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2月10日……前回池上梅園近くの嚴定院を訪問した際、弁財天にお目にかかった。池上七福神の内、未訪問だった「馬頭観音堂・大黒天」「微妙庵・毘沙門天」と「曹禅寺・布袋尊」を訪ねてみることに…… 未訪問だった3か所は池上本門寺総門からは少しだけ外れ……南西方面だったので、とりあえず今回は呑川沿いをひた歩き第二京浜を越えたところで南に下った私……でもって、住宅街を歩いていたらいきなりこんな景色……木が邪魔していました。 少し進むと、およよ…良い歩道…… ますます良いね~ 小泉次太夫物語 用水工事……だって。 水利土木技術を代々受け継ぐ家に生まれた小泉次太夫……徳川家康の家臣として江戸に入り多摩川の治水奉行に任命される。幾たびも氾濫する多摩川で荒廃していた村を救うため、農業水路の開削と新田開発に尽力したそう。 時は変わっても、毎年繰り返される水害……昔とはけた違いに力を発揮する重機もある現在だけど、残念ながら本気で考え、取り組む人は見えてきません。 変則交差路の真ん中になにやらあった…… 題目塔……ポツンと独り…「ポツンと一人きり」 (歌:ビートたけし 作詞:島エリナ 作曲:田中真美)『雨降る朝は ベッドにもぐり 作り話に 二人おぼれた 悲しいほどに 嘘つきだった 淋しがりやの 似た者同士 …… …… なぜ わざと愛に 目をそらすのだろう 今 思い出抱き ポツンと一人きり なぜ 優しさだけ 想い出すのだろう 今 風吹く街 ポツンと一人きり』 なぜだかビートたけしのCDもIpodに入っている私…… 南無妙法蓮華経…… 昔は用水があったのかもしれません。多摩川駅から沼部・鵜の木方面に今でも所々顔を出している六郷用水の続きかもしれないね~ 水 仙……咲いていました。『水仙や 寒き都の ここかしこ』(与謝蕪村) 多年草だから時期が来ると自然と顔を出す花ですが、アスファルトで覆いつくされた今とは違い古くはにぎやかだったでしょう。こんな歌を書く私も古いです…… 柑橘類……誰にも取られないみたいだから、酸っぱいのかもしれない。 歩道は日陰なので少し寒かった……車は来ないので車道を歩きます。右の建物は池上警察署……おかげさまで「あっしには関りはありません」……「喧嘩しないでくださいね…」と、日々連れ合いから言われていますので、肝に銘じています。烏賊の肝はおいしいです。 警察の裏通りを右折すると……小さくて分からないでしょうが、猫があるいてた。人の気配に敏感なのか? ちょこちょこ私を振り返りながら去って行った。猫好きではないけど、嫌われてはいないと思っている私……『雪でした あなたのあとを なんとなく ついて行きたかった……』 作詞・作曲:吉田拓郎で歌っていた「猫」さんたちはどうしているのかしら?『ねえ君 なに話してるの だからさ ききとれないよ……』「地下鉄にのって」もなつかしい……詩はやっぱり岡本おさみさんだったかしら? 同名の小説は浅田次郎さんだったかしら?……やっぱり古い私…… あった、あった…… 池上七福神……くたびれた看板だけど… 今にも壊れそうな門扉は閉ざされていた……くやしか~ 馬頭観音堂……『現在、馬頭観音堂の改修工事のため、大黒様は養源寺でお預かりして、恵比寿様と並んで安置されていおります』と張り紙がしてありました。「でも遠いよな~ ここからじゃ読めないじゃないの」と私…… 荒れた庭には石碑があったけど、入れないので由緒由来は不明…… しょうがないから石段を下りる私……ちょっとがっかり… 気を取り直して毘沙門天を求めて南下すると、遠くからでも呼ばれちゃったので近づく私……暇人の証です。肥満児ではありません。 正面に立ったら「ひょっとして裏口?」…… 狛犬は立派……苔をまとった姿から年季が感じられます。左右共に角のない獅子像でした。 徳持神社社殿……回り込んだらありました。創建は建長年間(1249~1255年)、豊前(現在の大分県)の宇佐神宮よりご分霊を勧請したそうです。