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年賀状だけのお付き合いになってた昔の文通相手。どっちもやめないから、お正月にだけ思い出してた。近況報告と子供の学年を知らせるだけの内容。今年は違ってた。去年の震災の日彼女は仙台にいて、本当に大変な思いをしたそうだ。それで年賀状には住所のほかに電話番号もメールアドレスも載せてきた。そして「もし、こちらにお越しの際困ったことがあれば連絡ください」って書いてあった。久しぶりに年賀状から声が聞こえたような気がした。だから私は連絡先を書く代わりに「どうかな、久々に手紙やりとりしませんか」って返した。今で2通まずは家族の話から始まった。2年ぶりかな、彼女の文章と懐かしい文字。昔は好きな男の子の話で盛り上がってたけど今度はどんな話題がつづくんやろ。メールじゃなくて手紙でやり取りが復活した。ちょっと嬉しいな
2012年03月04日
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いい嫁になろうとしたときからきっとどこかで無理してたんやと思う。わたしが私でなくなってその鬱積したおもいが積もりに積もって爆発しかけてる気がする。だからいい嫁辞めます。自分で言うのもなんだけど今の私、そんなに無理して姑に対していい嫁しなくてもそこそこいってるんじゃないかと思う。だめなとこもいっぱいあるけどいけてるやん!って思えるところもいっぱいあるような気がしてきた。だからいい嫁辞めてわたしに戻ります。
2012年03月01日
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去年まで何の反応もなかったのに、今年は娘はバレンタイン熱にやられてます。買い物につき合わされたけど、もう途中でお手上げ状態。すごいなーみんなパワフルやわ。売ってるのはチョコばかりじゃなくてそれを包む包装紙とか袋とかりぼんとかもいっぱい。で、結構いい値段。あそこにつかうものすごいエネルギーどこかほかに使ったらって思うのは私だけかな。娘、仕事から帰ってブラウニー作ってクッキー焼いて。お菓子なんて作ったこともないのに
2012年02月11日
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ながかった姑の鬱。ようやく快方に向かいだしたら、もう一足飛びでいまやハイ状態。治ってよかったわって言ってるけど聞くたびにぶり返さんかと本人のことよりそれに振り回される自分のことを心配してしまう。あまりしゃべらない人なのに元気になり出す時がお正月明けでいろいろ訪ねてくる人があるのでよくしゃべる。お口が軽くなりすぎていろんなことが判明。次男のことあちこちでしゃべってたんや。で、いってることがすごい。「子供なんてあほでいいねん。からだ丈夫やったら。」それだけ聞けばいいせりふだけど嫌味エッセンスたっぷり。人の価値を家柄や出身学校、勤め先でしか判断しない人なのに。嫌だ嫌だ
2012年01月21日
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次男のことでゆらゆらぐらぐらしてたけど結局私は自分以外のことでゆれちゃって振り回されて長い間、時間をすごしてきたことにようやく気がついた。おそいないや、まだまだここで気づいたから大丈夫、時間は残ってる。って思いたいかな。私の中に私がいなかったし私を大事にしてることがなかったかも。次男のことでいろいろ振り返って持ち合わせてきた価値観おかしかったことに気がついたらなんかね脳細胞のかたちが変わってきたような感じがする。今までの考え方じゃなくて違う考え方がいっぱいあることがわかってそれはそれで正しいんだって思ってもいいんだってそんな風に思えるようになってるときがある。ある人が日記で「わたしはわたし」って書いてた。それ読んでね、パーッとカーテンが開くような気がした。何してたんやろって何を気にしてたんやろわたしはわたしと思ったら子供たちがそれぞれ違うステージに立ってるように見えた。そしたら自分がやっていいことといけないこと見える気がした。いろいろしくじるやろけどわたしの足の下にはわたしの立つステージがあるように思えてきた。だからゆらゆらしてもわたしは踏ん張って揺れないでゆらゆらしてるのをそばでみてどうすればいいか考えればいいのかなとそんなふうに思った。
