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先日、妻の摘出した子宮からガン細胞が発見されました。やはり詳しく調べてみないとわからなかったようです。これで確定診断、ガンレベルIaということになりました。まあこれで一段落という感じでしょうか。さて、妻のほうは落ち着いてきたので今度は僕の番です。最近どうも文字がかすんで本が読みづらくなってきました。とくにテレビを見ながら本を読むとき、テレビから目線を手元に移すと文字がとってもかすむのです。しばらくすると見えるようになるのですが、どうにも気になっていました。もともと僕は視力が良くて、長年、両目2・0をキープしていました。最近は少し落ちて1・5くらいになっていますが、それでもみんなに羨ましがられます。目の病気もしたことがないので、眼科病院とはいままで全く無縁でした。もちろんメガネ屋さんにも行ったことはありません。おそらく僕の目のかすみなんて、本当に目の悪い人に言わせたらどうってことないんでしょうが、それでも少しでも目が見えないというのは僕にとって初体験だったので、とっても気になるのです。で、行ってきましたよ。眼科。いままでやったことのない検査をいろいろやりました!上から順にひらがなを読んでいったり、Cの字の空いてるほうを言ったり。放射線状に線が描いてある絵のゆがみを聞かれたり、赤と緑の背景に描いてある線の太さを比べたり。専門の視力検査って楽しいですね。で、検査の結果は‥‥ドクターに「なんでここに来たの?」って顔されました(笑)多少目のピント調節力が落ちているけど、メガネをかけるほどじゃあないと言われました。もちろん薬も出ませんし、メガネの処方もされません。結果としては良かったのですが、なんか拍子抜けって感じ。新聞のチラシを見ながら、こんなメガネにしようかなあ~なんて夢をふくらませていたのに!でもまだまだ若いってことですかね。妻はこの結果に不満があるようですが‥‥。
2006.10.28
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妻がガンと診断されてから、入院、手術、退院と経過して早2カ月。アッという間でした。2カ月前との違いは、もう妻のカラダのなかにはガン細胞が残っていないということです。この安心感はとても大きいと思います。その意味でも治療にあたっていただいたすべての方に感謝です。子宮摘出という方法について、多少の疑問も感じていましたが、それについて知人のガンに詳しいドクターにご意見をいただきましたので、それを掲載します。‥‥‥‥ここから↓無事に退院。おめでとうございます。まずはよかったですね。摘出標本から癌が見つからなかったといってもご不満に思うことはありません。摘出標本をすべてにわたって隅々まで確認するのは無理です。かえって小さなものでよかったのです。しかし癌というのは、同じ生活や同じ心持でいる限り、いつまた別な場所に発生するかわかりません(癌体質)。生活を変えなければいけないというのはそういう理由ですので、奥様にはぜひ、これを機会に新しい人生をひらくつもりで生きていただければと思います。わからないことがありましたらご一報ください。ここまで↑このドクターは、ガンについての講演なども行っていまして、ガンの治療や予防のための生活改善に関する専門家でもあります。まあ後付けのセカンドオピニオンという感じですが(違うか?)、聞いてみることで気持ちがラクになりました。今回とくに感じたのは、ガンのようなある意味未知の病気の場合、ココロのケアがとっても大事だということです。とくに医者や医療従事者のちょっとした言葉や態度が、患者や家族の気持ちに大きく影響するんですね。摘出した子宮からガン細胞が発見されなかったとき、「よかったですね」というのは、なぐさめの言葉なのか、言い訳なのか、それとも真実を伝えているのか?そのときの患者にはわからない場合があります。そこで必要以上に悩んだりします。おそらく妻は僕が想像する以上に気持ちが揺れたと思います。こういうことも全部含めてガンなんですね。ただこの件に関しては、もう言うことはありません。いろんな方からご意見などもいただいて、僕のなかでは整理がついています。たぶん妻も大丈夫でしょう(すぐ忘れちゃうタイプなので)。いまは免疫力を高めるために、食後にコップ一杯の豆乳を飲ませています。大豆イソフラボンが良いそうです。
2006.10.24
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妻が退院してから一週間が経ちました。順調に回復しているようですが、まだまだまともに歩くまでにはいたらず、重いモノも持てないので、ふとんの上げ下ろしや洗濯ものなどは僕がやっています。そして、「立っていると痛い」というのを理由に晩御飯のおかずも僕がつくっています。なんかこのままなしくずしに家事の分担が増えそうな気がしてます。‥‥‥‥‥‥思うに、今回の手術は不思議な感じがした。それまでまったく元気で、なんの問題もなかったのに、ある日、お腹を切られて、そしてまた縫い合わされた。いまはそのキズの回復に苦しんでいる。痛いとか、苦しいとかで手術をしたのではなく、「やばそうだから」というのが理由だった。まあ確かに、ガン細胞をかかえながら生活するというのは、精神的にも負担が大きい。だったらそれを取ってしまえというのもわかる。しかし今回は、医師はガンに対して過剰に反応しているようにも見えた。ガン=取り除く というのが当たり前のようになっている。わけの分からないものだから、とにかく取るというのが治療方針のようだ。これもガンならではなのだろうか。他の原因がわかっている病気ならこんなことはしないと思う。先日、摘出した子宮の病理検査の結果が出た。ガンは発見されなかった。
