には2000万人の糖尿病患者いる。5人に一人は糖尿病患者なのだ。世界においては5億3700万人が糖尿病患者であるから、実に成人の10人に1人は糖尿病なのであった。そして毎年700万人がこの病気で死んでいる。コロナによる死亡者数よりずっと多い。なおかつ恐ろしいのは、死亡者数が年々、増加しているという事実であろう。この意味は、飽食の時代は終わることが無いという事である。〈 人類の勝利と敗北 〉2022年現在で日本には34万人の医師がいて、国会議員713人、地方議員約3万人、そして大学教授は6万もいるがそうした有識者たち、知識人たちの中で、現代が飽食の時代を迎えたという事の真の意味を正しく理解している者はほとんどいないであろう。私たちは600万年前にチンパンジーと枝分かれした霊長類として誕生した。600万年間、私たちはどのような食生活をしてきたのだろう? ひたすらに狩猟採集生活を送って来た。つまりマンモスを追っかけたり、ドングリを拾って喰っていた。獲物が捕れない時は何日でも飢えを忍ぶしかない。病気になれば身を隠して寝てるだけ。600万年の飢餓時代を生き抜いたのが人類なのだった。腹いっぱい喰えるようになったのは、ごく最近の事である。600万年の飢餓の時代と比較すると現代の飽食の時代は、最後のたった1秒間にすぎないと言われている。故に人類は飢餓には慣れているが、飽食には慣れていない。人体は飢餓に対応すべく10種類以上の飢餓ホルモンが用意されているが、飽食に対応すべき飽食ホルモンは膵臓から分泌するインスリンただ一つなのである。つまり、腹一杯食べるという事、飽食に人間の体は対応できないのである。その結果、糖尿病となってしまう訳であった。糖尿病がパンデミック{世界的拡大}として大流行している真の原因は、飢餓の時代が終焉を迎え、飽食の時代が始まったことを意味している。あらゆる病気の入口と称される恐ろしい糖尿病を静かに見詰めていると、二つの相反する側面があらわになる。それが進化にともなう人類の勝利と敗北だ。人類は進化と向上を現実化して、食物を豊かに生産するに至り、ついに飢餓時代を超克したのである。偉大なる勝利と言わねばならぬ。恐らく我々はもう飢え死にすることはないであろう。同時に糖尿病のパンデミック{世界的拡大}という新時代を迎えた。私たちは祝福と呪いを二つとも頂いたのである。祝福を一つだけ頂けば良かったのに、呪いも付いてきた。神は一体、何を私たちに悟れというのか?
2023年01月26日
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〈 宇宙の本質 〉人間と宇宙は一体である。ならば人間存在の本質を考察していけば、自ずと宇宙の本質も透けて見えてくるだろう。古代から続く宇宙への考察と結論は大別すると二つである。宇宙は単に物質の広がりに過ぎない。もう一つは宇宙の本質は精神である。表現を変えれば無神論か有神論かどちらかになる。昔からそうだったし、これからもそうであろう。人類が存続する限り二つの思想を行ったり来たりする運命らしい。問題はどちらかを選べば人生は大きく異なってくるという事実であろう。〈 無神論と有神論 〉神が存在するか存在しないかを科学的に証明することは不可能である。アインシュタインを引っ張って来ても証明はできない。いわんや我々がどれほど悩んだところで答えは出ない。ならばどうすればいいのか?アプローチを変えるしかない。どっちが人間にとって得なのか?それを考察する以外に意味のある答えはない。科学的に証明できない以上、それしか無いのである。神が存在しないなら本来的に人生に意味はない。人間が勝手に存在し、勝手に生きて、勝手に死んでゆくだけ。自由と言えば自由だが、無意味に裏打ちされた虚無的な自由。すなわちニヒリズムであろう。神が実在するなら、そこに信が生まれ、宗教を造り、哲学を造る。神を、つまり大精神を認めるということは、信というものが必要だからだ。信が無いなら、神という存在も無いのである。宗教の本質を理解するのはすこぶる簡単である。「いわしの頭も信心から」昔から言われているこのコトワザこそ宗教の本質なのである。尊いのはいわしの頭ではない。信心の信が人間に安心を与え、生きる勇気を与えている。その真実を喝破する言葉なのである。神の存在と人間の心の信を切り離すことはできない。信があるから神が存在し、神が実在するから信が存在している。信と神は一体なのである。この世にはいろんな宗教があるし、沢山の宗教家がいるが、宗教とは何か?その本質を正しく理解している者はいないのである。天風哲学の信念とは宇宙本体の事である。信念とは信であり、信と神であるから、当然そうなるのである。〈 信念とは宇宙の本質 〉信念は人間の心から出てくるものだがら、皮相に考察すると人間の一種の感情にすぎないとなる。しかし深く霊感するなら、もっと奥深いものであることが判明するだろう。そのためには理性を超えた霊性、すなわち直感によるしかない。瞑想を続けてゆくと悟るものである。さまざまな瞑想法があるが、一番優れているものが、中村天風先生が考案された安定打座法であろう。〈 安定打座法 〉正式にはブザーを用いて行うのだが、私はブザーがないので、電子音が出る目覚まし時計を用いている。①まず始めに目覚まし時計をセットする。定刻になり電子音が鳴り出す。その音に耳を澄ます。「多心から一心」と心の中で唱える。つまり色んな事を考えていた状態から目覚まし時計の電子音ひとつに集中するのである。しばらくすると電子音が止むだろう。その瞬間、心は無となる。「一心から無心」無を味わいながら、心の中で唱える。「心をば静かに澄ます、空の空」心の中で唱える。大事な事は、電子音が止んだ瞬間、心は無となるから、その無を味わう事である。心が無となれば、晴れ晴れとした気持ちとなり、大宇宙との一体感が生まれるだろう。それすなわち、悟りに他ならない。つづく「貧乏で病気でも幸福になる方法」 どんなに貧乏で病気でも必ず幸福になれるのです。 人生真理の真髄を本にしました。 苦しむ人は読んでみて下さい。必ず救われます。 アマゾン、キンドル出版
2023年01月09日
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②中村天風先生の天風哲学大学生時代にクリスチャンになった私はしばらくしてホーリネス系の神学校で学び、伝道師として茨城県でキリスト教の伝道生活を始めた。生活のための仕事もキリスト教伝道も両方、うまくいかなかった。失望落胆の人生を送るうちに、どんどん私の心は弱くなった。ついには外を歩けないほど、弱ってしまったのだ。心の失望落胆は人間を潰してしまう力があった。生きんがために、どうしても、心の失望落胆を超克しなければならない。必死でその方法を探究した。色々な成功哲学を学んだ。ヨガ哲学、西洋の成功哲学、キリスト教系のニューサイエンス、引き寄せの法則。有名なものは手当たりしだい学んでみたが、心の救いは得られなかった。10年くらい苦しみながら探しているうちに、とうとう天風哲学と出会った。中村天風先生の創始した天風哲学の本質は、積極的精神の涵養、すなわち信念の確立である。信念というと人間の心理作用であると思われるが天風哲学の信念はそれに止まらない。もっと深く広いものであり、大宇宙の本質まで遡る。つまり信念とは宇宙本体であり、実相、すなわち神で ある。〈崩れる幸福と崩れない幸福〉天風哲学の醍醐味は崩れる幸福と崩れない幸福の理解と提示であろう。天風先生風にその真髄を披露するとこうなる。「金持ち皆、幸福かいな? 家族持ち皆、幸福かいな? それらは仮相の存在で実相の存在じゃないんだから」仮相とは読んで字のごとく仮の物である。実相とは実際に実在するものということである。すなわち仮相とは有限であり、いつかは消滅する存在。実相とは無限であり、消滅しない存在。だから崩れる幸福とは仮相のことであり、崩れない幸福とは実相のことなのである。お金や家族というものは有限であり、いつかは消滅してしまう。この事については誰でも何となく理解できるだろう。問題は実相の理解である。この事はちょっと難しいかも知れない。実相は物質であってはならない。物質なら必ず消滅する時が来る。では物質ではない実在とは一体なんなのか? 精神である。人間存在自体が物質と精神の混合体である。精神の無い人間はいないだろう。そして人間の本質は精神である。人間の本質が精神であるから、当然、人生の本質も精神であると言える。人間は精神と肉体の混合体であるが、精神こそが主体であり、肉体はそれに従っている。人間の一日の生活を考察すると確かに肉体が食事をし、学校や職場で活動し、夜は休む。しかしそれらすべてを主導しているのは、心、すなわち精神であろう。肉体を支配しているのは、精神なのである。人間存在の本質は精神である。ならばこの大宇宙の本質は何であろうか? 人間存在は完全にこの宇宙の産物であろう。つまり人間は宇宙内存在である。宇宙と人間は切っても切れない関係。端的に表現するなら、大宇宙と人間は一体である。例えるなら、魚と海の関係と同じ。魚と海は完全に一つであろう。海が無いなら、魚もいない。つまり宇宙が無いなら、人間もいない。つづく身も心も極楽浄土。 それは臍下丹田にあり。 臍下丹田を体得して、痺れるような快感を楽しんで下さい。 アマゾン、キンドル出版 「セックスより気持ちいい。臍下丹田の奇跡」
2022年12月30日
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暗い高校生生活を終えると日大の法学部法律学科へ入学した。東京での初めての独り暮らし。時間はたっぷりあったが、それが災いして、ますます自殺願望が強くなってゆく。あっさり死ねたらよかったのに、なかなか死ねないものである。ガス管を咥えて栓を捻ったり、飛び降り自殺を図ってプラットホームで佇んだり、色々やったが駄目だった。丁度そのころ日本の精神世界では実存主義哲学が流行っていた。夢も希望もない大学生の私は当然だが夢も希望もないニーチェのニヒリズム、つまり虚無の実存主義哲学へと傾斜してゆく。「虚無よ。永遠に!」とニーチェは叫ぶ。人生に意味は無い。意味のない人生よ。永遠に。永劫回帰の徹底した虚無である。今思えばバカバカしい哲学であろう。卵も黄身があるから旨いのに、白身だけ喰ってどうするのか? ニーチェ大先生「人生は無意味だよ」今の私「はい。ちょっと忙しんで、また今度」ところが虚無的な心情で生きていた大学生時代にはニーチェの虚無主義に完全に囚われてしまった。ニヒリズムに出口は無い。学べば学ぶほどどんどん苦しくなってゆく。苦しみのあまり、ニーチェが憎悪したキリスト教が一体なんなのか知りたくなった。虚無主義の敵がキリスト教なら知らずにはおけない。日大の法学部には色々なサークルがあった。ダンス同好会、テニス同好会、アメリカン・フットボール、パーティー研究会。