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庭師の世界で知らぬ者のない名前。京都の桜守・佐野藤右衛門さん。代々桜を守り育て、日本中のみならず海外でも活動されてきた。現在16代目をつがれている。その先代は京都円山公園の名木、枝垂れ桜を育てたことでも有名だ。親木が寿命で枯れたとき、その種子からそだてていた若木を植えることになったが、京都市の命令でその親木と同じ場所に植えることになった。ところが、桜は連作を嫌う植物で、なかなか何年経っても花をつけず、うまく育たない。様々な陰口を叩かれながら、毎日のように世話をして、台風直撃の日には木にしがみついて幹を一日中支え続けた。命懸けで世話した桜はその後名木と言われるほどになる。ある年の桜満開の日、その円山公園で大勢の舞妓さんや名士の招かれた園遊会の席で、藤右衛門さんはその桜の木に近づくと「さあ、みなさんにご挨拶しとこか。」と言うと、風もないのに、その桜の木だけがまるで挨拶するかのように揺れていたと。そのあとを継がれている16代佐野藤右衛門さんの言葉を少し。「樹木に巣箱をかけて自然保護活動やて?何言うねや。ほなら鳥が飛んでる時に傘さしたらなあかんで。」「スイッチ押したらおまんま炊ける。子供らはもう風呂沸かすことも知らんなあ。蛇口ひねったら湯が出ると思うてる時代や。恐ろしいことや。みんなあるもの使うたんや。あるもので全部足りてたんや。」佐野藤右衛門さんは、南方熊楠と近い気配がある。関東は桜満開の季節を迎えた。
2012.04.08
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南方熊楠がなぜ神社合祀反対運動にあれほどの熱量を傾けたのか。日本人で初めてエコロジーという言葉を使い、熊野の鎮守の森が次々と伐採されていくことに激怒し戦った。生態系の破壊がひいては自滅の道であることを訴え続けたが、もうひとつ大きな衝動があったのではないか。神社が力をなくしていくことに対する感情だ。鎮守の森は神の森であり、森は精霊の依り代。ヒトは自然と相似象であり、多層的につながり重なり合っている。地上から絶滅種が出るのと同時に、ヒトの体の細胞組織の一部も消える、と夢想したことがある。南方マンダラは森羅万象のまさに多層のつながりをイメージさせる。自然界そして宇宙とヒトは、合わせ鏡のように互いを無限に写しあっているのだろう。ヒトも自然の一部とはよくいうけれど、同時に自然はヒトの細胞なのだ。鎮守の森とは精霊の住まうところであると同時に、そこに踏み入るものの内側の神を鏡に写してみせる場ではなかったか。神社は今、ヒトの欲の願掛けの空間に変わってしまった。本来ここにあることの感謝だけを捧げてきたものを。古代、森は南方マンダラのように自在にお互いをネットワークさせていただろう。多様な生命とともにあふれるほどの精霊に満ちていただろう。森と森を結ぶ回廊は動物たちの道となり、そこを通して大地の血液が通っていた。森を生み出したのは海であり、そこに地球の意志があったのだ。すべてのものは互いを生み出し、互いに育てあってきた。生命も無機物も同じ原子の配列の違いがあるだけ。そこに働いた意識の違いがあるだけなのだ。樹齢5000年の大木とスカイツリーの違いはなんだろう。福島原発の爆発後の無残にむきだしになった鉄骨が、伐採された森の姿に重なって見えるのは僕だけだろうか。首都圏すべての人間がその恩恵を受けてきた原発。すべてを停止させるのは前提だとしても、作り出し運営してきた人間に責任があるのであって、電気、原発が憎しみの対象なのではない。ひとつの森とひとつの原発。一方は善で一方は悪なのだろうか。すくなくとも、ともに多くの生命を支えてきた。今福島原発に、ありがとう、ご苦労様でした、と思っている人はいるだろうか。朝、太陽がのぼることは当たり前のことじゃない。奇跡の恩寵がそこに存在している。自然も人工も、生み出すものも生み出されれるものも互いに合わせ鏡として存在している。永久に土には還らないといわれたプラスチックを食べるバクテリアがいた。この宇宙に存在するものは、それが自然であれ、ヒトが作り出したものであれ、たったひとつの原素から構成される事象なのだ。このことはなんと大きな救いだろうか。構造が変われば、まったく別のものにすべては移り変わっていく。そのデザインを決定しているものの秘密がある。神の森は黙ったままその秘密を密かに開示し続けている。それを垣間見たのが南方熊楠だ。彼にとって鎮守の森を破壊されることは、その秘密がヒトから永遠に閉ざされてしまうことになると感じたのではないだろうか。
2012.03.20
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雨落ち工事は終了した。雨受けの砂利は、那智黒玉砂利。枠はツクモ石と御影の錆縁石。犬走りの傾斜がきつかったところは、石組みでカバーしている。石組みは野面積み。今回は施主さんの希望もあり、セメントを使わず、裏込め石のみで施工。ステップも自然石仕上げ。北側は敷地横にある水路へ排水式にしてある。南側の石組みの雨落ちは自然浸透式、北側の日当たりの良くない面は排水式と地下の構造は内容が別にしてある。まだ当分雨の予報が出ていないが、施主さんも雨の日を楽しみに待ちますとのこと。ミカモ石も錆御影も那智黒も、水に濡れると輝きが増すコンビ。雨が楽しみだ。
2012.02.03