2006.10.19
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ちょっとごぶさたしてました。実は今週の初めから急にのどのリンパ腺が腫れてしまい、高熱を出して今日まで寝込んでいたのです。鼻水や咳などはまったくなくて、発熱と頭痛のみ。あまりこんな症状になったことがないので、病院にいったところ、リンパ腺が真っ赤だよとのこと。これ風邪なんでしょうかねえ、なんか不思議です。看病疲れなのか???といっても病院に見舞いに行くだけで何もしてないし、洗濯だって2回くらいしかしてないし、自炊らしき行為も2回かな??まあそんなわけでブログへの書き込みもできませんでした。しかも!幸か不幸かこんなときに限って、「あのさあ、退院が早まったから!」「え゛」(熱でボーッとしている)「土曜日の予定が木曜日になったんだよ!」「あ、っそう」喜ぶべきところなのに気のない返事をしてまう。で、昨日めでたく退院してきました、タクシーで‥‥。そう、僕は迎えに行けないくらいの状況だったのです。まあムリすればなんとかはなったのですが、そこで風邪菌うつしてもしょうがないし、悪化すればそれはそれで結局妻の負担が増えるだけだし‥‥。でもとってもラッキーなのことに、その日は義母と義姉が見舞いに来てくれることになっていて、退院の付き添いもしてくれたので助かりました。妻の家族はホントに結束が固くて、何かあるとすぐに飛んできてくれます。手術している最中も義妹から電話があって、「輸血が足りなかったらすぐにいくからね」と言ってくれたり。そしていま、我が家の台所では、妻も含めた3姉妹とその母親がなにやら料理を作っています。退院祝いの会ということで、集まってくれました!でもその3姉妹はすべてAB型で義母はB型という強烈な女性陣のなか、病み上がりで典型的なA型の僕は無事に最後まで乗り切ることができるでしょうか??ちょっと自信がありません。
2006.10.13
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このごろ急接近しつつある僕とノラ子猫。網戸ごしのタッチも日課になりました。僕がごはん用の器を取ろうと外に手を出すと、ちょんちょんと小さな手でさわるけど、まだこちららはさわらせてくれません。でもそれも時間の問題でしょう。‥‥‥‥‥‥「マスタードカツレツ(かじきとチキン)」自作メニュー第二弾!これとっても簡単で、とってもうまい!一見揚げものみたいだが、揚げていないのだ。まずパン粉をから煎りしてからバジルを混ぜる。フライパンにオリーブオイルを引き、塩・コショウしたカジキを両面焼き上げる。焼き上がったカジキの片面にマスタードを塗り、パン粉をつけてできあがり!で、写真のはチキンも一緒にやったもの。賞味期限がどちらも今日限りだったのであわてて両方焼いたのだ。ちょっとひとりでは多すぎた。これを教えてくれたのが、自称踊る料理研究家の安井レイコさん< http://blog.yasui-reiko.com/ >マスタードが効いてて美味かったッス。道具もフライパンのみというのも魅力だ。ありがとね。一応いまのところ一人夕食自炊は実行中。(前日は病室に弁当をもって妻と一緒に食べました)
2006.10.09
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今日は朝から天気がいいので、洗濯機をまわして、食器洗浄機をまわして、その間にカメのタケゾーの水槽を洗って、おっとその前に外ネコたちにゴハンをあげて、コーヒーをいれて、お釜のあまりご飯にふりかけをかけて、朝日新聞の朝刊を読みながら食べて、土曜版についてくるパズルを解いて、その間にタケゾーがウンコをしたので水槽をもう一度洗って、ついでにベランダで日光浴をさせて、洗濯物を干して、ちょびたが遊びにきて、どっこらしょと一息ついたときの写真です。部屋の掃除は明日にしよう。それにしても今日のタケゾー‥‥妙にデカくみえる‥‥。
2006.10.07
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「カジキとキノコのホイル焼き」このレシピをいただいてからもう一ヶ月も経ってしまいました。お待たせしました!これはですね、アルミホイルにオリーブオイルを塗って、タマネギをばらまき、カジキマグロを置いて塩をふる、エノキとマイタケを乗せてコショーをかける。で、ちょこっとしょう油をたらす。それをホイルで包んでオーブントースターで焼くだけ!なによりナベを使わないので、とってもラクチン!味付けはこんなんで大丈夫かなあ~、なんて思ったけど、食べてみたら、そりゃあビックリ!自分で作ったとは思えないくらい美味かった!それをFAX5枚で手順の図解までして教えてくれたのが、のっちさん。この人→< http://blog.drecom.jp/riant-ritsuko/ >今日、病院に行ったら、「夕飯のおかずがゴムみたいな魚だった」と妻が文句を言っていたので、「今日のはすげ~美味かった!」と電話で報告しておきました。すげ~うらやましがってましたとさ。
