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1月5日の読売新聞からです。強化・普及・地域貢献・サポーターとの連携など・・・様々な面でここ数年沖縄で頑張ってこられたご経験も京都で存分に活かしていただけたらと個人的には願っております。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■元日本代表の加藤久氏、J2京都の取締役就任へ 今季からJ2で戦う京都は5日、元日本サッカー協会強化委員長でヴェルディ(現東京V)などの監督を務めた加藤久氏(50)が、経営幹部として入社したことを発表した。 3月末の株主総会の承認を経て取締役に就任する。 京都側によると、加藤氏には、主にトップチームの強化のほか、児童からトップ選手までの強化・育成や地域貢献活動、サポーターの拡充など幅広い職務を担ってもらい、社長に次ぐポストに就く予定。 加藤氏は早大出身。日本代表として61試合に出場。現役引退後は、1994年から2年間、日本協会の強化委員長を務めた後、湘南や沖縄かりゆし監督兼GMなどを歴任。今回の京都入りについて、「まずはサンガの歴史を学び、これからのチームの発展に貢献したい」とコメントした。(読売新聞)FBツアーバッグ トップショルダーFBニットウーリーフィールドプレーヤーグローブCL アンダーシャツ +10
2007/01/11
「フジサンケイ・ビジネスアイ」で香西広豊氏が書かれていた記事です。日本人の生活にスポーツやスポーツ文化がますます浸透し、各競技の底辺の拡大や競技人口のアップにもつながってくるようになれば嬉しく思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・スポーツ学べば就職有利 私大で学部・学科の新設相次ぐ ■健康志向に応え即戦力 スポーツ関連の学部や学科を新設する私立大学が関西を中心に相次いでいる。少子化が進む中、目新しいカリキュラムで学生を確保するとともに、今後、成長が見込めるスポーツ関連ビジネスの人材を育成するのが狙いだ。 同志社大学(京都市上京区)は2008年度に「スポーツ健康科学部」を新設する。健康増進やスポーツの社会的発展に貢献する人材育成を目指し、その基礎となる身体活動・運動能力を多面的、総合的に指導する。コースは「健康科学」「トレーニング科学」「スポーツ・マネジメント」の3つ。このうち健康科学コースは、健康・体力の維持・増進のための理論と知識をスポーツ・運動と関連づけて指導。トレーニング科学コースでは最先端のスポーツ科学について、生涯スポーツとからめて教える。スポーツ・マネジメントコースでは、スポーツ振興のための施策やマネジメント力などを身につけさせる。 立命館大学(京都市北区)は来年4月、産業社会学部に「スポーツ社会専攻」コースを新設する。公的機関や民間企業、ボランティアの側からスポーツの方向性、あり方などを考察し、社会的に振興していくための人材育成を目指す。 さらに、びわこ成蹊スポーツ大学(滋賀県大津市)は、スポーツ学部の募集定員をこれまでの180人から07年4月から270人に増員。 このほか同年4月に松本大学(長野県松本市)が「人間健康学部」を新設し、「健康栄養学科」とともに「スポーツ健康学科」を設ける。スポーツ健康学科は、健康づくりを実践したり、地域のスポーツ振興をリードする人材の育成が狙い。また、金沢星稜大学(金沢市)も「人間科学部スポーツ学科」を新たに開設する予定だ。 私立大学がスポーツ関連の教育を充実する背景には、まず大学志願者の減少がある。日本私立学校振興・共済事業団(東京都千代田区)によると、05年度の私立大学の志願者数は前年度比1・7%減の301万5647人に落ち込んだ。これに伴い定員割れの私立大学は全国542校中160校と、全体の約3割を占めるまでになっている。そこで、成長が見込めるスポーツビジネスなどの分野に着目し、就職の有利さもアピールして学生を獲得しよういう生き残り策だ。「スポーツ」を前面に出すことによって、少しでもブランド力を高めたいという大学側の思惑もある。 03年9月に施行された、自治体のスポーツ振興を目的とする「指定管理者制度」も後押ししている。同制度は自治体が公共施設の管理・運営を、民間の指定管理者に代行させるシステム。運営受託を狙う企業にとっての課題は人材。その点、スポーツマネジメントを専門的に学んだ学生は即戦力になるというわけだ。 スポーツ用品メーカー、ミズノの子会社で、全国11カ所のスポーツ関連施設の運営委託事業を手掛けるミズノウエルネス(大阪市中央区)の西海浩一社長は、「今後、自治体からの施設運営委託は増える。大学が、指導者など事業に関連する人材育成を積極化するのは大いに歓迎すべき動きだ」と話す。 ただ、専門家は「こうした管理者を育成するうえでは、現場での実践教育が不可欠」と指摘する。カリキュラムに企業や公的施設での実習を盛り込み、時代の要請にどうこたえていくかが成否のカギを握ることになりそうだ。+F50 ワイドラストスターター パッケージ(灰×緑)【adidas】アディダス サッカースパイク+F50 スターター パッケージ(青×白)【adidas】アディダス サッカースパイク
2006/11/27
「ワールドサッカープラス」の金子達仁さんのコラムからです。NAKATAの引退、小野・柳沢・平山のJ復帰・・・等、W杯以降なかなか日本人選手の『可能性』について明るいNEWSがありませんでしたが、CLマンU戦での中村俊輔選手のFKはワタシも日本中のサッカーファンに大きな希望と夢を与えてくれた一発だったのではないかと考えています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■どっこい、日本人は使えるんだ 金子達仁(スポーツライター) これはもう、手放しで喜んでいいニュースである。中村俊輔、実に素晴らしい決勝ゴールだった。 W杯における無残な成績と不甲斐(ふがい)ない戦いぶりに、欧州における日本人選手の価値とイメージは暴落していた。ある代理人氏は、日本の選手を売り込みにいったところ「日本の選手は戦えないからもういらない。それよりも、韓国の選手はいないのか」と言われたこともあったという。 ひいき目ではなく、わたしは日本選手の能力が韓国人選手より劣るとはまったく思わないし、戦うメンタリティーがないとも思わない。ドイツにおける日本が無気力に見えたのには明確な理由がある。しかし、日本人としての思惑とは関係のないところで、日本人選手に対する見方が厳しさを増していたのは事実である。 そもそも、ほんの10年前は、欧州のクラブにとっての日本人選手は単なる金づるでしかなかった。わたし自身、あるクラブの幹部から「セリエAで活躍する日本人が出現するにはあと100年かかる」と嘲(あざけ)りにも近い言葉をぶつけられたことがある。 だが、ペルージャにおける中田英寿の活躍は、日本人に対するイメージを一変させた。当時のセリエAは間違いなく世界最高のショーウインドーであり、突出した「陳列商品」が出現すれば、欧州中にブームを波及させるだけの影響力をもっていたのである。 正直いって、中村俊輔がスコットランド・リーグでハットトリックを達成しようが、わたしはあまり評価をしてこなかった。セルティックというチームは歴史も伝統もある素晴らしいチームだが、彼らが属しているリーグは、到底欧州のトップクラスとはいえないレベルにあるからである。 だが、舞台がCLで、しかも相手がマンチェスターUとなれば話はまったく違う。彼のゴールは、間違いなく世界中に映像で伝えられた。「日本人は使えない」というイメージにとらわれていた人たちに、どっこい、日本にも才能が存在していることを見せつけた。少なくとも、今後20年間、セルティックの白と緑を愛するケルト人たちはジャパニーズ・プレーヤーへの尊敬と感謝の念を忘れないことだろう。 W杯以降、日本選手の可能性を一番諦(あきら)めてしまったのは、他ならぬ日本人だったかもしれない。それだけに、失われた自信と勇気を取り戻すきっかけにもなりうる、本当に大きな中村の一撃だった。新品未開封★ワールドサッカーウイニングイレブンDS+ニンテンドーDS Lite本体ジェットブラック...FIFA WORLD CUP記念 サッカーゲームFB ナイロンショルダーバッグ M
2006/11/23
昨日は高校サッカー選手権の福岡大会で新鋭・九国大付が常連校・東福岡を決勝でやぶり初めての全国大会出場を決めました。日刊スポーツ九州の記者BLOGで村田義治氏が書かれていた記事を見つけましたので掲載させていただきます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■高校サッカー界の新星がもたらすもの 村田義治 九州の高校サッカー界に「新戦力」が台頭した。今年、全国高校サッカー選手権の鹿児島代表を、創部5年目の神村学園が射止めた。J2鳥栖の松本監督が当時率いた地球環境(長野)の「創部8カ月で全国選手権1勝」という超スピード記録には及ばないが、価値ある全国初切符だ。 現在、サッカーだけでなく、ラグビー、駅伝など、高校の各競技予選が続々と行われているが、九州は、どの競技も伝統校が強い傾向にある。サッカーの国見(長崎)と駅伝男子の大牟田(福岡)は、21年連続出場を早々と決めた。次々名乗りを上げる代表は、なじみの学校がほとんどだ。 神村学園と同様、駅伝男子で日本文理大付(大分)が全国初出場を決めたが、今年3月まで長年、大牟田を率いた大見監督が、今年から指導に当たっている。高校野球の秋季九州大会でも大牟田(松嶋監督、元九州産)自由ケ丘(福岡=末次監督、前柳川)ら、実績を持つ指導者の「移籍」による台頭も目立った。 神村学園の竹元真樹監督(32)は、鹿児島実が初めて全国大会で決勝に進んだときの主将。「(鹿児島実総監督の)松沢先生から、何ごとでも強い意志を持って向かっていくこと」を学んだという。地元で22度の全国選手権出場を誇る母校と争う道を選び、初めて鹿児島の頂点に立った。塗木竜也主将(3年)も「子供のころから全国で活躍する鹿実のプレーを見てきたが、鹿実を倒すために神村学園を選んだ」。今大会での直接対決はなかったが「打倒・鹿実」の思いが、快進撃の原動力となった。 全国大会で好成績が続く九州勢だが、絶大なる指導者の存在が、若手指導者の成長を妨げている、という声も挙がっている。カリスマ的な指導者と、その教え子など若き指導者がツバ競り合いして、県大会切符を激しく競り合う。今後そんなシーンに、もっと出会いたいものだ。●村田義治プロフィール92年(平成4)入社。レース部、整理部を経て報道部。00年夏からアマチュア野球、ラグビーなど一般スポーツ担当。J2福岡、鳥栖中心にサッカー取材にも当たる。36歳。 「bitzブログランキング」へはこちらから!「ブログの殿堂」のランキングへはこちらから!「ブログランキングranQ」へはこちらから!「有名ブログランキング」へはこちらから!「人気blogランキング」へはこちらから!↑クリックしていただければBLOGランキングがご覧になれます。↑クリックしていただければBLOGランキングがご覧になれます。 ↑クリックしていただければBLOGランキングがご覧になれます。※↑上記のBLOGランキングに登録していただいています。最近はサッカー関連でもとても参考になるBLOGが増えてきています。宜しければ他のBLOGものぞいてみてください。
2006/11/13
日本人同士のように互いの心情を察し合いながら回りくどい言い方で・・・ということではなく、言いたいことをお互いにズバズバ言い合える組織づくりを、サッカー界からどんどん推進してもらいたいと思っています。そういう組織でこそ、自己主張できる有能な選手が育っていくのではないでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■走らない反町ジャパンにオシム説教2006年10月19日(木) 「スポーツニッポン」より U―21日本代表がA代表のイビチャ・オシム監督(65)から注文をつけられた。同代表は合宿最終日の18日、大宮と練習試合(60分×2本)を行い1―0で勝ったが、運動量が少なく内容もいまひとつ。試合後に反町康治監督(42)が、オシム監督から、遅れ気味のチームづくりについて説教を受けるなど、U―21中国代表との親善試合(25日、国立)を前に課題を残した。 オシム監督は身ぶり手ぶりを交えながら、反町監督に“注文”をつけた。選手が解散した後の試合会場での“説教”は30分近くにも及んだ。「今の段階ではチームとしてまとまっていない。特に走る量が少ない。走っていないと自覚している選手もいることでしょう」。運動量が少なく組織の成熟度も低いU―21日本代表を注意した。 怒るのも無理もない。後半19分の苔口の得点を守り、最少得点差で勝ったものの、内容は良くなかった。特に平山、水本、伊野波、谷口ら所属クラブで主力を張る選手がプレーした前半は、Jリーグで8戦白星から見放されている大宮に、再三攻め込まれた。60分ハーフで行われたこともあり、前後半ともに最後の10分間は運動量が激減。不発に終わった平山は「最後は足が止まってしまった。ちょっと悔いが残る」と唇をかんだ。 過密日程も試合を低調にした要因の1つだ。14、15日にJ1の試合が行われたばかりで、今合宿での全体練習は1日しかなく、準備期間も短かった。さらに21、22日とリーグ戦を控えていたことも選手の積極プレーを制限した。オシム監督は「週末に仕事(試合)があるから、ケガをしないように、状態を落とさないように、と気を使っていた選手もいた」と指摘。公式戦とはかけ離れた心構えにも苦言を呈した。 チーム発足後の対外試合は4戦全勝。反町監督は「いつものようにオシムさんから説教されちゃったよ」と苦笑いした上で「いろんなテストができたし新しい発見もあった」と手応えも口にした。20日にはU―21中国代表戦に臨む20選手を発表予定。ヤングジャパンは65歳の名将に尻を叩かれながら、08年北京五輪への道を進んでいく。 adidas originals(アディダスオリジナルス)Sport Heritage(スポーツヘリテージ)USA-adidasスウ...スタンダードとレジャーの融合♪adidas/アディダス カジュアルBB LOWスタンダードとレジャーの融合♪adidas/アディダス カジュアルBB MID<adidas>アディダス ハンチング
2006/10/18
個人的には大賛成です。育成年代の試合でも導入されると嬉しく思います。「WorldCups world」より。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■FIFAブラッター会長、W杯決勝戦のPK戦に否定意見 FIFA(国際サッカー連盟)会長ゼップ・ブラッター氏が、将来のW杯の決勝戦でPK戦は行われるべきではないとの考えを示し、次の2010年南アフリカ大会での決勝戦のPK戦廃止も考慮に入れていることを明らかにした。 2006年W杯の決勝戦イタリア対フランス戦は、1-1からPK戦5-3でイタリアが優勝している。 過去には1994年大会決勝戦ブラジル対イタリア戦(0-0からPK戦3-2でブラジル勝利)がある。 ブラッター会長はチューリッヒで行われたスイス商工会議所のイベントで、「ワールドカップの決勝戦は熱狂である。 延長戦になるとドラマになる。 しかしペナルティキック戦になるとそれは悲劇となる。 フットボールはチームスポーツである。 ペナルティはチームによるものではなく個人によるものである。」と語った。 ブラッター会長は、より良い解決案として、再試合や徐々に選手を減らしながら延長戦を続けるというものを可能性として挙げた。 「再試合についての可能性は、大会日程などを考慮すると難しい面がある。 選手を減らしていき、ゴールデンゴール方式(どちらかのチームが得点した時点で試合終了)にする案も考えられる。 次のワールドカップまで4年ある。 可能性を模索する時間は十分あると考えている。」と語り、すぐにでもその議論が始まるであろうと付け加えた。アディダス (adidas) トレーニングメッシュビブス(10枚セット) H2759ファルカス TRX HG シルバー×ブラック アディダス サッカースパイクファルカス TRX HG ブラック×シルバー アディダス サッカースパイク アディダス adidas - スーパースター スネーク 672724 黒/ベージュ蛇【0810PT510】ADIDAS[アディダス] HERIプレミアムフーディ-
2006/09/29
大会前に決して前評判の良くなかったドイツが、ふたをあけてみれば快進撃で準決勝進出。直前の日本戦で、「日本代表がドイツに火をつけてしまった。」という人も少なくないようですが、自チームの得点のたびにオーバーアクションで喜びを表現するシーンなど、これまでのドイツ代表チームの印象とは少し違って見えるのも、今回のドイツ代表チームの特徴のような気がしていました。生島淳氏が『ワールドカップ 素朴な疑問』というコラムでこのあたりのことを書かれていましたので引用させていただきました。いよいよ準決勝のイタリア戦。クリンスマン監督の挑戦はファイナルまで届くのか、興味深い試合になりそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・生島淳『ワールドカップ 素朴な疑問』第4回 クリンスマンって、どうよ? ■日本人とドイツ人は似ている? 大会前の下馬評を考えると、ドイツが準決勝に進んだのは予想外の出来事である。特に日本とのプレマッチを見てしまっては……。 でもよく考えてみたら、日本が先に2点取って「ゲルマン魂」に火をつけてしまったのかも。大和魂はしぼんでしまったけどね……。なんだか日本の場合は、大会前にピークが来ていたような気がするなあ。言っても仕方がないが、また愚痴りたくなる。 そういえば、ある有名ブランドの広報担当の人が、こんなことを言ってたっけ。「日本人とドイツ人って似てるんですよ。ブランド好きで、リゾート好きなところが」 そうなのか。でも、サッカーでは大きな力の差があるぞ。 ドイツは、化けたのである。予選ラウンドで、決して弱くはないけれど、格下の相手をひねりつぶして調子を上げた。やっぱり地元開催は有利。日本も4年前はグループリーグで第1シードの扱いを受けていたようなものだったし、ドイツも地元開催の恩恵を十分にいかした。 正直、ドイツ対アルゼンチンはアルゼンチンが有利かと思っていた。特にアルゼンチンが先制点を取ったときは、ドイツはかなり苦しい立場に追い込まれた……はずだった。なにせ今回のワールドカップ(W杯)で初めてリードを許したのだから。それでもこの劣勢をはね返して準決勝に駒を進めたのは大きい。優勝へのストーリーができつつあるのではないか。 ■“アメリカ流”を持ち込んだクリンスマン そして監督のユルゲン・クリンスマンの評価も180度変わった。だって、大会前なんてボロクソだったから。で、その理由でもっとも多かったのが、「カリフォルニアからドイツに通ってんじゃねえよ」というもの。 そう、クリンスマンはロサンゼルスから南に45分ほど車を走らせたハンティントン・ビーチに家を持ち(タイガー・ウッズが生まれたところでもある)、飛行機でドイツに通って監督業にいそしんでいた。「パン職人の息子は、パン職人の資格は取っても(これは本当)、ドイツ人の心を忘れてしまった」と散々非難されてきた。 クリンスマンを理解する鍵は、「アメリカ」にある。彼はアメリカ流の「分業制」によるマネージメントをドイツ代表チームに持ち込み、これを成功させた。 クリンスマンはカリフォルニアにあるスポーツ・マネージメント・コンサルティングの会社の副社長として、アメリカのプロサッカーリーグMLSや、ロサンゼルス・ギャラクシーの仕事にかかわり、そこで培ったノウハウを代表に応用したのである。 具体的には、監督になったときに、「全権」を握ることを拒否した。「エッ、ひょっとして無責任男?」と取られかねないのだが、チームではクリンスマンのほかにアシスタント・コーチ、チームマネジャー、GKコーチによる4人体制を組み、さまざまな決定を合議制とした。加えて、アメリカン・フットボールのフィジカル・コーチを体力面の強化のために呼ぶなど、アメリカでの経験、コネを総動員して強化に当たったのである。 ■強化の枠組みを作るのが大きな仕事 実はヨーロッパのスポーツ界では、“監督とはこうした「体制作り」をマネージメントする職業”という傾向が強まりつつある。 たとえば2003年のラグビー・ワールドカップを制したイングランドは、クライブ・ウッドワード監督がコーチの職掌を細分化し、フィジカル・コーチから広報担当者まで、それぞれの分野で一流の人物を集め、優勝を飾った。つまり、監督とは戦略だけを考えるのではなく、強化の枠組みを作るのが大きな仕事になったのである。 クリンスマンは就任以来、成績不振で綱渡りを余儀なくされてきたが、W杯の準決勝進出で彼のマネージメントの手腕が大きく脚光を浴びている。もし、優勝でもしてしまったら……クリンスマンは革命児として称賛されるだろう。 ただ、最後にどうしても気になることがある。クリンスマンって得点を取った時に、喜びすぎなんじゃないか。なんか優勝監督って、もっと威厳があるような気がするんだけど……。生島淳(いくしま・じゅん)1967年生まれ。早稲田大学社会科学部卒業後、博報堂で勤務しながら執筆活動を行う。その後、執筆を本業として活動を開始し、国内スポーツはもとより、アメリカンスポーツ、五輪競技など幅広く取材を行っている。著書に「駅伝がマラソンをダメにした」(光文社)、「スポーツルールはなぜ不公平か」(新潮社)など多数。様々なシーンで使える アディダス の サンダル !adidas アディダス アディレッタ M サテライトヒールがキュートなオシャレサンダル20%OFF!アディダスラディレッタホワイト
