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お花畑青いお空に手が届く ここは水上のスキー場今の時期はお花畑として水仙やチューリップが咲き乱れてますそして目の前に広がる新緑・残雪の山々 青く広い空も素敵、手が届くようですまずは大きく深呼吸・・・にほんブログ村
2026.05.08
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春神楽笛や太鼓に鈴の音白黒翁三番叟 賀茂神社の春神楽、まずは宵祭、口火を切るのは「白黒三番叟」舞台の清めとして最初に上演される演目です。刀を抜いて行われる三方固めはかなりの呪力を持っていると感じられる。蛭子の舞 蛭子(ひるこ)とは、イザナギとイザナミは日本の国土を形成(国生み)するため、天上世界である高天原(たかまがはら/たかまのはら)からオノゴロ島(イザナギとイザナミが国生みの拠点にした島)に降り、日本を形成する島々やたくさんの神様を産み落としていきます。この時、一番最初に生まれた神様が「ひるこ」でした。ところが、ヒルコは体が不自由な子だったため、海に流されてしまいました。 流されたひるこはその後日本書記や古事記には出てきませんが、民間信仰として復活し、七福神の恵比須様になったとする説もあり、「蛭子」と書いて「えびす」とも読みます。演目では蛭子がお供を連れて釣りに行く話で、夜やるものとされているそうです。本祭の最初の演目も白黒三番叟です。ところが残念ながら黒が来られなく白だけでした。猿田彦の舞二番目は「猿田彦の舞」天孫降臨の道案内役とされ、別名「道開けの舞」とも呼ばれます。この先導役は「鉾廻し」呼ばれこの日は最年少神楽師が務めたようですが、神社胴羽目の彫刻では天細女命となっています。猿田彦は鼻が高く天狗の様な風貌で天狗の起源との説もあります。 天の岩戸開きの舞 日本神話の中でもよく知られた話で天太玉命と天細女命が現れ、四方固めが行われます。芸能の起源とされる天鈿女の鈴舞はハヤというテンポの速いリズムで軽快な舞です。 その後の天之手力男命は力強いテンポで舞い、岩戸の岩を投げ飛ばします。そのあと天照大神の登場となります。天照大神が岩屋から出た後、天之手力男命の笹舞は米の字を書くように舞います。稲荷山種蒔きの舞 お祭りのトリを飾るの演目です。お稲荷さんの言う通りに種をまいて稲を刈り取って餅を搗く。五穀豊穣の願いが込められています。最後に餅を撒き、見物客が拾い集めて持って帰れる。 賀茂神社の神楽は江戸時代後期、文化年間(1815)から続けられている伝統ある芸能で、宮比講神楽と呼ばれるものです。日本神話や民族文化が元になった、楽しい神楽です。寒い冬を乗り越え、春になったウキウキ気分で見るには最適です。にほんブログ村
2026.04.16
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春はどこ?道案内は猿田彦 右の胸のはだけた女性は神話のヒロイン天細女命(アメノウズメノミコト)、天細女命はご存じ天の岩戸でお隠れになった天照大御神(アマテラスイオオミカミ)をお迎えにするため天真爛漫な踊りを披露する神様です。上の彫刻は、この天細女命が天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の天孫降臨の時、道案内として頼んだのが猿田彦。年齢の関係はどのようになっているかは分かりませんが。二人はこの後、婚姻するとか・・・。 彫刻は広沢賀茂神社の本殿の胴羽目を飾っています。作者や時代は不明ですが、彫刻の時代は明和から安永年間(1864~1781頃)作者は星野政八ではないかと思っています。 賀茂神社の神楽殿は今は造り替えられていますが一部には江戸時代の材料も見られます。現代で神楽殿が残されている神社は結構見られますが、使われているのは極わずかです。賀茂神社の太太神楽は年二回(春・秋)行われて今年(R8年)の春は4月14日の宵祭に「白黒三番叟と蛭子の舞」15日の本祭の午前は「白翁三番叟と彫刻にある猿田彦の舞」午後は「天岩戸と稲荷山の舞」を行う予定といいます。 本格的に行っていて、月二回の定期練習も行い、面白い物が出来上がり、どれも一見の価値あるものに仕上がってます。にほんブログ村
2026.04.02
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桜見てさっと飛び立つ鷺一羽 桜は見えるけど鷺はよくわからないでしょう鷺と桜を撮りたくて移動したら逃げられてしまいました下はその証拠こちらの方が写真といてはいいですね。にほんブログ村
2026.03.29
