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自分でも久しぶりにこのサイト見たらスパムがすごいね。誰も見ないようなサイトなのにご苦労様です。 ところで、先日、日産の研修センターの近くから横浜駅西口行きのバスに乗った。自宅の前を通り過ぎる。この風景か、姫ゴンが見ていたのは。同じものが見れてちょっと感慨に耽った。 ケネス・ブラナーのハムレットのDVDを買った。 忘れていたけど、昔の英語では"it is"を略すると"it's"じゃなくて"'Tis"になるんだったね。そんなこんなで英語の字幕で観ていてもさっぱりちんぷんかんぷんです。昔勉強してけっこういい成績だったんだけどね。 では、また。
2008年06月18日
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あけましておめでとうございます。いまバルトリが出ているモーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』のDVDを観ています。美しい音楽の宝庫だ。っていうかよくもこんなに次から次へとメロディを使い捨てるかのように思いつくもんだな。訳の日本語変だけど。このリブレットはダポンテが最初はサリエーリのために書いたとのこと。明日は長唄の新年会。行きたくないな。それはそうと、今年も引き続き、姫ゴンからの連絡待ってます!マトバも万が一これ読んだら連絡して。まあ、だれでもいいや。めーるしてみる☆
2008年01月04日
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トヨタでの過労死についての記事を読んだ。その前には日産の業績についての記事。世界のトヨタの労働環境がひどいことは昔から有名だけれども、マスコミはあまり報じない。トヨタはリコール隠しもしているけど、三菱みたいには報じられない。言論の自由!報道の自由!こんなものは嘘っぱちだ。言いたいことは言えないし、マスコミは報道すべきものを報道しない。 日産は業績が悪い。ゴーン神話崩壊だとか言われている。姫ゴンはまだ日産で働いているのかな。最後に話したとき、かのじょは新入社員だった。こんど、フェアレディZを試乗してくるって言っていた。 最近、かのじょのことをよく思い出す。手元にかのじょのフラメンコの写真がある。急に呼ばれて行ったから、フィルムの準備が出来ていなくて、うまく撮れていない。ぶれている。でも、そのぶれた写真をよく見る。踊っているかのじょの姿は決して美しいとは言えない。けれども、ぼくにはとてもいとおしい。あの顔。あの姿。笑い声を思い出す。また、ばかなことやってるの! そうだよ。ぼくは一生、道化のように過ごすのだ。 日産の業績が悪い。かのじょがまだ働いているなら、トヨタの社員のようなことにならなければいいけど。かのじょは頑張り屋さんだから。元気に過ごしていてくれれば、ぼくも嬉しい。 かのじょに会いたい。 友人にあんたの記憶は幻想だよ、美化されているんだよ、と言われた。確かにそういう面はあるだろう。しかし、恋なんて幻想そのものではないか。幻想のない恋なんてない。会えたとしても、あんたは会わない方がいいよ。「王子」なんて馬鹿みたい。そう、馬鹿だ。でも、あなたはぼくとかのじょとがどんな関係にあったのか知らない。ぼくは王子で、かのじょはぼくのお姫様だった。ぼくたちは純真で、あらゆる日常を非日常化した。世界中でぼくたちだけだろう。そういうことができたのは。 かのじょに会いたい。ぼくのシャルロッテ。
2006年12月08日
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Tと話しているとき、ぼくはふと、あらぬ方を見て、ぼけーとしている。どうしたの?なんでもないよ。なんでもないって、話し聞いてないでどっか見てたよ。いや、どこも見てないよ。考え事してたんだよ。何を考えていたの?なんでもないよ。 それから詮索が始まる。 なにかのきっかけで、かのじょのことを思い出してしまう。会話の内容、Tのしぐさ、風景、場所、かすかに聞こえる物音、そうすると、ぼくは「将門」の光国が、妖術で意識を失うように、知らずにあらぬ方を見ている。ぼくがどんなふうに、どんなに無神経にかのじょを苦しめてしまったのか、その風景を想起し、胸が痛くなる。 思い出すとか想起するとか、そういう表現はあまり適切でない。頭を占領される、そういった感じだ。 それにしても、どうしてぼくはこんなにかのじょに執着するのか、なんだか自分でも気持ちが悪い。尋常ではない。かのじょが目の前に現れたら、迷うことなく、ぼくはTと別れるだろう。 そごうなんかに行くと、かのじょがどこかにいるのではないかと、そわそわしてしまう。もしかしたら、プリンを食べに来ているかもしれない。まだ働いているなら、会社も近いし。 とっぴで大げさな想像力、因果関係の把握における著しい錯誤、こういった事柄は明らかに狂気の兆候だ。
2006年03月07日
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一週間前か、横関とダークロと酒を飲んだ。 久しぶりに鳥安に行った。相変わらず、焼き鳥が安くて、うまい。 たしか4号店だったと思うが、新店舗がオープンしていて、そこに行った。 店員がドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の大審問官について話していた。さすが、高田馬場だ。横浜の居酒屋にそんな店員はいない。いても、孤立しているから、そんな話題は会話にのぼらない。 この前、いつ会ったのか、覚えていない横関は相変わらずだった。 何年ぶりの再開にもかかわらず、昨日別れたばかりのように、ぼくたちは話しこんだ。 姫ゴンについて聞かれた。よく、横関に相談していたからだろう。 ぼくはすっかり、ぼくはというか、ぼくたちはすっかり学生のときの気分に戻り、文学青年だった。 文学に恋愛はつきものだ。 ぼくはいまだにかのじょに未練があるが、そのことは言わなかった。言わなくても横関には分かる。それほど、かれとは時を同じくした。 かれもまた、過去を引きずっているのだ。ぼくたちはあまりにも無垢で、だからこそ向う知らずだった。向う知らずの恋は情熱的で、再び訪れることはない。 かれはぼくより大人でそのことを知っているようであった。ぼくは知らないのだ。だから、あきらめることができない。
2006年01月15日
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いつも使っているシャンプー。以前通っていた美容院で売ってもらった。もともと、美容師さんの手荒れを防ぐためのシャンプーと言うことで、頭皮にもやさしい。頭皮が弱いぼくにはうってつけ。コストパフォーマンスもとても高いので、一度試してみてはどうでしょう?
2006年01月10日
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法学教室定期購読st★★★★★★
2006年01月05日
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眠れない。これ以上、薬を飲むと確実に朝、起きられないので、我慢している。我慢というか、眠くなるのを待っている。仕事だから眠らないと、と思うと、ますます眠れない。お腹がすいたな。でも、眠る前に食べると、起きた後、胃もたれがはげしい。今日、用事があって、あざみ野までプントで行って来た。あの辺りに行くと、やはりかのじょのことを思い出す。いま、何をしているんだろうか?新横浜を経由して帰ってきた。国際競技場はいつのまにか日産スタジアムと名称変更したらしい。そういうものを見てもやはりかのじょを思い出す。ところで、進学予定の大学院の教授からメールが来た。以下、一部だけ引用人の言葉ではなく、自分の言葉で語るためには、広い素養が多分野にわたって必要でしょう。その意味で、君は大きな可能性を秘めていると思いますので期待しています。なぜ、こうやって、ほめられたメールなど引用して自己顕示欲を示すのかといえば、ひとえにかのじょに認められたいからだ。ぼくはやはり学問の道に進もうと思う。それがぼくの肌にあっている。
2005年12月26日
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普段、ウィルコム使ってますが、かなりの郊外に行くとたまにつながらなくなるので、こんなものを買ってみます。ボーダフォンのプリペイドケータイ。3000円で90日+180日使えるらしい。↑ 訂正60日+180日でした。月額維持費 350円くらい。待ち受けにいいです。異常に音悪いけど。
2005年12月01日
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来年から、とある大学院に進学することになりました。修士課程なのに、もう博士課程まで行くことが決まってるかのような教授からのラブコールがありました。この年でまた、学割とかつかえるようになるのって不思議というかおもしろい。というより、いったいぼくは一生のうち、何年間学生やるんだろう。現時点で、普通の人よりかなりオーバーしてるんだけど。追伸 早くそごうのプリン食べに行こうよ。一人で行くのはつらいのさ。周りの目が。
2005年11月06日
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前方に月が見える。車をいくら走らせても、月は遠く、同じ位置にある。 子供の頃、月が怖かった。父が運転する車に乗っている。月を見付ける。月はまるで「だれかの」目のようであった。月に見られるのが怖かった。なにもかも見透かしてしまうようなその瞳がいやだった。月が追いかけてくるよと、父に訴えた。逃げないと捕まってしまう。父は笑っていた。家に着くと、窓の外にはまだ月がいて、私を見張っていた。月に見られないように、母にカーテンを閉めてもらった。 時には、月がどのように私を見張るのか、どのようにして私から離れようとしないのかを探るために、屋根に登った。当時のわが家は、二階部分が一階の半分ほどの広さしかなく、半分は屋根だった。それで、二階の窓を開けると、屋根があり、容易に屋根に登ることができた。 その屋根を道路と反対側に行くと、柿の木があった。よその家の木だが、秋になるとよく、妹と柿を取りに行った。そういった共犯関係は私たちを親密にした。しかし、妹はいまだにそんなことを憶えているだろうか。 さて、月を偵察するには、屋根を道路側に進む。道路側には、敷居というか、壁のようなものがあり(わが家は酒屋を営んでおり、建物を四角く見せるための、舞台で使われるようなハリボテがあった。いまでも古い商家はこのような造りである)、そこに隠れることができる。 月に見付からないように、壁から少しだけ頭を出す、あたかも兵士のように。そう、まさに兵士のように、私は月と戦っていた。 私はかのじょのことを思い出した。久しく会っていないあの人は元気でいるのだろうか。そもそも、かのじょはほんとうに存在したのか。かのじょの幻影が私について回るのは、月が私について回るのと同じように、私の狂気のなせる技なのではないのか。 狂人には自らの狂気が分からない。 だれかが言っていた。だとしたら、かのじょもほんとうは最初からどこにもいなかったのかもしれない。かのじょにまつわるあらゆる記憶は、記憶が精神にのみ依存するその特性から、私の心の内にのみあるのかもしれない。もう、誰ともかのじょのことを話さないし、もちろん、かのじょと会ったこともないし、話したこともない。かのじょは死んでしまったのではないのか、あるいはかのじょは最初から死んでいたのではないのか、その考えが私の脳裏に浮かんだとき、私は身震いし、吐き気を催した。 車を運転していた。前方に月が見える。車をいくら走らせても、月は遠く、同じ位置にある。
2005年10月14日
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かなり前から姫ゴンに電話しても不通だった。現在電話は使われていません、、 それでかのじょはどこかに行ってしまったんだと思った。例えば、日本の電話が使えない外国にでも。 アドレス帳からかのじょの電話番号を消した。さようなら?そうは思わなかった。どこかで会えるに違いない。また、あの笑顔で呼び掛けてくれるに違いない。そういう確信があった。なぜなら、かのじょは生きているかぎりぼくのことを忘れえないだろうから。 なにを思ったのか、ふと、あの電話番号に電話をしてみた。ぼくはあの番号をどうしても覚えている。数字に愛を感じるとしたらあの番号だ。電話がなっている。自分の鼓動を感じる。誰かが電話に出た。中国人らしい男だ。もしもし、中村さんの携帯ですか?なかむらしゃん? 中国語らしい言葉でなにか言っている。なぜかとてもおびえた様子だ。何度か聞くと、日本人の男が出た。なんでしょうか?中村さんの携帯ですか?違います。 ぼくはすっかり空想の虜になってしまった。 もしかしたら、かのじょは?かのじょは生きているのだろうか?あまりに心配でぼくは自分のやるべきことに全く手がつかなかった。感受性が豊かなこのこころにこのような重大な疑念が生じると、ぼくはぼくの奴隷になり下がってしまうのだ。 どうにか確かめられないだろうか。そうだ。卒業時に配られた住所録。あれをどこかで入手しよう。
2005年10月14日
