【西洋陶器を求めて】 0
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今日は、「日記 それから」を少しばかり。●【春の日は やさしく花を包み込む ― ヒナギク ― それから】ヒナギクの日記を書きましたが、私が見た花はヒナギクではありませんでした。★野いちご★さんの日記で、 分かりました。ヒナギクは丸い葉ですが、デイジーなどはギザギザの葉。私が見たのは、ちょうどすーぱーハナちゃんさんの日記にある様な花です。似た花が多いことに、驚きました。●【花は人にとって ― レンゲソウ ― それから】花は人にとって何かという私の問いに、皆さんがコメントをくださいました。ありがたく、整理してみます。* みなさんの意見から *花は何か魅かれるもの,感謝を示すべきもの花は人と深いつながりがあるもの花は生活の一部,芸術の対象花は思い出を纏っているもの,綴るもの,残すもの花は喜びを刻むもの,記憶を残すもの花は安らぎをくれるもの,癒しを与えてくれるもの花は人に力をくれるもの,疲れを取り去るもの花は心の癒し花は人を励ますもの,人を優しくするもの 花は人の心を映すもの,優しい心を運ぶもの花は人と旅立つもの花は天国への切符,天国の象徴******そして私は、花をなぜあげるのか、それは相手の気持ちを思いやってのことではないのかという、単純なことを忘れていたようです。とてもありがたい会話がみなさんとできたことを、感謝しています。これからも、短い「日記 それから」をしばしば織り込んでゆきたいと思います。「日記 それから」は、みなさんの応援でできる日記。これからも、ぜひよろしくお願いします。
2008.04.15
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駐車場のアスファルトのすきまから、ヒナギクが1輪だけ咲いています。昨年はなかった花と思え、いつ種がこぼれたのかは、わかりません。見ていると、夜は花を閉じ、昼は大きく花開きます。普段は動かない植物が、毎日、これほど大きな動きをするのも不思議です。それだけ、花は植物にとって特別な存在。ギリシア神話のヒナギクは、木の精ベリデスが変身した花。ベリデスは、美しい陽気な少女。今日も笑いながら、草原を駆け巡ります。薄紅がさした白い肌に、金色の巻き毛をなびかせて。しかし果樹園の守護神ベルタムナスが、彼女に恋しました。彼女を追う、不器用な守護神。しかし大柄で屈強な彼は、彼女からは恐怖すべき野獣。追い詰められた彼女は、立ちすくみます。そしてそのまま、地中に沈み、ヒナギクとなったのです。夜、花を閉じるヒナギク。彼女はヒナギクになってさえ、なにかを恐れているのでしょうか。今日は、やさしい春の日が射しています。光の中に、花開いた彼女。それは陽気な、いつもの彼女。春の日の、彼女の笑みに誘われて、いつしか、わたしのこころも、おびえながら微笑んでいました。
2008.04.13
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子供の頃から、私にとってレンゲは、とても不吉な花でした。子供の私は、祖母に連れられて、祖父の見舞いに行きました。病院までの散歩道。その道端には、レンゲ畑が広がっていました。レンゲを少し摘み取っては、祖父のもとに届けること。それが、私の日課でした。しかし祖父はそのまま他界し、私にはレンゲの記憶が残りました。死のイメージを色濃くまとった、無数の赤紫の花として。今も私にとってのレンゲは、摘んではならない死を呼ぶ花。花は人にとって、何なのか?あれから数十年。昨日、棺に花を置きながら思いました。棺の中で人は花に囲まれ、花と共に旅立つもの。花は最期まで、私たちと共にあるもの。今も、レンゲを厭う私がいます。しかし、人は花と共に旅立つものならば、私はもっと、花と語り合うべきなのかもしれません。花は人にとって、何なのか?あれから数十年。私は、その答えを、まだ知りません。
2008.04.09
