【西洋陶器を求めて】 0
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全国の小学・中学・高校では、間もなく夏休みが終了します。北海道、東北、長野、岐阜などでは、すでに夏休みが終わっているという。夏が涼しいからというより、冬休みを長く取りたいからでしょう。夏休みの宿題に追われた、夏休みの終盤を思い出す大人たちも多いでしょう。しかし今の夏は、塾や予備校の夏期講習に追われる子供たちもいます。宿題どころの騒ぎではありません。塾も予備校も経験がない私には、夏期講習の思い出もありません。夏休みは自由な時、そして成長の時でした。社会に出れば知識より、多くの体験がその人を支えます。知識だけに頼る人は、その心がとても弱く儚い。夏休み、成長の時。今の子供たちは、成長しているでしょうか。・・・・・・・・・・「追伸」忘れていましたが、今日は私の誕生日でした。特にめだたくもない年齢です。
2015.08.29
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路傍の石像、道祖神。なぜ道祖神は、男女ペアなのでしょう。男女ペアで刻まれているのは、猿田彦(サルタヒコ)神とその妻の天宇受売命(アメノウズメ)と言われます。猿田彦神と道祖神が、同一視されるからです。しかしそれでは、なせ道祖神が、旅や交通安全の神様なのか分かりません。道祖神が旅の神様なのは、道祖神が来名戸祖神(クナトノサエノカミ)だからです。クナトノサエノカミは、日本書紀に登場します。黄泉の国を訪れたイザナミは、妻のイザナギに追われます。その時、イザナミは、妻に向かって「来るな」と杖を投げつけます。その杖から生まれたのが、クナトノサエノカミです。杖のおかげもあり、イザナミは黄泉の国から戻れました。だから、クナトノサエノカミ、道祖神は旅の神様なのです。イザナミが妻から逃げるために投げつけた杖から生まれた神は、夫婦円満の神ではないでしょう。猿田彦神の姿を借りて、夫婦円満に見せる道祖神。道祖神こそ、古くからの「仮面夫婦」なのかもしれません。
2015.08.27
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日本人ってすごいよ。なんてすごい人たちなんだろうって、ぼくは思うよ。日本には「和」って言葉があるよね。みんなで仲良くしようってことだよね。ほんとのこと言うと、最初はなんだかなぁって思ったよ。なんか、みんなで足を引っ張りあうみたいで。でも、その「和」って、日本人が何千年もかけて生み出した強さなんだよね。何も失うことなく、幸せを得るための知恵なんだよね。終戦のあの日、日本人はなぜ泣いたかわかるかい。負けて悔しいからじゃない。そんな軽い涙じゃない。泣いたのは、自分らしく生きれなかったからなんだよ。柄にもなく、無理して争って、大切なものを失い、大切な人の命を失い、希望さえも失い、それなのに、争いでは何も得られなかった。そんな、自分らしく生きれなかった自分たちへの、後悔の涙なんだ。「惑わず」って言葉を知ってるよね。あれは、自分らしく生きよということなんだよ。選択に迷ったら、自分らしいと思うように決断せよ。それが「惑わず」ってことなんだ。きみたちにある「和」ってやつ、それがきみたちらしさだと思うんだよ。それが、きみたちの強さなんだと思うんだ。もっとその強みを信じていいと思うよ。きみは、もう知っているはずだよね。争うってことは、たくさんのものを失うことだ。大切なものを犠牲にして、後悔の涙を流すってことなんだ。きみに、争いは似合わないよ。くりかえすよ、大事なことだから。自分らしく生きなよ。意地を張るなよ。無理をするなよ。本当は、争いたくはないんだろ。仲良くしたいんだろ。なにもかも失って、らしく生きれなかったって、泣きたくはないんだろ。大丈夫、きみならできるよ。きみは強いよ、きみが自分で思っているより。そんなにおびえなくても大丈夫だよ。みんながきみを好きなになり、みんなと仲良くできる。そんなことが、きみならできるよ。約束だよ。自分らしく生きなよ、大切なものを失いたくないなら。無理はするなよ、もう後悔に泣きたくないのなら。
2015.08.20
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安保法案の議論があまりに酷いので、政治の話はしたくないが特別に書く。安保法案は、有識者が憲法違反と認めている。その点をしっかりと議論したい。今の国家では、下記の状況が起きている。議長:「憲法違反しても良いと思う人、手を上げて~。」議員:「は~~い!」議長:「多数決で、憲法違反をしても良いと決まりました!」こんな議論はありえない。しかし、現実に起きている。法案の良し悪しが問題ではない。憲法違反はしてはならない。その当然なことが無視されている。野党が対案を出すというのも、実に不思議。「ちょっとだけ違憲」や「うまくごまかせる違憲の法案」はありえない。なぜ違憲立法審査権が行使されないか、わからない。政府が違憲とされる法案を立法するのであれば、司法が違憲審議すべき。立法後でなければ、司法は動かないのだろうか。なぜ違憲立法審査権が行使されないのか、ご存知の方は教えて欲しい。いずれにしても、違憲である法案は、たとえ有益なものであっても立法はできない。それを強行採決で押し通すなら、野党は違憲訴訟を前提に動くべき。憲法違反は国家の犯罪。違憲行為を容認すれば、国家は犯罪であっても平気でできてしまう。そのことを忘れないでいて欲しい。
2015.07.18
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良くご存知の、長寿の祝い。あらためて、確認してみましょうか。数え年61歳の「還暦(かんれき)」は、すでに通過された方もみえるでしょう。忘れがちな66歳の「緑寿(ろくじゅ)」は、「緑緑」が「ろくろく」と読めるから。70歳「古希(こき)」まで生きるのが、「古来稀(こらいまれ)」だったのは過去の話。77歳「喜寿(きじゅ)」、「喜」の草書体は七を3つ。80歳「傘寿(さんじゅ)」では、「傘」の略字が「八十」に。翌年81歳「半寿(はんじゅ)」は、あまり祝われない。「半」が「八十一」にはなるけれど。88歳「米寿(べいじゅ)」は、「米」を「八十八」に分解して。90歳「卒寿(そつじゅ)」も、「卒」の略字を「九十」と見て。99歳「白寿(はくじゅ)」、「白」は「百ひく一」と計算しましょ。ついに迎えた100歳「百寿(ももじゅ)」は、盛大に祝いたい。108歳「茶寿(ちゃじゅ)」では、「茶」を「十十八十八」にまたも分解。111「皇寿(こうじゅ)」は、ちょっと複雑に。「皇」を「白一十一」に、まずは分解。「白」は「百ひく一」で、「皇」=99+1+10+1=111。119歳の「頑寿(がんじゅ)」は、「頑」を分解して「二八百一八」。それらを足して、2+8+100+1+8=119歳。120歳になれば、還暦2回目の「大還暦(だいかんれき)」。250歳「天寿(てんじゅ)」で、やっと天寿、寿命と認めてもらえます。漢字を分解、引いて、足して、計算して。計算嫌いのkopanda06は、きっと天寿までは生きられない。