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昨年11月に伊勢神宮と別宮を参拝してきた。3度目だったが、行くたびに新しい感動と発見がある。これほどに自然風土と人工の建築物が崇高なまでに融合している場所が他にあるだろうか。今回はじめて感じたことは、例えば拝殿の屋根の千木は、この角度でなくては成立しないなにかぎりぎりのところで決定された構造を持ち、そしてそのことを太古の昔からリアルな技術のなかに伝えつづけてきているということだった。人と神の交流、自然と人工の融合、見えるものと見えないものの対話というような二つの道筋が交差する場所、いわばバツ点、十字形象を見えるかたちで建物の構造のなかのいたるところに忍ばせ、そしてそれを見えない背後の世界まで延展させ、しかものみならず、巨木生い茂る神域の森の木立のそれぞれを柱と見立ててみると、そこに現れたのは、神宮の森そのものがひとつの巨大な神殿で、たくさんの拝殿は森の木と木をネットワークする結びのデザインとバツ点の形象で型どられているようにみえた。これには心底感嘆した。ただこんなことすら、古代の人たちの感得していたものの、ほんの一部にすぎないのだろう。あるいは発想の出処が神様、いわゆるかんながらということなのだろう。西行が、伊勢神宮にはじめて訪れた際に詠んだ句を、神の森を眺めながら思い出していた。なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるる
2012.01.21
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書き込みに随分と間があいてしまった。アップしておきたいことも沢山積もってしまったが、まあぼちぼち行きます.去年のヒンプンのある庭のその後は、春の花の時期にあらためて紹介させていただきます。今やっているのは、雨落ちという工事。古いお寺さんなどでみかけるが、雨樋をつけずに雨だれを地面の砂利で受けて吸い込ませる仕組みのもので、雨だれそのものを自然なものとして楽しむことができる。完成間近の新築現場。雨垂れを受ける枠と土留めにミカモ石を使用。やわらかく暖かい風合いを持つ石で、建物が土壁や土間のある落ち着いた質感によく合う。産地である栃木のみかも地区の採石場まで5トンほど調達してきた。
2012.01.20
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この石は珊瑚の堆積岩である。久高島で見たヒンプンは、年数を経て変色し苔むして深い味わいのものだった。よくみると、海の何かの虫の化石などがはいっていて飽きない。多孔質のため、炭のように空気を浄化する作用もある。そのせいかさわっていて気分がいい。今回おもしろかったのは、二人で左右にわかれて石積みしたことだ。二人の性質や感覚の違いが微妙な差となって対称性が壊れていることで、逆にヒンプンに動きをあたえている。これはとても愉快なことだった。城壁の石組のようなものとは対称的に、何か有機的な生き物のように感じられて面白い。これはまったく佐々木さんの参加のおかげだ。いろんなかたちの陶片をたくさん用意してもらった。とくにブルーの陶片たちは海を連想させ、白い石に動きをあたえてくれた。天端に鎮座するのは、佐々木さんのシーサー二体。阿吽の一対だ。実にかわいくてしかもエネルギーに満ちている。佐々木さんは陶芸家だが、合気道黒帯でもある。最近彼のこねた陶器はますます力に満ちてきているようだ。入口正面に立つと、ヒンプン越しにデイゴの花が夏に咲く。今回の庭のテーマのひとつは「沖縄の光」だ。さて、庭全体はこれから肉づけがはじまる。
2011.08.03
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佐々木さんとヒンプン作りに汗を流す。土台はブロック2列立てで分厚い壁面をつくる。これに佐々木さんの作った陶器、陶片と沖縄から取り寄せた琉球石灰岩を組み合わせて積み上げていく。石積みの定石からはずれて自由積みだ。基礎工事から約一週間かけて仕上がった。詳細は明日アップします。
2011.07.31
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生垣はイヌマキだ。最近はなかなか見かけなくなってきたが、個人的には好きな生垣だ。4,5年経って密になってくるとなかなか美しい。梅雨のはずなのに連日の猛暑、雨も少ない。庭作りも天候をみながら工程を組み替える。人工自然を作るのだから、自然には逆らえない。庭作りの楽しさは自然の縮図を作ることではなく、知らぬ間に植物達にお使えしている自分を発見したときの愉悦にあると思っている。
2011.07.04
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今年も来ましたね、40度にせまる猛暑。埼玉の熊谷にも近いここ比企郡でも今日は相当でした。去年から日常的に、少しだけ天然塩を溶かした湯冷ましを日に2,3リットル飲んでいる。これが随分体調を整えてくれる。どんなに暑くても夏ばてはない。腹七部目の食事と無意識的にやっている複式呼吸。やっぱり呼吸力が大事です。植物のような呼吸になりたい、それがもっかの野望(?)だ。さて、今日も大物の庭木達との四つ相撲の植え込みが続く。少々アクシデントを乗り越えつつ、なんとか乗り切る。大物が数本入ると、大分新築の家の様子が変わり始めます。さてここからスタート、というところです。
2011.06.24
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今日はようやく梅を植え込んだ。一本でも雰囲気が変わってくるのはさすが植物の力だ。庭仕事をしていると、植木一本のエネルギーにかなわないなあとよく思う。実際、ある程度大きい樹木一本を植え込むのはかなりのエネルギーがいる。今日明日は3人体制で植木達とがっぷり四つ相撲だ。どすこい!