2006.10.06
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すんません。昨日は妙に眠くて日記を更新するパワーがありませんでした。で、さっさとフトンに入ったと思ったら、本を読むのに熱中して結局夜中の2時に寝ました。(↑ってダメじゃん!)ひとつのフトンから僕とちょびたが顔を出して寝ているところは、ぜひ写真に撮りたかったのですが、ムリでした。‥‥‥‥‥‥【10月4日】朝は義母といっしょに病院へ。病室に行くと、妻がいない。で、廊下のむこうから手を振っている。背中から注入していた痛み止めをはずすために処置室へ行くところだった。そうか、もう痛み止めをとるのか‥‥これは僕も知らなかったのだが、切ったあとの痛みを取るために、いつも薬液を注入し続けるという麻酔なのだ。さぞかしすごい装置なのだろうと思っていたのに、赤ちゃんの哺乳ビンみたいなものを首からぶらげているだけ???写真をよくみるとわかるのだが、ビンのなかにはふくらんだゴムふうせんが入っていて、その圧力で薬液が押し出されるしくみになっているのだ。中にはモルヒネのような液体が入っている。意外とアナログチックなんだ~まあ点滴とかも、重力で液体を落とす手法なので、これもアナログだ。先端医療の現場って、意外とそういうものみたい。‥‥‥‥‥‥家に帰ると、ネコのちょびたが駆けてきた。さっそく窓を開けてやると(でも網戸は閉まったまま)、そこにはいつにも増して子猫がアピールしている。網戸をどんどん登るワザを習得していたのだ!母ネコはそのうしろで待っている。そしてハッチ(オスの大人ネコ)は少し離れたところで出番を待つ。僕のかたわらでは、カメのタケゾーがちぎれそうなくらいに首を伸ばしている。わかった!わかった!そう一度に言うな!各自のゴハンを用意してあげてから、今度は自分のためにコメをとぐ。昨日まで義母がゴハンや洗濯などの面倒を見てくれていたので、それに甘えていたが、今日からは誰もやってくれなくなる。冷蔵庫を奥までチェック。で、まず残っていた野菜(ピーマン、ナス、タマネギ)を取り出して、いつからあったかわからないウインナーを手にとる。そしてなんとなく手に取った調味料は、オイスターソースとケチャップだ。実は夕べ、義母が似たような具材でみそ味の野菜炒めを作ってくれていたので、じゃあ今度は中華風で、と単純に思っただけ。この写真は今度アップしますね。さて今日からは新作に取りかかる。いろいろとレシピをもらっているので、それを試してみるつもりだ。
2006.10.05
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昨日から今日にかけて、たくさんのおめでとうの言葉、ありがとうございました~!今朝、義母と一緒に病室に行ったところ、もう本を読んでいました。僕はしばらく居てから事務所に向かいました。いままた夕方になってきたので、このあと再び病院に向かいます。ここからはクルマで5分、歩いても15分くらいの距離なのです。‥‥‥‥‥‥【10月2日】手術から帰ってきたときは、意識はあったのだが顔面蒼白だった。そしてしばらくすると寒いと言い始め、本当にガタガタと震えだした。電気毛布も最強にして、掛け布団も何枚も追加したのにまだ寒いと言う。点滴をしていると、カラダが冷えることはあるが、こんなに寒がるのは普通じゃない。ただ、看護士さんによると、これは予定通りのようで、手術などでカラダを切ったあとは発熱するのだそうだ。そういえば、時代小説などで、刀で切られたあとは熱を出して苦しんでいるシーンはよくある。傷口を治そうとするチカラがそうさせるのだろう。熱は39度まであがって、しきりにノドが渇いたと言うのだが、まだ水も飲んではいけない状態だったので、うがいで我慢させていた。面会時間をオーバーしていたが、まだ熱で苦しんでいる状態ではとても帰れずに、ときおり口に水を含ませながら看ていた。そのうちに座薬が効いてきたのか、ものすごい汗が出始めた。だんだん熱も下がってきたのを確認して、僕と義母は家に帰った。義母とはひさしぶりの対面だったのだが、ネコのちょびたは2階に逃げずにちょっと驚き。やっぱ顔を憶えてるんかなあ~フロに入ってすぐに就寝。みなさんお疲れさまでした!おっと、妻から電話がかかってきた。「いまから行くでよ~」
2006.10.03
