ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.02.16
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類






いつまでもごみを積み上げてもゴミの山にしかならない。念仏を唱えても理解していなければ意味はない。悟ったようなふりをしていても詰まらない。 私たちのしていることは、ごみと変わりはあるまい。そして、地球外か、内側か、分からないが、いずれは崩壊してしまうだろう。結局は同じかもしれないが、やり残している人たちがいるに違いない。立つ鳥跡を濁さずというが、どうなるのだろうか。悲観的なことばかりあるが、腐らないで生きていくしかあるまい。




いうまでもなく、中国だって、その将来は決して、ただばら色でないし、アメリカも些細なことから、崩壊しかねない課題を多く抱えており、予断を許さない。


ただ、今後突然襲ってくる困難や、苦境があるだろうということは、避けることができないだろうということだ。それは、これまでもそうであった様に、想定外であるだろう。これに立ち向かうだけの「内なるエネルギー」が用意されているかでもある。我々は、「いざ」という時に社会の求心力となるべき、政府を信頼することができるだろうか。


その「いざ」については、自分たちは、個人としてどうあるべきかについて、それは、個人のスペースのことであれば自己責任として、どう受け止めるかの問題でもあることを感じている。然し、国家のこととなると次元が違うだろう。然し、国が国民に保障している安全は、甚だ曖昧なものでしかないのが、残念だが言えることではないだろうか。





何をもって「いざ」に備えるべきだろうか。ひとは、それを「天災は、忘れたころに遣ってくる」という寺田寅彦のことばとともに、肝に銘ずべきだろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.02.16 02:36:44
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: