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August 22, 2006
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「桐原君は知らないだろうからさっきの篠塚君について少し説明するわ」
 ということは夏美とは知り合いなのだろうか。
「彼はこのお店の獣医兼、店長。店の中のことはほとんど彼が一人でやってるわ。お金の管理から動物の管理までね」
 篠塚さんは眼鏡を掛けた優しそうな顔立ちの人だった。雪穂さんによると彼は一人でこのお店を支えているらしい。
「それで、篠塚さんがどうしたんですか?」
「いや、篠塚君とあんたは今後も何かと縁があるだろうから紹介しただけ」
「よく分からないですけど、僕はシロを返してくれれば、もういいですよ」
「それは今、篠塚君が用意してくれてるから待って」
 雪穂さんは少し目を閉じて考え込んだ。


 雪穂さんは突然、口を開いた。
「ああ、それは答えましょう。僕は雪穂さんのせいでシロまで随分遠回りしてるんです」
 僕はシロを見つけたところから思い出しながら話した。


「ええと、つまり、あんたから見ればあたしは猫泥棒なんだ」
「はい。あまりの態度の大きさに『人間は開き直れば何でも出来る』ということを学んだ気さえしました」
「それはあまりいい教訓じゃないわね」
「そうですね」
 雪穂さんには僕の嫌味が通用しなかった。
「それで、何でシロを盗んだんですか?」
「盗むつもりはなかったの」
「万引き犯は必ずそう言うんです」

「逆ギレですか」
 僕は自分が正しいことを疑わなかった。この状況を見れば僕は百パーセント被害者だ。こうなると、もはやお気に入りのバンドのCDが発売されないのも、スロットで勝てないのも、地球温暖化が進んでいるのも雪穂さんのせいに思えた。
「あんた、覚えてる?」
 雪穂さんが言った。
「何をですか?」

「え?」
「夏美ちゃん、今のはあたしに君の兄が言ったことなの」
「え、本当? 兄ちゃんが、雪穂さんに?」
「そう、あたしを口説くなんていい度胸だわ」
「そんな言葉で女が口説けると思ってるなんて、がっかりした」
 夏美は僕に軽蔑の眼差しを送っていた。このままこの話を続けても僕は面白くない。何より、僕には口説くつもりなんてなかったのだから尚更だ。僕は苦し紛れに話を逸らすことにした。
「僕がそれを言ったことと、雪穂さんがシロを盗んだことは関係ないじゃないですか」
「関係あるわ」
 雪穂さんはそう言ったが、さすがにそれは無理があると思った。僕だけでなく夏美でさえも信じていない顔だった。
 そうね、と雪穂さんは話の入り口を探した後に言った。
「まずあたしがあんたを初めてみたとき、あんたは黒猫を捕まえようとしていたわ」
 高いところにいる黒猫に『降りて来い』と言っている人間は、少なくとも猫に用がある。そして猫に用がある人間の大部分は猫を捕まえなければいけない。だから、雪穂さんのように考えるのは自然なことだった。当然僕も例に漏れず、ペットを連れ戻すという用事があったし、その方法として捕まえるという方法を採用した。僕だって本当はもっと穏やかに連れ戻したかった。だが、僕は猫との話し合いが苦手だった。
「それで、あたしはあんたが黒猫を捕まえようとする理由を想像してみた。すると、あんたが黒猫の飼い主だったら、すべての辻褄が合うことに気づいた。逃げたペットを捕まえに来た飼い主。そのときのあたしは、きっとそうに違いないって思ったわ。」
 そのときの雪穂さんは大正解だ。そのままにしておいてくれれば良かったのに。
「そして、あたしは猫を捕まえるのが他の人より得意だから、手伝ってあげようと思った。だけどその瞬間に、あの台詞を言われたのよ」
「『あなたが、ファッション誌のモデルのように見えたので』」
 夏美は得意げに言った。
「そう」
 と雪穂さん。
「いちいち蒸し返すな」
 と僕。
「ここでさっきの話になるわ。あんたが言ったこととあたしがシロを盗んだことの関係」
 雪穂さんの説明は徐々に核心に近づいているようだ。
「ペットを探している途中の人間が、女性を口説いたりすると思う?」
「僕にそのつもりはなかったんですけど」
「仮にそうだとしてもあたしは口説かれているように感じたわ」
「すいません」
「普通は女性よりペットが先」
「でも、自分の家のペットより見知らぬ女性が好きな男なんて探せばいくらでもいると思いますよ」
 むしろ世の中が腐っていることを証明するためには、そういう人間が存在していなければいけないような気がした。
「そんなやつがわざわざ路地裏までペットを探しに来るわけがないわ」
 確かにそうだった。
「僕は雪穂さんから見ればおかしい人ですね」
「もう一つおかしかったのは、あんたがシロの悪口を言ったこと」
「言いましたっけ?」
「『シロは頭が悪いんです』って」
 そう言われると言ったような気もする。
「それがどうしたんですか?」
「あたしから見ればあんたはあたしを口説いてシロの悪口を言っていたのよ。黒猫に何の興味もないってことじゃない」
 雪穂さんにはそう見えていたらしい。
「おまけに、黒猫なのに名前が『シロ』だし」
「それはそれで正しいんです」
 雪穂さんは紅茶を手にとって少し間をおいた。

「あたしはまた考えたの。猫に興味のない人間が、あの路地裏で猫を前に何をやってるんだろうって」
 僕たちも考えた。夏美より先に僕が言った。
「ペットを捨てているんじゃないか?」
「半分正解」
 半分だった。続いて、夏美が言う。
「野良猫を捕まえているようにも見えるよ」
「なあ、夏美」
 僕は言った。
「野良猫なんか捕まえてどうするんだ?」
「昨日言ったじゃない。『最近の若者は頭がおかしいのばっかりなんだから、暇つぶしにシロを殺すかもしれないでしょ?』って」
「確かに僕は頭がおかしい若者に見えなくもないね」
 損な役回りばかりだった。
「そう、だからそのどちらかだと思ったの。あたしはちょうどそのとき仕事中だったから黒猫を連れて帰ろうと思った」
 少し分かりにくい部分があったが雪穂さんは話を進めた。
「そうしたら、桐原君はその猫は自分の物だって言ったの。あたしはすぐに、こいつはペットを捨てに来た人じゃなくて、野良猫を捕まえに来た方だ、と思ったわ。だから、あたしは迷った挙句に『じゃあ、明日もここに来るからそのとき話しましょう』と言った」
「明日も来るってどういうことなんですか? 翌日にまた来られたら渡さざるを得ないじゃないですか」
「もし暇つぶしで猫を苛めているようなやつなら、再び来るなんて面倒なことはしないわ。猫が苛められるっていう最悪の事態を避けるためにはうってつけの方便だったのよ」
「なんか複雑な話ですね」
 もちろん話の中身もそうだったが、僕が余計なことを言ったせいでいろいろ考えさせてしまったと思うと、心境が複雑だった。





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Last updated  August 22, 2006 11:59:01 PM
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