その後「池上競馬場建設(4年足らずで廃止)」のために遷座したり、さまざまあっても現在立派に存続しています。徳持神社のHPに「八幡神社(久が原西部八幡)」「八幡神社(久が原東部八幡)」「諏訪神社(大田区多摩川)」「東八幡神社(大田区矢口)」「十寄神社(大田区矢口)」が、兼務社として案内されていました。 御祭神は、誉田別之命(ほんだわけのみこと)十五代高応神天皇とのこと。誉田別之命は八幡様として信仰されるそうだから、よく伺います。源氏一族をはじめ武人の神様でもあるんですって…… 神楽殿……まか不思議……たぶん社務所であろう建物から突き出していました。 社殿に向かって右側……境内社の鳥居と左に手水舎 手水舎……ここまでしっかり囲みのある手水舎は初めて…… と思っていたら、この大きな大きな手水石にも初めてお目にかかりました。 徳持田中稲荷神社……つらなる朱色の鳥居をくぐります。 昭和41年に徳持神社社殿とともに再建されたそうです。裏手には、明治初期に植えられた夫婦ケヤキがあるとのこと……裏口から見えたかも…… 立派なお稲荷様でした。 お稲荷様の使いである狐はどこかスリムでした。写真は向かって右の狐ですが、神様のご神徳を象徴する芳珠(ほうじゅ)をくわえています。ちなみに左の狐は、巻物のようなものをくわえていましたが、知恵の象徴なんですって。 神輿蔵……でしょうね~ たぶん、おそらくこれまた立派な神輿が収められていることでしょう。こちらの神社は、近隣の方とおぼしき人々の参拝が後を絶ちませんでした。地元の氏神の姿を見たようなきがします。 空はこんな具合……足取りは重くても心は軽やか……お腹はちょっと空いた… 正面参道脇の狛犬も無角でした。 私の後ろは池上通りだったんですね~ 道路まで出ないと写真に納まらない大鳥居でした。境内の清浄を守る注連縄(しめなわ)も、しっかり張られていました。 拝殿では、なにか神事が執り行われていたようなので、静かに静かに失礼してきた私であります。 毘沙門天様にやってきました……池上三丁目37……徳持神社と同一区画にありました……小さなお寺なので見過ごしそうですが、幟が目に入ります。 微妙庵……お寺だとおもうのですが、扁額も「毘沙門天」……幟も「海中出現毘沙門」の一色……ちなみに「びみょう」ではなく「みみょう」とお読みするみたいです。 毘沙門天様……安永2年(1773年)9月、江戸に向かう舟にて品川の海を渡っていた小原甚助(15歳)は、海中に光り輝く仏像を見つけそれを拾い上げる。そのまま家主の物置に入れて数日、主人の木原市之助が突然高熱で倒れることから始まるらしいっす。それ以降、丁寧に祀ってきたのでしょうが、昭和20年の空襲からも毘沙門天は難を逃れたそうです。ご加護なのでしょうと信じる私です。信じる者は救われる…… お供えのワンカップ・大関……親しみがあります。おいしいです…… 本堂左に祀られています……(左)地蔵様……(右)馬頭観音様で「イボとり観音」とされていました。妙見堂におられたのは、いぼとり地蔵様でしたっけ…… 供養塔……と彫られていますが、詳細不明です……ごめんなさい… 初寅祈祷会……2月10日と書かれていることに、今気付きました。開始は午後2時だったようですが、私が訪問した時(13時16分)には行列などありませんから無視してしまいました。「いやぁ~まいったな~」気付いていたら参加させていただいたのに……残念残念…… 元来、毘沙門天の縁日が寅の日なので、一年で最初の寅の日に毘沙門天に参拝すると福徳をいただけると伝えられる、と独り反省会で学びました。御祈祷会には参加しませんでしたが、当日拝めたことはよかったのでしょう。家族の健康と世界平和しか祈らないので、きっと叶えてくださることでしょう。 残る七福神・布袋さんは後日となりますが、連れ合いが淋しがるのでとりあえず今日はちゃんと絵の多い日記にしました。 毎日ありがとね~
2019.02.18