2015.07.16
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写真の物は何でしょうか?これは通称、阿弥陀橋石棺仏。奈良県香芝市にあります。阿弥陀如来に見立てられたこの石仏は、古墳の石棺材を利用したもの。加工も少なく、石棺材がそのまま使われています。中央の立石は、石棺の蓋石を1/4に割ったもの。縄をかける突起部を、そのまま阿弥陀如来の頭に見立てています。向かって左に横たわるのは、やはり石棺の蓋石。かつては阿弥陀橋として使われていたとのこと。向かって右は、竪穴式石室の天井石の一部。石材は、いずれも竜山石です。竜山石は王家の石とも呼ばれ、特に強い権力者の古墳に使われた石材。大型古墳からの石材でしょう。それにしても、手抜きな石仏。古墳から持ち出して、ほぼそのままのリサイクルです。置かれた場所も、車が頻繁に往来する路傍。貴重さを感じさせる雰囲気もありません。身近にさりげなく文化財がある。それが奈良県の驚きです。【香芝市の文化財】 「阿弥陀橋石棺」 ※阿弥陀橋石棺仏の詳しい解説があります。【過去の日記1】 「墓石に仏を刻む - 石棺仏 -」【過去の日記2】 「いつの時代もリサイクル - 青石 -」 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2015.07.05
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厳しくなった、自転車の交通違反への罰則。交差点で、どの信号を見てよいのか、どこを走ってよいのか分からなくなっていたkopanda06。そこで、警視庁のHPで確認しました。【1.歩行者・自転車専用信号がない交差点】自転車は、自動車用の信号を見て進みます。走る場所は横断歩道ではなく、車道です。(下図の黄色のライン)かなり勇気が必要な交差点の渡り方です。ただし、「歩行者がいない場合」は「横断歩道を渡ってもよい」となります。【2.歩行者・自転車専用信号がある場合】自転車は、歩行者・自転車専用信号を見て進みます。自転車は車道でも横断歩道でもなく、自転車横断帯を進みます。自転車横断帯は歩道につながっているので、途中から割り込む形。(下図の黄色のライン)信号が赤の場合は、意外な走行になります。自転車は、車道ではなく「一旦歩道に上がって待機」します。(下図の水色のライン)自転車横断帯が、歩道につながっているためでしょう。自転車が「歩道に上がる」というのは意外でした。また、自転車横断帯があるのが前提ですので、自転車横断帯がない場合は、歩行者・自転車専用信号を見て、どこを走ればよいかは不明です。やはり車道でしょうか?【3.左折車通行帯がある場合】左折車通行帯がある広い交差点は、もっとも危険な走行を強いられます。自転車は、自動車用の信号に従います。信号の矢印表示では、左折と直進のみ従い、右折に従ってはいけません。自転車は、左折車走行帯を走っています。直進の場合、自転車は「左折区分を無視して直進」します。(下図の水色のライン)極めて危険ですので、左折車への巻き込みには注意しましょう。「身の危険を感じる場合は、自転車を押して歩道へ回避」ともあります。(笑)この交差点で、歩行者・自転車専用信号がある場合は、上記のルール2です。スクランブル交差点は、不明です。歩行者もいますので、おそらく「自転車を押して横断歩道を渡る」かと思います。ルールを確認すると、かなり無理を感じました。日本の道路は、自転車の走行用に整備されていないように思います。自転車を守るためにも、車道や走行区分の見直しが必要ではないでしょうか。【警視庁】 「自転車の交通ルール」
2015.06.15
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日本食の代表、お寿司。しかし、寿司は日本生まれではありません。寿司のルーツは、東南アジア。魚肉を塩や米などの穀物に漬け込んだ保存食、ナレズシがルーツでした。日本には、中国経由で伝わりました。伝来は、奈良時代以前と考えられています。「寿司」と書くようになったのも、江戸時代後期から。それまでは、すしは「酢」と書かれていました。「鮨」も塩辛のことでした。いつの間にか、日本食の代表になった寿司。異国の味覚を、寿司から感じる人は、もういません。・・・・・・・数日、忙しくしていました。今日はショートの更新でご容赦ください。
2015.05.29
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晴れた日の、穏やかなランチタイム。その憩いのひとときは、鋭い殺意によって奪われる。アサシン(暗殺者)は、決して攻撃の手を緩めはしない。やつは、私が油断する時を待っている。忘れてはならない。殺意は日常に潜んでいる。私は知っている。やつがこの小さな袋に中に、罠を仕込んでいることを。だから、その扱いは極めて慎重にしなくてはならない。かといって、やつに屈服してはならない。袋を横破りで開封すれば、隠された罠を確認できるだろう。しかし、それではやつに屈服したことになる。それでは、私のプライドが許さない。罠があると知りつつも、あくまで攻撃的に攻めるのだ。袋を押し縮め、一気に袋を破壊しろ!破壊とともに、中に隠された罠を、白日の下にさらすのだ!膨れ上がる恐怖、震える指先。私は絶望感の中、勇気をふりしぼり、一気に袋を罠に押し付けた・・・。あぁ、やはり危ないところだった。やはり、罠は隠されていた。罠は袋を突き破り、私の指をかすめていた。今日は、私の勝ちだ。私は、決して逃げはしない。やつとの日々の勝負で傷ついた指を眺めながら、今日も私は、かすかな高揚感を覚えていた。 私には悪い癖があります。御弁当に付いている紙袋入りの割り箸。あの袋を押し縮めて、箸で袋を破って開封します。すると箸が袋を破って開封できます。しかし時に、同封の爪楊枝が指にささることがあります。あの危険な爪楊枝の同封は、止めてもらえないでしょうか。
2015.04.14
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物には別の呼び名、異名があります。粋な呼び名が多いですが、由来に首をかしげる異名もあります。例えば、カマキリ。カマキリを「鎌虫」と呼ぶのは納得です。しかし、カマキリの「疣毟(イボジリ)」の異名は不思議です。カマキリで、イボをなでればなくなるという、迷信があったからだそうです。植物には、異名が多くあります。オオバコは「蛙葉(カエルバ)」とも言います。死んだ蛙をオオバコの葉で包むと、生き返ると言われていたから。ヘビは「銭神(ゼニガミ)」。足がなくても走る様になくなる銭に、ヘビを例えて。アユは「年魚(ネンギョ)」。生まれたその年に死ぬ魚だから。アユの寿命は1年なのですね。気味悪い虫、ゲジゲジ。その異名は「梶原(カジワラ)」です。梶原景時が、歌舞伎では意地悪く、嫌われ者だから。ゲジゲジを梶原と呼ぶ。全国の梶原さん、抗議しても良いかもしれません。