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老々の車椅子にて花の兄 越生梅林に行ってきました。都合で梅林まつりの期間には間に合わなくて、ようやくです。祭りが終わると梅林は閉められてしまったのですが道からでもどうにか楽しめました。お土産の梅干しはご近所の農家に看板が出てたのでそちらで購入。 実は目的は龍穏寺と小川町の八宮神社が目当てでした。八宮神社はすごい彫刻です。彫工は江戸の名工三八の一人、石原常八主信です。名作を堪能してきました。そちらの方は近日中に「素晴らしき哉寺社彫刻」にアップします。 にほんブログ村
2026.03.18
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観梅の列にマスクと眼鏡ハックション 前回の御篝神事を行った賀茂神社本殿の胴羽目です。題材は梅妻鶴子(ばいさいかくし)で林和靖(りんなせい)です。北宋の詩人で林逋(りんぽ)先生ともいわれ、梅を妻とし鶴を子として愛でて、西湖のほとりで悠々自適と暮らしていたそうです。 今の日本では観梅にいっても花粉症でうるさくてしょうがないでしょうね。私も花粉症で外出時は眼鏡、マスク、ツルツル帽子にさらさらヤッケを手放せないです。 彫刻の時期ははっきり分かりませんが、江戸後期の明和(1764)から安永(1780)の頃、彫工は棟札や墨書が無くこれもはっきりしません。作風からすると当初のから彫工でなく後補材である可能性が高く、いずれにしろ花輪系統の彫工である事は確かです。この頃活躍していたのは、石原吟八郎の門下生で、関口文治郎等ですが、文治郎とは少し作風が違うようです。天満宮の本殿よりも境内社の機神神社本殿と似ているところから星野政八・政方の作品と思えるところがあります。下のは角度を少しずらしました。厚い木に立体的に彫ってるのが分かると思います。詳しくは「素晴らしき哉寺社彫刻」を参照願います。 これは桐生市の文化財としての指定は受けてありません。しかし県内の作品や他県の文化財として指定されている物と比べても少しも遜色は無く、当時のトップクラスの作品である事は間違いない。にほんブログ村
2026.03.05
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雷神も鬼を払えと節分祭 賀茂神社の御篝祭(みかがりさい)です。 火のついた棒を勢いよく廻し、投げ合います。 最後は仲良く、ノーサイドです。 賀茂神社の祭神は賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)上の彫刻は根本山神社の雷神、角はあっても決して鬼ではありません。鬼だって本当はそれほど怖くありません。 本当に怖いのは福の神の仮面をかぶった鬼です。円安でウハウハとか「なんとかミクス」とか言って経済が良くなったんて言ってる輩です。信任されるかされないかなんて言ってムードで勝とうなんて思ってます。そんな党が勝ったら確実に戦争が一歩近づきます。 戦争になって、喜ぶのは、死神と死の商人だけ。勝ったところで他人を不幸にして、そんなことしたって平和は来ません。勝ち負けなんてなくお互いに不幸になるだけです。 明治維新になって「大日本帝国憲法」を発布して70年、戦争に明け暮れてボロボロになって敗戦。「日本国憲法」になって80年日本は戦争に巻き込まれてはいない。防衛を強化なんて言っても金を使うだけ、本当の防衛は仲良くすること。隣国を怒らせて戦争になったらどのように責任を取るのでしょうか。金の亡者に国は任せられませんよね。にほんブログ村
2026.02.04
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寒夕焼け浅間の稜線黄金色 正月ボケが納まらないうちにもう大寒ですね。この時期の浅間派」雪を被ってますがシルエットになると真っ黒ですよね、夕日は赤いのですが黄金色に見えます。ひと頃から比べると日の入りはずいぶん伸びたようですが・・・。何もしないで一月が終わっちゃうようです。にほんブログ村
2026.01.21
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初夢は海馬にまたがり富士登山海馬とは炎をまとって海を走る霊獣とされています三峯神社拝殿の支輪に彫られていました明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。にほんブログ村
2026.01.01
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におどりの番だけでクリスマス 鳰は子が生まれるとその年には子離れ。生まれた沼から飛び去ってしまいまい、クリスマスを一緒に迎えることはありません。 我が家でも子供が小さいうちこそクリスマスを祝いましたが、大きくなったらもうダメ、一緒に迎えることはありませんね。 カイツブリの夫婦も遠くから来た友達と一緒ですが、子供達はこの沼にいません 我が家でも爺さんと婆さんだけでささやかなクリスマスを祝いました。にほんブログ村