2012年01月18日
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「できることさせんと私ぼけるからね」これって脅しにしか聞こえない。しんどいって言うから、顔色も悪いしぼやけた顔してるから朝だって起きてこなかってもちゃんと家の中が動くようにしてるのにちょっと調子がよかったら起きてきてこういう。で、やったらやったで後に必ずしんどいやら言い出す。しんどいときにしなくてもいいというと「年寄りのすることほっとき」もう勝手にしたらいいねん。その代わり泣きついてきても相手しやんから。
2011年12月09日
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昔、女の人からネクタイ送られたら首しめつけられてるみたいで嫌だという男の人の意見を聞いたことがあったような気がするが今はどうなんだろう?姑が誰かからもらってずっとしまってあったエプロンを今朝出してきて「洗い替えにこれ着て」って言って私に差し出してきた。とっさに「ありがとうございます」とお礼は言ったけど、私このエプロン着けられへんと思う。何で、急にくれはってんやろって考えてしまう。ここらが母と姑で違ってくる。それほどくたびれたエプロン毎日してるように見えたのか?ここで枝葉をつけていっぱい考えてしまう。そんなエプロンしてたらかっこ悪いって思ったはるのかケチってエプロンも買い替えへんっておもわはったのかなんか思わんでいいことばかり気がいってしまう。自分のサイズ考えずに買った服だって今まで何着もこれあんた着てって言って持ってくる。30歳違うのに同じ趣味じゃないやろって思って全部箱にまとめてしまってる。なんか違うねんよね。喜ばないといけないんだけどその後ろで何考えてるのかって思うとそうもいかない。これ着けてもっとしっかり働きやとでも言われてるようで・・・ひねくれてきてるな
2011年12月08日
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久しぶりに次男のしんどい顔を見た。正直なところ、ぞーっとした。前にこの顔を毎日してたときのこと思い出した。それで私は私がどんな顔で毎日次男を見てるか気がついた。なにが一番大切なことだったか忘れかけていたのを思い出せた。勝手にもうだいじょうぶなんて思って、一番大切なこと忘れてた。気がついたから、近づきすぎず、踏み込まず私は自分のことをこなし次男が自分で動き出すのをそっと見てた。次男は数日かけて自分で起き上がってきた。顔が変わってきてる。貧乏ゆすりも止まった。しっかりご飯が食べれるようになってきた。私が一番大切なのは笑ってご飯食べてる次男の姿かな。それがあれば次男は勝手に進んでいくように思う。自分の人生を前向きに進む力を少しためれたんだろな。その力、むしりとらないようにしないとな。私は私、次男は次男。別々のものだってついつい忘れてしまう。
2011年11月12日
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今日、受験票が速達できた。受験の書類用意してたころはエネルギー貯まってたように見えてここでがんばったら、もしやって勝手に思ってしまった。本当に勝手な思い込みだった。ここに来て私はわたしの安心のために次男を追い込んでたのかも。どこかで、次男の気持ち考えずちょっとくらい突っ込んでもだいじょうぶかなんて考えてた。それほど調子はよかった。よかったように見えてた。でも確実にストレスは発疹になってあらわれてた。くびすじが赤く腫れてきてる。手首もかさかさで真っ赤になってきてる。目の周りも赤い。こんな体やったら死んだほうがマシやびっくりするようなこと言い出した。口に出せないストレス、こんな風になってでてきてる。壊れてしまわないかと心配でどうしても腫れ物扱いになってしまう。これが一番だめなこともちゃんとわかってるのにいざとなったら、この2年の間に学んだこと何の役にもたたなかったなにやってんだわたし
