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先週の土曜日、滋賀県北部に位置する静かなまち、長浜を牛肉の宣伝販売で訪れた。長浜は長浜でも、この日の現場はタクシーでないと行くのが難しい店。昨今のタクシー事情をかんがみ、ここ数年は仕事依頼があっても断り続けていた店だ。それでも今回は依頼を受けたのは、ここで取り上げるまでもない、「お金」のためである。「行けば、◯万円とプラスアルファ。断ればゼロ円。タクシーも早い目に予約しておけば来てくれるかもしれないし、来てくれなくても本数が極端に少ないながらバスがある」。プラス、私にはあるささやかな楽しみもあった。長浜長浜名物の焼き菓子「堅ボーロ」を買い、帰りの新快速電車の中でじっくりとそれを味わうこと。堅ボーロは名の通りに、堅い、石のように堅いボーロである。無理して噛み砕こうとすると、歯が折れるのではないかと感じられるほど。そこで、口に含んだボーロを唾液で溶かすようにしながら、ゆっくりと舌上で転がす。それを繰り返しているうちに、ショウガ風味の素朴な甘味が口中にじんわりと広がっていく。この過程がたまらない。一度体験したら、間違いなくクセになる。仕事日の朝。JR長浜駅に着くや、タクシー乗り場で待機していたタクシーに乗り込み、目的の店へ。郵便局、レストランモール、ホームセンターと、これまで幾度となくこの店舗に訪れている身にはお馴染みの景色が、窓外を流れていく。10分強で、目的店の従業員出入り口に着いた。「ん? 1900円?」タクシーの料金ボードで光っている赤い電光文字を見たとたん、思わず目をしばたたいていた。20年以上のデモンストレーター歴から恐らくは百回以上ここへ来ている我が記憶をまさぐる限り、片道のタクシー代は通常は1300円前後。安くすめば1100円代、道路が混んだり天候が悪かったりでタクシーが進むスピードに遅れが出ても、片道料金が1500円を超えたことは1度もなかった。それが、、、。「もし、帰りのタクシー代も同じくらいの金額なら、こりゃ現金が足りへんな、、、3500円持ってきたきりだもの」と内心危惧しつつ、千円札を2枚、ドライバーに差し出す。果たして、長浜駅に向かう帰りのタクシー。ドライバーと雑談をかわしながら、さりげなく運転席の料金表にチラチラと注意を払う。1200円、1300円、1400円。ジリジリと金額は上がっていく。1500円を超えたところで、観念した。「カードか、バーコード決済で支払うしかないな」。結局、料金は2000円。駅に着いて、京都大阪方面行きの下り列車の出発に20分少々時間があったので、滋賀県地場スーパー「平◯堂」の長浜駅前店に。長浜で仕事をする楽しみの1つとかかげていた堅ボーロを買うためである(それまでも堅ボーロに限らず、たくあんをロールパンにはさんだ「サラダパン」や長浜地酒の「石田三成」や長浜ビール、伊吹そばなどの長浜名物品は、平◯堂長浜店か長浜駅前店で買っていた。さすがは地場スーパー。同じ長浜のスーパーでも、イ△ンには置いていないのに平◯堂なら商品として販売されているのだ)。店内を一巡。ない。次に、もう少し丁寧に、やはり店内一巡。ない。さすがにお店の人に尋ねたら「堅ボーロさんは、このところ入荷していませんね」「は? もうやめはったんですか?」「いや、それはないと思いますが、1人で(製造を)やってはるんで、もしかすると堅ボーロさんのお店だけで無くなってしまうぶんの数だけしか、作ってはらへんのかも知れないですね」。その言葉に、ふと蘇った、、、帰りのタクシー内でドライバーとの会話。「長浜も、昔に比べると、バスの便が減りましたね」と言った私に、ドライバーは「1番の理由はドライバーが足りないんですワ。バスだけやない。タクシーもそうです。まあ、人口流出に歯止めがかかりませんしね」ここに、東京一極化集中の弊害とリスクが長らく指摘されながら一向に解決しようとはつとめない輩(やから)が仕切っている現在日本の病巣が、かつて経済大国とされていた日本の繁栄の残り火のような哀しげな色合いを持って、浮かびあがるのである。写真は、長浜駅内に展示されている、長浜曳山祭をえがいたステンドグラス。長浜曳山祭。ユネスコ世界遺産に登録申請したとのことだったが、どうなったのだろう?
2024.09.26
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皆さんにお尋ねしたい。「年金のみ」、あるいは「年金+労働(年齢的にほとんどは非正規雇用か自営だと思う)」のスタイルで働いておられる方、理容院代や美容院代はどうしておられますか?なぜこんな質問をするのかと言うと、最近、ネットでけっこう目につくからだ、、、一般では還暦以降の再雇用期間にも増して収入が減るとされる65歳以降は、理容美容費もそれなりに節約しているという記事。「白髪染め、またはヘアマニキュアは自分でする」「格安カットを使う」「毛染めだけしてくれるサロンもあるから、毛染めはそちらを使う。美容院に比べて割安」「シャンプー代がもったいないんで、バリカンを買ってきて、坊主頭にした。どのみち(毛は)なくなるだろうし」(男性)ううむ?現在の私は、10年以上通っている美容院(髪にやさしい性質の自然派のヘアケアグッズを使っている)に、ワンシーズンに1度の割で、カットとヘアーマニキュアに行く(シャンプー、ブロー付き)。1回当たり、消費税込みで13750円。同い年の知人に話したら、「えーっ、そりゃ、高いよ。有名なカリスマ美容師にでもやってもらいたいのらともかく、平均的な仕上がりを望むのであれば、今時は探したら値段的にお得な美容院はいくらでもある」。再びううむ?実は私、過去に、それまで使っていて何ともなかった利尻島昆布シャンプーがとつぜん合わなくなり(こういうことは、更年期を終えた女性にはけっこうあるんだそうな。体質が変わるんだね)、頭皮がただれたあげくくに痒い湿疹もあらわれて、全面回復に2年を要した体験がある。その時、ネット検索で見つけた「頭皮や髪に負担がかからないヘアケア製品を使っている」とうたっている美容院が、今も通っている美容院なのだ。気に入ってはいても、仮に年金のみの生活や、働いていても一定以下の所得になったらとうてい行けない。三たびううむ?今年2024年、美容院の倒産数は過去最高になったとか。美容院代を捻出できない高齢者が増えたことも関係あるんだろうな。写真は真ん中の孫。この子のカットは格安理容美容室を全国展開しているプラージュの某店で切ってもらっているそうで、そこには高齢者のお客さんもたくさん来ているとのこと。
2024.09.19
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9月も半ばを過ぎた。にもかかわらず、日中は真夏を彷彿(ほうふつ)させる暑さ。ここへ来て、7月8月の忙しさの疲れが今さらながらのように出てきていて、まいっている。辛いのは、単に暑さだけではない。立つ現場はカーディガンを着てさえ爪先まで冷えるほど冷えるのに、外に出てみればサウナ風呂に入っているみたいという、この寒暖差。これが年毎にこたえるようになってきているのだ。振り返れば、65歳が分岐点だった気がする。65歳までは、グリル鍋をはじめ調理用具一式を詰めたカート持参で、所用時間片道2時間半くらいの現場なら、仮に3日連続で行っても何ともなかった。それが、66歳になると、明らかに変わった。現在では、同じ条件の現場は3日どころか2日連続でも行けない。単日、つまり1日のみ。こんなふうにたどってみれば、世間で、あくまで一般的にだけれど認められている「65歳が第2の定年」というのはなかなか理にあっているのではないかと、個人的体験からも思う。それを、小泉進次郎は、「年金は80歳からでもいいんじゃないのかな」なんてのたまう。政府は、本音では年金支給を少しでも遅くしたいんだよね。その意図がミエミエで、まことにイヤラシイったらありゃしない。写真は3人の孫。彼らが大人になった時、年金制度はどうなっているのだろう?支給開始が現在の65歳より上がっていることは、まず間違いない。
2024.09.18
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9月最初の3連休の初日である14日(土曜日)は、東大阪市の某店で、南方系の果物のデモ。振り返れば、2004年にスタートさせたデモンストレーション・ライフの中で、果物も数えきれないほど担当したっけ。ぶどう、パイナップル、キウイフルーツ、アボカド、オレンジ、りんご、みかん、柿、スイカ、グレープフルーツ、バナナ、、、などなど。ぶっちゃけ、果物のデモは、試食提供方法が簡単(基本的にデモ商品の果物を切るだけ)な上に、担当する果物が旬のものであれば必死で売り込まなくてもそこそこの売上は見込めるので、楽な部類に入るとされる案件だ。それでも、ここ数年は「昔ほどには売れなくなったな」と販売業の末端にいる身でも感じる。これはなぜか。理由の最たるものは、日本の国力が落ちている点にあると思う。「えっ? そんなことと?」と、首を傾げる方もおられよう。「国がトンでいるかいないかということと、例えばりんごの売れ行きと、何の関係があるの?」あるんですよ、極めて密接に。例えば、私も含めた「一般的な」日本人が果物を食べるのは、いつ、どんな状態の時で、目的は何?大半の人はこう答えるのではないか。「食事が終わった後、実はもう少し欲しいとか、その食事が脂っこいものなら水気のあるアッサリしたもので口中がサッパリしたいとか。あとは、おやつの代わりや、うんと暑い日に身体を冷やすため」。つまり、果物はあくまで嗜好品の部類に入る位置付けであり、嗜好品なら何もそれがなかったからとて生活が成り立たないものでもないから、今日のような、「給料は上がらないのに税金と物価だけ上がる」時代には、どうしても後回しになりがちなのではないか。もっとも、とある洋菓子の専門書に書いていた。「パンとメイン・ディッシュの肉や魚とサラダとスープがあれば、栄養的にはこと足りるはず。なのに、人はプラスアルファとしてのお菓子を求めてやまない」。確かにその通りで、実はこれこそが、現代日本人の果物離れを脱却するヒントが含まれる気がする。写真は、京都一の繁栄街、四条河原町。見ての通り厳しい残暑が続いており、こんな日には、果汁たっぷりの果物を食べて喉も心も癒されたいね。
2024.09.16
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9月に入って半ばも過ぎつつあるというのに、真夏並みの暑さが続いている。健康酢の宣伝販売で滋賀県中部の大型店を訪れた、先週の土曜日もそうだった。そのことと大いに関係があるのか。通常ならさほど試飲数が出ない健康酢なのに、何と派遣会社が店に送り込んでいた試飲カップ数では不足してしまったくらい、多くのお客さんが飲んでいったのだ(「試飲する」ではなく「飲む」とあらわしたのは、「試飲」の名のもと、冷やかしや単に暑さからくる喉の乾きを潤す目的の人も多かったから)。まあ、そのぶん売上高にも反映したので、結果的には「真夏並みの暑さ」が販売の後押しをしてくれたわけだけれどね(カップの数が足りなくなったことは、万が一のためにと、自分でも200個ほどのカップを持参していたので全く問題なし)。それにしても、今回のデモを通して、あらためて感じたのだ。「健康酢に対する世の認識と消費者の行動は、この20年間でずいぶん変わったなあ」と。20年近く前になるか。某社の黒酢のデモを担当した時、そこのメーカーの営業マンと、数時間だけいっしょに現場に立ったことがある。仕事をしながら、営業マンは商品にまつわる話をいろいろと聞かせてくれた。「うちの会社は昔から幅広く調味料を製造販売していて、酢も取り扱っていたが、特に重視はしていなかった。なのに、健康酢に力を入れることを決めたのは、率直なところ、社長の個人的な体験をベースにした第六感によるものだったんですよ。でも、酢に関する情報を集めているうち、食をはじめ生活習慣の欧米化からくる健康不安を持つ人が増えている現実に訴えかける面があることがわかりましてね。これは、この先、イケるのではないかと。もちろん、購買者からのハガキによるアンケート調査の内容も参考にしました」プロジェクト・チームが作られ、試行錯誤の末に商品が完成して、モニターによる試飲も終わり、営業員たちは一丸となって各地のスーパーでデモを繰り広げたとか。「最初は売れなかったですね、どこの店でも悲しいほど。場所を提供した店から嫌味を言われることも度々。しかし、クサらず、コツコツデモを繰り返していたら、ありがたや、酢ブームが起きて、売れるようになったんですねえ」。もっとも、「売れるようになった」と語っていたものの、いや、どうして。私ばかりでなく他の多くのデモンストレーターたちにとっても、当時はまだまだ健康酢は販売しにくい商品の1つだった。試飲してもらうと、「鼻にツンとくる」「飲むと喉がヒリヒリする」「酸っぱいだけでまずい」「身体はよくても、このニオイとアジ、続けられんよ」などなど、評価はさんざん。時が20年ほど流れた今日では、どうだろう。上にあけた辛口意見は相変わらず少なくないが、「健康酢=飲みにくい」の図式は、消費者の意識から大幅に緩和された。健康酢の品質向上もさることながら、丁寧なマーケティング・リサーチ、計画的なPR計画、強いパッションに裏打ちされた粘りに、幸運の神様が味方してくれて、「現在(いま)」があるのだろう。健康酢の販売史に限らず、この世でおこる大半のことは、入念なマーケティングに熱い行動が加わり、そこへ「運」なる偶然の追い風が吹いて起こることだと、つくづく思う。写真は、自分で作ったバナナ酢。