2011.06.23
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いよいよ夏至とともに真夏日だ。現場では石組みと土の掘り返し作業が続いている。ここは目の前の河原で蛍がたくさん飛ぶらしい。縁側で夕涼みしながら蛍見物ができる。なんともすてきな環境ですね。さて明日は植栽をすこしやる予定だ。出番待ちの植木達が「まだかいのう?」と控えている。
2011.06.22
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庭作りのテーマから突然ギヤチェンジではあるが、、、やっぱり腸というものがものすごく重要だ、と明け方思い立った。身体感覚のひとつのポイントとして、昔から腹のことは様々に取り上げられてきたが、腸内細菌とくにいわゆる善玉菌といわれる微生物と、腸に閉じ込めている空気の質がヒトのからだのみならず、思考や行動にも深く影響をあたえている、と。普段気にもとめない体の内側でおきている事。これを普段気に留めることの中心にすえてみると、これまで認識してきた世界の裏表がひっくり返って今まで隠れていたことが見えてくるように思う。ヒトは脳に偏りすぎてきた。ヒトは実は腸で考えることができる。そして脳の思考は環境と情報に振り回され続けるが、腸の思考はそれらに影響されない。身体の声を聞くことの重要性は昔から様々に言われてきたが、そのほんとうのところと実感は腸内活動と密接に関係している。生命力の根源とヒトは腸で結ばれている、と確信しはじめたことを庭仕事と平行して探っていこう。(つづく)
2011.06.18
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埼玉県比企郡。豊かな自然と歴史をもつ町に伝統工法によるNさんの家が完成まじかである。家から正面は緑あざやかな山だ。庭はこの風景を借景にして作ることになる。なんとも気分のいい場所だ。伝統工法を手がけるのは、前にアップしたミンジャさんの家と同じく、都幾川木建の高橋さん。2月の上棟式のときの写真だが、木組みの美しさにはみとれてしまう。ここの庭にヒンプンを取り入れることになった。ヒンプンとは、沖縄の家の玄関先に魔よけとして作られる石積みのことだが、これに用いられる琉球石灰岩(珊瑚の堆積岩)は沖縄でしか取れないため、船便で取り寄せることに。そして今回の目論見は、友人の陶芸家佐々木浩章さんによる陶板をちりばめたヒンプンを作る。はたしてどんな仕上がりとなりますか、わくわくです。沖縄の光がそのヒンプンに宿ったらうれしい。
2011.06.15
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本当に凄まじい災害に直面している。僕の住んでいる埼玉は被害こそ報告されていないが、経験したこともない地面の揺れだった。とうとう関東直下型大地震が起きてしまったと思った。それが東北だったとは、、、、被災されたたくさんの方のことを思うと言葉もない。そして自分は今なぜ生きていられるのか、毎日毎日考え続けている。人事じゃないなどというレベルではなく、自分の心もからだもその一部は東北の人たちとともに被災している。誰もが胸の張り裂けるような気持ちを抱えたまま、なんとか日常を生きようと必死だ。きっと日本中の人が同じ思いなのだ。死を身近に感じながら生きる。このよく言われてきた言葉が今ほど体の内側にはいってきたことはない。今日一日が無事であることが、どれほどのことであるかが今ほど有難く感じることがあっただろうか。あたりまえなんていうものはどこにもなかった。ひとが所有できるものなんて存在していない。すべては神からの贈り物として預かったものだけがある。土地も家もこの肉体も、そしてこの世界でする経験すらそうなのだ。僕は今のこの状況のなかに何をみているだろう。なにをみようとしているだろう。こんなことを反芻しながら、先週末福岡の香春神社で踊りを奉納してきた。場合によっては中止もありえたが、地元の人たちの熱心な準備のおかげで、雨の中無事奉納することができた。当日、ずぶぬれになりながら準備をしてくれたボリさんはじめ、氏子のひとたち、美大の若衆、ほんとうにありがとう。僕はただひたすらに場所の媒体になった。香春岳全体が悲しみにみちて振動しているように感じたのは幻想だったのだろうか。僕はたくさんの名づけようのない感情と一緒だった。踊りがどうやって始まったのか知る由もないが、言葉にできない信頼とともにいた。これが最後でいい、そう思えた。太古、ひとが山や自然にたいして抱いた感覚のひとかけらを確かに体験した。それ以上望むものはなにもなかった。有難かった。僕は自分の踊りではなく、踊りの命そのものに感動していた。踊っているのではない。踊られているのだ。生きているのではない。生かされているのだ。
2011.03.26
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再び福岡に行ってきた。「旅する布」の映像撮影の3泊4日。根城は文化遺産に認定された田川の料亭あをぎり。雪も風も雷まで集合の天気のなか、無事終了。撮影後は、あをぎり名物の鯨料理にうなる毎日。メインの撮影場所は田川産業という漆喰工場。この工場がなんともすごい。稼動する産業遺産ともいわれるらしいが、85年の間動き続けている機械類はチャップリンのモダンタイムスの世界。それが積もり続ける石灰と漆喰で工場内の機械も床も壁もすべてが真っ白。まるで異世界、映画の世界なのである。この不思議な空間と原口さんの様々な布を対峙させる。いろんなシーンを取りためて、あとは編集作業だ。今回映像づくりの楽しさにはまってしまっている。仕上がりが楽しみだ。今回のプロジェクトは三つのことが中心にある。3月20日、香春神社での香春独舞公演。衣裳デザイン原口良子 3月23日~田川美術館にて原口良子+リチャード・フレイビン展。そして同時に料亭あをぎりにて衣新作展。今回作っている映像はその田川美術館でインスタレーション映像として流すものだ。テキスタイルデザイナー原口良子さんのはじめての故郷での展覧会が筑豊の近隣市町村をまたいで展開する。香春神社公演は、宮司さんにお会いしてきたのだが、なんと拝殿を開け放って舞台として使わせてもらうこととなった。普通ありえないことでなんともありがたい話となった。香春神社は2年後に1300年祭を迎えるとのこと。そしてここで舞踊家が公演をするのもはじめてのことらしい。ありがたいことです。
2011.02.16
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今回の福岡でのプロデュースをやっていただいているのは田川在住の美術家、母里(ぼり)さん夫妻、原口さんの友人でエネルギッシュなご夫婦だ。話しているうちに共通の人の繋がりがあることがわかって、流れが一気に加速していく。しかも田川の香春岳から名前をもらっていることを母里さんが知ったことから、ここで踊ることにまでつながってきたというわけだ。これは願ってもないことで、香春岳ではいずれ踊りたいと思っていたのでぴたっと間が合ったようだ。山の中腹に最澄がまつってある。言い伝えでは、最澄は仏典を求めて入唐しようと船を出すが、暗礁して何度か死にかけた。再び渡航に挑もうとしたある日、夢枕に現れた香春岳の神が「お前を守護する」と告げる。最澄は香春岳に鎮まる神に参拝、祈願してから入唐を成功させたのだという。帰国した最澄は都よりも先にまず香春岳に御礼参拝に寄り、この地で日本で最初の護摩を焚いた。写真がその場所だ。日本の神々は、異国の宗教である仏教が日本に伝来することを様々なかたちで守護した。それはなぜなのか、この興味深いことはまた別のときに。香春神社は新羅の神様を祀っている。