楽しそうな同好会が沢山あったが私はキリスト教を理解するために聖書研究会に入った。夏休みになると毎年、伊豆大島で4泊5日のバイブル・キャンプが行われていた。大学2年の時、初めて参加してみた。埼玉県の女子聖短期大学の女子大生らとの合同キャンプである。彼女らはクリスチャンだったから、非常に真面目で、気安く冗談など言えるタイプではない。キリスト教会が運営する施設で総勢5,60名ぐらいの大学生が集まっていた。隣りの宿泊施設にはどこの大学だか知らないが、テニス同好会の連中がキャンプを張っている。ここは海が見渡たせる高台だから、キャンプには最適の場所だった。テニス・コートも1面だけだが、整備されている。キリスト教会の宿泊所の窓から隣りのキャンプ場のテニス・コートが見える。真夏の午後、女子大生たちが歓声を放ちながらテニスに興じていた。若々しい太ももから汗を流し、ピンクのTシャツをたわわに実った乳房が揺らしている。胸元も太腿も青春の果汁を惜しげもなく滴らしていた。二十歳の私は思わず熱いため息を吐いた。「あっちにいたい。こっちじゃなくて、あっちにいたい」燃えるような美しい娘たちと一緒にいたい。それなのに私は二千年まえに書かれたカビの生えた書物を見詰めている。こんなはずじゃなかった。若い大学生としてもっと輝く青春を送りたかった。それなのに現実は訳の判らない異文化の得たいの知れない神様を探している。なんで天才哲学者のニーチェはこんな聖書と死にもの狂いで戦ったのか?私は自分の答えを出すために歯を喰いしばって聖書を何度も読んだ。時間のたっぷりある学生であり、真理探究者であったから、すでに数万冊の本を読破していたが、聖書ほど読みずらい本は初めてだった。数万冊の本を読んだといっても全部、読みたい本を読んできたのだ。読みたくもない本を読むことは、苦痛以外の何物でもない。しかしニーチェの憎む敵の正体を掴みたくて、呻き声を漏らしながら、読み続けた。現代の日本人にとって、聖書の世界は極北である。価値観の極北。小さく呻き声を放ちながら、私は旧約聖書を読破した。やたらに厳しい律法。冷酷な罪の裁き。過酷なユダヤ教。そしてユダヤ人の悲惨な運命。しかしながら新約聖書に入ると極北の価値観に変化があった。《 罪の赦し 》イエス・キリストの登場により、過酷な裁きの世界から赦しの世界が開かれてゆく。姦淫の現場で捕らえられた女が引き出される。ユダヤの宗教家がイエス・キリストに尋ねる。「律法によると姦淫の女は石打ちの刑であるが、あなたはどうされますか?」イエス・キリストは答えた。「あなた方の中で罪を犯したことの無い者が最初に石を投げなさい」それを聞いた群衆は静かに去っていった。重苦しい過酷な世界に、柔らかな光が差し込んだようである。そしてイエス・キリストのある言葉が私の凍えた心を溶かした。「幸いなるかな泣く者。汝は慰められるべければなり」俺はニヒリストだ。怖いものなどなにもない。そんな風に荒ぶっていたが、本当は苦しくて泣いていた。私は聖書を探究するうちにイエス・キリストと邂逅を果たした。そして信仰を得ると旧約聖書の中にも神の愛が隠されていることに気付かされた。ユダヤ民族は信仰の民であった。食い物や文化や時代を超えた「信」の民族であった。そこにこそ本当の価値がある。「信」こそ尊いのである。「信」こそが命であり、実相であり、神である。そうしたユダヤ民族の輝きが一点に凝縮したものこそ、救い主イエス・キリストの誕生であったのだ。栄光の新約聖書の土台石は旧約聖書に他ならない。つづく最高の美容家 スノウさんのサイト紹介 健康と美容でお悩みの方は行ってみて下さい。「星のダイヤ」
2022年12月12日
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山の中で修行していたなら良かったのに残念ながら茨城県の地方都市で生きていたから、スーパーマーケットのナイト・スタッフの職を得ていた。森に住む古代のヨガ行者として生きるべきだった。悟りを開いたが、生活は堕落した現代人であったのだ。私と妻の趣味は社交ダンスであり、美味しいものを追い求めるグルメであったのである。こ洒落たレストランでヒレ・ステーキを頬張る悟りを開いたヨガ行者。そこに矛盾があった。インターネットの時代を生きる真人は、それでいいと思っていた。真理は厳粛で矛盾は矛盾、間違いは間違いである。現代人でありながら、悟りを開いてしまったんだから、グルメとしての食生活ぐらい許してほしい。そう神に願っても、神は真理を曲げない。堕落した食生活を続けるうちに私は糖尿病となっていた。糖尿病は恐ろしい病だが初期のうちは自覚症状がない。急性心不全となって初めて間違いが暴露された。強さを目指し47年間ひたすらに鍛え続けた結果が糖尿病そして合併症である急性心不全、呼吸困難、ICU入院である。ストレッチャーに乗せられて運ばれている私は呼吸困難のため、眼を開く力さえ残っていない。なんという弱さだろう。まさに弱さの極み。極限の弱さと言っていいだろう。《 極限の弱さ 》極限の強さを求めて47年、修行した結果、賜ったのは、極限の弱さである。《 極限の強さと極限の弱さ 》私が命がけで学んだものはキリスト教と中村天風先生の天風哲学、そして肥田式強健術の三者だけである。つづく病気を治し、健康になる。その最高の健康法を公開しています。病弱な方はぜひお読みください。健康で幸福な人生!!