2024.09.15
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今年に入って、日用品関連のデモを打診されることが多くなった気がする。具体的には、洗濯用洗剤とかシャンプーなどのヘアケア製品とか歯磨き粉をはじめとするオーラルケア用品を、景品をつけながら口上だけで販売するのだ(推奨販売という)。個人的に、こういう商品の宣伝販売はデモンストレーターではなく実演販売士の仕事だと思うんだけれど、なぜか時折りデモンストレーターにもまわってきて、私も何度か担当させていただいた。結果と感想は、残念ながらクチだけでは満足な売上は望めないということ。そりゃ、そうだよ。「この洗剤、めっちゃ汚れが落ちますよ。頑固な油汚れでもね。しかも、肌に優しい成分を配合していますから、手荒れもしません」だの何だの、いくら口先でPRしても、お客様にしたら、「ホンマかいな。クチで言うとるだけのセールストークちゃうか」と、どこかで思ってしまうからねえ。そこは、やはりデモ現場でトークと共に布巾の1つも洗って見せないと。お客様も、実際に汚れが落ちて手もすべすべしている状態を目の当たりにすれば、心より納得して、販売士のトークにますます耳を傾けるだろう。すなわち、「実演」を伴ってこそ、その担当商品は輝くのだ。本来は実演販売士がする仕事が、なぜ食品メインのデモンストレーターにまわってくるのか。ある仕事仲間は、「主にギャラが関連しているのでは?」と推測する。「実演販売士の方がデモンストレーターより高いギャラを取るはず。メーカーにすれば、そこがひっかかっているんとちゃうかな」。なぁるほど。経費節減ってわけね。こんなご時世だ。メーカーも金に細かくならざるをえないのはわかるけれど、そのことを差し引いても、もともとの実演販売士にデモを任せた方が、売上の面でも商品浸透の面でもよいのではないかな。日用品を、ずっと実演しながら販売してきた、いわば専門職なのだから。写真は大阪中部の某駅近くで、夕方に写したもの。残暑が厳しいことがよくわかる。早く涼しくならないものか。
2024.09.11
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鮭の宣伝販売を担当していて、ふと記憶に蘇ったことがある。確か、明治半ばに、処女作「浮雲」を通して言文一致(話し言葉に近い口語体で文章を書くこと)の大偉業を成し遂げた作家、二葉亭四迷が最後に書いた小説「平凡」は、しがない小役人の元文士(主人公)が、勤めを終えて竹の皮に包んだ鮭を買って帰るところから、始まっていたよね?竹の皮。タケノコが若竹に成長する過程で落ちるタケノコの皮で、通気性がよくて抗菌作用もあることではあり、パックだのラップだのなかった当時は、鮭に限らずおにぎりや寿司など、食べ物をくるむ容器とされていた。これ、現在にすればエコそのものじゃないかしら、、、竹の皮なんて、タケノコが終わった後の竹林に行けばいくらでも手に入るものだし、使った後も洗って干せば繰り返し利用できるし、いよいよ捨てる時も土に還ってくれるしね。弁当屋でもスーパーなどのデリカ部門および生鮮部門でも、現在ではほとんどが食品はプラスチック製のトレイとフタ、すなわちパック容器に入れられる。この多さが問題となっている現在、昔の知恵である竹の皮を、少し考え直してもいいかも知れない。写真は二葉亭四迷(public domain).
2024.09.09
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スロー、スローな台風10号。昨日9月1日の正午にようやく熱帯性低気圧となり、大雨や猛暑の注意報はいぜん残っているにしても、まずは一件落着。少なくとも、私が住んでいる関西では被害らしい被害もほとんどなかった。ただ、台風被害を予想して仕事がキャンセルになった同業者たちからは、嘆きの声があがっている。「大型だの、これまでにない強い勢力を持っているだの、大騒ぎした割には大したことはなかったやん。こんな状態なら、台風を見越したキャンセルなどせず通常通りにデモしたらよかったのに」。わかるわあ。この仕事、基本的には「日当×仕事日数」で月のギャラが決まり、それもパートやアルバイトや長期派遣みたいにほぼ固定されたシフトが組まれているわけではないので、仕事日減はダイレクトにその月の収入に反映されるのだ。しかも、仕事キャンセル料は仕事日の前日キャンセルからしか発生しない。3日や4日前では一銭も支払われないのだ。これは理不尽な話。今や、お手頃価格のビジネスホテルだって、宿泊日の1週間から5日前ぐらいからの客側のキャンセルにはノベルティが発生するよね。もっとも、令和になってさえ当日キャンセルでも保証ゼロの「超上から目線」の仕事発注元(メーカーであったりエージェンシーであったり)もあるにはあることを考えれば、例え仕事日前日からという制限付きでもキャンセル料を支払ってくれるぶん、マシか。収入も含めて天候に左右される仕事は、農水林業など、自然相手の職業以外にもたくさんある。写真は、1番上の孫。この夏休みは、再来年の中学受験の勉強に向けて講義やらテストやら多忙な日を過ごし、家でも進学塾から出された膨大な宿題に取り組み続けたが、海水浴に川遊びに料理教室にと、そこは子どもなりに余暇を楽しんだようだ。
2024.09.02
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邦題「カッコーの巣の上で」(1975年、アメリカ、ミロス・フォーマン監督)学生時代に観て大きな衝撃を受けた作品。当時は主に内容と画面に流れる一部の露骨な映像が印象に残り、何とも重い気分を味わったものだが、48年ぶりにDVDで再鑑賞してみれば、昔とは違った感想も得た。決して明るい映画ではないものの、時代や国を超えて語り継がれる普遍的なテーマを持つ傑作。(あらすじ)1960年代のアメリカ。若い娘との淫行騒ぎを起こし、刑務所での強制労働を嫌ったマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)は、精神障がい者を装って、田舎の精神病院に入る。そこで見たものは、「治療」の名のもとに、個々の人間性を抑圧して患者を徹底的に管理する病院体制。そのシステムに君臨するのが、看護婦長のラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)だ。根は陽気でリーダーシップもあるマクマーフィーは、非情な病院側の態度に反発し、無気力にされた患者たちに徐々に「自分」を取り戻させるが、、、。ラストは哀しいと言うべきか、一筋の希望をつないだと言うべきか。ただ、これだけはわかる。母親を極端に恐れる患者の1人、ビリー(ブラッド・ドゥーリフ)への温かい気遣いからもうかがえるように、マクマーフィーはとても優しい人のいいヤツだったのだと。プラス、病院に限らず、学校でも介護施設でも、さらに職場でも国家でも、過度の管理は禁物。人間は人間。皆、自分の考えを持っているし、それを表に出す権利もある。写真はWikipediaより。
2024.08.30
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健康食品の部類には入らないけれど、イメージ的にそれに近い商品のデモンストレーションを、商品の製造販売元、すなわちメーカーの営業マンと実施したことがある。場所は、近畿地方の某下町にあるスーパー。営業マンは、ぱっと見、20代前半から半ばのお兄さん。グリル鍋で調理(と言っても焼くだけ)するデモンストレーターの私の隣に立ち、出来上がった試食品を一口大に切って盛った小皿を数個トレイに乗せ、「いらっしゃいませ。このほど新発売された、〇〇社の△△品です。今日は宣伝販売をさせていただいております。どうぞお気軽にご試食下さい」と、デモ場所の周りをカゴ持参で通るお客様の1人1人に懸命に訴えかけるが、はて、お客様は片手を振って拒むか彼の存在そのものを無視するかのようなそぶりを見せて無言で去るばかり。この繰り返しが、デモ開始から半時間ほども続き、彼は私に溜息混じりにこぼした。「ポンポン試食が出て、ポンポン△△が売れると思っていたのに、皆さん、食べてくれないし、当然、買ってもくれませんね、、、。こんなはずじゃ、、、」いえいえ、「こんなはずじゃない」なんてことはありませんよ、、、特にこういう、お客様の9割以上までが地元の人を占める、こぢんまりとした店ではね。だって、お客様全員が、お互いに顔はもちろんおのおののバックグラウンドもかなり知っている間柄だもの。「店で立ち食い」なんて、ちょっと恥ずかしいじゃありませんか、、、率直なところ。ただ、お客様間の密度が濃いぶん、1人が試食してくれると、お兄さんがまず望む「試食ポンポン」現象が生まれる。ある種の同調意識だ。となりゃ、肝心の商品も動き出す。これも、お兄さんが望む「ポンポン」ではなくても、まあ、「ポツポツ」ぐらいには。そうですよ。お客様の財布の紐は固いのだ。1個の商品を売るのが、どんなに大変か。ここいら、お兄さんも営業職なら、今後は身に染みてわかってくるはずだ。写真は、3人の孫。
2024.08.29
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しつこく、しつこく、トマトジュースネタを続けましょう。2024年度の新物トマトを絞ったジュースのデモをしているうち、こんなお客さんに出会った。「トマトのジュースも何も、ワシ、トマトそのものがあかんねん。あのニオイがなあ、、、。いや、最近のトマトはそうじゃないってことは知っているんやが、ワシの子どもの頃のトマトはまことに青くそうてな。その記憶が強烈で」ああ、わかるわかる。食べる前に、まずニオイに抵抗があるというアレね。そして、この感覚、脳細胞や五感に染み渡り、成長してもなかなか消えない。これも、わかる、わかるんだよ。もっとも、これは、トマトに限ったことではない。例えば、この私。宣伝販売の仕事で某漬物会社のたくあんを担当する前は、たくあんが、どうしてもどうしても苦手だった。理由は、トマトに抵抗を示すお客さん同様に、ニオイ。1957年、岡山は東南部の農村に生まれた私にとって、たくあんは身近な食品だった。我が家は非農家ながら、ほぼ専業農家である父方の実家をはじめ、周りのほとんどの家は、地で実る大根を使ったたくあんをおのおのの家庭で作っていたっけ。この時代の農家の自家製たくあんのニオイを覚えておられる方はいるだろうか。ぶっちゃけ、筆舌にしがたいものも少なくなかったことを体験者として伝えておくと同時に、一般に「食べ物は見た目も大事」とされる説に、「それ以前に嗅覚」と、提案したい。そうなんだよ。見てくれよりはまず、食物から発するニオイで、それを食べようかどうかが左右される。これは、トマトやたくあん以外に、納豆やレバー、その他ニオイがきついとされる食品にも言える。反面、その強烈なニオイは個性でもあるんだよなあ、、、。なぜって、「青くさいトマト」や「〇〇〇の匂いがするたくあん」を懐かしむ人も、実は多いからね。難しい問題だ。なお、昭和の夏の風物詩と称しても差し支えない「青くさいトマト」は、ネット検索をかけたところ、「世界一」「ポンテローザ」「ファースト」などの品種で、残念ながら現在では一般の店舗には出回っていないとのこと。つまり、自分で作るしかないのだ!写真は、種の専門店「松尾農園」(長崎県松浦市志佐町浦免1252)が販売する「ポンテローザ」の種。ネット購入も出来るし(楽天にショップを開いている)、YouTubeでもチャンネルをもうけて園芸指導しているから、トマトを育てられる環境にある方は、試してみられるのもイイね!