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春の桜は、無数に咲いて。まぶしすぎる春の光を和らげて。白く淡く輝きます。桜は、まぶしいほどに咲き乱れます。春とともに訪れて、そして風に散ってゆく。切ないほどに、短く生きて。日本の桜を代表するソメイヨシノ。その木の寿命は、わずかに60年しかないという。人の寿命より短い一生。数百年生きる山桜に比べ、それはあまりに短い。桜の花、その数は、数えるには多すぎる。人の数ほど咲くならば、あの花は、私たちひとりひとりかもしれません。あの桜の花は、きっとちっぽけな私の象徴。散るのを恐れ、必死にしがみつく私。本来は、田の神が訪れる、桜の花。神の訪れを待ち、その旅立ちとともに散ってゆく。散り行く桜は、別れではなく、旅立ち。惜別と、旅立ちと、夢をのせて。桜は、その短い時を刻みます。今年も、桜の季節になりました。
2008.03.30
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赤く燃える夕日。その後にあるのは、暗く寂しい夜。寒く凍える夜を迎える、その直前に、夕日は時として、素敵なプレゼントを用意する。グリーンフラッシュ。太陽が水平線に消えるその瞬間、太陽は緑色に輝く。それは、一瞬のできごと。澄んだ空気、最適な温度、湿度、大気のゆらぎ。すべてのバランスが、織りなす奇跡のハーモニー。赤い光は水平線の陰に消え、緑の光だけがあなたにとどく。光の屈折率の違いは、あなたに魔法をかける。グリーンフラッシュ。闇に消えることを恐れ、別れを惜しむ、太陽のためらい。もはや、太陽に力強さはない。永遠であり続けるがゆえの、限りない孤独。その太陽の哀しみを、いつかわたしは見届けたいのです。【グリーンフラッシュ】 「眺海の森天体観測館・コスモス童夢」
2008.02.23
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中国製餃子の毒が、問題になっています。中国製土鍋の釉薬に含まれる鉛についても、以前お話しました。そして水道銅管に含まれる鉛についても。身近な毒物は、とても多くあるのです。化学物質の毒とは別に、私が気になっているのは、夾竹桃の毒。以前にも、少しお話しました。古代ギリシアのアレキサンダー大王。その軍隊は、夾竹桃の枝を肉の串にして、バーベキューをしました。その結果、多くの兵士を失ったといわれます。夾竹桃に含まれるオレアンドリンとアディネリン。それは致死量が、体重1kgあたり0.3gと、青酸カリにも勝る猛毒。各国の王族を恐れさせた心臓毒なのです。街路樹などにも多く用いられ、広島市の市の花でもある夾竹桃。しかし、その広島でも死者は出ています。低温で焼けば、煙さえも猛毒。乾燥させないまま、夾竹桃を燃やすのはきわめて危険。しかしそのことは、日本では十分に周知されていません。むしろ日本では、とても身近な草なのです。8月の、原爆の日の頃に花が盛りになる、夾竹桃。原爆と夾竹桃。奇妙なほどに、シンクロする。原爆に、これほどよく合う花は、他にはないのかもしれません。【夾竹桃】キョウチクトウ【関連日記1】銀杏の悲劇 ― 毒のある植物 ―【関連日記2】レモンティーに注がれた毒 ― 釉薬の毒性 ―【関連日記3】毎日 鉛を飲まれている皆さんへ ― 水道管と缶詰 ―
2008.02.01
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弟切草。映画でも知られたその花は、傷によく効く薬草でもある。そのお茶は、脳卒中,リュウマチに効くとされ、酒も造られる。弟切草に含まれるタンニンとセレンは、肝炎や癌にも効くという。しかし、忘れてはなりません。弟切草の花言葉は、「恨み」、「敵意」なのです。弟切草の悲劇の伝説。鷹匠の晴頼は、鷹の傷を治す名人。それは門外不出の、薬草による治療でした。ある日、その薬草の秘密を外に漏らした弟を、晴頼は切り捨てます。そして弟の恋人も、後を追うのでした。その弟の血潮が飛び散った草花が、弟切草だといわれます。この花言葉や伝説にふさわしく、弟切草は毒草でもあります。しかもその毒には、まさに深い恨みがこめられています。弟切草に含まれるヒペリシンには、体内の光化学反応を異常促進させる作用がある。日陰では問題ないこの成分。しかし弟切草を口にしたものが陽の光に当たったとき、突如として牙をむく。皮膚炎、脱毛を起こし、場合によっては皮膚の壊死に到る。特に家畜の被害が多く、皮膚の白い牛などが特に影響を受ける。弟切草を食べる蛾の幼虫もいるが、彼らは葉を丸め日傘代わりにし、その陰で生活する。色白の私は、皮膚が弱い。もし私が弟切草を口にしたなら、光を避け続けることになるだろう。弟切草を欲するなら、闇に生きるしかありません。それは弟切草の「恨み」と「敵意」の挑戦状。そして、弟切草のもうひとつの花言葉、「秘密」のベールに隠された、大きな罠に違いありません。
2008.01.27
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花粉症に苦しみながら、花について考えました。春になれば、綺麗な花々が咲き乱れます。花は生命の源。その種の繁栄のために必要なもの。それでも不思議な花もあります。竹の花はなぜ咲くのか、不思議でした。地下茎からたけのこが生え、次々と増えてゆく竹。その竹が、なぜ何十年かに一度、花を咲かすのでしょうか。竹の花の咲く周期は、意外にも判明していません。モウソウチクが67年、マダケが120年と考えられているくらいです。竹は花が咲くと、枯れてしまいます。その竹の花が咲く年は、不吉な年と言われます。その理由は竹の実に栄養が豊富なためと、昔、聞きました。竹の実を食べ、野ねずみが増えます。そして増えた野ねずみが田畑を荒らし、凶作となるからと。自身は枯れるにも関わらず、花を咲かせる竹。それは土地がやせることに理由があります。土地の栄養がなくなり、地下茎を使っても十分に竹が育てなくなったとき、花は咲きます。それは栄養豊かな、新天地を目指すため。竹が開花による死によって得るもの。それは、新世界への希望。死と生、破滅と希望、苦悩と夢。それらは、常に表裏一体のものなのです竹の花。それは、不吉な花ではありません。希望に満ちた、旅立ちの花なのです。
2008.01.25
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福寿草。テレビでも山菜と誤報されたことのあるこの花は、強い毒を持つ草。心臓麻痺を起こすアセトボキシンの他に、20種類もの毒を含みます。その根を10cmほどやかんで煮詰め、飲んだために亡くなった方もいます。福と寿の名を持つこの花は、福の神ではなく、死神がとりついています。水辺に咲くスイセン。その球根の毒、リコリンが嘔吐を招くことは知られています。しかし葉に触れたり、匂いをかぐことでかぶれる人もいるのです。それはフサザキスイセンに限ったことですが。スイセンの花がうつむき顔を挙げない理由は、その秘密にあるのかもしれません。うつむく白い花といえば、スズランです。ウエディングベルを思わせる、その純白の花は、幸福を予感させます。しかしその赤い実で失われる幼い命は、今でも数多くあります。実にある3種の毒。そのうちコンバラトキシンは、耳掻き一杯の量で人を死に至らしめます。その心臓毒は水に溶けやすく、花を生けた花瓶の水にも殺傷力があるのです。生前結ばれなかった恋人同士が埋葬され、その墓から咲いた花。それがスズランと、北欧の伝説は伝えます。スズランには、恋人達の恨みが込められているのでしょうか。可憐で、汚れなき花に与えられた、冷酷な毒。スズランを口に舞う乙女に、幸せのウェディングベルの音は届きません。花が、彼女に伝えるメッセージ。儚きものは、永遠に美しい。【関連日記】銀杏の悲劇 ― 毒のある植物 ―
2008.01.15
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赤く、白く、ピンクに咲き乱れ、風に揺れ、陽に照らされて。それは、12月に咲くコスモス。コスモスの開花時期は5~11月。12月16日にコスモス畑が満開でも、全く異常とは言えないかもしれない。しかし、コスモスは「秋桜」と書く花。秋桜が伝えるのは、秋の季節に違いありません。かつてマヤ文明は、密林にピラミッドを築きました。高温多湿の環境は、人にとっては苦難の環境。ひとたび文明が衰退した時、たちまちにピラミッドは草木に覆われます。木の根で、締め付けられ、砕かれて。ピラミッドの巨石は、土に返ります。気温の上昇は、植物に繁栄をもたらします。そして、その時、人は。いつしか陽は傾き、夕日が秋桜を照らします。花の色も、葉の色も。全てがセピアに染まります。それは、誰もが愛でる美しい風景。もし、今が秋ならば。12月後半まで咲く秋桜。いつまでも静かに続く、秋のしらせ。今年初めて、私は気がつきました。冬に咲く秋桜は、震撼するほどに、恐ろしい花だということに。
2007.12.17
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食虫植物に似た姿のマムシグサ。外観は気味悪くても、虫には害をなさない。それは私の勝手な思い込みと、本を読んで知りました。マムシグサの雄花に来た虫は救われます。筒状のホウの中に入っても、ホウの下の隙間から逃げ出せるから。花粉で全身が粉まみれになりますが。雌花に花粉まみれに虫たちが入ったとき。雌しべは受粉し、マムシグサは目的を達します。しかし虫たちはホウから逃げ出すことができず、ホウの中で死んでしまいます。マムシグサの次の命は、虫たちの死によって生み出されます。恩を仇で返す不思議なシステム。マムシグサの不気味な孤独さは、やはり意味のあるものでした。新たな生命は、死とひきかえによって生み出される。それは一見残酷な、しかし調和の取れた、自然の摂理。○「マムシグサ」:(注意)雄花と雌花が分かりますが、虫の死骸の画像もあります。***昨日、7万ヒットを達成しました。皆様、ありがとうございました。毎日更新ではない日記もご覧頂き、感謝しております。これからも応援頂きますと、励みになりますので、よろしくお願いします。
2007.10.05
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身近な有毒植物。意外と知らないもの。有名な彼岸花などは驚きません。わらびも多量に食べなければ大丈夫。ねこさん、わんちゃんに有毒なねぎも、人には当然、大丈夫。ただ、私はねぎで体調が悪くなる気がします。動物的?今が花の季節のキョウチクトウは気になります。身近な花ですが有毒。「心臓一発」と呼ばれる心臓毒ジキトキシンを含みます。キャンプファイヤーの焼き串にこの植物を使用した死亡した例が、日本でもあります。アウトドアー派は御注意を。神棚に良く使うシキミも有毒。その実は数十個食べると中毒になります。シキミは植物中で唯一、「毒物及び劇物取り扱い法」に指定されています。毒はシキミン・イリシン・アニサチン。抵抗力のない子供は特にご注意を。遊びで食べてしまうかも。そして私にとって恐いのはイチョウ。イチョウの実、つまり銀杏は有毒。毒は4-メトキシピリドキシン。子供ならたった5個で中毒例があります。そして中毒からの死亡率は3割。日本でも近年で30名の死者が出ています。私は銀杏の入った茶碗蒸しが大好き。しかし大人でも、20個以上食べると中毒の恐れがあります。もちろん体調によってはそれ以下でも。茶碗蒸し大好きな私が、今まで中毒にならなかったのは奇跡か。大好きな茶碗蒸しに、多量の銀杏を投入。これはひょっとすると、銀杏を使った陰謀。まさにエラリークイーンの毒殺劇「Xの悲劇」の世界。銀杏の悲劇。その銀杏入り茶碗蒸しの誘惑に、私はこれからも戦ってゆかねばならないのです。
2007.08.02
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猫とおもちゃで遊ぶ。それはとても楽しいこと。そして猫と遊ぶと言うと、「ねこじゃらし」を思い出します。ねこじゃらしには、たしかに猫はじゃれつきます。しかしこの草の名前、「えのころぐさ(狗尾草)」とも呼ばれます。「えのころ」は仔犬の意味。犬のしっぽに似ているとして、名付けられました。そうしますと、ねこじゃらしにじゃれつく猫は子犬のしっぽにじゃれている様なもの。この草は、猫用なのか犬用なのか。少々悩ましい。皆さんにとって、この草はねこさんの草ですか。それとも、わんちゃんの草ですか。今日は、ねこさんの言葉で終わります。ドイツの諺から。人前ではなめ、後で引っかく猫にご用心。
2007.08.01
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花を観賞するとき、あるいは園芸を趣味とされる方は、花にまつわるお話を知ると面白いものです。☆*:;;;;;:*☆NANA☆*:;;;;;:*☆さんから、花の謂れなどに関する本の要望がございましたので、ご紹介いたします。200種の花の名前の由来や、関係するお話が詳細に記されています。難点は日本語訳が読み難いことと、花の種類が日本の花には合っていないことです。例えば紫陽花はありません。では、★野いちご★さんや、heren'sさんが紹介されているクローバーのお話をご紹介。クローバーのうち、コミヤマカタバミは、昔はサラダとして食べられました。しかしあくが強く、慣れないと食べ難いでしょう。また葉に5%のシュウ酸カリウムを含んでいますので、やや有毒ではあります。ただ日本では、シロツメクサをクローバーと呼び、クローバーの定義も国によって違うそうです。皆さんも花に関する話を知って、花の観賞を一層楽しくされてはいかがですか。