2015.04.01
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時計の針は、右回り。その理由は、日時計にあると言われます。太陽が東から南、そして西に動く時、日時計の針は右回りで動きます。エジプトの石柱、オベリスク。オベリスクの影の動きも、日時計の役割をしたと言われます。針がない、デジタル時計が生まれてひさしい。アナログ時計の針も、右回りでなくても良いでしょう。過去の習慣や風習に縛られず、もっと自由に生きてみませんか?【変則時計】[ジャンピングアワー]COGUにはジャンピングアワー時計が多くあります。数字はバラバラ。1時間に1回、短針がジャンプします。[往復動]ナルセ時計には、変わった時計があります。下記は、分針が1時間に1往復運します。説明を読んでも、簡単には時間の表示が理解できません。[1日1回転][時間がわかりにくい][食パン]デザインが面白かったので。
2015.02.22
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675年、天武天皇は「殺生禁断の詔」を出しました。肉食をタブーとする詔は庶民にも浸透し、江戸時代まで日本人は肉食を避ける風潮にありました。しかし、明治になり、日本人の食生活が変化します。肉食の取り入れ、それが食生活の大きな変化となりました。肉食の普及は、洋食へのあこがればかりではありません。欧米との体格差が、肉食の有無によると考えられたことも原因にあります。富国強兵の政策は、肉食文化を加速させました。カレーライスは、肉食の取り入れに適した食事でした。慣れない肉食を意識することなく、肉食することができます。軍隊の給食にも取り入れられて、カレーライスは普及しました。洋食にあこがれる時、その障害はナイフとフォークの扱いにもありました。肉食でもステーキでは、苦手なナイフとフォークを使わなくてはなりません。その点、カレーライスは、扱いやすいスプーンで食べられます。肉食、洋食、扱いやすいスプーン。日本人の食文化に、急速に浸透しました。生産統計では、今日では日本人はひとりあたり、年間46食のカレーライスを食べる計算になります。なぜこれほど、現代の日本人はカレーライスを食べるのでしょう。飽きるほどの肉食で、洋食も浸透し、カトラリーの扱いにも慣れました。それでに、日本人はカレーライスを食べ続けます。短期間で国民食となったカレーライスには、まだ、奥深い魅力があるのでしょう。
2015.01.27
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現世と神域を隔てる結界、注連縄。注連縄には、右綯い(みぎない)と左綯いがあります。右綯いでは、右向きに綯っていき、左綯いでは、左向きに綯っていきます。右綯いは、女性または水を示し、左綯いは、男性または火を示します。神様の男女によって左右を使い分けると言いますが、実際は、それに関わらず、右綯いが大半です。左綯いの代表は、伊勢神宮や出雲大社。注連縄は、左が太く、右が細くなります。お正月、注連縄の向きを気にする人を見つけたら、それは、kopanda06かもしれません。※上の例は「右綯い」です。
2014.12.25
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衆議院選挙が終わりました。2012年の衆議院選挙では、総額666億円の費用がかかりました。データは「The Huffington Post in association with The Asahi Shimbun」から。「2012年衆議院選挙費用 内訳」・総務庁 選挙執行管理費 587.53億円・総務庁 不在者投票費用 0.38億円・総務庁 ネット選挙啓発費用 89.5億円・警察庁 選挙運動取締り費用 0.82億円・政党 政党交付金 68.52億円今年も同様の費用が必要だったことでしょう。それとも、戦後最低の投票率で、事務経費は削減されたでしょうか。国家予算の大きさで感覚が麻痺しそうですが、福祉活動での募金額と比較すると、費用の大きさが分かります。知名度が高く、継続的な募金活動で、集まった募金額は下記のとおり。・赤い羽根,平成25年度 全国総募金額: 190億円・日本ユニセフ,平成25年度 全国総募金額: 170億円 ・24時間テレビ,平成25年度 全国総募金額: 15億円ボランティアの皆さんが、1年間苦労して集めても、選挙費用の1/3にもなりません。もしこの選挙費用が、福祉に使われていたのなら、救われた人もいたことでしょう。動物好きの方も多いですが、アニマルシェルターはわずかな費用で運営されています。666億円あれば、どれほどの命が救われたことでしょう。救われるべきに、私たちの税金が使われることを願います。
2014.12.15
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だるまに願をかけましょう。まずは、だるまに眼を入れましょう。どちらの眼から、墨を入れましょうか。一般には、向かって右の左眼から。願いがかなえば、右眼に墨を。ただし、この順序は、厳密なきまりではありません。次に、だるまを、南を向けて置きましょう。だるまの赤色は、南を意味しますから。役目を終えただるまは、どうしましょう。神社仏閣で、お焚き上げするのが良いでしょう。いつまでも、家に置かれた、だるまさま。かなわぬ願いが、残っているから。お焚き上げのその時は、まだまだ先になることでしょう。
2014.10.27
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日本語の使い方。先日、「煮詰まる」の間違いが多いと話題になりました。これは大丈夫と思っていましたが、他を見ると私も続々と意味を取り違えていた例が・・・・・・。私が意味を取り違えていた例を示します。1)「姑息な」2)「ハッカー」3)「話のさわり」4)「なしくずし」5)「失笑する」6)「爆笑する」7)「確信犯」まずは皆さんで、意味をお考えください。正しい意味は、食器のアフィリエイトの下に。さぁ、皆さんはいかがでしょうか?【答え】1)「姑息な」:一時しのぎの。その場しのぎの。 卑怯という意味ではありません。2)「ハッカー」:コンピュータ,ネットに詳しい人。 犯罪者ではありません。3)「話のさわり」:話の要点の意味。 話の最初ではありません。4)「なしくずし」:物事を少しずつ処理すること。 曖昧に物事を進める意味ではありません。5)「失笑する」:思わず笑い出すこと。 あきれる様ではありません。6)「爆笑する」:大勢で笑うこと。 大笑いすることではありません。7)「確信犯」:道徳、宗教、政治的義務を確信して行われる犯罪。 いわゆるテロ行為。 犯罪と知って行う犯罪という意味ではありません。