2011.01.11
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年が明けてはや10日、今年は箱根駅伝で東洋大が早稲田に負けてしまった悔しさからブログも書けずにいた。(これは嘘だな。)だけどもやっぱり感動をくれた。ありがとうございました。おそらく来年は東洋大が再びやってくれるでしょう。さて、現在進行中の「旅する布」のプロジェクトのことを少し書きます。友人に和紙作家のリチャード・フレイビンさんと衣作家の原口良子さんご夫妻がいる。フレイビンさんはボストンから東京芸大を経て手漉き和紙の作家になった人で、かれこれ20年近いおつきあいになる。奥さんの原口さんとは彼らが結婚して知り合った。彼女は西荻窪にSINDというブランドをたちあげて、インドの手織りの職人さんたちと連携して織り上げた綿、シルクを素材に柿渋染めや、今や日本でただ一人の職人さんだという板絞めという技術で染め上げた衣づくりなどを展開している。ふたりとも、伝統的な手仕事を中心にすえながら新しいものを生み出す革新をたんたんと展開し続けているすばらしい感性と熱情のご夫婦だ。その原口さんがこの3月、故郷の福岡田川の美術館で展示会をするのだが、その際会場で流すインスタレーション映像製作を引き受けることになった。原口さんが生み出してきたさまざまな布たちと、それを身につけ生活し動く身体、そして布をつくりあげる自然の諸力とのコラボレーションがテーマで、タイトルは「旅する布」。ビデオ撮影、編集は長年コラボを重ねてきた写真家新達也(あたらしたつや)。先日打ち合わせで西荻窪に伺うと、すでに撮影用の布たちが待っていた。白からコバルトブルーへグラデーションのかかった、見るだけで気持ちが青で澄み渡っていくような布。板絞めという技法で仕上げた布など、僕のカメラでは素材感を写すことは無理だ。これはフレイビンさんの手漉き和紙に裏打ちし、墨と柿渋を重ねたもの。ワニの皮膚のようにも見える不思議な質感、筑豊の炭鉱も連想させる肌合いの黒だ。他にもほんとうにいろいろな布がならんでいるのだが、布そのものにここまで心揺さぶられているのは初めてだ。どんな映像に仕上がるか楽しみだ。この企画がきっかけとなって、九州での縁がつながり様々な展開へと広がり始めている。原口さんも福岡のあとフランスでの企画展も決まり、旅する布は海をわたる。つづく原口さんの愛猫、オシ・キャットのトビちゃん。打ち合わせ中いつもセンターに陣取り話を聞いていた。このオシキャットという種類、はじめてみたがまるで豹の子のような感じで、豹がらの斑点がある。体も大きくなんともかわいかった。
2011.01.10
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福岡の田川に行ってきた。筑豊の元中心的な炭鉱町だ。炭坑節発祥の地として知られている。僕は大牟田という炭鉱町の出身だが、大牟田は筑後というエリアになる。炭坑節の歌詞にある三池炭鉱は大牟田にあるが、田川の炭鉱の地下で唄われた採掘の唄が元になって出来たものらしい。その田川のいわばシンボルの山に香春岳(かわらだけ)という霊山がある。僕の舞踊家としての名前、香春(かわら)はこの山からいただいたものだ。この漢字をすぐかわらと読める人はおそらく筑豊の人達だけだろう。昔、総資本対総労働者の戦いといわれた三井三池闘争に熱くなっていた父は、毎晩のように部下を大勢自宅に連れて来ては大酒を飲み、ちゃぶ台をひっくり返しては暴れ、決まって最後は炭坑節の大合唱でしめるとぶっ倒れた。その歌詞に「香春岳から月がでた~」とある。香春岳はいわゆるボタ山ではなく石灰岩の山で、秩父の武甲山と同じように高度経済成長期のセメント需要のため切り崩された信仰の山だ。以前の香春岳はみっつの山がそそりたつように隆起し異様な迫力だったらしい。今回人の縁がつながって、思いもよらずこの香春岳と田川で踊ることになりその打ち合わせで行ったのだが、その田川でまた縁と縁がつながって面白い状況になってきた。人のつながり、縁こそがもっとも大きな力を生み出すもとになる。そしてダンスはそこに火をともす発火剤でありたい。昔も今も変わらぬその思いだけが続いている。(つづく)
2010.10.30
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陶芸家野口春美さんとの初のコラボ。ソロダンス「古代形象の花」終了しました。遠方からもふくめ、たくさん集まっていただいた。感謝感謝です。ありがとうございました。詳細は後日あらためて
2010.10.05
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Iさん宅の仕上がり図です。コーナーに、前に使われていた石の一部をオブジェとして据えてみた。施主のIさん、気に入っていただけてよかったです。ありがとうございました。斉藤工芸さんお疲れ様でした。安定感抜群のデッキです。Iさんの御婆ちゃんも今日さっそくデッキで日向ぼっこをされていました。固まる土が乾いたら庭のほうも歩いてみてくださいね。
2010.09.29
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古民家のすぐ脇にあって以前切られていたケヤキ。オーナーと修復工事をやってくれた大工さんと話をしていて、このケヤキから囲炉裏の炉縁材を取ってみようということになった。さっそく大工さんが当たりをとってみるとなんとか4本の炉縁が取れそうだ。ここの庭で切られた大きな木が、形を変えて生き続けられることは本当にうれしい。知り合いの棟梁に製材をお願いできた。寒くなるまでには囲炉裏を修復したい。
2010.09.15
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長年の内に込み入ってしまったIさん宅の庭。植栽部分をできるだけ小さくして雑草の生えない「固まる土」を使い、ウッドデッキと組み合わせて仕上げることに。まずはバッサリと選定、抜根。随分と明るくなった。今回、ウッドデッキは長い付き合いの大工さん、斉藤工芸さんに依頼。庭師もウッドデッキは作るが、餅は餅屋。本職の差はやはりある。これから明るい庭に生まれ変わらせましょう。
2010.09.15
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古民家の修理工事がようやく終わり引越し作業中だ。流し台はなんと大工さん手作りで、希望した柿渋を塗ってくれた。囲炉裏は少し修復が必要だがとりあえずは使える。今日のような暑さでも中は扇風機もいらないほど涼しい。長いことほとんど一人で工事をしてくれた地元の大工さん、本当にお疲れ様でした。そしてこの環境を整えてくれたオーナーに感謝感謝です。この家でのさまざまな人や物事との交流が楽しみだ。裏の林に鹿も出没、他にはハクビシン、アライグマも出ているようだ。ここに住んでいるみなみなさん、どうぞよろしく!
