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September 5, 2006
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<一日目_朝_楓>



『ナガオカさんが、死にます』


 寝起き特有の虚脱感から解放された私が覚えているのは、その言葉と、少年の顔だけだった。

 覚えている。私は、夢を見た。
 覚えている。少年が、立っていた。
 覚えている。少年は言った。『ナガオカさんが、死にます』と。

「だから、何だ?」
 私は自分に問いかけた。だから、何なんだろう?
 私は夢を見た。少年が『ナガオカさんが死にます』と言う夢を。


 例えば私は以前、映画を食べながらポップコーンを観るという、とんでもない夢を見た事がある。もしそれが現実になってしまったら、私はどうすればいいのだろうか? 私には映画がおいしいかどうかは分からない。だから、そちらについては何も言えないのだけれど、二時間もポップコーンを見続けるのは、きっと苦痛だ。だから私は、夢が現実になるのには反対する。まあ幸いな事に、賛成も反対も無く夢と現実の間にはしっかりと線が引かれているので、私はまだポップコーンを見続けるという苦しみを味わわずに済んでいる。
 私が夢を気にする必要は、無い。それは映画を食べながらポップコーンを観る夢であろうが、少年が『ナガオカさんが死にます』と言う夢であろうが同じだ。
 だが、私はこの、つい先程見たばかりの夢が気になっていた。何故かは分からない。何故だろう?
 よく分からなかったけど、目覚めたばかりのぼんやりとした頭で思いついた事がある。
「あの少年は、お子様ランチを頼んでも、ぎりぎりセーフ」
 もう一度言おう。だから、何だ?


 私はベッドから起きて、もそもそと活動を始めた。
 よく考えれば、夢の事なんてどうでもよかった。高校生の私が気にしなきゃいけないのは、夢より現実なのだ。私の経験上、現実は思ったより厳しい。思いついたものをいくつか挙げるだけでもきりが無い。宝くじは当たらないし、学食はおいしくない。貯金は減っても、体重は減らない。世の中間違っているとしか思えないけど、それが当たり前なのだから仕方がない。
 現実は今、こうなっている。私は人間で、女で、高校生。今日は平日で、時刻は午前七時。起床してから登校するまでの、朝の貴重な時間である。
 目を覚ました私は、とりあえず音楽を流すことにした。この前出したアルバムで人気が出始めた、とあるロックバンドの曲である。私はこのバンドより好きなバンドがあるのだけど、寝起きに聞くのはこのバンドの曲と決めていた。
 音楽を聞きながら、私は制服に袖を通す。着替え終わって時計を見るとまだ、十分しか経っていない。私の家から学校までは割と近く、八時に家を出れば間に合うので、かなり余裕がある。お陰で今日の私はゆっくり身支度を整える事が出来そうだ。



 私は高校に行く時、友人と待ち合わせをして一緒に行っている。今日は私の方が先に来たらしく、公園にはまだ誰もいない。私はいつも通り友人が来るのを入り口近くのベンチに座って待つ事にした。
 私とその友人が親しくなるのに、これといって特別な出来事はなかった。なんとなく仲良くなって、なんとなく一緒に登校しているのだ。
 これは私だけではないと思うけど、友人関係を築く上で特別な出来事なんて早々起こるものではない。まあ、そういう奇妙な縁というものがあってもいいとは思うが、少なくとも私とその友人には無い。だからもちろん、私とその友人との間には出生の秘密は無いし、命を懸けるような大事件も無い。私達が親しくなった要因を、敢えて挙げるとすればそれは、私達を取り巻く環境のせい、としか言いようが無いのだ。
 私と友人は現在、高校三年生だ。私達は高校に入ってから三年間、ずっと同じクラスだった。そしてこれは、後に発覚したのだが、私達の家の距離は近い。なんでもない事のようだが、私達はこの偶然によって仲良くならざるを得なくなった。友達になる理由なんてそんなものだろう。よく顔を合わせる奴とは仲が良い方が良い。私と友人の関係はそんなところだ。つまり始めに言った通り、なんとなく仲良くなって、なんとなく一緒に登校しているというわけである。

「よう」

 それにしても、一体あの夢は何だったのだろうか?
 その事をぼんやりと考えていると、長岡が私の肩を叩いた。
「何だよ楓、無視するなよ」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事を」
 楓というのは私の、名前だ。
「そうかい。まあ、いいや。早く行こう」
 長岡は男だ。互いに異性である私達が毎朝一緒に登校しているから、付き合っているのではないかと言われたりするのだが、そんな事は断じて無い。何度でも言おう。長岡は、私の、友人だ。

「何だよ楓、無視するなよ」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事を」私の知らない間に長岡が何かを話していたようだ。でも私はまるで聞いていなかった。「それで、何の話?」
 私は先程の話を聞くために話を振った。
「グラタンの話だ」
「グラタン?」
「そう。俺がグラタンを好きになるまでの話」
「グラタン、好きなの?」
「昨日、好きになった」長岡は昨日グラタンが好きになったらしい。私の夢ではもうそろそろ死ぬ予定だが、その割には能天気なやつだ。「グラタンはいいぞ」
「どの辺がいいの?」
「全部だよ。グラタンは世界を救う」
 長岡はグラタンを、まるで何処かの英雄のように言った。
「じゃあ、グラタンに世界を平和にしてもらおうよ」
 もちろん私の気がふれたわけではない。なんとなく長岡に話をあわせただけだ。
「世界平和の実現も近いな。何と言ってもほら、グラタンだから」
 もはやグラタンと言えば何でも許されるようだった。こいつは明日にでも、国連の事務総長がグラタンでない事に腹を立てるのだろう。
 私は思った。好きにしてくれ。

「楓だって、何だかよく分からないバンドが好きじゃないか」
 長岡は私がグラタン話を話半分で聞いている事に気付いたのか、急に話の方向を変えた。
「確かに好きだけど、別に関係ないでしょ」
「そうだな。関係ない」
「好き嫌いは人それぞれ」
「そうだな。それぞれだ」
「私はスリープスを応援し続けるから」スリープスというのは私が好きなバンドの事だ。正確には『the sleeps』という名前である。「あんたはグラタンを応援し続けていけばいいじゃない」
「グラタンを、応援、ね」
 長岡は冷めたグラタンのような苦笑いを浮かべた。無茶苦茶な事を言っても、ぎりぎりのところで正気は保っているようだった。

「『スリープス』って名前は妙に力が入らない名前だよな」
 私がスリープスのファンだと知ってか知らずか、長岡はそう言った。
「どの辺りが?」
 私は聞き返した。実は私も前々からそう思っていたのだ。
「やっぱりさ、プスって入ってると、空気が抜けたような感じがするんだよ」
「ああ、なるほどね、気付かなかった」
「それが未だにスリープスが売れてない原因だろうな」
「そうかもしれない。だから売れてないんだ」
 私は納得した。バンド活動を十年以上もやっておいて鳴かず飛ばずなのにはそういう事情があるらしい。名は体を表す。スリープスはこのまま眠り続ける運命のようだ。





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Last updated  September 5, 2006 03:42:06 PM
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