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前回 「高須四兄弟」をご紹介 しました クロ です
今回は ちょっとだけ高須藩にゆかりの人物 をご紹介します
(かなり マニアック かもしれませんが...)
その 人物 とは・・・
「 秋月悌 次郎 」 と 「 手代木直右衛門 」 です
たぶん聞いたことない方のほうが多いかもしれませんね~
この2人は幕末の 会津藩士 なのですが、
戊辰戦争終了後の明治2年7月に 高須藩にお預け となっています
戊辰戦争の際、高須藩は尾張藩と行動を共にし、新政府軍として出兵していますが、
国元では会津藩に同情を寄せる声が少なくなかったようです
秋月悌次郎が 明治2年10月 に 家族に送った手紙 に当時の様子が書かれています
『七月五日 高須表に着く、飲食万端誠に御丁寧毎日御菓子・御酒下され、風呂も日々相い立ち、即日若年寄役の人見舞として参り、・・・』
手紙はまだまだ続きますが、高須藩が 会津藩の預かり人を
いかに大事に保護していたか
感じられますね
(読みにくいですがなんとなく意味は分かりますよね)
またこの2人は高須藩にいた際に 漢詩や和歌 を詠んでおり、
海津市歴史民俗資料館3階 にて見ることが出来るようになっています

秋月悌次郎 漢詩

手代木直右衛門 和歌

せっかくなので、2人のことを 簡単にご紹介 します
≪秋月悌次郎≫
京都守護職時代は、容保公が守護職を拝命し上洛すると※ 公用方 に採用されます。薩摩の高崎佐太郎と謀り、八・一八の政変を成功させ、会薩同盟を結ぶ立役者となります。
戊辰戦争では籠城戦に入り副軍事奉行として防戦を指揮しますが、ついに降伏を決意。米沢藩(現:山形県)を通じて手代木と共に降伏の使者に立ちます。
戦後は新政府に仕えますが、いくばくもなく会津に帰り母を養います。母が亡くなった後は東京大学・高等学校等に出仕し、のち熊本五等学校の教授となります。同じく熊本五等学校に在籍した小泉八雲と親交を持ち 『 神様 のような人 』 と言われ尊敬されていたようです
※ 公用方 ...藩主を補佐し、仕事を処理する会津藩最高の諮問機関であり、政策立案機関。対外的には朝廷・幕府・諸藩関係者との折衝や情報収集を行った部署。(会津藩士のなかでもエリート集団が集まっていたそうです。)
≪手代木直右衛門≫
京都守護職時代は公用人として渉外関係を担当し、新選組や所司代・町奉行を動かして市内の治安維持に尽力します。禁門の変では、容保公に代わって参内し、長州藩追討の勅を得て、容保公に復命するという大役をしています
戊辰戦争が勃発すると奥羽越列藩同盟にあっては諸藩との周旋役となり、籠城戦では若年寄として奮戦しましたが、開城にあたって秋月悌次郎とともに米沢藩への使者に立っています。
戦後は美濃高須藩で禁固生活を送りますが、赦免されると新政府に出仕し、香川県・高知県・岡山県の役人を務めました
今年の大河ドラマ 『八重の桜』 は 会津 が舞台です
もしかしたら今回紹介した2人もどこかで登場するかも...
(秋月悌次郎は2/10の回からちょこちょこ登場してますね。)
以下、ちょこっと 観光案内
です
金戒光明寺 (京都府左京区)

京都守護職を拝命し、京都で活動する際の本陣として使用されました
黒谷にあったことから当時は 「黒谷さん」 と呼ばれ、親しまれていたようです
京都守護職屋敷門 (京都府左京区)

現在の京都市役所にあった会津藩の「京都守護職屋敷」の表門。
現在は 平安神宮敷地内に移築 されています
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