2011年11月10日
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何にも考えず人の気持ちも考えずそのあとのことも考えず自分の思ったことを1回ダーッと吐き出してみたい。どうなるやろとても恐くてできないけれど
2011年11月04日
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ずっとしたいといってできなかったアルバイト。7月から始めて続いてる。去年は高認受けて、大学決まったら次はアルバイトってハードル掲げてたから言い出せなかったようだ。今年になって、バイトしながら勉強して受験やり直すって言ってから、4件目で決まった。最初は、飲食店のホール係で研修も通ったけどいけなかった。面接で次は断られた。宅急便の早朝仕分けが3件目。早朝から動くリズムがつけば昼夜逆転もなくなるとへんな期待をしてたけど面接で没!ここらでちょっと次男はへこんでた。なんでやろって。で、4件目。私の行くスーパーのレジ係。接客なので絶対行かないと思い、世間話っぽく「レジのバイト募集してたよ」って言ったら、すぐ電話して面接に行った。次男はなんとも思ってないしこれは私の勝手な思い込みかも知れないけれどアルバイトをするに当たって彼は始めて履歴書を書いた。書き方を聞いてきたが、履歴書に例が載ってるからそれをみて書いてみるといってた。書き始めてすぐに「高校中退って書いたらいいのかな」って聞いてきた。「そうやで」と答え、しばらくして書きあがったのを見せてくれた。しっかりとした字で「高校中退」で、資格のところに「高卒認定試験合格」と。この履歴でやっていくんだなって思ったら勝手に私は心配でぐらぐら。ちゃんと自分で勝ち取ってきた彼の履歴だから私が何にも思わなくていいのはわかってるけどこれが人の目にはどう映るのかは次男がこれから肌で感じていくことなんだ。そのときどんな反応をするのかな。4件目のスーパーの面接で店長さんはしっかり履歴書見て下ったようだ。「せっかくの高校、中退してんのか。でも、えらいな。ちゃんと自分でやり直してるやん。で、これからどうするの」って聞いてくれはったみたいで「大学受験するつもりです」と答えたらしい。「土日両方、はいれるのか?遊ばんでいいのか?」ってきいてもらい、「はい」って答えたら、もう一人の面接してた人が「あほな、受験生は土日関係無しやな」って突っ込んでくれはったらしい。さすが、大阪のおばちゃん。夕方5時から9時半の閉店までなので男の子がよかったみたいで採用してもらえ、アルバイトが始まった。次男の人生で、私はもうどうにもしてやれないことばかりこれから増えてくる。どうにかして守ってやりたいと思っても、私の予想外のことばかりきっと私の知らないところで起こってくる。一緒に揺れてたらだめなんだなってわかった気がした。3ヶ月がすぎ、いろいろ体験してきてる。今までしたことないようなことを。いいことばかりじゃないし、働いてる人もお客さんもいろんな人がいる。自分の思いは正しくても、通用しなかったり、受け入れられなかったり家では通用しても外じゃ通用しなかったり・・・私が口で言っても伝わらないことを、体感させてもらってる。ありがたいことだ。私は何もいわず、聞き役でいれるし・・・少しずつものの見え方が変わってきてる。世間のことも違った視線から見えてくる。よかった、1歩進めて。
2011年11月02日
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ようやく受験する気持ちになり勉強せねばと思い出してきたうちの次男。受験と学校の定期試験、勘違いしてるんじゃないかと思うくらいの取り組み方。いらいら、はらはらしてる私の気持ちはこっちへ置いといて・・・・受験でさすがの次男もストレス感じてる様子。私にできることそうそう、これが残ってました。神頼み知恵の神様学問の神様はあちこちにいらっしゃるけど我が家の一番頼めるところに今日頼んできた。一番打率じゃなくて、合格率の高いところ。