日々のあぶく?

日々のあぶく?

February 5, 2014
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破曉・・・曉~あかつき という意味があるけど、破曉となったら意味は変わるのだろうか?

明治20年代、元旗本の嫡男で縁故で煙草製造販売業につくも会社の業績が芳しくないことを感じ取り休職、
また、自身の病気療養を理由に妻子を屋敷に残し東京郊外へ移った高遠は
親の遺産で食い繋ぎながら気ままな一人暮らしをしていた。
転居先で見かけた馴染みの四谷にある斧塚書店の丁稚小僧・為三から
近くに版元とは違う、様々な本を扱う古本屋のことを聞いた高遠は早速その本屋を訪れる。
街灯台に似た建物の軒に下がった簾には「弔」と書かれた半紙が張られているだけだった。

主人が尋ねる「読むのが好きか、本が好きなのか」にはじまり、
「本の中身ではなく本を売っている」「本は墓のようなもの」という言葉に刺激を受け、


明治時代に変化しつつある本の流通体制、新文体など言文一致の文章改革も始まったり、
個人が本を所蔵できる時代の本の在り方(の変遷)などについても分かりやすく描写されている。
店を訪れる客の話を聞き、それぞれの客にぴったりの一冊を主人が探し当てる構成はミステリにあたるのかな?
客として実在の人物や、あの人やかの人につながる人が登場するのも楽しい。
実在の人物ははっきり名乗らず登場するが、かなりの確率でわかるところも心躍る。
こんなこともあったかもしれない。真相は「誰も知らない」。

あの人やかの人につながる人の登場というところで、
巷説シリーズと京極堂シリーズを繋ぐ一冊と言ったら言い過ぎだろうか。
もちろんこの本単独で楽しめる。


この本は最近読んだが、去年後半の入力前の読書メモ、どこいったかな・・・。
数冊分しかメモ残ってない。

というかそもそも所有せず図書館で借りることも多い自分は弔堂のご主人に顔向けできません。


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高遠彬~35歳。弔堂常連に。
龍典 ~(りょうてん)弔堂主人。年齢不詳。元僧侶。
       自分の1冊にまだ巡り会えず、読んだ本たちがぴったりの人と出会えるよう、

       本だけでなく、錦絵、瓦版、雑誌、新聞なども扱う。
       勝海舟の剣の師と、龍典の禅の師が同門。
撓  ~書楼弔堂の小僧。女児と見まごうばかりの美童。年齢不詳。
       高遠には憎まれ口を叩くように。


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ネタバレ内容メモは→ コチラ





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Last updated  February 7, 2014 01:01:50 AM


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