2010.09.03
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アトリエブンゴ作成のオリジナル・バラアーチ完成。両脇のバラをはわせてみると、いい感じだ。アトリエブンゴさんお疲れ様でした。またよろしくお願いします。あたらしくできた車庫前には施主さんご希望の白樺を植栽。暑さに強い西洋白樺。植物の力はすごい。3本だけでも空気が涼しげに感じられる。家屋まわりの工事は他の工事との兼ね合いでまだ仕上がってはいないが、後日またアップします。いやー!しかしこう暑くなってくると、空き地という空き地をすべて植物で覆い尽くしたくなる。ビルではなくもっともっと林をふやして森と森の間に小さい単位の町を作っていくような都市計画が切に必要ですね。木陰は涼しいだけではなく、無限のめぐみをつくりだす。
2010.08.25
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10月2日に森林公園近くの古民家ギャラリーかぐやにて、公演します。詳細は後日アップします。久方ぶりのソロダンスです。香春ソロダンス古代形象の花序章
2010.08.22
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鉄の工房アトリエブンゴのブンゴさん、溶接作業中。火花部分の温度は1000度以上!暑い中お疲れ様です。完成真近で全体のデザインが見えてきた。ふくらみをもたせた交差のラインがグッドです。もうひといきよろしくおねがいします!バラアーチを設置するUさん宅の、駐車場前の植栽スペースに植える白樺を選びに安行と深谷をまわる。ジャックモンティという西洋白樺に決める。これは暑さに強い種類で、かつ木肌が真っ白で実に美しい。
2010.08.18
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和紙の作家リチャード・フレイビンさんの工房に伺う。アメリカ人だが、日本人より日本の文化に造詣が深い。そしてこよなく日本の昔ながらの風習を愛している。民族というものは、肉体的な血筋と魂的な血筋の両方があるように思うが、彼はまさしく魂的日本人と呼びたい人だ。すばらしく落ち着く日本家屋で囲炉裏をかこみ、酒をいただく。九州で、ある企画がもちあがっていて、その打ち合わせで伺ったのだった。このことは、はっきりしてきたらあらためてアップします。さて、今日はバラアーチのオリジナルを作ってもらっている工房、アトリエブンゴさんの紹介です。まだ枠の段階なのでこれからなのだが、幅60センチ、高さ230センチ、長さ3メートルというなかなか大ぶりで存在感のあるアーチになりそうだ。デザインも主のブンゴさんによる。彼は鉄を素材にいろいろとユニークなものを作り出す。建築内装部分までこなす幅の広い仕事を展開中だ。今回は、施主さんの庭にサイズをあわせての鉄製アーチを依頼。既製品にない質のバラアーチはやはり魅力的だ。仕上がりはまた後日アップします。暑い中よろしくです、ブンゴさん。
2010.08.16
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植栽するさい、木の表と裏をみる。表を家に向けて植えるのだが、正確には表に見える角度を判断するということ。普段、庭師なら誰でもやっているこのことは考えてみると不思議なことだ。どの職人がみても同じ角度で一致するのだが、それはなぜか?自分の見方は木を人として見るという感じだが、木を人に見立てているわけだ。そうやって見始めると、木が顔も首も腹もちゃんと備えた人として見えてくるからおもしろい。この他、例えば石組のひとつひとつの石にも天と地、表と裏を判断しながらおいていく。石にもある種擬人化するイメージを働かせている。あるものをなにかに見立てる、というイメージの技術がどこからどうやって始まったのか興味深い。感じる、という個人的な感覚を皆にとっての共通の土台におろしてくるには、そのイメージを技術として共同体のなかで伝えてきた長い歴史があるのだろう。職人でなくとも、日本人は生活のいたるところに見立てを活用してきた。この伝統はもっと見直されていい、そう思う。
2010.07.17
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古民家の方は土壁の補修にうつっている。あらためて見ていると土壁は本当に触感がやわらかい。それでいて耐久力もある。昔の生活の知恵はゆるぎがないなあと思う。屋根を支える梁。この曲がりがなんともいえず美しい。何年支え続けているのか定かでない煤竹。囲炉裏で数百年燻されたこういう煤竹は、茶器などに高値で利用される。二階から外の景色。この部屋はまだ薄暗いが、一番居心地のいい部屋になりそうだ。昔の職人の技と熱意がきちんと残るこういう古民家のやわらかいエネルギーが心地いい。
2010.07.15
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丘の上にあるYさん宅。200坪ほどの敷地の、住居と駐車場以外の全部を庭園スペースにとってある。高台の上にあり、デッキは遠くの山を見渡せるビューポイント。もともとあった松や雑木に各種バラをメインにして多種の中高木と低木をアレンジ。この庭の親方職人は奥さんである。たまにプロの手が必要なときに伺うが、本当に素敵な庭になってきている。どこまで楽しい庭になるかこれからも進化系ですね。
2010.07.14
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ゲーテの自然哲学は驚異的におもしろい。植物形態学の論考に「植物の体は、根も茎も花もすべて葉がメタモルフォーゼしたものである。」というギクリとさせられる一節がある。この一文は植物の本質を捉えてなお、ものの形の奥の秘密をインスピレーションしたとしかいいようがないすごい洞察だ。観察されている植物自らがその秘密の扉をあけて招き入れる。そんな幸福な一瞬をとおしてもたらされる生命の神秘。随分昔にゲーテの自然哲学は好きで読んでいたが、庭師になってあらためて形態学を読み直してみると、昔はまったく気づけなかったところがドスンとはいってくる。「なぜこれはこういうかたちをしてここにこうしてあるのか?」いくつになってもこの疑問に突き動かされてしまうのはなぜだろう。森羅万象、不思議でないものはない。全部の秘密が明かされるのにあと何億年かかるのでしょう。
2010.07.13
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和庭の幻の技術といわれる水琴窟。二年前にはじめて、みんじゃさんの庭で挑戦して成功した。私がこだわったのは、音色、音量、そして100年後も変わらず鳴り続けている耐久性だった。最近この水琴窟の音を録音したものがヒーリングサウンドとしてよく売れているらしいが、そうだよなあ、と思う。水琴の音には耳では聞き取れない高周波を含め様々な音が共鳴しあっていて、胎児のときに母親の胎内で聞いている周波数にも近いという。そしてこの音色は選ぶ甕、穴の細工の仕方、工事内容でかわってしまうため、こだわりたい職人にとっては大変うれしい作業となる。さてそんな水琴窟のふたたびの施工のはなしがあってすぐ、どんぴしゃの甕に出会った。常滑焼だ。今回は薩摩焼を考えようとしていたが、いっぱつでこの甕の反響音を聞いて決まってしまった。前回の経験から指を鳴らした反響音で見当がつくようになっている。音の余韻が長く澄んでいる。間違いなくこの甕はすばらしい水琴窟になる。前回は自宅風呂の浴槽に井桁を組んで、毎夜甕と一緒に風呂にはいりつつ穴の細工を工夫した。思い出すとわれながら変なやつだ。家族には「なんで私達より先に甕が風呂はいってるのよ!」といわれつつ、、、今回は工房のほうで作業しますさかい安心してや。