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今日の「My First JUGEM」……『肩を借りる』今日の「気まぐれなページMkⅡ」……『ホタルブクロ』
2026.06.06
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養玉院如来寺を後にした5月8日…… 坂越えが待っていました。右側手前は住宅でだけど、奥まで如来寺の墓地。 坂の頂上から西へ向かう住宅街……車のほとんど通らないこういう道は歩きやすくてありがたい。 立っている場所は品川区西大井で、坂の下からは大田区東馬込……真っすぐ進めば北馬込……私は下りませんが、品川と大田の区界が少しわかった日でした。 右は中学校……坂下から登校する生徒は足腰が強くなるでしょう。ちなみに冨士見台中学校と言うくらいだから、やっぱり富士山見えるんだろうな~ 学校は来週から始まるのかしら? ありました…… 英倫寺……山号を篠谷山、院号を清泉院と称すそうです。(浄土宗東京教区HPより) 浄土宗のお寺だから御本尊は阿弥陀如来でしょうが、本堂が良く分からないから…… 脇の鳥居へ…… 豊川稲荷? と思いきや…… 豊川吨枳尼真天……[だきにしんてん]と読むらしい。 愛知県の豊川稲荷大本殿に祀られているのが豊川吨枳尼真天。稲荷と呼ぶから神社かと思いきや、なななんと!!! 圓福山妙嚴寺と称す曹洞宗の寺院。ということは、英倫寺には二つの宗派が存在することになるんですね。不思議…… お狐様もおいででしたが、情報がないのでこれ以上はわかりません。 家内安全・身体健全・無病息災・商売繁盛・交通安全……私は、コロナ終息だけ祈ってきました。 三つ葉葵……だよね~「月影杏葉(つきかげぎょよう)」と呼ばれる浄土宗の宗紋とは違いますが、私などの知らないことがたくさんあるのでしょう。 3密は守るんじゃなくて避けるんだから「厳避」の方が良さそうだけど……断じてケチを付けているのではありません。命は大切にしましょう。合掌《おまけ》 一昨日、散歩のついでに久々の墓参り。 気にはなっていたので、Rさんのご自宅前でも手だけ合わせてきました。 お墓の塀際にありました……連れ合いが「きれいですよ」と言っていた場所。これだけ咲いたらスズラン奇麗だったでしょう。しかし、よくこんな場所を見つけたもんだ……感心感心。 テイクアウト・メニュー…… 上段……「ドイツ直送」を謳いたいんだろうけど「パンで作るホットドック」ってのはな~ パンじゃないホットドックってあるのかしら。 下段……「あらぴー」……個人的なことで恐縮ですが、名前が嫌いです。ソーセージが高級なのかもしれないけど、ちょっと高いよ~ 私には…… しばらく休んでいたグレゴールも来週から営業再開。週二日(火曜・木曜たぶん)は昼からやるらしいっす。こういち君、瓶ビールちゃんと冷して頑張ってね~ 西小山のポエムも今日から再開していました。久々のホットドックおいしかった~(サラダは定量の半分です) 見たことありそうでなかった花……「パンで作るホットドック」など、つまらないものに目がいってしまう悪い癖の私でした。 さてさて今日は何をしようかしら? ノンアルは守ります……厳守です。
2020.05.30
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「甘えた坊主」とは「みうらじゅん氏」が勝手に呼んでいるだけで、商品名ではなさそうです。四国の2番札所の土産コーナーで売られていたんだって。 彼のコレクションを連れ合いが見に行って撮った写真ですが、一昨日のツッコミ如来立像より私は好きです。 みうら氏は いったい何体買ってこられたのかしら? 愛らしい居眠り姿ですが、「高野山って和歌山だよね~」と同じ絵柄の高野山せんべいの缶が気になりました。調べたけど僕には見つかりませんでした。きっと連れ合いが判明させてくれるでしょう。 寺はおろか、ドライブインに寄っても土産物コーナーなどほとんど見ない私。でも、面白いものを発見できるかもしれないと気付きました。今度からは機会があるたびに注意してみることにしましょう。買い求めてしまうと財布が軽くなり、狭い部屋に物が増えることになるんですがね~ 今日は、本当にほんとうに久しぶり(昨年の大晦日以来)に二葉の半炒飯・ラーメンを食べてきました。ほぼ満席でしたがラッキーでした。お腹いっぱいです。後でアイス食べよーっと。