2024.08.23
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トマトジュースネタを続けよう。その年の夏に摘んだばかりのトマトを絞って作る、いわば「トマトジュースの新米版」である「新物トマトジュース」を担当し始めて十数年。年毎に固定ファンが出来、今年もデモンストレーションをスタートさせるや「今年も(販売の時期が)やってきたんだね。待っていたよ」とおっしゃって下さた方々が多くいた。まったくデモンストレーターとしては嬉しい限り。そこに、今年はあくまで地域によるけれど、特筆すべき次のような状況が加わった。それは、小さな子どもの試飲者が増えたこと。しかも、付き添いの親なり祖父母なりに「〇〇ちゃんも飲んでみる?」と聞かれて、おそるおそる、あるいはイヤイヤ試飲するのではなく、「あ、トマトジュース! ボク(ワタシ)、飲みたい!」と、自分の方から求めて試飲を実施している場所に寄って来るのだ。自分で飲むことを望むくらいだから、いざ飲み始めても、以前によく見られたような、悪い意味でのビックリ感に満ちた表情はない。自然にゴクゴクと、まあ、さすがに乳酸菌飲料や甘いフルーツジュースを口にした時のような笑顔はないにしろ、まんざら不快でもない様子。まるで「トマトジュースって、こうなんだよね」と、子どもなりに最初からわかっているふうなのである。淡々とトマトジュースを飲み干す子どもと子どもの保護者と、商売トークも交えて少し話すうち、「なるほど。一般に子どもが苦手とされるトマトジュースも、こういうプロセスを踏んだら飲むよなあ」と納得。そこの地域にある保育園だか幼稚園だか(最近はどちらも一体になっている園が珍しくない)では、子どもたちに園内でミニトマトなどの野菜を栽培する園芸教育を実践していたのだ。「自分たちで苗を植えて水をやって育てたとなれば、子どもたちも思い入れがあるんでしょう。昨年の保育便りには、収穫して給食のおばさんにサラダにしてもらった野菜、全部食べたと書いてありました。なので、今年は家(うち)でも作っているんですよ。ミニトマトなら、ベランダでも作れるし、一式そろった栽培キットが売られていますし」と、1人のお母さん。その子ども(5歳くらいの男の子)は、トマトジュースの試飲をお代わりし、私にキラキラした瞳で言った。「ボク、トマト、作ってんで! まっかっかやで! すごく美味しいねんで!」いいことだね。振り返れば、子どもさん2人の野菜嫌いに悩んでいた我が友人も猫の額よりも狭い庭の片隅に鉢を置いてキュウリやゴーヤを子どもたちと育てていたなあ、、、「自分で大きくした野菜は愛着があるし、また、実るまでいろいろあるから、野菜を作る人たちの気持ちもわかるようになって、野菜を食べるようになった」と語っていたし。野菜を材料とした商品や、野菜なしではメニューが成立しない商品(漬物のもと他)を製造しているメーカーも、イベントやキャンペーンの取り組みの1つとして、ぜひ「消費者個人での野菜栽培体験」を検討したらどうだろう?結果、野菜好きが多くなればメーカーのその商品も売上アップになるし、まわりめぐってメーカーのイメージもよくなるし、消費者にすれば食に関心を持つから健康になるし、何より野菜も含めた生き物を大切にする気持ちが目覚めて社会全体の情操にもプラスにならないか。なお、ミニトマトは、我が家でも毎年育てている。ところが、今年の出来はなあ、、、。粒が小さいし、鮮やかな赤にはならず葉もイマイチくすんだ色(写真)。それでも、口に含むと、青くさい昔のトマトの風味がぎっしりなのは、家庭菜園ならでは!
2024.08.21
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こちらのミスで抱え込んでしまった4日連続勤務(体力の消耗を考え、還暦以降は、4日も続けて仕事を受けたことはない)。想像していたよりはキツくなかったけれど(少なくとも肉体的には)、無事にこなし終えた翌日は報告書書きに追われたこともあって倦怠感が半端ではなく、その感覚は翌々日にも持ち越されたから、やはり疲れていたのだろう。そもそも、左瞼と右手指に生じた、あのむくみときたら!そう! 悲しいかな。早い話が「もうトシ」なんである。日連続勤務の2日までが、トマト・ジュースの担当。トマト・ジュースとくれば、ウォッカとミックスして作るカクテル「ブラッディ・メアリー」を、懐かしく思い出す。若い頃によく訪れていたライブハウスでしばしば注文しており、特に真夏の夜に飲むには格好の風味(ただし、タバスコの量次第では悲惨なことになるので、私は敢えて抜いてもらうよう店にお願いしていた)。このブラッディ・メアリーのネーミング由来は、一説には、16世紀のイギリス女王メアリー1世から来ているとされる。彼女は、プロテスタントを迫害したことから長らく悪名タラタラだったが、今世紀に入ってからは、極端な評価はゆるんできており、それどころか、「あんなク◯親父(イギリス王ヘンリー8世のこと)のもとで育っては、娘も、そりゃキャラクターをやられるわ、、、ま、国の君主してはどうかと感じるが、1人の女としては可哀想なところもあるよなあ」と、同情する人さえおり、この点では、なるほど毒親に支配される苦しみには王族などの高貴な方も我々みたいな下々の者も同じなのだと、妙に感慨深く思ったりするのだ。ちなみに、現在の私は、ブラッディ・メアリーを飲まない、と言うより飲めない。年齢を経るごとに酒に弱くなり、いつのまにか、麦焼酎「いいちこ」の20度を薄めたものかビールしか身体が受け付けなくなってしまったためである(ワインはグラス1杯程度なら飲める)。少し寂しいね。写真はブラッディ・メアリー(Wikipediaより)
2024.08.15
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まあ、何なんでしょうねえ、連日の暑さときたら!もしかして、観測史上最高とされた昨年の2023年の記録を上回るのではないか。目を覚ますやジリジリと陽が肌を焼き始め、湿気混じりの熱風が首筋やら脇下やらに絡むようにまとわりつき、息をすることすら億劫になってしまう、ここ数日。大袈裟ではなく、心も身体も、すなわち存在そのものが、溶けて無くなってしまいそう。果実入りゼリー数種を宣伝販売した先週末も、終日、こんな日だった。当然、暑い中を来店されるお客様も冷たいものが恋しいから、ゼリーは飛ぶように試食が出て、「オレンジとグレープ」「ピーチとミックス」というふうに、2つの味を食べ比べをしてもらいながら試食提供(ゼリーに限らずお菓子でも飲料でも、味の種類が複数ある場合はこの方法をとると、試食数も販売数もアップする)したこともあって、業務報告書の売上欄に数字を書く時に思わず手が踊ったほどの結果を残すことが出来た。反面、四捨五入したら70歳の我が老体は、売場とバックヤードを往復するたびに、南極とまではいかないにしても恐らくはアラスカ の夏くらいの気温から亜熱帯地方の密林(そう! ベトナムも南部にあるミトー市の川をクルージングした時に味わった暑さと同じ種類)に一気に移されるような体感に襲われ、しばしばめまいを起こしたほどのダメージを受けた。宣伝販売の現場仕事は、寒い冬とはまた違う辛さがあるのよ。幸か不幸か、翌日の仕事が急きょキャンセルになったため、翌日は温泉に浸かるつもりで午前中から入浴したおかげもあり、体力は回復できたのだけれど。ややぬるめの湯をたっぷりと入れたバスタブのなかでゆったりと四肢を伸ばしながら、ふと考えた。「私がゼリーを初めて食べたのは、小学校4年の夏。ハウス社から発売されたゼリエースなるゼリーのもとを使って自分で作ったんだったなあ、、、。あの頃の夏も暑かったけれど、はて、こんなに体に負担がかかるほど暑かった?」ううむ???写真は、1番下の孫。子どもは未来に向かって微笑む!気力も体力もあり、少なくとも私みたいに還暦を過ぎた人間とは、暑さ寒さに対するとらえかたが違うのかも知れない
2024.08.02
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「月はどっちに出ている」(崔洋一監督、日本、1992年)。狂乱を極めたバブルが終わろうとしていた頃の東京を舞台に据え、在日コリアンのタクシー運転手とフィリピン人ホステスとの恋愛を軸に、ワケありタクシー運転手や外国からの出稼ぎ労働者、ヤクザなど、さまざまな世界の人間模様を、時にコミカルにえがいたヒューマンドラマ。(あらすじ)同級生が経営するタクシー会社で運転手として働く在日コリアンの忠男は、ある日、関西弁を喋るフィリピン女性、コニーを乗せる。向かった先は、たまたま忠男の母親がママをつとめるカラオケパブ。コニーに惹かれた忠男は彼女のアパートに押しかけ、半ば強引に同居。このことを快く思わない母親に揺れる忠男に、コニーは一緒にフィリピンに行くことを提案する、、、。先ごろ亡くなった、大阪出身の作家、梁石日(ヤン・ソギル)の自伝的小説「狂躁曲」の映画化。事業に失敗して夜逃げした若かりし梁は、各地を転々としつつ多くの職に就くが、その1つがタクシー運転手で、行きつけのスナックで運転手という職業がら得た悲喜交々(ひきこもごも)を飲み仲間たちに語っていたところ、そこに居合わせた出版社の編集員に興味を持たれ、執筆をすすめられて書いたとか。コニーをはじめ、登場人物全員が「強過ぎる」個性の持ち主なのに市井(しせい)の日常にスンナリ溶け込んでしまうリアリティがあるのは、原作がフィクションに基づいた物語であることと関係があるかも知れない。なお、映画タイトルの「月はどっちに出ている」は、生きる指針を失い道に迷った者への風刺ととらえてよさそう。人間誰しも、おのおのの背景を抱えつつ、バトルしたり、喘いだり、這いつくばったりしながら、つまり大いに道を誤りながら、でも、生き抜いていくのだ。逆境にも負けないバイタリティと共に、人生のほろ苦さをも与えてくれる映画(写真の出典、allcinema)。
2024.07.29
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こちらのミス(日にちの取り間違い)で、8月の第1週目は4日連続勤務となってしまった。あらあら。67歳の私。ぶっちゃけ3日連続勤務はもう無理だし、2日連続もキツくなりつつある。なのにその倍の4日連続なんて! でも、ミスであっても引き受けてしまったからには、もうやるっきゃない!それに、キツいのは肉体だけ。箱の中で集団で仕事をする精神的苦痛に比べたら、ずっとマシ。私は団体行動が苦手。自衛隊勤務なんか絶対につとまらない(親戚に大学の福祉科を卒業したのちに「兵隊さん」になった女の子がおり、彼女から話を聞いた限りでは)。宣伝販売の仕事は、基本的には、お客さんとも現場として立った店舗の人とも、さらに同業の者とも、「(ご縁があれば)いつか、また、どこかでね」と挨拶し合って、そこでいったん関係が終わるスタイル。このあっさりとした距離感が実に気に入っているのだ。とは言え、大勢の人が集まってこそ出来ることは多い。写真の祇園祭も団体行動の賜物(たまもの)。要は、個々の能力や適性を認め合いリスペクトし合った上で、1つの目的に向かっておのおのが精進を続けた結果、個人では成し遂げることが不可能なことが実現した。おそらく、こういう団体行動が理想のカタチなのだ、、、その他大勢と少しでも異なる考えを持ったり王道からやや外れた行動をする人を単に批判して封じ込めるのではなく、、、ね!「団体」も「個人」が集まったもの。「個」が確立していない「団体」が、何を生み出すことが出来よう?