2010.07.11
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屋根の張替えは終了したが、依然工事は続いている。さすがに築数百年、屋根を工事する際にあちこち破損して他の部分まで修理することに。今の住宅と違い、大工さんもてこずりながらの工事だ。三月下旬に植えたじゃがいもたちも花がさいて、今月末頃に収穫予定。引越しと重なってそれもまたよし。暑くなってくるころだからさぞ土間のありがたみがわかりそうだ。
2010.06.07
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舞踏家の大野一雄さんが亡くなった。103歳の大往生だ。僕が踊りの世界に入るきっかけとなった人、舞踏の最初の師だ。上京して演劇に熱中していた哲学少年の何もかもを一時間の踊りですべて吹き飛ばしてしまった。たった一個の肉体がこれほどの表現に到達できることに驚嘆し、客席で号泣しながら震えた。思想も哲学も身体の速度には遠く及ばない、そう感じた。身体は宇宙を内包している。それを探検したい。頭の中はそのことでいっぱいになってしまった。19歳だった。踊ることの源衝動はそこから始まった。舞踏の太陽は地平線にかくれた。あたらしい日が明日のぼり始める。
2010.06.06
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空師(そらし)というしごとがある。普通の庭師では手が出せない危険な高木の枝おろしや伐採を専門とする高所作業のエキスパート。空を飛ぶがごとくの空師というわけだ。庭師にくらべその数はごく少数、ここ埼玉県でもあまりいない。ミモザの木のかなり大きくなったものを伐採することになったが、二階の屋根上に大きく張り出した部分の枝がどうにも困難なことが判明。普通こういう場合は重機のクレーンを使って、上から吊りながら枝おろししていくのだが、私道が狭く重機も入らない、よじ登って切り落とそうにも欲しいところに足場となる枝がない。空師に頼むには金がかかりすぎる。こりゃ彼を呼ぶしかないな、というわけで群馬から緊急で来てもらった。プロの神楽師の彼、通称がいし(石坂亥士で検索すると彼のホームページに)とは長いつきあいだが、彼の特殊技術の木登りにはいつも驚かされてきた。その技術がかわれてたまに庭師をやっていると聞いていたことを思い出したのだ。どこぞの霊能者にあなたの前世は木です、といわれたらしい!?が、、、うーん、たしかに、ザ・ロードオブザリングに出てきた樹木の精霊達に似ている!さて、木に登って作業しはじめたがいし君、まったく危なげなく枝をおろしてくれ、二人だけで地際までの伐採を一日で終わらせた。高所での体使いが彼ほどうまいやつはそういないだろう。バランス能力はすぐにでもプロの空師になれるほどだ。樹上でのバランス感覚というのは、ふつうにいう運動神経とはまた別の能力が必要で、彼の様子を見上げながら感心しきりの一日だった。
2010.06.05
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自宅のすぐそばを流れる高麗川。毎日早朝に犬と河原を歩く。かわせみもいる清流で、早朝はとくに気持ちがいい。この河原にケヤキの大木があって、彼に会いに行くのが日課になっている。樹高30メートルはあるだろうか、大きすぎて僕のコンパクトデジカメではとうてい収まらない。朝日を受けて人知れず静かにたたずむ姿は神々しくもある。毎朝このけやきを見上げて、今日も一日いってみよう、と思う。今日も植物にエネルギーをもらう。明日もその先もずっとそうだ。
2010.05.22
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いよいよ花まっさかりの季節到来だ。最近好きな色合いの山つつじが美しい。こちらは黄金マサキのまさしく黄金。モノクロにすると花はより官能的にみえる。花は銀河にも似ているな。
2010.05.21
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「人類に残された最後の資源は想像力である」レオ・レオー二の言葉だ。今までもそしてこれからも、想像力こそが時代を状況を切り開いていく。想像力とは一体どこからやってくるのだろう。個人の頭の中で生まれるものなのだろうか。いや、そんな狭いところに想像力は住めないだろう。距離も時間も突き抜けて、広大無辺に宇宙を飛び回る自在粒子のような姿が想像力と呼ぶにふさわしい。沖縄では、放心状態になったり心が沈んだりしている人のことを「まぶい(魂)をどこかに落っことしてきたね」と言ったりするらしいが、まさしくそのとらえ方が人の心や魂と体の関係を言い当てている。古来、魂は外からやってくるものと考えられていた。そうだ、想像力も外からやってくると考えると腑に落ちてくる。世紀の大発明をしたりすることのみが想像力なのではなく、日々の小さなものごとの中に、大事なことや感動を見出せる状態こそ想像力の本質だ。あたりまえだと思っていることの裏にある宇宙からの想像力という贈物。人はみな宇宙的想像力に抱かれて生きている。もし日々の喜びや感動が小さくなっているとすれば、それこそ自分の脳みそが邪魔をしているのであって、想像力そのものは相変わらず自在に宇宙中を飛び回って遊んでいるのだ。今日も、たった今のこの瞬間にも、宇宙の自在粒子は体のあちこちを猛スピードで突き抜けていく。「懐手して宇宙見物」(野尻抱影)
2010.05.19
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数年前石川遼がデビューして間もないころ、テレビで彼のショットをみて驚いたことがある。イチローのフォームにぴったりと重なってみえたのだ。それほどの体さばきに高校生が達している!?すごい高校生がでてきたなあ、と。そのすばらしい身体感覚をコンスタントに維持するには、感覚を安定させられる身体を獲得しなければならないわけだが、特にこの数年のトレーニングの質が彼の今後の活躍を左右するだろう。イチローのように、自分の研ぎ澄ました身体感覚を消耗させない柔軟な注意深い筋肉の鍛え方ができていけば、石川遼は数年で世界のトップに立つかもしれない。体づくりのことを考えるといつも思い出すのは、清原のことだ。PL学園で衝撃的なデビューをした後西武に入団して初期のころは、イチローのように細身でかつ芯がぶれないすばらしい連動の動きをしていた。ところがある時期からまるで別人の肉体に変わっていった。おそらく彼自身がよりパワーヒッターになることを望んだのだろう。年をへるごとに外筋肉を太くしてマッチョになっていく、と同時にけがや故障が絶えなくなって苦しんだ。それぞれの選択には本人の生き様もかかわる事だからそれもよし、ともいえるが、もし清原がイチローのように深層筋肉を柔らかくしながら鍛えていく方向を選べていれば、もっと大きな活躍をしたことを想像してしまうのだ、もったいない!さて、石川遼はどうでしょう。専属トレーナーがついてやっているそのメニューを先日知ったが、なかなかすばらしいものだった。そしてトレーニングに対する意識がとんでもなく高いこともわかった。彼はイチローとやはり似ていて、スポーツという領域のそのもっと向こう側に心をすでに定めている。イチローが宮本武蔵なら、石川遼とは剣聖塚原ト伝の生まれ変わりに違いないと思い始めた。