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どこかで「怪獣みたい」という言葉を聞いた。 怪獣姫ゴンはいまごろ何してるんだろう。 ぼくはといえば、ある試験の結果待ち。受かってるかなー?受かってるといいんだけど。 試験のためにいろいろと文章を書いていたので、このページや理髪師を更新するのがとってもおっくうになっていた。文体も論文調なので、切り替えも面倒だったし。 結構前に遠花火さんと電話で話した。あの人、やっぱり、おかしい。冗談きついよ。
2005年09月21日
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かのじょはアメリカにいるんじゃないかと思う。なぜかって、なんとなく。 日が経つにつれ薄れていく記憶にどうにかカビが生えないようにしている。そうじゃないとこんどかのじょに会ったときに困るから。googleデスクトップをインストールし、かのじょの名前で検索するとぼくのパソコンの中には思った以上にかのじょに関する文書が見つかった。もちろんそれらはすべてぼくが書いたものだ。 ぼくじしんも書いたのを忘れているものも多々あった。その多くは内容を読んでもよく分からないし、誰にも公開することなく、かのじょだけに読んでもらおうと書いたものだった。 かのじょと会うことを約束して、ぼくはとても緊張していた。そうした緊張の中で、どうしたらぼくはかっこよく見えるか、どうしたらかのじょを笑わすことができるか、そのとき付き合っていた女性とすぐに別れなければならない、どうその女性に言うか、そんなことをいろいろと考えていて、ぼくはすっかりてんてこ舞いだった。 約束の時間より早めに着こうと思って、家を出た。かのじょから電話がかかってきた。仕事で行かれないと言う。日にちをずらしてくれないかと。 のれんに腕押しというか、ぼくの妄想は果てしないところまで暴走していたので、とんでもない誤解、疑念が楽しい妄想の次にやってきた。オセロの疑念だ。 すっかりオセロになってしまったので、「ハンカチ、ハンカチ!」と道ばたで叫んでいたかもしれない。 それでぼくは、ぼくのデズデモーナを逆上して責めた。それ以来、かのじょと話していない。 しばらくするとそんな疑念はまったくばかげていた、またぼくのよくない癖が出たと、かのじょに謝りたくてしょうがなくなった。かのじょを汚れていると思うなんて、かのじょを冒涜することだと思った。なんでもぼくは極端に走りがちで、謝りたいと思うと、しつこく電話をした。ある時電話は通じなくなった。そんな頃、ぼくはいま読んでもよく分からない手紙を渡すあてもなくしこしこと書いていた。
2005年06月25日
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あっち(理髪師)に中村真一郎のことを書いたが、中村真一郎のことを思い出すのには、いろいろな要因があるんだろうけど、姓が姫ゴンと一緒だと言うこともひとつあると思う。げんにぼくは中村という名を聞くたびにかのじょのことを思い出す。 思い出すと言えば、シャワーに入るとき。ぼくは体を素手に石けんかボディーソープを付けて洗う。これはかのじょから教わったことだ。ぼくは肌が弱いから、その方がいいと。かのじょはそうやって体を洗っていて、ぼくが揶揄すると、かのじょはこの方が肌にいいんだよと教えてくれ、ぼくもそうやって洗うようになった。 耳も石けんを付けて洗う。耳の穴に石けんが入ったらなんとなく怖い気がしていたので、そんなことをしたことはなかったんだが、それもかのじょから教わった。王子は水泳しないから知らないんだよ、水泳したあとは石けんで耳を洗うものなんだよ。 そうしてぼくはシャワーに入るたびに、つまり不可避的にほぼ毎日、風呂場でかのじょのことを思い出す。 ぼくは一生かのじょのことを忘れないのだろう。かのじょはぼくにとってバルトの母のような存在なのかもしれない。
2005年06月17日
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わが家の近くを走る電車は山の多い横浜の谷間を這うように走っている。ぼくの部屋から駅を見ることができるのだけれど、駅の向こうには小さな山があり、その斜面にマンションが階段のようにある。1階、2階、3階、、、と階ごとに段差があり、まるで階段か、段々畑のようだ。こちら側も山になっており、それはぼくの部屋からすると、背後にある。その上には古くて大きな浄水場がある。 洗面所から出てきて、リビングを見ると、いとこのYが子犬をだっこして、窓の外を見ていた。ふと、妹かと思った。妹は子供の頃からずっとそうしてペットを抱いて窓の外を見ている。 その一瞬の錯誤がぼくにいろいろなことを想起させた。そういった錯誤におちいるのはぼくだけなのだろうが、そのような個々の光景に人がそれぞれさまざまな意味を読み込み、われわれの世界に対する認識というのも個々のさまざまな意味の読み込みによって成り立っているのだろうか。 そんなことはちょっとぼくには分からないけれど、この青い空の下で、あいかわらずぼくは感傷にふけっている。「内田樹の研究室」でこんな文章を見付けた。「宿命的な出会いとは、その人に出会ったそのときに、その人に対する久しい欠如が自分のうちに「既に」穿たれていたことに気づくという仕方で構造化されている、と。はじめて出会ったそのときに私が他ならぬその人を久しく「失っていた」ことに気づくような恋、それが「宿命的な恋」なのである。「初恋」が「二度目の(あるいは何度目かの)恋」として、眩暈のするような「既視感」に満たされて重複的に経験されるような出会い。私がこの人にこれほど惹きつけられるのは、私がその人を一度はわがものとしており、その後、その人を失い、その埋めることのできぬ欠如を抱えたまま生きてきたからだという「先取りされた既視感」。それこそが宿命性の刻印なのである。だから、どのような出会いも、作為なく二度繰り返され、そこに既視感の眩暈が漂うと、私たちはそこに宿命の手を感じずにはいられない。」 内田樹は思想家の中でもめずらしく愛を語る。それにしても、それにしてもだ。ぼくが常々書きたかったことはこういうことだった。書かれたものを読むと簡単なようだけれど、書くのは難しい。 姫ゴンとはじめて会ったとき、なんであれほど親近感を持ったのか。それは親近感などというものではなく、まさに失われたものを姫ゴンの中に見た。 ぼくがかのじょを忘れることはできないのは、その後の二人の関係もあるだろうけど、出会ったときの「既視感の眩暈」が大きいと思う。ああいう非日常的な出会いというのは後にも先にも一回限り、姫ゴンとの出会いのみだ。そして、なおかつ、その「既視感の眩暈」を二人で共有していたのだった。
2005年05月04日
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久しぶりに姫ゴンの夢を見た。ぼくたちは何年かぶりに出会って、再会を喜んでいた。どこだろう。景色のよい、見晴らしのよいところだ。初夏の緑が大洋の日に照らされている。姫ゴンはなにかおもしろいことを言って、ぼくを喜ばせた。相変わらずだ。相変わらず、変なことを言う。ぼくはそれが夢だと知っていた。でも、こんなに楽しい夢なら覚めない方がいいと思った。現実より夢の方が楽しいならずっと夢を見ていたい。 Tと一緒にいてもぼくはたまに姫ゴンのことを思い出す。Tが変なことを言うと、姫ゴンみたいだなと思う。Tの下着の干し方を見て、姫ゴンのようだなと思う。Tがまったく物語の中に入ろうとするとき、姫ゴンのようだなと思う。Tが恥じらうのを見て、姫ゴンのようだなと思う。そんなとき、ぼくの目はあらぬ方を見ているようで、Tからどうしたの?と聞かれる。なにを考えているの。なんでもない。なんでもないよ。心配しないで。
2005年04月15日
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村雨の降りみ降らずみ降る音を妻戸隔てて閨に聞くうたた枕の君ゆかし
2005年01月29日
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あれはなんというのだろうか。よくグラスで見かける青で染色された部分と白い磨りガラスで構成された彫りのあるランプの傘。窓際にそのランプが3つ並んでいる。ぼくも窓側にいるけど上にランプはない。天井に小さなしかし明るい電球が埋め込まれている。レシートを見ると18時39分入店だから3時間以上いる。病院に行ってきた。シャワーに入るのがいかに大変か訴えた。患者と医師が特別な関係になるのはよく知られている。ニューヨーカーズカフェでぼくは読書をしていた。病院の帰りにここによく来る。カフェラテにココアパウダーと蜂蜜を入れる。ゆっくりと飲むのですでに冷たい。直径10センチほどの灰皿はたばこの吸い殻でいっぱいになっている。 前には国際私法を勉強する学生が一人、右側にはニチビの生徒が4人いる。学生はちょこちょこと携帯を見て、『講義国際私法』と携帯を見ている時間のどちらが長いのか。ニチビの生徒は男2人、女2人。カップル二組のようだ。去年のクリスマスのことなど話している。時間が経つにつれ、窓からの冷気が身にしみる。かしましい喧噪の中で、ぼくは山にこもった修験のように活字を追い、その活字の構成する論理体系にわが身をゆだねたいと願う。 ふと、3時の方角を見た。見覚えのある顔だ。もう何年も会ってないから気のせいかもしれない。ラッキーストライクを手にし、口にくわえた。その顔を見た。あまりに見るので、向こうも見られているのを気づくかもしれない。しかし、気付いたらそれがだれか、だれだったのか分かる。その顔を見た。目を。鼻を。ほほを。唇を。歯を。あごを。ぼくは見た。ぼくにはだれだか分からなかった。
2005年01月18日
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なんてことはないんだけど、かのじょに電話をしてみた。だいぶ前から着信拒否に設定されていて、電話をしてもつながることはない。それはわかっているんだけど、なんてことはなく、たまに電話をしてみるのだ。携帯によって違うのでよくわからないけど、着信履歴を残すことで、ぼくは生きていますよ、そして、ぼくと愉快に話したかったら、いつでも電話どうぞ、とメッセージを残しているつもりでいる。 これはとんでもなく迷惑な行為だと思う。思えば、ぼくはとんでもなく迷惑なことばかりをいままでしてきた。そんな風にわが身を省みていると、とてつもない厭世観におそわれる。これはよくないことだ。おそらく迷惑な行為よりよろしくないことだ。 しかし、それがよいとかよくないとか、そういう問題にかかわらず、ぼくはわが身を省みようとし、ぼくのいままで生きていた道程にどれほどの失敗が多かったかと悔しむ。悔しがるということはああすればいまはこうだったろうという仮定と現状認識とを比較して悔しむのだ。はっきり言ってそういう根性は卑しい。と、思う。そういう仮定というものはたいがい仮定というよりも空想であるし、そういう空想を抱いていると現状にはいつまでたっても満足できない。現にぼくは不満たらたらなのだ。そして不満たらたらの人間はとてもつまらない人間だということも一応はわきまえている。 先月、つまらない仕事のため、何回か都筑区の方に行った。何回か行ったのでなんとなく地理もわかってきた。行くたびにかのじょのことを思い出す。そうしてなぜいまぼくとかのじょは一緒にいないのか、いぶかしむ。
2004年12月17日
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夢を見た。あまりにも一貫性がなく、支離滅裂なので記述するのは難しい。 夢には終始姫ゴンが現れる。しかし、姫ゴン自体は現れず、まるでいまのぼくの生活と同じように、かのじょの陰がいつもついてまわる。()の中は夢を記述しながら連想したこと。 ぼくは誰かと、女性だ、みそ餃子屋に行く。その店では、みそ餃子のほかにもメニューがあるが、すべて餃子で6種類ある。もやし炒め餃子など。その店はわが家の近く、最寄り駅の商店街に知らぬ間にできていた。もう電車もない時間なのに、外から様子をうかがうと店は混んでいた。それで、入ってみることにした。適当に注文する。店の中は料理のいいにおいで充満している。メニューのひとつにうどん餃子なるものがあった。よくわからないので、店員に聞く。店員はしかめっ面をする。そんなことは聞くことではないし、知っていて当たり前だというように。とにかく、6種類(姫ゴンの誕生日は6月だ)すべて、おいしそうなものは2人前か3人前で、頼む。アルコールも注文する。そこは飲み屋のような雰囲気だったから、その店の雰囲気にしたがったのだ。出てきた餃子はかなりの量があった。中でもうどん餃子はまるですき焼きのような鍋だ。料理はうまい(五反田の料理屋)。しかし、あまりの量で残さざるをえなかった。ぼくも相手もおなかがいっぱいになり、ほろ酔い加減で会計をする。店員は相変わらず批難めいた顔でぼくを見る。ぼくは悪いことはしていないのに、なにか悪いことをした気がする。 家に帰る。父が寝ている。 ここまで書いて、頓挫した。書いているのがつらいからか。再開しよう。 父が寝ている。そこはしかし、いまになって思うと、わが家ではない。わが家とは間取りそのほか、すべてが違う。そこは天井までがガラス張りの大きな部屋だった。フローリングの床に布団を敷いて父が寝ている。ここでぼくは「ふとんをひいて」と入力した。「ふとんをひく」と「ふとんをしく」とを区別できないのは父ゆずりだ。(その部屋は早稲田のマンションを想起させる。) 父の横でぼくと女の子は寝る。女の子はいなかったかもしれない。女の子とは別の場所で寝たのかもしれない。父がなにか小言を言う。 翌朝、別の女性と会う。ぼくは寝ていた。着替えようとするとぼくの下着にナプキンが付いている。それは浮気の決定的な証拠だった。(姫ゴンと初めて寝た日、および、姫ゴンが浮気を発見した日) ぼくは家族全員から責められる。母から姫ゴンに連絡を取るよう言われる。姫ゴンに謝るべきだとか何とか言って。それとともに、姫ゴンが病気であることを知る。これは誰かかから伝えられたのか、なんで知ったのかわからない。日産に電話をする。かのじょの上司が電話に出る。とても迷惑そうだ。かのじょが病気のようなので、ぼくはどうにかして連絡を取りたいと申し出る。しかし、上司は断る。ぼくが何者かわからないからだ。仕方なく、ぼくは伝言を頼んで、電話を切る。------- 昨日、用事があって、都筑区に行った。見覚えのある風景、道もあった。ぼくはかのじょのことを考えた。かのじょが呼んでくれれば、ぼくはこうやって、すぐにでも駆けつけることができる。かのじょがまた泣くようなことがあればぼくはこうやってすぐに迎えに行けるのだ。会いたかった。