2024.07.27
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先日、6月末の、大阪府は藤井寺市での仕事のギャラが入金された。仕事のしんどさ(半端なく試食が出る店で、お客様への対応と試食品作りにヘトヘト。担当商品はキウイだったのだが、もうキウイの皮を剥いて剥いて、実を切って切って切りまくった)はどこへやら、通帳に記された金額を見てニコニコ。やっぱ、オカネやわ、働くモチベーションを保つ大いなるモトは。少なくとも、私みたいに老後資金が不足している人間にとってはね。ところで、この藤井寺。ずっと野球球場ばかりが取り上げられてきたけれど(現在ではなし)、その他の面に目を向けても、古墳はあるし、有名な寺はあるし、美味しいかまぼこはあるし、観光地としてもなかなか面白いところではあるのだ。「大阪城にも万博公園にも道頓堀にも通天閣にも海遊館にも行った。梅田の夜景や阿倍野ハルカスでの絶景も見た。定番の大阪見物はもうエエよ。ちょいマイナーなところに行きたい」と思われる方は、候補の1つに入れておいてもよかろう。交通アクセスは至極よし。大阪の南玄関である天王寺から近鉄線急行で20分ほどだ。写真は、その近鉄藤井寺駅ホーム内の待合室の壁に飾られていた絵。誰が描いたのだろう?なお、藤井寺観光協会が作った詳細なホームページもあり、観光コースの組み立てなどに参考となりそうだ。
2024.07.24
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一昨日の日曜日は、限りなく和歌山県に近い、大阪府の阪南市尾崎で仕事。朝の5時50分に家を出、現場に着いたのが9時10分。片道3時間20分。現場スーパーのホームページには、「南海線尾崎駅から徒歩12分」とあったが、何の何の、実際は25分かかったよ。きっと、「徒歩12分」というのは、そこに行き慣れた人が季節のいい時期に早足で歩いての数字だ。店舗の人は親切な方ばかり。「従業員トイレはどこにあるんですか?」と尋ねれば、取り組んでいる最中の業務を中断してまで実際に歩いて案内してくれたし、デモ担当商品の部門責任者は「後片付けも含めて18時きっかりに店を出るように」と言ってくれた。待望の泉タコは早々に売り切れたとのことで手に入らなかったけれど、売上がまあまあだった(都会から離れた地域に住むお客さんは一般に試食を敬遠するが、いざ試食してくれるとかなりの確率で買ってくれる)ので、精神的には楽な気持ちで帰路についたのに、私、すごくお疲れモードが出ていた?帰りの電車内で、私は、大阪環状線の中と大阪から滋賀方面に向かう新快速の中と、2度までも若い人に席を譲られたのだ。「どうぞお座り下さい」なんて、正直座りたかったのですごくありがたかった反面、こんなふうに言われたのは、生まれて初めて。年寄りだと思われた?だとしたら、よほど身体は辛がっていたのだろう。写真は、6年前、尾崎からさらに和歌山寄りに南下したところにあるみさき公園に、娘と2人の孫たちと行った時のもの。1番下の孫は、まだ生まれていなかったね。
2024.07.23
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昨日の暑かったこと!冗談抜きで、身体がソフトクリームみたいに溶け、なくなってしまいそうだった。一説によると、地球の末期は赤色巨星化した太陽に呑み込まれて跡形もなく消えてしまうそうだが、それが正しいとしたら、既に兆候があらわれている?ところが、である。プロテインドリンクの宣伝販売で訪れた店は寒いのだ。とてつもなく寒い。短時間の滞在ならともかく、ものの1時間もそこにいると分厚いセーターが欲しくなってくるくらい。やがて、指先が痺れ、感覚が全くなくなり、皮膚の色さえ変わってくる。過剰冷房だね。こんな冷気に震えるスペースと、まとわりつくような暑気で蒸せたバックヤードとを、店の従業員たちは1日に何往復もする。自律神経がおかしくなって体調不良になる人も多いだろう。だからこそ、「タンパク質を不足させないためにプロテイン」なのだが(タンパク質は自律神経の原料)、悲しいかな、240mlの1箱当たりの価格が税抜228円ということもあり、売上は伸び悩んだ(試飲サンプル数と販売数がほぼ同じ)。もっとも、試飲数はメーカー希望目的数に達したし、お客様の希望や意見はよく聞けたから、自分の中ではヨシとしよう。売上不振の原因と責任のすべてを、商業活動の末端にいる我々に押し付けるのは、「営業根性論」がまかり通った、一昔前のやり方だ。写真は、娘と3人の孫。
2024.07.21
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明後日、大阪府は阪南市尾崎に仕事で行くことになった。阪南市は、限りなく和歌山県に近い大阪南部にあるまち。徒歩時間も入れれば、京都市内にある我が家からは片道2時間半かかる。なので、6月半ばに仕事依頼があった時はお断わりしようかと思ったが、、、ふと、タコのことを思い出し、受けた。タコはタコでも「タコ、タコ、あがれ」のタコではない。8本もの足を自在に動かして海中を泳ぐ、あのタコ。大阪南部の岸和田から尾崎、泉佐野にかけての一帯「泉南」あたりの海で獲れるタコは「泉タコ」と呼ばれ、泉南名物の1つ。で、今の時期は、それの旬なのだ。明石タコほどには知られていないが、柔らかい食感で甘味もあり、素直に刺身にしても、わかめやきゅうりなどと一緒に酢の物にしても美味。船を予約して釣りに行っている方もいるね。このタコを目当てに仕事に行ってもいいな、、、。泉タコの本場で獲れてすぐに処理したものだから新鮮なこと間違いなし。昼休憩中に現場の店で買って従業員冷蔵庫で保存しておいてもいいし、業務が終わった後に買い求めてもよい。遠方での仕事は、遠方手当も含め、こういう何か特別な楽しみがないと、もうこなせなくなった。写真は、2015年10月に焼き芋用ホイルの宣伝販売で訪れた兵庫県の某ホームセンターの最寄駅に飾られていた、タコのイラスト。もちろん、実際のタコはこんなに粋ではない。
2024.07.19
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十数年前、大阪府南東部にある、静かな町のドラッグストアを、日用品の宣伝販売で訪れた。入店手続きを済ませ、当日の担当商品の責任者に挨拶にうかがうと、担当者は商品を購入された方へお配りする景品を渡しがてら「申し訳ないけれど、(デモは)店の出入り口を出たところでやってくれる?」と言う。なんでも、今日はセール日なので毛染めやらサプリやら他社から派遣されたデモンストレーターや営業員も数名来るため全てのデモンストレーターを店内に配置すると手狭になってお客様の通行を妨げるから、なのだそうな。「まだ6月初めなんで日差しはそうキツうないと思うが、それでも、もしめまいがしたとか気分が悪うなったとか、そういうことがあったらすぐに知らせて。(デモの)場所を考えるさかいに」実際、季節の割には気温も湿度も高く暑い日だったものの、日差し自体はそんなに強くはなかったですねえ。したがって体調を崩すこともなく、2個お買い上げなら景品がつくオマケ効果もあって、売上は上々。しかし、ですねえ、、、。その晩の風呂上がり。いつものようにハトムギ化粧水(乳液も兼ねたタイプ)をつけたら、とたんに顔が火照り出した。半端な火照りではない。身体の中心部から上がってきて、わずかなヒリヒリ感と共に一気に顔面で噴き出す、そんな感じの火照り。それが数秒続き、強烈さにクラクラしてきたほど。紫外線で、顔の皮膚が軽い火傷状態になっていたのだ。異様な火照りは翌日も翌々日も。もっとも、そのことだけでおさまったのは、幸運だったのだろうね。なぜなら、その後に知り合った仕事仲間の1人は、やはり屋外での仕事(園芸関連のデモ)で日焼けをした箇所が火照りやヒリヒリを通り越して水ぶくれになってしまったと話していたからね。ゆめゆめ紫外線を侮ってはいけない。写真は、真ん中の孫(小2)と1番下の孫(5歳)。この子たちくらいの年齢なら、紫外線が人に与えるダメージを吹き飛ばす免疫力も体力もある。
2024.07.19
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いぜん梅雨明けしない関西。湿度が高く、体感的にもすっきりしない日が続いている。ところが、この湿り気が我が喘息にはいいように働いているみたいで、夜中や夜明けに起こる激しい咳き込みや、日中でも時折ゲリラ的におそわれる(ほんの数秒でおさまるが)喘息特有の症状が、このところ現れなくなった。このことは、素直にありがたい。お客様に商品の特徴を説明したり、質問にこたえたり、最終的に購入を勧めたりしている、まさにその時、急に込み上げてくる咳き込みをグッとこらえ、呑み込むのは、けっこうエネルギーがいるものだからねえ、、、表情や語調も不自然になるし。ただ、ウェットな期間はいつまでも続かず、いずれは梅雨明けしてエアコンや紫外線などの影響で乾いた大気にまみれる夏が訪れるのは、自然の掟。となると、またもや喘息以外でも仕事中に困った症状に見舞われるケースが増えるんだな。特に紫外線の被害は決して侮れないものだ。乾燥大敵!写真は、我が家の鉢で育てたシソ。夏場は麺類が欠かせない我が家にとって、大いなる節約となっている。
2024.07.17
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7月第1週目週末から第2週目初めにかけて、正確には、7月6日、7日、8日の暑さを、どうあらわしたらよかろう? ニュースでは、「災害級」との形容詞をつけて繰り返し放映されていたが、確かに誇張ではなかったと感じたくらいに異常だった。このことと、ここ10年来、毎年毎年暑くなる頃から目立ち始める、大型スーパーやホームセンターなどを1日中ウロウロしている高齢者の光景とは、関連がある?かような高齢者。ほとんどは、店の開店前から店の扉付近にズラリと並ぶ。その表情からして、エアコン節約目的が見え見え。 彼ら、開店するやなだれ込み、店内にあるベンチや、自販機はもちろん安い値段で飲食を提供してくれるフードコート内の椅子に座り込み、日がな1日、何をするでもなく過ごす。店によっては大型テレビをそなえているフリースペースもあり、また同じような仲間もいることで、特にすることがない人でも退屈することはなかろう。もっとも、呆けたとまではいかないまでも人生に疲れたような表情でテレビ画面を追い、同じ仲間としょーもないお喋りをし合っている姿をまのあたりにすると、いくらエアコン節約が目的でも、ああいう老後は送りたくないな、と強く思う。とは言え、エアコン節約目的で1日中大型店舗をうろうろしている人に趣味や関心ごとがないとは思わない。本当は趣味を同じとする人同士の集いに参加したり、習い事教室に通いたいのでは?でも、そうするためにはゆとり(=お金)がいるよね。今の物価高で年金だけでゆとりある生活を手に入れている人がどれだけいるのか。朝からエアコンがんがんでは、確かに年金暮らしにはキツいことだろう。たから、「月に◯万円でも収入があれば」と考え、求職活動をする高齢者がいるのだ。主に健康面の理由で70歳になったらリタイアするつもりの私だが、くだんの理由により、「いや、辞めてはダメだ。細々とでも仕事しなきゃ」とも感じる。写真は、祇園祭りの一光景。40代だったかつては、この祭りに付随した販売にも携わったものだが、、、67歳になった現在では、とても無理だな。
2024.07.14
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まだまだ梅雨明けしない関西。今朝も、目覚めるや、遠くでゴウゴウと何かが吠えているかのように聞こえる雨音が耳元をかすめた。こんな時、坂本龍一作曲の「レイン」を思い出す。この曲。坂本龍一自身も著名軍人役で出演した、清朝最後の皇帝(愛新覚羅溥儀)の前半生を描いた映画「ラスト・エンペラー」内で流れた。離婚を望んだ溥儀の側室、文繍が、(離婚を)認めない夫を押し切って外へ出、雨のなか傘を差し出した従者に「(傘は)いらないの」と好意を拒んで自分で歩み出すシーンに、「レイン」の緊迫感あるサウンドはうまく絡み、情景を盛り立てていた。実際の文繍も離婚後は女学校の教師となって自活。それが、第二次世界大戦や以後の内乱(蒋介石率いる国民党vs毛沢東率いる中国共産党)、結局は共産党が勝利して中華人民共和国が誕生するといった歴史のうねりの中で次第に貧窮。餓死に近い形で孤独死したそうだ。もっとも、溥儀の他の妻たちも身分を失うや、多難な人生を余儀なくされた。正妻の婉容は阿片中毒で糞尿にまみれて亡くなったし、文繍と同じく側室で、毛沢東政権下では図書館職員として働いていた李玉琴(福貴人)も、文化大革命の時には迫害を受けたとか。当の溥儀や弟の溥傑も「一般人」となった後はそれまで特権階級だったがゆえの苦労があり、人が生きるということは、大なり小なり皆おなじだね。写真は文繍(Public Domain).
