全8件 (8件中 1-8件目)
1

こんばんは作業所と歯医者に行ってきました。目標達成です。何かに追われてきている気がするので少しゆっくりしたいなと思います。いろいろと朝早くから一人で家であれこれと触って気に入ったデザインのを一つつけてみようかと思います。(Royal scandal より抜粋)少しずつ頑張って3月からは料理とかも頑張ってみようと思います。
2025年02月28日
コメント(0)
こんばんは。書こう書こうと思いつつ、なかなか遠のいていました。今日は作業所でインスタグラムの記事作り。落ち着きのない方がいるので少々耳がきーんとなります。そして、耳鳴りが収まらず足もムズムズして自分自身も落ち着きがなくなります。明日も作業所と歯医者の予定があるので頑張りたいです。家でもCanvaの使い方を勉強していたら時間を忘れて没頭してしまう。少し落ち着かないとと思いつつも気になってしまうのがだめですね。早めに休んで明日に備えたいと思います。
2025年02月27日
コメント(0)
おはようございます。(二度目)今日は今日で日記を書きたい気分なので綴っていこうと思います。二度目の結婚は地元からほど遠く方言も強いところで慣れるまで大変でした。でも、そこで唯一感謝することがあるのなら。職場で尊敬する先輩方に出会えたことです。今でも忘れません。介護の仕事が好きになったのも、介護福祉士の資格まで取れたのも先輩方のおかげです。本当にありがとうございました。それだけはとても苦痛と悲しみに満ちたあの地獄のような日々の中で唯一素敵な時間でした。多分先輩方がいなければ私は今ここにいません。繰り返される伴侶のジサツ未遂と救急車と数か月単位の入院。ニートになって引きこもりになってしまった彼をなんとか支えようとしましたが無理でした。私は外で稼がなくてならないし、私自身もうつ病を抱えながらだったのでそれだけでも辛いことでしたが、義理のご両親に頼んでも何もしてくれないどころか義理の妹さんの結婚、妊娠のお祝いに呼んでくる始末。どう喜べと??という感じでした。義理とは言え妹ですし、年下ですし、こちらは姉なのに煙草をふかして煙を吐いて挨拶もしてこない、こちらが挨拶してもうなづくだけのひとたちをどうこの大変な時に祝えと????本当にあれはつらかった。義理のお母さんにおめでたいことは重々承知ですが、こちらとしてはお祝いする余裕もないので行けませんと伝えてもご本人が仕事終わりの私を見つけてチャイム連打。信じられませんでした。あなたの息子ですよ?何とかしてください。何度も離婚を考えて、でも何度も一度目の離婚を思い出して私が悪いんだ、私の我慢が足りないんだと一人で考えてがんばろうとしての繰り返し。摩耗していくのがわかりました。事故にあって怪我をして看護師さんに「家族は?」と聞かれたときに咄嗟にでたのは「すみません、いないので会社の人に連絡してもらえますか」でした。既婚者なのに家族がいないと頼れないと思った時何針も縫うけがをしたのに誰も心配してくれない時そして、ひきこもりなのに夜中に人のお金でコンビニに行き爆買いし爆食いする彼。退行し子供のような100キロ近くまで増えた彼の世話。耐えられなくなって何度か未遂しましたが、私はいつも家の中で一人目が覚めるのです。ああ、しねないのだと思いました。何をしても飛び降りはやったことがありませんが。いろいろな方法を試みた気がします。そして、度重なってでた彼の「しらない、僕のおかねじゃないし」という言葉にもうだめだ。働いても働いても感謝どころか何もしてくれないどころか害だ。と思った時に我慢の糸が切れたような音がしました。離婚し、地元に帰ったのでした。父母は相変わらずで、貴方が悪いと、二度も離婚するなんて、と思っているようでした。だから私は外に話を聞いてくれる人を求め、そこで彼氏と出会うことになるのですが。付き合ってすぐ隣の隣の県へ引っ越ししてしまい中距離になってしまいました。其の頃は外国人の多い介護施設で働いていましたが、特養ということと、外国の方の団結力というかさぼり癖というか辟易し、休憩時間も休憩室で歌を歌ったり大音量で歌を流したりと好き勝手。一概に外国の方とひとくくりにしてはいけないとわかっていますが、死ぬほど忙しかったでした。一人でこの仕事量どうしたら終わるの?と思うほどです。いや、無理な量だと思います。オムツを三人交換、トイレに行きたいと言われれば何度も何度も(認知症のため)つれていき、夜のお部屋の準備をしつつ、ユニット外に出ていかないように見守り、記録を書き、突然放尿する方の行動を見つつ、歩き回ってる方も見守りつつ、食事の準備。もうここだけで無理だと思うのですが。。新人なのに日本人だからという理由であれこれ仕事を言われパンク寸前。