2004年11月19日
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このページも最近全然更新していないので、更新しようと思った。もともとこのページは姫ゴンを追想するためのものだから、つまりは最近あまり追想しなくなった。追想するにはあまりにも時間が経ちすぎたし、ぼくの知っている姫ゴンはまだ22かそこらの若い女の子だった。あれからどれくらいの時が流れただろうか。かのじょはいったいいま何歳なんだろう。そんなこともぼくは忘れてしまった。社会に出てかのじょはすっかり変わってしまったに違いない。変わっていないかもしれないが、ぼくほどの変化の無さということはないだろう。ぼくはといえば、姫ゴンと一緒にいた頃とたいして変わっていない。変わったのは、1,酒を飲まなくなった 2,女遊びをしなくなった 3,痩せた 4,死にたい願望がなくなった。自覚できるのはこれくらいだ。つまりぼくの上質な部分のみが残ってぼくはますます自分が好きになった。 先日ある女性にぼくの過去を語った。過去を語るときの陰鬱さはなく、ぼくは朗らかに語った。そこ中には当然姫ゴンのこともあった。ぼくは姫ゴンとの楽しい日々を語った。もうそういった記憶からは嫌な事々は省かれていた。知らぬうちにぼくはかのじょとの日々を美しく楽しいものに再構成してしまったらしい。 薔薇ハウスを借りたとき、まだ何一つない6畳の部屋に二人で寝そべっていた。新しい畳のにおいが気持ちよい。墓に面する窓には緑のブラインドがかかっており、そのブラインドを半分ほど上げ、外に広がる東京の空を二人で見る。窓の形にふちどられた空はどこまでも続くようであり、まるでぼくたちの未来のようであった。ここに住むんだよ。ここに二人で。姫ゴンは怪獣らしい奇声を上げて、喜んでいた。なにかしらおままごとめいた事柄を相談し、ぼくたちは楽しかった。ぼくたちは永遠に一緒にいるものだと、口に出しては言わないものの、そう思っていた。
2004年11月06日
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あまりに疲れて帰ってきたので、めずらしく母が平気と聞いた。よほど疲れて見えたにちがいない。遊んで疲れているのと母は笑った。ほんとうに遊んで疲れていた。 まるでレンジファインダーカメラのように焦点が合わない。前の車が二重に見える。車幅感覚もよく分からないので車線をふらふらと越える。これでは無事に家に着かないだろうとプントを路上に止めて1時間ほど寝た。窓を開けっ放しにしているととても気持ちのいい風が入ってくる。だいぶ気持ちもすぐれたと思い第三京浜に向かった。しかし依然としてレンジファインダーカメラのピントは合わない。ようようのていで家に着くと部屋に入りすぐに横になった。 薬を飲まないで寝るとたいていいやな夢を見て目覚める。薬を飲んで寝るとあまりいやな夢を見ないのはその大量の薬の中に安定剤が入っているからなのだろうか。例によって今日もいやな夢に起こされた。 ずっとぼくの心を占めるある女性が落ちぶれている。とても厭世的になり、たとえば一人酒を飲んで男にだらしなくなっている。服装も乱れている。どういういきさつからかぼくはふたたびかのじょに出会う。わが家、それもいま住んでいるこの家ではなく、どこか、よく夢の中に出てくる、国道1号沿いの荒れた家にやってくる。その家は木造で部屋が多くまるで迷路のようだ。その家の一部屋にかのじょは陣取る。決してぼくを責めない。ぼくはその厭世的なかのじょの生活態度を心配する。いろいろと話を聞くが、どれもこれも昔のかのじょとは違う。かのじょはあまりに変わってしまってぼくはとても心配する。一方いま付き合っている女性もまた家にいる。二人がかち合わないようぼくは苦心する。どうしていいのか分からない。とにかく心配で悲しいことはかのじょがこれほどまでに落ちぶれてしまったことだ。 そうして目覚める。夢の中の心配は現実のものにちがいないと思う。目覚めてしばらくはあまりに心配でかのじょに電話しようかとも思う。しかし、18才の時からのフロイティアンであるぼくは夢を分析し、ぼくの欲望を知る。ぼくの欲望が汚らわしく思え、またいや気分におちいる。
2004年09月18日
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暴飲暴食はしていないが、姫ゴン曰く「寄生虫体質」は依然として活発だ。どこから金が出るのか、ポンコツカメラをものすごい勢いで買いあさって、撮りまくって、現像に出している。 今日、山に行った。山というほどの山ではないが、そこを林間学校の小学生のように歩き、登り、下った。そんなに山らしい山だとは思わなかったので、ビルケンシュトックのサンダルで行った。ここ1ヶ月ほど毎日サンダルで過ごしている。爽やかで気持ちいいし、足にもいいだろう。 行く前に母が作った餃子をたらふく食べた。暴飲暴食はしていないと冒頭に書いたが、考えてみると、暴食はしている。そして時に吐く。今日は餃子を餓鬼のように食い、山のある県立の公園へと車で向かった。 山を歩いていると胃腸が活発になったのか、おならがぷっぷと出る。一足を前に出すと、ぷっ、もう一足を前に出すと、ぷっ。まるでおならで動く機械のようにおならで前進した。足とサンダルの間に土が小石が入る。それはまだいい。訳の分からない小さな三葉虫のようなものがうごめいている。そんなものが素足に触れたらたいへんだ。かよわいぼくは気を失ってしまうにちがいない。三葉虫を入念によけ、頂上の見晴台までようようのていで着いた。 はるかかなたには新宿の巨大ビル群が蜃気楼のように浮かんでいる。その右手には新横浜が、左手にはみなとみらいのランドマークタワーがはっきりと見えた。山は気持ちがいい。
2004年08月03日
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最後にかのじょと話したのはいつのことだったろう。 最近ぼくは恋をした。恋をしたような気分になった。かのじょとはじめてあったときのあの興奮を久しぶりに覚えた。意外なところでぼくと彼女は出会い、音楽の話からさまざまな話をし、ぼくたちはそっくりだねと夜をふかして話した。彼女はピアノの先生だ。ぼくはすっかり彼女に魅了されてしまい、彼女もまたそうだった。 彼女はぼくに楽典を教えてくれる。遊びながら。ホ短調とト長調。ぼくは彼女に音楽史を、文学を教える。彼女はドビュッシーを弾き、ぼくは杵屋六四郎を弾く。彼女はカロミオベンを歌い、ぼくははつねの日を唄う。 幻滅しているぼくたちはこれからのことを話す。想像の中でぼくたちはいたるところに行く。幻滅しているぼくたちは想像の中で幸福を求める。時間を惜しんで話し、想像の中で慰撫される。 彼女の恋心は募るばかりだ。ところが不思議なことにそういう心の動きを見てぼくの心は冷えていく。彼女は姫ゴンではない。彼女はちっともおもしろいことを言わない。彼女はいひひと笑わない。彼女は真剣すぎる。彼女はほんとうに孤独ではない。彼女はほっぺがふくらんでいない。 サンセヴェリーナ公爵夫人の言ったことを思い出す。30を過ぎたいま22の時のように恋ができたら幸せすぎる。永遠に続くと思っていたものがあまりにも滅んでしまったのだから。
2004年07月10日
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ここ2年ほど常用している薬は同じなので副作用というものがどういうものなのか自覚できるものはない。寝る前に飲む薬をいま数えてみたところ全部で9錠。すごい量だ。その中にはアモキサンもある。飲まないとどうなるのか怖くて試したことはない。 最初の医者の時、効き目がないといって薬をころころと変えられた。で、飲んでしばらくするとものすごい眠気に襲われることがあった。姫ゴンと下北沢に行ったとき、突然眠気が来た。駅前の花壇に座り寝た。たまたま姫ゴンが友達に会ったらしく話していたらしいけど、ぼくは座りながら深い眠りに陥っていたのでまったくそのことをしらない。姫ゴンは花壇に座って眠りこけているぼくを友達になんと説明したのだろうか。その後、姫ゴンの知りあいのソプラノリサイタルに行った。楽しみだったので、一番前に座った。そして、リサイタルが始まるやいなや寝た。姫ゴンは怒っていたが、ぼくだって自分がいやだった。ごめんなさい、ソプラノの人。その眠気というのはまったくあらがえない眠気だ。何年もそういった薬を飲んでいると、そういった眠気に襲われることはなくなるが、やはり思考は鈍くなるようなので、朝飲む薬はなくしてもらった。それがよい結果をもたらしているのか、悪い結果をもたらしているのか分からないけど。
2004年07月09日
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そういえば、車購入の顛末は理髪師をご覧ください。
2004年07月06日
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整備に出していたプント・セレクタが帰ってきた。工場では症状が出ずに、なんとなく整備しておきましたとのこと。なんとなくか。助けて、くるまや姫ゴン。だいぶ走ったらしく、ガソリンが減っていた。ガソリン代返してくれ。 ところで、バッテリーがだいぶ古そうなので、交換することにした。行きつけのイエローハットで念のためバッテリーの電圧を見てもらうと「早めに交換した方がいいです」との結果。金額を聞くと取り寄せで2万以上とのこと。問題外だ。帰ってきてアレーゼ港北に電話すると工賃込みで16000円。アレーゼ横浜は17000円から18000円とのこと。で、結局自分で交換することにした。バスケスで注文。二日後に届き、ダイスケに工具を持ってきてもらい一緒に作業をする。絶縁軍手もおまけで付いていたのでありがたかった。作業を開始すると、わがプントにはバッテリーの上にあるはずのステイがない。もしかして欠陥車?とあやぶみながら、再度アレーゼ港北に電話するとステイはバッテリーの下部にあると教えてもらった。ついでにターミナルの錆をとる方法も教えてもらう。クレ556などのCRCを吹き付けて鉄のブラシでごしごしやるといいらしい。電気の流れもよくなるから吹き付けておいた方がいいといわれた。ありがとう、アレーゼ港北の人。 そうして、わがプント・セレクタは無事バッテリー交換完了。その後、走ってみたけど、なんとなく元気になったかなくらいの感想。エンジンの掛かりはあきらかによくなった。 いま、プント・セレクタの名前を考えている。車はイタリア語でla macchina、つまり女性名詞だから、ロジーナかスザンナにしようかなーと思っていると、Aちゃんがすてきなことを言い出した。ドン・バジリオ!ドン・バジリオか~。おもしろいな。
2004年07月05日
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夕飯は焼き肉だった。土建屋の社長が二人来ていた。二人で入札のことを話している。H建設の社長は入札額を事務員にスパイされたらしい。事務員が社長の入札額を他社に売った。その他、談合めかしたことも話していた。ぼくは肉を焼き、犬と遊び、白痴のように黙ってそれらの話を聞いていた。
2004年07月02日
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チョイノリを売ることになったので、書類一式を探した。薔薇ハウスに住んでいるときから使っているプラスチックケースのようなものに書類はしまってある。ごそごそといじっていると姫ゴンからもらった手紙を見つけた。これはぼくが書いた手紙の返事らしい。「ふたたび王子へ」と下手な字で書いてある。当時からこの字に愛着を持っていた。下手な字だけど、かわいらしい。内容は読まなかった。読むとつらくなるだろうから。あのころぼくは突飛なこと、つまり死ぬことばかり考えていて、とてもつまらない人間だったと思う。死はとてつもない誘惑だった。なにか美的なことに思えた。 かのじょのことを考えた。かのじょも社会に出てすっかりと変わってしまったことだろう。社会というものはおそろしいものだ。人間をすっかり変えてしまう。もしかしたら、かのじょはこれっぽっちも詩的なことを考えない人間になってしまっているかもしれない。もしぼくたちが会ってももうささいなことで笑いころがるようなことはないかもしれない。ぼくのだめさかげんを笑って喜びはしないで、冷笑するかもしれない。そう思うと悲しかった。 いつだか、姫ゴンの実家の近くに行ったとき、あの趣味の悪い観覧車をみたとき、うれしかった。かのじょのそばにいるような気がして。かのじょは転勤かなにかで横浜にはいないかもしれない。しかし、かのじょの見る、見た風景をこの目で見ることは幸福だった。
