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今、笑った?えっ?笑ってないですよ。 さくやさん笑ったのかと思ったけど?ううん。笑ってないよ。その一室には、さくやを含め5人いた。後ろから笑い声が聞えた為、振り返ってなにが可笑しかったのかと思い聞いた。確かに笑い声が聞えたけど、、、すると3mほど離れていた方がクスクス笑ってる。聞いてみると、やはり笑い声が聞えたと^^;他の2人には聞えてないようで無表情。やっぱり笑声が聞えたみたい^^;えっ!? ホントですか? こわっ((^^;女性ばかり5人だったけれど、笑い声は男性だった。(と、思う)ちょっとした面白いことがあります(笑)
2012年06月30日
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6月の忙しさが去った♪
2012年06月29日
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最近、『結婚』の二文字をよく聞くようになり、今日は、明後日結婚式だと言う声もあった。少し前には、『妊娠』も。そして、同世代に孫が出来たり、既に孫が居たり・・・それぞれの人生。次へのステップ。 今を大切に。
2012年06月28日
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第三番 吉いきしきの御いづかしこみ諸神に 幸を乞祈まつる人ぐさ此御諭しの神歌の意はいきしき威勢ある神々の御稜威を畏み幸福を乞祈奉れば人々を榮昌させ賜はむとなり○歓喜ごと有べし ○待人来る○争い事十分利あり ○失物出べし○病神心の力により全快すべし○方角東南よし
2012年06月27日
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第十二番 半吉各々の勤めを守り、今は新規の事に取りかかるは控えよ。人の意見に耳を傾け時節を待つべし。石橋をたたいて渡れ。願望 容易に叶い難し 旅行 近き所よし 学業 まず目標をたてよ 商売 売買利なし方角 西よし 争事 人に任せよ待人 便なし 開運色 金色失物 出にくし 病気 長引く大祓六月三十日と十二月三十一日の午後に行なわれる。知らぬうちに犯した過ちや、身に受けた一切の罪穢を残らず祓い去って、清明正直の本性に復り、残りの半年、又は新しい年を迎えて清々しい第一歩を踏み出す為の行事。 第十七番 小吉軒のはの 嵐の風は さわげども 春を覚ゆる 家の内哉心を平和にして 親類縁者に交われば 争い事もなくなってよく一家和合し他所には困る事があっても自分の家は春風が吹く様です他人の為に尽くしなさい願望 思いのまゝです他人の世話をよくせよ待人 時後れて必ずくる旅行 早くしてよろし争事 勝つ 人に頼むが吉病気 なおる よき医師にたのめ
2012年06月27日
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ようやく一息つけたこの日の夜
2012年06月26日
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結果が欲しいならば、自らに厳しくせよ。ならば望みも早く近づくであろう。
2012年06月25日
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元気な高齢者の方と接しお話しを聞いてみると、何事にも興味を持ちやってみようとしたり、行動される方は、足腰も割合としっかりしお元気。そんな高齢者の方を見たり接したりして、身近な身内の高齢者と比較し嘆かれる。でも、もしかしたら見ていない場面では、また違った顔をみせているのかも?^^身内には、どうしても甘えがちになります。本音も言えず、逆のことをしてみたり、、、長年の鬱積したことを消すのは難しいですが、今は今でしかなく、後での後悔とならないようになると良いですね。
2012年06月24日
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手の届かぬところへ手を差し伸べ癒される身体と心
2012年06月23日
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若干の頭痛があった日
2012年06月22日
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身体を集中的に動かす前後のストレッチの重要性をつくづく感じています。運動前だけでなく、どんなことにでも当てはまることだと思います。何かをする前の準備が必要だと。その準備を怠ると、なんらかの不具合が生じたり故障したり、うまくいったとしても後に影響が出たり。今回は、少々運動後のストレッチを少しばかり?怠ったら、腰への負担だったり、首肩への負担を感じ、その重要性を身体で感じたのでした^^;やはり身体が資本ですので、大切に扱いましょうね^^
