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2014年01月07日
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きょうは兵庫県篠山市の「兵庫陶芸美術館」に行きました。
この美術館は去年の2月に自転車旅行で寄ったのが最初で、その後、去年の11月の展覧会を見に訪れて、とても楽しめました。
去年の展覧会“マイ・ベスト”に選んだほどです。

ただ、大きいネックがあって、交通の便があまりにも悪いのです。
JRの運賃も安くないし、駅からバスは必須だし、金も時間もかかります。
そして、そのバスが1日に数本しかないので、慎重に計画して行かないと、無駄になる時間が生じます。


兵庫陶芸美術館_2014_1_7


今は、特別展のほうでは「新収蔵品展~美の再発見・兵庫のやきもの~」という展覧会をしています。
タイトルの通り、兵庫県内で作られた焼物が新しく所蔵品に加わったものを中心に展示されていました。

「第1章.丹波」では、「丹波焼は、篠山市を中心に丹波市、三田市、西脇市で焼かれた陶器。日本六古窯の1つにも数えられ、古くは小野原焼とも呼ばれた」という説明(紹介)がありました。
伝統的な焼物はまだまだ理解できず、陶器と磁器の見分けも怪しいのですが(^-^;)、姫路の「三木美術館」に行くと、半分は日本の焼物の展示で、しかも、詳しい解説が添えてあるので、‘ぼちぼち’勉強している感じです。
でも、丹波焼きがこんなに伝統があり、有名なものだとは知りませんでした。

展示されているのは古いものが多く、例えば、1589年の壺がありました。
「古い三耳・四耳壺は耳が取れているものが多く、形状がわからないものが多い」ということで、その取れた部分は発見されていないんですね。

室町時代のものの他に、「江戸時代(17世紀前半)になると、窖窯(あながま)から登窯(のぼりがま)へと転換し、近世丹波焼が成立する」ということで、このころのものはすべて耳が残っていました。

他に、太平鉢や灰落、徳利(赤土部)、油壺(赤土部)などがありましたが、「赤土部は近世丹波焼を象徴する塗土で、備前焼の影響を受け、17世紀前半に誕生した。江戸時代になり、鉄釉や灰釉の甕が出てくる。江戸時代のものは印銘が入るものが出てくる」という説明がありました。

江戸時代後期の栗皮釉の徳利があり、明るめの少し光沢なる茶色はまさに栗色で、見たことのない艶でしたが、「原材料は不明」だそうです。

また、江戸時代後期の『白地鉄絵流徳利』は、「白丹波」になるらしく、「白土に杉灰釉を混ぜた白色の化粧土を塗土した、白い器面の洒落た精品」だということでした。

「第2章.出石(いずし)と八鹿(ようか)」では、「出石焼は豊岡市で焼かれた陶磁器。現在の清楚な白磁は明治時代に始まる。江戸時代は絵付けが中心だった。1784年に創始され、1906年まで続いた」ということで、江戸時代と明治時代で作風がかなり変わるよだし、もう現在は行われていないんですね。

明治時代の『色絵鳥図花瓶』などは、焼物に日本画がそのまま描いてありました。
好きな図柄です。

同じく明治の『色絵山水図筆筒』は、絵の部分が盛り上がって立体的になっていました。

近くには江戸時代の染付の花鉢や皿が並んでいましたが、確かに、同じ焼物には思えませんでした。

「八鹿焼は養父市で焼かれた陶器。1871年に始まった。製品には無釉陶器と施釉陶器両者があり、釉薬には灰釉、褐色・黒の鉄釉が見られる。また、白土の化粧掛けもある。昭和時代書記まで続いた」ということなので、これも現在は行われていないということですね。

『染付山水図手焙』は三つ脚に二つ耳で、中国っぽい形(デザイン)でした。

徳利や湯呑みより小さい急須があり、実用品なのだろうかと思いつつ見ていました。

耳の部分が猿の顔になっていて、舌を伸ばしたようなデザインの花瓶や、明治の後期の作品では実用ではなく、明らかに飾るための「釉下彩」の皿がありました。
焼物が実用品から装飾品に幅を広げていったわけですね。