2006/07/04
今日の『日刊スポーツ』にたいへんに興味深い記事が掲載されていましたので少しご紹介させていただきます。先日のガーナ戦でロナウドがW杯通算15得点を達成し、32年前のW杯西ドイツ大会で活躍したゲルト・ミュラーの記録(通算14得点)を抜き、歴代第一位となりました。サッカー解析システム「Data Straiker」のデータをもとに、ロナウドとこのゲルト・ミュラーのプレーを他のストライカーのデータと比較してみるととても面白い結果が得られたという記事です。かいつまんでご紹介させていただきます。(※詳細は2006年6月29日「日刊スポーツ」28面をご参照下さい。)1) プレー回数は極端に少ない。ロナウドの今大会のこれまでの4試合の90分間の平均プレー回数は27.9回。02年の決勝戦(ドイツ戦)は40回だったそうで、運動量・プレー回数は4年前と比較してもかなり少なくなっていることが裏づけられています。ちなみに、日本代表の今大会のデータでは、高原が平均36.3回、柳沢が36.8回だそうです。さて、前述のゲルト・ミューラーの74年W杯1次リーグと決勝戦の試合の平均値ですが・・・、なんと90分で25.1回。ロナウド以上に動かない点取り屋ということが立証されています。2) クロスを上げる事もなく、守備もなく。ゲルト・ミューラーの74年W杯1次リーグと決勝戦のプレーを分析してみると、10m以下のゴール至近距離からのシュートが29%、残りの71%もすべてペナルティエリア内で打ったものだそうです。確かに、ワタシも子供の頃にTVでゲルト・ミューラーのプレーを見ましたが、ロナウドのように鋭いドリブルで相手の守備組織を切り裂いて突進するということもなく、相手のDFラインの背後を独走する、というタイプでもありません。サイドに流れてクロスを上げることもなければ、前線で必死になって守備をするということでもありません。ゴール前にへばりつき、ゴールすることに全力を注ぐ・・・そんなプレースタイルだったということがデータからも浮き彫りになってきます。3) 13試合で14得点。「爆撃機(ボンバー)」と呼ばれたゲルト・ミュラーのW杯の出場は2大会で計13試合。なんとこの13試合で14得点という高得点率です。その得点も試合の決勝点や勝ち越し点が多いのもゲルト・ミュラーの特徴で、やはりここ一番で力を発揮できる頼もしいストライカーだったということがわかります。一方「怪物」と呼ばれるロナウドは3大会で現時点で18試合で15得点。ミュラーとは異なり先制点が非常に多いのがロナウドのゴールの特徴です。日本代表の高原や柳沢はデータの上からはプレー回数、守備回数、移動エリア・・・など世界的にみても有数の「働き者」のFWである、という話を以前指導者講習会でお聞きしたことがありました。それでも、やはり「FWは得点!」と思ってしまうのはワタシだけでしょうか?・・・・日本代表 +プレデター FM トレーニングジャージー【adidas】ボールバッグ3個入れ[AKS303]【adidas】ボールバッグ1個入れ[AKS81]アディダス: +F30 TRX HG JP 【adidas サッカー スパイク】
2006/06/29
日刊スポーツのセルジオ越後氏のコラムからの引用です。氏らしい辛口の批評ですが、ある意味確信をついているように思えるのは、ワタシだけでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2006年6月24日(土) 日刊スポーツ「セルジオ越後がえぐる!!」より。検証し改革しなければ100年後も勝てない。 本当にコンディションがベストな選手を選んだのかな?3試合ともに最後まで体力が持たなかった。1点取った時だけが良かったが、同点に追いつかれてからは、戦う意志も感じられなかった。気持ちでも完全に負けていた。勝たなくてはいけないのに攻撃の選手を増やすこともせず、中盤の選手交代なんて、ジーコ監督はブラジル相手に大恥をかきたくなかったんだろうな。 1勝もできなかったのは当然だろう。選手構成、コンディション、チームとしてのまとまり、監督采配など世界基準ではなかった。ジーコという世界的なブランドを頭にいただき、選手も一見華やかな海外組というブランドをまとえば外見はそれなりに見えたんだろうが、真剣勝負の場では全く役に立たなかった。アジアでは通用したが、そのレベルで喜んでいては100年後も世界では勝てない。 負けた原因がどこにあったのかを、きちんと検証して、次に改革していかなければ、次回も同じような間違いを繰り返すだろう。瞬間的な悲しみも、時が解決してくれるなんて甘い考えは捨ててもらいたい。人事も含めて、厳しく反省してから進まなければ、日本のサッカーの進歩はない。 セルジオ越後(日刊スポーツ評論家)【adidas】アディダス +チームガイスト グライダー 4号球アディダス スポーツタオルアディダス フェイスタオルFB ユニフォームバッグアディダス バスタオル
2006/06/25
日刊スポーツの荻島弘一さんの「毎日がW杯」というコラムからの抜粋です。悲しいかな、確信をついている文章のような気がします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2006年6月24日(土) 「日刊スポーツ」より これが実力 バブル弾けた。■急成長勘違い 完敗だった。1分け2敗で奪った勝ち点は1だけ。得点2に対して失点は7を数えた。日本が挑んだ3回目のW杯は、予想以上に厳しい結果に終った。悔しい思いもあるけれど、結果としては正当だった。オーストラリア戦の逆転負け、クロアチア戦の引分け、ブラジル戦の大敗。それが、現在の日本の実力だ。 点が取れないFW、1対1で負けるDF、走り負けするMF、そして監督の采配。惨敗の理由は数多くある。しかし、一言で言えば日本サッカーの力が足りなかったという点に尽きる。「代表チームは、その国のサッカーを映す鏡」と、言われる。代表の惨敗は、日本サッカーの惨敗だ。「サッカーバブル」が、弾けたのだ。94年のW杯は最終予選で敗れ、98年は初出場、02年はベスト16に入った。世界的に見ても珍しい急成長で、勘違いをした。94年も98年もアジア3位。悲劇と歓喜を分けたのは、出場枠の問題だけだった。開催国として臨んだ02年はシード国として臨んでの1次リーグ突破。中身を見ずに結果だけを見て、急成長を信じ込んできた。まさにバブルだったのだ。■楽観報道の罪 選手や監督は勿論、日本協会までが「バブル」に浮かれていたのではないか。「ベスト8」の目標はいいが、あまりに現実的でなかった。「選手個々の力の差」も、今解ったことではない。勿論、我々マスコミも同様、連日のように「日本は勝てる。」と楽観報道を続けた。期待を持たせる番組作り、紙面作りは必要だけれども「勝てる」の垂れ流しは、無責任と言われても仕方ない。 日本サッカーは、確かに成長している。しかし、世界のサッカーも成長しているのだ。日本と世界との差は、3連敗した98年大会から、今大会まで、8年間で勝ち点1分しか縮まっていなかった。急成長に見えただけで、正確な力が見えなくなっていた。その現実を受け止めることから、まず始めなければならない。 前回ドイツ(西ドイツ)で行なわれた74年大会は、参加16ヶ国。今は倍の32ヶ国が参加するが、16ヶ国で争う決勝トーナメントに進出した監督たちは「これからが本当のW杯」。と声をそろえる。残念ながら、日本は「本当のW杯」前の予選(1次リーグ)で敗れた。 今大会で受けたショックで、日本は本当の力を知った。さらに世界との差を縮めていくためには、今後も成長していくことが大切。急成長に見えるときもあるだろう、停滞して見えるときもある。重要なのは少しずつでもいいから、確実にその差を縮めていくことだ。まだ3回目のW杯、日本は世界のサッカー界では「新興国」なのだから。 (荻島弘一)マーカーコーン ビッグアディダス/マーカーコーンミニ/ブラック↑※最初に手にしたときは 「クレーのコートで黒がはたして目立つのか?」と 疑問だったのですが・・・ 実際に使用してみると全く問題ありません。 染み付く汚れが目立たず、蛍光色よりもクレー向き なのかもしれません。(監督S)アディダス (adidas) トレーニングメッシュビブス(10枚セット) H2759【adidas】F30+ TRX HG JP アディダス サッカースパイク【adidas】メディカルバッグ adidas/アディダス ウォーターボトル↑※暑くなってきたので、最近活用させていただいて いますが、バックに入れやすい大きさで重宝しています。 このくらいのジョグだと、小中学生の選手たちも ショルダーバックに入れることができると思いますよ。 (監督S)
2006/06/24
「スポーツ報知」の加藤久氏のコラムの抜粋です。ワタシ自身もグループリーグの3試合を見て、同様に感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2006年6月24日(土)「スポーツ報知」加藤久の代表チェックジーコの与えた「自由」に選手のイメージバラバラ02年よりチーム退化した 結果は惨敗だが、選手は本当に頑張っていた。最後まで目いっぱい走っていたし、戦う姿勢も示した。気持ちの中には「本当はもっとできたはずだ。」という部分もあるかもしれないが、日本の力は出し切ったと思う。しかし、サッカーのベースの違い、さらには質の違いが、スコアの差になったと認めざるをえない。 ジーコ監督はこの試合で先発2トップを玉田、巻に代えた。これはおそらく高原、柳沢の精神的なコンディションが良くないと判断したためだろう。この選択は玉田の先制点につながり、一応の成果を収めた。しかし、前半ロスタイムのロナウドの同点ゴールでガクッときてしまったのだろう。後半は、まさにブラジルに手玉に取られたという表現がピッタリだった。 僕は今大会の3試合を通じて、日本は02年のときよりも退化したように感じた。チームとしての戦術的ベースが欠落していたためだ。困ったときに戻る共通イメージがなかった。トルシエ監督のチームには「オートマチズム」と称して、チーム全体が連動して動くイメージがあった。だが、ジーコ監督は「自由」を与えた結果、個々のイメージがバラバラなため相手にペースを握られると、どこに戻っていいのか混乱し、建て直しがきかなかった。 さらに、所属クラブのレベルの差も大きい。チャンピオンズリーグを頂点にする欧州では、それこそワールドカップより質的に高い試合で選手がもまれている。そこでレベルアップした選手が代表チームに戻り、代表をレベルアップさせるという循環が生まれている。欧州でプレーする日本人選手は年々増えているが、レギュラーで活躍している選手は、オーストラリアやクロアチアよりも少ない。終ってみれば1次リーグ最下位も、仕方のない結果だったかもしれない。 世界に目を向ければ、スペインのMFセスク(19)、FWフェルナンドトーレス(22)、アルゼンチンFWメッシ(18)ら、20歳前後の次世代選手の台頭が目立つ。今回の日本で最も若い選手は茂庭と駒野の24歳。4年後の南アフリカ大会に向けて、Jクラブのレベルアップと選手の育成が急務だ。 加藤久(スポーツ報知評論家)【adidas】タクティックボード 送料・代引手数料無料adidas originals(アディダスオリジナルス)Sport Heritage(スポーツヘリテ...↑※中学生の頃に憧れていた「ゲルト・ミュラー」「13番」・・・。「まさか、こんなウェアが出るなんて・・・。」懐かしい想いで、歳も気にせず・・・(笑)愛用させていただいています。(監督S)adidas(アディダス)06’S/SベッケンバウアーTT【オリジナルスショップ限定】adidas(アディダス)06’S/S DASSLER TEE【限定リファレンス商品】adidas(アディダス)06’S/S DASSLER TEE【限定リファレンス商品】
2006/06/24
小松成美さんの『ジーコ・ジャパン 評決のとき』からの引用です。ワタシ個人の意見と、とても共通している部分が多かったので掲載させていただきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第4回 戦いの地で聞いた「2010年への忠告」 小松成美 ドイツ全域を覆う高気圧は灼熱の太陽を呼び、選手たちの体力を急速に奪っていった。しかし、この暑さはピッチに立つ22人に平等にもたらされている。午後3時からの試合時間を、猛烈な暑さを、敗戦の理由にするのは簡単だ。 だが、初戦、2戦目と、目前にあったかに見える勝利を掴むことができない日本には、暑さを回避したとしても、「何か」が足りなかった。 2002年の日韓大会でヒディングの指揮のもと闘争心をむき出しにした韓国、今大会での引き続いての善戦には、日本にはない強さが感じられる。 ドイツで取材する各国のジャーナリストに声をかけ、日本代表についての感想を聞いてみると、彼らは一様に日本人選手の技術の高さを評価してくれた。「パス回しの技術は、本当に巧みだ。個々の持っている技術は、世界レベルだろう」「ボールに対する気持ちは、とても強い。忍耐強くパスをつなぎ、チャンスを待つ粘り強さは、日本の持ち味だ」「10年前に比べれば、トラップやワンタッチのパスをつなぐテクニックは格段に巧くなっている」 では、どうして日本代表は、未だ勝利を渇望するだけのチームなのだろうか。フランスのサッカー誌「フランスフットボール」の敏腕記者であり、友人でもあるジャーナリスト、ヴァンサン・マシュノーが、その理由を明確に語ってくれた。■日本サッカー“最大の問題点” ブラジルがキャンプを張るファルケンシュタイン。フランクフルトから20キロほど離れたところにあるその山村は、ブラジルの国旗で埋め尽くされていた。町の小さなレストランで会った彼は、本調子ではないブラジル代表の取材に大忙しだったが、3時間ものインタビューに応じてくれた。「日本代表は、ワールドカップに出場する力をつけた。アジアではチャンピオンになる実力を持ったわけだ。しかし、残念ながら、ワールドカップに出場する32か国のうち突出した力を持っているわけではない。まさにアベレージ(平均値)のチームだよ」 32チームのうち、16チームは予選敗退する。日本代表は、「現時点ではその16チームのうちのひとつ」なのだ、と彼は言う。「予選3試合のうち、1勝はできる可能性はあった。けれど、予選で勝ち点6以上を上げ、決勝トーナメントで勝ちあがっていくことは、アベレージの力では不可能なんだ。強いチームには個性がある。その個性が日本には見られない」 個性とはすなわち、その国のサッカーを体現していくものの形だ。イングランドにはベッカムやルーニーが、ブラジルにはロナウジーニョやカカが、アルゼンチンにはクレスポやリケルメやメッシが、ポルトガルにはフィーゴやクリスチアーナ・ロナウドがいる。勝つために必要なプレーを究極の状況で披露する選手がいる。マシュノーは「今回の日本にはその選手が見当たらない」と呟いた。「中田英寿のリーダーシップや際立ったキャラクターは、もちろん欧州でも広く知られているよ。だがこのチームでは、彼の個性を殺されているように見える。彼のゴールへの執念が、空回りして見えるのはなぜかな。しかし、これは日本だけの問題ではない。私の国、フランスでも同じ問題が起きている。ジダンが引退したら、フランスのサッカーは『らしさ』を失うだろう。彼が15年以上にわたって作り上げたフランスサッカーを踏襲する者は、今は皆無だよ」 1993年10月、カタールのドーハで行われたアジア地区最終予選を取材して以来、日本サッカーに興味を持ったマシュノーは、創成期のJリーグや2002年日韓大会もリポートしている。欧州に移籍した日本人選手もつぶさに取材している彼が、日本の“最大の問題点”にも言及した。「日本にもっとも必要な『個性』は、ゴールを奪う選手だね。サッカーは、どんなに守っても、99%は勝つことができないゲームだよ。攻めて攻めて攻めることが、戦いのすべてなんだ。誤解を恐れずに言えば、守備はサッカーにおいて二次的な要素だね。極端なことを言うが、素晴らしいゴールキーパーが一人いれば『守る』ことはできるだろう」 日本は攻めて攻めて攻め抜けるフォワードを育てなければならない。そうしなければ、アベレージのチームであることから決して抜け出せない。彼は、そう断言する。「調子が悪い、選手のコンディションが万全でない。そう言われても、なぜブラジルが強さを発揮できるか分かるかな。それは、わずか5秒で事態を逆転する攻撃者がいるからだよ。ロナウジーニョやアドリアーノ、カカ、ロベルト・カルロス、不調だと言われるロナウドでさえ、5秒もあれば形成を逆転し、ゴールを決め、チームに勝利を導くことができる」 決定力の絶対的な不足―――。