でもね、これからのシーズンに備えて絵馬の棚とか参道とか工事中。そんなの知らずに行ったからしかたない。工事の隙間から拝んで、下のほうにある絵馬の棚に絵馬をかけてきた。絵馬書くところに「志望校の正式名称、資格の正式名不明でしたらすぐに調べます」って書いてあった。すごいサービス。私はちゃんと知ってるけれど学校名は書かず、志望校って書いてきた。なんでかな・・・「最後まで心が折れませんように」って言うのも書いてきた。一度で終わるとは思ってない受験。緊張とプレッシャーできっと折れそうになると思う。投げさず結果が得れるまで遣り通せたら自信になると思うのだけど。がんばれ。
2011年10月24日
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ケーキを焼いてます。前はマメに焼いてたけどなぜかもうずいぶんと休んでた。焼いて喜ぶ人もないし自分に余裕がなくなってきてるし店にも家事にも中途半端に振り回されてたから?なんやったのかな凝ったケーキじゃなくて次男のリクエストはバナナケーキやわらかくなりかけのバナナを使い切るために焼いてたけど今日はちゃんと次男のために焼いた。おいしかったって言ってたけどやっぱりきれいなバナナで作ったら甘味が少なかったとか。次男が元気になってきて私にも余裕ができてきて久しぶりのバナナケーキでした。
2011年10月23日
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なんでこんなときにでてくるんやろ、次男のアトピー。ようやく、やる気のかけらが見えてきたのに後ろの首のところが赤くはれてきた。もうこうなるとお手上げ。私にできることは黙ることだけとわかってるけど連打でくる次男からの吐き出しだんだんイライラ。言い返さず、聞くだけにしないとドボンするのはみえてる。結局、一日蒲団の人。皮膚科の先生はすぐにステロイド出すから信用できんお母さんは季節の変わり目やからしかいわんどうしたらいいんさ私は一日検索の人。思いつく単語並べて日本各地の皮膚科や薬局を検索。でもやっぱり原因は「ストレス」勉強はかどってないもんね小論文800字もうまらないしここは自分で乗り越えんと次へは進めないよそう言って背中たたけたらいいと思うけど乗り越えれずに足踏みしてるのは次男で私じゃないからゆらゆらがおさまるまでだまってよう
2011年10月22日
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受験に必要な成績証明書ってのをもらいに行ってきました。次男は高校中退後、高認合格で大学受験のチャンスはもってます。順調ならば、去年の時点で大学にまで進んでる予定だったのですがこだわりの人です。(元高校の担任の先生がそう呼んでくれます)自分の中で消化できないことがあると止まってしまいます。止まって整理してから次にすすむというていねいな生き方をしているようです。ある意味、うらやましいかなって思うこともあったりします。高2から高3になるときとうとう留年が決まり次男の中でこの高校に対しての執着がなくなってしまいました。でも、親の方は万が一とおもい退学せずそのままに席を置いてました。留年先の担任の先生はとても親身になってくださいました。しきりに、「ちゃんとかんがえてやるはずだから信じて待ってあげて」と言われ、「次男は炭鉱の中のカナリヤで、何かへんな空気を察知して知らせてくれてるのよ」って。焦らせるといけないからとこっそり様子聞いてくださったり修学旅行に行ってお土産も買ってきてくださった。大学受験の資料も随時送ってくれはったし・・・センター試験で逃げ出してしまった話をしたときも行けたということを褒めてくださった。もうこれ以上は在籍しても意味がなくなりこの3月で退学。でも、成績証明とか書類が必要だったり、大学のこと情報が要ったら連絡してといって下さった。で、先日のこと。大学にはいろいろ受験のチャンスがあり、去年はこだわりがきつくて最後まで受験先をきめれなかったけど今年はいいのか悪いのか、早くから行きたい大学を決めてた。次男なりのこだわりで。早く決めるとチャンスの数もふえ、年内に受験がある。