2025.12.26
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豆腐屋のラッパは町に冬夕焼け 最近の散歩は夕方にしてます。暗くなると懐中電灯で灯りを付けます。山を歩いていると町から豆腐屋のっラッパの音が・・・チョット外れているようだけどそれがいいですね湯豆腐が恋しい時期になりました。にほんブログ村
2025.11.22
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天高し揃って目指せ素木の龍 11月の1,2,3日 桐生市合併20周年記念事業として桐生祇園屋台総揃えが行われました。370年の歴史を誇る祇園祭で6台の屋台と2台の鉾は東日本で最大級とか。彫刻は1・2・3丁目が花輪の石原系統、4・5・6丁目が藪塚山之神の岸系統の作品です。幕末から明治期の優れた彫刻技術で素木で極彩色以上の迫力を見せています 上は2丁目屋台。彫刻は高松政吉、明治35年(1902)。政吉は天保12年(1841)石原常八主利の次男として生を受けました。記録では15歳の時、山之神の岸亦八に師事したとあり、3歳下の弟の幸作は文久3年(1863)に養子になったとありますから、同じ頃師事したのでしょう。桐生6丁目の浄運寺では前机に万延2年(1861)父で師の常八主利と兄甲斐之介、と共に鶴次郎の名を残している。横浜では明治10年(1877)36歳の時には高松政吉の名で彫刻の第一人者、輸出家具商者として活躍していた。因みに「左氏・後藤氏彫工世系図」にも横浜の所に高松政吉として記入されている。 この時は61歳、すでに横浜では100名くらいの従業員を抱えていたそうですので仕事はこちらは隠居仕事かもしれない。この2年後、弟幸作の長男で岸亦八の4代目となる「寅次郎」を横浜に向かい入れたことからこの時も手伝い位はさえたかもしれない。 上は4丁目屋台。彫刻は岸亦八、明治2年(1869)。岸亦八は寛政4年(1792)現太田市脇屋の渡辺家の4男として生まれた。享和3年(1803)脇屋の正法寺の彫刻を熱心に見ていたことからその時の彫工「飯田仙之輔」の養子弟子になったと藪塚町誌にある。その後長男が生まれたことにより養子は解消になったが、弟子として成長した。弘文3年(1846)従六位下 岸大内蔵藤原義福(よしとみ)の官位を受けた。川内5丁目の赤城神社には岸大内蔵 豊琳斎の墨書がある事から弘文3年以降である。「豊琳斎」は雅号として用いてたようだ。 屋台の明治2年の時は77歳であることからすると二代目亦八大輔が中心であった可能性が高い。婿に行って三代目を襲名した幸作が亡くなる前であるから参加している可能性もある。幸作は文久3年(1863)藪塚の長建寺の欄間に岸大内蔵義福、同大輔、同幸作として銘をのこしている。亡くなったのは明治8年(1872)年28歳の時である。 上は6丁目屋台。彫刻は岸亦八 慶応3年(1867)。4丁目屋台が明治、こちらは江戸時代の作品であるが慶応4年が明治元年従って2年ほどしか違わないのである。5丁目屋台は安政6年(1859)8年間の違いがあるから彫工として参加者が変わることがあるかもしれないが2年では変わりようがない。当然似てくるが原画の時から変化を付けて仕上げたものと思われる。ここも初代,2代、3代の作品である可能性が高い。 1,3,4丁目はまた改めて。にほんブログ村
2025.11.05
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藤袴常連客におもてなし 今年もやってきました。予約もなく、突然に、しかも毎年無銭飲食なんです。でもうちのチーフマスターは食事まで出して歓迎してます。私に何の断りもなく・・・私・・・もちろん大歓迎です!!。遠慮することまなく、たらふく食べて飲んでくださいこちらでは差別はしません、ツバクロヒョウモンだって遠慮せず毎年毎年遠路はるばるお越しくださいまして有難うございます来年も是非お寄りください。それではお気をつけて、またのお越しを心よりお持ちしてますにほんブログ村
2025.10.19
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ポンポンと咲くやダリアの花の園 「両神山麓 花の郷 ダリア園」に行ってきました。私よりカミさんが好きで、花や球根をかったので毎年招待券来て・・・つい行ってしまいます。 私が好きなのは主に「ポンポンダリア」子供の頃から、なんだか気に入って。細かい品種の名前までは知りませんが、唯一知っているのが上の写真の「詩織」です。 色合いが好きで我が家の狭庭植えてありますが、ここのは特別です。 ポンポンと咲くなんて書きましたが、音はしませんよね多分・・・でもする様な気がします。 この時期は虫たちにも楽園ですよね、以前来た時には「アサギマダラ」にあった時もありました。 こんな尖ったのもあります。虫がぶつかって怪我したりして・・・にほんブログ村