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報告が遅くなりましたが、手術は無事成功しました~っ!時間もすべて予定通りで、出血もそれほどなく輸血もしませんでした~っ。病室で待っている間は、予定の時間が近づくと廊下をタカタカとストレッチャーが走る音がするたびに、妻のお母さんと顔を見合わせていました。でも無事帰ってきたのでホッとしました。そして帰ってくると、「寒い」だの「喉が渇いた」だの「足をもめ」だのと言い始めたので、まあいつもの通りだなと‥‥。で、問題の子宮ですが、先生がトコトコと料理用のタッパーに入れて持ってきました。(そんな半透明の入れ物に入れて廊下を歩いて来たんすか??)なんというか、フォアグラみたいでした!それでも先生がまじめに説明してくれていたので、どうしても写真を撮らせてくれとは言えず、残念ながらここにアップすることもできませんでした。期待していた人、スンマセン。まあ、なにはともあれ、手術は無事に成功したということで、みなさんどうもありがとうございました!詳しくはまた明日にでも。
2006.10.02
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面会時間ギリギリまでいて、妻を病室に残し、さっきひとりで病院から帰ってきて、残りご飯でチャーハンを作って食べました。でもチャーハンの素を使ったので、これが自炊と言えるかどうか‥‥とりあえず「ひとりで外食しない!」はクリアです。‥‥‥‥‥‥【10月1日】いよいよ妻の手術が明日にせまった。昨日(9月30日)はドクターから手術についての事前説明があり、手術の手順やその後のことなど細かく教えてくれた。とてもわかりやすい言葉でひとつづつ説明してくれたので、こちらも安心度が高まってよかったと思う。そして3通の書類にサイン。これは万が一の場合のもので、簡単に言うと事故が起こっても勘弁してねという病院側の保険のようなものだ。たとえば輸血についての書類には、エイズや肝炎などについては問題ないが、まだ未知のウイルスなどに関しては病院は責任を追いません。よろしいですね?というものである。まあこちらとしても「よろしくない」という理由もないし、そんなこと言ってたら手術ができないので「はい」というしかない。手術としてはとてもポピュラーなものだということで、任せて安心ではあるが、こうして同意書を見せられると、やはり万が一ということもあるんだと再認識させられた。ドクターの話によると10センチくらい切るそうで、おへその下からタテにきずあとが残ることになる。もうビキニの水着はムリだね~。(っていうか僕も見たことない)そうそう、今日は病室に妻の妹が見舞いに来てくれた。朝からちょっと緊張気味だった妻には、とてもリラックスできた時間のようで感謝である。モンブランもうまかったッス!‥‥‥‥‥‥さていよいよ明日は手術の日。いま考えているのは、摘出された子宮を見せられるそうなので、記念に写真を撮ろうかどうしようか迷っている。それって不謹慎なのかな?まあとにかく、明日という日がはやく静かに終わってくれることを望んでいる。
2006.10.01
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今回の妻がガンになったことは、友人や仕事関係にはほとんど言っていません。まああえて言う必要もないし、言ったところで相手も困るし、そんな困っている相手を見るこちらも困る。逆に自分に言われたら、なんと答えていいのかわからなくなると思います。「えっ!ガンなの!?」と、とっても心配そうな顔をして言葉につまる人。そうなるとこちらも、「いや、ホント、初期の段階なんで大丈夫みたいだから‥‥」なんて言い訳みたいに取りつくろったり‥‥。また、「実は、うちのカミさんも‥‥」と、身内にもいるよという話をされる人も意外と多いのにビックリです。ガンでないにしても子宮筋腫で摘出しているという人もまた多い!自分では言わないだけで抱えている女性って、じつはたくさんいるんだということを今回の件ではじめて知りました。‥‥‥‥‥‥【9月28日】妻の入院日さて、独身生活の初日。夕方までは病院に行ったり来たり。なまじ家からも事務所からも近いので、「ハラ減った~、せんべい買ってきてくれ~」などと妻が病院からメールを寄こしたりしてくるんで、お菓子類やカステラなどを持って行ったり。僕の弟が気をきかせて、妻が前から欲しがっていた「ニンテンドーDSライト」を、朝からトイザラスに並んで買ってきてくれたり。保険証の期限が切れるので、保険組合の会合に出席して講習を受けてその場でもらってこなければならなかったり。そんなこんなで疲れたので、夕食は、妻のつくりおきのハンバーグを温めて食べた。でもこの際だから、妻が入院中は、“ひとりで外食はしない”ということにしようと思う。夕食用のレシピもたくさんもらっているし、(以前メルマガで募集したとき送っていただいているのだ)それをひとつづつ実践して、ここに写真をアップしていくつもりだ。ただ週末から手術前後には、妻のお母さんやお姉さんが新潟から来てもらえることになっているので、男の料理を披露できるのはそのあとになる。ひとつだけ、いま悩んでいるのは、左利き用の包丁を買うべきかどうかということだ。
2006.09.29