闘病記アマゾン キンドルhttps://www.amazon.co.jp/%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85-%E9%97%98%E7%97%85%E8%A8%98-%E6%B5%B7%E5%85%89-%E5%92%8C%E5%B9%B8-ebook/dp/B0BMLBK2N3/ref=sr_1_4?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=5V9R4CFB164T&keywords=%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85+%E9%97%98%E7%97%85%E8%A8%98&qid=1668752761&qu=eyJxc2MiOiIyLjUwIiwicXNhIjoiMC4wMCIsInFzcCI6IjAuMDAifQ%3D%3D&s=books&sprefix=%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85+%E9%97%98%E7%97%85%E8%A8%98%2Cstripbooks%2C173&sr=1-4ww.amazon.co.jp/%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85-%E9%97%98%E7%97%85%E8%A8%98-%E6%B5%B7%E5%85%89-%E5%92%8C%E5%B9%B8-ebook/dp/B0BMLBK2N3/ref=sr_1_4?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=5V9R4CFB164T&keywords=%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85+%E9%97%98%E7%97%85%E8%A8%98&qid=1668752761&qu=eyJxc2MiOiIyLjUwIiwicXNhIjoiMC4wMCIsInFzcCI6IjAuMDAifQ%3D%3D&s=books&sprefix=%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85+%E9%97%98%E7%97%85%E8%A8%98%2Cstripbooks%2C173&sr=1-4
2022年12月03日
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地獄の釜から出てきたよ。糖尿病 闘病記が出版されました。闘病記の最高傑作と自負しております。病気の方はもちろん、健康な方もぜひお読みください。健康の真髄。癒しの真髄を公開しております。リンク 地獄の釜から出てきたよ 闘病記
2022年11月18日
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救急隊員から報告を受けていた若い医師が運び込まれた私をエコー検査すると「急性心不全、心機能30%、即 I C U 入院」と告げた。『心機能、30%? どうゆう意味なのか? 私の心臓は30%しか動いていないのか?』30%という言葉が鼓膜に刻み込まれる。恐らく一生、30%という数字を忘れることはない。混濁する意識の中、ストレッチャーに乗せられ、ICUへと運ばれてゆく。眼を開く力さえ残っていなかったから、肌で感じただけだが、おそらく2,3人の看護師たちがストレッチャーを押していた。私にとっては生きるか死ぬかの瀬戸際だったが、彼女たちには日常の勤務だったので普通に喋ったり、笑ったりしている。『私は眼が開けないほど弱っているのに、彼女らは元気に笑っている』笑い声と共に命の熱が伝わってくる。命の力が私を運んでいた。命が命を運んでいる。弱い命を強い命が運んでいたのだ。弱い強いの違いがあったが、命どうしが触れ合っていた。わたし海光和幸はかなりマニアックな人生を生きてきた。20歳のころ武道を志し、極真空手に入門すると爾来47年間ひたすらに心身を鍛え続けたきた。50代あたりから格闘技系の修行は終了して、武道の真髄である臍下丹田を鍛錬してきた。死にもの狂いで修行してきたから、60代の始めごろ臍下丹田の本質である正中心を体得悟了することができた。ここに身も心も極楽浄土という至高至福の境涯となったのである。《 臍下丹田と正中心 》初心者の方のために簡単に臍下丹田と正中心について説明しておこう。「ヨガの目的は臍下丹田と信仰を養うことなのである」 沖 正弘ヨガの達人である沖正弘先生が仰っているとおりヨガの真髄は臍下丹田の訓練にある。人間の下腹、臍下丹田には無限の快感と力が隠されているからだ。そして臍下丹田の本質が中心部分に実在する真空の一点、それすなわち正中心なのである。わたし海光和幸は死にもの狂いで修行してきから、神のお慈悲により正中心を体得できた。確かにそこに無限のエクスタシーと無限の気が実在していた。心の実相は信念であり、肉体の実相は臍下丹田である。信念と臍下丹田という二つの実在を体得し、ここに遂に身も心も極楽浄土という至高至福の境涯を得たのであった。臍下丹田、いわゆる正中心を体得するのは非常に難しい。信じられないほど難しい。天才でも体得することはできないだろう。なぜならそれは偶然だから。なぜならそれは想定外だから。なぜならそれは奇跡だから。なぜならそれは、神のお慈悲だから。奇跡の正中心を体得し、信念を得た私は身も心も極楽浄土という至高の境地となった。もうそれで十分だと思っていた。問題ないと思っていた。だから妻と社交ダンスを楽しみ、グルメとしてステーキを食べ、鰻を食べ、寿司を喰ってきた。お金の続く限り美味しい物を食べ続けようと思っていた。ところが人生は恐ろしい。問題があったのだ。それが肉体の健康という問題だった。飽食と贅沢が内側から私の健康を破壊していた。