2025.10.15
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飛び立った我が子は何処彼岸花 カイツブリは今年は七月の末に4羽生まれました。その内無事に育ったのが2羽だそうです。例年追い出す様に巣立ちを促します。でも巣立った先でどうなるか心配しているのでしょうね。 下はカイツブリがいる沼の畔です。後ろに見えるのは赤城山、この日は薄曇りでぼんやりしてましたけど。カイツブリの子供達も同じ赤城を見てきっと新天地を探したのでしょうね。 彼岸花の子季語に「捨て子花」があります。カイツブリだって捨て子の様な事をしても、きっと子供の将来を案じていますよね。 にほんブログ村
2025.09.24
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秋の蝉山の神社で啼き納め 秩父吉田の椋神社である。毎年10月に神賑行事として龍勢ロケットの打ち上げが行われる。又、明治17年の秩父事件の終結地としても有名である。 上は椋神社の拝殿、下は境内社八幡神社の本殿である。八幡神社本殿の向拝の柱にも丁寧な地紋彫が施されていて、模様までもある。詳しい年代は不明で有るが林大隅流の特徴ある模様もあり、18世記末から19世紀初めの頃と推測出来、彫刻の特徴からも花輪系統の彫工の作品と思える。にほんブログ村
2025.09.10
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戦後八十年してはならない戦前に 朝鮮通信使は室町時代から江戸時代に掛けて朝鮮から日本に派遣された外国使節団です。豊臣政権の文禄・慶長の役の時、国交断絶により、中断されました。幕府が江戸にうつり、国交が回復、平和の証として慶長12年1675年に再開しました。使節団は700名余り上り楽隊もいて、チャルメラも吹かれていた様です。上下、二面の彫刻はその使節団を唐子遊びに模したものと思われる。この彫刻が何の所縁もない群馬の田舎の山の中の神社になぜ彫られたのか疑問が残る。 上は寛政二年(1790)桐生黒保根 栗生神社胴羽目、彫工 関口文治郎。下は寛政4年(1792)桐生天神町 天満宮境内社機神神社腰羽目 彫工 星野政八 唐子遊びは子供達がなんの不安もない平和な世界で無邪気に遊べる社会を表したもので、日光東照宮陽明門が最初です。 江戸時代は朝鮮を含め諸外国との戦争はなかった。明治維新となり、大日本帝国憲法下で日清日露の戦争。そして朝鮮併合。昭和維新が叫ばれ、軍部が台頭。市那事変から太平洋戦争に突入。完膚なきまでに打ちのまされて、終戦。一筋の光は「日本国憲法」だった。戦争を放棄した平和な世界で小さな幸せが求められる。衣も食も住も、満足にない頃。あったのは夢と希望だけ、こんな頃無邪気に遊び、小遣いに貰った五円玉をしっかり握りしめ、山で、川で、とにかく外で思いっきり近所のガキ大将と遊んでいた。 あの頃一番幸せだった。私は戦後の生まれである、戦争は知らない。でも戦争で苦労した人、不自由な体になった方、父を母を大切な身内の人を亡くした人を知っている。とにかく二度と戦争をしてはならないことを知っている。二度と戦争をしないためには「日本国憲法9条」を大切に守らなければならないことも知っている。これから先の戦後を戦前にしないために。・・・にほんブログ村
2025.08.15
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浮巣より四羽の天使母の背に 生まれました待望の雛が四羽、可愛いですね これで一安心ですその内おんぶが見られます。にほんブログ村
2025.07.28
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山百合やこれより先は峠道 人生の峠道はとっくに通り越したと思ってました。 でも、この先まだまだあるようで 百合でもながめ楽しみながら登っていきます。 それが人生ですよね。 にほんブログ村
2025.07.21