2014.10.08
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寺院などには、大きな草鞋が祀られています。大草鞋は、かつては村の境界にも飾られました。この村には、大草鞋を履く巨人がいる。そう思わすことで、魔物を退けるためでした。そして、現代。もう人々は、草鞋を履きません。祀るものがない人々は、代わりに高いビルを建てました。それは、高い、高い高層ビルを。高いビルは、魔除けになったでしょうか。残念ながら、そうはなりません。高いビルは、毎日多くの人を飲み込みました。そして、人々を仕事という罠に捕らえては、野山を駆け巡る自由を奪いました。誰もが高いビルは魔除けではなく、魔物自身だったと気づいた時、人々は、草鞋を失った、あやまちを知りました。ただ、その時には、もうすべて後の祭りでした。
2014.09.26
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中国の官吏登用試験「科挙」では、最も優れた答案を一番上に置いたという。「圧巻(あっかん)」は、その科挙での習慣から生まれた言葉。優れた答案は、他の答案用紙(巻)を圧していました。だから、圧巻と言われました。しかし、何か違うと感じる。圧巻という言葉は、まるで「天賦の才」の様に響くから。科挙での好成績は、筆舌に尽くしがたい努力の結果。ただ他を圧するのでは、ありません。他を圧巻する偉業にも、多大な努力が隠されている。努力を積み重ね、その結果、最良の今がある。だからこそ圧巻には、他を寄せ付けぬ、力がある。努力こそが、力なのです。
2014.09.13
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寒気がするほど疎ましく、嫌悪の感は、ともすれば嘔吐しそうなほどに。虫唾が走る。人が人と殺しあう、その争いに、これほどふさわしい言葉もない。本来、胃液は、人のためにある。人が栄養を、摂るためにある。だが、胃液がさかのぼり、自らの食道を焼く時、その胃液は、「虫唾」と表現される。虫唾とは、食道をさかのぼる、胃液のことだ。ためになるはずの胃液も、使い方を誤れば虫唾になる。人は力はないが、知恵がある。知恵は、人のためにある。知恵を、争いに使ってはならない。知恵を、虫唾にしてはならない。信じたい、まだ人が、知恵の使い方を正しく知ることを。人が虫唾に似た、よだれを垂れ流す、青い星の寄生虫ではないことを。
2014.09.09
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アメリカの「フランダースの犬」では、ネロは死にません。悲しすぎる最期が嫌われ、ハッピーエンドに書き換えられて出版されています。地元のベルギーでも「敗者の死」が嫌われています。そのため、作品自体も有名ではありません。日本のパトラッシュは、セントバーナード風の姿をしています。しかし、原作のパトラッシュは、褐色の毛並み、狼風の立ち耳、丈夫な足をしています。一般には犬種は「ブーヴィエ・デ・フランドル」とされますが、やや違う様に思えます。「ベルジアン・シェパード・ドッグ」の説の方が、原作らしいでしょう。日本でのみ、セントバーナード風のパトラッシュとともに、ネロは死を迎えます。そして、そのネロとパトラッシュの死を、日本人は悲しい結末として受け入れます。過酷な死を、受け入れる日本の人々。そこには、時には残酷な自然とともに生きてきた、悲しい現実を受け入れる強さと、それでも負けない再生への願いがあります。***パトラッシュ、ここを探してきてくれたんだね。いつまでも僕と一緒だって、そう言ってくれてるんだね。ありがとう、パトラッシュ、僕は見たんだよ。いちばん観たかった、ルーベンスの2枚の絵を。だから、僕は今すごく幸せなんだよ。パトラッシュ、疲れたろ。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ。パトラッシュ・・・。「ブーヴィエ・デ・フランドル」「ベルジアン・シェパード・ドッグ」
2014.08.23
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各地の神社にある「なで牛」。自分の体の悪い箇所をなでれば、病が治るとされています。牛に限らず、兎や虎、さらには、賓頭盧(びんづる)様まで。なでるご利益は、様々な像で語られます。「なでる」は、言い換えれば「手当て」。医療の「手当て」、つまりは「治療」につながります。さあ、なでましょう、お牛様の頭を。そして、お牛様に、そっと語り掛けましょう。「なでるが、手当て。 これって、ダジャレなんですね。」
2014.07.23
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ローマ数字で、「4」は「5」の前に「1」を書きます。しかし、時計の文字盤では、慣例的に「1」を4本並べて書きます。その理由は、諸説あります。そのひとつは、14世紀フランスのシャルル5世が「ローマ数字の4」を禁じたという説です。シャルル5世は病弱でしたが、優れた国王でした。様々な学問に精通し、極めて深い教養を持ちました。戦時にあっても、極力争いを避け、機を見て動きました。外交術を駆使して、フランスの領土を拡大しました。税金の基礎を作り、絶対王政を築きました。本を愛し、争いを避け、それでも国土を拡大する彼を、人々は「賢明王」と呼びました。ただ、病弱な彼は、迷信深くもありました。占星術も信じました。その様な国王でしたから、「ローマ数字の4」を禁じたとも言われました。「5」から「1」を引くことに、邪気を感じたのでしょうか。賢明王が、現在ならば、どの様な政治をするでしょうか。本を愛し、争いを避け、国を豊かにする。賢明王がいるならば、少しの不便は我慢しよう。たとえ、「ローマ数字の4」が使えなくても。・・・・・※ローマ数字が機種依存文字になり、使えません。 そのため、分かりにくい日記になりました。 賢明王の制限より、楽天ブログの制限が不便です。
2014.07.07
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金属でできたフルートも、木管楽器です。その理由は、しばしば、間違って伝えられます。最も知られた誤りは、「フルートが昔は木製だったから木管楽器」というもの。金管楽器と木管楽器の区別は、楽器の材質ではありません。金管楽器は、マウスピースに接した唇の振動で音を出す楽器。いわゆる、ラッパ。トランペット、トロンボーンなどが、その代表。木管楽器は、金管楽器以外の楽器。いわゆる笛で、唇の振動によらなくても、音を出すリードがあります。フルート、クラリネットなどが、その代表。だから、金管楽器は、人に頼って音を出す。その点で、木管楽器は自立しています。人に頼る金管楽器と、頼らない木管楽器。あなたは、どちらの楽器がお好きですか?