2022年11月05日
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生還急性心不全、呼吸困難、救急車搬送、救命救急センター(救命ICU)からの帰り道神は67歳のわたし海光和幸(かいこう かずゆき)の命を取らないで、帰して下さった。ありがとうございます。感謝であります。死にかけて思うのは、命そのもの。命と死の間(はざま)に立ってみると恐怖さえ感じることができない。命そのものが露呈するからだ。急性心不全、呼吸困難となって、確かに死は隣りに座っていたようだが、触ってはこなかった。触ってきたのは命だけだった。喜びも悲しみも愛も憎しみも触ってはこなかった。絶望も希望も触ってこなかった。幸福も不幸も触ってはこない。人生さえ触ってこなかった。人生だって? そんなものどうでもいい!!かまっちゃいられない。命が危ないのだ。第一章《 命だけあった 》思ってみれば、命ははかなく、そよ風のように睫毛を揺らして消えてゆく。宇宙のあらゆる命はそよ風のように去ってゆく。草原の王者である獅子も穴に隠れるハムスターも一国の君主も東京新宿のホームレスも同じように、最後のため息を吐くと永遠の静寂(しじま)の中に溶け込んでゆく。生けとし生ける者の命は儚く、そよ風にすぎない。金持ちも貧乏人も若者も老人も驕る者もへりくだる者も悪人も善人も悟った真人も嗤う凡夫も、ことごとく、そよ風のようだ。死が微笑みかける時、強い者も弱くなり、弱い者も弱くなる。いかなる強者も地に倒れ、立ってはいられない。生けとし生ける者は地に伏して静かになる。もう喋らない。もう語らない。もう笑わない。もう偉そうこと言わない。もう泣かない。もう愛さない。もう怒鳴らない。もう喜ばない。もう小便しない。もう何も喰わない。もう絶望しない。もう希望もない。もう酔って、ふざけたりしない。もう憎まない。( そして、もう歌わない )すべてのすべてが静寂の中に溶け込んでゆく。〈つづく〉読んでくれて、ありがとう。「生還」はシリーズです。
2022年10月22日
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糖尿病になると心臓を弱め、目も見えなくなり、全身の神経を破壊してしまう。両足を切断した人も沢山いる。糖尿病は最も恐ろしい病気の一つなのである。皆さんは糖尿病ではないから、この病気の恐ろしさが判らない。でもこの病気が地獄なのだと理解していただいて、絶対にならないように注意してほしい。今現在、暴飲暴食している人は、ただちに止めて、節食を始めるべきである。確かに私は今、糖尿病を患い、地獄のどん底でのた打ち回っているが、それでもやはり、世界一の幸せ者である。心は感謝で満ち、喜びを失っていないから。私の心の喜びの泉は、キリスト教と天風哲学である。キリスト教は宗教だから、拒絶反応を抱く人も多いだろう。しかし本当のキリスト教は、神の恵みなのである。人間は不完全な存在だから、失敗や罪を犯してしまう。それを赦して癒して下さるのが、神の愛、すなわち救い主イエス・キリストなのである。イエス・キリストは我らの身代わりとなり、罪となり、十字架にかかって下さった。だから素直にその神の恵みを受け取ればいいのである。キリスト教は神の恵みだから、素直に感謝していれば良いのである。天風哲学は、本当の幸福を教えて下さっている。悟りと信念と理想こそが、絶対に崩れない本当の幸福。病気や不運で苦しんでいる人は、どうかキリスト教と天風哲学を学んでいただきたい。そうすれば必ずや救われるだろう。読んでくれて、ありがとう。貴方の上に神様の祝福が豊かにありますように。感謝。
2022年10月12日
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六月中旬、私は救急車で運ばれ、ICUに入院した。糖尿病と心不全が発症したのである。死ぬかと思ったが、なんとか生き延びている。神様は死から救い出して下さった。ありがとうございます。感謝であります。信念と正中心を体得し、至高至福の境地も病気には勝てなかった。最高の境地ゆえに私は病気にはならないと自惚れていた。肉体の健康という事をまったく考えていなかった。週に2回はレストランでヒレステーキを食べて、あるいは寿司屋で舌鼓を打っていた。知らぬうちに糖尿病となり、心不全を発症した。糖尿病は一名、贅沢病とも呼ばれている。要するに不摂生が原因であろう。体の健康の尊さを今しみじみと感じている。糖尿病という病を通して、神様は一番の根本真理を教えて下さった。それが「万病一元」の真理である。すべての病の原因は、血液の汚れであるという東洋医学の根本原理なのだ。そしてそれは西洋医学の根本原理でもある。逆から言えば、血液さへ綺麗なら、病気にはならないという事でもある。「万病一元」の真理を理解していただいて、どうか皆さんも健康であらんことをお祈りいたします。読んでくれて、ありがとう。感謝。
