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午前2時14分。深い霧と闇に包まれた、中央自動車道の某サービスエリア(SA)。
佐藤猛(さとう・たけし、50歳)は、愛車である全長12メートルの大型トラックのステアリングを握りしめ、血の涙を流していた。
群馬から名古屋方面へのデス・ロードを徹夜で走り抜き、限界を迎えた脳とバキバキの腰を引きずりながら、ようやく滑り込んだオアシス。彼が求めたのは、ただ一時の「仮眠」だった。
だが、ヘッドライトが照らし出したのは、絶望の光景――「大型車マス、完全満車」。
物流の大動脈である深夜の中央道は、仮眠をとるトラックで埋め尽くされ、文字通りの飽和状態。
そこへ、さらなる邪悪が佐藤の目に飛び込む。大型車用の長い駐車枠に、空気を読まない普通乗用車がポツンと斜めに止められているのだ。
「貴重な一枠を……! 許せん、これでは『椅子取りゲーム』すら開幕せんではないか!」
佐藤のまぶたには、今まさに「片目20キログラムの鉄アレイ」がぶら下がっている。
これは、深夜のSAでたった一マスだけの空き枠を巡り、狂気と執着の狭間でデッドヒートを繰り広げる50歳男と、ライバルトラックたちによる、「絶対にバックギアを入れられない」アスファルト上のハルマゲドンの全記録である。
佐藤は時速5キロの超低速で、巨大なトラックを転がしながらSAの奥へと進む。
彼の目は、10マイル先の蚊の性別を見分けると言われる「スキャニング・アイ」モードへと切り替わっていた。
「ない。ない。どこにもない……」
【大型】と書かれたエリアは、どこを見渡しても鉄の壁、鉄の壁、鉄の壁。
すでに駐車枠からはみ出し、通路の白線上に力技で路頭駐車している猛者(ベテラン)たちもいる。だが、新人の頃に路駐で手痛いペナルティを食らったトラウマを持つ佐藤は、どうしても「正規の枠」に収めたいという、functional minimalism(機能的ミニマリズム)の美学に囚われていた。
その時、前方の暗闇に、神々しく輝く「空白」が見えた。
「……あいたっ!!!」
通路の最深部、出口に最も近い一等地に、奇跡的にトラックが一台分すっぽり入る「たったひとますの空き」が存在していたのだ。
佐藤の脳内に、勝利のファンファーレが爆音で鳴り響いた。
しかし、歓喜したのも束の間。対向する進入通路の向こうから、別の大型トラックがじわじわと頭を覗かせた。
名札(行灯)に「大山田急送・積載量限界・男のロマン」と書かれた、完全にあのコンビニの店長代理の親戚が運転しているとしか思えないライバル車。
彼らのフロントガラス越しに見えるドライバーの目は、ギラギラと獲物を狙うハイエナのそれだった。
(……出しな。その枠は、俺が20分前から狙ってたんだよ……!)
言葉はなくとも、お互いのヘッドライトのハイビームが、激しい火花を散らして脳内で火線を交差させる。
ターゲットまで、佐藤のトラックからは残り15メートル。大山田急送からは残り12メートル。
深夜2時のSAを舞台にした、12メートルの巨躯による「超低速の椅子取りゲーム」の火蓋が切って落とされた。
「引かねえ……! ここで引いたら、俺は高速道路の路頭で朝を迎えることになる!」
佐藤は左手でアシストグリップをギチギチと音を立てて握りしめ、右手でシフトレバーをホールドした。
大型トラックのクラッチ操作は、1ミリのズレが命取りになる。特に深夜の満車エリアでは、周囲のトラックがすべて「寝静まった爆弾」のようなものだ。接触すれば即、人生の運行スケジュールが強制終了(デッドエンド)する。
佐藤は、あえてアクセルを踏まず、エンジンのアイドリングのトルクだけで、カタカタと車体を前進させた。
対する大山田急送は、なんとグイッと車頭を斜めに振り、佐藤の進路を物理的にブロック(ジャミング)するフォーメーションを取ってきた!