元々のスタッフさんからしたら私は新米なのに注意してくるなんてと批判。胃が痛かったですし、家でもいろいろとあり。パニックになったのでしょう。仕事終わりに彼氏のもとに泣きつきに行きました。その結果、親からは絶縁されてしまい。そこでその時の彼氏と同棲をすることになりましたが、一緒に住んでみないとわからないものですね。なんと、、モラハラ男でした。食品はそれぞれこれという食品、潔癖のけがあり洗い物や洗濯などの細かいところにも指定、あとなんだったか。もう細かいルールが多すぎてでも、こちらからのお願いは一つも聞いてくれなくて。結局別れました。ただこの県、精神科の病院が異様に少なく病院に困りました。そこから、職場運というか人間関係が最悪で。男の職員にしか反応しない上司や仕事を押し付けてくる看護師、陰口を目の前で言う看護師に仕事を押し付けイライラしていたのを上司にチクる看護師。無関係の部署で仕事知らないはずなのにちくちく行ってくる謎の人や男性職員と仕方なく残業しているだけなのにロッカーから私物を盗っていったり、あらぬ噂を女性職員に流し無視をくわだて皆の前でぐだぐだ陰口を聞こえるように言うお局。結論、病みました。仕事は自分で言うことでもありませんが、できました。でも、心が持たなくて職場を転々としているうちにぽっきり折れてしまい家の外に出るのが怖くなりました。買い物もいけず、調味料を食べつつ水道水を飲んで過ごしました。そんな私の状況を察したのか偶然なのか、しのうとした私のところに久方ぶりに母から電話がかかってきて、声で何かを察したのか状況を伝えると仕方ないから帰ってきなさいと地元へ帰郷。髪はざっくばらんに切りそろえられ、動くこともほぼできない私はそこで療養しとりあえず、めまい、吐き気、倦怠感、体力低下、頭痛、続く発熱に幻覚、足ムズムズ症候群、胃痛などの症状がありましたが、やっと落ち着くまでになりました。もちろんまだ完全にない日は稀ですが、寝込む日は本当に少なくなったと思います。この状態に戻るまで1年程かかりました。今では外にも出れるようになってますし、家事も少しずつして、B型ですが通えています。うつ病って本当に時間がかかるのだなと心底思います。どうか、焦らないで少しずつ良くなっていきたいです。もしうつ病に苦しんでいる方がいたら、一緒に焦らずいきましょう。
2025年02月26日
コメント(0)
おはようございます。全く持って忘れていたというか三日坊主になるところだった。危ない危ない。現在就労移行支援B型に通っているのですがそこでCanvaというものでインスタグラムの記事を書くという作業をさせていただいてます。インスタ自体やったことはあれどスマホで写真撮ってそれをあげるだけなので画像つくるってなに!?って感じでしたがCanvaさん使いやすく助かっています。でも、月曜日通ったときに難しいお題を出されてしまいもう少しCanvaについて学びたいとyoutubeで動画を見たり実際に無料版ですが触ってみたり作ってみたりしていたら朝ごはん食べるの忘れていたぐらい集中してました。楽しさはありますが、如何せんセンスがなくて困りますね。WEBデザインとか学ぼうかと思っていましたが、調べたら意味ないとか出てきて軽くショックを受けました。なにを勉強したらデザインに自信が付くのだろう。また今度図書館とかで本を探してみようと思います。ぜひこの資格おすすめとかあれば教えていただけると。
2025年02月26日
コメント(0)
おはようございます。まだまだ寒いですね。久方振りによく眠れたので少しすっきりしています。振り返りの続きを少しずつ書こうかなと思います。本当にいろいろなことがあるので二日はかかりそうな気もしています。医療事務になった私は大きな病院だったこともあり最初は総合受付へ配属されました。救急受付や初診受付、書類受付、処方箋窓口、保険変更窓口、会計など本当にいろいろありました。なによりびっくりしたのが「救急受付」です。これは救急車から連絡が来て患者様のお名前等聞き履歴を検索し、あたりをつけたり、全くいなければ診察番号を発行したり、その準備をして救急車が到着したら走る!!救急車から出てきた患者様や付き添いの方へ保険証などを聞くというとても場違い感のある人でした。それも先生によっては怒る方もいるので、早く電子カルテで入力できるように受付しなくてはならないというものと、付き添いの方がいない場合患者様ご本人に名前等を伺わないといけないので毎度はらはらしました。ぼけっとしてると診察はじまっちゃうので。その後は外来やレセプトなどもいきましたが。医者ってどんな人種なんだろう?と思うエピソードが多々あります若干今も医者不信です。ここで確か23~24歳ぐらいだったでしょうか。結婚することになり、人間関係も悪かったのでパートにしようと辞めました。