2022年09月08日
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私の体得した正中心の作り方は、肥田春充先生のもとの同じかどうかは判りませんが、自分なりの体得を語りたいと思います。私のやり方は、臍下丹田を圧縮して作るものではありません。多くの人たちは、正中心を作るのに、下腹を圧縮して作ろうとしています。それでは、おそらく、正中心は発動しないと思います。私のやり方は、圧縮せずに、上と下、右と左、つまり十字型に臍下丹田を開くのです。開くと正中心が出現しますから、そこから噴き出してくる無限の気を腹と腰にいただくのです。さすれば自然と腹腰同量の力となるのです。腹腰同量の力は、結果であって、原因ではありません。原因は正中心の出現であります。圧縮せずに、開いてみてください。肩と腕を上手く使って、上下、左右に開いてください。徐々に正中心感覚が出てくるでしょう。読んでくれて、ありがとう。神の祝福が豊かにあらんことを。感謝。
2022年08月11日
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体調不良でしばらくお休みしてました。少しづつ書いてゆきます。臍下丹田について興味を持ってくださっている方もいらっしゃいますから、秘密の極意を公開してゆきたいと思います。臍下丹田、いわいる正中心発動で一番難しいのは、肩の使い方です。肩を緩めることが大切だとみんな言いますが、緩めるという事の真の意味を理解している人はあんまりいないようです。 肩を緩めるという事の真のやり方は、肩を上げることなんですね。肩に力を入れず、肩を上げてみて下さい。そうすれば徐々に中心感覚が判ってくるでしょう。読んでくれて、ありがとう。これからも秘密の極意をどんどん公開してゆきますよ。感謝。
2022年08月09日
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本を読んで頂いて有難うございます。貴方も丹田修行者の一人になったのですから、面白い話をプレゼントしましょう。昔、西野皓三先生という呼吸法の達人に師事していました。渋谷に本部道場があって、仕事が休みの日、わざわざ茨城の田舎から通っていました。西野先生は、気の達人ですから、我々塾生たちを触れる事なく、ふっ飛ばしていました。対気の動画を見れば、判ります。対気も驚くべき現象でしたが、私が心底、驚いたのは、私を吹っ飛ばす瞬間の西野先生の目でした。「あああー?」私はこの世のものでないものを見てしまった。西野先生の目の中が七色に光り輝いていた。光の粒が、それはまるで小さな花火のように七色に光りながら動いていたのです。あの目をあの西野先生の目を私は一生忘れることはできないでしょう。臍下丹田の世界、すなわち気の世界は無限の奇跡に満ちている。貴方はとんでもない世界に入ってきたのです。臍下丹田に無限の快感と力が隠されています。ぜひそれを体得して下さい。さてお尋ねの件ですが、臍下の一点とは恥骨の真ん中です。恥骨は幅がありますから、真ん中を一点と意識すればいい訳です。ヘソから垂直線を降ろして、恥骨まで線を引きます。その垂直線を意識したら、ふわーとその意識を左右に広げてみてください。垂直線からふわーと意識を優しく広げるのです。そうすれば丹田中心部分から気がふわーと吹き出してきます。それが快感となり、力と成ります。「丹田をふわーと意識すると気が出るんですね」 西野皓三 (2022年03月10日 01時54分47秒)返事を書く
2022年03月10日
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今年、初めて臍下丹田の本を出版した。アマゾン、キンドル出版。妻に臍下丹田の本を出版するよと言ったら、「臍下丹田?なにそれ?」とつれない返事。妻はまったく興味を示さなかった。戦国時代の武士たちじゃあるまいし、あまりにマニアックな世界である。だから私も一般の方々は興味を持ってくれないかも知れないと思っていた。ところが実際に出版してみたら結構多くの方々が読んでくださった。ありがたいコメントも頂いた。臍下丹田に興味を抱いて下さったすべての方々に心から感謝を捧げます。臍下丹田、いわゆる正中心は、本物であり、そこに無限の快感と力が隠されている。臍下丹田には想像を超えた力が隠されている。だから丹田を鍛える事は人生最大の喜びとなるだろう。臍下丹田を鍛えることは素晴らしいことなのだが、一つだけ心配なことがある。それは体得するのが大変むずかしいという点である。私の趣味は社交ダンスなのだが、3年ほど練習すれば、それなりにダンスパーティーで踊れるようになる。ところが丹田修行においては3年ぐらいの修行ではどうにもならない。非常に奥深いものなのである。 わたし海光和幸の本を読んで下さり、臍下丹田に興味を抱いてくれたすべての方々よ。どうかその点をご理解して頂きたい。丹田修行は5年、10年というスパンで取り組むべきものなのである。ですから、ゆっくり、ゆっくり、楽しく、楽しく、修行して頂きたい。気が付けば極楽浄土の境涯となっていることでしょう。( 丹田修行の注意点 )1 それは絶対に力を入れてはならないという事。2 丹田力、つまり中心力が出てきてから、力を入れるという事。3 多くの丹田修行者の間違いはそこにある。丹田修行は筋肉鍛錬ではないという事。読んでくれて有難う。貴方に祝福あれ!!