2024.07.14
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かれこれ半月前になるか。兵庫県南部にある某ローカルスーパーで「飲む健康酢」(希釈タイプとストレートタイプ。味はりんご味ほか)の宣伝販売を実施していた時、試飲したお客さんの1人にバナナ酢の作り方を教わった。「飲む酢。これからの季節、暑さで疲れやすくなるから重宝するよね。でも、市販のものはけっこう値段が張るから、私は年中やすく買えるバナナを使って自分で作ってんねん。おねえさん(私のこと)も試してごらん。簡単やし、美味しいよ」。お客さんによると、酢は台所の隅にころがっている米酢でじゅうぶん。これに、黒砂糖とスライスしたバナナを加えてレンチンし、一晩ほどおいたらもう飲めるとか。さっそく実行。出来上がった酢を飲んでみると、酢の酸味にバナナと黒砂糖のやさしい甘味が溶け込み、イイ感じ。毎朝、牛乳とミックスして「ヨーグルトドリンクみたい」と、楽しんでいる。少しは夏バテ防止になるかな。それにしても、飲む酢へのアレルギー(気持ちの上でのアレルギー)は、私が宣伝販売の仕事に就いた20年前の状況を振り返るに、ずいぶんと改善されたね。かつては、飲む酢を試飲してもらうと、「鼻や喉奥にツンとくる」だの「いくら身体によくても、こんな酸っぱいの、飲めないよ」だの「高いカネ出して、こんなマズくて匂いもキツいのを飲むなんて!」だの、悪評をタラタラ言われ、販売以前の試飲自体からして、ぶっちゃけ大変だったのだ。現在では、社会全体に飲む酢の概念と価値が広く浸透した上、肝心の風味も向上して、マイナス評価は大きく減った。写真は自家製バナナ酢。バナナの他、キウイで作っても美味しそう。
2024.07.09
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一昨日、すなわち日曜日は、京都市内のローカルスーパーでキウイフルーツのデモ。ぶっちゃけ、メーカーが店舗に送り込んだサンプルのキウイを8等分にカットしてお客様に試食していただくだけだから業務は簡単だし、商品の性質上、デモ日に台風が上陸したなど、何かよほどの事情がない限りそこそこの売上は示すことが出来る点で、キウイそのものの甘味と同じくらいアマーイ案件なのだ、、、本来ならばね。なのに、そうは問屋が卸さないこともあるのが、この仕事が水物であるゆえん。まあ、どうしたことでしょうね、日曜日のあの暑さは? まだ梅雨も明けていないのに、体温並みか、それ以上の気温で、出入り口付近の売場で試食提供していた私も、お客様の入出店に伴うドアの開閉のたびに熱風で全身を撫でられ、いちじるしく体力を削がれ続けた結果、夕方には立っているだけでも辛くなった。それでも、基本、室内での仕事ではある。屋外、例えば工事や建設の現場で作業していた人は、身体はもちろん心までも溶けて無くなってしまうような感触を味わったのではないか。その日曜日が終わり、翌月曜日の12時近く。近所のスーパーやドラッグストア3箇所での買い物から帰った私は、玄関の戸を開けようとしたとたんにめまいを感じ、そこでぼうっとした状態のまま直立不動となった(倒れないようにするため)。ほどなく込み上げてくる吐気。午後4時過ぎにも、2階のベランダで洗濯ものを取り入れていたら、またもやめまいで、脳が一瞬のあいだ真空状態。夏バテ?だとしたら、急きょ対策を立てねば。現実として、すでに9月の仕事の予定が入ってきているのだ。なのに、2ヶ月前の7月はじめからこんな調子では先が思いやられる。写真は、7月6日に5歳の誕生日を迎えた、1番下の孫。
2024.07.09
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6月最終の土日の藤井寺(大阪南部)での仕事の後遺症は、オフ2日目の今日も続き、とにかく腰がだるくて仕方がない。ただ、皆さん、藤井寺自体は、古墳や有名な寺もあり、ちょっとした観光にいいところよ、、、これは先だっての仕事場であった八幡市(京都南部)も同じ。さて!肉体的なしんどさや、そこから来るヒガミ根性を克服するには、今後の「リュックサック1つで行く文学1人旅」に思いを馳せ、プランを立てるのが1番。既に、今年の晩秋には「風車祭」(池上永一原作)の世界に浸るべく、南に飛んで行く予定。ツラいけれど、頑張って働いて、1円5円の金も大切にして貯めにゃ(余談ながら、私の旅行費用は、何度か話したが、財布に残る小銭を積み立てたもの。家計とは別)。もっとも、それまでに、文学1人旅のプチ版(日帰り、ないし、せいぜい1泊)をI度か2度、実行したいな。例えば、「阪堺電車177号の追憶」(山本巧次原作)をたどって、チンチン電車(地元の人は阪堺電車をそう呼ぶ)に乗ってのぶらっと旅とか。ただ、作家や作品に似た趣向がある人なら、道中、著作の感想をいろいろと述べ合えることではあり、1人旅にこだわらなくてもよいかな、とは思う。実際、誘われたことがあるのだよ、まだ大阪に住んでいた1990年代末期。ネットで知り合った人と、たまたまジェーン・オースティン(イギリスの作家。「高慢と偏見」や「エマ」他の作品で知られる)の話で盛り上がり、幾度となく個人メールも交わした人に「私が大好きなオースティン・ファンに会えるなんて、やはりネットをしてよかった。マチコさん、オースティンゆかりのイギリスのチョートンに一緒に行こうよ」と。その後、お互いの環境の激変により、これはかなわなかったが、、、。ううむ、、、。とは言え、文学の趣向が合っても、「リュックサック1つ」が合わなかったらなあ、、、普段、重いスーツケース持参で仕事に行く私は、プライベートにまでそれを持ち込みたくないのが本音なんだよ。やっぱり1人旅か、、、。写真はジェーン・オースティン(Public Domain)
2024.07.02
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6月最終日の土日は大阪南部にある藤井寺市。片道2時間以上かかる遠方現場に加え、今回の案件の内容の関係で、肉体面でクタクタ。で、私の場合、あまりに疲労がキツいと奇妙にも精神面ではたかぶってしまい、この心と身体の乖離(かいり)がまことにツラい。不眠症にもなるしね。ここで、ムクムクと頭をもたげるヒガミ根性。ぶっちゃけ、私の周りの女性で第2の定年を迎えた65歳以降で働いている人はいない(同じ宣伝販売の仕事をしている人は除く)ので、「四捨五入したら私は70のバァさん。やのに、何でこんなにしんどい思いして、仕事せなあかんねん」となる。70代の仕事仲間も話していたな。「年金や貯金がじゅうぶんあったら、私もこの年になってまで働けへんよ。立ち仕事はこたえるさかい」。ところが、仕事のギャラがいざ口座に振り込まれた日には、そんなヒガミ根性や愚痴はどこへやら。一転してニコニコ。「まあ、しんどかったけれど、それなりのことはあったよなあ」と、通帳に記載された数字を見てニンマリ。これは、彼女とて同じだろう。いや、この世の働いている人の大半はそうなのではないか。中には、「お金よりやりがい。収入云々より自分の特技をいかしたり社会とつながっていたいから働く」と言う人もいて、それはそれで1つのワーキング・スタイルではある。「どうして俺よりアイツの方が早よ課長になんねん」とか「私が提案した企画は、上司や同僚が難癖つけて、いつも却下に追い込まれる。クサるわ」とか、ヒガミと共にグダグダこぼしながらも、仕事の報酬(=金)を手にするや「うーん、、、。ここは、まあ、ひとまず不満は引っ込めて、もう少し頑張ってみるか」。こうして、気持ちの折り合いをつけ、またそれぞれの日常に身を投じる。お金の問題は大きいと思う。写真は、京都から藤井寺への中継地、天王寺で写したもの。いつからか、鉄橋に屋根がついたのだね。
2024.07.01