その事実が、ワールドカップドイツ大会でも日本代表に重くのしかかっていた。 ウェイン・ルーニーやリオルネ・メッシ、ロナウジーニョ。彼らのような選手を有するためにはどうすればいいのだろう。「その答えは簡単にはみつからない」と、マシュノーも首を横に振る。「野性的な身のこなし、攻撃的な精神、ディフェンスをかいくぐりゴールキーパーを交わしてゴールを奪う嗅覚。これらを備えた選手は、まさに神からの贈り物だ。日本にもいつの日か、このギフトが届くことを願うよ」 何十年後か、はたまた百年後、天性のフォワードが日本に現れる。その偶然を待つことしか、優れたフォワードを手に入れる手立てはないのか。「その手立てこそが、その国のサッカーの行方を左右する。ギフトはどこに生まれているか、育っているかわからない。だからこそ、子供たちの教育が大切だよ。小さいうちからその才能を見極め、その才能が間違った方向に行かないように教育し、最後は個性を開花させるんだ」 ブラジルなど市民が貧困に苦しむことも少なくない国では、ハングリー精神がむき出しであり、目指す場所、つまり成功への道が明確だ。自分の子供に才能があると感じた親はそれを伸ばすことに夢中になり、また子供自身も上を目指すために努力を怠らない。「貧しい家庭に生まれたロナウジーニョは、路地でサッカーをしていた。靴が買えず、裸足でボールを蹴っていた。だが、彼の才能は見逃されることなくしっかりとコーチの目に留まった。そしてプロへの階段を駆け上がったんだ。日本でも、そうした才能を探し、育てることを怠ってはいけない。それが結実したとき、日本は、ベスト16以上の戦いで存在感を示すことができるだろう」■優秀なFWは簡単には育たないが…… ドイツ大会が終われば、日本代表は新たな船出をする。新たな監督が任命され、新生日本代表が名乗りを上げるだろう。マシュノーは「最後に」と付け加えてこう語った。「日本は監督の選出において間違ってはいけない。スーパースターが、そのまま名将ではないことを肝に銘じることだ」 ジーコは失敗を犯したと、マシュノーは言う。 ジーコがどれほど日本人に愛され、日本のサッカーに貢献したことか。そのことを話すと、彼は「もちろん、それは知っている」と言った。「彼が素晴らしい選手であり、日本人が尊敬する人物であることは分かっている。しかし、2002年に韓国を4位にし、今大会でオーストラリアを躍進させたのは明らかにヒディングという監督の力だよ。戦術に長け、日本という個性を見極め、それをピッチで指揮する監督が、日本には絶対に必要だ」 その監督はどこにいるのか。マシュノーは、「必要な監督はフォワードと違い、探し出すことができる」と言い切った。「私なら、日本サッカー協会にフランス人のデ・シャンを推薦するよ。富豪であるデ・シャンには、もう“お金”は必要ない。とてもクリーンな人物だ。それに、彼はトルシエとは正反対で沈着冷静。正義感にあふれた性格だよ。日本が良いリ・スタートを切り、新たな力でワールドカップを目指すことを望んでいるよ。そうさ、南アフリカでもまた会おう!」 友人からのエールは、長い時間、心の中で共鳴していた。 日本のサッカーに課題が残されたとすれば、それはすなわち未来へ託す希望にも繋がっている。 今、ボンにいる私は、そう信じることができる―――。小松成美(こまつ・なるみ)1962年神奈川県横浜市生まれ。会社員を経て、1989年より執筆活動に入る。人物ルポルタージュやスポーツノンフィクション、インタビューに定評がある。著書は「ビートルズが愛した女アストリット・Kの存在」、「中田英寿 鼓動」(ともに幻冬舎文庫)、「中田語録」、「ジョカトーレ」(ともに文春文庫)、「イチロー・オン・イチロー」(新潮社)、「さらば勘九郎 十八代目中村勘三郎襲名」(幻冬舎)、ほか多数。 様々なシーンで使える アディダス の サンダル !adidas アディダス アディレッタ M サテライトヒールがキュートなオシャレサンダル20%OFF!アディダスラディレッタホワイト
2006/06/20
スポーツナビのコラムからの引用です。宇都宮徹壱氏の文章です。この4年間の成果というものは単純に今回のW杯の結果だけにとどまらず、日本全体の育成年代の指導現場にも大きな影響を及ぼします。それだけに「仕方がなかった。・・・」と言い切ってしまわずに、昨日の試合で露呈した様々な日本の課題をしっかりと分析し、今後の強化に反映させていくべきだと思います。とあるところから、次期日本代表監督に元フランス代表監督のあの人が招聘されるという噂を聞きました。現段階では候補の一人ということなのかもしれませんが、トルシエ以来3大会連続となる「外国人監督」に委ねすぎて足元を見失わない為にも、心を鬼にして今大会で「今のニッポン」の実力&課題の分析を、精一杯行なってほしいと願っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・≪4パーセントの望み≫ 宇都宮徹壱■試合後のミックスゾーンにて 試合後のミックスゾーンは、日本人記者たちの深い落胆と自虐、そして憤まんやるかたない思いで満ち溢れていた。その外では、オーストラリアサポーターたちの凱歌(がいか)が、いつまでも鳴り止むことなく続いている。そんな中、選手たちは、ある者はうつむき加減に、ある者はじっと一点を見つめたまま、さながら葬儀の参列者のように、無言のまま早足で通り過ぎてゆく。中村は足を痛そうに引きずっていた。坪井の姿も一瞬だけ見えたが、果たしてけがの具合はどうなのだろうか。 宮本はキャプテンとしての義務を果たすべく、きちんとメディアからの質問に応じてくれた。だが、その表情は非常に疲れていて、その言葉は何とも茫洋(ぼうよう)としていた。「初戦に負けてしまったことで(グループリーグ突破は)難しくなったとは思う。(ロッカールームの雰囲気は)ちょっと暗いですね。 向こうはフレッシュな選手を3人入れてきたけど、こちらは守備陣が疲れていた。(中略)(クロアチア戦に向けて)勝つために何ができるかということを……今はまだ思いつかないけれど、考えていきたいと思う。」 ラスト10分で3失点。これまで何度か、強豪相手に大量失点を喫してきたことのある日本代表だが、現体制になって、ここまで短時間での大量失点というのは今までになかったことである。途中交代のアロイージが、トップスピードで駒野を置き去りにしてダメ押しの3点目を決めた瞬間などは、ボクサーがノックアウトされる瞬間をスローモーションで見ているような錯覚を覚え、直後に「崩壊」の二文字が脳裏に浮かんだ。 もちろん、この「崩壊」の責任は、誰か1人に帰するものではあるまい。とはいえ、それが事故もしくは偶発的なものであったかと問われれば、やはり私は「否」と答えるしかない。さすがに3点は取られ過ぎだと思ったが、それでも今の日本が、それこそ今大会のイングランドやポルトガルのように1-0で逃げ切れるほど成熟したチームであるとは、ちょっと思えなかった。その意味では、敗戦を予感させる要素は、そこかしこに存在したのである。そこであらためて、この試合で何が起こったのか、両チームの選手交代にフォーカスして振り返ってみたい。■1-0で逃げ切ることは可能だったのか? 前半26分、中村のラッキーなゴールで先制した日本。後半のゲームプランは「向こうが点を取りにくることは分かっていた。それをどうしのぐか、ということを考えていた。もちろん追加点も狙っていたし、カウンターからのチャンスもあった」(宮本)というものであった。 一方ジーコは、試合後の会見で「そこ(1-0)でゲームを終わらせることもできた」としながらも、「(オーストラリアの)後ろ(の守備)が薄くなっているのは確実。あそこで追加点を取っておけばこういう結果にならなかった」と語っている。 守りに入るのか、それとも強気に攻めにいくのか。その見極めは何だったのか、どうもはっきりしない。要するに、チームとしての意思統一ができていなかったのだろう。 そうこうするうちに後半10分、坪井が足をつって倒れてしまう。そして坪井に代わって、緊急招集された茂庭が投入される。ここで、あらためて驚かされる事実が2つ。まず、センターバックのバックアッパーが茂庭しかいないという事実。そして、茂庭の最近出場した試合は、今年2月に行われたアジアカップ最終予選のインド戦(しかも途中出場)までさかのぼらなければならないという事実。いかにジーコが、このポジションに対する危機管理を欠いていたか、この交代が見事に象徴しているといえよう。 これに対してオーストラリアのヒディンク監督は、後半8分にブレシアーノに代えてカーヒル(この試合では結局2ゴールをゲット)、16分にはDFのムーアを削って長身FWのケネディを投入、さらには右サイドで三都主と何度もマッチアップを演じていたウィルクシャーを下げてFWアロイージを送り出すなど、布陣を極端に前傾姿勢にする。 それでも日本のディフェンス陣は、高さでのハンディを素早い寄せと集団での囲みによって、しっかりカバーできていたと思う。またこの日は、ゴールマウスを守る川口も絶好調。自身も「流れというか、フィーリングを引き寄せることができていた」と語るように、何度もファインセーブを連発し、ビドゥカをはじめとするオーストラリアのアタッカー陣は天を仰ぐばかりであった。 確かに、後半に入ると見ていて失点する雰囲気は感じられなかった。オージー(オーストラリア)のシュートは、次第に精度を欠いた長距離砲となり、加えて折からの暑さと焦燥感で冷静さを失っているようにも見えた。これなら勝てるかもしれない。 34分、さらに相手が前がかりになったことで、スペースメーカーとしての存在意義が薄れた柳沢に代えて、小野が投入される。おそらくここで、ジーコも1-0で逃げ切る踏ん切りをつけ、あわよくば追加点を狙おうと考えたのだと思う。オーストラリアの怒涛(どとう)の3ゴールがさく裂するのは、このわずか5分後のことである。■あらためて明らかになった“4年間の成果” その後の日本の3失点については、皆さんもすでに何度もリプレーをご覧になっているだろうから、ここであらためて描写するまでもあるまい。むしろ私が問題にしたいのが、大黒の投入のタイミングが、逆転された直後のロスタイムであったことだ(交代したのは茂庭)。 ロスタイム3分で劣勢挽回(ばんかい)を大黒1人に託してしまう。もちろん逆転された状況と残り時間を考えれば、できることは限られていただろう。しかし、そこに私は、ジーコ采配(さいはい)の限界を見る思いがする。日本は同点に追いつくどころか、逆にアロイージに3点目を決められて万事休すと相成った。「これが4年間の成果か……」 この試合を見た大半の人々は、こう感じたことだろう。時間だけではない、その間に数十億という予算と60試合以上のテストマッチを費やして、その結果がワールドカップ(W杯)初戦で1-3――それも相手はブラジルでもイングランドでもドイツでもない。今回32年ぶりに2度目の本大会出場を果たし、次回のW杯地区予選からアジアに編入されるオーストラリアに対して、である。 一方のオーストラリアは、1年にも満たない期間で、しかも日本より潤沢ではない予算で、これだけの強化に成功したのである。これはどう考えても監督の差であり、「チームマネジメントの差」であるといわざるを得ない。 ついでにいえば、本番のスタメンやシステムを事前に公表してしまう“透明性”、貢献度重視の選手選考、バックアッパーの層の薄さ、守備に関する細かい取り決めの選手への丸投げ、といった“ジーコイズム”と呼ばれるものについても、大会終了後にはあらためて精査する必要があるだろう。こうした思想や信条が、本当に世界と戦う上で、どれだけ有効だったのか。それを推し量る意味でも、このオーストラリア戦を含めたW杯の結果というものを、われわれは重く受け止める必要があるのではないか。 もちろんジーコ体制下の4年間を、W杯の結果だけで問うことについての是非は、一方であるだろう。それに巷間(こうかん)で語られる「選手に自主性を植え付けた」とか「自由な発想による見ていて楽しいサッカーを実践した」といったポジティブな面も、決して全面否定できるものでもあるまい。 しかしながら、代表チームが敗れて屈辱的な想いを抱いているのは、決して選手や関係者だけではないことは、やはり認識してほしいと思う。そうした同胞の期待や思いをイメージしながら、われらが日本代表には、グループリーグ残り2試合を悔いのないように戦ってほしい――そう、心から強く願っている。■残された可能性はゼロではない。 この日の夜、会場のフリッツ・バルター・シュタディオンを出て、カイザースラウテルン中央駅に向かう。この時期、ヨーロッパの日は長い。真っ赤に燃える西日を背景にして、多くのオーストラリアのサポーターが、今日の勝利の余韻に酔いしれていた。そんな彼らの姿が、決して嫌味に感じられないのは、やはり32年間の重みによるものだと思う。 オーストラリアが過去W杯本大会に出場したのは、1974年の西ドイツ大会であった。この時は、東ドイツに0-2、西ドイツに0-3、そしてチリに0-0と、初勝利はおろか初得点を挙げることもなく、オーストラリアは本大会を去っていった。 その後のオーストラリアは、オセアニア予選では圧倒的な強さを見せるものの、大陸間プレーオフでは必ず欧州や南米やアジアの国々との対戦に回され、いつも「あと一歩」のところで涙をのんでいるうちに、気がつけば32年の月日が経ってしまった。それが今回は、W杯初戦で初ゴール、初勝利。さらには初のグループリーグ突破も夢ではない状況あるのだ。これを喜ばずして、いつ喜べというのであろうか。 一方の日本代表だが、もちろん戦いはまだ始まったばかりだ。ただし、前述の宮本の言葉どおり、今日の敗戦で「(グループリーグ突破は)難しくなった」というのは、当人の偽らざる心境であり、それはデータ的に見ても明らかである。 ここに、何とも厳しい数字がある。W杯が現在の32カ国出場になってからの1998年大会と2002年大会では、のべ23カ国のチーム(サウジアラビアとチュニジアは2大会連続)がグループリーグ初戦で敗北を喫している(当然、8年前にアルゼンチンに敗れた日本も含まれる)。そのうち、決勝トーナメント進出を果たしたチームは、02年大会のトルコだけ(ちなみにトルコが敗れたのは、この大会で優勝したブラジルであった)。すなわち、初戦に敗れた23カ国中、1カ国しかベスト16以上に進出できなかったことになる。 23カ国中1カ国というのは、要するにおよそ4パーセントだ。端的にいえば、オーストラリアに敗れた日本代表は、この4パーセントの生存の可能性に賭けて、グループリーグの残り2試合を戦い抜くしかないだろう。もちろん、残された可能性としては決してゼロではないものの、しかし極めて困難なミッションであることも間違いないのだが……。 いずれにせよ、あらためて裏の試合が気になってくる。残り2試合で対戦するライバルたちについて、きっちりスカウティングすべく、翌日はベルリンで行われるクロアチア対ブラジルの試合を観戦してこようと思う。 宇都宮徹壱/Tetsuichi Utsunomiya
2006/06/13
日刊スポーツ関連のサイトからの沢登正朗氏の文章の引用です。次戦をしっかり戦ってもらうためにも、選手と指揮官がきちんと昨日の試合のミスを話し合うことも、大切なことだと思います。「日本人のウィークポイントであるコミュニケーションスキルをサッカーの指導現場から変えていきたい」という川淵さんの考えには大賛成ですが、ならばまず代表チームを取り巻く現場でそのあたりを率先して実行させれてみてはいかがでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・[監督の差が出た!ジーコ采配後手後手]2006年06月13日 オーストラリア 3-1 日本F組◇カイザースラウテルン 結果的に、選手交代が効果的ではなかった。疑問が残った。ジーコ監督は、リードしている時はあまり動かないタイプだが、この日も遅かったと思う。FW柳沢に代えてMF小野を入れた場面は、もう1点欲しいならFWとFWを入れ替え、疲れている選手を代えたいならMFとMFの入れ替えにした方がよかった。1トップでは、前線から追い回すことが難しく、ますます守勢に回された。 4日のマルタ戦でも似たような疑問を持った。終盤に4-2-3-1に変えた時だ。3バックを貫かないのも、攻撃的にしたいはずなのに1トップにしたのも不思議だった。今回は、逆転されてからDF茂庭をFW大黒に代えると、守備陣が落ち着かないうちに3失点目を喫した。 残り10分までは無失点だったが、何度もチャンスをつくられ、シュートを打たれ、それがジャブのように効いて、最後はKOされてしまった。終盤は足が止まっていた。走って、球も人も動いてこそ、日本らしいサッカーになる。運動量なくして、体格のいい相手FWを挟み込んで封じるなどできない。前線にフレッシュな選手を、中盤の底にMF福西のようにDFラインをサポートするタイプの選手を入れてほしかった。 沢登正朗(さわのぼり・まさあき) 【adidas】アディダス +チームガイスト グライダー 4号球アディダス スポーツタオルアディダス フェイスタオルFB ユニフォームバッグアディダス バスタオル
2006/06/13