2010.05.18
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いろんなスポーツのアスリート達が、どういうトレーニングを積み重ねて体づくりをしているのか興味深い。自分が関わるダンス以外の世界で、人が自分の体をどうつくりあげていくのかがおもしろいのだ。プロの場合は特に、日々のトレーニングの質がそのまま結果につながっていくのだから、なおさらだ。それが武術や芸術の世界となると、さらに想像をこえる多種多様な身体のとらえ方があって、僕にはそれらが咲き乱れる花のように楽しい風景であったりする。ひとは一生、この自分の体とともに生きていかなければならない。このあたりまえなことが、よくみつめてみると実は底なしの不思議に満ちていることに気づく。自分の体を自分でコントロールできるのはほんの一部だけで、大部分は意識の範囲外で本能や潜在意識下にある。実は本当のところ、誰も自分の身体のことを知らない。知ることができないのだ。だから一流のアスリートは、その無意識レベルの力もどう引き出せるかということも視野にいれたトレーニングをやっている場合が多い。最初にそういうことに興味をもったのは、子供のときの野球中継でみていた王と長嶋の身体の質感の違いだった。まわりの大人は、長嶋は天才で王は努力の人だなどと言っていたが、そんなことではなく、自分の身体感覚の感じ取り方がひとによって違うのだということに後で気がつかされたのだ。その後のプロ野球の世界ではなんといっても落合、そしてイチローだ。イチローは剣術の世界に置き換えれば宮本武蔵である、と評する武道家がいるが、さもありなんと思う。イチローの全身の連動はたしかに若くしてすでに達人だった。ほかにも男子フィギュアスケートの高橋や駅伝の山ノ神、柏原など興味深い人たちがいるが、話題性ではなく、ゴルフの石川遼がおもしろい。(続く)
2010.05.16
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大工さん、日曜も屋根修復作業中だ。藁の上から木材でおおい、仕上げにガルバニュウム板を乗せる。藁葺き部分が、あちこちでこぼこしているため、そうとう手間がかかる。今月いっぱいで終わりそうとのこと。中の土間部分と黒光りのあがりはな。こういう黒がなんとも好きだ。土間が40畳ほどあって、今日のような暑さでも実に涼しい。襖をとると40畳のたたみの空間。風がうごいて心地いい。うれしいのがこの竈が残っていることだ。若干の補修が必要だが、すぐ使える。おかまを手に入れなくては。300年この家を支え続けてきた大黒柱。日本の木造建築は本当にすごい。こういう古民家のつくりをひとつひとつながめていると300年前のまさしく建築中の職人の様子を想像する。自分の職人の血を熱くさせてくれる。こうしてこの家が残されてきたことにただ感謝である。
2010.05.09
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片付けをしていると突然、頭上にものすごいうなり音とともに虫の大群。よく見るとみつばちだ。何万匹いるだろうか?畑を覆い尽くすほどの数。その大群が僕の体にぶつかるようにしてなんども旋回していく。しばらくすると突然いなくなってしまった。屋根工事をしていた大工さんが降りてきて叫んだ。こんなところにみつばちが巣をつくってるよ!見ると、生垣の樫の枝に直径50センチもあるみつばちの巨大な塊!大工さんと、はちみつが取れるんじゃないかすごいねナドト話していると、、、突然その塊はすべてまた舞い上がり、神社の森のほうへ飛び去っていった。巣ではなく、移動途中の休憩だったのだろうか。それにしてもみつばちの好きな僕にはうれしい突然の訪問者だった。
2010.04.13
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藁葺きの上にかけてあったトタンがだいぶ痛んでいるため張替え工事がはじまる。大きなしかも急勾配の屋根、足場を組むだけで大変な作業だ。工事が終わるまで家のなかは入れない。休耕地の畑を草取りからはじめる。今月中にじゃがいもだけは植えておきたい。草をとり土を掘り起こしてみると、すごくいい土だ。うれしくてにやにやしてしまう。いいじゃがいもが作れそうだ。
2010.03.21
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願ってもないすばらしい環境をお借りすることになった。築300年という古民家。場所は埼玉県嵐山町、水のおいしい豊かなところだ。近くには玉川温泉という泉質のいい温泉もある。畑もある広大な敷地、北側には神社へ続く林。少し歩くと泳げる都幾川が流れている。広い土間、囲炉裏、竈ものこっている。友人の芸術家が工房として使っていたが引っ越すことになり、その後をうけてお借りすることになった。家のなかは実に居心地のいい、元気になる空気に満ちている。僕は庭師で舞踊家でもある。そのふたつの面が溶け合う新しい仕事というものを考え続けてきたが、ここの場に影響されることで急速に道を見出せそうな気がしている。僕はいつも、自分の意志よりも人や場所に影響されることが好きだ。以後、この場所での生活を軸にブログを書いていこう。屋号は季節舎。庭仕事も踊ることも、宇宙の季節のなかの営みだ。
2010.03.21
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昨日、地元でおこなわれた奥武蔵駅伝にあの柏原君が出場すると聞いてさっそく応援にいってきた。見通しのよいポイントを選んで待つこと30分、東洋大の第一走者でエントリーしていた彼はもちろんトップでやってきた。箱根駅伝のようにプレッシャーもなにもない大会で、実に楽そうに走ってきた、が、は、早い!数メートルの至近距離でしかと山の神の走りを目に焼き付けた。ほとんど私ミーハーと化していました。おもわず柏原ー!と大声!彼は、誰だこのおっちゃん?という目でみながら風のように吹き抜けていった。やっぱり彼は現代の飛脚でした。
2010.02.01
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今年も東洋大の柏原君が再び新山ノ神として降臨した。しかも去年より進化してだ。すごいというほかない。彼の走りを見ていると、江戸時代の飛脚はこういう体をしていたのでは?と思わせる。あの険しい箱根の坂道をまるで下りるように駆け登っていく。怪物です、とアナウンスされていたが本当にそうだ。昔、修験の行者は飛ぶように山を駆け抜け、その走法は飛脚に受け継がれた。江戸時代、一日に200キロをたった数人で文箱を輸送したという嘘のような記録も柏原君をみると信じられるのだ。毎年箱根駅伝をみるたび、日本的身体性の未来への復活を思う。そしてその象徴が往路5区の山登りにあるような気がする。彼の身体と走法は実にたくさんのイメージを沸き起こしてくれる。新山の神はわたしにとって、イチロー、石川遼に並ぶ存在になった。今年も感動をありがとう!箱根の山もありがとう!
