ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.02.16
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セドナ。







1638年「島原の乱」で、老若男女37,000人が原城で惨殺された。組織された反乱軍ではない。しかも宣教師に指示されたキリシタンばかりではなかった。半強制された素朴な農民たちではないなかっただろうか。本当に反乱軍と言えるのだろうか。甚だ疑問だ。


宣教師は、布教し、信徒に、異教徒を排除するように指導したのだ。家康は、それを危惧して弾圧した。幕府は改宗によって信仰を棄てさせようとした。然し、ローマ・カトリック教皇は島原の乱の10年前にキリシタンに、「殉教」を指示した。それは、聖戦としてだろう。


ポルトガル・イスパニアの宣教師たちが、農民たちに布教したキリスト教とは、幕府転覆を狙う意図があっただろうか。ローマ教皇は、宣教師の大群を送る約束をし、殉教を指示したのだ。それは事実ではないが、少なくともそれを信じた人たちがいた、神が奇跡を起こすと信じたのだ。利用されたのが天草四郎だっただろうか。キリスト教国からの援軍が来るまでの原城の籠城だった。圧制者に日々餓えながら搾取されて殺されるか、絶望した死だろうか、それともいわれている殉教であっただろうか。いまは知る術もない。


キリシタンは、なで斬りにされた。島原の乱後、ポルトガルとの国交は断絶され、230年間の鎖国となった。


島原の乱は、単なる圧制に対する農民一揆だったのだろうか。それにしても幕府と農民との戦いは熾烈を極めたものだ。生か、しからずんば、死かの宗教戦争の態を示しただろう。それとも、幕府による、ホロコーストでしかないだろうか。


宣教師は、世界への布教を通じて、植民地政策の尖兵として働いたといわれている、キリシタンのカトリック教会への信仰は、当然幕府への反逆を意味してもいただろう。幕府の異常な反応は、それを感じさせる。そして、それは戦場となった原城を跡形もなく土で埋め尽くしてしまうという行動になったのだろう。


宣教師たちの思惑は、所期の目的を果たすことができなかった。日本にとってそれは幸か不幸かは判らない。






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最終更新日  2023.02.16 12:10:19
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