でもそれには、元高校の成績証明が必要になってくる。元担任も受験学年の担任になってるはずだから急いで書類お願いした。クラスの人と一緒になったら書類いっぱいになるかと思って。そしたら先生、「家庭の事情で今年は副担任におろしてもらったの。だからね、次男くんだけの担任よ。いつでも連絡してくれていいからね。気兼ねしないで。」って。そして最近の様子聞いてくれて「風邪引かないで頑張るようにつたえてね」って。ようやく書類ができてもらいにいってきた。次男に行ってこいといったら「あの校門はくぐられへん」といって委任状を書いていた。あの先生やったら高校続けれてたかもね。かわりに私が元高校へ。先生、事務所の前でまってくださってて「いつでも、出せるようにパソコンに入れてあるから。でも、もう来ないですんだらいいのにね」って。いい報告できたらきっと喜んでくださるやろね。できるといいな
2011年10月18日
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今年は不作で超高値の松茸。義父が好きなんで奮発して一度は外国産でも食卓にのせねばと夏の終わりからずっと思ってた。何度か買いにもいってるがあまりよくなくて買わなくて・・・店番してたら思うように買い物にいけないことに誰も気付いてない。夕食が済んでから翌日の買い物に行ってる。確かに遅い時間までスーパーも開いてるがやっぱり品薄で、その中から知恵を搾り出して買い物してることに家族はだれも気付いてない。で、松茸。義父が買ってきた。用事で車に乗って雨の中、洋服を買いにいった帰りに買ってきた。普通は「わー、松茸や。高いのにスイマセン。みんな喜びますわ」ってお礼いえるはずやのに、私すごく気持ちひねくれてる。義母が私がケチって買ってこなくて仕方ないから義父に使い走りさせて買ってきたに違いない。義母は自分は何にもしないのにすぐ義父を走らせる。それがずっと嫌だった。自分は何様やと思ってるんやろ。あれ買ってきてどこそこ連れて行って○○さんちにこれ届けてとにかく厄介なことは義父に走らせる。あの夫婦間のことだからほっておけばいいのはわかってる。でも84歳にもなってる義父を使い走りさせるのに私はすごい抵抗があって・・・そんな気持ちがあるから松茸見たとたん泣きそうになった。また義母にやられたと思った。義母は夏の終わりか体調が悪くてあちこち医者通いしてる。黙って出かけてしまう。店番したくないならそういってくれたらちゃんとするのに、店番やめなくて。だからしてるものだと思ってたら、いなくなってて。その尻拭い私がいつもしてて買い物とか家事は後回しになってるなんて義母はこれっぽっちも感じてない。なのにできてない部分だけちゃんと指摘する。それが松茸になってやってきたような気がした。ダンナは「そんな風にとったらしんどいやろ。あ、買い物してきて見つけたから買ってきた。」って言うけどそんな風には思えない。ひねくれてるのは十分承知してるがやっぱりやられたとしか思えない。
2011年10月14日
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結婚して25年過ぎてもう諦めてもいいかなって思う。姑を好きになることを。いままでずっと好きになろうキライなんて思うのは間違えてるわたしがだめなんだって思って頑張ってたけど無理なものは無理なんやわ息子がちょっと落ち着いて娘が社会人になれて長男が結婚を意識し始めて自分の子供には好かれてたいなと勝手なことを思ってるのに私はこれでいいのかって思って悩んだけどしんどい原因はこれだと思ったらどこかで諦めないと私は抜け出せない嫁としての義務は果たすしすることするけどごめんなさいここで諦めます。弟のお嫁さんに実家の母のこと好きでいてほしいから私の息子たちの将来のお嫁さんに私のこと好きでいてほしいから私はダンナのおかあさんを好きじゃないとって思ってた。でも人と人、相性があってどうしても好きになれない人もいる。それがお義母さんだったのかもしれない。子供たちの手本になれないな子供たちの理想にもなれなかったなでも私は私なんだしどうしようもないこの歳になるまで何に喰らいついてきたのかって情けないな仕方ないか1回きりの私の人生、途中でちょっと修正しても。
2011年10月07日
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遠い昔、高校生だったころ私はチューリップってバンドが好きだった。お小遣いを貯めてレコードを買いライブがあるとなれば始発でプレイガイドの前に並びに行った。歌詞の中に好きなフレーズがあると日記に書き写したり友達との交換ノートに書きあったり。ラジオにでると聞けばはがき書いたりカセットに録音して何回も聞いたり。楽しかった。同じころオフコースも活躍してた。一緒にチューリップの追っかけしてた友達が誘ってくれてオフコースもライブのチケット必死になって買っていた。オフコースはなんか都会のかおりがしてた。小田さんも鈴木さんもインテリでおしゃれだった。ライブもステージがきれいだった。こんな風に私のこと思ってくれる人と結婚しようとかこんな言葉で気持ち言われたら嬉しいだろなとかそんな事いっぱい思ってた。社会人になっていろんなことに忙しくなってライブには行ってもいちいち言葉噛み砕いてまで曲聞いたりすることは減ってきた。そのうちに結婚して子供ができて毎日忙しくしてるうちにチューリップもオフコースも活動停止してた。レコードがCDになりレコードも聴けないようになってしまいFMで新曲が流れてもそこで聴くだけになってしまってた。そうなってからおよそ30年後、京セラドームで小田さんを聴いてきた。この日誘ってくれた友達は50回目の誕生日。この日、ステージを走って歌ってた小田さんは64歳。新しい曲もあったけど懐かしい曲もたくさんあった。昔は感じなかった言葉に考えさせられることいっぱいあったり。恋愛の歌ばかりじゃなくて生き方みたいなことがテーマになってる曲もたくさんあったんやなってようやく気付き、何でしんどかったときにこの曲聴かなかったのかなって思ったけどあの時は音楽なんて耳に入ってこなかったな。そんな事思いながら3時間すごし小田さんを満喫して外にでたらボソッと友達が「息子に聞かせたくなるような歌詞ばっかりあったな」って。彼女の息子くんは大学生でちょっと立ち止まって生き方考えてる。私だってこの歌詞きいてくれたらもう少し生き方考えてくれるかななんて思いながら彷徨ってる息子の顔、思い出した。前にこの友達と小田さん見たときは二人とも社会人になりたてやったな。私たちが子育てし躓いて悩んで25年離れてたけど小田さんはそのままで・・・・なんかいっぱい考えた小田さんのライブでした。
2011年10月01日
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息子は夜中になると語りだす。他の家族が寝静まったころ私はうたたねからちょうどめをさます。息子もその時分におふろにはいってそこから語りだす。なぜこの時間かと言うと他の家族が寝てるからだと思う。途中割り込まれないし私が呼ばれて席をはずすこともない他の家族に聞かれることもないちょっとうれしいかな学校のことバイトのこと友達のこと政治のこと音楽のこといろいろとふとんかぶって怪獣だったときは何を聞いても一言もしゃべらなかったしゃべらないから私たちが勝手にいっぱいしゃべりまくって息子の心を封印してしまった3年してようやく息子はいろんなこと話し出した怪獣になるまで私はちゃんと息子の話を聞いてなかったようなきがするいや実際聞いてなかった話はしてたけどそれは息子の話をきいてたんじゃなくてわたしがききたいことだけきいて聞きたくないことは聞いてる振りしてわたしが聞きたい話になるように息子をコントロールしてたのかもしれない何か言われたら私の中に正しい答えってフィルターがあってそこを通して私が正しいと思う答えになるように仕向けてたんだと思ういつかはきづくよね自分の言いたいことが聞いてもらえてないことに怪獣になってふとんかぶってわたしがそれに気付くまでじぶんの人生かけて訴えてくれたのかと思ってしまうだからこんどはわたしがちゃんと息子の話を聞くばんだと思う。わたしのへんなフィルター通すんじゃなく息子の話をきくばんだと思う。そうやってわたしがこんどは変身してることようやく息子は気付いてくれたのかと思う。横に並んで同じ高さで見えるもののこと話せるようになってるから自分の思いをいろいろ話し出したのかも。この時間気に入ってるんだけど・・・・