2004年06月22日
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・《もう四十五になったわたしが、少尉でさえ赤面しそうな無分別をやらかすとは!》……彼はまた劇場にひきかえすと、三列目の桟敷席を買おうという気をおこした。二列目の桟敷に伯爵夫人が入ってくるはずだから、そこからなら、誰にも気づかれないで、入ってくるところをゆっくり見おろすことができよう。たっぷり、二時間待たされたが、この恋する男にはそれほど長くは思えなかった。誰にも見られていないのを確かめると、彼は楽しげに、この狂気の沙汰にふけりはじめた。・「あなたに夢中ですとお誓いしたら、嘘になりますわ。三十をすぎたいま、二十二の昔のような形で恋ができたらあまりにも幸せすぎます。いつまでも続くと思っていたものが、ずいぶん滅びでしまったんですもの!あなたは大好きですし、どこまでも信頼いたしますし、男の方のうちではあなたが一番好きですわ」・「わたしの生涯はずいぶん長かったが、この生涯を閉じようとする死だって、おまえと別れるほどつらくはないだろう。わたしは財布をギータに預けておく。金がいるときはその中から使うようにさせるが、万一おまえが来て、ほしいといえば、残りを渡すように言っておくつもりだ。わたしはあの女を知っている。そんな風に言われたら、あれはおまえのために倹約して、おまえがはっきり言っておかない限り、肉などは年に四度も買わぬだろう。おまえにしても、貧乏しないとはかぎらない。そのときは、わずかばかりだが、おまえの古い友人の金が、役に立つかもしれぬ。」・ごらんのとおり、ファブリツィオは自分自身の想像力でわが身を苦しめる、あの不幸な連中の一人だった。・この短い問答の間にも、憲兵たちに取り囲まれたファブリツィオの態度はあっぱれなものだった。それはまことに誇り高く上品な表情だった。ほっそりとした華奢な目鼻立ちと、唇に浮かべたさげすむような微笑が、取り巻いている憲兵たちの粗野な様子と奇妙な対象をみせていた。だが、いってみれば、こうしたことはすべて彼の顔のうわべの表情にすぎない。ファブリツィオはクレリアの天使のような美しさにすっかり心を打たれ、目は驚きをそのままあらわしていた。彼女のほうは、深いもの思いにふけったまま、窓から顔を引っ込めるのを忘れていた。彼は敬意を込めた微笑を送りながら、彼女に黙礼し、ちょっと間をおいていった。「前にも湖のそばで、憲兵と一緒においでになるときにお目にかかったような気がいたしますが」 クレリアは赤くなった。あまり狼狽したので、なんと答えたらよいか言葉が見つからなかった。《あんな粗野な人たちに囲まれながら、なんという気品のある態度だろう》ファブリツィオに挨拶されたとき、彼女はそう考えていたのだ。深い同情の気持ち、さらにいえばほとんど愛情といってもいいような感情にひたっていたので、なにか適切な言葉を思いつくだけの機転がきかなかった。押し黙っている自分に気づいて、彼女はいっそう赤くなった。ちょうどそのとき、城塞の大門のかんぬきが乱暴に引き抜かれた。・ラッシ検事総長の来訪が告げられた。伯爵はほとんど横柄といってもいいくらいの尊大な態度で迎えた。「どうしたということなのだ、わたしが面倒を見ている陰謀家を、ボローニャでかどわかせ、そのうえその男の首を切りたがっているというのに、わたしに一言の挨拶もないというのは!わたしのあとに誰が首相になるのかぐらいは知っているであろうな。コンティ将軍が、それとも君自身なのか」 ラッシはうろたえた。上流階級の人間と付き合うことになれていない彼には、伯爵が本気でしゃべっているのかどうか、見当がつかなかった。彼は真っ赤になり、なにかわけのわからないことをぼそぼそと口にした。伯爵は彼をじっと見つめ、その狼狽ぶりを楽しんでいた。と、急に、ラッシは気負いだってアルマヴィーヴァに悪事の現場を見つけられたフィガロのように、ひらきなおって、声を張り上げた。「それでは伯爵さま、閣下にはまわりくどいいい方はよしましょう。聴罪司祭に告白するように、ご質問にお答えするとして、なにをちょうだいできるのでしょう。」「サン・パオロ勲章か金だ。出すか出さないかは君のほうで口実を作ってくれればいい」「サン・パオロ勲章のほうにしていただきたいものです。それだと貴族になれますからね」「ほう、検事総長。君は貴族などというわれわれの肩書きをいまだに尊重しているのか」・その翌日は、さらに幸福だった(恋とはどんな惨めなことでも、幸福に変えてしまうものなのだ!)。・《もちろん、あの人が死刑になったら、あたしは修道院にはいり、この宮廷の社交界にはもう二度と顔出ししないつもりだ。あのひとたちはみるのもいやだ。行儀のいい人殺しじゃないの!》・フェルランテはおさえきれぬ感激のままに答えた。「お言葉は無用です。わたくしは用いる手段ももう決めております。あの男が生きていることには、これまで以上に我慢できなくなりました。と申しますのも、あの男が生きている限り、もう奥さまにお目にかかれないからでございます。貯水池決壊の合図をお待ちしております」 そういって、彼はだしぬけに一礼すると、すぐに出ていった。 公爵夫人は彼が歩いていく姿をじっとみていた。 次の部屋にはいったところでよびとめた。「フェルランテ!なんというすばらしいひとだ!」 彼は、ひきとめられるのがじれったいというようすで、引き返してきた。この瞬間の彼の表情はすばらしかった。「あなたの子供たちはどうなるのです?」「あの子たちは、わたくしよりも金持ちになるでしょう。奥さまがあるいは年金をくださるかもしれませんから」 公爵夫人はオリーブの木でできた大きな箱を彼に差しだした。「さあ、あたしが持っているダイヤの全部です。五万リラの値打ちはあります」「奥さま、それはわたくしに対する侮辱です!………」 フェルランテは、ぞっとしたように体を震わせていった。顔つきがすっかりかわっていた。「決行までは、あなたに会うことはもうないと思うのです。おとりなさい。ぜひそうしてほしいのです」 と公爵夫人はいった。その堂々とした姿に、フェルランテは完全に圧倒された。彼はその箱をポケットに入れ、部屋から出ていった。 彼はまたドアをしめた。すると、公爵夫人がふたたび呼びとどめた。フェルランテはいぶかしげな顔をして、戻ってきた。公爵夫人はサロンの中央に立っていた。彼女は男の腕の中に身を投げた。一瞬の後、フェルランテは幸福のあまりほとんど気を失いかけた。夫人はその抱擁をすり抜けて、目でドアを指し示した。・聖ジェロラモの二つ折本の欄外をびっしり埋めた書き込みを、あっさり覚え書きなどといったのは、ファブリツィオもずいぶん謙遜したものである。この本を教誨師に返したあとで、いずれは別の本と交換できるかもしれないと考えた彼は、毎日毎日牢獄内の出来事をもれなく、この書物の余白に、きわめて正確な日記をしておいたのだ。毎日の大きな出来事とはいっても、それは神への愛(この神への、という言葉は、書くことをはばまれる他の言葉のかわりに使われていた)の与える喜びにほかならなかった。あるときは、この神への愛のために囚人は深い絶望におちいり、またあるときは、大気を通して聞こえてきた声にいくらかの希望がよみがえり、至福の喜びを感じることもある、といったしだいだった。こうしたことは、幸いにも葡萄酒とチョコレートと煤の牢獄用インクで記されていたので、ドン・チェザーレはこの聖ジェロラモの本を書棚に戻すときにも、ちらりと目を通したにすぎなかった。もし彼が書物の欄外に書かれたことを全部読んでいたら、ある日、囚人が、毒を飲まされたと思いこみ、この世でもっとも愛した人から四十歩と離れぬ場所で死ねることを喜んでいるのを知ることができたはずなのだ。だが、善良な教誨師とは別の目が、彼の脱獄後このノートを読んでいた。愛する人のそばで死ぬという美しい考えが、さまざまな形で書かれ、そのあとに、ひとつの十四行詩(ソネット)が書いてあった。この魂はつらい苦悩のあとで、二十三年宿ってきたはかない肉体を離れ、かつてこの世に生きたすべてのものにそなわる、幸福を求める本能に導かれ、自由になって、おそろしい神の裁きにより罪の許しを得ようと、ただちに天に昇って天使の合唱に加わろうとはしないだろう。現世の時よりも、死後にいっそうの幸福を得た魂は、長らく苦しんだ牢舎のほうに向かい、この世でもっとも愛したものとひとつになるだろう。「こうしてわたしは地上に楽園を見いだすであろう」とこの十四行詩(ソネット)は結ばれていた。・「わかっています」つんとした態度でクレリアは答えた。男は彼女を制止する勇気がなかった。二十歩ほど先に行くと、ファブリツィオの独房に通じる六段の木の階段のしたに、もう一人の番人がいた。赤ら顔のよぼよぼの老人である。これがきっぱりした口調で彼女にいった。「お嬢さん、長官の許可書をお持ちでしょうか」「あなたはあたしを知らないの?」 クレリアはこのとき超自然の力に動かされていた。自分がなにをしているかよくわからず、ただこう考えていた。《わたしは夫を救うのだ》 老番人が、「しかしわたしは役目がら……」などと叫んでいるあいだに、クレリアはすばやく六段をかけあがっていた。ドアに向かって走った。大きな鍵が鍵穴に入っていた。やっとのことでその鍵をまわした。そのとき、千鳥足の老番人が彼女の服のすそをつかんだ。クレリアは激しい勢いで独房の中に入り、服が引き裂かれるのもかまわず、ドアをしめた。老番人が後を追って中に入ろうと押してドアを押すので、そばにあった挿し錠をかけてしめた。独房を見渡すと、ファブリツィオは夕食をのせた小さなテーブルの前に腰をおろしている。クレリアはいそいでかけよってテーブルをひっくり返すと、ファブリツィオの腕をつかみながら聞いた。「もう食べたの?」 こんな風になれなれしいいい方をされて、ファブリツィオは驚喜した。すっかり動揺しているクレリアは、初めて女性としての慎みを忘れ、自分の愛情をみせてしまったのだ。 ファブリツィオは危険な食事をこれからはじめようとしていた。彼はクレリアを両腕にかきいだくと、いたるところに接吻した。・彼女が最後に言った言葉があまりにも意外だったので、ファブリツィオはその意味を悟って喜ぶまでにしばらく時間がかかった。クレリアはひどく腹を立てて逃げてしまうだろうと彼は考えていたのだ。やっと落ち着きをとりもどすと、ファブリツィオは一本だけの蝋燭を消した。クレリアのいおうとすることは理解したつもりではあったが、客間の奥に向かって進みながら、彼はぶるぶる震えていた。彼女は長椅子の後ろに身を隠していた。手に接吻したら、彼女が腹を立てるかどうかさえ、彼にはわからなかった。彼女は恋心に全身を震わせ、彼の腕の中に飛び込んできた。「ファブリツィオさま、どうしていままで来てくださらなっかたの!…・評判の高いP・夫人が、むかしもてはやされたチマローザのアリアを歌い出した。 あのやさしい瞳よ! はじめの数節は、ファブリツィオもじっとこらえていたが、やがて怒りは消え失せ、どうしようもなく涙があふれ出てきた。 (小林正訳『パルムの僧院』・集英社世界の文学版)
2004年06月11日
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理髪師のほうにも書いたが、しばらくパソコンから離れていたので、日記の更新を怠っていた。その間、いろいろな出来事があったが、書くことができることは少ない。 またもや、ぼくは偏執的に、姫ゴンにメールをしていた。恋する人間が平衡感覚を失うのは当然だと思う。かのじょは冷たくやめてくれと言ってきた。その文字を見てぼくがどれほど度を失ったか、どれほど当惑したか、どれほど落胆したか、思い出すと滑稽で楽しい。 しばらくするとぼくはぼくの役割を見付けた。またもやぼくは小説を持って自分を喩えた。ぼくはヒースクリフなんだ。ぼくのこの情熱はヒースクリフの情熱だ。そう思うと気が楽になり、すべての環境がそれらしくあり、と書きつつ、紅茶を入れる。久しく、ぼくは温かい紅茶を飲む。家で温かい飲み物を飲むという習慣は以前はなかったが、この頃飲む。ほんとうはコーヒーがいいんだけど、面倒くさいし、たばことの相性が悪い。たばこを吸いながらコーヒーを飲むと気持ち悪くなる。一杯くらいならいいんだけど、立て続けに何杯も飲むと気持ち悪い。吐き気がしてくる。それで、紅茶を飲んでいる。 この頃は家にとじこもりで勉強をしていることが多いからか、たばこの本数が増えた。ダイエットと禁酒をしているからか。とにかく口が寂しくぷかぷと吸う。昨日、わがポンコツ車、コロンボ2号でドライブをした。ドライブするつもりで家を出たわけではないんだけど、幸い雨が降っていなかったので、車を走らせた。相模原のほうに向かっていくと、16号が混んでいた。することがないので、バックミラーに映る自分の顔を見た。にこっとほほえんでみた。ぼくの大きな前歯が黄色い。ヤニだ。笑顔がずるいといわれたぼくの笑顔はヤニのせいで台無しだ。歯を磨きたくてしょうがなかった。道はだいぶ先まで混んでいるようなので、行き先を変えた。246で東京方面に向かってみようと思った。途中、トイレに行きたくなり、スーパーオートバックスに車を止めた。近くにあるチェッカーモータースという小じゃれた外国車販売店まで歩いていった。陳列してあるイタリア車を眺め、お目当てのフィアット・パンダを見付けた。