2018.08.19
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渋谷区、港区、世田谷区と歩いて、久々の品川区を散歩した11月28日…… 仙台坂のタブノキから東に坂を下って…… 第一京浜の手前……前回は進行方向左側を歩いたから気付かなかった。 泊舩寺(はくせんじ) 北口……裏口入寺だったかも…… 禅宗とありますが、臨済宗の寺院。世田谷では曹洞宗にお邪魔しました。 泊舩っていうのは、海が近いからなんでしょうね。私の背中側は「海晏寺」で、旧東海道に沿って北には「海雲寺」「心海寺」「海徳寺」などがあるし…… 六地蔵がお出迎え…… 庫裏から本堂へ……「芭蕉像安置」の碑……しっかりとしたケースに納められていました。像高38.3cmの木造松尾芭蕉坐像は、幕臣石河積水(いしこせきすい)が深川の芭蕉庵の柳の木で刻んだものだと。本堂にあるんでしょう。ちなみに、芭蕉が好んだこの柳の木は元禄7年(1694年)芭蕉が亡くなるのと同じころに枯れたと。坐像を彫ったのは100年後のことらしいから、古木となっていたことでしょう。 芭蕉像は品川区指定有形文化財ですが、附(つけたり)に狩野嘯川(かのうしょうせん)作の芭蕉旅姿版木があると。 裏面には「旅人と 我名呼ばれん はつ時雨」とあるそうです。狭いから後方へは行かなかった私…… 本堂正面は写せませんでしたが、芭蕉と縁のあるお寺のようです。『室町時代の永徳2年(1382)に開かれたといわれる。江戸時代の初期、1680年代に住職を勤めた千巌宗億(せんがんそうおく)が俳人、松尾芭蕉と親交が深く、境内に牛耕庵(泊舩堂、芭蕉堂)を建てて芭蕉を迎えたと伝えられる。文化年間(1804~18)には、俳人2世杜格斎山奴(とかくさいさんど)(白牛禅師)がこの寺に住んだことから、たびたび句会が開かれるなど、芭蕉を慕う多くの俳人が集まるようになった。』(同寺HPより) 本堂扁額……天林山 同寺には「木造服部嵐雪坐像」「木造宝井其角坐像」「木造白牛禅師坐像」などの区指定文化財も安置されていると。 本堂正面に石碑が並んでいました。いずれも芭蕉にちなんだものと思われます。 なんとかなりそうだけどダメでした。 谷口楼川(たにぐちろうせん)・別号 木犀庵(もくせいあん)句碑……『はせをの前に芭蕉なく 芭蕉の後にはせをなし 芭蕉大なるかなはせをの葉』と芭蕉讃仰の碑だそうです。松尾芭蕉は江戸初期の俳人であり、中期の楼川には憧れの人だったのでしょう。 ※ [はせを]=芭蕉のこと。[せを]は蕉(しょう)の古い表記だと。 読めない…… 品川昔ばなし「泊舩寺の夜泣き芭蕉像」『ある夜、寺から芭蕉坐像が盗まれてしまいました。みんなで手をつくしてさがしましたが見つかりません。盗まれた像は、古道具屋に売られていましたが、古道具屋の主人はその像が、泊船寺から盗まれた芭蕉像とは知りませんでした。 その日の真夜中、「おい! おい!」と、どこからか人を呼ぶような声に、店の主人は目をさましました。まわりに人はだれもいません。「気のせいかな」と思って眠ろうとしましたが、しばらくすると、また、声が聞こえます。表の戸を開けてみても、だれもいません。おかしいなと思いながら、布団にもぐりこむと、やはり声がするのです。主人が声のする方へたどって行くと、どうやらその日に買った像から聞こえてくるようです。おそるおそる像に近づいてみると、像は目に涙をうかべて、「わしは、早く寺に帰りたい」と、かすかな声で言っています。次の日も、また次の日も、同じように泣くので、主人が調べてみると、泊船寺から盗まれた芭蕉像だとわかりました。