2012年06月21日
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思わぬところでご縁をみつけた。少々お疲れの表情をみせた方。今日は、出会う人の身体の具合を強く感じた日であった。体調を崩しやすい季節がらです。無理をせず、しっかり休養もとりましょう!(と、自らにも^^)
2012年06月20日
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現在、10代後半から70代くらいの年齢層の人と接する機会を頂いています。親目線だったり、母としての先輩だったり、同世代としての感覚の共有だったり、人生の先輩からの助言を受けたり、第2の人生の楽しみごとを聞いてみたり、相手により話す内容は色々。幅広い年齢層の方と接してみると学びがうまれます。これも必要なことだったのだと感じます。
2012年06月19日
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もう既に疲れが出ていますが、今週から今月末は多忙の予定。必要とされることは喜ぶべきかな。ただ、久しぶり?に出てきた腰痛で身体がもつか?と言う心配が・・・以前は、体重増加をすると腰に負担が掛かりマズイと感じていましたが、今回はそれとは違う。これ以上負担が掛からないように気をつけよう。出来る限り早く休むように心掛けよう(^^ゞ
2012年06月18日
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餞別に創作したプレゼント用ピアス
2012年06月17日
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午前中のホンの数分ですが、身体のピークを感じてしまった日。そう言えば、ある部分で疲労を感じたり違和感を覚えたり、いつもは無防備ですが、今後、意識的に感じることにしてみよう。
2012年06月16日
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再び調べごと^^石川丈山(いしかわ じょうざん、1583年(天正11年) - 1672年6月18日(寛文12年5月23日))は、江戸時代初期の文人。もとは武士で大坂の役後、丈山と號する。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に石川丈山が記載されており、煎茶の祖とも言われる。名は初め重之、後に凹、通称は初め三彌、後に嘉右衛門、字は丈山、号は六六山人、四明山人、凹凸?、詩仙堂、大拙、烏麟、山木、山村、藪里、東溪、三足など。略歴三河国泉郷(現在の愛知県安城市和泉町)の代々徳川家(松平家)に仕える譜代武士の家に生まれた。一途な性格で早く功を挙げたいと思い、大叔父のもとで武芸を学んだ。1598年(慶長3年)徳川家康の近侍となり、その忠勤ぶりに信頼を寄せられた。大坂夏の陣に参加した際は一番乗りで敵将を討ち取って功をあげるが、この時の軍律では先陣争いを禁止していたため、論功行賞どころか蟄居の身となった。そこで武士をやめて妙心寺に入った。1617年(元和3年)頃、知人・林羅山の勧めによって藤原惺窩に師事し、儒学を学んだ。文武にすぐれると評判になった丈山には各所から仕官の誘いが多かったものの、仕官するつもりはなかった。しかし病気がちな母を養うために紀州(和歌山県)和歌山の浅野家に数ヶ月、また板倉重宗の勧めに従って安芸(広島県)広島藩の浅野家に13年ほど仕えた。母が亡くなると引退を願い出たが許されず、翌年強引に退去し京に出て相国寺の近くに睡竹堂をつくり隠棲し始めた。さらに4年後、洛北の一乗寺村(比叡山西麓)に凹凸?(詩仙堂)を1641年(寛永18年)に建てて終の棲家と定めた。この時、洛東の隠者木下長嘯子の歌仙堂(三十六歌仙の肖像を掲げていた)に倣って、中国歴代の詩人を36人選んで三十六詩仙とし、狩野探幽に肖像を描かせて堂内2階の四方の小壁に9面ずつ掲げた。そのため凹凸?は詩仙堂の名で知られるようになった。煎茶に親しんだと伝えられると共に、作庭に長じたとも言われ東本願寺只穀邸(渉成園)の庭園は石川丈山の手になるものと伝えられている。 清貧を旨として学問に没頭し30数年を過ごし、90歳で死去した。なお、鷹が峰の本阿弥光悦、八幡の松花堂昭乗と共に、幕府の意を受けて京中の監視をしていたとの説もある。学問漢詩には閑適の詩が多い。七言絶句「富士山」は詩吟初心者の練習によく用いられる。書道では隷書を得意とする。渉成園(東本願寺)や酬恩庵(一休寺)などの作庭を手がけた。著書 - 『覆醤集』(詩集)・『北山紀聞』・『詩法正義』上記ウィキペディアより以下それぞれ検索・参照丈山苑 (こちらHPのURLをリンク出来ませんので検索お願いします。)愛知県安城市和泉町中本郷180-1江戸時代初期の武士・文人として名高い石川丈山(いしかわじょうざん)は、碧海郡泉郷(現在の安城市和泉町)の生まれです。後半生は京都に建てた詩仙堂(しせんどう)ですごしました。丈山苑は、その詩仙堂のイメージを生誕地に再現したものです。自適に生きた丈山のこころを、四季折々の草木をとおして感じることができます。京都詩仙堂丈山寺 公式ホームページ 安城市中央図書館より石川丈山 人物像と生涯京都市都市緑化協会より東本願寺 渉成園(枳殻邸庭園) しょうせいえん(きこくてい)東本願寺 公式HP渉成園