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鳰鳥のやっと築いた浮巣なり ここは溜池として利用している為か、水草がありません。葦も生えていないので巣を作る材料が無いのです。それでも何とか見つけてやっと作りました。5月27日のブログにアップした場所です。丸々ひと月以上たって漸く平和を手に入れました。 日本だって苦労して平和な社会を育ててきたのです。日本には平和憲法があるから諸外国と仲良くし、平和が維持できたのです。 諸外国と敵対し、自国第一主義を掲げ、憲法を改悪する様な事になれば戦争は秒読みです。昭和維新を掲げ軍部が台頭、自国を守るため、アジアを守るためと称して戦争に突入した歴史を繰り返してはい行けません。外国人を排除するばかりでなく仲良くすることが平和の第一歩であることを思い出してほしいものです。にほんブログ村
2025.07.17
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水遊びどぜうにうなぎつかまえた みどり市大間々小平 木宮神社 文化4年(1708) 星野慶助 板倉町 雷電神社 本殿 天保6年(1735) 星野常八主信 大泉町城之内 小泉神社 本殿 安政元年(1754)彫工不明にほんブログ村 このところ上記バナーをクリックしてくれて応援ありがとうございます。有難い事なのですが、実力以上の評価と戸惑っています。もしかすると「寺社彫刻」目当てかも知れませんがそちらはに「素晴らしき哉寺社彫刻」に引越ししました。どちらでも嬉しいのですが出来ましたらコメントをお願いします。
2025.06.23
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此辺りいつかはきっと鳰浮巣 本当はもっと水草が豊富な所がいいのです。昔はもっとあったのですが・・・。 水草が水面を覆うと水温が上がらないとか。全部抜いてしまったのです。 毎年どうにか集めて作るのですが、今年はどうか??? 何とかなるといいですねにほんブログ村
2025.05.27
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可憐な九輪草せせらぎの深 鹿田山に九輪草が咲き始めました。まだこれからですが今が一番可憐かも山は深々と心も体も休まりますにほんブログ村
2025.05.16
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蜜蜂の止まる花びら空の色 ネモフィラで有名なのは「ひたち海浜公園」ですが「武蔵丘陵森林公園」だって素晴らしい景色が広がっています。この日はあいにく曇りだったのですが一日中楽しく過ごせました。 下は「シラー」ちょっとした林の中に咲いていました。 この他ポピーや二輪草など春の公園は綺麗ですよね。 群馬からはすぐ隣、高速使わなくも十分行けます。にほんブログ村
2025.05.05
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慈悲深き鳴神のもと勝紅草 勝紅草(カッコソウ)はサクラソウ科サクラソウ属の草でかつては足尾山中を中心に多く見られたようですが、近年は生息域が縮小し、世界でもここ鳴神山系に分布しているだけです。絶滅が心配され絶滅危惧IB類(EN)に選定され、国内希少野生動植物種に指定されています。 季語は歳時記等に記載がありませんが、春に間違いないでしょうね、細かいことは気にしないことにしてます。 ところで今日は「昭和の日」です。昭和制定から丁度100年になるとか、テレビ等でも「素晴らしき良い時代」と盛んに懐かしんでいますよね。でもちょっと待ってください、昭和の初期、6年には「満州事変」7年には「5.15事件」、明治維新の精神の復活、天皇親政を求め昭和維新論、11年の「2.26事件」。軍部主導の軍事政権へと繋がり12年には「日中戦争(支那事変)」やがて「太平洋戦争」と、国民にとっては悪夢の様な生活が続きました。本土空襲、原爆が落とされ軍人ばかりでなく、子供や老人、女性等、多くの国民が死に、日本は負けた。何もかも失って、軍も無くなった。 生活は苦しくなったが、「夢と希望」が生まれ、平和憲法の下「幸せな時代」が始まったのです。そんなときに生まれたのが、私達です。子供の頃は軍国主義の思想は残っていたが、やがてそんなものは無くなり「自由、平等、民主、平和の日本国憲法」の下、「素晴らしき良き時代」となり、安心して生活ができたのです。これが昭和の時代です。 私達、戦後生まれ、そしてその子供達、その責任として、昭和初期を見てください。もう二度と軍事政権に戻してはいけないのではないでしょうか。日本国民が絶滅危惧種とならないために。にほんブログ村
2025.04.29
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のんびりと赤城のすそ野桜狩 赤城の千本桜は近年特に混んできた、ここは混んでなければ車で15分ほどか・・・赤城南面は日当たりもも良く、適度の勾配で自然豊かな所です。千本桜以外は適度にすいていて何処も彼処も桜の名所です。にほんブログ村
2025.04.15