かわいそうに思った主人は、ある夜、芭蕉像を白い布に包んで、泊船寺の門のところにそっと返しておきました。 翌朝、寺の小僧さんが、門前で白い布に包まれた芭蕉像を見つけて、元の場所に戻しました。これを聞いた村人たちは寺に集まり、「芭蕉様が戻ってきたぞ」とみんなで喜びました。』(広報しながわ・平成20年3月1日第1662号より) 南の門から失礼しました。扉の紋は竹中半兵衛が用いた家紋「九枚笹」と同じです。なんで半兵衛が出てくるのか? 偶然の気まぐれ…… 勉旃勉旃……これをつとめよ、これをつとめよ、さすれば道は開けると。 第一京浜出口に石碑が見えちゃったので行ってみたら…… 寺号碑……昔はここまで境内だったんでしょう。《おまけ》 季節外れの松茸……知り合いの方が作られました。 さて問題です。素材は何でしょう? そして着色は何を使ったでしょう? こっちの方が分かりやすいかな? 答えは明日……忘れなかったらだけど。正解してもプレゼントはありません。
2020.12.22
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日曜日なのでいつもの喫茶店は休み。 ドトールでモーニングを食べながら頭をよぎった。「ひょっとしたら勝手値シート配っているかしら?」 前回は瞬く間に売り切れた。少々後ろ髪を引かれながらも(先日床屋に行ったから後ろ髪は短い私だが) 行ってみることに…… 東急ストアの脇に伸びる行列を発見!!! 店はとっくに開店しているし、なんだろうと入口に近づくと「勝手値シートの配布は9時30分から」の張り紙があった。いつもは9時から配布しているのに。しかし暑いのにみなさん並んでいる。最後尾には係員が立って誘導しているが、列はどんどん伸びていく。 携帯で時刻を見ると9時25分。「半に配り始めても数分はかかるし、どうしようかな~」並んで待つ気にはなれないが「200円だしな~」「おまけに今日は5%Offだしな~」ということで改札広場で待機し、シートをもらって買い物をしてきた。炭酸など水物をシートの枚数=10点……636円のささやかな支払だったがありがたい。ちなみに、10分弱待ったが時給換算にしたら1,200円? へんな計算かな? 安倍晋三さん、これが庶民の姿だということをよーく見なさい。株価が上がろうが我ら一般庶民の生活には関係ない。「あっしには関わりあいのないことでござんす」だ。カジノが出来ようが、議員が増えようが庶民の生活は楽にはならない。 まぁ、赤坂自民亭で飲んだくれている方々には無縁のことだろうね。 買い物を済ませて外へ出たら、残り少ないシートを手に店員さんが立っていた。「ちょうだーい」と手を出すと、「よろしくおねがいします」と笑顔でくれた。今日中なら使えるので連れ合いへのささやかなお土産。私の連れ合いもこういうのが大好きな立派な庶民だ。でも、無理に買い物しなくて良いからね~ さてさて、今日はSpadの下面を塗り替えようかしら? 少々 風があるから無理かな? そうだ、私が帰宅した時、寺の上人さんがお経を上げに来てくださっていました。お忙しいのでお茶だけのご接待だったでしょうが、私は何もしなくて申し訳ありません。暑い中、ありがとうございました。
2018.07.15
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自粛を求められているけど今朝もモーニングに……少しは歩かないと体に悪いと言い訳しながら花見です。 立会川緑道……八重咲の桜を残して、ソメイヨシノは完全に終了しました。長い事楽しませてもらいありがとう。 代わりにハナミズキが満開!!! きれいきれいと眺めているけど、キリストがはりつけの刑に処せられたときの十字架はハナミズキの木材だそうです。クリスチャンにとっては、二度とハナミズキを十字架にしないようにという想いがこもる大事な木なんだって。 ピンクもきれいきれい……1912年に尾崎行雄東京市長がサクラの苗木6040本を米国に贈ったら、1915年にタフト大統領がハナミズキの苗木を返礼として寄贈してくれた。