「なっ……! 汚い、汚いぞ大山田!!」
佐藤の脳内会議(出席者:焦る佐藤、絶対に寝たい佐藤、理系ぶる佐藤)が緊急招集される。
絶対に寝たい佐藤:
「強行突破だ! 鼻先を突っ込め! 先に枠のラインをまたいだ方が勝ちのルールだ!」
理系ぶる佐藤:
「危険です! こちらの全長と内輪差を計算してください。この角度で無理に入れば、左側のウイングボディが、隣に止まっている『ヤマザキパンの超熟トラック』のコンテナに接触し、車内が超熟食パンの香りで満たされることになります!」
「クッ……! ヤマザキパンには勝てん……!」
焦った佐藤の額から、滝のような汗が吹き出す。エアコンの設定温度は「16度」のはずなのに、車内は恐怖の湿度でビショビショだった。
残り距離、わずか3メートル。
大山田急送が、いよいよトドメを刺すべくバックギアに入れようとした、その瞬間。
佐藤のトラックの助手席に転がっていた、あの「フリスク(ペパーミント)」の空きケースが、車体の微妙な振動でダッシュボードから滑り落ちた。
「カラン……コロコロコロ……」
「あっ」
その小さな音に驚いた佐藤は、反射的にブレーキを踏み込んだ。
車体がガクンと揺れ、ポリエステル製のシートカバーと佐藤の作業ズボンが、人類の科学技術では制御不能なレベルで激しく擦れ合った。
それは、最悪の化学反応の幕開け。佐藤の肉体が、一瞬にして「高電圧の歩く発電所」へと仕上がった瞬間だった。
(……やばい、帯電した……!)
佐藤がパニックになりながら、ステアリングを握り直そうとした、まさにその時。
彼の右腕の袖口と、トラックの金属製ドアインナーハンドルとの間で、空気の絶縁破壊が起きた。
バチィィィィンッッッ!!!
「ぎゃあああふっ!!!」
暗闇の運転席に、一瞬だけ本当に青白い火花が散った。
超高電圧の衝撃波が佐藤の右腕を駆け抜け、あまりの激痛に、彼の右足がアクセルペダルを「ブォォォォォン!!!」と全力で踏み込んでしまったのだ。
深夜の静寂を引き裂く、マフラーからの爆音の咆哮。
それは、周囲のトラック全てに対する「宣戦布告」のようであり、同時に大山田急送に対する「ここからは力づくだ」という狂気の脅しに見えた。
大山田急送のドライバーは、佐藤の真っ赤な顔と、爆音の空ぶかしに完全に戦慄した。
(……ヒィッ!? こいつ、寝不足で完全に目がキマってやがる……! 命が惜しい、枠は譲る……!)
恐怖を感じた大山田急送は、スッとハザードランプを点滅させ、静かにバックギアを抜いて道を譲った。
「……勝った。」
佐藤は、勝訴した弁護士のような顔で、ゆっくりとトラックを「たったひとますの空き枠」へと滑り込ませた。
見事に、ミリ単位の狂いもなく駐車枠に収まった12メートルの巨躯。
佐藤はエンジンを切り、深く、深くため息をついた。
買うまでに23分かかった缶コーヒーの時以上の、壮絶な椅子取りゲームの終わりだった。
彼を乗せたトラックのエアサスペンション付きシートが、佐藤の体重を検知し、ゆっくりと沈み込みながら音を立てた。
「……プシューーーーーゥ」
それはまるで、またしても静電気で自爆して白目を剥いている佐藤に対し、トラック自身が「やれやれ、今日も命がけだね、おっさん」と、呆れてついた特大のため息のようだった。
「……うるせえよ。勝てば官軍だ……」
佐藤はシートの文句に毒づきながら、汚れた手でポケットを漁り、スマホを取り出した。
液晶画面に浮かび上がる、いつもの赤色のアイコン。
【PayPay(ペイペイ)】
佐藤は、暗闇のフロントガラスの向こうに広がる、満車のトラックの群れに向かって、静かに、優しく微笑んだ。
「……PayPayで、俺の代わりに『睡眠時間』ってチャージできねぇかなぁ……」
当然、チャージできるわけがない。
終わり
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