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昨日はずっと前から決まっていた一日セミナーに行ってました。でも翌日(つまり今日)は妻の入院日なので、セミナー後の懇親会もそこそこに帰ってきましたよ。で、今日はお昼からクルマで病院までお見送り。仕事は2日連続休みです~。‥‥‥‥‥‥いよいよ今日から妻の入院生活と僕の独身生活が始まる!僕は高校生のときに腎臓病(ネフローゼ)で100日間入院した経験があるので、入院生活がどんなものかは一般の人よりはわかっているつもりだ。最初のうちは絶対安静で、食事制限だけでなく水分や塩分も摂れずにかなり苦しんだ。友だちが見舞いにくるたびに、「なんで俺だけこんな目にあうんだろう」とひがんでもいた。帰って行く彼らを窓から見下ろしながら、健康っていいなとつくづく思った。そんな苦しみも病気が治って日にちが経つとケロッと忘れてしまう。今ではある意味いい経験だったと心から思っている。闘病生活というのは人生に欠かせないものだ、と誰だったか忘れたが偉い人が言っていた記憶がある。病気はなろうと思ってなるものではないが、なってしまったらもうそれを受け入れるしかない。時間がかかってもかまわないので、しっかり完治してさらに一回り大きな人間になって帰ってきてほしいと願う。でもカラダはそれ以上大きくなる必要はないからな、念のため。
2006.09.28
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検査の結果、やはり子宮を取ることに決まった妻。でも子宮ってそんなにあっさり取ってもいいものなの??腎臓を片方取るとか胃をを半分取るというのは理解できるけど、ひとつの臓器をそっくり取るというのはどうなんでしょ?それにもうひとつ気になることが‥‥‥‥‥‥‥‥病院に行った帰りになんとなくモヤモヤしていることがあった。「子宮を取ったあとってどうなるんだろう?」つまり、僕らは一応夫婦なわけで、人並みに夜の生活もあったりするわけだ。まあ子供はもともとできなかったし、これからも作るつもりもなかったので、スキンシップがメインになる。単純に想像すると、僕のカラダから出た子分たちはどこに行ってしまうのだろう??まさか腸のまわりをかけめぐることになるのか?なんて勝手にイメージしていた。それともうひとつ。子宮のほかに卵巣も取るということも決まっている。ということは、完全に子供は産めないわけで、つまり子供を産むための“儀式”も必要なくなるのか???人間の数少ない本能として性交時の快感があるが、これは種の保存のための重要な本能である。しかし種の保存ができないとなると、カラダはそのための行為を必要としなくなるのではないか???あ~もう、まわりくどい!つまりセッ○スしたくなくなるのではないか?という疑問である。もちろん、妻のガンも心配だし手術も心配だ。でも僕の頭のなかでそんな疑問がわいてしまったのだからしょうがない。それについての専門書などを読むと、ちゃんと「袋」をつけるし、快感もあるとのことだが‥‥。実際のところどうなんだろう?妻の入院中に家事をひとりでやらなければいけないのも気になるが、じつはそれも気になっているのである。
2006.09.26
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はやいもので、妻がガンだということを知ってから、もう1カ月になる。入院もまだ先だと思っていたのに、今週の木曜にせまってきた。いまになってちょっとあせり始める僕。洗濯機の使い方やゴミの日や家賃などいろいろな支払いも一切知らないし、ネコのちょびのゴハンの銘柄も知らない(ブレンドしているらしい)。というわけで、過去の経緯を急いで進めます!‥‥‥‥‥‥【9月11日】 検査結果を一緒に聞きに行くいろんな検査をとおしてガンと診断された妻だが、そのレベルはどの程度なのか?最初の検査では、ガンとは言われなかったが、念のためということで次の1日入院検査でガンと診断されていた。ということは、考えようによっては、極めて軽い初期の段階なのでは???そんな希望をもちながら、11日のMRI後の検査結果を一緒に聞きに行った。朝からクルマで出かけていって、婦人科の前でお互いに本を読みながら順番を待つ。さすがに婦人科だけに、まわりはみんな女性だ(←あたりまえ)。そこは地元では大きな総合大学病院なのだが、考えてみれば病院には、婦人科はあっても男性科というのはない。それだけ女性の方が病気になる部位が多いということか。そんなことを考えていると、順番がやってきた。ドアをノックして診察室に入る。妻は普通のイスに、僕は予備の丸イスに座った。妻とはすでに面識があったが、僕にとってはこんな機会がないと一生会うことはないその先生は、思っていたより年輩だった。それまでいろいろな人の話を聞くと、担当の先生と合わずに病院を変えたというのが意外と多い。治療方法や考え方の違いなどで、ドクターと意見が合わないことが多いそうなのだ。それだけガンというのは肉体的にも精神的にもデリケートな病気のようである。さてこの教授とはどうだろうか??僕は診断結果を聞きに行くのと同時に、教授の応対チェックの役目も任されていた。‥‥‥‥‥‥MRIの写真を僕らに見せながら、「これでみると子宮壁はやぶれてないようです。 なのでまず転移はしていないと思います」「ただやはり最終的には開けてみないとわかりません」「このレベルだと放射線と投薬で治療する方法もありますが、 今後のことを考えると子宮を取ることをおすすめします」僕にはとてもわかりやすい説明だったので、この時点で好感が持てた。「ということは卵巣は残せますか?」