白花の苗木40本とピンクが20本……100年程前のこの原木寄贈によって、日本全国にハナミズキ街路樹が広がったらしいが、60本の原木のうち国内に現存するのは都立園芸高校(世田谷区深沢)にある1本だと。 2000年にタフト大統領の孫にあたるタフト・オハイオ州知事から寄贈された150本の「第2世代」ハナミズキのうち2本が同校に植樹され、さらに2015年同校で執り行われた「植樹100年祭」でも臨席したキャロライン・ケネディ駐日米大使が新種のハナミズキを植樹したそうです。米国からの3世代のハナミズキがあるのは全国で同校だけだって。後で見て来ようかな~ 休校中だからダメかしらね~ 黄色いフェンスも満開!!! 喫茶店は今朝も空いていました(9時21分)から、安心して新聞を読んだ私。 ポスター貼ってありました。みなさん自粛していて喫茶店すら行かないのに投票所は大丈夫なの? 延期が当然と思っているんだけど、強攻する行政。三人が立候補を取り下げたらどうなるのか? 候補者がいなけりゃ選挙は出来ないんだから、三者合意で届け出しなかったら良かったのに。投票所で感染者がでたら取り返しが付きませんよ。私はどうしようかな~ 三人の生の声を聞いていないから政策・実行力は不明だし、鉛筆持っていくのも面倒だし、投票用紙をもらったら投票箱に直行しようかしら? 白票……感染しないよう薄氷を踏む思いで行かなくちゃ。 この方の政策を非難するつもりはありませんが、「マスクの備蓄を区民総人口にあたる28万箱にする」って言うのはハードル高いでしょう。今回の経験上、マスクのみならず消毒液などは全国の自治体で備蓄量を増やすことは火を見るよりも明らか。1箱何枚入りか不明だけど、28万箱を調達するまで何年かかる事やら。新たな感染症発生時に備えてくれることは区民にとってありがたいけど、行政が先走って花粉症で苦しむ一般人を振り切っての大量購入だけは避けてもらいたい。 緊急事態宣言の発令から1週間が経ったけど、マスクや消毒液が枯渇しているおかげで、影響は医療機関だけでなく、スーパーにも及んでいる。ドラッグストア開店前の行列もそうだけど、食料品を求めて列ができている。特にスーパーでは家族連れでの客が増えているそうな。3世代で来て大人数でレジに並ぶお客さんもいるという。幼い子供を家に残して買い物に出かけることのできない人もいるでしょうが、休校になっている小学校での一時保育なんてことができないのかな~ スーパーの狭い通路で並んでいるより安全だと思うんだけど…… ブツブツ書いても仕方ないことは分かっている私……もうやめた。 園芸高校見て来ようかな~
2020.04.14
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分けがあって2年程通っていた豆腐屋=S店(こっちも頭文字はSですね~)を変更することにしました。従って、私の散歩方向も今後は変わると思います。 目黒区中町1丁目にある[関商店]……戦前からなさっているようで、息子で3代目だそうです。私よりちょいと歳を重ねたお姉さんが丁寧に対応してくださいました。今まで買っていたS店と違い、朝早くに豆腐は出来ているみたいです。豆腐屋といえば、昔から朝は早かったですものね~ 伝統的な豆腐屋と言うことでしょう。 大好きな[絹厚揚] を早速食べました。中はトロトロふわふわで美味しかったです。今まで通っていた店では夕方にならないと厚揚は作りませんが、関商店は早くから置いてあるのでしょう……行った時には2丁しか残っていませんでした。木綿の厚揚は沢山並んでいましたが、私は絹派……2丁買っちゃいました。早い者勝ちですよ~ [絹豆腐] と油揚げも購入しましたが、こちらのお味は今日 試させていただきます。きっと美味しいと思います。国産大豆ではなく、日本大豆使用と謳っています。日本大豆という品種があるのかもしれませんが、面倒なので調べません。今度行ったら聞いてみるつもりです。 おぼろ豆腐もありましたが、[豆乳ゼリー] っていうのに興味を惹かれました。黒蜜付きですって……連れ合いのリクエストを聞いてみましょう。 さてさて、朝からの冷たい雨はすっかり上がり青空です。散歩に行こうか? ほったらかしのデカールにするか? ぐずぐずしているダメな今日の私であります。
2017.11.23
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昭和41年(1966年)、昭和39年の東京オリンピック開会式があった10月10日を「体育の日」とし、国民の祝日にした。 せっかく意味あって10月10日にしたのに、平成12年(2000年)から「ハッピーマンデー制度」なんてもののお蔭で、成人の日などと同様に月曜日になってしまった。世の中、土日の休日が定着しだしたからだろうが、3連休を取れる人たちがどれほどいるのか? そもそも歴史的経緯によって制定された日付の由来が失われていくことを寂しく思う。 ちなみに、来年からは「スポーツの日」に名称が変更され、2020年に限り7月24日に置かれるらしい。オリンピック開会式の日らしいが、コロコロ変えなくてもいいのにな~ と思う私です。 昭和39年のカッパのバッチ……毎年、都民の日・10月1日が近づくと販売していました。これを付けていると都電や上野動物園など都施設が無料になったのですが、小学生だったので私は使ったことはありません。 今朝、庭先で見かけました。2匹が仲良く飛んだり止まったりしていたので、ダメもとでデジカメを取ってもどったらまだ居てくれました。 片割れもキャッチしましたが、羽はこんなに幅があったかしら? 子どもの頃はよく捕まえましたが、記憶を一新しました。『赤とんぼの羽をとったら唐辛子』と口ずさみがちだけど、「あのねのね」は『…羽をとったらアブラムシ』でした。アブラムシには見えないけどな~「赤とんぼ 羽をとったら とうがらし」と詠んだ江戸時代の俳人・宝井其角(たからいきかく)……可哀そうだとして師匠である松尾芭蕉は「とうがらし 羽をつけたら 赤とんぼ」と返したそうです。 さてさて、今日は何をしましょうかしら?
2019.10.10
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東海七福神で未訪問だった品川神社・養願寺・一心寺の3寺社と周辺を歩いた1月31日……今年初のロングウォークはいささか疲れた。 以前は目黒川沿いに歩いたけど、この日は山手通りで大崎へ……立派なビルが立ち並んでいた。夏場は良いけど、冬の水は寒い。酔っぱらってたら落ちるよ~ FREE Wi-Fiだって……本当に使えるか、携帯を見たらFREEの文字。 ありがたいけど、こんな所で休んでいる暇はなかった。最近、携帯のバッテリー低下が気になっていたから余計なものは撮らないようにしていたけど、この日は予感的中。帰路で足りなくなりました。 居木橋(いるきばし)交差点……左から右へ目黒川が流れていきます。前回ここを通過したのは2018年10月だった。時の経つのは早いな~ 山手線や新幹線をくぐって、振り返ると……見逃すところだった。 春雨寺(しゅんぬじ・俗称:はるさめでら)……見上げるとシャッターが下りていた。ひょっとしたら? と上ってみたら、脇から人一人通れました。 階段を上って左に参道……寺務所と講堂の入口が右に 如来堂……このお堂がこの寺の本堂。『多くの檀信徒が戦争で家や職を失い、郷里に帰ってしまった結果、檀家が激減。寺の運営の形も自ずと変化。法事に寄る人の数も20名を超すことが無くなったことが理由で本堂の規模は実質的に椅子式20名とされた。』(同寺HPより)……我が家祖先の法事も10人を超すことはなくなりました。 扁額……『江戸の時代、品川宿の十余の塔頭を擁した東海禅寺の内にあって春雨庵(しゅんぬあん)と呼ばれていた寺院であり、とり分け、第三将軍徳川家光から東海禅寺の開山に迎えられた沢庵和尚には縁りの深い寺院である。』