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"グッド・スピリッツ〜「いいちこ」と歩む"(三和酒類会長 西太一郎聞書, 本山友彦 著)発売するや、「下町のナポレオン」のキャッチフレーズにふさわしい、清涼感がありながらコクのある香りと風味で従来の焼酎のイメージを大きく変え、焼酎ブームまで作ってしまった「いいちこ」。その「いいちこ」を製造販売する三和酒類の会長、西太一郎氏(2022年死去。現在では女婿の和紀氏が代表)が、まさに「いいちこ」と歩んだ人生を、造り酒屋の長男として生を受けた自身の生誕から語る。インタビュアーは、西日本新聞社支局勤務(当時)の本山友彦氏。西氏は昭和13年(1938年)生まれ。家業の関係で東京農業大学醸造学科に学び、卒業後は地元の三和酒類に入社。「生涯1営業マン」として、取締役就任後も一貫して営業畑を歩いてきた。時代の変化を受けて低迷状態になりつつあった地場メーカー清酒に見切りをつけた会社が目をつけたのが、焼酎。同じ大分にある競合会社が発売した麦焼酎の「二階堂」が人気を呼んでいたのだ。「これが焼酎なのか。焼酎独特の匂いがなく、酔い醒めもよい」。飲んでみた西氏ら経営陣トップ層は決断する。「うちでも作ろう。二階堂に勝るとも劣らない焼酎を」現在でも業界第2位のシェアを示すロングセラー商品、「いいちこ」の歴史は、ここから始まった、、、。西氏によると、「いいちこ」の開発は難航を極め、完成はほとんど奇跡というか、運によるものであったとか。もっとも、その後のネーミングも含めた一連のマーケティングや広告をはじめとする販促活動(セールス・プロモーション)は、知恵とアイディアを絞った、完全に人為的なもの。ここに、「運をつかむべく普段から五感を研ぎ澄まし、つかんだら意地でもそれを離さないことが成功の秘訣」とまでされる「商道」の随を見る気がする。なお、西氏のひそかな誇りは「人を殴ったことがないこと」(もちろん家族にも)なのだそうな。「イソップの童話、北風と太陽を例にとるなら、私は常に太陽でいたいと思ってきた」。彼の年代の営業マンとしたら、これは珍しいことでは?なぜなら、昔は営業マンは体育会系の人が多く、「若いもんは厳しく鍛えなアカン」と、ノルマが達成出来なかったり、上司と違う意見を口にする社員は、時に皆が見ている前で叱り飛ばされ、まあ殴られるほどではなくても「何や、お前の実績や態度は」と小突かれたりするのが一般的だったからだ。そこを、西氏は「相手の立場に配慮する太陽政策でしか人の気持ちは動かない。だから我が社は自社営業マンにはノルマも課していない」。わかるな。私のデモンストレーター業だって、現場に入った先で「売上売上」と過度にプレッシャーをかけられたら萎縮して思うようなパフォーマンスは不可能だから、けっきょく売上は伸びないもの。人間は、リラックスした状態にいてこそ、120%力を発揮できるものだ。
2024.06.27
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最近、「月5万円の年金だけで心豊かに暮らす高齢者」みたいな記事を多く見かける。質素倹約を心がけ、すべてに感謝して、小さな喜びを見つけて日々過ごす、そのスタイルには共感するものがあるが、あまりに強調されると、何だか、本音ではあれやこれやと因縁をつけては国民から1円でも多く搾り取りたいオカミのプロパガンダめいてくる。「少ない年金でもこんなに楽しく生活をしている人もおるんや。だから、お前ら、やれ新しく〇〇税が導入されたの、やれ物価が上がったのと、グダグダグダグダ文句ばかり垂れんと、この人のように創意工夫して、低年金なりにおもしろおかしく暮らさんかいっ!」とね。そもそも客観的にとらえてごらん。月5万円ポッキリでは、仮に家賃が発生しない状況でも医者にかかることすらちゅうちょしてしまうよ、、、年をとると、高血圧などの生活習慣病をはじめ、目や耳や歯その他の細かな部分にもガタがきて、医療費や薬代がけっこうかかるもので、それがトータル5000円としても、1ヶ月の全収入の10分の1を占めてしまうからねえ、、、キツイよ、これは。「月5万円で心豊かに暮らす」生活は、何科の医者にも世話になっていないことを前提としてこそ、成り立つ。写真は3人の孫。現状から判断する限り、この子たちが成人した時、日本はさらに高齢者に対してキツい国になっているのではないか。
2024.06.25
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基本的には文学作品を切口にした、「リュックサックのみで行くブラリおひとり様旅」。この連休明けの函館旅もその1つで、その感動も冷めやまぬままに、新たな旅地をサーチ。検索をかけていたら、ある地がヒット。あ、ここ、行こ行こ。私は、物心つく頃から吃音(どもり)で苦しんできた。「ま、ま、ま、まっちゃん」と同級生どころか下級生にもどもり口調を真似され、笑われ、そのことを教師や親に訴えたら、なぜか怒られた。「そんなん、気にするあんたが悪い」。それでも一部の先生は親身に考えてくれ、亡母に吃音の本を渡してくれ、矯正所を紹介してもくれたのだけれど。「ま、ま、ま、まっちゃん」笑われる私の心の拠り所は読書だった。だから、逆説的な意味での自虐快感も含め、文学旅だけは1人で行きたいのだ。なお!私は現在でも吃りますよ、、、ほとんど気がつかれないけれど。意思疎通出来たら、ええんやない?吃りでも、メッチャ販売力がある人、私は知っている。
2024.06.25
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タンパク質のネタを続ける。我が記憶が正しければ、「タンパク質が足りないよ」のCMソングがテレビで流れていたのは、1964年の東京オリンピック開催頃のことだった。1964年。敗戦から19年後。日本は経済的にも立ち直りつつあり、付随して食の面では「餓死」だの「栄養失調」だの、そんなネガティブワードは縁遠くなっていたはずながら、その食の中身は、、、?少なくとも、私が生まれて育った、岡山県東南部にある、特別に貧しくはなくても決して豊かとは言えない草深い村の当時の食生活は、あくまで「米」が主で、味噌汁などの汁物や煮浸しとかの野菜料理、そしてイワシに代表される大衆魚をシンプルに焼いた魚料理もろもろ、つまり「おかず」とされていた品々は従。ぶっちゃけ、ビンボーだったのだよ、、、あれやこれや理屈を並べても、日本は。1960年代前半は現在のように東京一極集中ではなかったから、食生活面でも、こんな我が故郷みたいな地域は多かったのではないか。それから約60年経った2020年代。食生活は当時とは信じられないくらいに量も質も豊かになった。なのに、である。日本人のタンパク質摂取量は、いっときは増えたものの、現在では「タンパク質が足りないよ」のCMが流れていた頃に戻っていると言うのだ。原因の1つに、世代全般に根付くダイエット思考があるのだそう。もっとも、「ダイエット中でもタンパク質は絶対に減らしてならない」と、信頼できる栄養書なら明記している。1960年代の「タンパク質が足りないよ」も2020年代の「タンパク質は足りないよ」も、究極のところは同じ。正しい情報を得ているか、いないか、なんだよ。写真は、記事にあらわした1964年東京オリンピックの陸上100メートル走で金メダルをとったボブ・ヘイズ(ソースは産経新聞)。彼の豪快な走りを社内食堂のテレビで見ていて、「やつらと俺ら(日本人)とでは食い物が違うからなあ」と溜息をつきつつ食べていた秋刀魚定食に目を落としたと書いた某雑誌記者。気持ち、わかるよ。
2024.06.19
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現在、高タンパク質商品って、ブームなん?牛乳やヨーグルトなどの乳製品をはじめ、他でも「タンパク質強化」を歌った商品のデモを立て続けに打診され、ふと思った。振り返れば、「タンパク質が足りないよ」なんてCMもあったなあ、、、67歳の私が子どもだった頃、すなわち60年くらい前に。もっとも、当時と現在とでは社会情勢も違うし、引いて引いて引いては食生活も違うし、当然、タンパク質の位置付けも違うわよなあ。ううむ?1960年代がとらえたタンパク質と、2020年代がとらえたタンパク質は、どう異なるのだろう?写真は、記事中に登場した「タンパク質が足りないよ」のCMに出演した、コメディアンでありミュージシャンであり俳優であった、谷啓(Wikipedia).
2024.06.19
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昨日は、京都府南部にある某店でH社の粉末だしのデモ。メニューは、旬でもあるキュウリを同社商品で揉み込んで作る、浅漬け。味そのものは大好物。「あっさり」「そんなにしょっぱくない」「サラダ風」。そうなんだよね、昭和に生きた私からすれば「漬物なんやろ? この味、ちょい頼りないんとちゃうかな」と感じる味が、特に若い世代や子どもたちに大受け。つまり、私たちの世代が覚えている漬物は、「重い」の、「塩辛い」の、時に「臭い」が定番だった。こういうの、現在では流行らないというか、そっぽを向かれるんだよね。これは、日本の食生活における漬物の立ち位置が変わったこととも無関係ではないと思う。ありていに述べれば、漬物は、かつてのように「ご飯のお供」ではなくなった。今や、お酒のつまみや、やっこのトッピングや、サンドイッチの具材にも使われる。この現実。今後の漬物業界の指針にもなろう。写真は、子なすの浅漬け(Wikipedia).
