わが団体で教育基本法改正問題の講演会を行った。
そこで靖国神社に関する雑誌の資料が配布されたので引用したい。)
最も大きい愛
靖国神社の英霊となって,天皇陛下の御拝を辱(かたじけな)う
するほど,日本国民としての栄誉があろうか。
これというのも,愛する祖国のために命を捧げて
尽くしたお蔭である。
ー愛するもののために命を捨てるほど大きい愛はないー
ほんとうに人間としてこれほど尊い愛の好意があるのだろうか。
命を惜しまず尽くすことは,祖国の急に赴(おもむ)く
場合ばかりではない。愛する家庭のためにも
愛する肉親のためにも,愛する働きのためにも,
愛する友のためにも,命を捨てて
尽さねばならぬ場合は必ずあるべき筈である。
そういう場合に,喜んで命を捨てて惜しまぬ人と
なりたいものである。大きい責任のために命を捨て得る人こそ,
命を全うし得る人である。大きい義務のために
死に就き得る人こそ,永遠の生き得る人である。
靖国神社の神事は,人として永久に生きる道を,
教えるものである。(記者)
(主婦の友,昭和14年6月号,巻頭言)
昨日のNHK朝の連続放送「きらり」におばあさんが
孫が兵隊に出征することになって泣いてばかりで,
出征する孫から見送りにきて泣くのは,非国民だ
から来るなといわれたことに泣き伏す場面があった。
あの時代は,兵隊に行って,死んで靖国神社の英霊に
なることは,栄誉だった(と洗脳されていた。)。
栄誉の可能性があるのに泣くことは非国民なのである。
頭書に記載した「主婦の友」(当時100万部の実績があった。)の
巻頭言は,当時の社会状況を表していることを実感した。
国が地域が社会が戦争で死ぬことを奨励し,国民はこれを
受け入れてきた。
「靖国神社の英霊となって,天皇陛下の御拝を辱(かたじけな)う
するほど,日本国民としての栄誉があろうか。」
悲しいなあ,天皇陛下のために死ぬために生まれてきた人生か。
「愛するもののために命を捨てるほど 大きい愛はない。」
これは,詩的である。ある種美しい。
しかしながら,個人的にはなんら恨みにない人間を国から殺せを
命じられて,
これが「愛するもののために命を捨てるほど 大きい愛はない。」
の意味なのか。
私も,妻も,わが子も,その子たちも
「戦争を知らないこどもたち」の
まま死んでいきたい。
Comments