新車がおいてある。イタリアではもう生産していないはずなんだが。店に入った。こんちには、パンダが欲しいんですが。ホストまがいの怪しい男が二人出てきた。なにかこそこそと話すと、一人が引きつった笑顔でこちらに来た。いらっしゃいませ。中古のパンダを探しているんです。予算はどれほどですか。ぼくは有り体に用意できる金額をいった。男の笑顔はさらに引きつった。それでもこう付け加えた。私どものお客様でアルファロメオなんたらとパンダを、近々海外に行かれるので仕方なく手放す方がいます。旦那様がアルファロメオなんたらに乗ってらして、奥様がパンダに乗っておいでです。7月か8月になってしまうと思いますが、査定にいらしたらご連絡しましょう。その金額では難しいと思いますが、10万円ほど幅を持って頂ければ何とかなるかもしれません。それでぼくはアンケート用紙のようなものに住所と名前を書いた。そして追い出されるように店を出たが、ぼくは大尽のように振る舞った。 コロンボ2号までたどり着くとドアになにか張ってある。スーパーオートバックスの店員がご丁寧にもタイヤのチェックをしてくれたのだ。4本とも×が書いてある。ひび割れしてます、スリップサインが見えています。1本、5500円から。 歯も磨きたいし、そろそろ暗くなってきたから家に帰ることにした。知らない道を通った。小さな山の麓に不気味に光る塔がある。緑色にライティングされている。きもちわるっと思わず叫んだ。しばらく行くとそれは塔ではなく観覧車だった。なんでこんな山の中にあんな気持ち悪い色の観覧車があるのか考えてみてもさっぱりわからなかった。さらにしばらく行くとひらけてきた。センター南だとか、何とか書いてある。ああ、この辺は新興住宅地だ。姫ゴンの家はこの辺にあるのだろう。新興住宅地はどこでもそうだが、何とも味気ない街並みだった。 帰ると、歯を磨いた。磨くというのはこう言うことなのだろうというくらいに磨いた。あまり磨きすぎは良くないと聞いたことがあるが、そんなことはお構いなしで磨いた。磨き終わり、鏡を見ると、笑顔は多少ましになった。
2004年06月09日
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さすがにこうも日が経つと姫ゴンのことを思い、胸が苦しくなることも少なくなった。一時期、ぼくはなんだか強迫観念とでもいうようなものにおそわれていた。ある事柄は明白に理由がわかったけど、ある事柄は理由が定かではなかった。それらの事柄をぜひともかのじょに謝らなければならない、そうして、それらの事柄をぼくがどれだけ深く反省しているのか、そのことをかのじょが理解したら、必ずかのじょの心は戻ってくるだろうと信じていた。戻ってくるかどうかはともかく、かのじょに謝らなければならない。かのじょはぼくのせいでとてもひどい仕打ちにあったのだから、謝らなければならない。かのじょの泣き声を、泣き顔を知っているのは、ぼくだけだ。かのじょの心が外界に対して防御を張っており、表面的な明るさの裏にはぞっとするような厭世観、諦観があるのを知っているのはぼくだけだ。ぼくは自分のした人でなしのような行為で、ぼくはかのじょにそんなことをするつもりはなかったのに、かのじょの淡い期待、恋心を人でなしのような、ようなではない、人でなしとなって踏みにじり、かのじょの悲しみはその後ぼくの大きな悲しみとなった。そうしてぼくは大きな責任を感じた。かのじょの人生を救えるのはぼくだけだという激しい妄想にとらわれた。その妄想はかえってかのじょを混乱させた。ぼくは、きっかけは何だったか覚えていないが、あることで、かのじょに執拗に電話をした。 だが、おそらく、かのじょはもうそんなことは忘れているか、あるいは忘れようとしているだろう。つまり、思い出したくないことを、寝た子を起こすとでもいうように、引っかき回すのはよくないことだと思う。それに、かのじょには好きな人もいて、ぼくとの関わりははなはだ迷惑だろう。 何人かに聞いた。かつての恋人を思い出すことはあるか。ある人は思い出すこともあるが何の感慨も持たないと言った。ある人は思い出すのは嫌なことだと言った。ある人は思い出すのは懐かしいと言った。ある人は思い出さないと言った。ある人は忘れられない、今でも好きだと言った。 久しぶりに徹夜をした。長い間、11時頃になると、薬を飲み、強制的に寝た。今日はどういう訳か眠れなかった。いろいろな事々が脳裏をよぎり、空想にふけっていた。空想は新たな空想を呼び、連鎖となって続いていく。あることは明るい過去の追想であり、あることは暗い来し方の追想であり、あることはこれから来るだろうことへの妄想であり、妄想かどうかというのは、朝日を見るとよくわかる。緑色のロール式カーテンに朝の強い光が照りつける。遮光カーテンではないので、光が漫然と部屋を照らし、カーテンの隙間からは光が直線となって部屋の一角を射る。日光は静寂とした夜の、ポオの大鴉のような暗澹とした夢見がちな気分を一掃する。 恋しいと思えば思うほど恋しくなる。会いたいと思えば思うほど会いたくなる。ならば、恋しいと思わなければいいのか。
2004年05月28日
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日記で誤記を見付けた。こうやってホームページに公開する日記を書くとき、いまの心境や、境遇など、ぼく自身が特定されるような事柄をなるべくぼかして書くよう心がけているので、誤記はすこぶる多い。公開する前に、必ず一通り、目を通して、間違いがないか、はっきりと書きすぎていないか、などチェックするんだけど、見付けられないものもある。敢えて間違いをし、ぼくの中に反逆するぼくがいるように。 で、今日のように、かなり時間が経ってから誤記を見付けたとき、あるいは、直裁に書きすぎたとき、あるいは、あまりにも迂遠に書いたため書こうと思っていたことが、文面から読み取れない、または、他の意味にとれるとき、そのまま訂正しないことにしている。 日記を公開するということはどういうことなのか。最初はとても破廉恥なことだと思った。下品だと思った。それでぼくはホームページを作りながらなにも書かなかった。いまはこうやって公開しているのだからもちろんそう思っていない。公開することを前提に書くと、視点が複数になる。
2004年05月27日
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フロイトも言うとおり忘れるということは何か重要なことを示唆している。ぼくはある時期のことをふっつりと覚えていない。それは繰り返し日記に書いたが。繰り返しといえばぼくはいつも繰り返しだ。この日記でいつも同じようなことを書いている。繰り返し書いているこのことがぼくにとって大切なことなのかどうかはわからない。わかる、わからないで重要性を判断するのならぼくにはわからないことばかりだから、ほとんどのことが重要であり、重要でないのだろう。 父方の伯母が亡くなった。今日、通夜だそうだ。ぼくは行かない。親戚が好きではない。みな奇妙奇天烈な宗教を奉じていて、宇宙人と話すとこんな感じかな、あるいは古代の人々と話しているのか、と大変な違和感を感じる。父の葬式でも変な儀式をやり出して辟易した。般若心経を唱える。般若心経には人生の大切な教えが書いてあるらしい。人生の大切な教えといえばそうかもしれないけど、なにが書いてあるのかたぶん知らないんだろう。岩波文庫から出ている現代語訳なんて見たこともないんだろう。あれを読んでこれは人間にとって偉大な教えである、と思うような人々なら、話してもおもしろいだろうけど。無知蒙昧な原始人が親戚にいると思うとむしずが走る。 亡くなった祖母はそんな原始人ではなく堅苦しいがいい人だった。子供の頃よくかわいがられた。だいたいぼくは利発だったので大人からはかわいがられた。最近はすっかりぼけていたらしい。好きな人のそういう姿は見ないに越したことはない。亡骸だって見なくていい。病気とか死は父のことでもう十分、人一倍経験したような気がする。伯母の亡骸が原始人たちの生け贄になっているのかと思うと腹が立つが仕方がない。彼らは伯母のことを祈るようなふりをして必死に自分たちの「幸せ」を祈願しているのだ。本当の原始人だったらいいのに彼らもまた現代の病にかかっている。「そぶり」を身につけているのだ。 原始人たちは父の葬儀の後、我が家へ押しかけてこようとした。父の降霊をやるというのだ。そんなことは60年代後半、無神論・唯物論の嵐にふらふらと揺られ、そのまま成長することなく永遠の文学青年だった父の生涯をけなすような、茶番にしてしまうようなことだ。ぼくは原始人筆頭にきつく断った。それ以来原始人たちは一切わが家に寄りつかない。だいたいぼくは葬式すらしたくなかった。葬式はするな、と死ぬ間際まで言っていたのだった。なまくら坊主が嫌いだった。父の好きな坊さんは親鸞だ。それから道元だ。わが家が古くから曹洞宗の信徒だったことを、父は少なからず誇りにしていた。曹洞宗は武家が好む宗派であり、わが家は武家であるからだ。そうして家系をよく調べていた。国会図書館などにもよく行った。いい加減な唯物論者だ。 マルクスは読んだことがない。よく言っていた。マルクスはまるで難しくてわからない。おまえなぞは頭がいいから、マルクスくらいわかるだろう。親ばかだった。 聞きかじりのフーコーの話などをよくしていた。酔って。フーコーは、、、。意味が全くわからなかったので内容は覚えていないが。フーコーは、、、ドストエフスキーは、、、トルストイはなんで死んだか知ってるか。酔うと必ず言った。トルストイはなんで死んだか知ってるか。トルストイはなぜ死んだか、世紀の秘密を抱えたまま、父は酔って死んだ。 さて、今頃は原始人たちが饗宴を催している頃だろう。
2004年05月24日
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ぼくは人に感情を伝えるのが苦手だ。苦手というか、できない。できた試しがない。それはなにか疎外とかそういう思想的な問題ではない。感情を伝達しなくてはならないようなとき、たいてい、白痴のように知らんふりをしたり、笑ってごまかす。そういうわけで、ぼくはいつも笑っている。しかし、それは、実は困惑しているのだ。人と密接な関係になるとどうしてもなにか発言しなければならないことがある。そういうとき、ぼくはいつも、小説にたとえた。 第一期。ぼくは恋するスタンダールだった。よく『パルムの僧院』を持ち出した。ぼくがファブリスで、相手はサンセヴェリーナ公爵夫人だった。相手はクレリアではない。サンセヴェリーナ公爵夫人だった。才知にあふれた情熱的な女性。 第二期。ぼくは中上健次の兄だった。歌舞音曲に、酒におぼれ、女性にもて、母を恨んだ。この路線では中上健次の兄を実践し、自殺を企てるという、大変な結末を迎えたので、中上健次の兄であることはやめた。 第三期。現在。苦沙弥先生。この路線は人に危害を加えることもなく、自分も楽にやっていけるので、当分の間は苦沙弥先生でいこうと思っている。
2004年05月10日
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かのじょは静かだった。あまりにも静かなのでそれは日常の、明日またやってくる出来事と思えた。荷造りをしていた。実家に荷物を送るのだ。本当に帰るつもりなんてないんだろうと思っていた。かのじょはかのじょの母親のことを口にした。お母さんも一人ではかわいそう。かのじょの父と弟は暴力をふるった。ぼくはどちらにも会ったことはない。父親は写真で見た。かのじょはどちらかというと父親似のようだ。お母さんとは直接会った。そのときぼくはなんと言ったらいいのかわからなく大変困惑した。ぼくがあなたの娘さんをたぶらかして何カ月も家出をさしているんです。かのじょがぼくの家に住んでいるのはまさに家出のようなものだった。かのじょがどう考えていたのかはわからないけど、ぼくには家出のように見えた。だからお母さんに会ったときぼくは誘拐犯のような罪悪感を覚え、何と言っていいのかさっぱりわからなかった。お母さんはこざっぱりしていて、気さくで感じのいい人だった。お母さんもやはりぼくになんと言ったらいいのかわからないようだった。 ところで、最近ぼくはそういった事柄をあまり思い出さないようにしている。そういったこと五とは全くぼくの精神にとってよくない。それにぼくがそういったことに引きずられているのはぼくの現在が貧弱だからないのではないかと考えた。だとしたらぼくは現在をどうにかすべきでいつまでも過去に拘泥しているのはよくない。一方、ぼくは恋愛というものについても考えた。誰かを好きになると言うことは常にぼくと相手との間には埋めることのできない溝があるのではないのか。そうしてその溝を埋めるためにぼくは一所懸命土を盛り、しかしそれはまた流れ、またぼくは土を埋め、そうしていくら経っても相手に近付くことはできない。捕まえたと思えばまた遠くにいる。。
2004年05月08日