(同寺HPより) 東海寺は、以前川沿いから眺めただけだったので、この後お寄りしました。 厨子に納められているのが御本尊でしょう。『先々代住職のとき、昭和23年(1948年)、宗教法人法施行を期に大徳寺を離れ、単立(たんりゅう)寺院となる。以来、何れの宗派にも属さず、先々代・先代住職の宗教理念、仏教解釈に基づいて単立を堅持し、世襲で今日に至っている。』 かつては臨済宗大徳寺派のお寺だったんですね。大本への寄付金やお布施が大変だったんでしょう。 ※ 同寺HPでは「単立(たんりゅう)」とのフリガナでしたが、「たんりつ」とも呼ぶらしい。 本堂の裏側に失礼して…… 大山墓地……管理は、かつては東海禅寺の塔頭の一つであった東海寺がされているようです。東海道新幹線は何十回も乗ったけど、まったく気付きませんでした。一瞬だものね~ 夢塔……『壇信徒には経済的負担を一切掛けないと云う計画に従って、一部境内地を処分し、10年余の準備期間と2年の工期を費やして、平成4年(1992年)、現在の施設が落慶した。』とのことなので、その際に建てられたのでしょう。 同寺は、沢庵和尚の絶筆とされる『夢』一文字の書(東京都指定有形文化財)を所蔵しているという。夢の字はその写しかもしれません。当地に沢庵和尚のお墓がありますが、ウロウロしたくなかったので手も合わせず失礼しました。 寛永15年(1638年)に名僧沢庵のためにと、三代将軍徳川家光が東海寺を創建したのだから、こちらに眠っていても当然です。 西村勝三のお墓……文明開化の幕が開いた明治3(1870年)、西洋式の革靴が日本で初めて作られたと。靴業界の先駆者の一人であるのが西村勝三氏。ちなみに氏が明治3年に築地入船町に「伊勢勝造靴場」を開設した日=「3月15日」を東京靴同業組合は「靴の記念日」と制定したと。 この後立ち止まる「官営品川硝子製造所跡」でも勝三氏の名前が…… 左の東海道新幹線・山手線と、右の東海道線が合流する三角地帯の先端に…… 井上勝(まさる)のお墓……「鉄道記念物」って何? 明治初期から鉄道敷設を指揮し、逢坂山トンネルを完成させるという快挙を成し遂げた。明治23年(1890年)9月には鉄道庁長官となり、明治29年(1896年)には汽車製造合資会社を興して社長になるなど、鉄道事業による日本の近代化に尽力した人でした。「鉄道の父」と呼ばれるそうで、「東京駅前に銅像が建立された」ともあるけど、どこにあるのかしら? ※ 逢坂山(おうさかやま)トンネル=滋賀県(大津市)と京都府(京都市山科区)の間にあるトンネルで、始めて日本人技術者だけで造り明治13年(1880年)6月28日に完成された。 正二位勲一等子爵……奥様と御子息のお名前も刻まれてます。 幕末から明治にかけて武士から官僚への転換は容易じゃなかったでしょう。西村氏も井上氏も「勝」の字が使われていました。 井上勝氏と向き合うように……島倉千代子さんのお墓。 墓地の後方は島倉さんの母校・品川学園。北品川で生まれ育った地元の歌姫だが、亡くなるずっと以前から「お墓にしよう」と、このモニュメントを購入して自宅玄関に置いていたと…… 合掌……大きな黒御影石の「こころ」と彫り込まれた字は自筆らしい。 左の「音の門」には、「流1998」とある。流政之=『世界的彫刻家 流政之は1923年生まれ。刀鍛冶、装丁家、零戦パイロットなどの経歴をもち、彫刻だけにとどまらず作庭や陶芸、家具デザインなど、多彩な造形においても独自の技法やスタイルを確立した作家でした。(NAGARE STUDIOより)』 からたちの小径 作詞:喜多條忠・南こうせつ『なつかしいうたを 誰かがうたってる 遠い日の思い出が よみがえる 駅から続く からたちの小径を 手をつなぎ 寄り添って歩いたわ ………… あぁ あなたが歌ったうた 忘れはしない 好きです いつまでも 涙が ぽろぽろり』 改めてご冥福をお祈り申し上げます。
2021.02.06
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