2024.06.17
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連続勤務の後の、いつもの張りなんですけれどね、これは。いつもであるからこそ、「ああ、こんなもんね」と、極めて冷静にかまえているが、今回はまことに辛い。だって、立っていたら、歩いている時でも、腰部と背部に違和感があるもの。無理して、シャンとしているような。2日連続勤務の2日目の午後、明らかに腰と背中にだるさを覚え、じんわりとした不快な痛みが。経営している治療院が定休日で、ゆえに日帰りツーリングに出かけている夫に、ダメ元で「可能なら、今日の現場に(ツーリングの)途中で寄って欲しい。そして、そのままバイクで連れて帰って。バスと電車を乗り継ぐ普通の方法なら、バスも電車も本数が少ないから時間がかかるし、座席に座れない可能性がある。もう一分一秒でも早く帰宅して横になりたいんだよ」とLINEで送ったら、即座に返信があり、私が定刻で退店すると同時に来てくれた。おかげで、本来よりずっと早く帰宅することができた。こんなにまでしてくれたのに、一夜明けた今日も、だるさを伴う背部から腰部にかけて「張ったような痛み」。これって、立ち仕事ゆえの職業病かね?写真は、京都府八幡市にある某大型スーパーの近くで撮ったもの。青い空と白い雲と緑。ごく当たり前の光景ながら、実は最高に幸せな光景。
2024.06.10
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6月最初の仕事は、とあるフルーツのデモ。ぶっちゃけ、デモの実施方法といい売上高といい、デモンストレーター側にとっては担当フルーツと同じくらいオイシイ案件。なぜなら、試食提供法は(フルーツを)小さく切るだけだし、売上もデモ日が台風だったなどのよほどの悪条件に見舞われない限り、そこそこの数字を示すことができるからだ。とは言え、やはり仕事は仕事。両手をあげて「楽ちんだぁー」というわけにはいかない面もある。売場ないしデモ光景の写真撮影である。くだんのフルーツの販売を仕切っている会社。試食も含めた宣伝には、デモ回数の関係もあり、当然ながら複数のエージェントを通す。この複数のエージェント。デモに対する考え方も、基本は同じだけれど、細部には微妙な違いがある。写真撮影の有無もその1つ。エージェントAは、「写真は撮れるようであれば撮って下さい」のスタンス。エージェントBは、「写真は必須。売場の写真を正面、右横、左横、そしてデモンストレーター自身も写ったデモ光景と買取のレシート、合計5枚をデモ日の昼休憩中に本部に送って下さい。さらにデモ終了後には、エプロンなどのデモ資材を返送した時に宅配業者からもらう伝票の写真も送って下さい」のスタンス。少し気がきく方なら容易に想像されるだろう、、、デモを実施しながらの写真撮影はけっこう難儀な作業だということを。しかも、エージェントによっては個人情報に非常にうるさいところがあり(この記事で述べているBエージェントではない。やはり写真撮影必須を義務付けている別のエージェント)、写真内に少しでもお客様の姿が仮に後ろ姿であっても不可として撮り直しを命じる。万が一なにかの拍子に写真が外部に漏れるとも限らないとの理由からだろうが、実際問題として、お客様が絶えない繁盛店の場合はお客様なしの現場写真を撮影するのは、限りなく不可能に近いですよ。そんなことやなにやで写真の撮り直しを何度もしていると、正直、肝心の宣伝販売の仕事に影響が出てくるんだよねえ。まして、自分のデモ風景は、その日に現場として入った先の店の従業員にお願いするしかないから、本当に気をつかう。皆が皆、喜んでスマホをいじってくれるわけではないし。恐らく、デモンストレーター体験がない人は、「スマホが普及した現在、写真なんて、すぐに撮れるじゃないの」と、思っているのだろう。夫は、「デモンストレーターの仕事は商品の宣伝と販売のはず。写真撮影などは売場を巡回するメーカー営業かエージェント営業がするもん。やのに、営業員の巡回費用を節約したくて末端のデモンストレーターに押し付けているんやろ。それはおかしい」と語る。プラス、レシートと宅配便伝票の写真まで要求するなんて!私たち、メーカーからもエージェントからも、よほど信用されない立場なんだね、、、。非正規雇用者、ズバリ、日雇いだから、仕方がない?写真は1番上の孫。昨日、6月4日が11回目の誕生日だった。中学受験に向けるハードな日々の、束の間のレクリェーション。
2024.06.05
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「座頭市と用心棒」(岡本喜八監督。1970年。日本)。お馴染み勝新の座頭市シリーズの中で、最大の観客数を動員、すなわち、1番ヒットした作品。三船敏郎をはじめ、嵐寛寿郎や若尾文子、岸田森など、豪華キャストが勢揃いしているのも魅力。(あらすじ)望むと望まざるにかかわらず、保身、あるいは立場上の事情から人を斬って(=殺めて)きた、市(座頭市)。そのことに疲れ、3年ぶりに、川がせせらぎ、梅の香りも豊かな、ある平和な村を訪れる。ところがその村。ヤクザと化した小仏一家に支配され、荒み切った空気が(村の)そこかしこに。市は、盲人独特の鋭いカンで異変に気付く。そんな彼の来訪を疎んじた小仏一家は、用心棒(三船敏郎)を雇う、、、。そこそこは楽しめたけれど、何と言うか、ストーリーの運びが今少しダラダラしている感が否めず、この映画の魅力は、やはり主演の勝新、そして日本を代表する俳優の1人である三船敏郎、さらに当代きっての美人女優の若尾文子、それぞれの体当たり演技だと思うのです。写真は、Yahooより。
2024.05.30
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「スクール・オブ・ロック」(2003年、アメリカ、リチャード・リンクレイター監督)。生活のためにニセ教師となった売れないロッカーと、名門小学校に通う、「大人の価値観で骨抜きにされた生徒たち」とが、ロックを通じて真のふれあいを体験し、共に変わっていく、コミカルにしてヒューマンな映画。作中、ロック・ファンならお馴染みの曲が多数流れ、それも観どころの1つ。(あらすじ)バンドをクビになった挙げ句、ルームメイトとその恋人に滞納した家賃を払わないのなら(部屋を)出ていくように言われた、ギタリストのデューイ。そんなある日、かかってきた1本の間違い電話から、ちゃっかり臨時教師になりすまして名門小学校へ。そこで見た生徒の姿は、大人たちが決めた規則にがんじがらめになっているせいか覇気がなく、表情も冴えない。音楽の授業で生徒たちに音楽の才能があることに気づいたデューイは、生徒たちにギターやキーボードを与え、演奏を教え、ロック魂までをも全身全霊で伝授する。生徒たちは、とまどいながらも、デューイの「熱い授業」に次第に惹かれていく、、、。主演のジャック・ブラックの体当たり演技と実際に演奏している生徒たちのパフォーマンスが素晴らしい!写真は、「シネマ・トゥデイ」より。
2024.05.30
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一昨日は、京都府南部の長岡京市(都が奈良から京都に移るまでの期間、暫定的に都とされた地だ)で仕事。担当は、ここ数年ブームになっている、質の高い睡眠機能をも加えた乳酸菌飲料。お客さんの数は多く、したがってざわついて空気も乾燥しやすかったはずなのに、アレルギー性の喘息症状が一度も現れなかったのは幸い。こういう日もある。振り返れば、父方の祖母は生まれてこのかた、病気らしい病気をしないまま若くして嫁ぎ、10人の子を産み(成人したのは8人)、88歳で亡くなる2日前まで、毎日クワをかついで畑に行き、元気に野良仕事にいそしんでいた。ある日の夕方、「どうも寒気がする」と、珍しく早くに床に着き、そのまま逝った、、、まるで、木が静かに倒れるように。こういう亡くなり方、実はとても幸せではないかと思う。写真は、阪急長岡京駅近くのアゼリア通りで写したもの。
2024.05.27
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一昨日は2年前に大腸がんの手術を受けた夫の定期検診日。異常なし(すなわち転移もなし)。ただ小さなポリープが1つ出来ていて、内視鏡により除去することになった。術後も術前と同じように生活している夫。仕事をして、趣味の土いじり(園芸、苔玉、プチ盆栽その他)をして、毎朝ウォーキングをして、酒の肴にもなる大好きな漬物をてずから漬けて、専門学校在籍時の友人たちと一泊程度の旅行をして、アクションものやチャンバラ系のDVDを観て。考えてみれば、病気は自分のカラダとココロが発するメッセージ。だとしたら、道連れ。なだめたり、すかしたり、時に教えられたり、時に互いに誤魔化し合いしながら人生を歩む相棒だ。写真は、近所の人が「もうずっとほったらかしで。よかったらもらって下さい」と持ってきてくれた松の盆栽を夫が自己流で手入れし、流木や苔や石などを使って作った箱庭。
2024.05.23
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今日は、よ◯葉ネタをしつこく引っ張るのではなく、そこから派生した、あるテーマ(課題と置き換えてもいい)について書いてみようと思う。私たちデモンストレーターが関西でよ◯葉商品を宣伝販売する時には、商品の品質、特に味をPRすると同時に、産地である「北海道」を前面に押し出すのが、一般的なパターン。なぜなら、関西人、いや北海道以外の地に住む人間の大半にとって、「北海道」はある種のブランドだからである。これを、よ◯葉がお膝元(北海道)でとらえられているのと同じイメージ(高価ながらそれ相応の風味)を地元の京都で持つS味食品の商品を北海道で宣伝販売するとしたら、、、やはり担当デモンストレーターは味覚と共に「京都」をセールストークの中でプッシュすることだろう。「京都」もまた京都人以外の人にとってはブランドなのだ。北海道や京都以外にも、ブランドになりうる地域は、県にしろまちにしろ、さらに国にしろ、存在する。ブランド理由は、風景だったり歴史だったりその地の特産品だったり、ここ数年では意図的に作り出されたご当地キャラクターだったり。反面、ブランドになることが難しい地域もある。とは言え、悲観することはない。行政と観光をはじめとする民間企業や個人事業主、さらに最も重要な構成員である地域の住民ががっちりスクラムを組めば、活路は開けるはず。そして、このことは、この国の将来にとっても、絶対に有益なはず。何せ、SNSで、「日本の中心は東京。(だから)東京に住むか、東京出身者以外の人間は、皆イナカモノ」と堂々と投稿する人間と、それに賛同するオモロイ輩もおり、ぶっちゃけ、そんな人が現在の「東京一極集中=地方過疎化問題」を招いている一端を担っているんだからねえ。写真は、よ◯葉のバターと北海道産のあずきを使った、あんバターパン。近所のパン屋で買ったものだ。
2024.05.22
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よ◯葉ネタを続けよう。前回、「函館を旅していて、関西ではその価格の高さゆえにやや特殊な見方をされている北海道発のよ◯葉乳業の商品が、ここ北海道ではお膝元の強みもあってか、道民の人たちに自然に溶け込んでいることに気がついた」旨を書いた。旅から帰った後、北海道に住んでいる複数の人にこの感想について尋ねたところ、「よ◯葉商品は、それなりのお値段ながら、そのお値段に応じた味と品質」ととらえられているのが、一般的だとか。ははーん、関西で言うなら、S味食品みたいな感じなのかな。S味食品。つゆや中華だしやポン酢などを発売している京都発のメーカーで、全国、もちろん札幌にも支社がある(ついでに海外にもあり)。このS味食品。いずれの商品価格も、そこいらの同商品の倍近く。でも風味は抜群なので、根強い固定ファンがいる(ここいら、私はここの商品を幾度となく宣伝販売しているから、よく知っているつもり)。そもそも、S味食品の公式ホームページに、「(S味の品は)お高いけれど、やっぱり美味しい」をコンセプトにしていると書いてあるからねえ。時代は変わる。社会も変わる。その中で生きる人も変わる。それでも、企業方針として、ぶれないと言うか絶対に変えてはいけない部分もあるわけで。そこをしっかりと認識するのが、企業トップに課せられた永遠の義務だと思う。写真は、帰省時に撮った函館の海。函館到着時は小雨で肌寒かったのに、帰る時は快晴だった。
2024.05.21