26日の西日本スポーツに掲載されていた記事からです。ロナウジーニョの実兄が99年に札幌で活躍していた選手だったとは・・・・。また兄と2人でクラブを設立して「社会に恩返しを」というのも素晴らしいと思いました。こどものころのロナウジーニョの様子、成功の秘訣・・・・・など、良いお話がたくさん書かれていましたので、全文引用させていただきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2006年5月26日(金)「西日本スポーツ」より。世界一のサッカー選手はロナウジーニョ兄の背中を見て育った。スペイン1部リーグで優勝し、欧州チャンピオンズリーグを制したブラジル代表MFロナウジーニョ(26)。彼を語る上で、欠かせない存在がいる。ホベルト・ジ・アシス・モレイラ。かつてJリーグの札幌でもプレーしていた実兄だ。ロナウジーニョは「兄であり、尊敬する父であり、大親友であり、最大のアイドルだ」と語る。輝きに満ちたプレー、陽気で太陽のように周囲を照らすキャラクター。そんな≪人間ロナウジーニョ≫がどのように生まれ育ったのか。兄アシスの言葉とともに探った。(藤原清美)■父の急逝「家族で力を合わせた」≪ボールとの出会い≫ ブラジルの多くの少年と同じように、ロナウジーニョも、初めての誕生日プレゼントはサッカーボールだった。「ブラジルでは、サッカーは情熱であり、宗教であり、人生の全てなんだ」。ロナウジーニョからもアシスからも、全く同じ言葉を聞いたことがある。 アシスは言う。「1つのボールが22人の幸せを広げる。サッカーボールはこどもたちの喜びなんだ。ロナウジーニョにとっても、ボールは初めて出合った情熱だった。毎日触れて、何かを発見したり、生み出したり。ボールは彼の人生最大の親友だよ。」彼のたぐいまれなるテクニックは、やはり幼い頃から日々培われたモノなのだ。 自らの半生を振り返り、ロナウジーニョ自身も語る。「小さい頃から、いつでもボールと一緒にいて、ボールと遊んだり、何か人と違うテクニックを練習するのが好きだった。今では、僕がボールを持ったら『何かをやる』と印象を持ってくれている。小さな頃からやってきたことが、今に役立っているんだ。」≪父の教えと死≫ 無邪気にボールと戯れる日々は突然、暗闇に包まれた。ロナウジーニョがまだ8歳の時に、父ジョアンが急逝したのだ。アシスは自ら悲しみの底に沈んだにもかかわらず、弟を守ろうと必死で生きた。「ロナウジーニョが悲しまないように、僕ら家族はみんなで力を合わせたんだ。父がいないことを補うために、大きな愛情を注いで、すごく慈しんだ」。そのかいあって、ロナウジーニョの心に生きる父は、今も喜びとともにある。「僕はサッカーで良いことがあった時は、いつでも父を想い出すんだ。いつもすごく励まして、僕が正しい道を歩めるようにしてくれたからね。」■自ら示した「真の競技者たれ」 そんな彼に、兄が教えてきたこと。それは「真の競技者たれ」という言葉だ。父はアシスに「サッカー選手になるのは簡単だ。しかし、真の競技者になるのは難しい」と、いつも語っていたという。サッカーと同じように、人生にも責任を持てるのが、真の競技者であると。サッカー選手だったアシスは、この教えを身をもって弟に伝えてきた。 兄が所属していた地元のビッククラブ・グレミオの練習に付いていったロナウジーニョは、兄を通し、サッカー選手の人生を疑似体験した。現在26歳にして、彼が背負う期待とプレッシャーは非常に重い。それにつぶされることがないのは、兄の人生を身近で見てきたことが大きいと、2人の意見は一致している。≪成功の秘訣≫ セレソン(ブラジル代表)のパレイラ監督が言った。ロナウジーニョが選手として成功し、さらに成長しているのは「どんなスターになっても、人気におぼれず、謙虚であり続けているからだ」と。それをアシスに伝えると、本当に喜んだ。「ロナウジーニョは根っこのところをなくしていないんだ。彼が今いるところに到達するまでの困難を、決して忘れない。そして、戦いは続くこと、毎日見せ続けなくてはならないことを、彼は知っている。彼の一番の強みは、こどもの頃のままのようであり続けていることだよ。それが、周囲の人たちにも伝わるんだ」。ロナウジーニョの心はまさに、ただサッカーが好きなだけの少年のままだ。「サッカーをすることをますます愛するようになっていけるのは幸せだよ。」笑顔で語るロナウジーニョを、アシスは家族として、また代理人と言うプロとして、全面的にサポートしている。ロナウジーニョが家族の絆を心強く語っているのを、何度も聞いたことがある。■2人でクラブ設立「社会に恩返しを」≪夢の実現≫ 兄弟が、大きな夢の実現に乗り出した。今年1月に2人の地元で立ち上げたサッカークラブ・ポルトアレーグリFCだ。ここでは、プロチームとしてサッカー選手を育てるだけではなく、プロになれなかった場合でも、社会人として巣立っていけるように、大学などと提携して英語やコンピューターなども教えるつもりだ。選手たちにいろいろな可能性を与えたいと考えている。貧しいこどもたちを手助けすることも、クラブの重要なプロジェクトの1つだ。 アシスは言う。「ロナウジーニョは世界食糧計画の親善大使を務めたり、いろんな活動に参加している。ここポルトアレーグリFCでも、神がロナウジーニョに与えてくれたものを通して、社会にお返ししたいんだ。僕らの人生が続く限りね」。 この惜しみなく私財を投資して作り上げたクラブのことを、ロナウジーニョも本当に楽しそうに語る。「今はまだ第一段階の準備ができたところなんだ。もっと良いプロジェクトになるから、見ててよ」。 2人の夢はますます膨らむ一方だ。≪ワールドカップ≫ そして、いよいよ2連覇を狙うW杯。『2006年はロナウジーニョの大会になる』。そう期待する声が大きい中、2人は口をそろえて『いや、ロナウジーニョの大会ではない。ブラジルの大会になる。』と語る。 大会中の兄アシスの役目は応援することだ。「彼なら、プレッシャーも喜びに変えてプレーするという、彼が好きなあのスタイルでやり抜くよ。だから僕も、すべてのブラジル人と一緒に応援し、熱狂し、ポジティブシンキングを送るつもりだ。」 ロナウジーニョも笑顔で決意を語ってくれた。「セレソンはみんな幸せで、チームワークが最高なんだ。だから、集中し、みんなで力を合わせて、1試合1試合勝ち抜いていく。それだけが優勝への道だからね。」 【adidas】タクティックボード 送料・代引手数料無料adidas originals(アディダスオリジナルス)Sport Heritage(スポーツヘリテ...↑※中学生の頃に憧れていた「ゲルト・ミュラー」「13番」・・・。「まさか、こんなウェアが出るなんて・・・。」懐かしい想いで、歳も気にせず・・・(笑)愛用させていただいています。(監督S)adidas(アディダス)06’S/SベッケンバウアーTT【オリジナルスショップ限定】adidas(アディダス)06’S/S DASSLER TEE【限定リファレンス商品】adidas(アディダス)06’S/S DASSLER TEE【限定リファレンス商品】
2006/05/26
お読みになられた方も多いとは思いますが、2月26日の日刊スポーツ『ニッカンW杯講座』からの抜粋です。選手の誕生月について興味深いコラムがありましたので、ご紹介させていただきます。最近はトレセンの活動の年齢区分が見直され、早生まれの選手が1学年下の区分でプレーできるようになっています。と言っても、この改正も本当につい最近です。現在の代表選手やプロ選手の小中学生時代にはまったくなかったことで・・・結局、育成年代の選手評価は早熟選手を中心に行なわれていたということを、物語っているような気がします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日刊スポーツ 2006年2月26日(日)『ニッカンW杯講座』ストイコビッチも3・3生まれ。 荻島弘一ジーコの誕生日は「ひな祭り」の3月3日ですが、この日が誕生日の有名選手は他にもいます。元ユーゴスラビア代表で、名古屋でもプレーしたFWストイコビッチです。ともにW杯で大活躍。優勝こそできませんでしたが、そのテクニックは抜群でした。「3月3日生まれのサッカー選手は多い」かと思って調べると、日本の場合はそうでもありません。もともと3月生まれが少なくてJ1の日本人選手は21名しかいないのです。これは月別で最低。最多の5月は59人ですから、およそ3分の1です。2月は24名、1月は31名。これに対し4月は58名、6月は55名ですから「早生まれ」が少ないのが分かります。これは別にサッカーに限ったことではなく、プロ野球でも同じ。また、海外のサッカーでも同じです。英国の学者がイングランドのプロ選手を調べたところ、9~11月に生まれた選手が多かったといいます。これは、新学期が9月に始まるから。日本で4~6月生まれが多いのと同じです。小学校に入学する頃は、4月生まれと3月生まれの子の成長度合いには、どうしても差があります。少年チームでは、4月や5月生まれの子が活躍し、早生まれの子は活躍しづらい。成長するに従って肉体的な差はなくなるのですが・・・・。この日スタートした欧州遠征の日本代表メンバー24名の中にも、3月生まれはいません。一番「遅い」のはDF中沢の2月25日。エリートではなく、苦労して代表の座をつかんだ選手です。今日26日が誕生日のFWカズ(横浜FC)も、子供のころは目立たない存在でした。ブラジルに単身で渡り「キング」にまでなったのです。必要なのは、サッカーを『好き』という気持ち。お子さんが早生まれで、チームで試合に出られなくても心配はありません。いつか、素晴らしい選手になっているかもしれません。【adidas】06日本代表プレゼンテーションスーツ【adidas】2006 NEW サッカーボール5号検定球 +チームガイストルシアーダ【adidas】FBクラブバック N4427+F50スターターパッケージ白+F50スターターパッケージ黒
2006/02/27
9日の決勝戦から2日がたちましたが、決勝戦に敗れたあとの鹿実・松沢総監督の会見時のコメントがとても話題になっています。お読みになれなかった方のために、ご紹介させていただきます。2006年01月09日●試合後、鹿児島実・松澤隆司総監督会見<決勝 鹿児島実(鹿児島)vs.野洲(滋賀)> ■核が消えてチームのバランスが崩れた まず、みなさんがよく2連覇、2連覇と言われましたけど、(それが)いかに難しいというのが分かっていただけたと思う。今はもう全国で100から150のチームが、いつでも優勝できるレベルまで底上げができている。たまたま、うちがここまで上がったとも言えるんですけど。 その中で野洲高校は前の静岡学園とか桐蔭(学園)とか、そういうチームのように、1人1人がジュニアの時代から技術を、あるいは個人的な戦術をしっかり持っていた。それがあの2点目にそのまま出てきているんじゃないか。そういう意味で、野洲が今年優勝したのはやっぱり当然。MFの5人というのは1人1人がしっかりしているし、お互いのコンビネーションも取れている。試合前のミーティングで、今日のゲームのポイントは中盤をどう切っていくかだと語ったんですけど、そのつもりでかかったが、やはりMFのお互いのコンビネーション、あうんの呼吸が(野洲は)素晴らしかった。 うちの方は攻撃の一番の要になっていた栫(大嗣)が(準決勝の)イエローカードで出られなかったので、攻めの起点が前半できなかった。起点がないためにMF、あるいはDFの押し上げができなかったという感じがする。後半、2年生の飯森(裕貴)を入れた。体は小さいんですけど、キープする力はある。彼が入ったことで起点ができつつあった。MF、DF陣の押し上げがだんだん効いてきて、いろんなチャンスが出てきた。ビッグチャンスも何回かあった。しかし、ビッグチャンスを嗅ぎ分けて(ゴールを)ゲットするのがやはり栫の役目なんですが、そういうのが影響したのかなと思う。 1点目のCKにしても、クリアの後、うちのDFはラインを上げていないんですよね。上げておけばオフサイドだったと思う。ああいうところに、なんかやっぱりリズムが……。FWのラインとMFのラインが前半、お互いバラバラだった気がするし、コンパクトにできなかった。ああいうセットプレーでも、クリアしたらDFは上げるというのがやってきたことなんですが、なんかちょっとお互いにリズムが狂いかけていた。そういったところで統率が取れていなかった。 たった1人のプレーヤーがいなくなったということが、こんなに大きいのかなという感じはします。特にうちの場合は、そこそこの選手のバランスの良さは持っていたんですが、全国的に見てこれという選手はわずかなもので、そういう中で一番の核が消えてチームのバランスが崩れた。気持ちがですね。 ■野洲は一人一人に適応能力があった やはり野洲の場合、中盤のつなぎもですが、一発のサイドチェンジ、一発のディフェンスの裏(へのパス)、そういう使い分けがうまかった。あれは恐らくジュニアからしっかり育てなければ、ああいうチームはできないでしょうね。高校3年間では難しいと思う。 うちはそれをパワーとスピードで補っていたと思うが、(野洲は)どこが違うかというと、2点目なんかは典型的なパターンなんですが、センタリングがきちんと精度高く入る。うちはチャンスはあるが、肝心なときにクロスがひっかかってしまったり、肝心なときの技が……。激しい中で余裕がないと、技術は半減する。なぜ半減するかと言えば、技術的に未熟な面があるから。技術があるところまで達していれば、上がらないと思えばもう1つフェイントを入れてかわして(クロスを)上げるとか、適応性が出てくる。野洲は一人一人に適応能力があった。意外とミスが少ないチームで、そこが素晴らしかったと思う。 前半は起点ができなかったが、後半に飯森を入れて起点ができて、クロスの場面も出てきた。だが、クロスの精度がもうひとつだった。いいクロスに飛び込む栫のような選手がいなかった。いいクロスが上がっても、誰もニアに走り込んでいない。走り込んでいたと思ったら、クロスが相手のディフェンスにひっかかっている。とにかく後半、あれだけ攻めながら、(クロスの)精度が欠けていた部分があった。それは余裕がなかったのかな。(飯森は)スタミナがまだないので、最初から後半に入れるという計算はできていた。(前半の)最初から入れていたら(もっとうまく行ったかもしれない)、というのはあくまで結果ですから。 ■高校時代は人生のスタート あとは人生の挑戦でしょうね。高校時代が終わりではないですから。私はあくまで高校時代は(人生の)スタートだと思っています。昨日、栫に話をしたんですが、もし栫が今日の決勝戦で点を取ってヒーローになったとしても、イエローをもらって悔しい思いをした方が彼の人生にはプラスだろうと思います。われわれは死ぬまで挑戦ですから。スポーツだけが挑戦ではないし、そういう意味で、スポーツにはいろんな意味があるのでは。こういう負けを次に生かしてこそ、挑戦ではないかと思う。人間生きている以上、死ぬまでチャレンジ。そういうことを子どもたちに言い続けている。うちのメンバーは高校を出た後もそれぞれ頑張っていて、これは一番うれしいこと。 世界のサッカーにしてもいろいろなスタイルがある。サッカーはそこが幅が広く、底が深い。ワールドカップもブラジル、ブラジルと言うが、ブラジルが優勝できない場合もあるだろうし。いろいろなスタイルがあるところがサッカーの面白さだと思う。 ただ地域性の問題もある。うちもディアマント(FC鹿児島)という下部組織を持っていて、今の3年生が第1期生。そういうことを考えながらわれわれも努力しているが、いつもそれが成功につながるとは限らない。でも、努力を忘れてはいけないと思う。かえって野洲と当たったことで、この負けがわれわれの今後の指導に大きなプラスになる。常にチャレンジしていかなければと思っている。【adidas】シューズケース【adidas】F10+TRXTF銀青【adidas】リュックサックLサイズ
2006/01/11
高校サッカーの準々決勝「大阪朝鮮(大阪)vs.野洲(滋賀)」の試合は、多くの育成年代の指導者たちに様々な面での興味・関心をもたせてくれた好カードの試合だったと思います。ワタシ自身もたいへんに興味のあった試合でしたが、選手を試合に送り出すときに野洲・山本監督が言われた「圧力に負けずに前を向ける、魅力のある選手に育っているのかどうかを証明しろ!」という言葉には・・・、なんだか感銘すらおぼえました。試合の様子をスポーツナビで平野貴也氏が細かくお書きになっておられましたので、試合をご覧になれなかった方のためにご紹介させていただきます。2006年01月05日平野貴也「スポーツナビ」より。同点の熱戦に2つの“答え”<準々決勝 大阪朝鮮(大阪)vs.野洲(滋賀)> “クリエーティブサッカー”の意地が、勝利を呼び込んだ。巧みなパスワークと創造性あふれる攻撃サッカーが持ち味の野洲(滋賀)と、屈強なフィジカルと精神力で走り勝つ大阪朝鮮(大阪)の一戦は、前後半を終えて1-1。大会規定によって行われたPK戦で、野洲が第84回全国高校サッカー選手権大会の準決勝進出を決めた。 対照的なスタイルのサッカーは真っ向から激突した。前半から野洲がボールを支配する展開が続いたが、粘り強く守った大阪朝鮮が後半に先制。試合はそのまま終わるかと思われたが、終盤に野洲がついにゴールをこじ開けて同点とした。互いに最後までスタイルを崩さずに持ち味を発揮した熱戦は、それぞれのチームに“答え”を与えた。 ■“地上戦”にこだわった、高校サッカーの革命児 野洲のサッカーは、見るものを魅了する。この日の布陣は、トップ下に背番号10の平原研を配する3-5-2。中盤を支配し、平原を経由しながらサイドチェンジを繰り返してサイドを広く使う。そして、相手のすきを見ては、意表を突くドリブル突破やスルーパスで敵陣をパニックに陥れ、最前線ではジェフ千葉入りが内定しているエース、青木孝太が前を向いてゴールを狙う。 ボールは、序盤から野洲の物だった。前線にボールを送るキックフェイントをしたかと思えば、後ろを向いてバックパス――と、それさえおとりにして、ターンからドリブルを展開するなど、予測のつかない野洲イレブンのプレーに大阪朝鮮は手が出ない、いや足が出ない状態だった。だが、野洲もボールを保持しながら得点を奪えない嫌な流れの中、「相手はよく統率された4バックだったので、先制されたくなかった」(野洲・山本佳司監督)にもかかわらず、先取点を奪われてしまった。 ところが、選手に焦りはなかった。山本監督に「圧力に負けずに前を向ける、魅力のある選手に育っているのかどうかを証明しろ」と送り出されたイレブンがやることは、1つ。クリエーティブなサッカーを結実させることだけだった。この日の試合では、相手が対極的なスタイルのチームであることで、そのモチベーションは、さらに揺ぎ無いものになっていた。エースの青木は「相手は空中戦ばかり仕掛けてくるけど、自分たちは地上戦のパスサッカー。先制されても(自分たちのサッカーをやれば)何かが起こるんじゃないかと思っていた」とスタイルを貫き通すことに迷いはなかったことを明かした。 ■スーパーサブの意地 苦手のPK戦も そして、貫いた自らのスタイルが2つの副産物を呼び込んだ。1つは、光を失いかけていたスーパーサブの一撃だ。同点弾を決めたのは、後半から途中出場した瀧川陽。本人いわく「へたくそ」なため、PK戦におけるキックの順番はGKの1つ手前だった。スピードを評価され、滋賀県予選から攻撃の切り札として後半途中から起用される場面が多かったが、今大会でここまで得点することはできなかった。「“スーパーサブ”とか言われていたけど何もできず、使われなくなるかと思っていた」という。 しかし、山本監督に「ヒーローになって来い」と送り出された瀧川は、マイナスイメージを振り払って「得点することしか考えていなかった」。後半32分、平原が中央から放ったスルーパスに、左ウイングの乾貴士が反応。ゴールに向かって蹴ったボールを、中央に待ち構えていた瀧川がスライディングで押し込んだ。「あれは乾のゴール」(山本監督)、「みんな、もっとオレのところに駆け寄ってくれてもよかったんちゃうかな」(瀧川)と、重要な同点ゴールを生んだ割に、いまひとつヒーローになり損ねた感はあるが、「スーパーサブと言われてきたことの証明ができたと思うし、野洲が今までやってきたことが間違っていなかったことも証明できた」(瀧川)ことは、確かだろう。 そして、苦手としているPK戦での勝利が2つ目の副産物だ。このチームは新人戦、インターハイ予選をともにPK戦で敗退。平原も青木も「PK戦の成績はよくないので、ヤバイと思った」と口をそろえる。実際、4人が蹴って1人は外してしまったが、大阪朝鮮は同点にされた動揺からか4人中3人が外した(うち2人は、バー直撃を含めてゴール枠外)。山本監督も「運があった」と胸をなでおろした。 チーム戦術に一丸で取り組む風潮が大きい高校サッカー界で「日本の高校サッカーを変えたい」と標ぼうする野洲は、オリジナリティーあふれるプレーを求める。山本監督は「見た人の目からうろこが落ちるような、魅力的な選手を輩出したい。今のチームは、それを体現してくれている。(注目を浴びる)この舞台で輝いてくれればと思う」と選手を評価した。野洲にとって、0-1の場面から選ぶべき“答え”は「中盤で勝つ、自分たちのサッカーで勝つんや」という山本監督の言葉を体現することだった。■終わりを告げた挑戦 この試合で“答え”を見つけたのは、野洲だけではない。大阪朝鮮は、野洲のテクニックとスピードに主導権を奪われながらも、統制の取れた組織でがまん強く戦い続けた。今大会これまで、312分を無失点で切り抜け、この日も耐え抜いて先制点を奪った。1回戦での歴史的快挙(民族学校として大会史上初の勝利)から破竹の勢いでベスト8進出を果たしたことが、フロックではなく実力であることを証明したと言えるだろう。 野洲の選手も「今までに見たことのない、メンタル面を持っていた」と驚きを隠せなかった。分かっていたことではあったが、大阪朝鮮の力強さは、想像を超えていたという。野洲の山本監督も「試合開始から闘争心がMAXの状態のチーム。最後のシュートブロックなどで体を張ってくるところはすごかった」と賛辞を惜しまなかった。実際、80分の中で追いつかれはしたが、負けてはいない。しかし、PK戦ではまさかの大ブレーキ。4人中3人が外すショッキングな負け方で大会を去ることになった。 大阪朝鮮は、この試合に勝った場合、全校生徒で応援に駆けつけて国立競技場で始業式を行うプランが浮上していた。試合終了後、泣き崩れた主将・安泰成(アン・テソン)は、ロッカールームを引き上げると「もう吹っ切れました」と胸を張り、こう答えた。「試合に出ていない3年生を国立に連れて行きたかった。僕は今日イエローカードをもらったので、勝っても次の試合には出られない。それは分かっていたけど、みんなが行ければいいと思っていた。始業式は絶対にやりたかったですけど、残念です」 歴史を乗り越え、新たな伝説作りに挑んだ大阪朝鮮の挑戦は、国立を目の前にして幕を閉じた。 ■敗因は「目指すものの違い」 試合内容では負けていなかったものの、結果で敗れた大阪朝鮮。一体、何が足りなかったのか。安は「目指すものの意識の違い」だと話した。大阪朝鮮は、今回が2回目の出場。初出場した第79回大会では桐蔭学園(神奈川)に1回戦で敗れた。そのため、今大会で康敏植監督が掲げた3段階目標は「1.初戦突破、2.ベスト8、3.国立進出」だった。一方の野洲は、大阪朝鮮より遅い第81回大会が初出場だが、この時にベスト8まで進出。入学前に自宅のテレビで観戦し、その後10番を背負うことになった平原が「ずっと4年前の壁を越えたいと思っていた」と話すように、国立進出が第1目標だった。 大阪朝鮮の安は「先制した後、気が緩んでいた部分はあると思う。プレッシャーというか、勝ちを意識し過ぎたかもしれない。正直、ここまで来ると思っていなかった。でき過ぎな面もある。僕たちは初勝利が目標だったけど、相手はやっぱりベスト4を意識していただろうし、その差が出たんじゃないかと思う」と振り返った。 ■新たな伝説のやり直し 今大会での伝説作りは終わったが、「来年からは国立を意識できると思う」(安)と後輩たちに新たな目標を与えることができた。この日、先制点をマークした2年生FWの趙栄志(チョウ・ヨンジ)は、主将の期待を受けて「もっと頑張って、いいストライカーになりたい。伝統を引き継いで、また大会に戻って来たい」と、再挑戦を誓った。 新たな目標に向かうのは、次のチームの主力となる2年生だけではない。安は、昨年5月に弟の泰栄(テヨン)君が白血病のために13歳で亡くなる悲劇に襲われたが、病室に飾られていた千羽鶴をベンチに持ち込んで今大会に臨んだ。ロッカールームを引き上げる安は、千羽鶴を右手に持ち「1年に次男(泰潤 テユン)がいるので、国立に連れて行ってくれるように、これを渡します」と話した。 躍進を見せた大阪朝鮮がこの試合で見つけた“答え”。それは、厳しい練習に耐え抜いた体で勝ち取った歴史的快挙と、次の新たな伝説作りへの糧だった。安は今大会を振り返って、こう言った。「一番思い出に残っているのは、試合に勝って、スタンドにみんなで走っていく姿ですね。僕も走っていたけど、あの光景が一番印象に残っている」 火花を散らした2つのサッカーは、PK戦によって明暗が分かれた。しかし、市原臨海競技場の電光掲示板に記された「1-1」の数字は、互いがスタイルを貫き通した結果、得た“答え”の重みを知らせているようだった。冬の必需品【adidas】ニット帽同じく・・・【adidas】ニットグローブ
2006/01/06
3回戦の滝川二と大津の試合はとても興味深い内容だったようです。昨日と今日、この試合についてだいぶ多くの方からご連絡をいただきました。やはり、自分の目でしっかりと観てみたい試合だったと・・・後悔しているtころです。「攻め」の滝二が、あの今年の大津のポゼッション力・攻撃力をどう凌ぐのか・・・?確かに、こんなワタシでも、戦前からとても気になっていた試合ではありましたが、できることなら準決勝以上の国立あたりで見てみたかった対戦カードでした。スポーツナビで渡邊浩司氏がうまくまとめて書かれていたので、ご紹介させていただきます。2006年01月03日渡邊浩司「スポーツナビ」より。優勝への条件<3回戦 滝川第二(兵庫)vs.大津(熊本)> ■Jリーガー4人を輩出するタレント軍団、大津 3回戦を迎えた第84回全国高校サッカー選手権大会。滝川第二(兵庫)は、大津(熊本)と対戦した。 今年の大津にはJリーグ入りがすでに内定している選手が4人もいる。MFの本田真吾は福岡、DFの坂本和哉は浦和、FWの市原大嗣は大分、GKの武田洋平は清水にそれぞれ入団が内定している。1チームから4人というのは異例の数で、滝川第二にもセレッソ大阪に内定しているU-18日本代表FWの森島康仁がいるが、タレント性という点では大津に軍配が上がるだろう。 そういったことを意識してか、滝川第二は大津の長所を消す作戦に出た。普段はFWの松本純矢をトップ下に起用して大津のボランチ本田のマークにし、今大会初スタメンとなるMF堀内健太をトップ下の大塚翔太のマークに付けるなど、慎重な布陣で臨んだ。 前半2分に、滝川第二はFKから森島がヘディングで先制点を挙げるが、その後は一方的な大津ペース。中盤の構成力で優位に立つ大津が、ボールを支配して何度もチャンスを作った。受けに回らざるを得ない滝川第二は、1トップの森島が大津ディフェンスの裏に抜けるカウンターしか攻め手がない。11分に、その森島が抜け出してGKと1対1になったが、ループシュートは枠を大きく外れると、その後はチャンスをほとんど作ることができなかった。黒田和夫監督が何度もピッチ横まで出て指示を送るなど、滝川第二は明らかに劣勢に立たされていた。 だが、「点を取ったら攻められるのは分かっていた」とDFの大久保悟が話すように、今大会で目を見張るほどの安定感が増した滝川第二の守備陣は、押し込まれてもあせることなく対応し、大津に得点を許さなかった。 後半に入っても、攻める大津、守る滝川第二の構図は変わらなかった。後半11分と12分、立て続けに市原がシュートを放つが、いずれも枠の外に。そして、迎えた15分、大津の攻撃をしのぎ続けた滝川第二に、運が味方した。大津GKの武田がクロスボールをこぼしてしまったのだ。これを橘章斗が決めて、滝川第二が待望の追加点を挙げる。さらに22分、ロングボールを森島が頭で落として、松本が左足で3点目をたたき込んだ。 運が味方した2点目に続き、会心の形での3点目。3バックにしてさらに攻撃的にしてきた大津の攻撃を1失点で切り抜け、滝川第二はベスト8に進出した。 ■優勝するために必要な守備の安定 過去3回、ベスト4で涙をのんでいる滝川第二だが、今年は初優勝への期待が高まる。それはトーナメント戦を勝ち抜くために不可欠な要素である守備が安定したからだ。 近年の優勝校を見てみると、ほとんどが固い守備をベースとしたチームだ。1997年、98年と連覇した東福岡は攻撃がウリのチームだったが、バックラインには現ヴィッセル神戸の金古聖司がいた。大久保や平山がいた国見も、攻撃力があったが、国見はもともと圧倒的なフィジカルを生かしたディフェンスが強いチーム。第78回大会で無失点優勝を果たした市立船橋は言うに及ばず、昨年の鹿児島実業も守備が固かった。つまり、攻撃一辺倒のチームでは優勝は難しいということが分かる。 大津戦では初失点こそ喫した滝川第二だったが、キャプテンの大久保は「守備の集中が途切れないようになった。成長してきていると思う」と今大会での守備に手ごたえを感じている。高円宮杯の時期は裏を取られる場面が目立ったディフェンスラインだが、今大会ではそういったことはほとんどない。 元帝京高校監督の古沼貞雄氏は、「5-3で勝つチームよりも2-0で勝つチームの方が強い」と、滝川第二イレブンに諭したそうだが、今大会の滝川第二は2-0が2回に3-1が1回と、少ない失点での2点差勝ちを実践している。 もともと攻撃サッカーを信条とする滝川第二が守備に取り組んでいる姿に、敗れた大津の平岡和徳監督も「あそこまで自分のサッカーを殺して勝ちに徹してきた。歴史の中で作られたサッカーだった。黒田監督の方が私よりも悔しい思いをたくさんしてきているということ」と勝ちへの執念に脱帽していた。 次は、2試合とも5-0と圧勝してベスト8に進出した、前年覇者の鹿児島実業。昨年の優勝メンバーが多く残っている鹿児島実業は、県予選でも36得点無失点と磐石の強さを誇る。過去3回、ベスト4で敗れたときは、いずれも優勝チームに負けている滝川第二にとっては越えなくてはならない壁だ。だが、結果にこだわり安定した守備を身につけた今大会、そろそろ滝川第二が優勝してもいいころだ。【adidas】タクテッィク レポートノート【adidas】F50 フットサル
2006/01/05
野洲高校のサッカーに個人的にとても注目しています。熊本・大津などとも共通した部分の多い考え方だと思いますが、結果を優先するあまりサッカースタイルをよりシンプルに変えようとする方向性の高校がある一方で、このような野洲や大津の選手個人の技術力・判断力を重視したスタイルのサッカー部が結果を残し始めているというのは、非常に良い傾向だと感じています。スポーツナビで渡邊浩司氏がうまくまとめていらっしゃったので、ご紹介させていただきます。2006年01月03日渡邊浩司「スポーツナビ」より。野洲の高校サッカー改革<3回戦 野洲(滋賀)vs.高松商(香川)>■オリジナリティあふれる野洲のサッカー 「日本の高校サッカーを変えたい」 高松商(香川)を4-0と圧倒した試合後のインタビューで、野洲(滋賀)の山本佳司監督はこう話した。この試合の野洲のサッカーは、今までの高校サッカーのイメージとはかけ離れたものだった。 まず、第一に後ろからパスをつなぐ。一発勝負の高校サッカー選手権では、ボールを失ってカウンターを食らうことを恐れて、バックラインからロングボールを入れるチームが多い。だが野洲は、2人の守備的MFと3-5-2の3バックと両サイドのハーフがリズムのよいパスワークで、後ろから攻撃を組み立てる。これによって、ボールポゼッション率が高まり、両サイドハーフは高い位置をキープできる。左サイドの乾貴士や右サイドの楠神順平は攻撃的な選手だが、こういった選手を3-5-2の両サイドに配置できるのは、この高いボールポゼッション率があるからだ。 もちろん、高校生だからミスをすることもある。この試合でも、最終ラインでのパスミスからカウンターでチャンスを作られるシーンがあった。だが、野洲はそれでもボールを失うことを恐れず、バックラインでパスを回し続けた。 次に特筆すべき点は、前述のパスワークに共通する部分があるのだが、前線に入れるくさびのパスがグラウンダーであることだ。野洲のDFはFWの頭ではなく、足元にしっかりと強いパスを入れていた。 せっかく最終ラインでパスをつないでも、最後に入れるくさびのパスが浮いてしまっては、その時点で五分五分のボールになってしまう。いや、相手DFの方が来たボールを跳ね返せばよい分、攻め手よりもヘディングはしやすいから、確率はさらに低いだろう。野洲は浮き球でなくFWの足元にボールを入れることで、FWがポストプレーをしやすくしていた。結果、落とされたボールは、ダイレクトでスルーパスやサイドチェンジなど、次の展開に持っていける。 こういったプレーには、バックラインのパスワークとFWの連動した動き出しが必要だ。グラウンダーで入れるパスは狙われやすく、カットされればすぐにDFが次のプレーに移れるため、カウンターを食らいやすい。だが、野洲は、ここでもそういったリスクを恐れずに、一試合を通してグラウンダーでくさびのパスを入れ続けた。 3つ目の違いは、サイドチェンジがあること。高校サッカーでは、攻撃が行き詰ったとき、よく確率の低いクロスボールで攻撃を終わらせようとするシーンが見られる。変につなごうとしてボールを取られるよりは、相手のゴール前に入れておいた方が安全だし、相手がミスによる得点の可能性も少なからずあるためだ。 だが、野洲は行き詰まった局面でもディフェンスラインにボールを戻して、サイドを変えて攻撃を組み立て直していた。さらに、キャプテンの金本竜市が相手のサイドの急所を突くロングのサイドチェンジパスを繰り出していた。この試合では、そのパスに乾や楠神が走りこんで、チャンスを作った。 最終ラインが短いパスでサイドチェンジを行うこともできるし、金本のロングパスでサイドを帰ることもできる。高校のチームで、ここまでマイボールを大事にするチームは非常に珍しい。 そして、野洲が他校と最も違う点は、創造性豊かなプレーが多いことだ。ドリブル突破を仕掛けるシーンは多いし、この日も2点をリードした後半には、ヒールキックを3本連続でつなぐシーンもあった。前線での細かいパスワークと中央突破も多く、見ていて非常に楽しい。この日、3試合連続となる得点を決めた青木孝太は、サイドに開いてから積極的にドリブル突破も仕掛けていた。これも、山本監督が「青木にあれほどドリブルをさせる監督はほかにいない」と自ら認めるように、野洲独自の部分だと言える。 ■野洲のスタイルは新たな潮流となるか 上記で述べたようなプレーは、高校サッカーではめったにお目にかかれない。それは、指導者がそのようなサッカーをさせないからだ。イマジネーションがあってつなぐサッカーには、個々の技術も必要であるし、失敗したときのリスクが非常に高い。プリンスリーグのようなリーグ戦ならまだしも、トーナメント方式の高校選手権では、ひとつのミスで敗退する可能性もある。 もちろん、高校の指導者がみんな攻撃サッカーを放棄しているのかというと、そうでもない。攻撃的で、見ていて楽しいサッカーをしたいと思っている指導者はいる。だが、攻撃的なサッカーはタレントがそろわなければできないし、一発勝負に勝たなければならないというプレッシャーもある。だから、多くの指導者は攻撃サッカーへの思いを封印して、守備を固めるのだ。 また、トリッキーなプレーというのは“軽い”と見られ、まじめにやっていないと取られがちだ。「ミスをしたときに選手をしかったりはしないのですか」と聞いた時、山本監督は「技術があるということは、技術を身につけるために死ぬほど練習しているということなんです。軽いプレーじゃないんです。技術をフォーカスして練習をしているだけで、いい悪いではないんです。私たちは本気で、こういうサッカーで勝ちにいっている。野洲のサッカーは真剣なサッカーなんです」と少し熱くなって反論した。周囲から奇抜なプレースタイルに対する批判があるのではないかと、想像させる言葉だった。 プレッシャーに打ち勝ち、攻撃サッカーを実践することは非常に難しい。野洲のようにほとんどが地元滋賀県の選手で占められている県立高校では、攻撃サッカーのためのタレントを常にそろえられるとは限らないため、なおさら困難だ。だが、山本監督率いる野洲はそれに挑戦しようとしている。「高校サッカーというのは、世界のサッカーの縮小版であるべきだと思うんです。でも、日本の高校は異質なサッカーをしていると思います。Jリーグのユースなど全体的なレベルは上がっていますが、同じようなチームが多く、インパクトを与えるチームがありません」と山本監督は嘆く。2005年のワールドユースで日本と対戦したオランダのクインシー・オブス・アベイエ(アーセナル)や、レアル・マドリーのロビーニョのような規格外の選手を輩出したいと山本監督は言う。そして、すでに兆候はある。青木はジェフ千葉への入団が内定しているし、「2年生からもJリーグにいく選手が出ると思う」(山本監督)と言うように、監督は大きな手ごたえを感じている。 準々決勝の相手は、歴史的な勝利で快進撃を続けている大阪朝鮮(大阪)。フィジカルがウリの、野洲とは対照的なチームだ。もし、野洲が体力重視のチームを破ってさらなる結果を残すことができれば、野洲のスタイルこそが新たな高校サッカーの潮流となるかもしれない。【adidas】PULSEトレーニングトップ&パンツマーカーコーン ビッグ
2006/01/03
ご覧になった方も多いのではないかと思いますが、今日(12月5日)の「日刊スポーツ」の記事からの抜粋です。以前から考えていたのですが、このように現役のプロ選手たちがもっともっと個人的に育成年代のクラブの運営に関るようになったら素晴らしいと思っています。よくセカンドキャリアで「指導者」として育成年代のクラブやチームを探している元プロ選手のお話を耳にしますが、現役時代から自身がクラブを設立したり、あるいは特定の既存のクラブやチームとの関係をより深く保つことで、お互いにとってのメリットはかなり高いと思うのですが・・・。現役のプロ選手と一緒にボールが蹴れたり、経験を活かして独自の指導指針で育成したり・・・と、きっと特徴的なクラブ運営が実現できるはずです。小野伸二選手に限らず、今後も多くの現役のプロ選手たちが積極的にクラブの運営などに関ってきてくれたら、個人的にはとても嬉しく思います。≪小野 クラブ設立≫~日本初!現役選手の本格チーム~ 日本代表育てる!! ドイツW杯後の来夏には直接指導も。2005年12月5日の「日刊スポーツ」の記事からの抜粋です。 サッカー日本代表MF小野伸二(26=フェイエノールト)がクラブチームを創設することが4日、わかった。名称は「SOFC」(シンジ・オノ・フットボール・クラブ)。主目的はジュニア層の育成で、トップチームを東京に置き、各地にサテライトクラブをつくる。IT技術をフル活用し、全国をネットワークでつなぐ。未来のW杯プレーヤーを生み出すことが最大の目標になる。■協会報告済み 小野が将来に目を向けた活動を開始する。子どもたちの目をサッカーに向けさせるため、「SOFC」を創設する。すでに日本協会の川淵キャプテンにも報告済みだ。「笑顔で、自由にやってほしい。楽しさを知ってもらえれば底辺が広がる。笑顔いっぱいの世界一楽しいフットボールクラブにしたい」という小野の考えに沿ったものになる。 現役選手が本格的なクラブチームを設立するのは日本サッカー界初めて。プロジェクトチームによれば、当初は「赤字かトントン」だという。スポンサーの獲得や、グッズ開発などで資金を得ていく予定だ。 トップチームは子どもたちではなく、第1種(年齢制限なし)チームとして東京都に登録され、最下部のリーグからステップアップする。将来的にどのレベルまで昇格するかという目標はないが、現在の少年たちが大人になるころには受け皿になる可能性もある。■「キャプテン」 自身の名を冠にしたクラブだが、小野はオーナーになるつもりはなく、メンバーと一緒に楽しむという趣旨から「キャプテン」と位置づけるという。フェイエノールトと契約する現役選手のため選手登録はできないが、一線を退いた将来は可能性がある。 既存のクラブと異なるのは、対象が特定地域ではなく全国に及ぶことだ。メンバーの募集状況に応じて、例えばSOFC沼津、SOFC横須賀などといったチームを各地につくる。ジュニア層をターゲットにしているが、老若男女問わずメンバーになれる。 さらに特徴的なのが、時代を反映したITによるネットワークだ。インターネットや携帯電話のサイトの動画機能を最大限に利用する。「直接教えたいが、それはなかなかできない。サイトを通じてサッカーの楽しさ、プレーのコツなどを伝えられれば」(小野)と話すように、自身がテクニックを実践する動画を配信し、テレビ講座のような形で指導する予定だ。■ITフル活用 選任コーチによるスクールの実施も計画。オランダリーグとW杯が終了した来夏には、小野自身が子どもたちと同じピッチに立ち、直接教える機会もつくる。実際にピッチでプレーしなくても、サイト上のコミュニケーションに参加すれば、クラブメンバーとなれる。 全国にメンバーの輪が広がり、日本最大の草の根フットボールクラブになることを目標にしている。欧州でプレーしていることで、草の根レベルの違いを実感している。日本サッカーの底辺を拡大し、未来のW杯を戦う日本代表選手育成にひと役買う。■SOFC公式サイト今日5日にインターネットとNTTドコモの携帯電話サイトがオープンする。アドレスはともに、http://sofc.jp/