2012年06月15日
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調べごと以下記載(^^ゞ夢窓 疎石(むそう そせき、道号が夢窓、法諱が疎石、建治元年(1275年) - 観応2年/正平6年9月30日(1351年10月20日))は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。七朝帝師。父は佐々木朝綱、母は平政村(北条政村か?)の娘。生涯伊勢国(三重県)出身。幼少時に出家し、母方の一族の争い(霜月騒動?)で甲斐国(山梨県)に移住する。1283年に市川の天台宗寺院平塩寺に入門して空阿に師事し、真言宗や天台宗などを学ぶ。1292年に奈良の東大寺で受戒する。京都は建仁寺の無隠円範に禅宗を学ぶ。鎌倉へ赴き、円覚寺の桃渓徳悟、1299年には建長寺の一山一寧のもとで首座を勤めるも嗣法には及ばず、1303年に鎌倉万寿寺の高峰顕日に禅宗を学び、1305年には浄智寺で印可を受ける。応長元年(1311年)には、甲斐国牧丘の龍山庵(浄居寺)に一時隠棲する。西遊して美濃国に虎渓山永保寺を開き、元徳2年(1330年)には甲斐守護の二階堂貞藤に招かれ牧庄内に恵林寺を創建し、鎌倉中期の渡来禅僧蘭渓道隆以来になる甲斐の教化に務めた。また、土佐国・吸江庵、上総国・退耕庵、相模国など各地の寺庵に滞在している。1325年には後醍醐天皇の要望により上洛、勅願禅寺である南禅寺の住持となる。翌1326年には北条高時に招かれ、伊勢国で善応寺を開いた後に鎌倉へ赴き、円覚寺に滞在。高時や北条貞顕からの信仰を得る。1330年には甲斐に恵林寺を開き、1333年に鎌倉幕府が滅亡すると、建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて上洛、南禅寺に再住し、臨川寺・西芳寺の開山にも迎えられ、国師号を授けられた。建武政権から離反した足利尊氏や弟の足利直義らは北朝を擁立して京都室町に武家政権(室町幕府)を設立する。夢窓は足利家とも縁があり、足利家の内紛である観応の擾乱では調停も行い、北朝方の公家や武士が帰依する。尊氏は後醍醐天皇らの菩提を弔うため、疎石の勧めで全国に安国寺を建立し、利生塔を設置した。また、京都嵯峨野に天龍寺を建立し、その開山となった。その建設資金調達のため1342年に天龍寺船の派遣を献策し、尊氏は資金を得ることができた。生涯にわたり、夢窓国師・正覚国師・心宗国師・普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円国師と7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師とも称される。1351年に死去、享年76。夢窓疎石設計による庭園西芳寺庭園 - 京都市西京区。世界遺産、国の特別名勝天龍寺庭園 - 京都市右京区。世界遺産、国の特別名勝永保寺庭園 - 岐阜県多治見市。国の名勝瑞泉寺庭園 - 神奈川県鎌倉市。国の名勝恵林寺庭園 - 山梨県甲州市。国の名勝覚林房庭園 - 山梨県身延町。町指定文化財ほか上記ウィキペディアより以下それぞれのページにて参照悟りへの道ー夢窓疎石の教えー(平成十二年八月二十七日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたもの。)京都史跡散策会から抜粋第55号【夢窓疎石(国師)の庭園】(1)〔天竜寺庭園〕第56号 【夢窓疎石(国師)の庭園】(2)〔永保寺庭園〕〔永保寺観音堂〕第57号【夢窓疎石(国師)の庭園】(3)〔瑞泉寺庭園〕 第58号【夢窓疎石(国師)の庭園】(4)〔恵林寺庭園〕 第59号【夢窓疎石(国師)の庭園】(5)〔西芳寺庭園〕 第60号【夢窓疎石(国師)の庭園】(6)〔南禅院庭園〕〔等持院庭園〕〔臨川寺(夢窓国師終焉の地)〕 夢窓疎石の遍歴と庭園(禅庭園の起源と発展)夢窓国師遍歴の地図上記リンク先の内容検索(西川家住宅)していたら、こちらを見つけました → 富山の山ちゃんの日記夢窓疎石と作庭 --- 霊石の系譜学 ---国上寺 新潟県燕市国上1407番地周辺に老杉・老松が茂る、国上山[くがみやま]中腹にある真言宗の名刹。709年(和銅2)創建。本尊は、行基菩薩の作と伝わる阿弥陀如来像。境内には酒呑童子の鏡井戸、義経ゆかりの六角堂など伝説の残る史跡が多い。現在の伽藍は客僧萬元上人により、1718年(享保3)に再建されたもの。1週間前までに予約すれば、夢想国師作の庭を眺めながら精進料理4500円がいただける。るるぶより安国寺 山形県山辺大寺
