2024年07月07日
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yumiさんのブログを見ていて、子供の頃のことを思い出していた。
鬼百合の百合根のこととか、

兵庫県の都市部にある宝塚市から、山口県の日本海側にある村に引っ越してきて
海辺の山腹(ここ大事!)に住むようになった7歳以降、
水産大学校の生徒さんや、周辺の人々の食生活を見ていて、
食べられるものと、食べられないもの、
食べられるけど、食べちゃいけないものと、
そのままだと食べられないけど、手をかけると食べられるようになるものと、
まあ、色々あるのだと教わった。

今にして思えば、第二次世界大戦の敗戦が昭和20年、私が生まれたのはその14年後であり、
山口県の寒村に越してきたのは、配線からまだ20年ちょっとだった。

在日一世の読み書きのできない母親や、
複雑に絡まる甥、姪、叔父、叔母、従妹が、それぞれ違う通姓名を名乗っていたりした。
小学校1年を過ごした宝塚市にも、そんな同級生が居たことは居たけど、
基本的に鉄筋校舎のエレベーターがあるような小学校だったからなぁ。

下関市の転校先の小学校には、まだ国民学校当時の講堂や半地下室があり、
普段講堂の下の半地下室は出入りが禁止されていた。
そこは、敗戦後の20年の時間が、そのままになっていた。

小学校は明治の早い時期に開校された歴史のある学校だった。
広い校庭があり、グラウンドの他に芝生が養生されていた。
校舎は、木造で、2階建てだった。
ストーブを焚く石炭の置き場があった。
学校の裏手の山に続いて中学校があった。
中学校のガラスは、粗悪な半透明のガラスだった。
今にも倒れそうな校舎で、突っ張りがしてあった。

小学校と中学校との違いは、高さで、中学校は小高い丘の上にあった。

小学校から裏手の山に登ることは禁じられていた。
そこには、招魂場と呼ばれる小さな広場があって、
招魂碑が、東シナ海に向かって切り開かれた丘の上に見えるように建てられていた。
小学校からは見えないのだが、おそらくは、海上から見えやすいように、
皆が学んだ小学校の上に丘を切り開いて碑を建てたのだろう。

どれほど多くの人が、この招魂碑に思いを込めたかは想像することも辛いが、
大戦から20年を経て、帰らぬ子を思いながら死んでいた母親たちのことは、
私が行った頃でも、もう忘れられていくばかりだった。
貧しい漁村は、沢山の戦死者を出している。
徴兵は、決して平等な選出方法ではなかったことは、明白である。

そんな下関市の寒村ではあるが、
毎日の遊びが、食べることにつながる所もあったし、
汽水域に住む不思議な魚たちとか、
いっぱい居ても食べられないイソギンチャクとか、
ナマコは外見はあんなだけど食べられて、
ウミウシやアメフラシは食べられないとか・・・
学生さんが面白そうに、岩にびっしりついているカメノテは食べられて、
良い味噌汁の出汁が出ると教えてくれた。
40代で同僚に食べ方を教えてもらって食べたけど、本当に美味しかった。
味噌汁の具が、アオサという海藻で、そこらの海辺にいくらでも打ち上げられていた。
沖縄でも、普通に食べていた。


さすがの私も、セミを見ても美味しそうとは思わないので、
アジアで一番セミにとって安全な国、
アジアで、唯一、安全な国の日本ですね。
第二次大戦の頃の食べ物の記録には、
羽化直前の地上に出てきたセミを白いうちに、早朝に・・・って
書いてあったっけかが、
アジア各地では、一般的な食べ方は、フライらしい。
う~ん、キチン質にアレルギーがある子には、つらい食べ物かもなぁ。
食文化としてなら、全然OKですね。
牛を飼い、豚を飼い、鶏を飼い、鷹を飼い、鷹の餌にするネズミを飼い、
鶏の飼育と屠殺を学び、
育てて潰して、肉にして持って帰って、食べて、記録して提出する。
そんな日常を送る子等と26年も居たから、
生きることは、命を食べることだと思うし、
新芽を食べ、種を食べ、命の限りをいただいて、生きるのだと、
思う。