2005/12/05
ロナウジーニョ(FCバルセロナ)が、今年の欧州最優秀選手に選出されました。受賞に際する欧州マスコミの賞賛記事の中から2つほどご紹介させていただきます。「夢を与える選手には、夢を与えるコメント。」と言ったところでしょうか・・・。日本人選手でもこんな欧州各紙からこんなコメントをいただける選手が出てきてほしいものですね。■レキップ(フランス)ロナウジーニョは素晴らしい。年齢に関係なく、誰にも夢を見させてくれるからだ。ロナウジーニョは発明家。ほかの選手がまねのできない離れ業を生み出す。DFはそれを知っている。自分の身に何が起きたのかを理解するには、ビデオの再生ボタンを押さなければならない。■ガゼッタ・デロ・スポルト(イタリア)ロナウジーニョが本当に4回連続でボールをクロスバーに当てることができるかは誰にも分からない。そんなことは重要ではない。大切なのは、できると信じることだ。ロナウジーニョのような選手は、不可能を可能する。笑顔を見せながら試合に勝ち、歌を歌いながらピッチに登場するロナウジーニョ。彼にとって、特別なことは何もない。
2005/12/03
≪恩師が教えます!日本代表選手育成法≫2005年12月2日のスポーツニッポンの「ビバW杯」という記事からの抜粋です。 日本代表選手はどうすれば生まれるのか。どんな指導を受けてきたのか。DF宮本、MF稲本、FW大黒らをG大阪ユース時代に指導した上野山信行・G大阪育成・普及部長、GK川口、MF小野らを世界に送り出した大滝雅良・清水商業監督にそれぞれの育成方法を聞いた。画一的ではない、ユニークな指導方法が垣間見えてきた。■自立心育てる 日本代表にはG大阪ユース出身者が3人いる。彼らを育てた上野山氏は「答えを言わずにヒントを与えて考えさせる。自己責任を負わせて自立心をつけさせるのがコーチ」と言う。 その指導で生まれ変わったのが宮本。初めて見たのは金剛中3年のとき。身長1m74cmと大柄な身体を活かして中盤でドリブルばかりする攻撃的な選手だった。しかし、上野山氏が着目したのは攻撃力ではなく「プレーを読んでカットしたり、コースに入ってみたりする」能力。それを活かすリベロ転向を勧めた。直後の全日本クラブユースで決勝進出を果たしたことで自信をつけた宮本は「僕はドリブルなんかいらない。」と過去のスタイルに決別した。上野山氏との出会いが無ければリベロ宮本が日本代表の守りの要となることはなかったのだ。 稲本の転機にも携わった。もともとスケールの大きな好素材だった稲本は高校1年生でトップ昇格にこぎつけた。そこで上野山氏はサッカーに集中できるよう全日制高校から通信制高校への転校を促した。両親は反対したが「失敗したときに考えましょう。近所の評判なんか関係ない」。何よりも上野山氏の期待を感じた稲本本人がサッカーに懸ける意思を見せ始めた。■大黒には正確性 大黒との出会いは釜本FCで指導していた時だった。小学校1年の時に親に連れられてテストに来た。他の子が親から離れなかったり、砂遊びをする中で、1人黙々とボールを蹴っていた。「本当にサッカーを楽しんでいる。」上野山氏はその長所を伸ばし、ただ蹴るだけでなく正確にプレーすることを叩き込んだ。愛弟子が日本の救世主になった経緯を「J2(札幌)に行ったり遠回りしたけど成功だった」と感慨深げに振り返った。■刺激を与える 清水商を率いて31年。大滝監督の下からはGK川口、DF田中(ともに磐田)、小野(フェイエノールト)らが巣立った。指揮官が名将と呼ばれるゆえんは、感性を成長させたことにある。「あの子たちには、僕のほうが教えてもらうことが多かった。」と謙遜するが、選手の才能を引き出すことにかけては妥協はしなかった。 川口のGK、そしてリーダーとしての才能が磨かれたのは高1の夏休み。ほとんど自腹でブラジルに留学させた。「丸い地球にはさまざまな人種がいることを教えたかった。自分にとっては趣味の領域だった」。元ブラジル代表のGKタファレルと練習させる一方、宿舎とグラウンドの往復にはバスを使わせるなど、あえて厳しい環境に置いた。 小野には、海外の有名なピアニストが静岡市内で演奏会を開いたとき、チケットを渡した。「これで世界を極めた人だから行く価値はある。」小野は喜んで行き、その音から『世界』を感じた。「僕が教えることなんて、高校生に刺激を与え、感性を発達させることくらい。それが26、27歳で花開けば嬉しい。」指導者と選手の目指す場所が同じなら、名選手を生む環境は自然に出来上がる。
2005/12/02
※JFA発行の『Technical news Voi.9』からの抜粋この夏のU-12年代の「第29回全日本少年サッカー大会・決勝大会)を視察したTSG池内豊氏のレポートから。U-12年代のレポートなのですが、うちのU-13年代やU-14年代前期くらいまでの課題と共通するところが多く、自チームの指導でも大いに活用させていただいているレポートです。1、チームのスタイル決勝大会に参加しているチームは、・小学校単位のチーム・地域のクラブチーム・地域の選抜チーム・Jリーグの下部組織のチームなどいろいろなチームが参加しているが、その分類とは別に次の2つのチームスタイルに分けることができた。(1) 単純な攻撃を徹底するスタイル・縦志向・スピードアップ・ポジションの役割(決め事)ははっきりしている・ミスが多い・状況を観て判断することが少ない(2) 状況に応じた攻撃を追及するスタイル・適切なポジション・状況に応じたプレーの選択・相手のプレッシャーが厳しくなるとミスが多くなる(1)(2)のスタイルとそれぞれの特徴があったが、(2)のスタイルを追求するチームで1次リーグで敗退しているチームも多かったが、全体的にこのスタイルが増えてきている印象を持った。逆に(1)のスタイルを徹底しているチームもあったことから、この大会は二極化傾向にあったといえる。2、パス(キック)パスの受け手がボールを出されてから動き出すことが多い。すなわち、パスの強さ、角度、タイミングの追求が全体的に不足していた。技術的にもボールをしっかりと蹴れない場合が多く、簡単にボールを浮かすケースも多かった。3、ボールコントロールいつまでもボールを弾ませたままプレーすることが多い。相手からのプレッシャーや簡単にプレーすることの要求がないと、コントロールの質をなかなか上げることはできない。観て判断してコントロールするなど、その質の向上に妥協はないと感じた。パス&コントロールにおいて、スローインで簡単にボールを失うことも目に付いた。手でボールを投げる技術の問題も大きいが、受け手のタイミングや出し手のパスの質の問題も大きかった。4、ドリブル ・フェイント相手ゴール前で積極的にしかけていく選手が増えてきた。しかし、ミスが多くボールを簡単に失ってしまったり、状況の変化を観ることができなかったり、スピードの緩急がなく抜くことができなかったりト、スピードのコントロールをもっと意識することが必要と感じた。また、どちらにも抜いていけるスキルの獲得も大切な要素である。5、スクリーン ・ターン簡単にボールを失ってしまう、また、局面を個人で打開していける選手が少ない。両足でボールを自由自在に扱えるようになることで顔が上がってくる。また、重心を低くして身体もうまく使うことによって、個人でも簡単にボールを失わず、局面を打開できるようになってくる。6、シュート積極的にシュートを狙う選手が増えてきた。しかし、シュートに関する技術の獲得には課題を残した。シュートを意識したボールコントロール(ボールの置きどころ)やしっかりとボールをとらえ、足を振り抜いて正確に強いボールが蹴れる技術の獲得が必要と感じた。その上でコースをしっかり狙うキックやGKとの駆け引きなども獲得していく。また、浮き球などさまざまなボールのシュート技術の獲得も課題として残った。7、守備自分たちのゴールに対して身体を張って守ることができていた。また、ボールを奪う意識や攻撃から守備に対しての切り替えも速かった。しかし、マンツーマンディフェンスでスイーパーを深い位置に1人や2人置いているところもあった。守備の役割を明確にすることで、相手からボールを奪うケースも多くなる。今、必要なのは、選手個人が状況を観て、ボールを奪うのか、ゴールを守るのか、また遅らせるのかを判断して実行できるベースをつくることである。積極的に個人で判断してチャレンジしていくことを促し、そのために必要な守備の技術を身につけさせていくことが今は大切であろう。8、ゴールキーパー大型のGKが増えてきた。そして、基本的な技術も上がってきている印象を受けた。その一方で、GKを固定せずにローテーションで回しているチームもあった。いろいろな試合の臨み方があっていいが、この年代のGKには、フィールドプレイヤーとしての技術習得が間違いなく必要である。9、応援 ・フェアプレー保護者の応援は大会を大いに盛り上げ、応援するチームが勝っても負けても大きな拍手を贈っていた。その一方で、相手選手やチームへの侮辱があったことや審判の判定に対しての不服、選手へのコーチングが平気で行なわれていたチームがあったことは残念であった。また、応援によって選手は勇気付けられていたが、選手のスピードを煽る応援は少し気になった。今大会からグリーンカードも採用され、1次リーグではよく出されていた。選手もカードをもらうためにプレーしたのではないが、相手の気持ちを思いやる行動が自然に出てきていたのが印象に残った。
2005/12/01
※JFA発行の『Technical news Voi.9』からの抜粋この夏のU-15年代の全国大会を視察したTSG眞藤邦彦氏のレポートからクラブチームと中体連の全国大会の総評に注目してみました。それぞれの全国大会での総評と言うことですが、ワタシ自身が中学校チームと対戦するときに感じるクラブチームと中学校の近年の傾向が、上手に凝縮された文章になっているように感じました。ご参考までに・・・。≪クラブユース選手権(U-15)≫■攻撃について1)パスの質については、芝がやや長めであったこともあるが、パススピードを上げていく必要がある。その上、出し手・受け手のコミュニケーションやパスにメッセージを混めた精度が求められる。ポゼッションするチームが増えてきたことは喜ばしいことであるが、ただつなぐだけでなく、ゴールを意識して二、三手先が読めてくるようなパスをしていくことが重要である。2)しかけについては、前向きにプレーしようとする選手は増えてきているが、まだまだ工夫する必要がある。例えば、後ろ向きにパスが出されたときも、簡単にコントロールするのではなく、次の攻撃方向がよりワイドに見えるように、身体や足首を使ってうまくコントロールすることである。それができれば、パスであれ、ドリブルであれ、状況に応じた効果的なしかけができるのではないだろうか。3)クロスボールの精度を上げることも大切だが、サイドアタックのスペシャリストを育てていくことも同様に大切なのではないかと思う。限られたスペースの中で、アドレスを膨らませることなく、最短にボールに向かい、立ち足と踏み込みと振り足の足首をうまく使って、クロスボールを上げていく技術である。得点場面においては、どこへ入り込めばいいのかとともにヘディングの技術が高まれば、より多くの得点を生み出せるように思う。4)アタッキングサードでの崩しについて、技術レベルの高いチームは、積極的なしかけがモビリティーの中でできていた。今後もこうしたチームが多く出てくることを期待したい。■守備について1)守備の意識はリスクマネージメントも含めて高まってきている。但し、1対1の対応ではもっとレベルを上げていく必要がある。特に、相手に振り向かせない守備は、間合いや相手との駆け引きをもっと身につけていく必要がある。寄せることはできても、それをうまく利用されてしまい、寄せすぎてボールを注視できず反転され、シュートチャンスを与えてしまう場面があった。2)クロスボールに対しては、例年に比べると向上してきているものの、厳しさの面ではまだ不足している。ボールウォッチャーになり過ぎて、肝心なところでマークを外している点である。原因はボールの移動中のオフのときに、ボールから目を離さないために、マークする相手との駆け引きを楽しめず、受け身になってしまっているところにある。≪全国中学校サッカー大会≫■攻撃についてリスタート時、良いキッカーが現れてきている。ただ、止まったボールのキックの種類は豊富になったが、動いているボールのキックについては、フォームも出来上がっていない。それでフィニッシュの際、ボールが枠をとらえられないでいる。また、ボールの置き所も曖昧で、選択肢を持ったコントロールになっていないのが現状である。ドリブルに関してはスペースがある中なので、スピードに乗ったドリブル突破が多く見られた。しかし、フェイントを使ったドリブル突破は意外と少なかった。折角、きれいに突破してもクロスボールの精度が低いため、得点につながらないことが多かった。ただし、決勝戦においてはクロスボールの精度が高く、何度もゴール前の攻防が見られ、迫力があったことを記載しておく。その他、中盤で十分に周囲を観ることができず、判断のないプレーにつながっている。おおむね縦に急ぎすぎの攻撃になっていた。事前にもっと周囲の状況を把握することができれば、有効なサイドチェンジも可能であったのではないかと思われる。状況が観えていれば意志の疎通も図れ、決勝戦で見せたルーテル学院の壁パスやスルーパス、第三の動きのようなコンビネーションプレーがもっと各チームで見られたのではないだろうか。■守備について個の判断でボールを奪うことが、もっと積極的にできてもいいのではないか。当然そこには、守備の原則の徹底が不可欠であり、奪う技術の習得も大切である。例えば、スライディングやボディコンタクトである。また、オフの準備ができていれば、インターセプトも容易になる。チャレンジの部分ができないから、カバーの部分までが中途半端になり、ボールを中心とした守備ができていない。グループで意図を持って奪うことができず、結局有効な攻撃につながらないのである。予測してのアプローチ、それも「あと10cm」をこだわるような寄せができれば、カバーもしやすくなると考える。また、チームが守りやすくする為に、カバーの選手も戦術的な声を出すべきである。結局のところ、相手のミスでボールを奪うことが多く、そのほうが楽にボールを奪えることも皮肉である。自分のゾーンに侵入されると、その場面だけで1対1の対応が始まり、セカンドボールに対する意識が低かったり、ただなんとなくプレーしているようで主体性が見い出せない。だから、ゴールしたときも喜びを表現できないし、得点されたときに悔しさが見られないのかもしれない。ディフェンス力をあげることで、攻撃力の質もより高められていくものと確信する。
2005/11/30
日本代表と試合をしたアンゴラという国について、『日刊スポーツ』に書かれていた記事をご紹介します。大観衆の後押しを受け新しいユニフォームまで披露しホームで優勢に試合をすすめる日本代表、一方アンゴラ代表はというと、日本とはあまりにもかけはなれた境遇ににある国でした。 サッカーだから実現できたことなのかもしれません。ひょっとしたら昨日の試合は日本がサッカーを通じて行なったアンゴラへの支援の一環だったのかもしれません。ただ・・・試合結果やサッカーの内容を論じる以上に、やはりこのことを「うちのクラブの選手たちにもぜひ知っておいてほしい。」と強く感じましたので、BLOGで取り上げさせていただきます。サッカーの試合を通じて、いろいろなことを感じ取る姿勢と心を身につけてもらいたいと、この記事を読んでワタシはあらためて痛感しました。日刊スポーツ(2005年11月16日)より■戦火を乗り越え勝ち取ったW杯初出場~絶望の戦いは終った 希望への戦いがはじまった。~アンゴラ代表が戦火を乗り越え、W杯に初出場を果たした。02年4月に、約27年も続いた内戦が終結するまで、親兄弟、親戚などを亡くしながらもサッカーを続けてきた。今も、人口1318万人を越える数の地雷が埋まっているとされ、マラリアなどの影響で平均寿命は40歳未満。それでも選手たちは今日16日の日本戦で、サッカーができる喜びをピッチで表現する。■残るツメ跡「アンゴラの国民なら誰でも、戦争の被害を受けている。誰だって身近な親戚や友だちが亡くなった。私の家族は大丈夫だったが、親友が死んだ。」ゴンサウベス監督は3年7ヶ月前まで続いていた内戦を、こう振り返った。日本の外務省はアンゴラへの渡航について、郊外への州へは「延期をおすすめします。」とし、首都ルアンダでさえ「十分注意してください。」と呼びかけている。1500万個も地雷が埋まり、被害は尽きない。内戦の影響は今も残っている。 75年11月に、ポルトガルから独立した。しかし、社会主義国家を目指すアンゴラ解放人民運動(MPLA)と、反政府ゲリラのアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が対立し、内戦が継続。91年以降は和平、内戦を2度繰り返し、02年4月に停戦協定が結ばれた。W杯日韓大会開幕が目前に迫った頃、ようやく和平が訪れた。・ゴンサウベス監督・「内戦中もサッカーはできた。リーグ戦も活動して、全国大会もやった。しかし、内戦があると、車での移動は危ないから、飛行機を使うしかない。そうすると金銭的に苦しくなる。ジャングルが近い地域だと、ゲリラがある。朝起きると『殺されるのではないか』という恐怖でサッカーどころではなかった。」■プロリーグ アンゴラにはプロリーグがあり、今回の来日メンバー20人中(無所属が1人)、国外クラブ所属の8人を除く11人がプレーしている。プロ選手は特例として、戦争には加わらなかった。しかし、危険と背中合わせでボールを追っていた。 障害となったのは、内戦だけではない。生まれた子供の4人に1人以上が、マラリアなどの感染症で、5歳の誕生日を迎える前に亡くなってしまう。平均寿命は40歳に満たない。代表メンバーは、これらを乗り越えて今がある。■貧しい家庭・ゴンサウベス監督・「このチームの中にエリートは一人もいない。マラリアは最も大変な問題だ。ここにいる選手たちは、裕福な家に生まれたから感染しなかったわけではない。かかったとしても、治療して今があるのだろう。ほとんどの選手が、貧しい家庭の出身だ。私も12歳の時に母が死に、その時から仕事と勉強をしながらやってきた。」 一般的な日本人には想像すらできない環境を乗り越え、アンゴラ代表はドイツ行きの切符をつかんだ。サッカーを存分にやれる喜び。選手の胸には希望が詰まっている。■欧州各国で「心のリハビリ」~ドイツでは元少年兵教育~ 心身に大きな傷を負ったアフリカの元少年兵に対するケアは、欧州各国で行なわれている。W杯を開催するドイツでは、アーヘンのカトリック教会が中心となって、約3000名の元少年兵たちを保護し、社会復帰のために必要な教育などを行なっている。もちろん、その中にはアンゴラの少年たちもいる。 サッカーもその活動の一環となっている。元少年兵たちをブンデスリーガの試合に招き、選手たちがユニフォームなどを贈ったりして「心のリハビリ」に協力する。シャルケのレーベルグ会長は「8~9歳から銃を持たされ、我々のような少年時代を持っていない彼らに、少しでも幸せな時間を与えなければならない。サッカーの原点にあるのは喜び。それを共有しなければならない」と話す。 来年のW杯でも同様の企画がされている。ドイツで待つ元少年兵のアンゴラの子供たちのために希望を与えなければならない。今度はアンゴラ代表選手たちがサッカーのピッチで戦う。