2012年06月14日
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よく出来る人を見本とし頑張っては見るものの結局は同じ様には出来ないと自らを卑下し、自信を無くす。挙句の果てには、そこには自分は必要ないと逃げる。そう。逃げてる。逃げたって、またどこかで同じ事を繰り返すだけ。逃げるのは止めにして、ちゃんと自分自身に向き合おうよ。
2012年06月13日
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お出掛け先の本屋さんで学生時代の同級生Sちゃんが働いていた。友人Aちゃんの幼なじみでもあるSちゃん。Aちゃんとは何年も会っていない。一昨年、Aちゃんが大病をしたらしいことを知った。今は元気なようだけど、連絡を取り合ってはいない。ここ数年思う事は、例えば病気をしたとしても、わざわざ友人に連絡したりしない。普段から連絡を取り合っていれば、話すのかもしれないが・・・数年前、違う友人が話していたことを思い出される。その友人の幼なじみが急逝し、『こんな事になるなら、もっと連絡を頻繁にとれば良かった』と。亡くなった後の連絡は何かしらの形で知ることができる。その時、最期のお別れに会いにいけるのかもしれないが・・・ふと誰かのことを思い出したら、連絡をしてみるのも良いのかもしれない。もしかしたら、お互いにそう思っているかも?『また今度ね!』 と、使ったり聞いたりするけれど、果たして、”また”はあるのか?
2012年06月12日
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ここ数日、眠くて仕方がない夜少し横になるつもりが、起きてみると日付が変わっていたりして、そこから入浴して・・・先週からのハードワーク今週は、そこそこお休みあり忙しく動いているとお休みを上手に使えなかったりして、誰かさんは、足を止めるのが怖いと良く話している。いつもながら睡眠をとれていないようだしでも、更に眠れなくなったのは、昨年から月一度行くようになったその頃から特に。ほんの少し関わった人が、翌日には・・・・・まだまだ先は長い
2012年06月11日
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その時の思いを長く持ち続ける事は難しい日々の過し方や人との接し方や環境・・色々なことによりその思いが少しずつ変化してくるずっと遥か遠くに添い遂げることが出来なかった関係を今、その時の思いを成し遂げようとほんの数年前まで思っていたであろう今となっては既に過去の思いとなっているどちらかの思いが強ければその時の言葉を相手にぶつける気持ちの切替を上手に出来ないといつまでもいつまでも同じ事を繰り返すどこかで切り替えないと前には進めない遥か遠い過去の思いが知らず知らず日頃の行動に出てくること何故か分からないけど懐かしいとか苦手だとかそこには何かしらあるであろう
2012年06月10日
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朝方、夢で目覚めた。普段、見ているだろう夢を覚えている事は殆どない。ゆえに覚えている夢は、なんらかの意味合いを持つことがある。今朝は、目覚めの悪い方の夢。何かをしていて携帯電話に出られず、ようやく出ようとすると着信を知らせる画面が、おどろおどろしい画像になっていた。見たこともない設定した覚えもない画面。しかも誰が掛けてきてるのかも分からない。番号通知をしないと繋がらない為、番号は表示されている。一体誰だろう?仕事の関係上、取り合えず出てみる。「もしもし・・?」 相手が誰だか分からない場合は名乗らない。『・ ・ ・ 』「もしもし?」『・ ・ さぁ くぅ やぁ・・・』プーッ プーッ プーッ少々不気味な声で名前を呼ばれ、その言葉だけ残し電話は切れた。なんだったのか分からずも再度画面を見ると同じ番号から7件もの着信履歴があった。そして、再び着信音がなり、出てみると、、聞いた声。何かを話した覚えはあるが、ここで夢が終った。この夢、休むことをしない忙しさが常にある人のことを見せているよう。もしかしたら限界が近いと・・・眠れぬ日々をあの時から過している。それ以前も睡眠時間は短いほうであったが、、、どちらが先かは、随分前に約束ごととして決められている。
2012年06月09日
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大切なことでも直ぐに忘れてしまうのは何故?ホンの数分前は自ら話していたことその時間、すっぽり抜けてしまい催促されるそれでもまた忘れてしまう複数の人が迷惑してる独特のニュアンスで今まで済んできているのはその個性からかあぁ、また忘れてるね! とあきれながらも笑って言えるのは何度まで?
