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「おい、ふざけるな……! なぜ今日なんだ! 今日は俺の、完全なる聖域(プライベート・タイム)のはずだろ……!」
午前10時15分。自宅のリビング。
佐藤猛(50歳)は、コタツの上の座布団に正座したまま、目の前で狂ったように震え狂うスマートフォンを凝視し、戦慄していた。
液晶画面に非情にも浮かび上がる、その文字列。
【着信:会社(配車担当・大山田)】
それは、平穏なる休日に突如として撃ち込まれた、国家滅亡レベルの弾道ミサイル。
出れば最後、「あ、佐藤さん? 急に体調不良が出ちゃってさ、悪いんだけど今から名古屋まで一本走れる?」という、地獄の休日返上強制連行ルート(実質的な終身刑)が確定する。
今の佐藤は、長距離運行の疲れを癒やすため、愛用のi5-1240P搭載のノートパソコンを開き、ゆっくりとYouTubeで「ゆっくり解説動画」の編集作業に没頭しようとしていた至福の瞬間だったのだ。
これは、鳴り響くスマホの着信音に抗う50歳男と、あの手この手で彼を「臨時の労働環境」へ引きずり込もうとする会社(大山田)との、脳内神経デスマッチの全記録である。
佐藤の右手は、画面の「緑色の通話ボタン」のわずか3センチ手前で、激しくプルプルと震えていた。
彼の脳内会議(出席者:サラリーマンの義務を重んじる佐藤、絶対に働きたくない佐藤、大山田の呪いを恐れる佐藤)が、緊急招集される。
絶対に働きたくない佐藤:
「出るな! 今日は2週間前から計画していた完全オフだ! ここで出たら、お前が昨日まで群馬と愛知を往復してボロ雑巾のようになった肉体は、完全に限界を迎えて空中分解するぞ!」
サラリーマンの義務を重んじる佐藤:
「しかし、大山田からの着信を完全にシカトしてみろ。明日の朝、出勤したときのお前の空気は『不発弾を処理する処理班』ばりの緊迫感に包まれるぞ! 『あ、佐藤さん、昨日はお忙しかったみたいですね(凍りつく笑顔)』って言われるんだぞ!」
大山田の呪いを恐れる佐藤:
「あの配車担当の大山田は、10マイル先のドライバーのサボりを見抜くと言われる『スキャニング・アイ』の持ち主だ。居留守なんて一瞬で見破られて、次はLINE、その次は自宅の固定電話、最終的には『ヘビーローテーション』を爆音で流しながら自宅の前にモップを持って現れるぞ!」
「クッ……! どっちが正解なんだ……!」
佐藤はコタツの上で、まるで「赤と青、どちらのワイヤーを切れば爆破を止められるか」を迫られた爆弾処理班のような顔で、脂汗を流していた。
着信音のメロディが、まるで彼を夢の国から引きずり戻す処刑宣告のように部屋中に響き渡る。
着信が始まってすでに30秒が経過。
焦った佐藤は、脳内会議の妥協案として、ある天才的な(と本人は思っている)ハッキングを思いついた。
「そうだ……このままスマホを一切動かさず、呼吸も止め、心拍数も極限まで下げて『完全なる死体』と化すんだ! 電波の向こうの大山田に、『あ、今の佐藤はスマホの近くにいないな』、あるいは『あ、佐藤は今、電波の届かない大宇宙の彼方にいるな』と錯覚させるんだ!」
現代の通信テクノロジーを根底から無視した、都合の良すぎる超理論。
佐藤は液晶画面を見つめたまま、完全に彫刻と化して固まった。まばたき一つしない。部屋のエアコンの風の音だけが虚しく響く。
しかし、スマートフォンのバイブレーションは容赦ない。
「ブブブブブブブブッ!!! ジリリリリリリリ!!!」
激しい振動により、スマホがコタツの天板の上を少しずつ滑走(レシート・スライダー方式)し始めた。
「あ、まずい! このままではスマホがコタツのフチから奈落(フローリング)へと滑落するッ!」
重力との戦い。佐藤はステルスモードを解除し、滑り落ちる寸前のスマホを、火事場の馬鹿力(握力70kg)でガシッと掴み取った。
「よしッッ! 安全圏へ確保!!」
スマホを握りしめた佐藤。しかし、画面はまだ激しく明滅している。
その時、緊張で手汗をかいた佐藤の指先と、スマートフォンの画面との間で、乾燥した部屋の空気が最悪の化学反応を起こした。
指先が画面に触れるか触れないかの、わずか1ミリの隙間。
そこに、青白い閃光が走った。
バチィィィィン!!!
「痛ぁっっ!?」
規格外の静電気ショック。
佐藤の右腕の神経がショートした。あまりの痛さにスマホを思い切り振り回してしまった。
その拍子に、手から放たれたスマートフォンが、美しい放物線を描いてリビングの空中を舞った。
カラン! コロコロコロ……スッ。
スマホは、昨日佐藤が命がけで掃除したばかりの、テレビ台の「最も狭く、最も手の届かない暗黒の隙間」へと、吸い込まれるように完全に挟まった。
「……。」
隙間の奥深くから、かすかに大山田からの着信音「ポロロロロン♪」が聞こえてくる。
佐藤は動かなかった。3秒ほど、完全に彫刻と化して固まっていた。
50歳のバキバキに凝り固まった腰をギシギシと鳴らしながら、彼はテレビ台の隙間の暗闇をそっと見つめ、静かに、優しく微笑んだ。
「……もう、君はあの暗闇で、会社からの電波に包まれて、自由に生きてくれ。」
それは、すべての執着を手放した「悟り」の境地。
会社からの電話ごとスマホをテレビ台の生態系の一部として生きることを許した、男の最後の慈悲であった。これで合法的に電話に出なくて済む。完全なる休日の防衛。
すべてを諦めてスッキリした佐藤は、汚れた作業着の代わりにパジャマのポケットを漁り、予備の古いスマートフォンを取り出した。
液晶画面に浮かび上がる、いつもの赤色のアイコン。
【PayPay(ペイペイ)を起動しました】
佐藤は、暗闇のテレビ台の隙間に向かって、静かに呟いた。
「PayPayで……俺の代わりに大山田に『体調不良』って送金できねぇかなぁ……」
当然、送金できるわけがない。
明日出勤したときに待っている大山田の100%の怨念(第二陣)を確信しながらも、佐藤はひとまず手に入れた「無音の休日」を満喫するため、ゆっくりとコタツの中へとトボトボと潜り込んでいくのだった。
(終わり)