女ばかりの職場って怖いです。ですが、後から思います。ここはまだ全然マシだったのです。私は実はバツが二個ついており、お恥ずかしながらこの最初の結婚は二年程だったかと思います。元旦那は私に一目惚れをしてくれ、アピールされてそれに根負けし付き合うようになったのですが。やはり若さと勢いで結婚なんて決めてはいけませんね。今後自分でも思いますが、私はダメ男を寄せ付ける体質のようです。大丈夫です、今はもう自分の男を見る目は全く信じてません。信じません。(恋愛について書くことがあれば今後かきます)いろいろ思うところはあれど、まだまだこの時は安定していたように思います。希死念慮などはあれど、体調をそこまで崩すことなく働けていましたので。そこから3年ぐらいでしょうか。其のころは違う病院で看護助手をしていました。病棟勤務で患者様と接する機会が多く、楽しく働かせていただいていました。そこから介護の仕事に興味を持ち資格も取ることになるのですが。遠距離恋愛をしていた時で1年程経った頃に結婚を前提に彼の方に来てほしいと言われいくことに。元々彼も精神疾患持ちでしたので、分かり合えたのは嬉しいことですが後々後悔することになります。その時は恋は盲目とでもいいましょうか。なにも心配していなかった馬鹿な自分がいました。卵巣嚢腫、チョコレート嚢胞といえばいいのか。一度結婚時に手術をしておりました。それが再発したのか、婦人科に通ったのが今にして思えばトリガーになってしまったのかもしれません。新薬と先生は言いましたが、それのおかげで卵巣は確かに痛みが減ったものの、鬱状態が強くなりすすめられるまま久しぶりに前通っていた病院ではないものの精神科にかかりました。その時は鬱状態酷く、何もしたくない状態と吐き気が止まらない、めまいだったかと思います。また彼、その時は既に結婚していたので旦那ですね。彼もたびたび私が休日のたびにジサツ未遂を繰り返し、救急車を呼び入院し、3か月入院なども頻繁だったのでほぼ知らない土地で知り合いもいない中うつ病をかかえて一人暮らしし、仕事の合間に病院に顔を出しという日々を過ごしていました。年数にすると大体5年程。辛い日々でした。が、親からは自分で選んだことでしょうと言われ義両親からはあなたが来たせいであの子が病気になったなど言われたりありました。その割に入院中の見舞いも洗濯なども帰ってきたときの世話も何もしてくれないのはいまだに納得できませんが。そこから悪化していくことになります。でも、このころはまだ頑張って働いてました。振り返ると自分馬鹿な選択ばかりしているなと思います。過去に戻れるならば、そんなにがんばらなくていいのだと言いたいです。
2025年02月24日
コメント(0)
こんにちは、お疲れ様です。頭がいっぱいになってきたので吐き出しがてらに前回の続きを書いていこうかと思います。高校は進学校に通い良い成績だったので頑張って成績を維持しつつ部活動を頑張り、家に帰宅してから毎日毎日山のような課題と予習と復習をして夜明け前に寝て夜明け頃に起きてという日常を一年程過ごしていました。今考えると何故そんなに頑張ってしまったのかと、思うのですが。その時はそれをしなくてならない、しないと不安という考えが頭の中を巡っていました。ふと、そんな日も突然終わりが来ました。気が付けば学校に行けなくなっていたんです。行こうとすると体が拒否しているかのようでした。3か月不登校の後、通信高校へと転校しました。最初に行った病院は大きな病院でした。予約で行き、しっかりと書きごたえのある問診票を書いた記憶があります。そこの医者はPCから一切こちらを見もせず問診票に書いたことを見もせずに同じ質問ばかりしてきました。その時に私はもともと父譲りの短気な性格でしたので「画面の向こうに患者がいますか?問診票を書いたのは何のためですか?問診票と同じ質問をしている意味はどんなことがあるのですか?私を診断するための時間かと思っていたのですが貴方には患者が見えていないようなので帰ります」と恐らく一方的に怒鳴って帰宅してきたと思います。受付の方には申し訳ないと思います。きっとひやひやしたんだろうな、と。反省です。その後から長らく他人に自分の気持ちを伝えること、弱いところを見せることが苦手になった記憶があります。カウンセリングで聞かれても何も話せず大丈夫です大丈夫ですと繰り返していた気がします。今思うとその最初の病院でのことが心に強く残っていたのかもしれません。元々他人に弱みを見せない。信じないというのは根底に根付いていたのもありますが。専門学校へ通い、医療事務として病院で勤務していました。でも、投げやりに終わらせてしまったうつ病はまだ自分をきっと蝕んでいたのだと思いますこれからうつ病で病院に通う方がいるなら10年単位で考えてすぐ直るわけがないと思って病院に通ったほうがいいかもしれません。仕方ないです。心の問題はなかなか治らないものです。見えるものならいいのにと何度も何度もこの後10年間程思い続け今に至ります。