という妻の質問にも、「いえ、卵巣も取ることになります。 というのは女性ホルモンがガンの発生(成長)を促す要因でもあるからです」「じゃあ術後に女性ホルモンは摂取できないできないんですか?」「そうです。 そのために更年期障害が起こる可能性はありますが、 それは別の投薬で対処することになります」なるほど。納得だ。いずれにしても、今後はガンを退治しても更年期と戦わなくてはならないのか。多少の不安はあるが、しょうがないことのようだ。ただ最後にそんな不安を吹き飛ばしてくれる情報があった。「今回のガンのレベルは“1A”です。 つまり一番軽いレベルになるので、術後の抗癌剤も必要ないと思いますよ」これは朗報だ!抗癌剤は強力な薬なので、副作用があると聞いていた。頭髪がすべて抜けるとか、のぼせや集中力の低下などもあるらしい。それはガン細胞だけでなく正常な細胞にも影響するということなので、できれば使って欲しくないと思っていたのだ。もうひとつ言えば、それほど軽い段階であるということで、むしろここで発見できたのはラッキーだったと言えた。ひとまずホッとした。僕らは、これからよろしくお願いしますと頭をさげて診察室を後にした。結果も良かったし、ドクターも合格だ。ひさしぶりに胸のつかえが取れた感じで、急にハラが減ってきた。その後ふたりで近所の喫茶店でオムライスランチを食べ、妻は午後の血液検査へ、僕は事務所に向かった。
2006.09.25
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口に出しにくい言葉ってあるもんだ!その単語を言ってしまうと、なんだかコワイような、よけい悪化してしまうような言葉。そのときの僕には“ガン”がまさにそれだった。ということで前回の続きから‥‥「じつはね、こっちも悪い知らせがあるんだ」とようやく本題に入ろうと切り出した僕。「なんだ?」と父。「じつはあいつもね、子宮を取ることになったんだ」「ええっ!」「おととい検査の結果が出てね」「‥‥‥‥」「良くない結果が出たんだ」同じセリフをくり返しながらなかなか核心に触れられなかった。「病名は何なんだ?」マンガのようにゴックンとツバを飲み込んで一呼吸間をおく。「‥‥ガン、だって‥‥、子宮ガン、‥‥なんだ」「ガン!?‥‥‥‥」やはり父親の反応は想像通りだった。そのタイミングを見計らって妻が台所から出てくる。「でも手術して切れば大丈夫だろうって医者も言ってたので‥‥ まあほとんど初期の段階だから問題ないみたいなんですよ」と、一気に説明を始める。「そうか治るんだな。そうかガンなのか‥‥」僕と同様に免疫のない父親は、ガンという言葉にショックを受けたようだ。それから、入院はいつからだとか、手術は何日だとかを一通り説明した。「でね、まだお母さんには言わないほうがいいと思うんだ。退院するまでは」「そのほうがいいだろうな」自身の手術後間もないので、ここでショックを与えたくないということになった。「まあでも、早く見つかって良かったよ」と、話題が前向きになってきたところで父親が最後にポツリ‥‥「これで長男の孫は見られないんだな‥‥」この言葉には妻も少しショックを受けていたようだ。まだそんなことを考えていたのかと思ったが、逆にこれで吹っ切れただろう。やっと父に告げられたことで、こちらもある意味ホッとした。‥‥‥‥‥‥そうこうしているうちに、下の弟の家族もやってきた。ちなみに僕は男3人兄弟の長男である。彼らには事前に病気のことは言ってあった。夕方になり、カレーもできた。今日のカレーは、いつもより良くできたんじゃないかな。「これ、うまい! 肉が特にうまい!」「おいしい~、今度、うちでも作って!」「これって甘口?」「中辛」「じゃあこんどは辛口で作ってね」「教えてあげるから自分で作りなさい!」「おかわり!」「お~、この子がおかわりするなんてめずらしい~」「いやでもホントにうまいよ」このくらいほめておけばいいだろ???結局、カレーのなべはカラになってしまいましたとさ。
2006.09.22
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病気や入院というのは、なぜかまわりで重なるものだ。僕の友人も同じ時期に入院、そして手術をしている。妻がガンだとわかったのは8月31日。だが僕の母親の入院を知ったのはその前の8月19日だった。母親も子宮の摘出手術なのだが、こちらはガンではなくヘルニアだった。手術は8月28日。無事に成功した。母親が入院すると決まったときから、家族みんなで9月2日にお見舞いに行こうと決めていた。ところが9月2日は妻がガンだということが、わかっている状態。「どうしようか?」もちろんこちらも病気なので、無理していくことはない。だけど行かなければ理由を伝える必要がある。それにいまのところ日常活動には支障がない状態だ。ということで、当日は僕の母親のお見舞いに行くことになったのだ。小さなガン細胞を抱えながら。【9月2日】僕の方の家族にはまだ誰にも伝えていない。それは前にも書いたが、親戚のなかでもガンになった人がいなかったから、電話だけでは僕と同様にショックが大きいだろうと思ったからだ。とりわけ手術後の母親にはショックを与えたくなかったので、まだ黙っていようということにした。一度実家に行って父親をクルマに乗せてから、病院に到着した。