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ウグイスと共に散歩か山の道 山の道30分位歩いていてもウグイスの声の途切れることはありません。共に歩いている訳ではありませんが・・・ 残念ながら姿を見ることは出来ず、映像はなしです。 それでも春の散歩は楽しいですね。にほんブログ村
2025.04.11
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赤城にも名残雪かな我は喜寿 早いもので喜寿を迎えます。赤城の名残雪はすぐに消えるでしょうが、私の頭の名後雪は・・・ 下の写真の鴨さん達はもうじき旅たちですが、私もそろそろ気にする年でしょうね。にほんブログ村
2025.03.19
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白鳥帰る湖畔に小さき穴残し もうじき白鳥ともお別れです。これから遠いシベリアまで・・・ 小さい穴は食事の後、飛び立つと間もなく消えてしまいます。 また元気に来てくれるといいですね。にほんブログ村
2025.02.22
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蝋梅の背中に妙義の大岩峰松井田のろうばいの郷です。ここまでくると妙義が大きく見えますね。蝋梅は盛りを少し過ぎましたがまだまだ楽しめます。この時期には福寿草もきれいですよ、まだ少ないが増えたらきっとすごいですよねにほんブログ村
2025.02.16
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白妙の富士は彼方に春立ちぬ 群馬からでも富士は見えます。遥か彼方でもこんなにきれいに 少し霞んでいますがこの後雲で見えなくなりました 白妙の鳥も見ているようです・・・ 白鳥の写真はまた今度。にほんブログ村
2025.02.04
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老体も孫に交じって寒稽古とはいえ無理は禁物ですよね。日頃から鍛錬してればいいですが・・・「年よりの冷や水」にならないようににほんブログ村
2025.01.20
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はつもうで身舎の鳳凰少しニコ 身舎は「もや」と読みます。神社本殿の本体部分です。これはその胴羽目、(本殿胴体の外壁)の物です。下は全体で上は拡大しました。神社は普通は正面は南、これはその東側の面です。 鳳凰は中国神話の伝説上の霊鳥で、一番縁起の良い鳥とされています。 お正月になると参拝者が増えからかもしれませんが、少しニコっとしたように見えませんか。 写真腕がいまいちなので肝心の鳳凰がどこにいるか、良く分からないので拡大しました。下はこれと対になる西側の鳳凰です。 彫工は誰だかわかりません、時期も不明ですが、なかなかの力作です。時期はたぶん文化・文政の頃・・・。今年から始まる大河ドラマ、蔦重の活躍する頃と思います。彫工は多分花輪の石原系統の誰かと思います。 下は北側、神社の後ろになります。鶴が一対、これもおめでたい彫刻です。 今年もこの様な事から始まりました。どうぞよろしくお願いいたします。にほんブログ村
2025.01.06
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喜びの声高らかに年の暮れ 令和6年もうじき終わり、今年は「桐生天満宮と上州の彫物大工」を発刊、地元ではまあまあの売り上げでしたが。アマゾンでは厳しいです。 それでも自分としてはよくやったと思っています。 第九でも歌いたい気分です。それでは皆様今年のご声援ありがとうございましたくる年もよろしくお願いします来年こそ戦争のない平和な世が来るといいですね皆様におかれましてはどうぞ良いお年をお迎えください。にほんブログ村
2024.12.30
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枯葉浮く小さな沼に鳰一羽(においちわ) しばらく儀無沙汰してましたけどちゃんといました 御存じ鳰(カイツブリ)です。今年は春に入って見えなかったので 新しく来たのかも知れません。 まだつがいにはなっていないようですがその内きっと・・・ キンクロハジロとオナガガモのレギラー陣は来てましたね ここは農業用水が汚れるので餌やりは禁止となってますが 沼の傍に近ずくと寄ってきます。 にほんブログ村
2024.12.21