2005/11/17
パーフェクトを求めるのではなく選手たちの特徴を引き出していきたい。U-15日本代表監督の城福氏がサッカークリニックのインタビューで次のように言われいました。日本人はこういうサッカーをしたら一番力が発揮できるのではないか、というところから考え出された日本人にアドバンテージのあるサッカーが「人とボールが動くサッカー」だそうです。状況を観ながら選手自身が自分を活かす方法を考える、というのも個人的には大賛成のプランです。以下インタビュー記事の原文をほぼそのまま引用させていただきます。「・・・今までにそういうコンセプトを持った人やチームもあったと思うし、それにどうやってアプローチするかが、指導者によって違うと思うんです。ずっとトレセンでやってきたこと、キックの質とか、フィジカルコンタクトとか、コンタクトスキルといった1つひとつのファクターは世界で戦う上で大事なこと。でも、そこから入ってしまうと、すごく体力もあって無駄な動きもせず、質のいいサポートもあって、質のいいキックもあって、コミュニケーションもとれて、アイディアもあってなんて、世の中にそんな万能の選手は滅多にいません。特にこの年代(U-15)にパーフェクトを求めてしまうと、これもやらないといけない、あれもやらないといけないとなって、15歳の子たちはガチガチになってしまう。」「・・・僕らが世界一になるものを作ろうとなって、それは何かと考えたとき、協調性とか、身体的にも精神的にも持久力とか、惜しまない動きとか、学んでいく力とか、人のためにやってあげる気持ちとか、あとは敏捷性ですよね。そういう面で、日本にはアドバンテージがあると思うんです。僕らがアプローチできて、彼ら(例:ナイジェリアの選手)がまねできないものは、となるとサポートの質と切り替えの質と、動きですよね。ボールに関っていく惜しみない動き。ほかは多少ミスしても、多少やられても目をつぶる、だけどそこだけはやろう、と。そこが世界一にならなかったら、絶対にアジアの壁は抜けられない。」「・・・必要だったら右に開いて、必要だったら中に入ってくる、という中でわれわれが一番やろうとしているボールと人が動くサッカー、そして自分が一番生きるサッカーをする。逆に言えば『もっと張っておきなさい。』とか指示されたほうが彼ら(U-15日本代表選手)は楽なんです。『自分で考える。』と言われたほうがきついんです。けれども、やっているときに本人がわかるんです。自分の力が発揮できているかどうか。そういうのが大事だと。できなければ『何でできない?』と聞いたら、『もっと前に張っていたほうがいい。』と言う。『そうだね。』と。ずっと外に張ることもあるし、中にはいってこないといけないときもある。それを状況によって自分で判断できるようにしていきたい。」
2005/11/03
海外の選手との比較も大切ですが、海外の選手たちも決して教わって出来る様になってきたことばかりではないはずです。ワタシはチームの中心選手として攻守の全体に渡りいろいろなことを考え、工夫し、「もっともっと上手くなりたい。」と思う選手を育て、信頼のおける次の年代の指導者にバトンタッチすることが一番大事だと思っています。人から言われてやるような選手は絶対に限界があります。自分で考え、自分で「やる」。こういう選手が中心になれるチームにするためには監督やコーチのスタンスを様々な状況で工夫しなくてはなりません。でも、その工夫があれば、そういった中心選手は単一チームに1人ではなく複数育つことが可能になります。ですから、「管理しすぎない。」「教えすぎない。」ということが、最近の中学生年代の選手にはとても重要になっていると感じています。同じような考え方がレポートされているコラムがありましたので、ご紹介させていただきます。2005年8月9日浅野賀一「スポーツナビ 」より。 サッカー王国復活へ「清水スペシャル・トレーニング」 ●●近年、低迷するサッカー王国清水の現状を打破するために、2004年4月から始まった清水地域の若手選手育成プロジェクト「清水スペシャル・トレーニング(通称スペトレ)」。小学校5年生から高校3年生まで年齢の区別なく約30人前後の優秀な選手を選抜し、一緒にトレーニングするという非常にユニークな形態で注目を集めている。初年度の昨年は1~3期に分け、合計37回のトレーニングを行った。今回は、その発起人の1人でNPO法人清水サッカー協会強化委員会委員長を務める風間八宏氏にスペトレ設立の経緯から実際の活動内容、清水におけるスペトレの位置付けやその根底に流れる思想などを聞いた●●(インタビュー・構成:浅野賀一 取材日7月19日 取材場所 清水商グランド)■スペトレの原型はすでにあった ――スペトレ設立の経緯を教えてください「現在の清水が、私たちの育ってきた環境と違って、一体感がなくなってきたということがまずありました。それで何から始めようかとなったときに、第2種、第3種、第4種(高校、中学校、小学校年代)それぞれ横の年代のつながりはありますが、縦の交流がほとんどない状態だったので、指導者が継続的に選手を把握できる体制作りを目指しました。そこから強化委員会(NPO法人清水サッカー協会強化委員会)が中心になって約1年をかけて清水中の指導者に声をかけて回り、そうして出来たのがスペトレです。これは、私たちが高校のときに始まった育成システムが原型になっています」(著者注:スペトレには、風間氏のほか、清水商業の大滝監督と大石氏、清水東高校の梅田監督、清水工業高校の大川監督、東海大翔洋高校の内藤監督、清水FCの前嶋監督などそうそうたる顔ぶれが名前を連ねている)――スペトレの原型となるシステムが昔の清水にはあったということですか?「堀田先生たちが中心となって作った『金曜トレセン』がそれに当ります。私たちの頃は、清水の指導者が小学生から高校生まで全てのカテゴリーの選手を把握するシステムがありました。そういう場があると指導者もそこに集まるようになり、縦のつながりもできます。問題点を修復するにしても新しいことを始めるにしても迅速に動くことが可能です」(著者注:堀田先生とは、清水サッカーの草創期を支え「清水サッカーの父」といわれる堀田哲爾氏)――選手の選出基準について聞いてもよろしいでしょうか?「特別な選出基準はありませんが、ボールと話ができる選手がスペトレのテーマです。ボールリフティングが上手ということではなく、ボールを使ってゲームができる選手です。基本的には指導者の推薦でメンバーが選ばれます」――選手の入れ替えは頻繁にあるのですか?「例えば、中学1年の選手がスペトレに入って、まだちょっと早いなと思ったら一度チームに戻します。そして、その子の指導者にもきちん状況を説明し、所属チームで2年生や3年生など上の学年の選手と一緒にプレーさせることなどを提案します。そうやって所属チームの指導者とコミュニケーションを密に取りながら、その選手の地力が付いてくれば再び入れればいいですし、逆に他の子が来ても全く構いません。スペトレに入れることだけがいいことではないですし、チームでやるべきこともたくさんあります。練習日を火曜にしたのは、それぞれのチームとの兼ね合いから週の頭がいいだろうということです」■「ストリートサッカー」の縮図 ――小学生から高校生までが一緒にトレーニングするという形態は、非常にユニークな試みですよね?「最大の目的は、子供たちに遊びの時間を与えてあげることです。私が小学生の頃は、中・高校生と遊んで喧嘩のやり方を覚え、やっていいことと悪いことの線引きを学びました。逆に高校生もそういう経験をしてきているので、後輩に教えてくれます。スペトレもそれと同じで、大人から子供まで誰が入ってもいい。南米で言えばストリートサッカー、そういう環境が昔の清水にはありました。それを今やると一体どんな化学反応が起きるかなと。 知らないところからみんなが集まる。高校生もいる小学生もいるチームもバラバラ、ポジションも何もない。そこにあるのは力関係だけです。それでポジションも自動的に決まりますし、『この中で何をするか』ということも自分で考えるしかありません。それが本来のサッカーです。高校に進学しても、プロに行っても、それからプロになって移籍したときも同じです。そういう個人が集まっていいチームになります。日本では始めから役割があり、それをこなせば安心というものを作ってしまいます。そうではなくて、それは本来、自分で見つけるものです。そのような意識は遊びの中でこそ磨かれるものだと思います」――小学生だけではなく高校生も伸びる?「小学生は伸びるだろうけど、中・高校生はどうなんだ? とよく言われますが、やってみたらどれだけ上手くなるか分かります。例えば、相手の身体をつぶしてサッカーをやってきた子はこの中に入ったらまずできません。なぜかといえば、小学生は背丈が小さいから身体をつぶそうとしても、つぶせない。小さい子が足元に来ればボールを動かさないといけない。最初は高校生がそれをできませんでした。『こんなはずじゃない』とみんな言っていましたね。 ここで重要なことは、ボールが扱えて、駆け引きができることです。それはどんな相手にも通用するサッカーの根本的なものです。だからその基本を押さえてないとここでは遊べない。まず、高校生をちゃんとしなければならないということで、高校生からアプローチを始めました。小・中学生よりも、むしろ高校生の方が先に成果は出てきています」■「フィジカル」と「プレッシャー」の意味 ――サッカーに求められる要素は共通ということですね「この子たちにいつも言っていることが『フィジカル』と『プレッシャー』の意味です。相手と身体をぶつけ合うのがフィジカルではありません。自分主導で時間や場所を作ることが大切で、フィジカルも技術だということです。プレッシャーについても同じ。ただ早く詰めることがプレッシャーではありません。例えば、自分の技術を信用している選手は詰められてもプレッシャーを感じません。下手だから感じるのが『プレッシャー』、上手いから感じられるのが『ノープレッシャー』、そのような意識付けを徹底しています」――具体的なトレーニングメニューとしては?「まずボールを使ったウォーミングアップから始まって、ゴールを使ったトレーニング、最後はゲームという流れです。種目それ自体よりも、その中身が重要です。例えば、ボールを蹴るというのは何か、ボールを止めるというのは何か。それを私たちが実際にやって見せてあげることで、1人ひとりに自分たちで考えさせ探させます。そうすると、今まではボールを止める感覚が3メートルだった選手が、1メートルの感覚を意識できるようになる。内容は全員一緒です。簡単にできることではありませんし、それに時間を費やして終わります。それができてしまえば問題ないですし、そこから先は自分で見つけていくものです」――そのような技術を追求するためには指導者の確かな目が必要ですね「スペトレの指導方針は、清水の中で一番技術の高い子供たちに、できるかできないかギリギリのテーマを与えていくことです。例えば、その子が1メートル50センチ感覚のトラップが出来るならば、1メートル40センチを目標に設定し、1メートル20センチならば1メートル10センチを目指すようにさせます。ギリギリの目標を指導者が見極めて子供たちに与えていくので、指導者の力量はすごく問われますね」――1年目を終えて手ごたえはどうでしょうか?「子供たちも指導者もスペトレに入ることで、大きく伸びる人がいます。そういった『化学反応』はすごく新鮮ですね。全体的には、この1年間で指導者の基準がはっきりしてきました。それは段階を踏んできたからで、フィジカルやプレッシャーの意味についても共通理解がもてるようになってきました。子供たちも指導者もやらなければならないことの基準が次第に明確になってきたと思います」■正解は子供たちの中にある――子供たちの指導は正解がない難しいテーマと言われますが「正解は子供たちの中にあります。それを引き出すことが重要であって、指導者が思ったことを子供たちにやらせるのではありません。人から言われてやるような選手は絶対に上には行けませんし、そうではなくて自分で考えてやるということをまず子供たちに伝える必要があります。その作業が一番難しいですし、指導者の能力が問われます。指導で気を付けなければならないことは、自分の目で見て足りないことばかりに手を出さないことです。そのような方法では抜けた個性は出てきませんし、永遠に何かが足りないままです」――最後にスペトレの今後の目標をお聞かせ願います「目標というのは特にありません。あとは子供たちがやるだけですから。勘違いしたらいけないのは、指導者がいいから子供が育つということではなくて、あくまでも成長するのは選手がいいからです。指導者はそのための環境作りをするだけです。サッカーがうまくなる道は、本来は自分で探すものです。それ以外は誰も助けてあげることはできません。私たちの仕事は、それを子供たちにきちんと伝えてあげること。どこに行っても自分の意思を持って自分の技術を持ってサッカーができる子がいっぱい出てきてほしいですね」●●取材に訪れた日は、スペトレ第1期の最終日ということでゲーム中心のメニューが行われていた。特に決まったポジションもなく、小さな小学生から高校生までが一緒になってボールを追う光景は、まさに「ストリートサッカー」を感じさせる。実際にゲームを見て驚かされたのは選手たちの技術の高さ。中には“プロ顔負け”のレベルに達している子供もいた。「すべては子供たちのために」。風間氏ら清水の指導者は多忙の中、時間を割いてボランティアで子供たちの指導を行っている。清水にはサッカーへの深い愛情に裏打ちされた、強力なバックボーンがあり、その力が結集され正しい方向に働けば、サッカー王国清水の復活にそう時間はかからないだろうことをこの取材を通して確信した●● <了>サッカーゴール前の攻防
2005/11/01
2005年10月09日竹内桃子「スポーツナビ」より。変わりつつあるクラブチーム高円宮杯第16回全日本ユース(U-18)選手権激闘の終わりを告げるホイッスルが吹かれた時、サンフレッチェ広島F.Cユース(以下、広島)の選手たちは次々とグラウンドに倒れ込んだ。一方では、ヴェルディユース(以下、ヴェルディ)の歓喜の輪が喜びを爆発させていた。 8日に行われた「高円宮杯第16回全日本ユース(U-18)選手権」の準決勝2試合目は、ヴェルディが3-2で広島を制し、決勝への切符を手にした。クラブユース選手権との2冠を狙うヴェルディと昨年の覇者広島というクラブユースの雄が激突した一戦は、今大会ベストゲームの一つに数えられる熱戦が繰り広げられた。そしてまた、これまでのクラブチームのイメージを覆す試合でもあった。■緊迫した攻防の連続 先制点はあっけなく訪れた。前半10分、ヴェルディの征矢(そや)貴裕のCKに、広島DFがヘディングで競ると、こぼれ球がヴェルディDF坂口達也のもとへ。フリーの坂口は落ち着いてこれをゴール左隅に決め、ヴェルディが先制した。しかし、それから後半の半ばまでは、長く重苦しい展開が続いた。 4-3-3の攻撃的布陣を敷く広島に対し、ヴェルディの柴田峡監督は「相手の中盤が3枚なので、ボールの出所を押さえるために、数的同数を作ろうとした」という3ボランチ作戦に出た。両チームともディフェンスラインを高く保ち、コンパクトなスペースの中に20人がひしめく展開。互いにパスをつなごうという意図は見えるが、スペースの消し合いで、なかなかシュートまで持っていけない。ヴェルディの守備ラインを統率する坂口によると、「ピッチがスリッピーだったので、ラインを高めに設定した」という。第1試合の途中から降り始めた雨は上がっていたが、グラウンドにはまだ雨粒を残していた。広島は3トップの一角、平繁龍一が再三ドリブル突破を試みるも、ヴェルディの堅いディフェンス陣をこじあけることはできず、パスコースはことごとくふさがれた。前半に放ったシュートはヴェルディが2、対する広島は4。緊迫したレベルの高い攻防が続けられた。■激闘の果てに 後半に入り、ヴェルディは高橋大樹に代わり、5試合で3得点を挙げていた征矢智和を投入。後半7分にはキャプテンの三原直樹を下げて、FWの河野広貴をピッチに送り込む。1点をリードするヴェルディが先にカードを切った。それでも試合の流れは変わらず、FW2人の投入が功を奏することはなかった。一方の広島も、攻勢をかけようとしてもヴェルディの堅守の前になかなか突破口を見つけられない。 均衡が破れたのは、後半23分。カウンターから征矢智が左サイドを一人で突破し、得意の左足で追加点をゴール左隅にたたき込んだ。ここから目が覚めたように、広島の猛攻が始まる。26分にはゴール前の混戦から抜け出した中野裕太がシュートを試みるも、ヴェルディDFが数人でブロック。きっちりと守りながら、少ない好機をカウンターにつなげるヴェルディの戦いぶりは相変わらずだったが、流れは確実に広島へと傾いていった。 そして迎えた後半30分、FW木原正和の放ったシュートがゴールポストをたたき、その跳ね返りを平繁が決めて、広島が1点を返す。 ここで広島は、ヴェルディDF陣が「パニックに陥った」(坂口)という作戦で勝負に出た。残り15分というところで、178センチととりたてて身長が高い訳ではないが、ヘディングに強いDFの槙野智章を前線に押し上げたのだ。4バックの一人をゴール前に張り付かせるという意表を突いたさい配。しかし後半35分、リスクの代償として、広島はペナルティーエリアの外でヴェルディにFKを与えてしまう。キッカーポジションには弦巻健人と征矢貴。征矢貴の蹴ったボールは、直接ゴール左隅に吸い込まれていき、3-1とヴェルディが広島を突き放した。 ここで勝負あったかに見えた。しかし、広島の選手たちがあきらめることはなかった。