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(注)昨日に書き、保存しておいた記事。ちょうど1週間前の今日、私は北海道南部の港町の1つ函館で観光第一日目を満喫していたわけだが、早くもその時点で気づいたことがある。北海道に本社を置く、牛乳やチーズ、ヨーグルト、バターなどを生産販売するよ○葉乳業の、お膝元での強さを。少なくとも、我がホームグラウンドの関西に比べると、ずっと市民生活に浸透し、根付いているのではないか。関西では、よ○葉の商品は、「味がそれなりなら、お値段もそれなり」と、多分にセレブなイメージでとらえられていて(よ○葉商品を長年にわたって数多く宣伝販売してきた私は、このことを肌で感じている)、取り扱っていない、あるいは取り扱っていてもバター以外は少量というスーパーチェーンも少なくない。それが、お膝元ではどうだろう。偶然かも知れないけれど、スーパーはもとより、コンビニや個人店にいたるまで、よ○葉の商品は自然なおもむき、すなわち「当たり前」感を持って、店に置かれていた。恐らく、当のよ○葉自体も、長期的には全国をそんな状態に持っていきたいのだろう。この春から、滋賀県民の生活の拠り所とも言える庶民派スーパー平○堂で盛んにデモンストレーションを繰り広げるようになったことからも、その思惑はうかがえる。ただ、ブランドイメージは壊したくない、と言うか、断じて壊してはいけない。となると、販路拡大のためには、まず、ほとんどの大衆を納得させるだけのマーケティングコンセプトを設定しなければならない。よ○葉の場合、今回の一連のデモ商品は高タンパク系食品であることから連想して、それ(マーケティングコンセプト)は、「適度なタンパク質摂取によって得られる末永い健康」ではないのか。確かに、少なからざる数のシニアがアウトドア活動やスポーツジムのマシーンなどを通して筋力を鍛えている現状を前にすれば、その筋力増強に欠かせないタンパク質摂取は、幅広く受容される凡庸性あるコンセプトと言えるだろう。写真は、五稜郭の庭を散歩していた鴨さん。ご存知だろうか? 鳥にとっても筋肉はとても大事で、特に胸には全体の筋肉量の4分のIまでが集中していると言う。
2024.05.15
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もう1週間になるんだね、函館ぶらり1人旅に出かけて。いや、楽しかった、SNS上で何年もやりとりしている方々にもお会い出来て。ここいら、少しずつ話していこう。さて!函館に行ってあらためて感じたこと。函館観光は、昔はともかく現在では、かなりの確率で、新撰組副隊長だった土方歳三人気に支えられているのではないか。剣の達人であるばかりでなく、頭も切れ、かつイケメン。しかも悲劇的な最後をとげた。この背景だけで既に物語性じゅうぶんだよね。特に女性には大受けするタイプの内容。で、そういう女性層をも読者として取り込みたい作家先生たちが、各自の想像力と創造力を駆使して、「燃えよ剣」などの土方歳三を主人公に据えた小説をたくさん書き、幾つかは映画化ドラマ化漫画化もされた。結果、ますます新撰組ないし土方歳三の名が知れ渡ったわけだ。函館市内のあちらこちら、時にワインのラベルにすら見かけた、この写真(実際の土方歳三。Public domain.函館にいた頃に写されたとか)。じっと見ているうちに思った。これが例えば新撰組隊長の近藤勇だったら、ギャルもオバさまも含めた女性たちが、こんなに函館に押し寄せるようになったかどうか。時代や社会の一面をあらわす「人気」なるもの。これが、人口の半分を示す女性が作り上げることがある事実を、世の人はもっと知っておかねばならない。
2024.05.14
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ブログにも書いた通り、行く先々の現場で我がデモンストレーションを見て興味を抱き、この仕事をしたいと望む人には、原則、販売や営業体験者限定でデモンストレーター派遣会社を紹介しているが、畑違いの職業の人に紹介することもないわけではない。先日は、コロナ前までお笑い業界にいたと語るお客さんを紹介した。何でも才能に限界を感じてくらがえを考えてたところへコロナが直撃して仕事を失い、様々なバイトで糊口をしのんでいるうち、どうせなら今までの芸人生活で培ったものをいかした仕事がしたいと思うようになったのだとか。「前々からデモンストレーターは気になっていたのだけれど、今日、おねえさん(私のこと)のデモを見ていていよいよとピンときて。私、やってみたいです」。いいねえ。人を笑わせ喜ばせ、ステージという垣根を超えて共感し合い、そのことで双方参加の「一体空間」を作る芸人のスキルは、デモンストレーター業務でも必ず活きる!数年後、彼女は業界有数の名物デモンストレーターになっていることだろう。写真は3人の孫。
2024.05.03
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(注)昨日に書いた記事。今日から5月。すなわち、一年のうちの半分近くは過ぎてしまったことになる。今さらながら時間(とき)が経つ速さを感じる、と言うか、その速さ自体が加齢と共に増しているようで、切なさも実感する。ところで、仕事に行く先々で、その店のパートさんとかお客さんの中で、わがデモンストレーションを見てこの業界に興味を持つ人がいたら、販売や営業の体験を持つ人に限り、登録派遣会社4社のうちの2社を紹介している。何人かは登録してくれて、活躍中(私は自分の名前は明かさないが、彼女たちが派遣会社に問い合わせた時点で「この店でコレコレを売っていたデモンストレーターさんに紹介された」とその人が言うと、自然とわかるみたいだ。くだんの派遣会社2社からはどちらも「ご紹介ありがとう」のお礼メールが届いた)。3月最終週と4月第1週。喘息と花粉症で目一杯苦しんだ。それを、サプリなり食事なり生活習慣なりで対応できる情報も欲しくてSNSに書き込んだら「喘息にしろ花粉症にしろ、よほどでない限り命にかかわるわけじゃないでしょ。重篤な病を抱えている私にしてみれば大した病気じゃないよ。しんどがっているのが、笑えてくるね」云々と揶揄してきた輩がおり、正論であるだけに我がメンタルはダメージを受け、肝心の症状も苦しさに拍車が。「そいつ、そんな発言をして、もしかして、ココロをやられているんとちゃうか。病気の軽度重度に関わらず、虫歯でも何でも、病気はしんどいもんや」と怒った、がんを患った夫。そうだよね、、、。喘息も花粉症も主治医に話した結果、処方してくれた新薬が幸い我がカラダにフィットしたみたいで症状がおさまったけれど、暖かくなると、今度は恒例(?)のアトピーが始まった。もっとも、こちらは、医者もクスリもなしの塩浴療法でほとんど改善し、今後もそうだろう。だとしても、いつまで仕事が出来るかなー。冴えない人生を送ってきた私が、初めて、その冴えない人生体験をも商売上のネタに出来るデモンストレーター業に出会い、自己肯定感が持てた。しかも、デモンストレーターの世界。状況に応じて融通がきくし、仮に失敗してもリカバリーOK。つまり、良く言えば寛容、悪く言えばルーズなのだか、ここは日本に根強く残っている悪しき慣習である「減点主義」への抗議も含め、良い方を取ろう。ともあれ、歩んできた人生の体験そのものを活かすことが出来るデモンストレーター、シニアにピッタリな仕事ですよ。主に体力的な理由でだんだん仕事が出来なくなりつつある私にとって、やる気のある人にデモンストレーターの魅力を紹介し、デモンストレーターになってもらうことは、ある意味で「お礼奉公」であり、仕事への「挽歌」。別に9回裏の大逆転を狙っているんじゃない。デモンストレーターという仕事を、正当に、もっと皆に知って欲しいのだ。写真は、3人の孫。
2024.05.02
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「お箸の持ち方と育ちネタ」第2弾。前我が投稿にコメントを下さった方々へのレスにも書いたが、刺し箸などの不快な箸の使い方をするのではなく単に持ち方がオカシイ、すなわちお箸を「正しく」持てない人は、最近では実は少なくないのではないか。事実、わが町京都の某カルチャーセンターの講座には「お箸教室」なるものがあり、(講座が)ずっと続いているからには、それなりの需要があるということだ。この箸の持ち方云々の議論は、小学校で教員をしている娘がいつぞやつぶやいた「鉛筆をうまく持てない子どもが増えている」現象と無関係でない気がする。箸の持ち方が正常から外れていても余程ひどくはない限り食べ物を口に運べるように、鉛筆を自己流で持っても字や数字が書けないわけではないのだけれど、まあ、姿勢も不自然になるし、結果、肩や腕その他の身体器官に負担を与える可能性が高いからと、問題視されるのだろう。とは言え、箸や鉛筆の持ち方、その一点だけを取り上げて人の育ちをジャッジするのは、あまりにも短縮的な発想だと思う。一説によると、外国ではフォーマルな場以外はそんなことは全く問題にされないとか(筆記用具を変な握り方で扱う大統領もいる)。日本だけが「型」にこだわるのだ、、、良い意味でも悪い意味でも。20年来の試食販売の仕事で、さまざまな土地でさまざまな職業の、かつ置かれた環境や辿ってきた背景もおのおの異にする人々に接してきた私。自分なりに判断した「育ちの悪い人」はこんな人だ。「自分だけが得をしたい人」。試食はタダ。自分の懐は痛まない。よって、それをゲットするために他人を利用し、時に押しのけるあさましい行動をする人は、現実にいる。着飾ったマダムにもいる。搾取だブルジョアジーだ階級だ何だと、ひところのサヨク学生崩れのインテリにもいる。何より、現在の政治家や一部の企業トップ。「育ちの悪い人」が、やけに多くないか?結局、出自だの家柄だの親の社会的地位や経済力だの学歴だのマナーだの教養だの、そういう付属品ではなく、その人が持つ人間性そのもので「育ち」がわかるのではないかな。
2024.04.28
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この仕事を始めて丸20年。つくづく感じたのは、我が育ちの悪さ。まあ、水呑み百姓の子孫だからなー。いや、水呑み百姓を軽んじているんではないよ。かの白州次郎氏も戦中は都内の奥地で農業を営み、自ら「水呑み百姓」と語っていた。農は、国家の基本だしね。その水呑み百姓の次男に生まれた父は百姓を嫌って宮大工に弟子入り。父と結婚した母も落ちぶれた地主の娘で、本当は職業婦人になりたかった祖母の意向で、「手に職を」ということになり、戦時中の看護婦不足から急きょ設けられた看護学校速成科に行って(この速成科、800人の志願者のうち合格したのはわずか15人だったそうな。狭き門だったんだ)。私が育ちが悪いなあと感じたのは、都会に出てきてから。まず、箸をちゃんと持てない。不器用なせいもあるんだけれど、「お箸の持ち方、おかしいね。あんた、どんな育ち方したの?」。はあ。父も母も、生きていくのに一生懸命でした。土日もぶっとうしで働き、その金で、冷蔵庫とか車とか扇風機とか、買い、子どもに教育をつけたので、、、まあ、言い訳になるんでしょうなあ、、、箸の持ち方の躾をしなかったのは。でも、刺し箸とかねぶり箸とか渡し箸とか、その他いろいろ、他人が不快に感じる箸の使い方をしたことはない。ただ、持ち方がおかしいだけ。姉も私も不器用だからね。ちなみに、「箸の持ち方がおかしい。あんた、どんな育ち方をしたの?」と言った女。我がアルバイト期間が終了する頃には、「マチコさん、ずっとここにいて。週に⚪︎回でもいいから、バイトして」と。お箸の持ち方なんて、他人に不快な思いをさせなかったらどうでもいいことだし、その前にその一件を持って人間をジャッジしてしまうなんて、恐ろしいことだよ。育ちがいいって、具体的に、どういうこと?
2024.04.27
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振り返れば、私が中学2年から3年にあがる春休みの頃、ラジオからよく流れていた曲の1つが、カントリー歌手ジョー・サウスが作詞作曲し、同じくカントリー歌手リン・アンダーソン(女性)が歌った、「ローズ・ガーデン」だった。(抄訳)ごめんなさい。安息の日々を約束したわけじゃないの。陽が照っている時も少しは雨が降る。あなたにローズ・ガーデン(永遠の繁栄を意味する)を約束したわけじゃないの。(略)一緒に人生を歩んで、2人とも出来るうちに楽しい時を分かち合いましょうよ。なかなか意味深な歌詞の上、メロディ的にもカントリー・ジャンルに属しながらポップ・フィーリングも満点の軽快なこの歌、「日本ではカントリーは流行らない」とのジンクスを、見事に覆した。さて。ガーデンの話題が出たついでに。ガーデン、いわゆる庭がないなりにプランターや鉢でさまざまな草花を育てて楽しんでいる我が家。考えてみたら、バラを栽培しようと思ったことは一度もない。バラだけではない。蘭もぼたんも百合も。これは、仮に庭があっても変わらないと思う。咲かせてみたい花は、農家であった父方の伯父宅の庭先で揺れていた百日草とか、自宅の庭に学研の雑誌「科学」の付録についていた種を撒いて思いがけず大きくなったヒマワリとか、通っていた小学校の花壇に所狭しと咲いていたマツバボタンとか、そういう、どこか日向くさくい「庶民的」(?)な花ばかり。見ていると、郷愁を感じ、ほっこりするんだな。面白いものである。写真は、リン・アンダーソン(wikipediaより)
2024.04.26
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函館1人旅を機会に、仕事でも使うリュックサックを新調することにした。ホテルでの洗濯を考えれば衣類は最低限でよいし、土産は夫への地酒くらいなので、リュックサックだけで十分なのだ(韓国1人旅もそうだったな)。それに、仕事では、リュックサックの他に、鍋なども含め調理器具一式を入れた重いキャリーケースを引いていくことが多いから、プライベートではきょくりょく身軽にいきたい。振り返れば、いま使っているリュックサックは2010年の秋に買ったもの。実直にして寡黙かつ剛健に、よく働いてくれたものだ。
2024.04.25
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