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冬夕焼多々良沼より富士の山 館林美術館でミロの絵画展があったので所用で行ったついでに見てきました。時間をかけてゆっくり見たのですが・・・・絵のよさは・・・残念ながら・・・。 帰りの時間はすっかり日が落ちて、夕焼け空に・・・なんと富士山が見えていました。群馬の・・・それも平野部から富士を見たのはたぶん初めて、こちらには感動しました。 館林美術館の傍には白鳥の飛来地の多々良沼があります。今年はまだ来ていませんが、今度行きたくなりました。にほんブログ村
2024.12.02
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糟糠の妻と公園冬薔薇 若い頃から苦労の掛けっぱなし・・・ 今でも楽なことは無くたまにはバラ園で散歩 こんなことで誤魔化せるとは思いませんが 幸せを感じます。にほんブログ村
2024.11.18
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旅蝶の寄る事もなく冬に入る 今年は残念ながら遂にアサギマダラが来ませんでした。 残念・・・フジバカマもダリアも増えて、きれいに咲いてくれましたのですが・・・ 来年はきっと・・・今から期待してます。にほんブログ村
2024.11.08
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白川の清き流れも秋の暮 桐生天満宮の最初の計画は明和8年(1771)の事である。この年に計画図を描き、現代の仕様書の様な注文書を作り、寄進に廻った。今でいうクラウドファンディングの様な形か、妻沼の聖天堂の形式をまねしたものと思われる。期間は約6年間、時は老中田沼意次の時代、景気が良かったのか資金は思った以上に集まり、安永6年(1777)の発案の時は初めの予定より倍くらいの大きさの計画で着工(安永7年 1778)に踏み切った。 その時の資料は残されていないので具体的証拠はありませんが本殿は一間社流造の計画が三間社流造に成っている。これだけ増えるのは当初の予算の倍は必要になると思える。しかし着工の翌年(安永9年1779)桜島が噴火した。この頃までは対岸の火事の様でそれほどの災害とは思っていなかったのではないだろうか。しかし、年号が天明に代わる頃、天候不順で天明の飢饉(天明2年 1782)が起こる。着工から三年本殿の下拵えが終わった頃か。少しは心配したと思うがまだ油断をしていたものと思う。しかし翌年(天明3年 1783)未曽有の大災害に襲われる。浅間の大噴火である。地元群馬の事で天満宮の寄進元にも被害が広がり、すぐ近くの上久方では年貢減免の嘆願が出たり、桐生新町では打ち毀しの張札も出たそうである。こうなると工事は見直しを迫られ、変更も余儀なくされるであろう。とりあえず工事は一旦中止、様子を見ることにしたと思う。天明に飢饉はさらに悪化するも政府の対応は機能していないものと思われ。工事は拝殿を取りやめにし、浮いた資金を救済に廻したのではなかろうか。飢饉に灯りが差し始めたのが将軍が家治から家斉に代わり、老中に松平定信が就任(天明7年 1787)した頃である、直ちに後に寛政の改革を言われる政策を実行し、天明8年(1788)には飢饉の終結を見るのである。天満宮は翌、寛政元年(1789)幣殿本殿の上棟を迎え、寛政5年(1793)今まで使っていた古い社殿を拝殿とし、遷宮開帳、完成を見たのである。定信は一番苦しい時に老中になり幕府財政の立ち直りに尽力したが、寛政6年(1794)天満宮の遷宮開帳の翌年に罷免されることになるのである。 天満宮の拝殿はその10年後(享和2年 1802)建て替えられほぼ現在の形に近いものとなる。当然資金は当時ほど集まらず、大きさこそ本殿の規模に合わせるがいたって質素になったのである。 世の流れは定信が罷免された後も寛政の改革の流れは残り、その後の文化・文政の町民文化が花開くことになるのである。 天満宮本殿の龍白河の関「従二位の杉」にほんブログ村
2024.10.11
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白髪の兄弟揃って秋彼岸 兄弟が揃っての墓参りは久しくありませんでしたが今年は揃ってのお参りとなりました。 家は三人兄弟で私は末っ子、兄と姉がいますが皆白髪で・・・ 連れ合いも皆揃って総勢6人です。子供たちは来ませんでしたが 皆揃って、ご先祖様に感謝です。 にほんブログ村
2024.09.23
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風爽やか磯の千鳥の右左 千鳥は冬の季語です。でも秋の大洗海岸、千鳥達も秋を待っていたようで、楽しそうですよね。 すぐ先の岩場と浜辺を行ったり来たり。 右左でも、千鳥足ではありませんよ。 何方かというと千鳥飛びか・・・飛ぶばかりでもなく波が来るとチョコチョコ歩きで「スウ―っと」これは走っている様です・・・千鳥走りか右に行ったり戻ったり・・・たわいもない風景ですが群馬の山猿は何時間でも見ていられます。にほんブログ村