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今日は憲法記念日なので、普段は考えないが、憲法について若干考えてみた。 「国益と君が代」参照。 「思想には税金がかからない」ということわざがある。なにを考えようが、国家はその個人に干渉しない、すべきでないということである。 また日本国憲法は19条で「思想および、良心の自由はこれを侵してはならない」と定める。 憲法について、いかなる立場をとるにせよ、規定がある以上、憲法によって授権された機関は憲法に反するいかなる行為を行ってはならない。国家(政府)も地方自治体も憲法によって授権された機関であるから、すなわち憲法を前提にしてその正当性が認められるから、憲法の規定に違反する行為を行うことは自己矛盾、自殺行為である。 思想および良心は内心にとどまるかぎり侵してはならないのかどうか。東京都教育委員会処分事件におけるように外部に現れた面をも保障するのか。内心にとどまるかぎりの保障と考えると、19条は骨抜きになる可能性が高い。というのも思想および良心は本質的に発露、行為、表現を伴う。 教員が卒業式において国旗に敬礼しないこと、国歌を斉唱しないことはかれの思想および良心に基づく行為である。かれの思想および良心が妥当なものかどうかは問題ではない。かれはかれの思想および良心に基づき国旗に敬礼せず、国歌を斉唱しなかった。 問題は二つある。ひとつは東京都教育委員会は事前に「入学式、卒業式等ににおける国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」と「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を各都立校に送り思想および良心に密接に関連する行為を強制しようとしたこと。そして、事後に通達と指針に違反した教員を処分したこと。 教育委員会の事前の行為は明らかに19条違反であり、事後の処分は、19条違反かつ人の内心の思想信条そのものを理由として不利益扱いしてはならないという14条違反であると思う。 東京都教育委員会の行ったことはぼくの目には突出した出来事とは思われない。犯罪の増加に伴って処罰は厳罰化の方向に向かっているし、これまで犯罪ではなかったものが犯罪化されている。イラクの人質事件ではわれわれの渡航の自由・表現の自由という権利の危機はほとんど問題にならずに、人質になった人々の責任追及論が横行している。人々は強力な権力を求めているようだ。なにか社会問題が起きるとすぐに行政の責任、不作為を問題にする。政府にそれだけ過大なものを要求するということは同時にわれわれの政府への服従を意味している。ぼくはこういうことはたいへん危険な傾向だと思う。
2004年05月03日
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早稲田を卒業した知人と話す。同じく第一文学部。先輩だ。なにかの研究をしているらしい。社会学だとか。どこかで教員をしているのか、学生が学問に全く興味を示さないことを嘆いていた。ペットを失って傷心らしい。ぼくと同じくロッシーニ好きだ。ロッシーニは食いしん坊だ。スタンダールの『ロッシーニ伝』のことを話す。スタンダールはロッシーニが食いしん坊とは書いていないので、食いしん坊になったのは引退した後なんだろう。そういえば、『ロッシーニと料理』という本にこんなことが書いてある。「短期の滞在でヘーゲルが見たオペラはメルカダンテ『ドラリーチェ』、スポンティーニ『オリエンピエ』、モーツァルト『フィガロの結婚』、それにロッシーニの『オテッロ』『ゼルミーラ』『セビリアの理髪師』『マティルデ・シャブラン』などであるが、彼はルビーニ、ドンゼッリ、ラブラーシュら、そうそうたるイタリア人歌手の声の素晴らしさに圧倒され、彼らの〈火のような強烈なワイン〉に比べれば、ベルリンの歌手は〈粗野で薄弱なビール〉のようなものだと印象を述べている。ロッシーニの音楽についても最大級の賛辞を呈しており、二度見た『セビリアの理髪師』をモーツァルトの『フィガロの結婚』より優れているのではないかとさえ思った。」(『ロッシーニと料理』新版180頁) これを読んだとき、ヘーゲルの美学ってけっこう卑俗だと思って安心した。 ADHDという病気(?)の人のはなしを聞く。注意散漫でだらしがなく約束を守らず部屋が汚いらしい。ぼくのこと?と思った。 その後、インターネットで下調べをした本を買いに横浜駅の専門書を扱う本屋に行った。立ち読みして、買うのをやめた。くだらない。ネットで買わなくてよかった。その代わりというわけではないが、待ちに待っていた本が出版されているのを見付け、購入した。先日、図書券をもらったので、ロブ=グリエの『反復』を買いに有隣堂に行った。平岡篤頼先生訳の新刊だ。無い。サロートの『生と死の間』も無い。無いというか、外国文学コーナーにはなぜか今更『薔薇の名前』が平積みしてあり、そのほか、オースターの本があるくらいだった。横浜随一の本屋がこんなんだとは横浜市民てほんとに馬鹿なんだなと思いつつ、文庫コーナーに向かう。岩波の『ザ・フェデラリスト』と高橋源一郎の『ジョン・レノン対火星人』を買う。 エクセルシオールカフェに行き、ひたすら勉強。ひたすらというか、気づくとかなりの時間が経っていた。いつものように耳栓をし。気分転換に『ジョン・レノン対火星人』の解説を読む。文庫の解説って難しいよなと思いつつ、内田樹はあいかわらずうまいなぁと嘆息。
2004年05月01日
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こんばんは、姫ゴン。あまりにも長電話だなと思って何回も電話していたら、ぼくは着信拒否に設定されているんだね。いままで、着信拒否にならなかったのが不思議なくらいだけど。 三味線2丁修理に出してる。お稽古つけてやるよ。姫ゴンにお稽古したことなかったもんな。ケイコに稽古。 あまりにもきみに執着していることを少し角度を変えてみてみようと思って、三軒茶屋について考えてみた。ぼくは何人の女の子と付き合ったかわからないけど、まあ、でも30にしては数は少ないだろうけど、こころに引っかかるのは三軒茶屋ときみだけだ。三軒茶屋とはちょっと数えてみたんだけど、たぶん4年以上話してもいないし、かおもみていない。引っかかる意味が全く違う。三軒茶屋は結婚したらしい。安心した。もしきみが結婚なんかするのなら、「卒業」みたいに奪いに行くだろう。たぶん、警察に捕まるだけだろうけど。 ぼくの言葉はすべてきみには空虚だろうね。きみはぼくのメールを読んだから。違うんだよ、って言っても、全く説得力がないのはわかっている。いくらなんでもそこまで狂っちゃいないからね。だからぼくもなにを書いていいのやらさっぱりわからない。 「二人椀久」って知ってる?踊りでもたまにやるけど。椀久が死んだ恋人松山の亡霊に出会うという筋だ。椀屋久兵衛という人は実際にいた商人だそうだ。傾城松山に惚れ込んで、松山が死んだあと、気が狂ったという。この事件は当時の人にもそうとう衝撃を与えたようで、お芝居や唄になっている。ぼくは自分が椀久なのではないかと思っている。「二人椀久」。美しい唄だ。 いまは心も乱れ候、末の松山、思ひの種よ、あのや椀久はこれさこれさ、打ち込んだ、とかく恋ひ路の濡れ衣(合)干さぬ涙のしっぽりと、見にしみじみと、かわゆさの、それが嵩じた物狂ひ 筒井筒、井筒にかけしまろがたけ、老いにけらしな、妹見ざる間にと、読みて送りけるほどに、その時、女も比べこし、振り分け髪も肩すぎぬ、君ならずしてたれか上ぐべきと互いに読みし故なれや、筒井筒の女とも、聞こえしは有常が娘の古き名なるべし 「君ならずしてたれか上ぐべき」なんてぼくのためにあるような言葉だ。 花も香もあるしこなしは一重二重や三重の帯、蒲団のうちぞ、そろかしく 薔薇ハウスのあの薄っぺらな蒲団でよく一緒に寝たね。寝物語が楽しかった。粋なことが大好きな、あの鼻が豚さんみたいな主人公、なんて名前だっけ。ああいう物を見つけてくるきみの感性が大好きだった。最初に出会ったときもそうだったじゃない。憶えてる?あのへんてこなレポート。 椀久もこうやって物思いをしているうちに本当に気が狂ってしまったんだろう。
2004年04月25日
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ギャンブル好きな俳人は言った。インターネットのやりすぎで岩窟王。そのほかにもラ・ミゼラブルだとか罪と罰だとかユリシーズだとかわめいていたが、どういった文脈で、どのような手法を持って世界の文学を当人の心的状態のたとえとしているのか、皆目見当がつかなかったので、忘れてしまった。なにやらいろいろとものを書いて2年で100万円貯めたという。エッセイだとかモニター報告だとか俳句だとか幕末の志士への思いを込めたクロスワードパズルだとか。 かの俳人はその前から書くことが好きだった。若い頃、真田広之を愛してしまい、あまりに好きなので、三日三晩眠れなかった。恋しくて恋しくて、彼以外のことを考えられなかった。椀久のようなものだ。そうしてその恋慕を原稿用紙に向かって綴り始めた。ファンレターを書こうというのだ。ふつうは原稿用紙にファンレターを書かない。かわいい便せんかなにかに書くのではないかと思う。俳人は机に座り原稿用紙にファンレターを一気呵成に書き上げた。枚数にして50枚。そこで本人もなにかおかしいと思ったらしい。これを送りつけてもどうせ捨てられるだけだ。それなら文学界新人賞に応募しよう。大きな封筒に文学界新人賞担当係と宛名を書くと胸のつかえがおりた。それから真田広之のことはすっかり忘れてしまった。ついでに恋するこころも忘れた。 さて、俳人は文筆稼業で稼いだ100万を元手に株を始めた。とりあえず買ったさくら銀行の株が3倍、つまり300万になったわけだった。いまはライブドアの株を狙っている。これからはITの時代だと思っている。 パチンコが好きだ。よく行くのは池袋や駒込。たまに足立区まで遠征する。あの雑踏がたまらない。うるさくて、思考が停止しそうなのに、活発になったりする。打ちながらメモをとる。たまにいい言葉が浮かぶ。いい言葉が浮かないときもメモをとる。300回転で当たったとか。それにあの音楽に洗脳される自分の意識の変移がたまらない。あの音楽に乗ってわたしはお札をどんどんつぎ込む。一番負けたのは一日に13万。派遣OLの仕事が終わると自然と足がパチンコ屋に向かう。やっと手にした職。でももう辞めようと思っている。パソコン出来ないから。面接の時、エクセル出来ますか?と聞かれた。エクレアですか?おいしいですよね、と答えた。パチンコ屋にはひとつ言いたいことがある。「パチンコ」という名称は品がないからやめて欲しい。これからどうするのと尋ねられたとき、パチンコに行くと答えるのは何とも間抜けでいやだ。もっと品のある、美的な名前がいい。たとえば、「エカテリーナ」とか「ボローニャの森」とか。これからエカテリーナに行くの、と言えば、なんだか気分もいい。 かの俳人に俳句を教えてくれと頼んだ。とっておきなのをまずひとつ。いわく、遠花火 少女まんがの 恋終わる これが某新聞に載って1万円に拝謁したそうだ。他にも教えてくれと言ったが、本にしてもうけるからその前に手あかが付くと困るのでだめだと言われた。
2004年04月24日
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昨夜寝る前にふと気になった。「確信犯」のことで調べて知ったが、ネット上で間違いやすい言葉がいろいろと取りざたされている。その中に「恋人」という言葉はあったかな。朝ご飯を食べ、顔を洗い、着替え終わり、調べることにした。なにを着ようかとごさごさと探していると薄手のしましまのズボンを見つけた。冬は寒いから全くはいていなかった。久しぶりに身に付けるときつい。おなかが苦しいし、もももぱんぱんだ。ちきしょう、とひとりごちた。 さて問題の「恋人」であるが、手元にある『新明解国語辞典』には以下のように書いてある。「恋人 その人の恋している相手。『永遠の恋人〈その人にとって理想像としての異性〉』」 そこで「恋」とは何かが気になるが以下。「恋 1.特定の異性に深い愛情を抱き、その存在を身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくない一方、破局をおそれての不安を焦燥に駆られる心的状態。2.(略)」 ここでは関係ないが、「恋愛」については次のように書いてある。「恋愛 特定の異性に特別の感情を抱き、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。」 すばらしい辞典だ。ロラン・バルトも顔負け。 ところで「恋人」だが、あまり使わないけど、使うとしたら、「その人の交際している相手」という意味に使わないかな。そうすると、上述の定義より狭い意味になる。 しかし、昔の小説を読むと、ぼくの憶えているかぎり、スタンダールのほとんどの小説と『ウェルテル』の日本語訳では、「恋人」という言葉は『新明解国語辞典』の用法で使われている。それらの小説で「恋人」という言葉に出会うとなんだか違和感を感じる。「恋人」という言葉の意味は変遷しているようだ。現に大辞林によると恋人は「恋しく思う人。相思の間柄にある、相手方。」とある。 間違いやすい言葉を検索すると、ずいぶん目くじらを立てて検閲しているようだけど、上記のように言葉は変遷する。
2004年04月11日