2010.01.03
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去年の箱根駅伝は号泣ものの感動だった。特に5区の山登りで、山の神降臨とアナウンサーに叫ばせた東洋大の柏原君の走りはあまりにも劇的、泣けた。その柏原君、今回も同じ5区を走るという。またあの走りが見れるだろうか。随分前になるが、僕が高校生のとき、福岡の故郷の高校が高校駅伝で全国制覇2連覇を達成した。その影響もあってか、市内の中高はちょっとしたマラソンブームとなって、体育会系じゃなく美術部の僕のようなやつまで毎日放課後マラソンした。それも毎日10キロだ。毎年校内マラソン大会があって、それに燃えたわけです。なぜなら先に走り終えた女子達が校門の両脇にずらりと並んで、ゴールする男子達に声援を送るわけで、体育会系の部員達が花形になれるハレの日。そこへ文化系のやつが上位に食い込んでいたりすると女子達はどよめいて応援してくれる。そんな不純?な動機もありつつ毎日走っていた。箱根駅伝はもちろんそんなこととは次元が違うが、マラソンすることの日本中の若者の頂点の勝負。そこに起こるドラマも毎年劇的だ。駅伝を見ていると人生と同じだとよく思う。たすきを次に手渡すところは生命のバトンタッチのようだ。僕も誰しも、先祖や出会った人達、そして森羅万象からなにかのたすきを手渡されている。そして自分もなんらかのかたちでそのたすきを次へ繋いでいく。歳月もまた、今年という年魂が次の年魂に席を譲っていく。走る途中に何が待っているのかは神のみが知る。人と人の関係も、そして宇宙の流れも神が準備した駅伝だ。
2009.12.31
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沖縄のひんぷんのことをあれこれ調べている。ひんぷんとは、沖縄の家の門の内側や玄関の正面によく据えられている石垣のついたてのことだ。魔物は直角に進めない(?)という言い伝えから始まったという独特の石垣の置き方。ある方の庭に設置の案が出ているため、調べはじめたらはまってしまった。沖縄にしかないこの石材の質感はすばらしい。珊瑚や貝が堆積してできる堆積岩で琉球石灰岩といわれるこの石は、近年、温度上昇をおさえるなどさまざまな有効な働きが確認されてきているらしい。オープンでありつつも、よけいなものはさえぎるその構造もとても興味深い。しかし沖縄の魔物はなぜ、直角に曲がれないのだろう?こういうことが多くの人の共通の認識になる、その感覚の土台をあれこれ想像してみるのが楽しい。そしてひんぷんというものを調べるほど、作るとなれば沖縄からその石材を取り寄せてつくるしかない、そこにいきつく。最近では沖縄でもブロック塀で代用するケースが多いらしいが、ここ埼玉の里山に建つ予定の伝統工法の家に、沖縄のひんぷんが座るのもきっとおもしろい。
2009.12.22
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さて、またひたすら粘土土壌をはぎとる作業がはじまった。今回緊急の助っ人として、近所で親子代々土建業をやってこられたSさんに土の入れ替えを手伝ってもらうことになった。このSさん、知ってはいたが仕事のはやいことはやいこと、朝も7時半にはもう重機がトップスピードだ。昔かたぎの気一本の職人、こういうヒトはめっきり少なくなってきてます。今日はひとりでダンプと重機を交互に乗り換え、54リューべ、ダンプ満載で18台分の土を処分。若干はやすぎる?部分もありながらもおかげでどんどんはかどります。4時にはさっさと片付け、飲み屋にひとり直行したSさん、今日はビールがうまいでしょう!
2009.09.18
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桜の葉っぱが大好物の毛虫、アメリカシロヒトリ。剪定にうかがったお庭の桜の木、見るとみごとに葉っぱが一枚も残っていない!こりゃアメシロだなとすぐわかる。桜を食い尽くした彼らはとなりの梅ノ木に引っ越してむしゃむしゃやっている。このアメリカシロヒトリ、いつみても気味悪い。毛虫のなかでは山茶花などによくつくチャドクガと双璧で鳥肌たつ毛虫だ。黒い胴体に真っ白の長い毛。この日一本の桜に100匹ほどいただろうか。真っ先に飛び移っている木を全部消毒してから剪定をはじめる。青い空をバックにこの毛虫を見上げていると、先日テレビの映像でみたB29爆撃機のシルエットに重なって見えてしまった!イメージがぶっ飛んでしまったなあ。外来種はどの虫も動物もあまりに強すぎます。
2009.09.13
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