2024.09.17
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爆音の消えた青空かき氷暑い日はこんなきれいな川の畔でかき氷は如何ですか空には爆撃機の姿はありません。川面には蜻蛉が飛び交い澄んだ水の下には水草が見えますかき氷にはイチゴのシロップ子供のおこずかいでも買えました夏休みの思い出です終戦記念日は平和な時代の幕開けこんな平和な世を次世代に伝える義務を痛感しています。にほんブログ村
2024.08.15
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子の指に蜻蛉止まりて笑い声 子供笑い声は平和の象徴ですよね。この笑顔を奪う権利なんて誰にもありません。核抑止力と称して核の傘にはいっても相手国を脅かして、子の笑顔を奪っていいものですか「核兵器禁止条約」日本は先頭に立って進めなければならない立場ですよね。「過ちは繰り返してはいけない・・・・」にほんブログ村
2024.08.08
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織姫や今宵琴の音星祭 桐生天満宮の国指定重要文化財を記念の本が出来ました。これは見本の表表紙と裏表紙、発売予定は七月の末、桐生本町4丁目の近江屋書店で予約受付を開始しました。 見本は近江屋書店の他、桐生市立図書館にもあります。予約は近江屋さんにお願いします。 桐生まつりでは機神神社を開放してもらう予定です。是非お越しください。 にほんブログ村
2024.07.19
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老鶯や小川の水をひと掬い玉原ラベンダーパークは標高1300mここまでくると涼しですね特に木陰は風がさわやかでまるで別天地ウグイスが騒がしいほどこれは脇役なでしこ主役の出番は、もう少し先にほんブログ村
2024.07.08
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狭庭にも高原の風キスゲかな 以前夏の日光霧降高原に行ったとき リフトに乗ると 足元からずーっと 黄色の絨毯の様に ニッコウキスゲが広がって ほほに爽やかな風が・・・ 我が狭庭・・・ ヘメロカリスが少し そこに高原の風が一筋・・・にほんブログ村
2024.06.18
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六地蔵蝶の亡骸そっと置き 散歩の途中ふと見たら道端にカラスアゲハ、ちょっと珍しいので急いで撮影。でも動きません、手に取ってみたらすでに死んでいました。今度は落ち着いて裏もパシャリ。 亡骸は六地蔵の下に静かにおいてきました。にほんブログ村
2024.06.09
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バラ香り押されてのんびり車椅子 敷島公園の薔薇は素晴らしいですね。 この時期やはり素敵な薔薇であふれてます。 天気の良い日はお年を召した方が団体で 気持ちがよさそうですそんな訳で老いも若きも、薔薇をゆっくりと・・・にほんブログ村
2024.05.15
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山奥に平和の足音勝紅草 憲法9条が絶滅の危機に接しています。あなたは地震の災害復興で活躍した自衛隊員が海外の戦場で活躍、そして真っ赤な血で染めた手で帰国、その手を握りしめることができますか。 それとも棺や白い箱に入れられて帰るのを望みますか。無事に帰ってもパラリンピックでの活躍を楽しみにできますか 先に攻撃して、日本が広島・長崎にならなければ・・・、 他の国を広島・長崎にしても良いと思いますか。 今世界のあちこちで血生臭い争いが続いています。 現代社会では武力で平和は来ません、一日も早く治まるといいですね。にほんブログ村
2024.05.04
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ネモフィラの後ろには海空光る 連休前ですが混まない内にと、ひたち海浜公園に行ってきました。お天気は晴天で海も空も真っ青とはいきませんでしたが気持ちの1日でした。 ネモフィラばかりでなくチューリップもきれいでしたよ。 久々の命の選択、この位の混み様がいいですよね。にほんブログ村
2024.04.27
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