2014.05.29
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今は、清明。つばめきたる(玄鳥至)時も過ぎ、こうがんかえる(鴻雁北)頃となりました。週が明ければ、すでに、にじはじめてあらわる(虹始見)頃。あしはじめてしょうず(葭始生)のも間もなくです。かみなりすなわちこえをはっす(雷乃発声)時はすでに遠く、やがて、かいこおきてくわをはむ(蚕起食桑)でしょう。5日毎に、季節の変化を語る「七十二候」。その表現には、気象や動植物の変化が織り込まれています。季節を語る、美しい言葉。手紙や挨拶文に、織り込まれてはいかがでしょうか。*私は「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」という表現が好きです。みなさまは、七十二候のどの季節がお好みでしょうか。【個人HP】 「七十二候」
2014.04.12
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鍵には、古い歴史があります。古代エジプトに始まり、古代ローマでは私物にまで付けられていた鍵。いつの世も、鍵は個人の財産を守るものでした。ポケットがない時代、人は鍵を首から紐でつるしました。さらに時が経ち、指輪と一体化した鍵付き指輪もできました。鍵付き指輪は、生活と財産を守るもの。いつしか、婚約の証として鍵付き指輪を贈る習慣も生まれました。これが、婚約指輪の由来。婚約指輪は、生活と財産の共有の証でした。しかし、鍵付き指輪は、やがて姿を消しました。そして、装飾のための指輪が、発展を遂げました。装飾の指輪の前では、鍵付き指輪は無骨な道具に見えました。宝石や貴金属で飾られ、指輪は豪華になりました。ただ、飾られるほど、かつての意味を忘れていきます。華やかに飾ること、真の役割を果たすこと。その両立の難しさを、指輪は静かに語ります。 ・・・・69万アクセスになりました。みなさん、いつもありがとうございます。楽天ブログも変わりました。キリ番を祝う人も減り、寂しさを感じます。限られた時間ですが、これからも皆様との交流が続けばと思います。これからも、よろしくお願いします。
2014.04.01
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都市伝説を逆手に取った例もあります。次の話が、その都市伝説。*友達の友達の子供が、メントスをたくさん食べたんだ。その後すぐに、コーラを飲んでしまったんだよ。すると胃の中で、コーラの炭酸が噴出したんだ。それはもう、猛烈な勢いで。その子は、お腹がパンパンに膨れ上がって、病院に緊急搬送。でもかわいそうに、その子は助からなかったらしい。*コーラにメントスを入れると、コーラが噴出します。メントスよりも、日本では「ドンパッチ」が分かりやすいかもしれません。コーラの噴出は事実ですが、同時に食べても人命に関わるほどではありません。しかし、人命に関わる恐怖として、都市伝説が広まりました。これで困ったのは、メントスの販売元。そう思えますが、実際はそうではありません。メントスの販売元ファン・メレ社は、この現象を「メントスガイザー」と名づけて広めました。さらYouTubeと提携して、自ら動画コンテストを開催しました。2006年のことです。YouTubeにはメントスガイザーの動画が乱立。さらには、メントスを食べコーラ飲む猛者も現れました。その結果、都市伝説の嘘が立証。メントスの宣伝効果も絶大でした。絶対的なピンチを、チャンスに変える。それを決めるのは、すべてあなたのアイデア次第。
2014.03.15
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友達の友達の医学部の学生が、高額のアルバイトをしたらしい。大学病院では、解剖実習用に死体をプールに保管している。プールはホルマリンで満たされて、死体はプールに沈められている。でも、死体にガスがたまり、時々浮き上がってくるらしい。それを棒でつついて沈めるのが、バイトの仕事だそうだ。その死体を洗うバイトもあるらしい。それはもっと高給がもらえるそうだ。でも誰も、長くはバイトが続かないらしい。それに体に染み付いたホルマリンの臭いは、長く消えないそうだ。*私が学生でアルバイトを探していた頃、死体洗いのバイトの話を聞きました。そして、当時はなぜか、それを素直に事実と受け止めていました。当然、それは都市伝説。その様なバイトはありません。都市伝説には、不思議な説得力があります。「友達の友達」は、実に面白い出来事に出会います。そして今は、ネットには多量の情報が氾濫しています。その情報から、事実と都市伝説を区別するのは難しい。とあるブログが、あるそうです。K氏のそのブログでは、事実を都市伝説と否定するデマを広げているそうです。さて、今日の死体洗いのお話、本当に都市伝説でしょうか。
2014.03.02
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「富士には、月見草がよく似合ふ」太宰治が、富士に似合うと例えた月見草は、実は待宵草であったと言われます。花の色を、黄金色と例えたことから、たしかに待宵草なのでしょう。ただ、大切なのは、花の種類ではありません。月見草が似合うと、なぜ太宰は思ったのでしょう。当時、太宰は、井伏鱒二の紹介で、美知子夫人と結婚したばかりでした。そして「富嶽百景」は、太宰が口述し、美知子夫人が書き取ることで生み出された作品でした。「富嶽百景」を読めば分かります。太宰は富士を見て、美知子さんを「ちらと」見ます。そして、決めます。このひとと結婚しようと。また、太宰は「ちらとひとめ見た」月見草を、富士に良く似合うと語ります。富士に似合う月見草は、美知子夫人の例えでした。富士は、評判の割りに不恰好で、太宰が顔を赤らめるほど軽薄で、でも、時に虚をついて見せるその姿は、ただ美しい。富士の姿は、太宰にも似ています。富士には、月見草がよく似合ふ。太宰が、美知子夫人に語ったこの言葉は、夫婦の誓いの言葉でもありました。高く頂を極めようとして、清く美しく、優美でもあろうとして、ただ、理想を極めるほどに、それを支えるものはなく。孤独だから、真っ直ぐ見つめていて欲しいから。だから、富士には、月見草がよく似合ふ。