病室は一人部屋で、トイレ、洗面所、テレビだけでなく電話も装備されていて、僕が知っている病室のなかでもとりわけ良かった。妻はこれから自分が入るであろう病室の雰囲気をひとつひとつ確かめるように、見てまわっていた。母親はもうベッドの上で起きられる状態で、順調に回復しているとのこと。まずは良かった。ただフトンの中から採尿管が伸びていて、それがベッドの下のビニール袋にたまっているのをみると、妻の姿とダブってしまった。「最初は大したことないと思っていたけど、やっぱり手術すると痛いわね」「あんたたちもカラダには気を付けなさいよ! 健康が一番なんだから」などと母親に言われるたびに、チラッと目配せする僕ら。父親も、「取り出された子宮をみたけど、あんまり気持ちのいいもんじゃないね」などと言いはじめる。普段のなにげない言葉の端々にチクリチクリと反応してしまう。病室ではいつも通りに明るく振る舞っている妻をみて、申し訳なく思った。このまま隠し通すのは妻もツライだろう‥‥。病室を出て実家に戻った。母親が入院しているあいだは一人暮らしになっている父のために、カレーを作っていくことにしていたのだ。しばらく雑談したあとで、妻はカレーを仕込に台所へ立った。居間には僕と父親だけ。「じつはね、こっちも悪い知らせがあるんだ」と僕はやっとのことで切り出した。‥‥続く
2006.09.21
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いま僕らの寝室にはギターが置いてある。それまでは僕の仕事場にあったのだが、事務所を引っ越したときに家に持ってきたのだ。そしてその前は友人の家にあったものだった。いまから8年くらい前、デザイナーである友人から電話があった。なにか相談があるという。「じつは今度、入院することなったんだ」それは僕にとってはそれほど意外なものではなかった。以前、仕事でいっしょになったときに、なんか食べ物がのどにひっかかるんだと言っていて、はやく調べてもらったほうがいいよと忠告していたからだ。おそらくその後検査して何か病気が見つかったのだろう。相談というのは、それまで彼がやっていた仕事を引き継いでほしいというもの。継続してやっているものだったので、仕事に穴を開けることができずに僕に頼んできたのだ。僕はもちろん快諾した。ピンチヒッターのつもりだった。彼が入院して少ししてから病院に見舞いに行った。移動用の点滴を引きずりながらパジャマ姿の彼は、思っていたより顔色が悪かった。そこで初めて彼がガンだということを聞かされ、ものすごいショックを受けた。それまで僕のまわりには親戚も含めてガンの人はいなかった。それだけにガンというのは、とても恐い病気だと思っていた。彼は病院の廊下で看護婦さんと二言ばかりやりとりをして、何かを手渡された。それはモルヒネだった。「痛いんだ」と彼は苦笑いをした。当時はまだ40歳代後半で、しかもかなり美人でものすごく年下の女性と数年前に結婚し、かわいい女の子も生まれたばかりだった。そんな彼がガンと聞いたとき、僕は何も言えなくなった。最後にいっしょに写真を撮った。奥さんが撮ってくれた。その写真が彼との最後になった。見舞いに行って2日後、亡くなったという電話が入ったのだ。僕にとっての唯一知ってるガン患者は、あっという間に他界した。このギターは、後日お宅に伺ったときに、どれかもらってくださいと言われて選んだもの。彼はかなり趣味人で、その家にはなんとギターが50本以上あったのだ。そしてそれから2年間、彼から引き継いだ仕事を続けた。その間、その売り上げの半分を残された家族に入金し続けた。仕事の紹介料というカタチで。
2006.09.20
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3連休はきっちり休みました。でも何をやってたかと聞かれると‥‥う~ん、何だろう??なんかラーメンとかそばとかうどんばかり食っていたような気がする。ということで、前回の続きからです。‥‥‥‥家に帰ると真っ先に飛び出してくるのはネコのちょびだ。どうやら自転車の音がしてチャイムの音、そして玄関を開ける音がすると、僕が帰ってきた合図だと思っているようで、宅急便などが来たときは逆に2階に逃げてしまう。たいがいそれまで寝ているようで、こちらの顔を見ると「ニャー」とは言わずに大あくびをする。でもこれは彼流のテレ隠しだと思う。そんなちょびを撫でていると、2階からトントンと妻が降りてきた。どうやらこちらも寝ていたようだ。「ただいま~」「おかえり~」さすがにどんな顔をしていいのかわからなかったので、こちらもちょっとテレた風に、「詳しく聞かせろよ」「そうよね」妻は病院からもらったパンフレットや資料を持ち出してきた。「入院日ももう決まってて手術も決まってるみたいよ」「手術っていつ?」「10月の2日らしい」「えっ? なんでそんなに先なんだよ」あと1ヶ月も先なんて、その間に病気が進行してしまうじゃないか、と思ったからだ。「それが最短らしい」「大丈夫なのか、それで」「なんかそれまでに検査があって、 それが終わらないと手術ができないみたい」「まあそうだろうけど‥‥」病院の通常システムのなかで順番待ちさせられているのが、僕にはちょっと不満だった。これって緊急事態じゃないのかよ!「MRIとCTを撮るんだけど、それの予約がなかなか取れないせいみたいよ」「まあそこまで段取りができてるんなら、任せるしかないか」「MRIは明日だって、別の病院で」「えっ、そうなんだ」それだけ早くやってくれるというのなら、親身になってくれているのかも。でもまてよ、それだけ病状が悪いということかもしれない。‥‥‥‥「で、先生はなんだって?」ちょっと恐いが核心に触れてみた。「ドラマみたいにさあ、もっとこう言いづらそうにするのかと思ったら そうでもないのね。 あっさり『ガン細胞が見つかりました』だって」妻は人ごとのように言う。「へえ~、そんなもんなんだ」「でね、子宮を取ったほうがいいけど、そうすると‥‥って 言いづらそうにしてるから、 私のほうから『あ、もう子供はあきらめてますから』って言ったら、 ホッとした顔して、そうですか、では手術しましょう、だって」そうなのか、しかし臓器を取ってしまうってそんなに簡単にできるのだろうか。その手術は危険じゃないのか?それでガンは大丈夫なのか?そんな疑問がつぎつぎと出てくるが、それはここで解決する問題じゃない。妻の口調がとてもあっけらかんとしていたので、それほどの緊張感もなく経過を聞いた。そして僕の頭に残ったのは、つまりホントに間違いなく妻が「ガン」になったという事実だ。目の前のこと、ちょっと先のこと、ずっと未来のこと。そんなことをあれこれ考えながら、告知された一日は過ぎていった。
2006.09.19
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え~と、毎日書こうと思って始めたブログですが、いきなり昨日午前様になってしまいました。いえ、仕事です。打ち合わせですよ~(ビール1杯だけですから)ということで前回の続きから‥‥‥‥自転車をこぎながら考えたこと。僕は仕事のクセで何かトラブルがあったときは、その最悪の結果を想像することにしている。その結果を自分の気持ちのなかで受け入れられれば、そのトラブルは恐くないと考えるから。で、信号待ちのときに頭に浮かんだのは、病院にこっそりネコのちょびとカメのタケゾーを連れて行くシーン。看護婦さんなどに見つからないように、かごに入れて病室に持っていく。「ここで鳴かないでくれよ~、ちょび」ちょびは妻がとってもとってもかわいがっているネコなのだ。もちろん動物を人間の病院に連れて行くのは禁止されている。あたりまえだ。それをあえて連れて行くと、妻はとっても喜んでかごのなかの子どもたちを撫でていた。信号が青になった。僕は一瞬でそんな空想をしていた。自転車をこぎ始めて、妻のうれしそうな顔を想像したとき、不覚にもジワッと涙が浮かんでしまった。最悪の場合、もう病院からは帰れない。それは大好きだったちょびたちとも会えないといこと。僕ができるのはちょびたちをこっそりと連れて行って、会わせてあげることだけ。そんな最悪の場面を空想してしまった自分の頭の中をすぐに消した。‥‥‥‥「ただいま~」「おかえり~」いつもどうりのやりとりだ。どんな顔をしようかと思ったが、あれこれ考えるのもやめた。ちょっとニヤッとしながら、「詳しく聞かせろよ」「そうよね」もうしばらく続く‥‥
2006.09.15
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●8月31日 お昼前、オフィスで仕事をしていたとき、その電話が鳴った。 電話の主はわかっている。午前中に検査結果を聞きに行っていた妻からだ。「あたし」「おう、どうだった?」「‥‥アウトだった」一瞬意味がわからず、というかその先の意味を考えたくなくて、 「アウトって何が???」と僕は聞き返した。 「子宮ガンだった」と意外なくらいハッキリと答える妻。僕は「‥‥まじかよ」と言うのがやっとだった。「本当なのか?」こんなとき何と言ったらいいんだろう? なぐさめるべきなのか、元気づけるべきなのか?とにかく、 そのときに書きかけていたその日に配信する予定のメルマガは、 きれいに頭から飛んでしまった。────── そもそも、妻が婦人科に検査に行ったのは、 「なんだか生理痛がいつもよりひどい」という理由からだった。鎮痛剤をたて続けに飲んでいる妻を見て、なんかチクリと予感がした。そして再検査を言い渡され、 さらに検査入院することになった時点で、 もう何かの病気はお互いに覚悟していた。そしてその結果がアウトだったのだ。僕の場合、 家族も親戚もガンになったというのは聞いたことがなかったので、 ガンのイメージがとてつもなく悪かった。ガン=死 という単純なイメージしかなかったのだ。その死の宣告とも言える言葉を電話口で妻が口にした。すこし沈黙。 「しょうがないな」この言葉でいいのか、と思いつつやっと出た僕のセリフがこれ。ちょっと開き直るのが早すぎる気もしたが、 もう、なっちまったものはしょうがない。 そのあと何と言って電話を切ったのかは憶えてないが、 どうせ仕事も手につかないので午後2時ごろに家に帰ることにした。どんな顔して玄関を開けたらいいんだろう? なんて考えながら僕は自転車をこいでいた。‥‥続く。
2006.09.13
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