2021年09月06日
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誰でも皆そうだが、10代、20代のころは強烈なセックスの快感を得ていた。セックスの快感が人生を生き抜く一つの大きな原動力となっていた。そして残念な事に年を追うごとに性の快感は減少してゆく。快感も性能力も年々、落ちてゆくのである。ついにはセックスの喜びを失った人生の敗残者となるだろう。神は慈悲深いお方だから、それじゃあんまり老人が可哀想だとセックスの喜びに代わる快感を与えておられる。それが臍下丹田から発する無限の快感なのである。セックスの快感と臍下丹田の快感は同じではない。セックスの快感なら皆ようくご存知だから説明する必要はないが、臍下丹田の快感を説明するのは難しい。しかしあえて説明するなら、それは清らかで晴れやかな快感である。臍下丹田の快感もセックスの快感に劣らぬほど強烈な痺れるような快感なんだけれども晴れやかな快感なのである。わたし海光和幸のように60代となりセックスの快感が減少したのに、臍下丹田の快感が無かったら、どれほど淋しい人生となる事だろうか。60代以降の人間なら絶対、臍下丹田の快感を体得したほうが良い。臍下丹田には無限の快感と力が隠されているからである。読んでくれて、ありがとう。興味のある方は、海光和幸の本を読んで、痺れるような快感を体得して頂きたい。 「セックスより気持ち良い! 臍下丹田の奇跡」 アマゾン キンドル出版 「セックスより気持ち良い! 臍下丹田の奇跡」 アマゾン キンドル出版
2021年06月13日
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ゆっくりとソファーに寝そべり、臍下丹田を決めると果てしない快感が肉体の芯から溢れ出し、たちまち極楽浄土の境涯となる。なんという気持ち良さであろう。無限のエクスタシーが臍下丹田から溢れ出す。ああ、神様、ありがとうございます。この肉体こそが極楽浄土でありました。なんという素晴らしい肉体であろうか!!肉体は仮相なのだが、仮相の中に無限の実相が隠されている。この真実を理解する者はこの世界に一人もいない。ただ唯一、わたし海光和幸が独り真理を述べ伝えている。とろけるような快感が臍下丹田から果てしなく流れている。なんという気持ち良さであろう。誰だって、この至高至福の境涯を手にすることができるのだ。ただ臍下丹田を正しく鍛えてゆけば、神秘の扉は開かれる。もちろん2,3年の修行で極楽浄土の境涯を手に入れられるなどという甘言を弄するつもりはない。しかし楽しみながら10年、修行を続ければ、誰だってパラダイスを体得できるのである。お金もかからない、時間もかからない、楽しみながら臍下丹田を鍛えれば良いのである。修行が進めば臍下丹田から無限の力と快感が溢れるようになる。無限のエクスタシー、これを知らぬ者は人生の敗残者であろう。たとえ世界一の大金持ちになっても、この快感を知らぬ者は愚か者である。どうか臍下丹田の極楽浄土を体得して欲しい。臍下丹田の素晴らしさを本にまとめました。「セックスより気持ち良い! 臍下丹田の奇跡」 アマゾン、キンドル出版「セックスより気持ち良い! 臍下丹田の奇跡」
2021年05月04日
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わたし海光和幸は現在65歳。65歳になると前期高齢者と呼ばれるらしい。前期高齢者か・・・とうとうそんな名前で呼ばれるようになっちゃった。60代以降の人間なら皆うすうす感じているが、将来に希望はない。老人はただどんどん落ちてゆくだけ。体力は落ちてゆく。収入は落ちてゆく。精力は落ちてゆく。社会的ポジションも落ちてゆく。老人の一切が落ちてゆく。社会のお荷物、人生の敗残者。生きた産業廃棄物、それが現代社会の現実なのである。日本の現実が老人を産業廃棄物へと落としたとしても、それはあくまで人間世界での話。神と人間は違うから、たとえ若い人間たちが老人を見捨てても、神は見捨てない。その証拠が神が老人に与えた信念と臍下丹田なのである。臍下丹田には無限の力とエクスタシーが隠されている。臍下丹田さへ正しく鍛えてゆけば、体力は落ちるどころか、どんどん強くなってゆく。老人の唯一の本当の希望。それが臍下丹田なのである。私を含めた全ての老人よ。失望する事なかれ!!臍下丹田に無限の力と快感が隠されている。奇跡の臍下丹田の真髄をわたし海光和幸は公開しました。アマゾン、キンドル出版。本書を読めば心は希望で溢れるでしょう。老人でもどんどん強くなれる「臍下丹田の秘法」老人でもどんどん強くなれる「臍下丹田の秘法」
2021年04月08日
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神は愛なるお方だから、本当はこの世は極楽浄土なのである。私たちの生き方が間違っているから幸福に成れないだけなのだ。心は信念で満たせば良い。そうすれば悩みはなくなる。問題は肉体である。神は恵みをもって人間を創造して下さった。だから実はこの肉体も極楽浄土なのである。つまり身も心も極楽浄土として生きることが本来の生き方である。こうした本来の生き方を教えてくれているのがヨガ哲学なのである。わたし海光和幸はキリスト教徒であるが、中村天風先生の天風哲学により悟りを開いた。天風哲学の土台はヨガ哲学だから、いわば私はヨガ哲学により悟りを開いた訳である。ヨガの愛好者は大勢いるが、ヨガの真髄を理解している者はほとんどいない。わたし海光和幸がヨガの本質を語るより、やはりヨガの達人が語るほうがいいだろう。「ヨガの目的は、信仰と臍下丹田を養うことなのである」 ヨガ達人 沖正弘沖正弘は戦後のヨガブームを起こした日本におけるヨガの第一人者なのである。信仰は信念に置き換えても間違いではない。つまりヨガの本質は、信念と臍下丹田なのである。信念は心の極楽浄土。臍下丹田は、肉体の極楽浄土である。信念の大切さは、我がブログの読者の方なら理解しているだろう。問題は臍下丹田である。残念ながら臍下丹田の素晴らしさを理解している方はこの日本にほとんどいない。信念と臍下丹田、両方あって、はじめて完全なる極楽浄土となる。身も心も極楽浄土、これこそがヨガの全目的である。誰も知らない臍下丹田の素晴らしさを知って欲しくて、本を書いた。それが「セックスより気持ちいい!」臍下丹田の奇跡である。アマゾン、キンドル出版。めちゃくちゃ面白いから読んでほしい。読めば新しい世界が広がるだろう。
2021年03月25日
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人が真に生きるとは、悟りと信念と理想で生きる事なのである。悟りと信念と理想と書くと非常に難しく感じるが、実は簡単なことなのである。最高のセルフイメージで生きることが、悟りと信念と理想で生きる事なのである。例えば子供のころからブス呼ばわりされて苦しんでいる女性なら、「私は本当に世界一の美人なんですよ」と信念することが最高のセルフイメージで生きることなのである。毎日、自己暗示をすることが絶対必要。「お前は世界一の美人なんですよ。間違いない!!」自己暗示は、必ず、お前でやること。鏡を見ながら、自分の眉間に信念をぶち込んでゆく。100回でも1000回でも。そうすると心が生き返ったように、嬉しさを感じる。それが絶対に崩れない本当の幸福。そうやって幸福を感じながら生きる事が、唯一の正しい人生道なのである。この人生には、崩れる幸福と崩れない幸福、二種類の幸福がある。崩れる幸福の典型が家族とお金である。大切なものではあるが、執着すると地獄となる。崩れない幸福で生きるべきである。それすなわち悟りと信念と理想である。読んでくれて、ありがとう。海光和幸の本がアマゾンのキンドルストアから発売しています。人生真理の真髄は本書にあります。
2020年11月16日
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人間はとことん幸福を求める存在である。しかしながら、これを読む皆様を含め、大概の人は本当の幸福を知らない。本当の幸福は、お金や家族ではない。それらも大切な幸福ではあるけれど、崩れる幸福なのである。つまり仮相である。真の幸福は崩れない幸福、つまり実相である。実相とは、悟りと信念と理想。これが本当の幸福だ。悟りと信念と理想が深まれば、どんどん幸福になってゆく。理想とは、すでに理想の自分に成っていると信念すること。例えば、金銭問題で悩んでいるなら、わたしは既に世界一の大金持ちなんだと信念することが、理想というものなのである。そして理想と信念が強くなれば、金銭問題で悩む事はなくなる。悩む訳がない。もうすでに世界一の大金持ちなんだから。悟りと信念と理想が確立すれば、世界一の幸福者だから、すなわち世界一、豊かな者と言えるだろう。世界一、豊かな者は、本当の意味で、世界一の大金持ちであろう。とにかく、悟りと信念と理想というものを理解して、幸福になることである。そうすれば、一切の悩みから解放されるだろう。物質における世界一の金持ちが本当の金持ちではない。心における世界一の金持ちこそ、豊かな、真に豊かな、世界一の大金持ちなのである。本当の幸福を味わってほしい。
2020年06月21日
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真人、凡夫、人間の表裏なり。霊魂、つまり実相心が表に出れば、それ真人なり。肉欲、つまり仮相心が表に出れば、それ凡夫なり。凡夫、真人、心の表裏なり。真人ひたすらに凡夫を愛す。凡夫ひたすらに真人を救う。凡夫、真人、互いのため存在す。凡夫、真人の輝きを訝るが、これを愛し、救う者。凡夫、真人、これ一つなり。
2020年04月13日
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前のブログで家族は地獄なりと書いた。真理ではあるが、完全な真理ではない。完全な真理は、家族は地獄でもあるし、天国でもある。我々の心に信念があれば、家族は天国である。信念がないなら、家族は地獄である。家族だけではなく、人生そのものもまったく同じ。信念があるなら、人生は喜びの人生となり、信念がないなら、人生は、生老病死、失望落胆の生き地獄となる。今現在、家族問題で悩んでいる人も沢山いるだろう。しかし、大丈夫、貴方の心に信念が確立すれば、いかなる家族問題も必ず解決する。信念さえしっかりすれば、いかなる家族も天国となるのである。人生もまたしかり。いかなる苦悩の人生も信念さえあれば、極楽となるのである。すべては神の恵みなり。感謝です。https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95&i=digital-text&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&qid=1583298732&ref=sr_pg_2海光和幸の本がアマゾンのキンドルストアから発売されています。人生真理の真髄は本書にあります。
2020年03月22日
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この世には崩れる幸福と崩れない幸福、2種類の幸福がある。崩れる幸福の典型が家族なのである。普通一般の人々は、家族が人生で一番大切なものだと考えている。そうした間違った考えをもっているから、絶対、幸福にはなれない。のた打ち回って家族を追い求めても、虚しいかぎりだ。風を追うようなもの。求める先から家族はどんどん崩れていく。物質的には年寄り、つまり、じい様、ばあ様から崩れてゆく。精神的には、若者たち、子供や孫から崩れてゆく。崩れる幸福の典型。それが家族である。崩れる幸福、仮相なり、失望落胆なり、地獄なり。日本における殺人事件の大半は、家族の間で起こっている。まさに家族は地獄なり。人間は崩れる幸福を追求するために生まれてきたのではない。人間は崩れない幸福を追求するために生まれて来た。それ、すなわち、悟りと信念と理想のことである。つまり世のため人のため新たなる創造を成し遂げるため、生まれて来た。人間とはきわめて精神的な存在と言わねばならない。読んでくれて、ありがとう。感謝。海光和幸の本、「幸福になる方法」がアマゾン、キンドルストアから発売されています。苦しむ人は必ず読んで頂きたい。人生真理の真髄は本書だけにあるのだから。https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95&i=digital-text&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss
2020年03月09日
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2020年03月04日
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人は誰でも宿命を背負って、泣きながら佇んでいる。わたし海光和幸はそう思っています。様々な宿命があります。親がいない。貧乏である。顔が醜い。病弱である。学歴がない。みんな宿命を背負い、苦しんでいる。それが人生の実態かも知れません。変えられないさだめ。それを宿命と呼ぶのです。宿命に絡まれて、独りでいるとき、泣いている。宿命だけは、共有することはできません。この世でたった一人、誰にも知られず、静かに自分の宿命と向かい合っている。それが人生を生きるということ。宿命を背負い、泣きながら佇んでいる。それでいいのです。そして少しだけ元気になったら、青空を見上げて、歩き出しましょう。
2019年12月21日
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