私は、よく、生徒達に聞いていた。

「昨日は、何の死体を食べましたか?」
生徒達も慣れたもので、
「チキン、え~と、あ、鶏の死体と、イワシの死体で出しをとった味噌汁と・・・」とか
「卵は死体ではありませんよね?」とか・・・
「有精卵は死体で、無精卵は死体ではないんちゃうん?」とか、

最初は、マイルドに、「何の種を食べましたか?」って聞くけど、
種だって、命そのものだし・・・

こんな時間に、水に浸して置けば発芽もするような、玄米や豆やらを、まあ、食べて、
フリカケの胡麻も、種よなぁとか思っている。

乞巧奠、本場の中国は、旧暦で動いているから、まだまだ先だろうが、
最近のニュースで、大雨が続いて、洞庭湖の一部堤防が決壊して、って書かれていたなぁ。

日本でも、仙台とかの本格的な七夕を見る地域は、旧暦で七夕やるよね。

学校教育が、太陽暦に動いても、盂蘭盆会と、七夕と節分とは、旧暦やなぁと・・・






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最終更新日  2024年07月07日 21時08分46秒
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Re:文月 七日 乞巧奠 まあ、七夕(07/07)  
kororin912  さん
子供の頃、「たなばた」のお話を聞いて、本当に星が動いて、二つの星が並んで見える、と信じていました。
ぜひ、見てみたいものだ、と思っていたけれど、何か、曇っていたり、雨が降ったり。
ちゃんと、夜起きていて、星が動くのを観察したことがなかったです。残念。

のちに、本当に星が動くことはないんだ、とわかりましたけれど、ちょっと興ざめでしたね。

本気で二つの星が動いて近くに行こうとすると、14.4光年離れているから、光のスピードで動いても、年に一度出会うなんて、とても無理なようです。


(2024年07月07日 21時42分33秒)

Re:文月 七日 乞巧奠 まあ、七夕(07/07)  
小芋さん  さん
織女と牽牛では、なんか、言葉としては、もう一つ、
織姫と彦星で、しっくりきます。

ベガとアルタイルとなると、これはもう高校の夏休みの宿題を思い出す。
ベランダで、大三角形を観察するのには、田舎で、適していた。

蚊の来襲があったけどな。

冬の星座の方が、好きかも。

乞巧奠という言葉は、昔の大河ドラマで覚えたな。
山岡荘八の「徳川家康」やったかなぁ。

まぁ、七夕(たなばた)は変換するのに、(しちせき)だとしない、
そうなんだぁ・・・って思いながら、打ちましたけど。

今日は、母の機嫌が悪いらしく、妹の連絡も湿りがちでした。
傷みが強いままなのかも。
座れないのに、看護師さんからは座って食べてって言われて。みたいな。

母が、指示をちゃんと聞こえているのかもわからないし、
聞こえていなくて、結果として座れなくて食べられないなら、問題だし。
聞こえていないのに、聞こえていないことを認めないからなぁ。。。

そもそも28キロくらいしかないから、栄養失調で死んじゃう・・・
誤嚥が心配で、座って食べるように指示をされているなら、
痛まないようなドーナッツ座布団とかが必要なんだけどな。
そもそも、仙骨骨折の主症状は痛みなんだし。。。へろへろだわ。
母は、痛みに弱いのよねぇ・・・ (2024年07月07日 23時01分37秒)

7月7日の晩御飯に何を食べたか?  
小芋さん  さん
7月7日の晩御飯に食べたものは、

・ミニトマト

・ブロッコリーのバター醤油炒め

・カツオのたたきの切り落とし

カツオのたたきの切り落としって、有れば買う路線で、有ったので買った。
ブロッコリーのバター醤油炒めは、蒸しブロッコリーの残りを安全に美味しく食べる方法だけど、夏は、暑い。。。それ自体は熱いし、調理が暑い。だから、熱々を食べるのは、この時期はやめてる。冷めてからで、十分。マヨネーズをかける代わりにバターで炒める感じ。ミニトマトは、これはもう、毎日食べる分、前の日に採って、追熟要らないから冷蔵庫に入れてある。追熟しても美味しくならないのは、育てやすい品種の宿命で、そこらで買ってくるミニトマトと変わらない。 (2024年07月08日 20時56分23秒)

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