1902年には白磁のコーヒー碗セットが登場していました。

「第3章.三田・王地山、そして、東山・赤穂」では、「三田焼は三田市で焼かれた陶磁器。製品は青磁、染付、赤絵を中心に磁器から陶磁まで多岐にわたる。1799年に創業したと考えられているが、1944年に廃絶した」ということで、兵庫県内の焼物はあまり名前を聞かないのは、今残っていないものが多いことが要因のようです。

「特徴の1つである深みのある濃緑色が特徴」ということで、確かに独特の濃い緑色をした角鉢や角皿、風炉、筆筒などがありました。

小皿は、12枚や20枚がセットになっていたり、コーヒー碗のセットは5客ではなく6客でした。 

「王地山焼は篠山市で焼かれた陶磁器。製品は青磁、染付が中心で、白磁、赤絵、交趾釉なども見られる。1869年に開窯した」という説明で終わっていたので、これは今でも続いているのでしょうか。

『赤絵金彩唐人物図花瓶』は伊万里焼のような感じで、赤が目立っていました。

「赤穂焼は赤穂市で焼かれた陶器。1848年に始まった」ということは、江戸時代も終わる頃に始まったわけですね。

風炉や香合、振出などがありました。

「東山焼は姫路市で焼かれた陶磁器。姫路焼とも言う。1822年に創始され、1884年頃まで続いた。製品は青磁染付を中心に磁器から陶器まで多岐に渡る」ということは、これも残っていないということになりますね。

『染付雲龍獅子文墩』は太鼓型の腰掛の形で、太鼓を立てて置いたような形状でした。
上部の前に透かし彫りがあり、一見しただけでは何をするものか、わかりませんでした。

他には、鉢や花瓶などがあり、花瓶には絵付けをしたものもありました。

「第4章.明石、ミン平、しして、清風、与平」では、「明石焼は明石で焼かれた陶器。1622年の興りと伝えられるが詳細は不明。京焼の影響を大きく受けている。1965年廃絶。舞子焼は神戸市垂水区で焼かれた陶器。1780年~1801年に始まったとされ、大正時代まで続く」ということで、これも現在は残っていない焼物でした。(「みん平」の「ミン」は「王」篇に「民」)

黄瀬戸の色のような黄色い釉薬の花瓶があり、黄瀬戸の黄色が好きな私はしばらく見とれていました。

「ミン平焼は南あわじ市で焼かれた陶磁器。淡路焼ともいう。1833年頃開窯した」

ミン平の人形型の置物『色絵常盤御前形置物』は、『平家物語』から題材を取った、幼子を連れて雪の中を歩む常盤午前の姿を表したものでした。
女性の着ているものの胸の部分に赤子が入っていて、細かい作品でした。

また、「ミン平の型押し成形の龍文皿が多く作られ、流通した」とのことです。

「京焼の名工の写しをはじめ、染付、三彩など、中国陶磁の写しを中心に多種多様。大正時代に焼物生産からタイル生産に転換して、現在に至る」ということなので、これはかろうじて現在に残っているわけですが、原型のままでなく、工業製品になってしまっているということになります。

展示してあった作品は、小皿類、角皿、小判皿という形の小皿、緑釉や浅黄釉の皿などで、確かに、龍の絵柄のものが多かったように思います。

兵庫各地の、廃絶したものも含めていろいろな焼物を見ました。
特徴が少し感じられたものもありましたが、やはり今回だけで見分けが付くには到りませんでした。

知らないことが多かったので、解説を読みながら1時間40分かかりました。

帰りのバスの時刻が気になりましたが、このあとは「テーマ展示」を見ました。





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最終更新日  2014年01月22日 22時18分34秒
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