2009年03月11日
XML
カテゴリ: 夫婦な問題

そんな妻に父は「お前は、10年近くも専業主婦をしていて何ができるんだ!夜の商売にでも足を入れる気か!(別にそれはそれでいいと私は思うのだが、固いサラリーマンだった父には許されない事だったらしい)」と馬乗りになって殴られた事もあった。母には「近所の人や友達(私の大事な幼なじみたち)に離婚したっって言うんじゃないよ!恥ずかしい!本当はここに住んでいて欲しくないくらいだわ。」と言った。(この前ちらっと聞いたら全然覚えてないらしい)妻はなんとか実家から出て一人で暮らしたいと思っていた。だけど、所持金がなかった。自分で持ち出せたのは自分の衣類と車だけだった。

離婚調停中には、幼なじみの一人(離婚の相談もしていた唯一の彼女)からある男性を紹介された。彼は東京の人で自分で会社は持っていないが実家の仕事を手伝いながらフリーで仕事をしている人だと言うことだった。彼とコンタクトをとってみると、その時の彼は東京観光のバスの車内で流す「東京案内」のビデオを作成している時だった。と言うことで早速仕事をもらった。その内容は例えば「浅草」なら浅草の歴史や見所なんかを自分の手で調べて文章として作成してナレーターの人が読む文章の原本にしたいと言うことだった。1カ所に付き3万を支払うと言うことだった。とりあえずは仕事が必要な私は即OKでお願いすることにした。が、実はその彼は私の友人がダイヤル0099で知り合った人だった(今で言う出会い系サイト)。とは言え、私は会うこともなく電話とFAXでのやりとりがメインで後はお金を振り込んでもらう形で仕事をさせてもらった。

初めて会ったのは紳士服店で勤めている時に、その彼が礼服を買いたいからと来てくれた時だった。それが今の主人。。。こんな人との初めての出会いだった。びっくりした。どう見ても大学生にしか見えない。私は「こんな子供に色々文句言われながら仕事してたの?」と失礼ながら思った。とは言え、初対面のお仕事相手の方ですから失礼のないように対応して礼服を購入いただいた。

その後は時々、こんな人から電話がはいるようになったが私には子供にしか見えなかったので面倒だと「忙しいので。」と切ったりしていた。が、時々ランチに誘ってもらったりして、離婚調停中の子供がいない時間にはご一緒させてもらったりしていた。

が、前述したが前の旦那の意図により実家に転勤となり会うこともなくなった。こんな人にはそんな女性がたくさんいたから私一人くらいが東京からいなくなったとしてもたいした事ではなく別に生活が変わることでもなかったに違いない。それでも、まめな人だった。こまめに連絡をくれた。その頃はポケベルという代物だったが、ポケベルだったり暇な時間の自宅の電話だったりに連絡をくれた。。。本当に、マメな人だった。

私は、とにかく離婚をしたのだからこれからの生活を考える事が必須だった。もちろん、両親をあてには出来ない。そして、母からの「ここにはいて欲しくない」という言葉とおり愛知県内にいたいとは思わなかった。求人誌の中から東京の会社を1社みつけ書類を送って回答を待っていた。そんな時、盛岡にいる叔父が「盛岡でイベントがあるから盛岡に来て、仕事を手伝ってくれないか。」と誘ってくれた。GW明けから7月末までの仕事だった。その間、1ヶ月20万円出してくれると言う。(これは叔父の気持ちがほとんどだと思う)住む場所も、通勤場所まで車で30分はかかる御所湖という場所にあるリゾートマンション(叔父の会社の持ち物)に住まわせてもらい。家賃もいらないという。申し訳ないとは思いながらも叔父の気持ちに甘えさせてもらった。GWの最中に東京で叔父と待ち合わせをして、東京ではこんな人と会い、翌日には叔父を乗せて車で盛岡まで移動した。

なんか、こうなると本当に離婚後バタバタとして楽しいことも何もなかったのかと言うと結構楽しいこともたくさんあった。旅行会社で知り合った陽子ちゃんと勤務期間(繁忙期)が終了した段階で旅行会社用に回覧されてきたツアーでケアンズに5日間行ってきたいもしてきた。その時に体験ダイビングしたり、ラフティングもしたりして楽しんだ♪思えば、お金もないのに本当に気楽な人間だと思う。だけど、その時には離婚出来たことが嬉しくて、暗い未来があるとは思えなかったから不思議だった。

盛岡では、叔父夫婦にとてもお世話になった。仕事の休みの週末には叔父の家に泊まりに行き、伯母と日帰りで温泉巡りドライブしたりもした。岩手のおいしいものをほとんど毎日食べさせてもらったり、会社の人たちに夕食に誘ってもらったりした。叔父は盛岡ではとても有名な人だった。叔父の兄(母方の長男)が超有名人で、私が派遣された仕事場には関係者が皆挨拶にみえたりして面食らった!それでも、毎日、仕事に励み盛岡の一番いい季節(5月~7月)を過ごし、7月最終日に開催されたイベントを無事終了させることもできた。

そんな盛岡での毎日を過ごしながらも、名古屋出発前に出した東京の会社では書類選考が通り、2次面接+筆記に上京し、3次面接もとおり、最終面接も合格して、盛岡の仕事が終了する7月31日の翌日である8月1日入社という形で採用が決まった。

叔父には大変申し訳なかったが、全ての荷造りをして引っ越し先が決まったら送ってもらうように手はずをし、車は売ってもらい(50万で売れた)、イベント終了日の夜の東京行きの新幹線で盛岡を離れた。

その晩は、品川のホテルに泊まり会社のある大崎に翌日は荷物をもったまま移動して、会社所有のマンションに宿泊して研修が約2週間行われた。この会社は研修終了後、各支店に転属となりその近くに会社が探してくれた物件に住むことが条件になっていた。6万5千円まで会社が補助をしてくれた。(この辺に惹かれたのが妻であった)女性が多い事から安全を考え勤務の場所から徒歩5~7分の場所に家を手配してくれるのが条件だった。離婚して何もない私にはありがたい事だった!

そして、その頃から「こんな人」との付き合いは深くなっていったのであった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年03月13日 00時58分51秒
コメント(0) | コメントを書く
[夫婦な問題] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

※きらら※

※きらら※


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: