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2012.03.06
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カテゴリ: 夕張
 夕張に行ってきて、除雪作業の今昔なんかを目の当たりにして、あの頃はよく、生活していたものだと思い知らされた。私が年齢をとり、昔を懐かしむようになったことが大きいのだが、それにしても夕張は特殊な街だった。今では同じ夕張に住んでいた同世代の友人としか話せないようなことを書いてみたいと思う。私が夕張に住んでいたのは昭和30年から48年までなので、その辺をおさえていただきたい。
 最初は暖房についてだ。昭和30年代には、暖房の主流は石炭や薪ストーブだったと思う。石油ストーブが主流となったのは昭和50年代からではないかと思うのだが、これも私の感覚だけの話で、というのは、石炭の街夕張では、もう、職場、学校、家庭もすべてが石炭ストーブだった。各家庭(社宅の炭鉱住宅)には石炭小屋(一坪ぐらいの小さな物置)が備えられており、石炭は会社から無料で運ばれてくる。30年代始めには、馬車で運んでいた。その後は小型トラックになったが、売るほどある石炭なので、いくら燃やしても無尽蔵に配給される。各家庭には、ストーブの横に、石炭箱(大びんビール24本入りケースぐらいの大きさ)があり、ここに大き目のバケツで石炭小屋から運ぶのは一仕事だった。冬場は外の石炭小屋で石炭が凍りつき、スコップで砕かなければならなかった。そして、石炭箱には「じゅうの」と「デレキ」がささっていた。(当然続く)





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最終更新日  2012.11.12 23:37:00
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