---------------------(富嶽百景 抜粋)井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、「おや、富士。」と呟いて、私の背後の長押なげしを見あげた。私も、からだを捻ねぢ曲げて、うしろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口の鳥瞰てうかん写真が、額縁にいれられて、かけられてゐた。まつしろい睡蓮すゐれんの花に似てゐた。私は、それを見とどけ、また、ゆつくりからだを捻ぢ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があつても、このひとと結婚したいものだと思つた。あの富士は、ありがたかつた。・・・「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。 ・・・老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、「おや、月見草。」 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙あひたいぢし、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。【青空文庫】 「富嶽百景」
2014.02.08
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歩行はどちら側かの日記へのコメント、ありがとうございました。道交法で決まっているのですから、やはり人は右側歩行ですね。道交法では昭和35年に歩行区分も制定されました。それ以前の道路交通取締法にもあったのかもしれません。なぜあれほど、ネットでは左側歩行の意見が多かったのか不思議です。コメントでは、エスカレータの乗り方の件も多くいただきました。エスカレータで、東京は左に立ち、大阪では右に立つ件です。結論から言いますと、関西付近のみが右で、他は左の様です。私も名古屋に住んでいる時は左。東京に出かけても左です。関西以西にも住んでいましたが、やはり左でした。現在、住んでいる奈良はやや不明確。なぜなら、エスカレータがある駅は少ないか、狭いエスカレータです。もちろん奈良駅などではありますが。商店のエスカレータでは曖昧です。ただ、私は右に立つようにしています。私は右肩にかばんを掛けますので、エスカレータの右立ちは苦手。かばんが手すりに擦れてしまいますから。最近では「エスカレータを歩かないで」の表示も見かけます。私もつい歩きますが、エスカレータでは歩かない余裕も持ちたいものです。【過去の日記】 「なぜ左? - 右側歩行 -」
2014.02.02
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日本の道では、人は右側、車は左側。その通行規則を、疑ったことはありませんでした。しかし、ネットを見て驚きました。あまりに多くに人が、人は左側通行と答えています。私の右側通行の認識は間違っていたのでしょうか。道路交通法を調べます。「歩道または路側帯(以下「歩道等」)と車道の区別の無い道路においては、 道路の右側端に寄って通行しなければならない。 路側帯の幅員が歩行者の通行に十分でない場合も同様である。」やはり、右側通行に思えます。ただ、道路交通法には次の項目もあります。「なお、この原則は、道路の片側のいずれかまたは両側に、 歩道または路側帯のいずれかが存在する場合には適用されない。」つまり歩道を歩く限りは、左右どちらでも可です。しかし、左側通行の規定はありません。江戸時代、日本は左側歩行でした。これは左に差した刀が、すれ違いでぶつかるのを防ぐためです。現代では、帯刀の習慣はありません。人は右、車は左。間違っていますか?
2014.02.01
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「○○様」と呼ぶ「様(さま)」は、その人の姿形を意味する言葉。いつしか敬称語として使われました。「○○さん」、この「さん」は「様」のなまり。多くの方が、なまった言葉を使っています。さらに親しく「○○ちゃん」。これは「さま」の幼児言葉。本来は、子供が使う言葉です。「○○さん」と、あなたをそう呼ぶ人がいたならば、ちょっとなまった言葉の使い手。「なまってますよ」そう答えたいその言葉は、こころの内にとどめましょう。
2014.01.30
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先日の折箸の形へのコメントが多くありました。良い写真はありませんでしたので、下記をご紹介します。ご参考まで。「折箸」
2014.01.25
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箸は2本で一対。しかし、古代日本の箸は1本でした。古代の箸「折箸」は、一本の箸をU字型に曲げた箸。ピンセットのように使います。折箸は一般の食事用ではなく、神事に使う箸。今でも神事には使われています。人の食事に箸を使うようにしたのは、聖徳太子と伝わります。遣隋使が二本の箸を伝えたとも言われます。二本の箸は、民間にも広まりました。一本の折箸より扱いが難しく、一方の紛失の恐れもあるのになぜでしょう。二本で一対。親しみを、助け合う箸に感じたから。きっとそうだと、私は思いたい。 ※陶器のブログらしく「箸」の話題です。 西洋でも陶器でもありませんが、食器関係で・・・。
2014.01.22
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日本特有の挨拶、おじぎ。おじぎは、古代からの習慣です。「魏志倭人伝」では、日本人(倭人)は、貴人に会うとおじぎをすると記されています。そのおじぎは、道にひざまずき、頭を下げ、手を地に付ける「土下座」に近いものでした。おじぎは、視線をはずし、頭を下げて、敵意がないことを示すもの。おじぎによって、敬意ではなく、無抵抗を示しました。また、「魏志倭人伝」には、倭人は貴人に会うと手を打つとも書かれています。これも、手に武器を持っていないことを示すものでしょう。おじぎに、土下座。それらの習慣は、起源では、争いをさける日本人らしい知恵でした。争いに、土下座を持ち込むのは、本末転倒。半沢直樹さん、いかがでしょうか?
2014.01.18
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昆布を「子生婦」と書くと、前の日記で書きました。よく見ると、縁起言葉は面白いものです。するめは「寿留女」と書きます。結納に使われる縁起言葉。日常では「あたりめ」の方がなじみがありますが。もちろん、するめの「する(金をする)」を嫌ってのこと。かつおぶしを「勝男節」と書くのは、男性用。関東の結納で使われます。せんすを「寿恵廣(すえひろ)」と呼ぶのは、大幅な呼び変え。その形からの名前ではありますが。縁起を担いだ、物の名前。昔から、人は言葉に力を感じていたのでしょう。言葉が変わり、乱れても、言葉に受け継がれた想いだけは、大切にしたい。
2014.01.13
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邪気を祓い、福徳を得る縁起物、獅子。獅子舞では、さらに舞によって、厄除け、無病息災、五穀豊穣、商売繁盛を祈願します。頭が良くなりますように。獅子頭が、子供の頭をかじる、よく見る光景。なぜ獅子には、頭を良くする力があるのでしょう。獅子は、知恵をつかさどる仏、文殊菩薩の従獣。文殊菩薩は、獅子に乗った姿で現れます。獅子には、文殊菩薩の力があるとされたからでしょう。楽しげな獅子舞は、文殊菩薩の力を招く舞。獅子の表情のユニークさに、獅子を侮ってはなりません。能ある鷹は爪を隠す。本当の賢者は、力を隠すものだから。【過去の日記】 「七福神のリンク(日記から)」 ※ 過去の日記から、七福神全員のリンク集を貼っておきます。 ご参考まで。
2014.01.11
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古代日本には、神様に馬をいけにえとして捧げる風習がありました。日照りの時は黒馬を、雨続きでは白馬を捧げました。農耕民族にとって、馬はとても貴重なもの。その生贄は、農民の多大な負担となりました。そのため、いつしか馬の形の「人形」を、やがては馬を描いた板を捧げるようになりました。そして、それは「絵馬」に変わりました。だから絵馬の図柄は、本来は馬。うま年の絵馬は、特に縁起がよいのかもしれません。絵馬に願いを。誰もが笑顔でいられますように。・・・・・・・・・・・気がつけば、「絵馬」の日記は3回目です。【過去の日記1】 「問題は 信じることができないこと - 絵馬 - 」 ※ 2007年は「絵馬には氏名を書かないこと」を書きました。【過去の日記2】 「消えるもの 消えないもの - 絵馬 ふたたび -」 ※ 2008年は「絵馬の図柄の種類」について書きました。
2014.01.09
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縁起物の代表、鏡餅。鏡餅の、丸い形は「鏡」を意味し、鏡は神の依代(よりしろ)です。そして、お正月には、歳神様が宿ります。餅の下の「裏白」は、「シダ」。シダから「齢垂る」で「長寿」の象徴。葉の白さは、神聖な「清浄」も示します。裏白の上の「ゆずり葉」は、子孫に代をゆずる「子孫繁栄」。やはり、これも縁起物です。餅の上の「昆布」は、「よろこぶ」。「子生婦(こんぶ)」とも書いて、「子孫繁栄」も意味します。昆布の上に置くのは、「古老柿(干柿)」。外に2個、内に6個を串に刺します。その意味は、「外はニコニコ、仲むつまじく」。最上段の「橙」は、「不老長寿」の実。その語呂には、「代々(橙)繁栄」の意味もこめられます。縁起物が、盛りだくさんの鏡餅。いつもは、ひかえめな日本人も、お正月ばかりは、ちょっと欲張り。
2014.01.07
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今年になって、ひさしぶりに「左馬」という言葉を聴きました。干支に関わる縁起文字は、干支の年に特に意識されるようです。招福の左馬は、馬の文字を左右逆に書きます。「うま」の逆が「まう(舞う)」になるので、縁起良いとされています。左馬の由来は、他にもいくつかあります。馬を九頭描いて「馬九行く(上手くいく)」など、馬に関わる縁起言葉は他にもあります。干支に福を願う気持ちが伝わります。今年は物事が上手くいくように、私も干支の馬に願いをたくしてみたいと思います。
2014.01.05
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清める力があるとされる藁(わら)。その藁で編んだ注連縄が、お正月に飾られます。注連縄には、様々な種類があります。それは大きくは、「一文字」と「輪飾り」に分かれます。一文字は、横に張られた藁縄から、一定間隔毎に藁の切り下げを垂らした注連縄。邪気が入り込まないようにする、結界を示します。輪飾りは、藁縄を輪にした注連縄。これは、神様の依代。神様を迎え入れる注連縄です。邪気を防ぐ一文字と、神様を招く輪飾り。皆様お住いには、どちらの注連縄を飾られたのでしょうか。
2014.01.03
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「国士無双」と聞いても、麻雀の役しか思い浮かばないのではないでしょうか。「国士無双」は、比類なく優れた国士。国士とは、国を憂い、私財さえ投げ打つほどに国を想う人です。国士無双は、人格も含め、とても優れた政治家を指します。現代に、どこか国士はいるのでしょうか。もう、その答えは出ているのでしょう。国士の意味すら、忘れられることに。
2013.12.14
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「イカサマ」は人を欺くという点で、忌むべきことである。しかし「イカサマ」という言葉には、それ以上の反感を覚えてならない。それは「イカサマ」から、「イカ様」を連想するからである。偉そうに、ふんぞり返った「イカ様」が、凡庸な人間どもを見下して、人を次々とだましては、欲しいものを手に入れる。それが、私にとっての「イカサマ」のイメージである。軟体動物でありながら、脊椎動物の人間をだますイカというのは、まったくもって憎らしい。そもそもイカには「ダイオウイカ」という、さらに偉そうなイカがいるのも気にくわない。「様」を付けるばかりか、「大王」を名乗るとは何様のつもりであろうか。いや、ちょっと待て、冷静になろう。やや、言葉が過ぎたかもしれない。軟体動物への差別的な発言は、人権団体、あるいは、動物愛護団体からの批判が怖いところだ。落ち着いて考えれば、「イカサマ」は「如何様」である。「如何にもその様に見える」から「如何様」となるらしい。「イカ様」ではない。落ち着けば、なんでもない。イカどもに、あらぬ疑いをかけてしまった。しかし、だからといって、イカどもに謝る気にはなれない。私の中の「偉そうなイカ様」の姿が消えない限りは。そうだな。ダイオウイカが「大王」の名を返上すれば、土下座のひとつもしてやらなくもない。まずは、イカどもから誠意を示す。そういうものではないだろうか。
2013.12.08
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ありがたや、ありがたや。今日は、寿司をいただく、ありがたや。ありがたや、ありがたや。耀く銀シャリ、ありがたや。ありがたや、ありがたや。お釈迦様の骨は、仏舎利(ぶっしゃり)、ありがたや。仏舎利、骨粒、米粒に似て、似た銀シャリも、シャリとよばれ、ありがたや。ありがたや、ありがたや。寿司を食べ、釈迦のさとりを、ありがたや。ありがたや、ありがたや。今日の寿司、友のおごりなら、ありがたや。ありがたや、ありがたや。友をおがめば、きっとおごり、ありがたや。ありがたや、ありがたや。ありがたや、ありがたや。
2013.12.02
