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August 12, 2006
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カテゴリ: 短編小説
 うちのチームにはエースが二人いる。
 だが、正確に言えば一人だ。

 これだけでは俺が言いたい事が理解できないだろう。だから順を追って話そうと思う。

 日下東高校、俺が通う高校の名前だ。そして俺はその高校の野球部に所属している。今の時期はまさに甲子園大会の真っ最中なわけだが、今の俺達には関係がない。俺達のチームは地方大会の二回戦で強豪校に負けた。だから今は来年に向けて、とりあえずは秋季大会に向けて始動したばかりの時期だ。
「おい、今中。早く戻って来い」
「はっ、はい。監督」
 ちなみに今中というのは俺の事だ。今、俺は練習中で、ランニングをしている。監督から出される少し軽めのノルマを走り終えようか、というときに監督から声をかけられたのだ。
「今中、次は投げ込みだ」

 監督に言われるままにピッチングの準備を始める。
 俺はピッチャーだ。今年の夏も背番号1を背負ってマウンドに登った。まあ、強豪校に5点取られて途中降板という苦い経験もしたのだが、このチームでは間違いなく不動のエースだ。中堅の高校からなら二桁奪三振の完封もしたし、第一、俺の他にエース候補がいないのだから不動である。一年生はまだ、球威やコントロールなどが足りない。俺と同じ二年生にもう一人ピッチャーがいるのだが、そいつも本職は内野手だ。だから、消去法から言ってもエースは俺がやるしかないだろう。
「今中、これから投げ込みだろ?」
 ランニングシューズからスパイクに履き替えているとき、俺はチームメイトに肩を叩かれた。
「ああ、こっちから呼びに行こうと思ってたんだ。悪いな、草野」
 草野がキャッチャーミットを持ってベースの方へ歩き出した。草野はさっき話した同学年のピッチャーである。こいつには投げ込みのとき良くキャッチャーをやってもらっている。俺はわざわざ進んでキャッチャーをやってくれている草野を待たせないようにプレートの方へ急いだ。
「なあ、草野」
「何?」
「今日は俺、変化球の練習していい?」
「ああ、フォークだっけ? 少しは落ちるようになった?」
「前と一緒だよ。俺はお前が取るときにしか変化球の練習をしないんだ」

「正捕手がいるときはもっと実践的な練習ができるけど、草野がいるときはコントロールを失った落ちないフォークを投げるのが一番練習になるだろう?」
「何だよー、期待させんなよー。要するに俺は壁と一緒って事じゃん」
 グラウンドの隅の方に俺達の笑い声が響いた。
 俺達はとりあえず投げ込みの前のキャッチボールを始めた。いきなり全力で投げると肩を壊すのでまずは軽めに投げておくのだ。このときはキャッチャー役の草野もまだ座らない。俺達は他の野球部員が厳しいノックを受けている間にゆるいキャッチボールをしている。
 なんだか悪いな、と思っていたら草野が口を開いた。

 この言動ではまるで草野がノックを受けたくないかのようだが、俺は知っている。これはこいつの本心ではない。俺が二人目のエースと認めるこの男は、そんな事を思うようなやつではないのだ。



 地方大会の二回戦。俺が強豪校に打ち崩されてしまった試合だ。
 七回表、日下東はツーアウト、二塁三塁というピンチを迎えていた。三対一でうちが負けている状態だった。もし一打出れば、差を広げられて逆転は難しくなってしまうだろう。
 そんな事は俺が一番分かっていた。何しろピッチャーだ。自分が打たれているんだからピンチには責任を持たなければいけない。まあ背負いすぎもあまりよくない。何しろエラーを除けば点を取られるのはピッチャーだけなのだ。チームの敗戦すべての責任を背負うなんてばかばかしい。
 つまり何が言いたいかといえば、強豪校を三点に抑え切れれば、負けても胸を張っていいんじゃないかという逃げ道はある、という事だ。

 そんな事を考えていると草野がグラウンドの中に入ってきた。草野はどこのポジションも守っていなかったからベンチから飛び出してきた事になる。守備側のタイム、草野は伝令だった。ピッチャーの俺を落ち着かせるために間を取ったのだろう。すぐにみんながマウンドに集まってくる。
「おい、草野。またいつものあれじゃないだろうな」
 四番サードの三年生が草野に聞いた。
「先輩。あれってどういう事ですか?」
 草野は本気で理解していないようだった。
「分かってるだろう? お前は監督の指示なしにタイムを取る。その事だ」
 次にショートでキャプテンの三年生が草野に言った。
「えっと、いつものように事後承諾でいいかなーって。だって、今中のピンチにベンチでじっとしていられないじゃないですか」
 草野はこういうとき、半分本気で半分冗談だ。これはいつもの事だから皆慣れていた。監督もさぞ呆れている事だろう。ちなみに、これのせいで草野はスターティングメンバーに選ばれていないのだが、本人がそれでいいと言っているので、まあ、いいのだろう。
「じゃあ、その貴重なタイムで草野は何をしてくれるのかな?」
 またキャプテンが言った。これは別に嫌味ではなく、本当に期待しているのだ。草野のタイムは本当に面白いと思う。毎回毎回、俺達の予想を超える事をしてくれるのでつい皆も期待してしまうのだ。

「今日は本当にピンチなんです。ここに勝ったら甲子園も夢じゃないでしょう。しかし、三対一の劣勢の中、今またピンチに直面する今中、そして日下東ナイン」
 このときの草野は生き生きしていると思う。水を得た魚ならぬ、ピンチを得た草野である。
「皆のために、今日はこれを持ってきました」
 草野が手にしている帽子の中には、アルミホイルで包まれた三角形の物体が四つ入っている。これは学校の課外活動でお昼の時間によく見かける、あれだった。
「お、お前これ、おにぎりじゃねーか」
 皆、笑いを堪えていた。以前に大笑いして審判と対戦相手の監督に怒られたから大笑いはできない。だから皆必死に笑いを堪えていた。
「さあ、今中。これは俺からの差し入れだ。遠慮せずに食え」
 草野はご機嫌だった。ニコニコしながら俺におにぎりを押し付ける。
「誰も食わないの?」
 結局、誰もおにぎりには手をつけなかった。当たり前だ。今は試合中である。
「ったくしょうがないなあ。じゃあ、俺が食うか」
 そう言うと草野は躊躇せずおにぎりにかぶりついた。皆は必死に笑いを堪える。
 今は試合中だ。ここはマウンド上だ。こいつは確か、伝令のはずだ。
 普通に考えれば、野球の試合中、マウンドにおにぎりを持ち込む事は基本的に駄目だと思う。食べる事だって一部の例外を除き駄目だろう。ただ、それを平気でやるこいつは少し格好よく見えた。『ルールなんて関係ねえ』と言うドラマの主役のようだった。まあそれ以上に、救いようのない馬鹿に見えたのは、本当に、しょうがない事である。

 ここでの草野の暴挙も永遠に続くわけではない。何故かと言うとそれは、
「ちょっと君、何やってんの」
 審判に止められてしまうからである。

「タイムはタイムでも、お食事タイムです」
 簡単には引き下がらないところもまた草野らしいところだ。
「早く出てって」
「すいません」
 もはやお決まりのフレーズとなっているフレーズを言いながら、草野は審判にベンチへと引きずられていった。これから草野には監督の説教が始まるのだが、さすがに試合中なので、選手である俺達は気持ちを切り替える。
「今日の草野はすごかったなあ」
 サードの先輩が感想を述べた。
「試合中のマウンドでおにぎりを食べ出すとは思わなかったよ。やっぱり大きい試合になると、草野も飛ばしてくるなあ」
 キャプテンもそれに続く。三年の先輩は草野のタイムを見たからか試合中にもかかわらず、もう悔いはないという顔をしていた。
「まあ、今中」
 サードの先輩が今度は俺に向かって話しかけた。
「気楽に投げろよ」
「あ、はい」
 確かに気が楽になった。
 そして、キャプテンは最後にこう言ってタイムを終わらせた。
「まあ、最悪この試合に負けたとしても、マウンドでおにぎりを貪る事と比べたら大した事じゃない。のびのびと守ろうじゃないか」

 俺は再びバッターと向き合った。
 気のせいかもしれないが、キャッチャーミットが少し大きく見えた。
 俺はその回、そのバッターをツーストライクに追い込んでから、スライダーで空振りを取った。ピンチを凌いで二点差のビハインドながら望みを繋ぐ事が出来たのだ。



「まあ、九回に二点取られて負けちゃったけどな」
「なんか言ったか? 今中」
「いや、なんでもない」
 キャッチボールで肩が出来上がったので俺は投げ込みを始める事にした。
「草野、始めはストレートからな」
「おー、来ーい」
 俺は振りかぶってストレートを投じた。





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Last updated  August 12, 2006 07:10:35 PM
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