2011年09月29日
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我が家は食べ物商売をしてるから基本、ペットは飼えない。といいつつ、唯一夜店の金魚を飼ってた。もう何年も前のことだけど。そのころまだサラリーマンやってたダンナは深夜に帰宅し、下駄箱の上にいる金魚と時々しゃべってた。1ヶ月ほど前母ねこが生まれたての子猫3匹を連れて裏庭にやってきた。ダンナは裏庭に続く仕事場で毎日仕事をしてる。ねこの家族は決して近づいては来ないけどダンナはほっておけず鰹節をやったり、ミルクをやったりし始めた。そのうち母ねこは来なくなった。少し大きくなった子猫が3匹、毎日遊びに来る。キャットフードなんておしゃれなものはないけど昔ながらのご飯にじゃこを混ぜてやってたらだんだん情がわいてきてしまって。人の家の庭で好き勝手やってる。あちこちで用もたすから臭くて・・・・でも個性も出てきてじゃれあってるのをみてたりするとだんだん癒しになってきてる。ダンナは仕事場にいないなと思ったら庭で木の1本にでもなった気持ちで黙ってじっと見てる。いい年のおじさんが小さい子供が内緒でねこ飼ってるようなそんな気持ちを味わってるみたい。歳とって子供のいない食卓は会話がなくなると思ってたが最近はねこの話ばかり。義父母に内緒にしてるから共犯者みたいでちょっと楽しい。結婚して25年知らない一面が見えた。飼ってやれない子猫だけどおかげで夫婦でよく話すようになった。
2011年09月19日
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断捨離ってのがはやってる。私は絶対に無理。なんかものに思いがこもってすぎて何にも捨てれないからなるべく買わないようにしてる本は別うちの姑は独断で家中のもの断捨離してしまうそれで言うのがいい「誰もかたづけへんからな」捨てれない私も悪いのだが持ち主の気持ち聞かないとだめだと思う。好き勝手に捨てておいて必要なときになかってあわてるのはいつも姑だ。同居始めたとき2件分の家具が集まった私としては落ち着いて少しずつ片付けるつもりだった嫁入り道具の中で唯一ガスオーブンは思い入れがあって長男とケーキ作ったりグラタンしたりと、大事にしていた道具だった姑の使ってるものが台所には鎮座してたので痛んだら倉庫から出して私のを鎮座させようと思ってた子供の世話をして裏庭に行ったら私のオーブン斧で叩き割られてたものすごく疲れた顔して姑が「誰も片付けへんからこうして鉄くずにしたらゴミに出せるやろ」って言った。言葉もなかったこのことで始まったばかりの同居躓きたくなかったので「スイマセンでした」ってなぜかとりあえず言った。あのひとがいらないものはこの家にいらないものなんだと肝に銘じた
2011年09月16日
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考えたらいっぱいありすぎて書けないだから、ひとつずつ書いて乗り越えてやる20年前、長男の入学を期に始まった同居。ダンナのじいちゃんばあちゃん、父母、の生活してるところに私たち夫婦と長男、長女と越してきた。次男はおなかにいた。で、同居の最初の日に姑に「わからないことばかりですから、いろいろ教えてくださいね」って、ほんとに心から言った記憶がある。そしたら、姑一言「私、あほやから何にも教えられへん」びっくりしました。最上級の拒否やと思いました。だから、何にも聞かないようにこの20年心がけてます。
2011年09月15日
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どこかにいっぱい愚痴ってすっきりしたいそんな不心得ではじめたらだめかもしれないけどそんな場がないと動けない自分の気持ち整理できるように書いてみたいと思います。
2011年09月13日
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