後半38分、右からのクロスをヴェルディDFがクリアし、こぼれたところを中野がゴール右隅に決めて、1点差に詰め寄った。広島の怒とうの攻撃は続く。柏木陽介が右サイドで勝負し、ゴール前にクロスを上げると、走り込んできた遊佐克美がシュート。これはゴールマウスを捉えることはできなかったが、広島は捨て身の攻撃を繰り広げた。ヴェルディDFはギリギリのところで持ちこたえていた。試合終了間際には、右CKからの混戦に、広島が3度シュートチャンスを迎えたが、ヴェルディのDFにいずれも阻まれた。そして、キャプテンの槙野を筆頭に、最後まで攻めの姿勢を貫いた広島イレブンにとっては非情なるホイッスルが吹かれ、3-2のまま試合は終了した。■内容で勝って勝負に敗れた広島 試合後の記者会見で広島の森山佳郎監督は、「ゲームでは負けていなかったが、勝負に負けてしまった」と語った。シュート5本で3得点のヴェルディに対し、広島が放ったシュートは15本。特に後半のシュート数は11本に上った。 昨年の高円宮杯で優勝を飾った広島だが、前田俊介(現・サンフレッチェ広島)ら6人をJリーグのトップチームへ送り込む、タレントぞろいだった昨年のチームと、今年のチームは常に比較されてきた。夏のクラブユース選手権では1勝もできずにグループリーグ敗退という辛酸をなめ、王者といえども、この試合に賭ける選手たちのモチベーションは非常に高かった。そして、その気持ちは最後まであきらめないプレーに表れていた。試合終了後、倒れ込んで涙する選手たちを見て、森山監督は「そこまでの気持ちで戦っていることが分かり、勝たせ切れなかった自分にも責任を感じる」と心境を吐露した。2日前、状態の悪いピッチでの鹿児島実業高校との戦いで体力を消耗していた広島の選手たちは、中1日という厳しい日程に、万全のコンディションではなかった。「選手たちの気持ちとノリで負ける気はしなかった」と森山監督は語ったが、実際、強い勝利への欲求が、この日のプレーの原動力となっていたのだろう。後半残り15分での槙野の上がりについても、戦前のゲームプラン通りのさい配であったが、槙野の強い希望で、予定より3~5分は早い決行となったのだという。■ギリギリの勝負を制したヴェルディ ヴェルディの柴田監督は試合後、決勝進出を決めた勝利にも「試合内容は褒められたものではなかった」と厳しいコメントを口にした。もちろん勝利という結果を評価した上で、さらに高いところを目指すがゆえの発言だろう。確かに、終盤の予期せぬ槙野の上がりに、「慌ててバタバタした」(柴田監督)のは事実だが、早々と先制した後に見せた、したたかな守備には円熟味さえ感じさせた。 決勝の相手は、コンサドーレ札幌ユースU-18に決まった。2年連続3度目のクラブユース同士の決勝カード。最後の決戦に向けて、柴田監督は「1対1の対応をしっかりし、もっとボールをつないで支配したい」と、ヴェルディの目指すサッカーへの実現に意気込みを見せた。常に自分たちのサッカーを貫くだけの「きちんとした個々が確立されていない」(柴田監督)というヴェルディは、決勝ラウンド初戦のガンバ大阪ユースとの対戦でも、守備的布陣を徹底。試合ごとに相手に合わせたサッカーを行ってきた。複数のポジションをこなすことができる選手が多く、その都度変わる戦術を全うできる能力を選手が備えているからできることである。 ヴェルディの選手たちが自ら設定した今年の目標は、昨年の広島も成し遂げられなかった「三冠達成」だという。クラブユース選手権で優勝を果たし、高円宮杯はファイナリストまで上り詰めた。Jユースカップはグループリーグが始まったばかり。道のりはまだ遠いが、柴田監督のもとで日々厳しい練習を積んでいるヴェルディの選手たちにとって、実現不可能ではないだろう。坂口は「今はメンタルが以前より強くなり、チームも一丸となれている。走ることで、体力以上に精神的に強くなっている」と語った。「クラブチームはテクニックには優れているが、フィジカルやメンタル面で弱さがある」とこれまで紋切り型のように指摘されてきた。しかし、この日のヴェルディや広島、また札幌の選手たちのプレーを見れば、それは間違いだと分かる。クラブチームも体力・精神力の重要性に気づいており、その弱点を克服しつつあるチームが今大会でも結果を残している。高い技術に体力と精神力が加われば、最強のクラブチーム、ひいては世界の舞台で互角に戦えるだけの強い選手がもっと育ってくるだろう。
2005/10/18
本当の「質」は、勝負のかかったギリギリの状態からしか習得できないということなのかもしれません。育成年代の指導の在り方について、あらためて考えさせられるきっかけとなったコラムでした。2005年10月03日平野貴也「スポーツナビ 」より。 エリート意識を捨てた名門ヴェルディ高円宮杯第16回全日本ユース(U-18)選手権 ■専守防衛の選択 プライドを捨てた才能は、勝負強かった。近年ではクラブユース出身の日本代表選手は増加傾向にあり、“クラブユースの選手は個人技のレベルが高い”という風評が高まっている。ユースに所属する選手たちは、ハイレベルなセレクションを通過し“将来のJリーガー候補”の期待を受ける若者たちだ。このため、ユースチームにはエリートのイメージが漂うこともある。ましてや、名門中の名門であるヴェルディユースには、ほかのチーム以上にエリート意識があっても不思議ではない。 しかし、高円宮杯第16回全日本ユース(U-18)選手権大会の1回戦で優勝候補のガンバ大阪ユースと対戦したヴェルディユースは、技術ではなく精神面を全面に出した戦いぶりで勝利をつかんだ。4-5-1の布陣を敷いたヴェルディは、いきなり引いて守りに入った。ボールを奪われると素早く自陣で守備体制を整える。攻撃面では、1トップのエルサムニー・オサマのキープ力と、攻撃的MF高橋大樹の走力に賭けるほかなかった。攻撃的なセンスに定評があり、第2種(トップの試合に出場する可能性を持つ高校生以下の選手)ながらトップチームにも登録されているMF弦巻健人も守備的な位置で起用。ガンバの生命線となるダブルボランチからの攻撃を止めにかかった。一方のガンバ大阪ユースも、宮本恒靖、稲本潤一、大黒将志ら日本代表勢を筆頭に多くのJリーガーを輩出している名門だ。9月に行われた仙台カップ国際ユースサッカー大会では、U-18日本代表に3名を送り込んでおり、この世代では最強との評判を得ている。今夏行われた第29回全日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会ではヴェルディが優勝しているものの、ヴェルディの柴田峡監督が「本当はこっちも1対1で勝負したいが、ガンバと中盤でがっぷり四つに組んだらボコボコにされる」と認めるほどの強さを誇る。戦力に劣る状況でも勝利を目指すサッカーを覚えることも必要という理論の下、最終的には守備的な戦術で臨むことを決断した柴田監督だが、ガンバの強さは守ることさえままならないほどに際立っていた。■「魂を込めた」ディフェンス この日大活躍したヴェルディの1年生GK高木駿は「ガンバは中盤から前の選手が全員、得点能力を持っている」と話したが、まさにそれを痛感させる試合内容だった。G大阪の中盤は左から、U-18日本代表の安田理大、中央に倉田秋、横谷繁、右に安田晃大という布陣。4-4-2の中盤に並んだ選手全員が自信を持ってドリブル勝負を仕掛けていった。前半、ヴェルディはセットプレーから先制点を挙げる理想的な展開に持ち込んだが、ガンバはすぐさま安田理が左サイドから送ったセンタリングに2トップが同時に反応するコンビプレーで同点に追いついた。後半もガンバの攻勢は続き、得点は時間の問題に思えた。しかし、ヴェルディは守備陣を中心にすさまじい奮闘を見せた。特に目立ったのが、GK高木と古川将大、坂口達也のセンターバックだ。度重なるピンチも途切れることなく声を掛け合ってしのいだ。後半開始直後には、坂口が「上げろ、オラー!」と叫んで押し上げの遅かったディフェンスラインに気合いを入れ、後半20分過ぎの給水タイムには古川が「ここから勝負だよ」と、守備一辺倒で走り疲れの見えたイレブンを鼓舞した。個人能力の高さを存分に発揮するガンバとは対照的に、ヴェルディには泥臭さが漂った。しかし、柴田監督就任から徹底的に走り込みを行ったヴェルディは、最後までガンバを食い止めた。個人能力では圧倒されたが、どれだけボールを回されても、ドリブルでちぎられても、最後まで粘りに粘った。その戦いぶりは「みんな技術はそれなりに持っていると思うけど、気持ちや体力の土台がなければ、それも生きない。監督が柴田さんに代わってから、メンタル面もすごく鍛えられた」という高木の言葉に十分な説得力を与えるものだった。90分を戦っても勝敗は決まらず、試合は延長戦にもつれ込んだ。ガンバ優勢の展開は最後まで変わらなかったが、ついに攻め疲れから中盤が間延びしてタレント集団の個人技が機能する時間は減っていった。延長後半の終了間際、ガンバは最後のチャンスに怒とうの波状攻撃を仕掛けたが、ヴェルディは「点を取られなければ、負けはない。魂を込めて守った」高木のビッグセーブ2連発と「簡単に飛び込まないように気をつけてやっているが、あの場面は『ヤバイ、行くしかない』と思った」坂口の体を張ったスライディングでゴールマウスを死守した。■クラブ王者に慢心なし 延長後半終了のホイッスルが鳴った時、PKを得意とし、チームメートのキックの巧さも熟知している高木は「負ける気がしなかった」という。押されながらも守り切ってPK戦にまで持ち込んだ試合の流れが、その気持ちをさらに後押ししたに違いなかった。ヴェルディは高木がガンバの2本目を止め、キッカー5人は全員が成功。耐え抜いた末の劇的な勝利で最強チームを破ってみせた。エリートとしてのプライドを捨てた守備のサッカーは、必ずしも誰もが満足するものではなかっただろう。攻撃陣は、サポートのない状況で得点を狙わなければならず、ボールを持てばすぐに囲まれ、失えば攻めに守りに走らされる厳しい役回りを強いられた。また、本領を発揮できなかったという不満に関しては、守備的MFを務めた弦巻も同じだ。延長の後半に入ってからようやく攻撃に回った弦巻だが、左足首に負傷を抱えている上、守備で疲弊し切った体では思うように動くことはできなかった。しかし、最強のガンバを超えたいという思いは、皆同じだったようだ。弦巻は「トップチームに入ったら、どこのポジションでも試合に出たいから、守備的MFをやるのも苦にはならない」とポジティブに考え、試合に臨んだという。最強チームを下したヴェルディだが、そこにおごりはない。柴田監督は「うちは絶対的な強さがないから、今後の試合についても戦い方を考えなければならない」と、勝ってかぶとの緒を締めた。高木や坂口も「ここで満足したら次がない。気持ちを切り替えないといけない」と口をそろえる。目標はあくまで優勝だ。弦巻は「この大会が真の日本一を決めるんでしょ?」と目を輝かせた。勝利の哲学を体で学ぶヴェルディユースは、残り3試合でユース世代2冠達成を狙う。柴田監督は「高校選手権で高校の選手が伸びるように、厳しい試合をしていけば、選手は伸びる」と、選手のさらなる飛躍に期待を込めた。エリート意識をかなぐり捨てた名門の挑戦は続く。
2005/10/17
●勝つことだけが全てではない。大切なのは一人ひとりのスキルが向上すること。●『勝ち』だけを目指すと、シンプルになりすぎて選手の育成にはつながらない。●育成年代は『勝利至上主義』ではいけない。・・・J下部がスタートした頃はこんな理論が主流で「高校サッカーは『勝ち』を目指すところ、『選手育成』はクラブで。」などと言っているところも少なくなかった・・・。正論は上記の通りだとは思います。でも、こんなワタシでも近頃の中学生を指導していて思うことがあります。「本気で『勝ち』を目指させないと、今の彼らには手に入れることのできないことが結構ある。・・・」と。「自分自身」と「持っている力」を出し切らない彼らに・・・もう一度クラブ創設期の原点に立ち返り、一緒に熱く戦わせてもらおうかと、痛切に思っている今日この頃です。2005年10月11日渡邊浩司「スポーツナビ 」より。 到来するクラブチームの時代高円宮杯第16回全日本ユース(U-18)選手権 ■フィジカルと精神力の重要性に気が付いたクラブチーム これまでクラブチームは技術だけで、フィジカルと精神力が弱いと言われてきた。実際に指導者も、まずは技術ありきの指導をしていたようである。そのため、クラブチームと高校が対戦すると、クラブチームは走り負けたり、競り合いで負けることが多かった。だが、今ではクラブチームは着実に変わってきている。 グループリーグで敗退したアビスパ福岡U-18の藤崎義孝監督は「高校のチームが持っているひたむきさや気迫といった気持ちの部分をベースに、技術やスピードなどが加わるのが理想」と精神力の重要性を認めている。優勝したヴェルディとベスト4の広島は、夏にかなりの走り込みを敢行し、体力強化と苦難に耐えられる精神力を養ったという。札幌も、普段の練習にランニングメニューを取り入れている。決勝トーナメント1回戦で敗退した名古屋グランパスエイトも、昔に比べてフィジカルメニューをこなすようになったという。ただし、こういった走り込みやフィジカルトレーニングは、高校に勝つという目先の勝利を得るためだけに行っているわけではない。クラブチームのフィジカルトレーニングには「選手の将来を見据えて、ベースを作っていくため」(名古屋グランパス・神戸清雄監督)という意味があることも忘れてはならない。クラブチームが最初にフィジカルとメンタルのトレーニングに取り組み出したのは、高校のチームに勝つためだったかもしれない。しかし、今では名古屋のように、高校に勝つという目的だけではなく、長期的な選手の育成という視点から、フィジカルと精神力の強化に取り組んでいるクラブも存在する。■技術も体力も精神力も もともと、才能ある選手はクラブチームに集まるようになってきたと言われる。クラブチームはプロへのエリートコースであり、恵まれた環境でサッカーができるからだ。日本代表にクラブチーム出身者が多くなってきたのは、この流れによるものだろう。 こういった流れは、高校年代だけでなく中学年代からすでに始まっている。クラブチームのJrユースには、各地から才能豊かな子供が集められ、エリート教育を受ける。その中で選ばれた子供だけがユースチームに昇格できる。セレクションから外れた選手は、高校か、ほかのクラブチームに移ることになるのだが、名古屋の神戸監督も「うちのJrユースからユースに上がれなかった選手は、サッカーの有名高校から引く手あまたですよ」と言うように、Jクラブの選抜からもれた選手であっても、サッカー強豪高校からしてみれば、才能豊かでぜひとも欲しい選手なのである。このことは、大会のパンフレットを見てもうかがい知ることができる。今大会に参加した選手の前所属を見ると、高校の選手にも、クラブのJrユース出身者が非常に多いのである。星稜高校と鵬翔高校にはガンバ大阪のJrユース出身選手がそれぞれ4人登録されているし、広島観音高校にはサンフレッチェ広島Jrユース出身者が8人もいる。市立船橋高校には、ジェフ千葉出身者が多い。これは、ユースの選抜から外れた選手が高校サッカーに進むという流れができつつあることの一つの現れではないだろうか。 もちろん、ユースへの選抜にもれた選手がユースの選手より劣っている、と一概には言えない。中村俊輔が横浜マリノスのJrユースからユースに進めずに、桐光学園に進学し、その後Jリーグ入りを果たした話は有名であるし、ガンバ大阪のJrユースから星稜高校に進学し、卒業後に名古屋入りを果たした本田圭佑の例もある。ユースに上がれなかった悔しさをバネに努力を重ねて、Jリーグ入りを果たした選手も少なくないだろう。 だが、そういった個人レベルでの例外はあるにせよ、チーム全体として見ると、選抜して選手を集めたクラブチームの方が、各ポジションにまんべんなく才能ある選手をそろえやすいのは事実である。高校の選手がクラブチームと試合をすると、「クラブチームの選手は技術があって、ボールをきっちりつないでくる」と口にすることが多い。これは、クラブチームの方が、各ラインにまんべんなく技術のある選手をそろえている証拠だと言える。ヴェルディが優勝し、クラブとしては3つ目の優勝チームとなった。そして決勝は、昨年のサンフレッチェ広島ユースvsジュビロ磐田ユースに引き続いて、2年連続でクラブチーム同士の争いだった。さらに、今大会ではベスト4のうち、3チームがクラブチームである。これらのことは、高校からクラブチームへ、ユース年代の覇権が移りつつある兆候ではないだろうか。 クラブチームが体力と精神力の重要性に取り組みだしたことで、日本のユースサッカーは「技術か体力・精神」ではなく、「技術も体力も精神力も」なければ勝てなくなってきた。そして、それを実行できる土壌があるのは、高校よりも、タレントを多くそろえやすいクラブチームだと言えるだろう。今大会の結果は、クラブチームの時代が到来しつつあることを告げているのかもしれない。
2005/10/11
9月1日の日刊スポーツにW杯アフリカ予選に出場している各国代表チームの愛称が紹介されていました。2002日韓共催大会のときに中津江村でキャンプをおこなったカメルーン代表チームの愛称が「不屈のライオン」というのはご存知のかたも多いかもしれませんが、その他にもたいへん興味深い愛称が多かったので、ご紹介させていただきます。※●国名・・・「愛称」(意味)●トーゴ・・・・・・「エペルビエーナ」(タカ)●ザンビア・・・・・「チポロポロ」(弾丸)●セネガル・・・・・「リオン・デ・テランガ」(テランガのライオン)●コンゴ共和国・・・「ディアブル・ルージュ」(赤い悪魔)●マリ・・・・・・・「エーグル」(ワシ)●リベリア・・・・・「ローン・スター」(孤星)●ガーナ・・・・・・「ブラック・スターズ」(黒い星)●南アフリカ・・・・「バファナ・バファナ」(少年)●コンゴ・・・・・・「シンバ」(ライオン)●カボベルデ・・・・「シーラング」(盾)●ブルキナファソ・・「エタロン」(種馬)●ウガンダ・・・・・「クレーンズ」(鶴)●コートジボアール・・「エレファンツ」(像)●カメルーン・・・・「リオン・インドンタブル」(不屈のライオン)●エジプト・・・・・「ファラオズ」(王)●リビア・・・・・・「グリーンズ」(緑)●スーダン・・・・・「ソコール」(タカ)●ベナン・・・・・・「エキュルール」(リス)●アンゴラ・・・・・「パランカス・ネグラス」(黒い操縦かん)●ナイジェリア・・・「スーパーイーグルス」(最強のワシ)●ジンバブエ・・・・「ウォリアーズ」(戦士)●ガボン・・・・・・「パンテール」(ヒョウ)●アルジェリア・・・「フェネック」(砂漠のキツネ)●ルワンダ・・・・・「アマブビ」(ハチ)●チュニジア・・・・「エーグル・デ・カルタージュ」(カルタゴのワシ)●モロッコ・・・・・「リオン・デ・アトラス」(アトラスのライオン)●ギニア・・・・・・「スターズ」(星)●ケニア・・・・・・「ハランビー・スターズ」(ハランビーの星)●ボツワナ・・・・・「ゼブラズ」(シマウマ)●マラウイ・・・・・「フレームズ」(炎)それぞれの国のサッカーに対するイメージみたいなものが、少しだけ垣間見れてとても面白いですよね。
2005/10/09
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