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ぼくはよく傍若無人だとか傲慢だとか無神経だとか図々しいとかなれなれしいとか、あるいは冷静沈着だとか舞い上がらないとか緊張しないとか言われる。しかし、人の性格は複合的で一面的ではないので、どれも当たっているし、はずれている。よく言われるというところに友人、たとえばダークロは疑問符を打つだろうが、これは女性に言われることだ。女性と男性では視点が違うのか、そういう大上段な疑問はさておくとして。でもぼくが無神経に見えるだろうということには察しがつく。なぜならぼくはあえてそういう風に行動しているから。 さっきふと思い出した。季節はいつ頃か、たしかいまのような春の頃だったと思う。大学の西門のあたりを一人で歩いていた。授業からの帰りかなにか。あのあたりは人がたくさんいる。たくさんたむろしている。かつては西門の前に学生会館があったからなのかもしれないが。ぼくはそこで姫ゴンを見たのだった。かのじょはぼくに気づかなかった。というのも話していたからだ。就職活動でもしているのかよれたスーツを着た、やせた背の高い男と話していた。ぼくはその頃かのじょとは付き合っていなかった。しかしぼくは嫉妬した。楽しそうに夢中に話していたから。ぼく以外と楽しく夢中に話すことなんてあるのだろうか。あんなにさえない男と。あれはだめな男だ。だってスーツがしょぼしょぼだし、ズボンの丈が短くて靴下が見えている。よく早稲田にいるタイプだ。へんてこな勉強ばかりしているか、趣味にかまけて、社会性のない男だ。きっと小説なんて漱石以外読んだことがないに違いないし、愛読書はよくもわからないのにヘーゲルとかで、そのくせ部屋にはアイドルのポスターとか張っちゃってるに違いない。現代思想は読んでないだろう。現代思想なんて読んでるやつはちがう変なかっこしてるから。それに就職先も「安定したとこ」を探しているんだろう。ああいうやつはたいがいそうだ。そうやってぼくはホームズよろしくその男の値踏みをした。ぼくはその男のにやけた顔つきにぞっとした。情欲に満ちている気がした。そう、ぼくは嫉妬していたのだった。 そうしてしばらく二人を見、ぼくはかのじょに気づかれないよう、構内に入った。決して見つからないよう法学部の校舎を通り、大学の反対側に出た。震える手で、言葉通り震える手でかのじょに電話をした。なにも見なかったことにして。その時かのじょはまだその男性と話していたのだろう。いまちょっと用事があるから、5分くらいしたら行くと言って、電話を切った。正門で待ち合わせをした。かのじょはうれしそうにやってきた。ぼくもうれしかった。ぼくたちは何事かを話し、笑った。
2004年04月10日
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以前ダークロにきみは分裂していると言われた。分裂!たしかに、そうだ。分裂している。精神分裂症という用語が分裂という言葉を比喩として用いているのに対し、ぼくの場合は文字通り分裂している。現在と過去に。 久しぶりに横関に電話した。家の電話は壊れているそうでたいてい出ない。もしかしたら出るかもしれないと電話してみたが、料金未払いで止まっていた。合コンのやりすぎか本の買いすぎなんだと思う。あるいは単に払うのが億劫なのか。 ひとりぐらしはお金がかかる。電話代とかガス代などを払のは億劫だし、なんだか払うのがばからしく思える。そうしてぼくもよく止められた。止められるのにはだいだい順番がある。1.電話2.ガス3.電気4.水道 ぼくは2まではよくいった。水道まで止められたことはない。水道が止められて致命的なのは炊事や入浴ではなく、トイレが使えないということだ。水洗トイレの場合、水道を止められると流すことが出来ない。昔風の落ち込むトイレだと水道が止められてもさほど問題はないと思うけど。 いまは知らないが横関も電気まではよく止められていた。暗い部屋にろうそくをともして入った記憶がある。かれの部屋は汚い。ぼくの部屋も汚いのでどんぐりの背比べだが、かれの部屋は大変汚い。ゴミと本と洋服であふれかえっている。だがかれなりに整理されているらしく、ろうそくで前を確認しながら、そこを踏むなとか、あっち行けとかいろいろと指示をされた。電気がついているときでもかれはうるさい。どうせ部屋中ゴミだらけだからとビールの空き缶などをその辺に置くと、おまえはほんとにだらしないななどと言って、どこに置くのか指示をする。ぼくにはそこに置くのとあそこに置くのとどう違いがあるのかよくわからないがかれの指示通りゴミを置く。 かれはたいへんな読書家だ。かれが知らない本はこの世の中にないのではないかというくらい本についての知識を持っているし、また読んでいる。かれだってJAVAやC言語の本だとかADSLtips集だとか川島武宜の『所有権法の理論』だとか『和声 理論と実習』だとか知らない本もあるだろう。そんなことは書くまでもないことだが。かれの守備範囲は「文学部で扱うもの」だ。文学部で扱うものなら、小説から詩集から哲学書から週刊誌からまんがからとなんでも知っているんじゃないか。いったいどこから情報を収集してくるのか不思議だった。いまならインターネットで簡単に情報が入るかもしれないけど、インターネットがそんなに普及していない頃でもかれに本のことを尋ねると、なにかしらの情報を得ることが出来た。ゴミの収集術ならぼくもひけをとらないが。
2004年04月09日
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誕生日は誰に祝われることもなく終わった。もう祝われるような年でもないのかもしれないが、なにか寂しかった。誰にもというのは言い過ぎだが。一人祝ってくれる人がいて横浜のフライデーズというレストランに行った。このレストランは外人の客が多い。なぜかみんな男だけど。ハワイにあるフライデーズは普通のファミレスだが日本のフライデーズはハードロックカフェみたいだ。好きなものなんでも食べていいよと言われたので、好きなものを頼もうとしたら、それはあんまり好きじゃないけどどうしても食べたいなら注文しなよと暗に(暗にではないが)拒絶されたので、他のものを注文した。なんたらのペペロンチーノ。それからチーズバーガーと、オニオンスープと、ピザみたいなものと、ダイエットペプシと温かい紅茶。なんたらのペペロンチーノではなく、なんたらのフェットチーネを食べたかったんだけど。一緒に行った人がウェイトレスにこの人今日誕生日なんですと言った。誕生日おめでとうございます。パフェいま持ってきますか?後にしますか?もうすべて食べ終わっていたので(ものすごい量の料理をぼくたちは30分かそこらで食べきってしまっていた)いま持ってきてもらうことにした。店員はほかの店員たちにバースデイと呼びかけていた。バースデイ。そして6人のウェイトレスがハッピバースデイをぼくの名前を織り交ぜて歌った。六連発のおめでとう。あまりありがたくなく、空しかった。そうして気違いじみた大きさのチョコレートパフェをほとんど一人で食べた。
2004年04月08日
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友人ととあることで確信犯についての話をした。確信犯の問題については感慨深い思い出がある。ぼくがいまあるのは一冊の本を読んだからだった。団藤重光博士は『刑法綱要総論』で刑法上、責任が認められるためには「期待可能性」が必要だと説いたあと次のように述べている。「第三に確信犯人は、つねに期待可能性がないことになる、とされる。しかし、かれを行為に駆り立てるのは、付随事情や人格的能力の弱さではなくて、かれの世界観--それが社会性を持つにせよ--である。したがって、それは、実は、期待可能性の問題ではない。それは『義務の衝突』の一種のばあいであるが、法的義務と超法的な義務ともいうべきものとの相克、法的価値といわば超法的価値との相克である。かれの世界観が法によって是認されないかぎり、かれは法による非難を免れない。かれみずからも、茨の冠を覚悟の上で行動する--しなけれならない--のである。確信犯人は法秩序の内部では救済されない。」(団藤重光『刑法綱要総論』第三版330頁) また、法と道徳との関連性について説いたあと次のように述べている。「第五に、右のことは、法と道徳との間にラートブルッフのいわゆる『悲劇的な葛藤』の可能性のあることをも、含蓄している。かれの指摘するとおり、法の規則的性格、道徳の確信的性格から現れる確信犯人は、そうした法・道徳の悲劇的葛藤の典型のひとつである。もし、その犯人のいだいている信条が将来、法によって是認されるにいたったあかつきには、かれは先見の明を持った英雄であったことになり、かれは自己を犠牲にして法の発展に寄与したことになるが、しかし、現時点においては、かれの行為はどこまでも犯罪である。犯人は自己の道徳的義務にしたがって反抗を敢えてし、裁判官は法的義務にしたがって--場合によっては涙をのみながら--犯人を処罰しなければならない。ラートブルッフが『悲劇的』というのは、そこに法・道徳のそれぞれの本質に根ざす根源的な葛藤を見出すからである。」(団藤重光『法学の基礎』39頁)
2004年04月05日
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二日ぶりにシャワーに入った。頭がかゆいし、体も汗くさかった。最近からだがじっとりとするような気がするのは思い過ごしだろうか。気候のせいか、年齢のせいか。昼間は天気がよかったのに雨が降っている。ぼくは雨が嫌いだ。子供の頃は嫌いではなかった。雨が降れば降るで楽しいこともあった。この時期雨が降るとカエルがたくさん出る。どこからともなく出てくる。晴れているときカエルはどこにいたのだろう。不思議だった。小さい、爪くらいの大きさの緑色をしたカエルがいる。ぼくはそのカエルが好きだった。よく捕まえて、連れて帰った。逃げないように拳を作りその中にカエルを入れていく。カエルはすっかり乾燥してしまい、体力を失う。家に着くとぼくはカエルのことなんて忘れてしまう。カエルはたいてい死んでいた。 シャワーを出るとぼくは自分を鏡に見た。爽やかな笑顔を浮かべている。ぼくではないようだ。ぼくはちっとも笑ってなんかいない。泣いてもいないし笑ってもいないし、泣きたいわけでもなく笑いたいわけでもない。何かをしたいわけでもないのに何かしそうな顔をしている。ぼくは自分の顔をじっと眺めた。ひげが伸びている。剃ろうと思ったがやめた。眉毛をそろえようと思ったがやめた。歯を磨いた。たばこの味が歯磨き粉に混ざって独特の味がする。電気の消えた台所に行き冷蔵庫からジャスミン茶を取り出しコップに注ぎ飲んだ。時計を見た。もう2時頃かと思ったがまだ12時をまわっただけだった。 シャワーを浴びている最中ぼくは何事かを考えていた。考えるということは言葉を発するということだ。だから考えるということは独り言である。あいかわらずぼくは来し方のことに思いを巡らせていた。ぼくのこころの志向は過去を向いている。時間の座標軸がずれている。これはつい最近気づいたことだ。 部屋に戻ると薬を飲んだ。今日は眠れそうもないので頓服薬を多めに飲んだ。この頓服薬を飲むとのどが渇く。普段から水分の摂取量が多いが、大変のどが渇き2リットルくらい、水かウーロン茶などを飲む。一度腎臓を痛めた。病院でとにかく水分を摂りなさいと言われた。ある夜、突然激痛に襲われタクシーに乗って東京女子医大に行った。あまりに痛いので気を失うんじゃないかと思った。ベッドに寝かされ鎮痛剤と点滴を打たれた。この点滴はなんですか、と看護婦に尋ねた。これは水分を補給するためのものですと看護婦は答えた。帰り際医師は、帰宅したらすぐに水を2リットル飲みなさい、ゆっくりではなくすぐに、大量に水分を摂取して排泄する必要がある、そんなようなことを言った。2リットルの水なんて飲めるはずがない、その時のぼくはそう思った。おなかがはち切れてしまう。実際2リットルの水を飲み干すことは難儀だった。それから水分を多めに摂ることが習慣になったのでいまになっては2リットルくらいの水やお茶はなんと言うこともなしに飲める。 シャワーを浴びながらぼくは姫ゴンのことを考えていた。元気にしているのだろうか。かのじょの笑い声を思い出した。甲高いような、なにか虫のような、くくくって笑うおもしろい笑い声だった。かのじょがよく笑うのでぼくもよく笑った。近頃はあまり笑わない。 ぼくの部屋の窓に対面して大きな桜の木がある。一時期ぼくは和歌に凝っていて、梅の木や桜の木を見ると枝を折り、自分の部屋に飾った。そうして散りゆく花にいにしえの歌人のの歌を汚い字でレポート用紙か何かに書き、捧げた。いろいろな歌を暗唱していたがたいがい忘れた。古今和歌集が好きだった。 もうすぐ誕生日だ。花の散る頃やってくる。 月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして
2004年04月01日
