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沖縄にいます。昨日から1泊2日の出張。そして今日は土曜日なので休日。せっかく沖縄に来たので、好きな城見学をすることにした。那覇から一番遠い、世界遺産・今帰仁城跡(なきじんじょうあと)。足はバス。今日の17時45分の便で本土に戻るので、結構時間的にはきつい。ホテル近くの那覇バスターミナルから8時12分発111番(系統)高速バスに乗って約90分で名護バスターミナルに到着。乗客は10人に至ることはなかった。料金は2,040円。沖縄のバスは系統番号が全島で統一されているので、系統番号さえ調べておけば行きたい所へほぼ行ける。111番バスは那覇空港から30分おき程度の間隔で、那覇バスターミナルを経由して名護バスターミナルまでを往復している。名護バスターミナルから今帰仁城址入口バス停までは66番バスに乗る。でも、このバスは1時間に1本しかない。次のバス10時20分まで待ち時間約30分。その間に、荷物をコインロッカーに預け、自動販売機で飲み物を調達。そして食堂のメニューをチェック。バスターミナルにはバス会社の事務所とさびれた食堂がある。みそ汁500円(沖縄のみそ汁は具だくさんの汁とごはんとつけもののセット)、沖縄そば(小)400円、ごーやちゃんぷる600円、ふーちゃんぷる500円など、沖縄の味が並んでいる。沖縄も日本だった。こんな田舎でも時刻表通りに66番バスは出発した。(失礼)乗客はやっぱりひと桁。約45分で今帰仁城址入口バス停に到着。料金は770円。ここで降りたのは私ひとり。ほとんどの観光客はレンタカーで移動している模様。ナビ付きなら知らない土地も安心ということ。反対側で帰りのバスの時刻を確認。帰りは反対回りの65番バス。フライト時刻までに空港に戻るためには、なんと12時58分発に乗らないだめだ。その次のバスは14時台となり、間に合うための高速バスに乗り遅れる。ここで使える時間は2時間を切る。すぐに行動開始。バス停から今帰仁城跡の入場口までは約1Km、しかも上り坂。汗だくになりながら10分ちょっとで登りきって管理棟や駐車場があるところに到着。400円の見学料を払っていよいよ城跡へ。 発掘調査で13世紀ころから築城が始まっていたことが分かった。石垣が本土の城と違って曲線を描いている。これがまた美しい。そして御内原(ウーチバル)からの眺めは、海の美しさもあってすばらしい。しばし風を感じながら見入っていた。城を楽しんだ後、冷房の効いている併設されている今帰仁村歴史文化センターで、発掘された資料を見ながら涼み、再びバス停に向かった。滞在時間は約90分。バス停までの道で蝶が花で蜜を吸っているところをいくつも見ることが出来た。ここでもちょっとホッとさせられる。帰りのバスはちょっと遅れてやって来た。来た時と同様に約45分で名護バスターミナルに運んでくれた。那覇空港に行くための高速バスの発車まで30分ちょっとあったので、ターミナルの食堂で遅い昼食を取った。苦いゴーヤを避けて麩のチャンプルをたのんだ。出来上がるのをオリオンビールを飲みながら待っていると、すごいボリュームのチャンプルが出てきた。味ももちろん満足。これで500円なら安いなあ。ご飯に乗っているのは、油ミソというもの。食堂のおばさんに薦められて乗せて食べたがおいしかった。お腹も落ち着いて、高速バスもやって来たきたので那覇空港へと向かった。駆け足ぎみだったが、行きたかった今帰仁城跡を堪能できてまずまずの沖縄出張だった。 迅
2011/08/27
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昨日は米子に出張だった。この機会を利用して、今日は出雲大社に参拝してきた。 出雲大社は現在60年ごとの遷宮のための本殿修造の真っ最中。伊勢神宮の遷宮のように本殿の建物をそっくり作り替えるのではなく、檜皮葺きの屋根の葺き替えや傷みの激しい個所の修繕を行うのだそうだ。これを修造とよんでいる。本殿の修造中は、大国主大神には仮御殿に移っていただくわけです。だから今日は仮御殿で参拝です。 そして幸運にも明日までの期間、本殿修造の様子を見せてもらえるというので、さっそく整理券をもらって本殿を覆っている素屋根の中に入れてもらって、足場を登り降りして修造の現状を見学させてもらいました。 これはすごいことで、通常であれば拝殿までしか近づけないのに、その内側にある領域に入ることができたんだ。さらに見学の記念として、今回の修造で剥がされた60年間屋根に張ってあった檜皮をお守りとしていただきました。なにしろ約64万枚もの檜皮が使われているそうだから。 本殿は国宝で、高さ24m。これだけでも通常の神社より高いのに、作られた当初の本殿は高さ48mの空中神殿だったようだ。 なにしろ直径1.35mもある杉の巨木を3本束ねて1本の柱が、出雲大社境内で2000年に発掘された。本殿にはこのような柱が9本立てられていて、出雲国造・千家家には同様の柱が描かれた「金輪御造営差図」が残されている。 そして平安時代の漢詩人・源為憲という人の「口遊(くちずさみ)」という書物には、日本の大きな建物として「雲太、和二、京三」とある。 一番が出雲大社、二番が大和(奈良)の東大寺大仏殿(約45m)、三番が京都の平安京・大極殿という意味。でもどうやって、こんな太くて長い柱を立てたのだろうねえ。これぞ神の領域?迅
2011/08/20
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