2012年06月08日
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とても眠くて何度も眠っては起き、、を繰り返した日しっかりお布団に入ったのは、2時前くらいだったかな^^;
2012年06月07日
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今週は、ハードワーク。既に疲れてきた^^;どこからか、、『お・と・し?』と言う声が聞える(笑)
2012年06月06日
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楽しいことばかりを追い求め後回しにしていることはないか楽しみごとがあるなら、望まざることも頑張れる他人のことばかりを気にし己のことは棚の上いちいち反応する時間をもてあましている人それは楽しいか?
2012年06月05日
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週末も動いていると曜日が分からなくなってくる^^;6月に入り、意識がこちらに向いているのか過去の6月に起きた記憶が甦る最初の頃と最終ぐるっとひと回りするくらいの時が経過したそんなこともあった と。
2012年06月04日
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福王神社三重郡菰野町大字田口アクセス:近鉄四日市駅から福王山ゆきバス50分終点まで。バス停から徒歩30分。東名阪自動車道・四日市ICより車40分訪れたのは5月22日。その日、伊勢神宮~椿大神社~時間があった為、高速道を使用せず下道から帰ろうと・・・カーナビを頼りに帰る方向へ向うのですが、いつもとは全く別の方向から帰ることに^^;大丈夫なのか?と思いつつ走行し、ナビ検索には出てこなかったけれど、なんども道路標示案内で見かけた福王神社少し足を伸ばしてみるか^^ と、行ってみることに。駐車場から結構な急な坂道をのぼり、上のほうにも駐車場があることに途中で気付きました。ここまで誰にも会うことなく、、、でも、駐車場に数台の車が。そして、鳥居をみつけ・・・あれ?と、、、しかも杖が置いてあります^^; 取り合えず杖は利用せずのぼって行くことにしました。なんだか奥深い^^; ここまで折角来たのだからちゃんと御挨拶に伺おう!それにしても福王神社とあったけれど、社号標は、毘沙門天王とあります。とりあえず のぼりますとも!^^ず~っと階段を見上げどこまで一体つづいているのだろうか。。階段の左右には、様々な神様が祀られています。したの駐車場には売店らしきお店が2~3軒ありましたが、営業されておらず、その看板に天狗伝説も書かれていました。どんどん上にのぼって行きます。車はあったけれど、誰一人として見かけず、一人じゃなくて良かった♪と、少々思いました(^^ゞ夕方までには少し時間があり、夜のこの場を想像したりして・・・^^;本当、どこまで上ったら社殿があるのだろうと思っていたら分かれ道。どっち??^^;標されていたようですが気付かず・・・左方へのぼって行きました。帰り道にそれで正解だった事を知りました♪ここから更にまだのぼっていきます^^;そして、ようやく社殿が!そして人影も♪ホッとしたりして(^^ゞ下調べもなく初めて訪れる時は、少々ドキドキ?します。(余談;下調べすることの方が少なかったりします^^;)福王神社御祭神饒速日命 にぎはやひのみこと天照大神 あまてらすおおみかみ倉稲魂尊 うかのみたまのみこと大山祇神 おおやまつみのかみ応神天皇 おおじんてんのう市杵島姫命 いちきしまひめのみこと毘沙門天 びしゃもんてん聖徳太子 しょうとくたいし福王神社の由緒福王山は鈴鹿山地にあって、大和の信貴山と並ぶ、太子崇敬の霊場であります。古くから田口は、神宮の神領地として貢納米を伊勢へ献上していました。集落の南入口に鎮座の旧穂積神社は延期式内社の由緒を誇り、饒速日命を祀り穂積氏の祖神として崇められていました。