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今年、世間をにぎわした、百貨店などの飲食店の虚偽表示。有名店で次々と明らかになる虚偽表示に、老舗(しにせ)の信頼は失われました。現代の老舗は、老舗の意味を取り違えていたのでしょう。老舗とは何かを、振り返ります。老舗、つまり「しにせ」は「仕似せ」。つまり老舗は、「まねる」ことに由来します。老舗でまねるのは、先代の仕事ぶり。お店の良い技術や伝統の味を「仕似せ」ていくのです。いつか、その意味を取り違え、金稼ぎをまねた時、老舗は、エビを、キャビアを、いつわりの食材でまねました。まねるべきを、取り違える。現代の老舗が犯したあやまちは、あまりに稚拙で、皮肉なものでした。
2013.11.28
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風邪の症状も、やっと治まってくれました。今年の風邪は、長くセキに苦しめられます。その名のとおり、風邪は「邪悪な風」。「風」とは、漢方で病因とされる「風・寒・暑・湿・乾・火」のひとつ。邪悪な風に当たると、風邪を引きます。今年はインフルエンザは、流行るでしょうか。スペインでインフルエンザが流行した時、人々には原因は分かりませんでした。当時はまだ、ウイルスは発見されていなかったから。人々はその病を「星の影響」と考えました。そして、イタリア語の「影響(インフルエンザ)」の名を、その病に与えました。邪悪な風も、星の影響も、目に見えぬ恐怖でした。原因が分かった今日でも、その脅威は変わりません。皆様も、風邪やインフルエンザにはお気をつけて。
2013.11.24
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米の粉を水でこねて蒸した和菓子を、「しんこ」と呼ぶと知りました。米の粉は、うるち米を乾燥させた上新粉を使います。飴細工と同様に「しんこ細工」というのもあり、動物などを作ることも知りました。関東,東北などであるようです。ただ、見るうちに、「しんこ」と「ういろう」の区別がつかなくなりました。よく似た和菓子はよくあるもので、しんこもそうかもしれません。しんこは京都にもあるようですから、ちょっと探してみたいと思います。みなさんは、しんこ、ご存知でしたか。
2013.10.10
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「赤い靴はいてた 女の子 異人さんにつれられて 行っちゃった」野口雨情作詞の童謡「赤い靴」。そのモデルは、明治35年、静岡県清水市に生まれた岩崎きみちゃん。きみちゃんのお母さんは、岩崎かよさん。当時は、未婚の母だったかよさんに、世間の風は冷たく、生活も楽ではありませんでした。かよさんは逃げるように、北海道開拓団に加わります。しかし、きみちゃんはまだ3歳。厳しい寒さと貧困に苛まれる、開拓団には連れて行けませんでした。かよさんはやむを得ず、きみちゃんを宣教師チャールズ・ヒュエット夫妻の養子として託します。夫妻の帰国時は、きみちゃんもアメリカに渡るはずでした。「横浜の埠頭から ふねに乗って 異人さんにつれられて 行っちゃった」遠くアメリカに渡っただろう、きみちゃんを、想うかよさんの親心。それを知った野口雨情さんは、「赤い靴」を作詞します。かよさんが、きみちゃんを思う気持ちを、雨情さんに語っていた時。きみちゃんは、意外にもアメリカではなく、東京麻布永坂町孤児院にいました。きみちゃんは結核に侵され、アメリカには渡れませんでした。そして、支えてくれる親もなく、ただ病魔と孤独に体を蝕まれていました。その悲しい現実を、かよさんは知りませんでした。大正11年、「赤い靴」が童謡になるその前に、きみちゃんは9歳で他界していました。もう一度逢いたかった、最期を看取る、母親もなく。「今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう」かよさんは、きみちゃんの死を知らず、異国での幸せを願っていました。きみちゃんの幸せは、お母さんといっしょにいることだったのに。「赤い靴 見るたび 考える 異人さんに 逢うたび 考える」あの子のために、別れるのが良かったのだと、自分自身に言い聞かせる、かよさん。子の幸せを願う母の想いが、ただ空回りを続けます。
2013.10.04
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すし屋で1貫の寿司を頼んだのに2個のお寿司が出てきたとしたら、それは文句を言うべきだろうか。お寿司は1皿に2個乗ることが多い。そのため、お寿司は2個で1貫と数えるという説もある。そもそも、江戸時代にはお寿司に「貫」とは数えなかった。貫を使ったのは、昭和になってからと聞く。それどころか、「貫」という漢字もあやしいらしい。巻き寿司だから「巻」という説もある。とにかく1貫が、1個か2個か分からない。店によって、違うらしい。間違えられると嫌だから、わたしは寿司を、1個、2個と数えることにしよう。皿には2個乗っているから、2個たのむことにしよう。おやじさん、中トロ、2個もらえますか?あがりを飲みつつ、しばし待つ。・・・おや、中トロが2皿、4個も出てきたけれど、どうしてだろう?
2013.09.21
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不思議に思わないでしょうか?1フィートが、30.48cmであることを。フィートは足の大きさを基準にした、紀元前からある単位。古代の人の足の大きさは、30cm以上もあったのでしょうか?日本の尺も、明治時代にフィートを参考にしたので、30.303cm。また、中国の尺は、33.333cm。この中国の尺は、手を広げて親指から中指の先までの長さを取ったもの。昔の人の手の大きさが33cmとは、ちょっと大きすぎはしないでしょうか?この答えを、靴に求める人がいます。靴を履いて足の大きさを測ったから、フィートは30cmもあるのだと。たしかに、ジャイアント馬場さんの足の大きさは32cm。しかし、得意技の16文キックは、16文で38.4cm。靴を履くと、6cmも大きくなるようです。では、中国の尺はどうでしょう。33cmの手の大きさは、グローブでもはめていたというのでしょうか?そこでみなさん、気づきましたね。ジャイアント馬場さんの足の大きさ32cmが、1フィートより大きなことに。きっと昔、フィートや尺を決めるころ。そのモデルになった、その人は、手が大きくて、ちょっと足が小さい、どこかジャイアント馬場さんを思わせる、とても大きな人だったのでしょう。
2013.09.17
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猫に関することわざで、あまり使わないことわざを見ましょう。「猫が肥えれば、かつおぶしが痩せる」 物事は両立しないということ。「猫の魚辞退」 長く続かないこと。「猫を追うより皿を引け」 物事の原因から直せということ。「猫の前の鼠の昼寝」 危険が迫っているのに気づかないこと。「たくらだ猫の隣歩き」 よその家のことばかりをして、自分の家で何もしないこと。「猫の歯に蚤」 猫が歯でノミを捕ろうとしても、なかなか捕まらないこと。 ほとんど成功しないこと。「猫またぎ」 猫がまたいで通るほど、まずい魚。「猫に紙袋」 猫の頭に紙袋をかぶせると、後ずさりすること。 尻込みすること。「猫も茶を飲む」 分不相応で、なまいきなこと。使わないことわざ、まだまだあります。最近は紙袋好きの猫も多くいますし、かつおぶしが減るのは仕方がないですね。お茶を飲んだだけで、なまいきと言われる猫もかわいそう。隣歩きをする猫も減り、猫も屋内ですごすようになりました。でも、残念ながら、猫は自宅の屋内にいても、とくに仕事はしないようです。
2013.09.06
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