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多摩からの帰り、カーナビに従って帰ってきた。夜遅い時間だった。渋滞情報を考慮してカーナビは道を決めた。案内に従っていくと知らないところばかり通る。どこをどう帰っているのか見当がつかない。しばらくすると神奈川県に入った。それでも知らないところだ。だいたいぼくは行動範囲が狭いから知らないところばかりなんだけど。横浜市に入り道をくねくね走っていると見覚えのある場所に出た。あざみ野。タクシーがたくさん駅に向かっていく。この駅には来たことがある、車で。ああ、そうだ。姫ゴンと来たんだ。たしか。違ったかな。胸がむずむずした。何しに来たんだろう。本当に姫ゴンと来たのかな?いつ頃のことか。何でこんなところを通って帰るのか。早く帰りたいのに。さっき左に曲がったら2キロ先東名インターって書いてあった。東名のインターからならすぐに帰れるのに。何でこんなところ通るのだろう。何でむずむずしなくちゃならないのか。そんなことを思っているうちに明らかに見覚えのある広い道に出た。姫ゴンが昔住んでいたマンションのある道だ。姫ゴンに電話をした。圏外だった。もう一度電話した。着信拒否だった。ぼくは話したくてしょうがなかった。確かめたかった。あれはいつ頃のことだったのか。何のためにあざみ野駅に行き、そしてマンションまで車で送っていったのか。ぼくはぼくの自伝に記すために知りたかった。ぼくは全く覚えていないが、姫ゴンは覚えているだろう。 どこかの駅の近く、新横浜だったかもしれないが、どこかの駅の近くにラブホテル街があった。姫ゴンの家の近くだ。姫ゴンは子供の頃その近くをバスや車で通ると顔を下に向けたという。そういうところへは悪い人が行くのだと思っていたという。そういう悪い人が行くところへぼくたちも行った。汚いホテルだった。そこがどこなのかぼくは全く覚えていない。ぼくは東京に住んでいてほとんど横浜の実家には帰らず、したがって実家の車も使えなかったはずなのに、どうしてあざみ野駅に行き、マンションまで送り、悪い人が行くところに泊まり、そういえば、みなとみらいにも行き、ぼくは駐車違反の切符を食らったのだった。あれ以来車は駐車場に止めるようにしている。時系列が全くはっきりしない。そのころもぼくはかのじょが好きだった。恥ずかしがり屋で世間知らずで洋服の趣味も悪く、しかしとてもおもしろいことを考え出し、とても愉快だったかのじょを。 かのじょは本当にぼくがそれまであったことのある人の中でも飛び抜けて変なことを考え出し実行する天才だった。ぼくがかのじょのことを好きだったのはそういうとんでもない独創性だった。「そういう」ってなにも具体例を書いてないけど。まあ、そういう独創性。 ところで、この文章は長い間使っていなかったノートパソコンで書いている。電源の調子が悪い。ACアダプターの接触口がおかしい。ずいぶん古いものだ。CPUのクロック数は300メガヘルツ、HDDは4ギガ。姫ゴンと一緒に使っていたあのパソコンだよ。まだ動くんだね。昔の写真とか姫ゴンから来たメールとかあったよ。パソコンの使い道といってもこうやって適当に何か書いているか、ブラウジングぐらいだからこれでも十分使える。古いものを使うのってなんだかおもしろい。
2004年03月07日
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チーズケーキ、ホールで丸ごと一個、ものの5分もたたないうちに食べた。苦しかった。途中から気持ち悪かった。おなかが痛くなって、食べ終わったらすぐにトイレに行った。台所に行き、お湯をたくさん飲み、トイレで吐いた。中途半端に出たので、気持ち悪い。 むなしくなったので、バッハのマタイ受難曲を聞いた。聞いたと言うよりも、頭の中で思い出した。じゃーじゃじゃじゃーん、あの前奏をはじめて聞いたとき、身震いがした。レコードだった。指揮者は誰だったか、オイゲン・ヨッフムか、誰だったろう。中学生の頃だった。あまりに衝撃的だったので、ぼくは音楽家になろうと思った。モーツァルトのレクイエムはもう糞のようだった。時代を超えてぼくはヨハン・セバスチャン・バッハの弟子になった。 そのころよくコンサートに行った。はじめて行ったのは横浜市民フィルハーモニーとか言う名前の素人のコンサートだった。モーツァルトのレクイエムを演奏していた。素人のぼくでもわかるようなへたくそな演奏だった。オーケストラも合唱もばらばらだった。モーツァルトを演奏できないくらいだからこのオーケストラはなにも演奏できないだろう。でも、ぼくは泣いた。はっきりと憶えている。イントロイトゥスでのソプラノの独唱で。そのへたくそなオーケストラはモーツァルトの悲しい歌声を真剣に演奏していた。 先週の土曜、妹の結婚式があった。ここにメモがある。 結婚証明書なる訳のわからないものに二人がサインをしている。ぼくは鼻くそをほじっていた。ほじった指を見つめ、指に鼻くそが着いていないかチェックした。 他にはなにも書いていない。親族だから、いろいろな席に挨拶しに行った。自分の席に座って、トリストラム・シャンディのように鼻くそについて書いている時間はあまりなかった。妹の結婚式なんて言ったら、意外に感慨深いのかしらと思ったんだけど、意外にもなにも思わなかった。父の葬式の時もそうだが、どうもぼくはああいうものはだめだ。あまりになにも思わないので、自分の精神構造を少し疑った。妹が母に感謝の言葉だとかなんだか言っていた。母を目の前に母に語りかけているはずなのに、内容は父のことばかりだった。「天国にいる父も、、、、、」とか。天国とか地獄があるなら、父は地獄にいるに違いないと思った。母を目の前に、視線を遠くに、父に語っているのだった。BGMは父の好きなモーツァルトだった。ぼくはほろ酔い気分で音楽を聴いていた。気持ちよかった。変な選曲ばかりだなと思っていたが(謎な編曲と歌声のアヴェ・マリアとか)、そこでやっとしっくり来た。 もしぼくが結婚式を挙げるなら、コンサートにしたいと思った。たとえば、こんな風に。 他のことにはいっさい金をかけず、小編成のオーケストラと合唱団と独唱4人と、唄方二人と三味線三人を呼ぶ。 新郎新婦の入場 モーツァルトハ短調ミサ キリエ 乾杯 椿姫、オテロ、こうもりなどから乾杯の唄をかき集める 宴会モードの時 長唄あるいは清元 吉原雀 ロッシーニのオペラから愉悦のるつぼの2重唱あるいは3重唱 指輪の交換およびキス 二人椀久から筒井筒 こんな感じ。音楽にあまりにも金をかけてしまったので、料理はちーかまとか。酒は出来合いのレモンハイとかホッピーとか。 祖父をインターコンチネンタルホテルに送り、2次会の会場まで行った。狭い会場にすごい人だ。座るところがない。ホテルでいやな思いをしたぼくはすっかり酔いが覚めていた。とりあえず、その辺に置いてあるビールをあおるように飲んだ。妹たちが来る頃にはまたいい気分になっていた。人種がよくわからない。この大勢の人たちは誰なんだろう、知っている人は片手で数えるくらいだ。昔、六本木のクラブで三味線ライブをやったときのような熱気と人種だ。三味線ライブをやったから熱気があったわけではないけど。まとばみたいなやつがいる。「殺すぞー」。まとばは「ちょっと死んでくる」だったが。ここでぼくは三味線を弾くことになっていたが、練習する暇がなかったので、弾かないと言った。妹は残念がった。だんだん酔っぱらってきて、弾きたくなってきた。ぼくは人前で演奏するのが好きだ。三味線がないのでちょっと買ってくることにした。「殺すぞ」とか叫んでいるやつがいるくらいだから、へんてこな演奏してもわかんないだろう。みんなそうとう酔っているようだし。だれかれかまわずつかまえて殺すって叫んでいる男は薬でもやっているんではないのか。ちょっと三味線を買ってきて、老松を弾き唄いした。松風の合方のところでは拍手があった。 ぼくは2次会に姫ゴンを呼びたかった。しかし、どうも着信拒否のようだ。着信拒否ってつらいね。人格否定されたみたいで。
2004年01月22日
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執拗に繰り返されるいくつかの場面。三軒茶屋に住んでいるとき。どれくらい住んでいたのか、憶えていない。あのマンションに住んでいるとき。ぼくはたばこを買うと言って部屋をよく抜け出した。選挙の時に行った小学校の方まで歩いた。あの辺の地理には全く明るくなかった。姫ゴンと話しながらぼくは道に迷った。道がわからないと言った。姫ゴンはぼくが実家に帰ったと思っている。道がわからなくなった。実家なのになんでわからないの?さあ、ぼくはこの辺よく知らないから。たしかに、実家だったとしても、ぼくは道をよく知らない。実家には大人になってから引っ越してきた。ぼくはすぐに東京で一人暮らしをはじめた。わからないんだよ。道が。道もわからないし、ぼくはこれからどうするのかもわからなかった。彼女はもう就職していて、ぼくがいまだに学生であることに、いらだっていた。どうするの?今年は卒業できるの?よく詰問された。彼女としては早くあんないやな思い出のある場所からぼくを遠ざけたかった。今年は卒業できるの?そう聞かれるとぼくも縮み上がるような気持ちだった。両親からもよく言われた。我が家はいまや逼迫している。父はよく言った。 もともと小金持ちの家に生まれたぼくは経済感覚が著しく麻痺している。欲しいものはたいてい買ってくれ、といっても、子供の頃のぼくの欲しいものは、バイオリンや、伝記や、物語や、バッハとモーツァルトのレコード、油絵の絵の具、キャンパス、ピアノといったように普通の子供の欲しがるようなものはあまりなかった。バイオリンは3台持っていた。唯一買ってくれなかったのはピアノだった。中学生の頃ピアノが欲しくてしょうがなかった。ぼくは音楽家になる気でいた。楽典の勉強をした。その勉強のためにはピアノがぜひとも必要だった。ぼくは音楽にすべてを捧げる気でいた。音楽こそぼくの人生であり、ぼくの人生は音楽だけになるはずだった。そのころ、ベルリンフィルの楽団員がバッハの室内楽を演奏しに横浜に来た。紅葉坂の上にあるおんぼろなホールに。あのホールにはよく通った。急な坂を上りながらぼくはよく思った。これから演奏される音楽はぼくのために、ぼくだけのために演奏されるのだ。なぜならぼくだけが音楽を深く理解するから。よくわからない確信を抱いた。そんなぼくは、ベルリンフィルの演奏会の時、高いびきをかいた。それでも、ぼくの確信は変わらなかった。馬鹿な子供だ。 あのホールには合唱団の練習にも行った。ぼくはマタイ受難曲を歌う合唱団に入っていた。 父が知りあいの店で中古のピアノを見つけてきた。見に行った。弾いてみた。音がおかしかった。調弦する必要がある。欲しかった。これがぼくの人生を変えるんだ。ぼくはそう思った。父は挑発的にぼくに言った。おまえはすぐに飽きる。たしかに、油絵は飽きた。バイオリンもいまはいい。バイオリンでは和音の勉強が出来ない。バイオリンでは和音がわからないんだ。対位法も。だからバイオリンはいまはいい。ピアノが必要だった。ピアノがぼくの人生を変えるのだ。 父は挑発的に言った。ぼくは悲しかった。音楽に対する情熱を父はわかっていないのだ。父だけではない。誰も。ぼくはピアノはいらないと言った。寂しかった。 なぜ姫ゴンにそれほど執着しているのか自分でもよくわからない。ダークロは、どうせあんまりかわいくないんだし、すぐに飽きて、また栄通りで追っかけられるよ、と言う。そうかもしれない。正直言って、姫ゴンの顔をあまり覚えていない。なぜだか理由は知らないけど、突然呼び出されて行った、フラメンコの発表会の時の写真。白黒だ。カメラの設定、フィルムの選択を間違えたため、ピンぼけしている。ぼくの記憶のように。ぼくはお稽古があるから行けないと電話で言った。ぼくと先生とは少し行き違いがあり、気持ちの行き違いを解消するためにもお稽古には行かなくてはならなかった。でも姫ゴンはどうしても来てほしいと言う。それでぼくは先生に行かれなくなったと電話し、急いで大学へ向かった。ぼくはその前の年のように人混みをかき分け一番前に行った。久しぶりにかのじょを見た。かのじょはへたくそなフラメンコギターに合わせ、情熱的に踊っていた。踊りはどうだったんだろう?ぼくはなんとなく恥ずかしかった。それに、姫ゴンはやっぱり怪獣なんだとしみじみと思った。他に記憶にあるのは汗だ。ライトに照らされ、激しく踊り、汗をかいていた。 発表会が終わると、会場である教室の外に出た。みんなお花やいろんなものを持ってきている。ぼくはなにも持っていなかった。そしてやはり前の年と同じようにカンパ募集と書いてある箱に千円札を入れた。五千円だったかもしれない。憶えていない。どうせ飲み代になるんだろうと思いながらお札を入れた。姫ゴンはあんなに熱心にぼくを呼んだのにもかかわらず、ぼくを追い出すように帰した。ぼくはなんで来たのかよくわからなかった。そのころ、ぼくが養殖されている豚のようにでっぷりと太り、きたないかっこをして行ったかもしれない。いまのぼくだったらかのじょの態度は違うのかもしれない。 そんなことを、書いているうちに少しずつ思い出してくると、姫ゴンは性格もあまりよくない。悪くはないが、よくもない。それなのになんでぼくはこんなにかのじょに執着するのか?英執着獅子。いい曲だ。 栄通りで追いかけられた。姫ゴンはバイトから帰ってきて、高田馬場から薔薇ハウスへと歩いていた。ぼくは姫ゴンの留守を狙い、キャバクラで知り合った女の子と薔薇ハウスにいた。いや、そうじゃない。留守を狙いというわけでもない。その女の子、名前はナオミだ、痴人の愛と一緒だったから憶えている、ナオミは昼の仕事だか学校だかの終わる時間と、キャバクラの始まるまでの時間をどうにかつぶしたいと考えていた。ぼくの部屋に来ることはどちらが言い出したのか?とにかくぼくの部屋に来た。なにをしたのかは憶えていない。そろそろキャバクラの始まる時間だった。姫ゴンの帰ってくる時間でもあった。どうして送っていったのか。一人で行かせればよかったのに。ぼくはなんとなくその子に同情していた。新潟かどこか、そういう寒いところから東京に一人で来ているという。仕事だか学校の寮に暮らしていたが、、いや違う、思い出した。看護学校に行っていたんだ。働きながら勉強する。そしてなにかあって辞めたんだ。そのころはたしか友人か何かの部屋に間借りしていたんだ。たしか。たぶん。。なんとなくかわいそうだった。はっきりと憶えているのはそれだけだ。なんとなくかわいそうだった。 このなんとなくかわいそうというのがたいへんなくせ者だ。最近ようやくわかってきた。なんとなくかわいそうとこちらが思っても当人はちっともかわいそうではないんだ。元来ぼくは人一倍情緒豊かな人間らしい。だからなんとなくかわいそうとぼくが思うとき、そこにあるのは悲劇なのではなく、喜劇、茶番だ。
2004年01月10日
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