2007.06.20
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美少年ヒュアキントスは、太陽神アポロンと西風の神ゼピュロスに愛されます。ふたりの神に愛される幸せなヒュアキントス。そして彼は、自身の力の小ささを忘れます。ある日、彼はどちらの神が好きかを聞かれ、アポロンと答えます。それはとても危険なことでした。ある日、アポロンがヒュアキントスを誘って、円盤投げに興じていました。アポロンが円盤を投げた瞬間のこと。西風の神ゼピュロスは、風を起こして円盤の飛ぶ向きをそらします。円盤はヒュアキントスの頭に当たり、その命を奪います。そして彼は花になります。ヒアシンスの花に。幸福の中に危険はあります。人はいつも尊大であってはなりません。ゆりの花が、自らの美しさに自惚れる時。その自惚れに気付いたゆりは、顔を赤らめ、うなだれます。そしてゆりは今も花を朱に染めて、うつむいたままです。感じなくてはなりません。幸福の危うさを。私たちの自惚れを恥じて、明日の幸せを迎えたいから。
2007.06.14
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クレオパトラはアントニウスを迎えます。広間に厚さ1mもの薔薇を敷き詰めて。愛と共に、薔薇は人の歴史を飾ります。ここはロシア。レーニングラードから、19マイル離れた帝室領まで、今日もひとりの歩哨が巡回します。彼はその巡回の意味を知りません。その巡回は、もう一世紀も続いていました。それは一世紀前、ロシアの女帝エカテリーナ。彼女は庭園の一箇所を見張るように命令します。それはその場所に、小さな薔薇が芽を出したから。薔薇はやがて花開き、エカテリーナの部屋に飾られます。しかし歩哨の巡回は続きます。巡回の命令は続いていたから。極寒の地を歩哨は歩きます。薔薇の木はもう枯れたけど。雪の日も歩哨は歩きます。初めの歩哨はもういないけど。雪の日も歩哨は歩きます。薔薇の霊を守るため。歩哨はごく最近まで、その巡回を続けていました。それは優しい気持ちが残されたロシアの実話。ここはフランス。将軍ラ・オーシュは、囚人に薔薇を与えました。最後のいたわりに、感謝した囚人は叫びます。市民ラ・オーシュ、わたしたちはあなたの薔薇と共に旅立ちます。断頭台に向かうすべての女性の胸に、そして男性の唇には薔薇がありました。街の人々は、驚きの目でその薔薇を見ます。なぜなら、薔薇はこれから流れる血のように赤いか、正義と自由、あるいは死のごとく、透き通るように白かったから。薔薇は静かに見守ります。人々の愛と優しさと、そして死の、限りない連鎖を。
2007.05.29
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とっとろ♪ とっと~ろ♪ とっとろ♪ とっと~ろ♪公園の林間ですれ違う家族から、こんな歌が聞こえてきます。子供達は、となりのトトロの歌を元気よく、大きな声で歌います。しかし歌うのはひたすらこの部分。とっと~ろ♪が、何度もリピートされ続けます。子供達は、この“とっと~ろ”の音感が好きなのでしょう。子供の頃だけ聞こえた音色があります。林間に生えるたんぽぽも、子供達が名付け親。たんぽぽは、つづみ草とも呼ばれます。子供達には、つづみの音は、「たん、ぽぽっ」と聞こえました。そしてつづみ草は、「たんぽぽ」と呼ばれる様になります。私には、つづみから、たんぽぽの音は聞こえません。たんぽぽの音は、子供達に独り占めされています。でも私にも、野に咲く小さなたんぽぽからなら、たん、ぽぽっ、の音が聞こえる、今年の春はそんな気がします。
2007.05.11
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