2025年02月23日
コメント(0)
おはようございます。ブログ二日目です。今日は途中で目が覚めてしまい2時半頃から起きていました。二時間ほど寝ようとしていましたが諦め途中から趣味になりつつある羊毛フェルトをしていました。アクレーヌという羊毛フェルトは掃除に向いているらしく現在画面を拭けるようなシンプルなハート形を作っています。最近はだいぶ体調も安定してきていたのですがここ数日寝れない日が続いています。耳鳴り、倦怠感、頭痛、排卵痛がここ数日あります。ホルモンの関係かもしれません。気にしないようにできることをしつつ、体を動かしていくのが目標です。現在は作業所といえばいいのか。就労支援B型に週3回、デイケアに週1回(カウンセリング月に2回)、図書館に月に2回通うようにしています。少しずつ増やしていけるといいなと思います。このうつ病になったのは、最初は高校生の時でした。それ以前から思えば傾向があったかもしれません。唐突に「しにたい」と思ったり、自分の髪の毛を突然切ってみたり、勉強をするのに追いつめられるようにしていたり。原因というのは、わかりませんが。親が原因なのかなと思います。毒親と言われるものなのかわかりません。ですが、嫁に行き他人の家庭を見たときや、相談員さんと話したりなどしていると育った環境がおかしいのだとわかりました。生まれ育った環境というものは最初からされているとこれが普通になってしまい異変というものに気が付かないものですね。私は長女で6つ以上離れた弟の二人姉弟です。祖父母は男の子が欲しかったようで特に父方の祖母はがっかりしていたのを、弟が生まれたときの喜びようが特に印象に残っています。お年玉が年が離れていても同じ額や私の袋の中に味海苔が入っていたこともあります。母も今思うと祖母から何か言われていたのかもしれません。弟をものすごく可愛がっています。弟が小学生になった時に朝起きると食卓に3人分の朝食しか用意されていないことありました。もちろん、父母弟の分です。「私のはないの?」と聞いたときに「弟の分が余ったらね」と言われた記憶があります。また、一番強烈な記憶は帰宅したときに母が私の歯ブラシとコップで金魚の水槽の掃除をしていたのを見たときです。もちろん、母だけでなく父とのエピソードもあります。高校の公立受験が失敗したら水商売でもしろ勉強していても女なんだから料理をしろなど男尊女卑の考え方が強かったです。今では落ち着いていますが昔は短気でよく箸や布巾いろいろなものが投げられてきました。そんな家庭で育った為よく言われていた「でぶ」「ぶす」を親から言われていた私は、それをそのまま信じていました。自己肯定感も限界まで下がっていたと思います。念のために言っておきますが、私hでぶでもぶすでもなかったようでした。数年後あんなのは冗談だ、食わせてないみたいだから食えなどと言われました。最初に風邪薬を大量に飲んでみたのは何歳だったか。心配はされませんでした。もったいないといわれただけです。勉強しなきゃ勉強しなきゃ部活を頑張らなきゃと考え自分を追い詰め追い詰め、そうしていく内に私はいつの間にか高校にいけなくなっていたのです。其のころには胃痛と吐き気がひどかった記憶があります。振り返ってみると長々書いてしまいました。ここまでがうつ病になったまでの振り返りです。
2025年02月22日
コメント(0)
以前は趣味やゲームに関して書いていた場所。少し現実から目を離していたように思います。今までの人生いろいろありました。30半ばで何をと思われるかもしれませんが、本当にいろいろありました。私が世界で一番不幸なのではないか、なんで生まれなくてはいけなかったのか誰が産んでくれと頼んだのだと憤りを覚えたことも少なくありません。未だ、しにたいと思うこともあります。なんで生まれたのかという問いにはまだ答えられません。こんなに苦しいならこの世に生まれたくなかったとも思います。でも、少しずつ世界で一番不幸だとか、そう思うことはなくなりました。決して満たされたものがあるわけではないけれど。ゆっくりゆっくりですが、良い歳でとも思いますがやっと少しだけ自分を許せた気がして向き合う気持ちになりました。昔、幼い頃に思い描いていた、想像していた人生からは本当になにもかも異なりますがそれでもお恥ずかしながら私が自分の心と向き合う為、いつかこんなこともあったのだと見れる日がくることを願ってここに綴っていこうと思います。
2025年02月21日
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()