また田口には神明社、八幡社、稲荷社、弁天社、山神などの農耕神を祀り、このことは永い村の歴史と村人の信仰の深さを顕しています。江戸期は、桑名藩領下が永く、城主松平氏も毘沙門天を領国鎮護の神として崇敬すること篤く、春の大祭には家臣を伴ない、親しく参拝していました。なお山内の森厳を守るため、福王山一帯を桑名藩の藩有林に指定、保護の手をさし延べました。そのため空を圧する神杉、古木の大樹に天狗が住むという天狗伝説が生れ、鈴鹿の野登山と共に京都の鞍馬山と結ばれていました。毘沙門天を福徳の神として崇め、聖徳太子を敬仰それに氏神穂積社を合わせて福王神社と尊称し庶民信仰を象徴する古社であります。毘沙門天毘沙門天(多聞天)ともいい、釈迦の時代のインドの仏法を守る神と崇められていました。大乗仏教が中国・朝鮮を経て、日本へ伝わってきた時に、如来・観音・菩薩などと共に請来されました。毘沙門天は、北方の守護と福徳富貴の神として崇められ、七福神の中の一つであります。尊像は岩座の上にあります。京都の鞍馬寺、滋賀の金剛輪寺にも立像が安置されております。この福王神社は古来の村の鎮守の穂積神社に毘沙門天、そして山神・水神・稲荷と、庶民信仰の「神も仏も一仏一体」の素朴な神仏混淆の信仰形態が残る霊山であります。-由緒書より-太子堂太子堂の左がわに奥の院への参道登り口があります。杉・檜の植林帯を200mほど登ると奥の院に達します。奥の院は、昔からの呼称であり、俗に「天狗の踊り場」と呼ばれ、踊場の周りに修験者の小祠があります。奥の院へは、時間的に遠慮させて頂きました。穂積神社千段杉千年余の樹齢を重ねており聖徳太子お手植えの説があっての名御挨拶に伺った日、社殿の扉も開いていましたが、時間的に先に御朱印を頂いていたら、扉が閉じられました^^;丁度、縁日(3のつく日 3日・13日・23日)の前日で準備の為に神職の方々がおられたのでした。御朱印と共に由緒書も頂きお祭のお話しも伺いました。普段は、誰もいないようです・・・^^;上がって来て人の姿を見てホッとしましたから(笑)ここからの帰り道は、なんとも言えない山道と言うか・・・冬季は閉鎖されている道で、なるほど・・と思いました。季節がら通れましたし景色も良かったのですが、再び通る?気にはなれません^^;
2012年06月03日
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1年ぶり手力雄神社へ昨年2011年6月2日のブログはこちら → 信長公ゆかりの手力雄神社へ昨日までは、城址に行こうと考えていました(^^ゞ今朝になってこちらへ行くことに変更。角度を変えて撮っても見てる^^ 第三番 中吉 なに急ぎ 花咲き はなの散るならむ 心しずけく 見むと思うに心急ぐことなく 花咲く春の訪れを待ちましょうやがて倖せな日がやって来ます 将来性のあるよい運です体にはよく気をつけ病気等にはかからぬように信神第一に努力しましょう願望 金運・出世の兆あり 諸事叶う 信神しなさい 神の教 とんと踏み出すその一足が、谷と野原の分かれ道踏み出す一歩である。千尋の谷の底にも落ち込めば、広い花の野原にも出る。歩もう正しい道へ。邪心に囚われ神様に背を向けることのないよう、神様の御手にすがり心の眼を開いて、日々善行を積み重ね、御光注ぐ広い花の野に出て行こう。 断然、優しきあのお方に逢い言葉を交わしたいと心待ちにする日々
2012年06月02日
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多くの人と顔を合わせる事がおおくなった数ヶ月朝と夜では、場の雰囲気が変わるみな一生懸命さをもちつつスッキリして帰る人更に疲れを伴ない帰る人さまざまビリビリ感を数日感じさせてくれた?その人は、もう来なくなった。新たに進む人後退する人留まり更に前進をする人心もち次第で如何様にもできるあなた次第
2012年06月01日
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